*Dec. 9th 2008
● 歩く
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このところ週2度くらいの回数で、
自宅から街までの距離を、ワイフと
歩いている。
で、今日(12月8日)のコースは、
佐鳴湖西岸→富塚(とみつか)→付属中学
→鹿谷(しかたに)→市内。
途中、鹿谷から市役所前まで、バスに
乗った。
歩いた時間は、1時間40分。
距離は、正確にはわからないが、10~12
キロ前後か。
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私はときどき街まで、歩いている。
それを見て、最近は、ワイフが同行してくれるようになった。
話し相手ができて、うれしい。
で、今日のメイン・コースは、何と言っても秋たけなわの、佐鳴湖西岸。
私はデジタルカメラで、1~2分歩くごとに、写真を撮った。
すばらしかった。
風もなく、湖面はまるで鏡のよう。
その湖面に対岸の景色が映って、まるで夢の中のよう。
佐鳴湖はいつ来ても、美しい。
が、そのあと誤算。
佐鳴湖の端にあるパークタウンから、鹿谷のほうへ坂を上ったところで
バスに乗るつもりだった。
しかし歩けども歩けども、バス停がない!
そんなわけで、予定よりも、3~4キロも余計に歩くはめに。
私たちはいつも、7~8キロをひとつの目安にしている。
10キロを超えると、とたんに疲労感がます。
今度から、ちゃんとバスコースを調べてから、歩くことにする。
(付記)
私は小学生のころ、毎日、ちがった道を通って、家に帰った。
それが楽しかった。
2~3時間の寄り道は、当たり前。
今のように、道草を食っても、それをとがめる人はだれもいなかった。
心配する人もいなかった。
私は今で言う「帰宅拒否児」だったかもしれない。
その話をワイフにしながら、「子ども時代に戻ったみたい」と。
だからいつだったか、少し前、子どもの道草についての相談を受けたとき、
私は思わずその母親にこう言ってしまった。
「いいんじゃ、ないですかア~」と。
今では、道草を食うということは、学校のほうで禁止されている。
都会地域では帰りは、バスか車。
まっすぐ帰る。
都会の子どもたちは遊んで帰るということが、できない。
(付記)「帰宅拒否は、軽症うつの可能性がある」という新聞記事が
目に留まった。
「うつ病の初期症状と考えてよい」とも。
「仕事が終わっても家に帰りたくない」というのであれば、そうかもしれない。
が、私のばあいは、それもあったかもしれないが、遊ぶために、寄り道をした。
カエルをつかまえて、皮をむく。
そのカエルの足を紐(ひも)でくくって、ザリガニをとる。
そういうことを毎日のようにしていた。
で、そういう自分を振り返りながら、今、こう思う。
「最近の子どもたちは、どこでどう遊んでいるのだろう?」と。
Hiroshi Hayashi++++++++Dec・08++++++++++++++はやし浩司
● 野生児(データ)
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1920年、インドのカルカッタの西、
約100キロのジャングルの中で、
2人の少女が見つかった。
推定年齢は、8歳と、1・5歳の、2人の少女である。
オオカミによって育てられていたという
ことで、「オオカミ少女」と呼ばれるようになった。
推定年齢8歳の少女には、「カマラ」、1・5歳の
少女には、「アマラ」という名前が、それぞれ
つけられた。
2人の少女を保護したのは、自らも孤児院を経営して
いた、シング牧師。
彼はその後、妻と2人で、2人の少女を手厚く保護し、
教育を授けた。
妹と思われるアマラは、2か月で言葉を話せるように
なったが、姉と思われるカマラは、2年もかかった
という。
アマラは発見されてから1年後に、病死。
カマラは、17歳まで生きたという。
シング牧師夫婦の教育のおかげで、カマラは、
3年後には2本足で歩くことができるようになったが、
急ぐときは、4つんばいのままであったという。
言葉も覚えたが、それでも17歳までに、覚えた
単語の数は、40語足らずであったという。
が、最後の最後まで、人間らしい感情を取り戻す
ことはなかったという。
ただおなかがすいたときだけ、怒った表情を
して見せたという。
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
はやし浩司 野生児 インド オオカミ少女 オオカミ姉妹 狼少女 狼姉妹
カマラ アマラ)
Hiroshi Hayashi++++++++Dec・08++++++++++++++はやし浩司
●トイレの話
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私が中学生のときのことだったと思う。
授業中、先生が、こんな話をしてくれた。
何の授業だったかは覚えていない。
先生がだれだったかも、覚えていない。
が、こんな話だった。
「アメリカ人というのは、大便と小便を
別々にする」と。
どういうわけか、その話が強烈に印象に
残った。
というのも、当時も今も、私も含めて、
日本人というのは、大便と小便を
同時にするというのが、常識だった。
が、それから40数年。
今でもときどき、その話を思い出す。
思い出しながら、トイレに入る。
そしてこう考える。
私はどうなのか?、と。
で、こういうことは言える。
スリッパ型の日本式トイレでは、力の
入れ加減で、どうしても両方を同時にする。
一方、座式型の洋式トイレでは、力の入れ加減が
ちがう。
大便のほうしかできない(?)。
(女性は、どのようにしているか、私は
知らないが……。)
つまり男性は、どうしても別々になってしまう。
大便をしたあと、もう一度、立ちなおし、
小便をする。
中学生のときの先生が言ったように、「大便と
小便を別々にする」。
つまり私もあのとき先生が言った、アメリカ人
のようになってしまった。
Hiroshi Hayashi++++++++Dec・08++++++++++++++はやし浩司
● 不況
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数日前、昔からの知人が突然やってきた。
以前、あれこれと仕事を頼んだ人である。
その知人が、「何か、仕事はないか?」と。
その知人の父親は、50歳になるころから
糖尿病が悪化して、現在は週に何回かは、
人工透析を受けている。
「仕事は、もうしていない」という。
またその知人も、3人もの子どもをかかえて、
その生活費だけで、たいへん。
「親父のめんどうをみる余裕など、どこにも
ない」と。
かなり切羽(せっぱ)つまった感じがした。
しかし今の私にも、その知人に回せるような
仕事は、ない。
しばらくあれこれ話したあと帰ってもらったが、
元気がなかった。
今、日本中を、大不況という嵐が襲っている。
そしてその嵐は、身を隠す場所すらない、
そういった弱小の人たちを、もろに苦しめ始めている。
たしか父親はまだ60歳前。
国民年金も手に入らない。
そういう人たちは、どうやって生活していけばよいのか。
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先日、大阪に住む友人と電話で話したとき、その友人は、こう言った。
「日曜日でも、仕事があれば、感謝しなくちゃあ」と。
私が「明日(日曜日)も、仕事です」と、ふと、こぼしたときのこと。
今の世の中、仕事があるというだけでも感謝、感謝、感謝。
ぜいたくは言えない。
その大阪は、不況の真っ只中。
それは知っていたが、この浜松にも、不況の風が吹き始めた。
派遣社員や外国人労働者の首切りが始まっているという。
自営業の人たちも、かなりきびしい状況らしい。
とくに通りに軒を並べる商店街が、元気がない。
で、昨日も書店で、経済誌を片っ端から立ち読みしてみた。
(そう言えば、私もこのところ雑誌の購入費が減ってきた。)
全体を通してみるとこの不況は来年(2009年)いっぱいは
つづきそう。
好転するのは、早くても、来年(2009年)の夏以後~とか。
さらにもう一段、大不況がやってくると説く学者もいる。
それまでは、どうやらじっとがまんのとき、ということか。
お金で幸福や命は買えない。
しかしお金がないと、人は不幸になる。
病気になっても、治療費が払えない。
私「彼の父親は、どうやって生活しているんだろう?」
ワ「奥さんが働いているみたい」
私「それならいい」
ワ「奥さんは、前から働いているみたい」と。
明日はわが身と思ったところで、この話はおしまい。
不況といっても、降ってわいた天災のような話で、私にはどうしようもない。
●雨(12月9日)
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久々の雨。
しかもどしゃ降り。
このところ雨が降るたびに、暖かくなったり、
寒くなったりする。
「この雨がやんだらどうなるんだろう?」と、
そんなことを考えながら、ワイパーの向こうの、
薄モヤにかすんだ通りを見ながら、考える。
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●逆流性胃炎
今日、病院へ言ったら、「逆流性胃炎」と診断された。
昨日、朝食をとったあと、げっぷが、数分おきに出た。
プラス胸焼け。
食道と胃の付け根あたりが、熱をもったような不快感。
夕方薬局で、胃酸を抑える薬を買ってのむ。
症状はそれで消えた。
で、今日、インフルエンザの予防注射を受けた。
そのついでに胃の話をすると、冒頭に書いたように、「逆流性胃炎」と。
要するに胃液が逆流して、食道のほうまで上ってくるらしい。
そこで胸焼けを起こす。
ドクターは、「そのあたりに潰瘍(かいよう)ができたかも?」と言った。
で、薬をもらって、それでおしまい。
しかし……。
加齢とともに、たいしたことはないにしても、いろいろとこまかい病気がふえてくる。
そういえば、恩師のTK先生も、逆流性胃炎で悩んでいる。
そのため夜もよく眠られないとか。
私のばあい、そこまでひどくはないが、持病にしてしまうとこわい。
ここはしっかりと治しておくのがよい。
●友人のがん
1週間ほど前、ほぼ1年半ぶりに、京都に住む友人から電話がかかってきた。
若いころいっしょにインドへ渡った仲間である。
彼はこう言った。
「いやあ、ぼくはね、胃がんだったんだよ」と。
話を聞くと、この8月に検査でわかり、10月に手術をしたという。
同年齢の人の話を聞くと、心底、つんとした冷気が背筋を走る。
(がん)イコール(死)ではないにしても、私たちは、そういう形で
一歩、また一歩と死に近づいていく。
私「ぼくのほうも、いろいろあってねえ」
友「そうかあ」
私「8月に兄貴、10月に母が、つづいて他界してね」
友「そりゃあ、たいへんだったんだね」
私「君のほうこそ、たいへんだっただね」
友「そうなんだよ」と。
こういうとき「ぼくのほうは元気だ」と言うのも、どこか気が引ける。
それに今は元気でも、明日のことはわからない。
そういう不安がいつもあるから、自信をもって、「ぼくは元気だ」とは、
とても言えない。
その母が死んで、もう2か月になる。
それまでの母は、いわば天井のようなもの。
「母が生きている間は、ぼくも生きていられる」という、不思議な安心感があった。
しかしその母が死んだ。
天井がなくなった。
この先、私はひとりで生きていかねばならない。
順番からすれば、つぎに死ぬのは、この私ということになる。
しかし今、私はこう思う。
人間は生きたいと思っても、なかなか生きられるものではない。
死にたいと思っても、これまたなかなか死ねるものではない。
その一方で、死は、乱数にさらに乱数を掛け合わせた
ようにしてやってくる。
健康に注意を払っているから、長生きできるというものでもない。
病気がちだからといって、早死にするわけではない。
もうこの世界は、メチャメチャ。
メチャメチャだから、つかみどころがない。
「今日、元気だから、明日はだいじょうぶだろう」
「今月は元気だから、来月はだいじょうぶだろう」という程度のことでしかない。
いくらがんばっても、来年のことはわからない。
不安と言えば不安だが、その不安感があるからこそ、今日、がんばる。
がんばることができる。
「時間」こそ、真の財産ということになるが、それに修飾語をつけるとしたら、
「健康な時間」ということになる。
その(健康)には、肉体の健康のほか、精神の健康と脳みその健康が含まれる。
それが今、あなたにあるなら、あなたは、それを心底、喜んだらよい。
バンザーイと、歓声をあげたらよい。
で、つぎに大切なことは、その「健康な時間」を、どう使うかということ。
それがわからなければ、こう考えてみたらよい。
仮にあなたの命が、あと7日しかなかったとする。
7日目が終わったとき、あなたの命も、そこで絶える。
もしそういう状況になったら、あなたはどうするだろうか。
何を考え、何をするだろうか。
答は、自(おの)ずと、出てくるのでは……?
だれしも、がんのような病気を告知されると、一度は地獄の底へと
叩き落される。
私もそうだった。
私も脳腫瘍を疑われ、開頭手術寸前までいった。
そのとき私は、病院からどの道をどう通って家まで帰ったか、よく
覚えていない。
ワイフが途中で私を拾ってくれたとき、私はまるで幽霊みたいだったと言った。
あと覚えているのは、その夜は、やっと2歳くらいになった長男の寝顔を見ながら、
さめざめと泣いたこと。
ワイフも私も、正座したまま、泣いた。
友人もそうだったとは思わない。
(がん)の受け止め方は、人それぞれ。
深刻に考える人もいれば、そうでない人もいる。
(がん)の種類にも、いろいろある。
それに今では、治療法も、昔とはちがい格段に進歩している。
友人も、電話では、けっこう明るい声をしていた。
「初期に発見できたから、よかった」と言っていた。
私もそれを率直に、喜んだ。
繰り返しになるが、生きるのもたいへん。
さりとて死ぬこともできない。
私たちは、ただひたすら、生かされるまま、生きていくしかない。
いつか、その日が来るまで……。
●もしあと7日の命だったら……
ついでに考える。
もしあと7日の命だったら、どうするか、と。
即座に思いつくことは、身辺の整理。
あとに残されるワイフや息子たちに、迷惑がかかるようなことがあれば、
それを第一に整理する。
つぎに私の(命)は、今までに書いた原稿にある。
それを整理する。
インターネットというすばらしい利器がある。
それにできるだけ、収録しておく。
つまり7日というその間は、整理、また整理で終わるだろう。
言うなれば、人生のあと片づけ。
泣いていても仕方ない。
悔やんでいても仕方ない。
死を恐れていても仕方ない。
どのみち死ぬのなら、やはりあと片づけしかない。
いつか見た映画のように、(したいことをする)というのは、
私の生き方ではない。
またそんなことをしても、空しいだけ。
またそういうふうに思わなくてもよいように、今、この瞬間に、
(したいことをする)。
(やるべきことをする)。
そういう意味でも、私には、一瞬一秒でも、無駄にできる時間はない。
まさに「時間こそが、財産」ということになる。
みなさん、がんばりましょう!
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