Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, February 16, 2012

●日本人の職業観





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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     2月 27日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【職業意識】(はやし浩司 2012-01-11)

+++++++++++++はやし浩司

『職業は人を作る』と言う。
それはその通りで、ひとつの職業を長くつづけていると、
その職業がもつ、独特の雰囲気を身つけるようになる。
それだけではない。
独特のものの考え方、生き様まで、身につけるようになる。

私がそれをはじめて知ったのは、ある幼稚園でバスの運転手と
話していたときのことだった。
その運転手は、こう言った。

「わしら、毎日、~~をしろと、きちんと言ってもらわないと、仕事ができない。
あんたは、よくやるねエ」と。

私が、時間に決められた仕事をしていると話をしたときのことだった。

で、ちょうど同じころ。
今度は、ガソリンスタンドを経営している友人が、こう言った。
「林さんは、~~時から~~時までというような仕事をしているが、ぼくには、
とてもまねできないよ」と。

印象的に残ったのは、つぎのように言ったこと。
「もし時間で仕事を区切られたら、ぼくなら、気が狂ってしまうよ」と。
「気が狂ってしまうよ」という言い方が、強く印象に残った。

バスの運転手は、だれかにきちんと指示してもらわないと仕事はできないと言う。
ガソリンスタンドを経営している友人は、時間で決められた仕事はできないという。

この問題だけは、「私は私」「人それぞれ」というだけでは、簡単には片づけられない。
その人の個性というよりは、仕事によって、その人は、(作られていく)。
職業というものは、そういうもの。
またそういう視点で見ないと、その人を理解することができない。

+++++++++++++はやし浩司

●読者からのメール

 Y市に住む読者から、こんなメールが届いた。

『……私の高校はK県では、一番の進学校で170名ぐらいの同期の4分の1は東大へ進学します。
理系文系半々です。

東大法学部に行った仲間の何人かは、国家公務員になりました。

私の高校はミッション系で、(私は信者になりませんでしたが)、神を中心とした教育をされていましたので、社会にでても周りの環境にあまり影響を受けませんでした。

しかし官僚になった仲間だけは別です。
同期会でXX局長になったり、高級官僚になったりした仲間がいます。
そういう連中とはすぐ喧嘩になります。

大企業の社長になった仲間や裁判官や弁護士になった仲間もいますが、同期会では昔のままの感じで話をします。
が、官僚になった仲間だけはちがいます。
上から目線で話をするのです。

それを指摘して喧嘩になるのです。
本人は自分が偉そうに話していることに気が付いていません。

明治以来の官僚を作るための帝国大学、入省してからの環境が自分を見失わせるようです。
本当に勘違いも甚だしい優越感をもった人たちです』と。

●優越感

 メールには、『明治以来の官僚を作るための帝国大学、入省してからの環境が自分を見失わせるようです』とある。

 こうした優越感は、私も、そのつど、強く感ずる。
みながみな、そうではない。
が、そういう(感じの人)が、多いのも事実。
侍意識というか、「日本を指導しているのは、オレたち」という意識である。
称して『オレたち意識』。
昔、アメリカのニューズウィーク誌は、『オレオレ意識』と表現した。

H市のある役人(部長職、当時)は、こう言った。
私が、「どうしてH市は、XXパークとか、YYパークとか、そんなものばかりを作っているのですか」と聞いたときのこと。

「いいですか、林さん、H市は工員の町ですよ。
工員には金をもたせてはいかんのですよ。
働かなくなりますからね。
だから金(マネー)を使うようにしむける。
そのための施設ですよ」と。

 こういうことを平気で、堂々と口にするところが、恐ろしい。

●職業意識

 それぞれの人が、それぞれの職場で、どのような職業意識をもとうが、それはそれぞれの人の勝手。
私にもあるし、あなたにもある。
どれが正しくて、どれがまちがっているか、そんなことを論じても、意味はない。
ただこういうことは言える。

 私たちが常識としてもっている職業意識ほど、アテにならないものはないということ。
私がそうだからといって、相手もそうだと思ってはいけない。

 ……と書いたが、この問題は、すでにいつか論じたような気がする。
原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「スケジュール」について。
書いた日付はわからないが、1999年ごろと思われる。
一部、内容がダブル点については、許していただきたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●スケジュール

 自分が時間でしばられるのは、いやなくせに、その一方で、そのスケジュールをたてないと、行動できない。いったい、この矛盾を、どう考えたらよいのか。

 「今日は、11時に風呂に入って、12時ごろ、銀行に行くから」と、今朝も、起きて、ワイフに、そう言った。

 つまりそういうふうに、自分の行動に区切りを入れないと、ダラダラと時間だけが流れてしまう。
緊張感も生まれない。

 人間というのはおかしなもので、「さあ、時間はたっぷりあるぞ。何か原稿を書け」と言われると、とたん、ものが書けなくなってしまう。
しかし、「あと2時間しかないぞ。さあ、どうする」と言われると、とたんに、文章がスラスラと頭の中から出てくる。

 しかしこれは、私だけの現象か?

 昔、幼稚園バスの運転手がこう言った。
「私らは、きちんとスケジュールを決めてもらわないと、仕事ができない」と。
同じころ、ガソリンスタンドを経営している男は、こう言った。
「時間単位のスケジュールを決められたら、息苦しくて、気が狂ってしまう」と。

 人は、人それぞれで、生活の中で、その人につくられていく。

 私も、そうで、今の私も、結局は、自分の仕事の中で、つくられた「私」にすぎない。

 そしてこのこと、つまりこうした私がかかえる矛盾は、人生という、大きな流れの中にも、ある。

 人生の中では、「時間」が、「年齢」になる。

 「~~歳までには、こうしよう」「~~歳になったら、こうしよう」と考える。
本当のそうするかどうかは別にして、たとえば「65歳になったら、老人ホームへ入ろう」とか、「70歳になったら、世界を一周しよう」とか、そういうふうに、考える。

 もっとも、それは、順調にいったらの話で、その前に、いろいろあるかもしれない。
交通事故、重い病気などなど。
もともと自由というのは、そういうふうにして自分の体をしばっている、ヒモやクサリを解き放つことをいう。
が、しかしそういうヒモやクサリが、向こうから、勝手にからんでくることがある。

 そういうふうに考えていくと、本当のところ、人生のスケジュールを決めるのは、「年齢」ではない、「健康」だ。
「頭の能力」だ。……ということがわかってくる。

 私の身のまわりにも、頭がボケてしまって、使いものにならなくなってしまった人が、たくさんいる。
それなりに、平和に暮らしてはいるが、私からみれば、死んだも同然。
人間は、考えるから、人間。

 私も、もうすぐその(死んだも同然)の人間になるかもしれない。
それまでの勝負。
私は、どこまで生きられるか。
どこまで深く、生きられるか。
この緊張感があるから、今日も、こうして原稿を書く。……書ける。

 それにしても、最近私が書く原稿は、どれも駄作ばかり。
鋭さが、どんどんと消えていくのが気になる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●本題

 12年ぶりに、同じような原稿を書いているのを知る。
むしろ12年前の私の方が、鋭い(?)。
生き様を、人生論という、長いスパンで考えている。
言い換えると、ではこの12年間、私は何をしていたのかということになる。
進歩、ゼロ!

 それはともかくも、さて、本題。

●「私」とは?

 こうして考えてみると、「私」と言われる部分についても、そのほとんどが、環境の中で作られていくものということが、よくわかる。
私は私のように作られてきた。
あなたはあなたのように作られてきた。

 が、大切なことは、それぞれがそれぞれを認めあうこと。
……と書きたいが、官僚がもっている、あの独特の優越感だけは、認めがたい。
どうしてああまで威張れるのかと思えるほど、威張っている。

 と書くと、話がバラバラになってしまう。
生き様論を書けばよいのか。
役人論を書けばよいのか。

最初は、役人論を書くつもりだった。
しかし今は、人生論を書きたい。
あるいはその共通性は、何なのか。

●裸で生きる

 要するに、人間は裸で生きる。
あるがままで生きる。
それが基本。
その基本を忘れるから、職業によって、その人が作られてしまう。

 もちろん役人がみな、役人風を吹かすわけではない。
私の友人の中にも、その役人(官僚)になったのが、何人かいる。
が、どの男も、会って話すと、庶民的で、威張ったところはない。
独特の言い方はするが・・・。
もっともこれについては、役人のもつ2面性の問題が絡んでいる。

●侍の世界

 学校の教師もそうだが、内部では、結構、仲が悪い。
たがいに、いがみあっている。
足の引っ張りあい、いじめは、日常茶飯事。
が、こと外部に対しては、団結する。
総じてみれば、役人の世界も、同じ。

 つまり外から見て「威張っている」からといって、内部でもそうだと考えてはいけない。
ある友人は、こう言った。
「役所というところは、おもしろい世界でね。
組織と人事だけで成り立っている世界だよ」(K県・県庁勤務)と。

 外から見ると、情報だけで成り立っている世界に見える。
どうであれ、組織、つまり上下関係だけで成り立っている。
彼がいう「人事」とは、「身分」をいう。
そこはまさに、「侍の世界」。

●上下意識

 が、このことは、私たち自身にも言えること。
男たちだけの話ではない。

 浜松には、都市銀行の家族寮がいくつかある。
その家族寮。
夫の役所に応じて、妻たちの上下関係も決まるのだそうだ。
会合があっても、夫の地位の順に、妻たちが並ぶ。
通路を歩いているときも、夫の地位の低い方の妻が、道を空ける、など。
妻の年齢とか、キャリアは問題外。
(ただしこの話を聞いたのは、2000年ごろ。
それから12年。
今は、変わったかもしれない。)

「組織」というのは、そういうもの。

●生き様の中で

 生き様の中ではどうか。

 私自身は、時間に決められた生活をしながら、人生においては、それに抵抗している。
あるいは日常的な生活感覚で、人生をながめる。
少し前までは、こう考えていた。

「60歳になったら、~~しよう」
「65歳になったら、~~しよう」と。

 この考え方は、「10時になったら、~~しよう」
「2時になったら、~~しよう」という生活感覚と、どこもちがわない。

 が、実際、この年齢になると、こんなことに気がつく。
「年齢というのは、ただの数字」と。
時計で示される時刻とは、まったく異質のものである。
もっとはっきり言えば、年齢など、無視すればよい。

 仕事ができる間は、仕事をする。
仕事がある間は、仕事をする。

●相手にされない

 こうして考えていくと、結論は、こうなる。
「威張りたい奴には、威張らせておけばいい」と。
そういう人たちにかぎって、やがてその落差に苦しむときがやってくる。
というのも、地位や役職にしがみついて生きてきた人ほど、それを手放すことができない。
退職してからも、それを引きずる。

 私の知人の中には、そういう人が多い。
70歳になっても、75歳になっても、現役時代の肩書を引きずっている。
中には、半世紀も前の学歴を引きずっている人もいる。

 が、そういう人ほど、世間に相手にされない。
嫌われる。

●色眼鏡(いろメガネ)

 言い換えると、現役であるにせよ、退職後であるにせよ、裸で生きる。
その基本だけは、忘れてはいけない。
つねに自分のありのままの姿を見据える。
それが基本。

 もっとも私たち団塊の世代は、地位や肩書にあこがれた。
『末は博士か大臣か』と。
当時は、今よりずっと、江戸時代の身分制度が色濃く残っていた。
結果として、企業戦士になり、一社懸命でがんばった。
戦時中の愛国心が、戦後は愛社心に姿を変えた。
それが今に見る、日本の繁栄の基礎を作った。
が、それはそれ。

 私たちは同時に、そういう色眼鏡をはずさねばならない。
つまり私たちは相手を見るとき、無意識のうちにも、相手を地位や肩書で判断する。
そういう色眼鏡をはずさねばならない。

●1匹のネズミ

 私はあるとき、「ぼくだけは、たった1人で生きてみよう」と思った。
そのきっかけを作ったのは、ネズミだった。
その話は、『世にも不思議な物語』の中で書いた。

それをそのまま紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●たった一匹のネズミを求めて【26】

●牧場を襲った無数のネズミ

 私は休暇になると、決まって、アデレ-ド市の近くにある友人の牧場へ行って、そこでいつも一、二週間を過ごした。
「近く」といっても、数百キロは、離れている。広大な牧場で、彼の牧場だけでも浜松市の市街地より広い。
その牧場でのこと。

 ある朝起きてみると、牧場全体が、さざ波を打つように、波うっていた! 
見ると、おびただしい数のネズミ、またネズミ。
……と言っても、畳一枚ぐらいの広さに、一匹いるかいないかという程度。

 しかも、それぞれのネズミに個性があった。
農機具の間で遊んでいるのもいたし、干し草の間を出入りしているのもいた。
あのパイドパイパ-の物語に出てくるネズミは、一列に並んで、皆、一方向を向いているが、そういうことはなかった。

 が、友人も彼の両親も、平然としたもの。
私が「農薬で駆除したら」と提案すると、「そんなことをすれば、自然のライフサイクルをこわすことになるから……」と。

 農薬は羊の健康にも悪い影響を与える。
こういうときのために、オーストラリアでは州による手厚い保障制度が発達している。
そこで私たちはネズミ退治をすることにした。
方法は、こうだ。

 まずドラム缶の中に水を入れ、その上に板切れを渡す。
次に中央に腐ったチーズを置いておく。
こうすると両側から無数のネズミがやってきて、中央でぶつかり、そのままポトンポトンと、水の中に落ちたる。
が、何と言っても数が多い。
私と友人は、そのネズミの死骸をスコップで、それこそ絶え間なく、すくい出さねばならなかった。

 が、三日目の朝。
起きてみると、今度は、ネズミたちはすっかり姿を消していた。
友人に理由を聞くと、「土の中で眠っている間に伝染病で死んだか、あるいは集団で海へ向かったかのどちらかだ」と。
伝染病で死んだというのはわかるが、集団で移動したという話は、即座には信じられなかった。
移動したといっても、いつ誰が、そう命令したのか。

 ネズミには、どれも個性があった。
そこで私はスコップを取り出し、穴という穴を、次々と掘り返してみた。
が、ネズミはおろか、その死骸もなかった。
一匹ぐらい、いてもよさそうなものだと、あちこちをさがしたが、一匹もいなかった。
ネズミたちは、ある「力」によって、集団で移動していった。

●人間にも脳の同調作用?

 私の研究テ-マの一つは、『戦前の日本人の法意識』。
なぜに日本人は一億一丸となって、戦争に向かったか。
また向かってしまったのかというテ-マだった。

 が、たまたまその研究がデッドロックに乗りあげていた時期でもあった。
あの全体主義は、心理学や社会学では説明できなかった。
そんな中、このネズミの事件は、私に大きな衝撃を与えた。
そこで私は、人間にも、ネズミに作用したような「力」が作用するのではないかと考えるようになった。

 わかりやすく言えば、脳の同調作用のようなものだ。
最近でもクロ-ン技術で生まれた二頭の牛が、壁で隔てられた別々の部屋で、同じような行動をすることが知られている。
そういう「力」があると考えると、戦前の日本人の、あの集団性が理解できる。
……できた。

 この研究論文をまとめたとき、私の頭にもう一つの、考えが浮かんだ。
それは私自身のことだが、「一匹のネズミになってやろう」という考えだった。
「一匹ぐらい、まったくちがった生き方をする人間がいてもよいではないか。
皆が集団移動をしても、私だけ別の方角に歩いてみる。
私は、あえて、それになってやろう」と。
日本ではちょうどそのころ、三島由紀夫が割腹自殺をしていた。

(注:もっと読んでくださる方は……http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page195.html)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●生き様

 私は「たった一匹のネズミ」になった。
が、これはけっして負け惜しみではない。
この40年間においても、「教授職」をオッファーされたことは、2度ある。
幼稚園の園長職については、そのつど何度か、ある。
しかし私は、あえて背を向けた。

 そういうネズミの立場で一言。

 この日本は、江戸時代をそのまま背負った、まさに後進国。
文化的後進国。
悲しいかな、日本自身が、その後進性そのものに気づいていない。
すでに42年前には、オーストラリアの大学では、教授も学生も、ファーストネームで呼びあっていた。
会社にしても、一歩、会社の外に出れば、そこは友人同士の世界。
今でこそ、世界中どこへ行っても見られるようになったが、オーストラリアには名刺をもっている人はいなかった。
職業意識そのものが、ちがった。

●社会のしくみ

 日本では、「何をしていますか?」と聞かれると、「S自動車に勤めています」などと答える。
ほとんどが、会社名を口にする。
オーストラリアでは、「何をしていますか?」と聞かれると、「機械設計士をしています」などと答える。
自分のプロフェッショナル(専門職)を口にする。

 社会のしくみそのものが、ちがう。
欧米では、ユニオンといって、同業種の職業の人たちが集まって、組合をつくる。
日本では……、今さらここに書くまでもない。

●肩書や地位

 ともあれ、退職後の友人たちを比較してみると、(どちらが正しいとか、正しくないとか、そういうことではなく)、日本人とオーストラリア人は、まったくちがう。
日本人は日本人だが、オーストラリア人は、その点、さっぱりしている。
過去の肩書や地位で、自分を飾っている友人は、ゼロ。
まったくいない。

 どんな立派な肩書をもっていた男にしても、ヨレヨレのジーパンで、日本へやってきたりする。
……というか、現役時代も、地位や肩書の話など、まったくしなかった。
私も聞いたことがないし、彼らもまた話さなかった。

●自己否定

 こうしたちがいを、いくら日本の友人たちに説明しても、理解すらできない。
……理解しようともしない。
思考回路がちがうというよりは、もしその(ちがい)を認めると、自己否定の世界に陥ってしまう。
それを恐れる(?)。
「ぼくはいったい、何をしてきたのだ」と。

 が、今、日本は急速に変わりつつある。
また変えなければならない。
一匹のネズミの目で見ると、強く、そう思う。

●結論として……

 職業意識をもつのは仕方のないこと。
しかしそこに封建意識を混在させてはいけない。
あくまでも裸で生きる。
わかりやすく言えば、人間が生の人間を見て、その人間を判断する。
またそういうのを、「自由」という。
でないと、今に見るような、不公平ばかりが、先に立つようになる。

 ……役人の話と、生き様の話。
途中で話がバラバラになりそうだったが、これでひとつにまとまった。
ホ~~~ッ!

 ……ということで、役人と生き様について、考えてみた。

(補記)

 どんな職業にあっても、気高く、誇り高く生きる。
……といっても、この日本では、そんなに簡単なことではない。
そのことは、私が、いちばんよく知っている。
この日本には、「まともな仕事論」というのがある。
(まともな仕事?)と(まともでない仕事?)がある。
60代、70代以上の人たちが、よく使う。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「はやし浩司 まともな仕事」で検索をかけてみたら、
5310件もヒットした(ヤフー検索)。
2つほど、原稿を選んでみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己否定

仕事がなくなるという恐怖は、相当なもの。
とくに、「男は仕事だけしていれば、一人前」とか、「オレは家族を食わせてやっている」と、日ごろ言っている男性にとっては、そうである。
 
「仕事」が、その人のステータスになっている。
だからその仕事を失うということは、その人の価値が否定されることに等しい。

 が、こういう時代である。
私のような中高年への、世間の風当たりは、きびしい。数年前だが、大学の同窓会に出てみた。
が、公務員や自営業をのぞいて、民間企業に就職した仲間たちは、ほぼ全員が、リストラされ、別の会社に就職していた。

 そういう時代である。

 もちろん公務員や自営業とて、例外ではない。
定年退職や、それに病気がある。事故もある。
そういうとき、同じように、「自己否定」という恐怖を味わう。

 それはすさまじいほどの衝撃である。
若いときなら、やりなおしがきく。
しかし50歳もすぎると、そうはいかない。
やりなおすという発想そのものが、消える。
が、それだけではない。
プラス、生活の不安が、どっと襲ってくる。
とくに自営業のばあいは、失業イコール、無収入となる。

 だから……。
 仕事は、大切なものだが、同時に、その仕事がなくなったときの自分を考えておくことも、重要なことである。
別の仕事を用意するということではない。
仕事がなくなったときの心構えというか、そういうものを、考えておく。
あるいは、老後の生きがいというものを、積極的に用意しておく。

 それは、老後の貯金のようなものかもしれない。

 ……と書くのは、実は、自分のため。
自分に言って聞かせるため。
と、同時に、実は、私は過去において、何度も、その自己否定の恐怖を味わっている。
毎日が、その連続といってもよい。
私がしているような仕事のばあいは、一度に、その恐怖がやってくるということはない。
そのかわり、その恐怖が、分散してやってくる。
が、だからといって、恐怖感が小さいということはない。
ときには、その分散した恐怖が、波のように集まって、襲ってくることもある。

 いつということは、書けないが、毎日、床の上で、天井を見あげながら、どうしようかと、思案に暮れたこともある。
息子の寝顔を横で見ながら、涙をこぼしたこともある。

 しかし今、私には、かろうじてだが、仕事がある。
毎朝、起きると、やることが決まっている。
生きがいも、ある。
健康も、まあまあ。
で、ふと、こう思う。

 「できるだけ、こういう状態を、大切に、長くつづけよう」と。
それは、薄い氷の上を、恐る恐る歩くようなもの。
決して、おおげさな言い方ではない。
そうした実感は、年々、強くなっている。

 で、今は、もう、大きな目標は、ない。
目的も、ない。現状維持ができれば、御(おん)の字。
健康でいられるだけでも、感謝しなければならない。
そういう立場である。

 その私のこと。
もしいつか、自己否定するようなことがあれば、私はもう生きていないだろうと思う。
自己否定イコール、死と考えている。
多分というより、まちがいなく、私は自己否定の恐怖感には、耐えられないだろうと思う。

【補記】

 こうした困苦は、だれにでも起こりうるものだが、だれかがそうなったら、静かな、そ
して暖かい無視が、一番、よい。

 いらぬお節介は、タブー。
いわんや興味本位、個人的な好奇心で、その人の不幸を、のぞいてはいけない。

 が、世の中には、無神経な人が多いのも、事実。
ある日、いきなり電話がかかってきて、「林君、今のような仕事は、やめて、もう少し、まともな仕事をしてはどうかね? 
今の仕事じゃあ、老後が心配だろう」などと言ってくる。
(この話はホントだ!)

 もちろんその人から、相談があれば、別。
そのときは、親身になって、相談にのってあげる。

 が、おかしなもので、自分が苦労しているときほど、その人の真価がわかる。
私も何度か、そういう波を越えて、(つきあう人)と、(つきあってもムダな人)を、よりわけてきた。
言うまでもなく、ムダな人と、ムダなつきあいをするのは、それ自体が、時間のムダ
である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●不幸をのぞく人

 先の原稿の中で、2人の人について、書いた。
「他人の不幸をのぞいてくる人」と、「まともな仕事をしたらどうかね言っていた人」。
実はこの2人は、同一人物である。
若いころから年長風を吹かし、あれこれと言ってくる。
用もないのに、電話をかけてきて、私の家の事情を聞きだそうとする。
あるときは、こう言った。

「浩司君、今朝、君の夢を見たから……」と。
 
 聞きだす方は興味本位かもしれない。
が、聞かれる方は、つらい。
そのつらさは、経験のある人でないと理解できないだろう。
ともかくも、つらい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

もう1作、「まともな仕事」について
書いた原稿を載せる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●男は仕事、女は家庭?(Men work outside and Women work inside?)

++++++++++++++++++++

このほど読売新聞社(8月27日)が公表した
意識調査によると、

女性は結婚しなくても幸せな人生を送ることができる……55%
そうは思わない                 ……39%

この数字を、1978年(30年前)と比較してみると、
「女性は結婚しなくても幸せな人生を送ることができる」と答えた人は、26%
だった。

つまりこの30年間で、26%から、55%にふえたことになる。
(以上、読売新聞社、年間連続調査「日本人」より)

+++++++++++++はやし浩司

こうした変化は、私も、ここ10年ほどの間、肌で感じていた。
旧来型の「男は仕事、女は家庭」という結婚観が、今、急速に崩壊しつつある。

そのことを裏づけるかのように、今回も、こんな調査結果が出ている。

+++++++++++++はやし浩司

結婚したら男性は仕事、女性は家庭のことに専念するのが望ましい……30%
そうは思わない                       ……68%

この数字を、1978年と比べてみると、

「男性は仕事を追い求め、女性は家庭と家族の面倒をみる方が互いに幸福だ」については、
賛成……71%
反対……22%だった(同調査)。

つまり30年前には、「男は仕事、女は家庭」という考え方に賛成する人が、71%だったのに対して、今回は、30%にまで激減したということ。

日本人の意識は、とくにこの10年、大きく変化しつつある。
まさに「サイレント革命」と呼ぶにふさわしい。

ただし「結婚」については、肯定的に考える人がふえている。
読売新聞は、つぎのように伝える。

++++++++++以下、読売新聞より+++++++++++

ただ、「人は結婚した方がよい」と思う人は65%で、「必ずしも結婚する必要はない」の33%を大きく上回り、結婚そのものは肯定的に受け止められていた。

「結婚した方がよい」は、5年前の03年の54%から11ポイント増え、結婚は望ましいと考える人が急増した。

++++++++++以上、読売新聞より+++++++++++

 これらの数字をまとめると、こうなる。

「結婚したほうがよい」と考える人がふえる一方で、旧来型の「男は仕事、女は家庭」という結婚観をもっている人は、約3割にすぎないということ。

3割だぞ!

 問題はこうした変化もさることながら、こうした変化についていけない人も、多いということ。
あるいはこうした意識変化が起きつつあることにすら、気がついていない。
とくに世代間の(ちがい)が、大きい。

「男は仕事、女は家庭」と、旧来型の固定観念にしばられる旧世代。
「今どき、そんなバカなことを言っていると相手にされない」と反発する新世代。

 先日も兄の葬儀でのこと。
裏方で、お茶や食事の用意をしていたのは、すべて女性。
広間で、でんと座って、それを待っていたのは、すべて男性(プラス、一部の女性)。
私が裏方で、味噌汁を作っていたら、逆に、私のほうが追い出されてしまった!

こういうバカげた段村社会が残っている国は、そうはない。
またそういう男女観をもっている人ほど、今回の読売新聞社の公表した意識調査結果を、
一度、真剣に読んでみる必要がある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 男は仕事 女は家庭 男女観 結婚観 サイレント革命 はやし浩司 男尊女卑)

+++++++++++++

さらに7年前に書いた原稿が
つぎのもの。

+++++++++++++はやし浩司

●親が子どもを叱るとき 

●「出て行け」は、ほうび
 
 日本では親は、子どもにバツを与えるとき、「(家から)出て行け」と言う。
しかしアメリカでは、「部屋から出るな」と言う。
もしアメリカの子どもが、「出て行け」と言われたら、彼らは喜んで家から出て行く。
「出て行け」は、彼らにしてみれば、バツではなく、ほうびなのだ。

 一方、こんな話もある。
私がブラジルのサンパウロで聞いた話だ。
日本からの移民は、仲間どうしが集まり、集団で行動する。
その傾向がたいへん強い。
リトル東京(日本人街)が、そのよい例だ。
この日本人とは対照的に、ドイツからの移民は、単独で行動する。
人里離れたへき地でも、平気で暮らす、と。

●皆で渡ればこわくない

 この二つの話、つまり子どもに与えるバツと日本人の集団性は、その水面下で互いにつながっている。
日本人は、集団からはずれることを嫌う。
だから「出て行け」は、バツとなる。
一方、欧米人は、束縛からの解放を自由ととらえる。
自由を奪われることが、彼らにしてみればバツなのだ。
集団性についても、あのマーク・トウェーン(「トム・ソーヤの冒険」の著者)はこう書いている。

『皆と同じことをしていると感じたら、そのときは自分が変わるべきとき』と。

つまり「皆と違ったことをするのが、自由」と。

●変わる日本人

 一方、日本では昔から、『長いものには巻かれろ』と言う。
『皆で渡ればこわくない』とも言う。
そのためか子どもが不登校を起こしただけで、親は半狂乱になる。
集団からはずれるというのは、日本人にとっては、恐怖以外の何ものでもない。
この違いは、日本の歴史に深く根ざしている。
日本人はその身分制度の中で、画一性を強要された。
農民は農民らしく、町民は町民らしく、と。
それだけではない。
日本独特の家制度が、個人の自由な活動を制限した。
戸籍から追い出された者は、無宿者となり、社会からも排斥された。

 要するにこの日本では、個人が一人で生きるのを許さないし、そういう仕組みもない。
しかし今、それが大きく変わろうとしている。
若者たちが、「組織」にそれほど魅力を感じなくなってきている。
イタリア人の友人が、こんなメールを送ってくれた。
「ローマへ来る日本人は、今、二つに分けることができる。
一つは、旗を立てて集団で来る日本人。
年配者が多い。
もう一つは、単独で行動する若者たち。茶パツが多い」と。

●ふえるフリーターたち

 たとえばそういう変化は、フリーター志望の若者がふえているというところにも表れている。

日本労働研究機構の調査(二〇〇〇年)によれば、高校三年生のうちフリーター志望が、12%もいるという(ほかに就職が34%、大学、専門学校が40%)。
職業意識も変わってきた。
「いろいろな仕事をしたい」「自分に合わない仕事はしない」「有名になりたい」など。
30年前のように、「都会で大企業に就職したい」と答えた子どもは、ほとんどいない(※)。
これはまさに「サイレント革命」と言うにふさわしい。
フランス革命のような派手な革命ではないが、日本人そのものが、今、着実に変わろうとしている。

 さて今、あなたの子どもに「出て行け」と言ったら、あなたの子どもはそれを喜ぶだろうか。
それとも一昔前の子どものように、「入れてくれ!」と、玄関の前で泣きじゃくるだろうか。
ほんの少しだけ、頭の中で想像してみてほしい。

※ ……首都圏の高校生を対象にした日本労働研究機構の調査(2000年)によると、

 卒業後の進路をフリーターとした高校生……12%
 就職                ……34%
 専門学校              ……28%
 大学・短大             ……22%

 また将来の進路については、「将来、フリーターになるかもしれない」と思っている生徒は、全体の二三%。
約四人に一人がフリーター志向をもっているのがわかった。
その理由としては、

 就職、進学断念型          ……33%
 目的追求型             ……23%
 自由志向型 
            ……15%、だそうだ。

●フリーター撲滅論まで……

 こうしたフリーター志望の若者がふえたことについて、「フリーターは社会的に不利である」ことを理由に、フリーター反対論者も多い。
「フリーター撲滅論」を展開している高校の校長すらいる。
しかし不利か不利でないかは、社会体制の不備によるものであって、個人の責任ではない。
実情に合わせて、社会のあり方そのものを変えていく必要があるのではないだろうか。
いつまでも「まともな仕事論」にこだわっている限り、日本の社会は変わらない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist フリーター撲滅論 まともな仕事論)

 先にあげた男の基準からすれば、たとえば銀行のような企業に勤めることは、「まとも」ということになる。

私がしているような仕事は、「まともでない」ということになる。
が、これこそまさに、江戸時代の身分制度の亡霊。
その亡霊が、いまだにこの日本で、のさばっている!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●まとめ

 以上、「職業と意識」について考えてみた。
役人論は、その一部ということになる。

 どうであれ、つぎの瞬間には、私も人生を終える。
10年後?
20年後?

 それが何年であれ、瞬時。
つぎの瞬間には、私はこの宇宙もろとも、消えてなくなる。
ただ、つぎの世代には、よりよい時代を残したい。
そのためにも、変えるべきものは変えていきたい。
その方向性は示しておきたい。

 こと職業に関していえば、そこには(意識)の問題が絡む。
変えるといっても、それこそ10年、20年単位の時間が必要。
あせってもいけないし、さりとて放置しておいてもいけない。

 私は一匹のネズミとして生きたが、昔からこう言う。
『一寸の虫にも、五分の魂』と。
その「魂」の部分を、つぎの世代に残していきたい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●究極の食事法 (ジョーク)

 オーストラリアの友人が、新しいジョークを作り、それを送ってくれた。

...for those of you who watch what you eat, here's the final word on
nutrition and health. It's a relief to know the truth after all those
 conflicting medical studies:
(食事に注意を払っている人に、究極の食事法が、ある。医学的問題に
かかわっている人には、この事実を知ることは、とてもよいことだ。)


1. The Japanese eat very little fat and suffer fewer heart attacks
than the Americans, Australians, British, or Canadians.
(日本人は、脂肪をほとんどとらないし、そしてアメリカ人、オース
トラリア人、イギリス人、カナダ人より、心筋梗塞になる人が少ない。)


2. The Mexicans eat a lot of fat and also suffer fewer heart attacks
than the Americans, Australians, British, or Canadians.
(メキシコ人は、たくさんの脂肪をとるが、アメリカ人、オーストラリ
ア人、イギリス人、カナダ人より、心筋梗塞になる人が、少ない。)


3. The Japanese drink very little red wine and suffer fewer heart
attacks than the Americans, Australians, British, or Canadians.
(日本人は、ほとんどワインを飲まないが、アメリカ人、オーストラリ
ア人、イギリス人、カナダ人より、心筋梗塞になる人が、少ない。)


4. The Italians drink large amounts of red wine and also suffer fewer
heart attacks than the Americans, Australians, British, or Canadians.
(イタリア人は、大量の赤ワインを飲むが、アメリカ人、オーストラリ
ア人、イギリス人、カナダ人より、心筋梗塞になる人が、少ない。)


5. The Germans drink a lot of beer and eat lots of sausages and fats
and suffer fewer heart attacks than the Americans, Australians,
British, or Canadians.
(ドイツ人は、たくさんのビールを飲み、たくさんのソーセージと脂肪を
とるが、アメリカ人、オーストラリア人、イギリス人、カナダ人より、
心筋梗塞になる人が、少ない。)


6. Ukrainians drink a lot of vodka, eat a lot of perogies, cabbage
rolls and suffer fewer heart attacks than the Americans, Australians,
British, or Canadians.
(ウクライナ人は、たくさんのウォッカと、たくさんのペロシチ巻きを
たくさん食べるが、アメリカ人、オーストラリア人、イギリス人、カナ
ダ人より、心筋梗塞になる人が、少ない。)


CONCLUSION: Eat and drink what you like. Speaking English is
apparently what kills you.
(結論:好きなだけ、飲んで食べろ。英語を話すことが、心筋梗塞の原因
ということが、これで証明された。)

+++++++++++++++++++

お返しに、私も、ジョークを考えた。
こういうケースでは、つまり友人が
何かジョークを言ったら、それに答
えて、何か有益な知識を、返すのが
この世界の礼儀になっている。

+++++++++++++++++++

日本では、鼻先から、唇までの長さが、ペニスの長さということに
なっている。古くは、中国の医学書にも、そう書いてある。
(The length between the bottom of the nose and the edge of the upper
lip shows the length of dick, as has been written in Chinese Medical
book.)

つまりこの部分が、長い人は、ペニスも長いということになる。
このことから転じて、スケベな心境になることを、この日本では、
『鼻の下を長くする』という。
(This means those who has longer length between them has a longer
dick. And we say, therefore, in Japan, "he has a longer length under the
nose", which means that he is horny.)

しかし英語では、ペニスを「角(つの)」にたとえる。
スケベを意味する、「H(エッチ)」は、「ホーニィ」、つまり「角
のようになった(ペニス)」という意味から、きている。
(In English, however, the dick is often imitated as a horn and therefore
English people would often say, "he is horny", or he is sexually excited.)

いろいろな説があるが、これは、「H(エッチ)」という言葉が
日本でも使われ出したころ、私が、アメリカ人の男性に直接聞いて
確かめたことである。
(And then we say, "he or she is H, which means he or she is a sex maniac.")

で、どちらが科学的かというと、やはりアジア人のほうに、軍配
があがる。
(But which is more scientifically logical? Or Chinese medical is much
more logical.)

人間には、九つの穴(女性は、十)がある
(We have 9 holes in our body. Ladies have 10. Count them when you feel free.)

これらの穴の大きさは、比例しているという。
つまり女性器の性能(まさに「性」能)は、その穴の大きさで決まる。
もちろん小さければ、小さいほど、よい。
先ほど、不慮の交通事故でなくなった、ダイアナ王妃のようでは困る。
(日本語で、「ダイアナ」は、「大きな穴」を意味する。念のため。)
(Those who have bigger holes have bigger holes and small holes, small
holes. Those who have big nose-holes have bigger 10 holes.
For example the ex-Princess of England, Ms. Dyana had bigger nose-holes.
This means she had big holes. As a matter of fact "Dyana means
in Japanese, Dai=big ana=holes.

そこで元来、鼻先から、唇までの長さが短い白人の男性と、元来、鼻の穴の大きな白人の女性が、結婚したらどうなるか。
(Then what happens in case when the white man who has a shorter
length between the nose and lip marry to a woman who has big nose-holes?)

【結論】つまり、それが白人社会では、離婚率が高いという理由である。
Conclusion…(This is the reason why more couples get divorced in western world.)

+++++++++++++はやし浩司
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【年長児・5~6歳児に「平均」「平均の概念」を教えてみました】
(実験教室byはやし浩司)

●小2用の教材を使い、幼稚園児に「平均」を教えてみました。
「できるかな?」という心配はありましたが、結果は、ご覧の通りです。

(1)


(2)


(3)




Hiroshi Hayashi+++++++++++Jan. 2012+++++++++++++++はやし浩司


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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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●山荘から自宅まで歩く






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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【平均値の学習】(小学1年生&小学2年生)

小学1&2年生に、平均値についての学習を進めてみました。
結果は、ご覧の通りです。
最初に、5分程度遊んであげると、そのあとの学習効率がぐんと高くなります。
子どもたちの脳が、全開状態になるためと、現象的に、私はそう理解しています。
Happy & Active Children learn Best.(楽しく学ぶ子は、よく学ぶ)
ですね!

●小学1年生

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●小学2年生

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【山荘より、自宅まで歩く?】(はやし浩司 2012-01-11朝記)

+++++++++++++++++++

一度はしてみたい。
いつもそう思っていた。
2年ほど前、夏の暑い夜だった。
そのときも、そうした。
が、あと4~5キロというところで、足がつった。
歩けなくなった。
あえなくギブアップ。
たまたま近くにあった交番で、電話を借りた。
ワイフに迎えに来てもらった。

で、今朝、再び、それを実行することにした。
2012年。
1月。
午前2時20分。
64歳。
初老男の、大チャレンジ。

山荘から、自宅まで、歩く。
距離は30キロ。

++++++++++++++++++++

http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6677209945/

●午前2時

 今朝は、午前2時に目が覚めた。
悪夢で、目が覚めた。
内容はよく覚えていない。
ハラハラ、ドキドキの悪夢。
いつもパターンは、決まっている。

 どこかの山道を歩いている。
目的とする町へ向かっている。
が、どこかで道をまちがえたらしい。
海の見える道を歩いている。
海の中には、魚が泳いでいる。
それを見ながら、「この道ではない」と自分に言って聞かせる。

 どうしてそんな夢で、目が覚めるか……?
今も、そう思う。
思うが、ハラハラ、ドキドキ。
「バスが出る時刻だ」と。
私はその町からバスに乗って、家に帰る。
その時刻が、どんどんと近づいてくる。
が、私は海の魚をぼんやりとながめている。

 ハラハラ、ドキドキ……。

●歩いてみよう

 寝返りをうつと、ワイフも目を覚ました。
「眠れないの?」と。

私「うん、なあ、ぼくね、今朝、家まで歩いてみようと思う」
ワ「今朝……?」
私「一度は、してみたいと前から思っていた」
ワ「……」
私「今から出かければ、6時半には家に戻れるはず」と。

 布団の中でそんな会話をしたあと、飛び起きた。

●出発

 正月太りで、タプタプした腹を、ジーパンで押さえる。
さらにそれを、上から分厚い皮ジャンで、押さえる。

 ワイフが4000円、渡してくれた。
「歩けなくなったら、コンビニでタクシーに乗ってね」と。

 私はお茶を2杯、ぐいと飲み干した。
ペットボトルのお茶を、ポケットにねじこんだ。
時計を見ると、午前2時20分。
いざ、出発!

●下り坂

 幸い、満月だった。
それに冬場は、毒蛇もいない。
家を出た瞬間、山の冷気が皮ジャンの下から、スーッと入り込んできた。
が、それもすぐ消えた。

 最初の3キロは下り坂。
私は杖をつきながら、ゆっくりと歩いた。
下り坂で、急ぐと、膝(ひざ)の関節を痛める。
……というか、すでに左足の膝の下が、軽く痛んでいた。

●満月

 こういうとき満月は、ありがたい。
といっても、月は薄い雲に覆われていた。
ぼんやりとした月だった。
しかしそんな月でも、ありがたい。
月の光がなかったら、山道など、とても歩けない。
夏場は、とくに危険。
毒蛇が道路で、とぐろを巻いて休んでいる。

 毒蛇だけではない。
このあたりには、イノシシやサルも出没する。

 言い忘れたが山荘を出るとき、いつも使っている懐中電灯の電池が切れていた。
それで今朝は、懐中電灯なし。

●写真

 私は歩きながら、ときどき写真を撮った。
最初は、フラッシューを使った。
しかしうまく撮れない。
そこでフラッシュをOFFにし、高感度で撮った。
が、そうすると、そのつど立ち止まり、カメラを固定しなければならない。
それに時間がかかった。

 電車にたとえるなら、各駅停車。
写真を撮りながら、「これでは6時半は無理だな」と。

●昔の人

 昔の人……たとえば江戸時代の人は、どこかへ行くときは、朝、出発したにちがいない。
朝といっても、午前3時とか、4時。
深夜に近い、早朝。
冬場は、午後6時には、真っ暗になる。
今のように電気のない時代だから、床に就くのも早かったはず。
午後7時ごろに寝れば、午前2時には、7時間、眠ったことになる。
7時間眠れば、じゅうぶん。
それから支度を整え、出発は、今ごろ。
午前3時。

 夏だったら、それくらいの時刻だったかもしれない。
が、そのときも、明かり。
明かりが問題。
ワイフは、いつか、「昔の人は、行燈(あんどん)をもって歩いたのかしら」と言った。
「そんなもの、もっていたら、歩けないよ」と、私は答えた。

 杖は、必需品。
足場が悪いときは、杖で、ころぶのを避けることができる。
毒蛇を、叩いて殺すこともできる。
イノシシやサルも、それで追い払うこともできる。

私は歩きながら、こう考えた。
「そのときも、月が重要な役割をはたしていたはず」と。

http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6677213865/

●月明かり

 私は昔、徳川家康が武田信玄に追われ、この道を歩いたという。
その道を、逆コースで、街に向かって歩いた。
逃げる徳川家康。
それを追う武田信玄。
徳川家康は、この奥にある「万光寺」という寺で、一夜を過ごしたという。
ともに月明かりを助けに、そうした。

 そういうことが、夜中に、こうした道を歩いてみるとよくわかる。
もっとも今は、8トン車でも走れるほど、道は整備されている。
その昔は、獣道(けものみち)だったにちがいない。

●30分

 ウォーキングマシンでも、30分も運動をすると、全身に汗が流れる。
山の道でも、30分も歩くと、体中が熱くなってくる。
汗こそ出ないが、小便が近くなる。
「脂肪が尿になったのかな……」と、最初の野外放尿。

●せせらぎの音

 川沿いの道を歩いているとき、その下のせせらぎが聞こえてきた。
「?」と思ったが、せせらぎだった。
あたりが静かだと、せせらぎが聞こえる……。
今まで車で、何百回となく往復した道だが、せせらぎを聞いたのは、はじめて。
それにこうした夜道では、1~2キロ先の、車の走る音が聞こえる。

 江戸時代には桜島(鹿児島県)の爆発音が、江戸(東京)でも聞こえたという。
何かの本で、そんなことを読んだことがある。
昔の人たちは、今より、ぐんと静かな世界で住んでいた。

●撮影

 首にカメラの紐(ひも)をかけた。
そのカメラが、歩くたびに揺れる。
揺れて、首をうしろから絞める。
が、しばらく歩いていると、それを重く感ずるようになった。
たかがカメラ……。
500グラムもないはず。

 そう思いながら、カメラをポケットにしまう。
30分を過ぎるころから、写真を撮る回数が、ぐんと減った。
疲れたというより、その余裕がなくなった。
歩くだけで、精一杯。

 山の下からからは平地になるが、その平地も、結構、山坂になっている。
何度も「足はだいじょうぶかな?」と、自分に問いかける。

●講演の練習

 最初、歩きながら、小さな声を出し、明後日の講演の練習をした。
明後日は、2か所で講演をすることになっている。
帰りに、沼津のH会館で一泊。

 が、その元気も、30分で途切れた。
時計を見ながら、家に着く時刻を、何度も計算しなおす。

http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6677214273/

●30キロ

 高校生のとき、年に1度、30キロを歩いた。
「強歩」と呼んでいた。

 そのときの自分を思い出す。
……と言っても、汗を流しながら歩いたというわけでない。
散歩感覚。
みなと、遊びながら歩いた。
記録をねらっている学生は別として、大半の私たちは、そうだった。
が、それでもそのあと、(たいていは翌日だったが)、足が痛くなって歩けなかったのを覚えている。

●金指の町

 午前3時に、金指の町あたりまで来た。
その午前3時に、町のチャイムが鳴った。
ビッグベンの鐘の音。
かなり大きな音だった。
「午前3時にチャイム?」と。

 市内でこんなチャイムを流したら、それこそ猛攻撃を受けるはず。
「うるさい!」と。
時計と見比べながら、そう思った。

(金指の人たちは、それをうるさいと思わないのだろうか?
午前3時のチャイム、だぞ!)

●信号

 信号を何か所か通り過ぎた。
が、信号を守る車は、あまりなかった。
たいてい80キロ近いスピードで、信号を通り抜けていった。
最初の2、3つ目くらいまでは、私も、信号を守った。
が、そのうち、それを繰りかえす自分が、バカに見えてきた。

 前にも、うしろにも、人影はない。
走る車もない。
そんなところで、信号待ち?

●T山

 途中、1回だけ、山荘のあるT山を振り返った。
月明かり……というか、雲全体が、光っていた。
その雲を背景に、ぼんやりと山が見えた。
山がいつもより遠くに見えた。
「もう、こんなに遠くまで来たのか」と。

●老後への抵抗

 なぜ歩くか?

 そんなことも考えた。
というのも、こうした行動には、内側からの大きな動機が働いているはず。
無意識の世界からの動機。
その動機は何か?

 ……ひとつには、老いゆく自分への抵抗。
これは私だけではない。
今まで、多くの先輩たちがそうしてきた。
身近にも、そういう人たちがいた。

 だいたい60~65歳前後になると、みな、判を押したように、何かの運動を始める。
「健康維持のため」とは言うが、もうひとつその奥には、別の意識がある。
それがここに書いた、「老いゆく自分への抵抗」。
「このまま老いてたまるか!」と。
そんな思いが、原動力となり、自分を動かす。

 が、それも長つづきしない。
病気をしたり、けがをする。
それがきっかけとなり、運動から遠ざかる。
とたん、5年単位で、あとは老後へとまっしぐら。

 今、私は、そのはかない抵抗を試みている(?)。
そんな思いが、繰り返し、脳の中をかけめぐる。

http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6677214569/

●痴漢

 ゆるい坂を上るところに、看板があった。
「痴漢、注意!」と。

 ふと「痴漢にまちがえられないだろうか」と思った。
が、すぐ、こう思った。
「こんな真夜中に、夜道を歩く女性もいないはず」と。

 ときどき、車が通り過ぎていった。
運転手の顔をみると、運転手が、みな、私のほうを見ているのがわかった。
「老人の徘徊とまちがえられているのかな?」と、私。

●徘徊

 私は徘徊する老人の心理が、よく理解できる。
夜中の散歩にしても、(散歩というより、強歩だが)、足の方が勝手にどんどんと動いていく。
自分の意思というより、足のほうが、勝手に動いていく。

 そういうときというのは、何も考えない。
同時に、悲しみも、さみしさも、消える。

あの坂本九が歌った歌に、『上を向いて歩こう』が、ある。
なぜ、あの歌が、ああまでヒットしたか。
その理由のひとつ……歩くことによって、多くの人たちが、救われているから。
私はそう理解している。

●サイトカイン

 ただ同じ歩くといっても、心の中は、からっぽにしたほうがよい。
恨みや怒り……ある程度のものは、歩くことで解消される。
が、その限度を超えた恨みや怒りとなると、そうはいかない。
歩けば歩くほど、心が苦しくなる。
というか、歩けなくなる。

 脳内にサイトカイン(ストレス性の悪玉脳内ホルモン)が充満する。
それが歩くことによって、増量される。

 ……実際にはどういうメカニズムが働くのか、私にはわからない。
しかし現象的には、正しい。
いやなことを考えながら運動をしていると、かえって不愉快になる。

私は努めて、何も考えないようにし始めた。

●「いつ死んでもいいや」

 おかしな心理状態に襲われたのは、1時間ほどたったときのこと。
「生きたい」という思いがあって、私は強歩に出たはず。
その私が別の心で、「いつ死んでもいいや」と思い始めた。

 夜の街道を町に向かって歩く。
それはまさしく私の人生を象徴している。
このまま歩けば、どこかで限界に来るはず。
すでにそのとき、家まで歩く自信はなかった。
時速5キロとしても、30キロを歩くには、6時間かかる。
時速6キロとしても、5時間。
私は最初、速足で歩くことを考えていた。
しかし、速足は、とても無理。

 「どうしようか?」という迷いが、何度も心の底からわいてきた。
そのとき、そう思った。
「いつ死んでもいいや」と。

 何度か、道路に倒れている自分を想像した。

●二度目の放尿

 ちょうど1時間ほど歩いたところで、二度目の野外放尿。
気持ちよかった。
同時に、ペットボトルのお茶を、半分、飲んだ。
冷たいお茶が、のどを下へ落ちていくのが、よくわかった。
気温は、4~5度のはず。

 このところ浜松地方を寒波が襲っている。
数日前には、0度近くにまで、下がった。

 ……出る前に、トイレで1度しているから、1時間のうちに3度、放尿したことになる。
これは運動している人なら、みな知っている。
運動すると、体の新陳代謝が活発になり、尿の量がふえる。

●膝の痛み
 
 三方原(このあたりの人は、「みかたばら」と呼んでいる)の坂に、かかった。
その坂を上りきったところから、平坦な大地になる。
「台地」と書くのが正しいのか。
歩くのは楽。

 しかし左足が痛み出した。
膝関節の下が、歩くたびに、ヒヤッ、ヒャッと痛む。
「まずいな」と、何度も思った。

 ……というか、もう、頭の中はからっぽ。
思考力どころか、考えようとする気力そのものが、消えうせた。
……「マラソン選手もそうかなあ」と。

 一度マラソン選手も、携帯の録音機が何かをもち、走ってみるとよい。
どんなことを考えながら、走っているか……。
それを知りたい。
またそんな実況中継もあっても、よいのでは……。
もっとも考えながら走っていたのでは、あれだけの長距離は走れない。
まさに放心状態(?)。
そういう状態でないと、走れない。

 私もやや放心状態になり始めていた。
時計を見ると、午前4時を回っていた。
すでに2時間近くが過ぎていた。

●自動販売機

 途中、いつもミカンを買う、無人売り場を通り過ぎた。
お金を入れる箱は、そのままそこにあった。
(もちろん夜間は空箱になっているだろうが……。)
また場違いなところに、自動販売機があったのには、驚いた。

昼間は気がつかなかったが、夜は、よくわかる。
こうこうと明るい電気をともしている。
それが人通りのまったくない、藪(やぶ)の中にある。
それを見ながら、「日本は、いい国だなあ」と。

 外国だったら、すぐ襲撃されるだろう。
現金があれば、あっという間に、もっていかれる。

●ワイフ

 ペタペタと道路を歩く音。
杖でトントンと地面を叩く音。
同時に、歩くたびに、左足が痛む。

歩く速度が落ちてきた。
左足をかばい始めた。
歩き始めて、2時間半。
計算上では、山荘から10~12キロの距離ということになる。

 と、そのとき、1台の白い車が、スーッと横に止まった。
見ると、ワイフだった。

ワ「心配だったから、来た」
私「ああ……」と。

 私は迷わず、車に乗り込んだ。

ワ「だいじょうぶ?」
私「それがね、あまりだいじょうぶではないんだよ」
ワ「どうしたの?」
私「足が痛み出してね……」と。

 こうして私の2度目のチャレンジも、失敗。
何とも言えない挫折感を覚えながら、シートの中に深く身を沈めた。

 車の中の表示では、「外気6度」となっていた。
それでも私は、暑く感ずるほどだった。

私「帰ったら、また寝よう」
ワ「そうね」と。

 家には、午前5時半ごろ、着いた。

 ワイフは、着くとすぐ、布団乾燥機のスイッチを入れた。
布団を暖めるには、布団乾燥機がいちばん、よい。
床に入ったとき、温泉につかったような気分になれる。
まだの人は、一度、試してみるとよい。

http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6677213603/

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 山荘から自宅まで歩く 山荘から自宅まで 強歩 はやし浩司 強歩)


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【視覚とは何か】(はやし浩司、1999年ごろ記)改

++++++++++++++++++++++++

「視覚とは何か」。
この原稿が気になるのは、私たちが生きている世界が、
その視覚でできあがっているということ。
そこにあるモノが見えるということから始まり、
宇宙の果てが見えるというところまで進む。

「あの世論」にしても、そうだ。
モノが見えるが、基本になっている。
天国にしても、地獄にしても、モノが見えなければ、
そこは漆黒さえない、虚の世界。

では、モノが見えるということは、どういうことなのか。
そこから今朝は考えてみたい。

はやし浩司++++++++++++++++はやし浩司

●ぼんやりと見る

 ぼんやりとまわりの様子を見る。

 そのとき、無数のものが、ばくぜんと、目の中に飛びこんでくる。

 目の網膜でとらえられた映像は、一度視床下部(ししょうかぶ)を経由して、脳のうしろにある、大脳の後頭葉(こうとうよう)の視覚野(しかくや)に送られる。

 (網膜)→(視床下部、外側膝状体)→(大脳後頭葉、視覚野)

 しかしこの段階では、すべての情報がばくぜんと、脳の中のモニターに映されることになる。
カーテンも、机も、カメラも、印刷用紙も……。

 そこで私は、その映像の中から、必要な情報だけを選びださなければならない。

 たとえば私は、ここで、パソコンのモニターだけを見たいとする。しかもその中でも、文字だけを見たいとする。

 そこで視覚野に映った映像は、いろいろに加工される。これを大脳生理学の分野では、二次加工、三次加工と呼ぶ。

 (視覚野の映像)→(二次加工)→(三次加工)

 そのあと、こうして加工された映像は、主に二つのルートを通って、大脳の各部に送られる。

 (加工された映像)→頭頂葉連合野(1)
          →側頭連合野(2)

(1)の頭頂葉連合野へ送られた映像は、空間的な処理がなされるという。
たとえば脳の中でも、この部分にダメージを受けると、自分の位置関係がわからなくなるという。

(2)の側頭連合野に送られた映像は、ものを認知するための処理がなされるという。
この部分が、ダメージを受けると、形がわからなくなるという。
人の顔も区別できなくなることもあるという。

こうして目から入った情報は、瞬時のうちに脳の中をかけめぐり、処理され、判断される。

 私はこうしてぼんやりと、カーテンごしに、外を見ている。何でもない行為だが、その裏で、無数の情報処理がなされていることになる。

 こうした処理を直接頭の中で見ることはできないが、しかし想像することはできる。

 「あっ、今、後頭部に信号が送られたぞ」「二次加工されているぞ」「側頭連合野で判断されているぞ」と。

 もちろんこれは私の勝手な想像によるものだが、それが結構、楽しい。

【追記】

 私たちが「そこ」に見ているものは、実際に、そこにあるものを見ているのではない。
たとえて言うなら、大脳後頭葉の視覚野というのは、モニター画面のようなもの。
つまり私たちは脳の中に映し出された、総天然色(?)の映像を見ているだけということ。

 もっとわかりやすく言えば、テレビを見ているようなもの。
まさに光と影がおりなす、幻想の世界を見ているにすぎないということになる。

 そう考えていくと、少し、不思議な気分になる。

  
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

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●日本の英語教育




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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本の英語教育】byはやし浩司

●奥浜名湖・国民宿舎に一泊(はやし浩司 2012-01-09)

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今日は、浜名湖・国民宿舎に1泊。
清潔さで選ぶなら、イチオシ。

+++++++++++++++++++

●「眼鏡市場」(店名)

 ちょうど今、夕日が、電柱に隠れ、長い影を落としている。
その影に顔を隠しながら、私はワイフが車に戻ってくるのを待っている。
ここは、眼鏡市場(店名)の駐車場。

 最初、ワイフは眼科医院で、メガネの処方箋を書いてもらった。
それをこの店で見せ、メガネを作ってもらった。
しかしワイフの目に合わなかった。
そこで再度、眼科医院で視力測定をし、処方箋を書いてもらった。
処方箋には、誤りはなかった。
店のほうで、何かのミスをしたらしい。
それを説明すると、店は、「すぐ作り直します」と。

 こういう素直さが、うれしい。
またそれがあるから、関係がつづく。
眼鏡市場は、「サービス」がよい。
安心してメガネを買うことができる。

そのメガネが、今日、できてきた。
家を出るとき、そういう連絡が、電話であった。
それで立ち寄った。

で、今、ワイフは、店の中で、最後の調整をしているはず。
私は、こうしてワイフを待っている。
時は、2012年01月09日、16時03分。
ふと、犬のハナのことを思った。

●ハナ

 ハナが、今日、玄関の階段を登るとき、足を踏み外し、よろけた。
うしろ足が、体についてこないといったふうだった。

 もう、目は、ほとんど見えない。
今朝も牛乳を温め、そばに置いてやった。
が、それも飲まなかった。

 昼になって、牛肉を炒め、その上にバターをかけてやった。
いつもなら匂いだけで、小屋から飛び出てきた。
が、今日は体を丸めたままだった。

 ワイフに「毛布はないか?」と言うと、ワイフが、毛布をもってきてくれた。
その毛布と、ハナのタオルケットを二枚重ね、ハナの体にかぶせた。
しっぽが、小屋の壁を叩く音がした。
そのとき、ジンと目頭が熱くなり、涙が数滴こぼれた。

 「ハナ、暖かくなったら、また海へ行こうな」と。

 若いころ、ハナは、中田島の砂丘へ連れていくと、数秒も間をおかず、走り回っていた。
カラスを追いかけた。
そんな思い出が、つぎつぎと浮かんでは消えた。

私「最期が近いみたい……」
ワ「……」と。

 夕日を見ていたら、また涙が数滴、私の頬を流れた。

●国民宿舎

 これから近くの国民宿舎に向かう。
先ほど問い合わせたら、部屋が空いているとのこと。
「奥浜名湖・国民宿舎」。
1泊9000円(1名)弱で、泊まれる。
 
 湯質は、一応、「温泉」。
薬剤を混ぜ、下呂温泉のそれと同じにしてあるとのこと(宿の案内)。

 また名前は「国民宿舎」だが、現在は浜松市に移管され、民間のY社が管理、運営しているという。
仲居さんが、そう話してくれた。

●教材作り

 こうして書いていると、一日中、私は遊んでいるように見えるかもしれない。
が、事実は、逆。
私は一日中、働いている。
家を出るまで、今週からの教材作りをしていた。
それに2時間ほど、かかった。

 よく誤解されるが、プリント学習ほど、楽なものはない。
プリントをコピーし、それを生徒にさせる。
あとは、丸をつけるだけ。
コピーのもととなる教材は、近くの書店で買ってくればよい。
自前で、……大手のチェーン塾は別として、自前で教材を作っている塾は、ほとんどない。

 一方、私のやり方は、形としての証拠が残らない。
私は無数の市販教材を手がけてきたが、教室で使う教材は、すべて手作り。
親や子どもたちに、自分の作った市販教材を買わせたことは、一度もない。
教室で、子どもたちとワイワイ言いあいながら、レッスンを進める。

が、プリント学習のほうが、親たちには受けがよい。
証拠が残る。
一方、私のやり方は、親たちには受けがよくない。
証拠が残らない。

(多くの親たちは、プリント学習のような学習を、「勉強」と思い込んでいる。
悪しき受験教育の弊害である。)

よく「何をしていますか」と聞かれる。
そこで私は、公開教室という形で、YOUTUBE上で、教室のレッスン風景を公開している。
百聞は一見に如(し)かず。
親たちに、直接見てもらうのが、いちばんよい。
が、これが思わぬ反響を呼び始めている。

●3500本!

 最初は、台湾から。
つづいて中国から。
そのあとは、アメリカ、フランス、カナダ、それにオーストラリア……。
今では全世界から。
世界中の人たちから、令状が届くようになった。
「日本語の勉強にいい」と、日本語を勉強している学生からのコメントも、よく届く。
現在では、国内でのアクセス数と、海外からのアクセス数が、ほぼ同じ。
1日のアクセス数も、1000件前後で推移している。

 もちろん子どもたちの学習教材として利用している親も、多い。
UPした動画は、3500本を超えた。
たいへんな数である。
「そのうちギネスブックに……」とワイフは言う。
が、私にはそういう野心はない。
またほかの動画とちがい、ことBW公開教室に関しては、否定的なコメントは、まったく、ない。

 ただ残念なのは、YOUTUBEでは、教室の雰囲気が伝わらないこと。
私の教室の親たちも、そう言っている。
実際に見る、私の教室は、子どもたちの熱気でムンムンとしている。
迫力が、ちがう。
その雰囲気が、動画では、伝わらない。
YOUTUBEで見る私の教室は、おとなしく、やさしい。

●NxK

 幼児がもつ潜在的な能力には、ものすごいものがある。
私は40年以上、幼児に接している。
その結論が、これ。
「ものすごいものがある」。

 NxKの幼児向け番組を見ていると、よく指導員が幼児の前で踊ったりしている。
「ハ~イ、お手々を、ブ~ラ、ブラ」と。

私はいまだに、あんな番組が、あること自体、信じられない。
何の役に立つのかさえ、よくわからない。
運動にはなるのだろうが、幼児の生の表情が伝わってこない。
ときどき、こう思う。
「あんな家畜にもしないような訓練を、よくやっているな」と。

 この日本では、ああいうのが、幼児教育ということになっている。
また幼児を指導するというのは、そういうものと思い込んでいる。
が、誤解。
誤解というより、これは偏見。
やるなら、どこかの老人ホームでやればよい。
そのほうが、よほど役に立つ。
喜ばれる。

●BW公開教室

 今週は、通常のレッスンとは別に、幼児(年長児)に、「平均」を教えてみる。
「そんなこと、教えられるか?」と疑問をもつ人は、一度、YOUTUBEを見てほしい。
私はもっと、すごいことをしている!
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
から「BW公開教室」へ。

 が、率直に言おう。
私はもう、この日本など、相手にしていない。
相手にしていないというか、期待していない。
どうでもよい。
この日本には、私のような教育を認める、土壌そのものがない。
その前に、私のような人間を認める、包容力そのものがない。

保守的で固定的。
権威主義的で排他的。

10年どころか、100年一律の教育をし、それが教育と思い込んでいる。
創意も工夫もない。
おもしろくない。
つまらない。
が、私から見ると、バカみたい。
そんなバカみたいな教育を、いまだにつづけている。

 だから日本など、だれにも相手にされない。
日本の教育など、だれにも相手にされない。

(そう言えば、先日、アメリカのある小学校の校長も、そう言っていたぞ。
「日本の教育を視察してきたが、学ぶべきものは、何もなかった」と。
「みやげにもらった、こいのぼりだけが、役にたった」と。)

 だから最近は、こう思う。
韓国、中国、東南アジアの人たちが、私の教育法をまねてくれればよい、と。
実際、韓国からのアクセス数が、ダントツに多い。
そのうち韓国から、私の教育法が、逆輸入される。
私は今、それを楽しみにしている。

●パソコン

 ……というか、以前にも、同じような思いをしたことがある。
パソコンが世に出始めたころのこと。
小中学校でも、パソコン教育をと、みなが言い出した。
それに応じて、時の通産省も動き出した。
が、それに待ったをかけたのが、ほかならぬ時の文部省だった。
「教員免許をもたない者を、教壇に立たせるわけにはいかない」と。
さらにこうも言い出した。

 「コンピューター科を、教育学部で作るのに、20年かかる」と。
つまり教授を育てるまでに、20年は、かかる、と。

20年!

 教員がいなかったら、工学部から学生を連れてくればよい。
どうしてそういうことが、この日本ではできないのか。

 その結果、日本の電子産業がどうなったかは、みなさんご存知のとおり。
失われた10年が、20年になった。
教育の世界でも、20年、失われた。

 そういう歴史を私は目の当たりに見てきたから、こう言う。
「日本なんか、アテにしていない」と。

●英語教育

 小学校での英語教育については、私は先駆的な仕事をさせてもらった。
私がイチから企画した、小学生向きの英語教育教材があった。
『ハロー・ワールド』(G社)という名前の雑誌だった。

 それがいか先駆的であったかは、当時、毎月27~8万部も売れたことが証明している。
(毎月、27~8万部だぞ!)
そのあとを追いかけるように、小学校の英語教育がつづいた。
「そんなバカな」と思うのは、ちょっと待ってほしい。

 その雑誌に、そのとき名前を連ねた学者たち(=どこかの大学の教授たち)が、そのあと、英語教育の中心的研究者として、活躍した。
大きな役割を果たした※。
形の上では、そうした学者が、先駆的にその雑誌を発行したことになっている。
が、それはウソ。
ウソということは、私や当時の雑誌の編集者たちが、いちばんよく知っている。
ついでに、その雑誌がどういう経緯を経て発刊されたか、そのプロセスを書いておく。
今の時代を生きる証言者として、後世に、記録を残しておく。

(注※…理科系の世界では、論文数と引用数によって、その学者の評価が決まる。
文科系の世界では、書籍の出版点数や、雑誌への寄稿数で、その学者の評価が決まる。)

●『ハロー・ワールド』(G社)

 最初に企画の話をしてきたのは、学習編集部に籍を置いていた、O氏だった。
ハンサムで都会的な人だった。
私と同じ年齢ということもあり、呼吸も合った。
それまでにもいくつかの企画を手伝わせてもらった。
世界初のバーコードブック、『TOM』もそのひとつ。

で、伊豆の伊東に、米若荘※という旅館があった。
「米若」だったかもしれない。
JR伊東駅から、歩いて5~10分ほどの距離だった。
その旅館の温泉につかっているとき、O氏がこう切り出した。
「今度ね、英語の雑誌を作ろうと思っているのですが、協力してもらえますか」と。

 最初に話を持ち出したのは、O氏である。
「じゃあ、企画を立ててみます」と。

 ……ということで、私は1~2か月の間、その企画に没頭した。
企画と試作テープを制作した。
テープは、カラオケセットを利用した。
が、その企画が、思わぬハプニングで、「社長会」を通ってしまった。
社長の前で披露する企画会議を、G社内部では、「社長会」とか、「社長会義」と呼んでいた。
内部では「御前会議」と呼んでいた。
正確な名称は、忘れた。

 その企画会で、O氏と、その上司であるS氏が、別の企画の説明をしていた。
それに対して、社長が、「もっとおもしろい企画はないかね?」と。
そこでO氏が、慌てて出したのが、私の企画と試作中の録音テープだった。

 この話はG社にとっても、またO氏、その上司であるS氏にとっても、彼らの名誉がからむ。
だから聞いたまま、また記憶を正確にたどりながら、ここに書く。

 が、その企画を見て、社長がこう叫んだという。
「それで行こう」と。

 こうして『ハロー・ワールド』という雑誌が生まれた。

(注※…現在、この旅館はなく、その跡地にはスーパーが建っているとのこと。
先日、伊東市で講演させてもらったとき、案内役の先生が、そう話してくれた。)

●商標登録

 が、当初は、『ピーカーブー』という名前で、私は企画していた。
「もういいかい?」「もういいよ」という、かくれんぼの合言葉である。
英語のかわいい歌もあった。
私はそれを雑誌のテーマ・ソングに考えていた。

 が、O氏がある日、興奮して、こんな電話をかけてきた。
「林さん、『ハロー・ワールド』という名前が使えますよ」と。
話を聞くと、こう教えてくれた。

 当時、NHKに『ハロー・ワールド』という人気番組があった。
その名前が、商標登録をしていなかった。
それで「その名前を、そのまま使えます」と。

 G社は、NHKの人気番組の名前を、ちゃっかりと横取りした。
(この世界ではよくあることで、これは悪いことでも何でもない。
しっかりと商標登録をしていなかった、NHK側のミスということになる。)

●見本号

 こうして見本、第1号が生まれた。

 タレントとして、当時まったく無名だった、西田ひかるさんを起用した。
「起用した」というより、当初、K舞さんというタレントに頼むつもりだった。
しかし予算がなかった。
プロダクション側は、月20万円のギャラを要求してきた。
そこでO氏が、同じ横浜市内にあるアメリカン・ハイスクールを訪問し、西田ひかるさんを見つけてきた。
当時、高校1年生。
ちょうど2年生になるときのことだった。
1号に載っている西田ひかるさんが、おかっぱ頭なのは、そんな理由による。
(O氏が見つけてきた。
「歌が歌えますか?」と聞くと、西田ひかるさんは、YMCAを歌ってくれたという。)

 ともかくも、こうして見本第1号が生まれた。

●失望

 が、第1号から、私は大きく失望した。
O氏がどういうルートで、どのようにして連れてきたかは知らない。
しかし第1号のトップを飾ったのは、私の知らない2人の人物であった。
うち1人が、後に小学校での英語教育の立役者になる。

 O氏の実力については、私はよく知っている。
学習編集部というG社の看板編集部(当時)の中でも、ひときわ輝いていた。
トップクラスの編集者であった。
事実、あの雑記帳のような企画書が、とびぬけて斬新な雑誌になったのは、O氏の力によるものである。
センスそのものが、ちがった。
あるとき、「この人は魔法使いのようだ」と思ったことがある。

また私の名前が当初からはずされたのも、O氏としても、やむをえなかったのかもしれない。
それがG社の体質だった。

 たとえば私は実用図書部という編集部で、「東洋医学基礎編」「東洋医学経穴編」という書籍を出してもらったことがある。
そのときも、100%、私の執筆によるものであるにもかかわらず、どこかの偉い先生が、著者として本を飾った。
「君の名前では、本は売れないから」が、その理由だった。
私は「企画・構成、はやし浩司」。
私はそんな肩書があることさえも知らなかった。

 が、やる気を失ったのは事実。
6号(=半年)を過ぎるころから、私は『ハロー・ワールド』から、手を引き始めた。

●編集方針

 編集方針がちがったということもある。
号を重ねるごとに、どこかの偉い教授たちが、その雑誌に群がってきた。
そして「シャワー方式」(=わかってもわからなくても、英語を頭からお湯をかぶせるように聞かせる)とか、「スパイラル方式」とか、そんな方式が採用された。
「スパイラル方式」というのについては、いまだにそれがどんなものであったか、私はよくわからない。
たぶん編集部の方で、勝手に考えた方式ではなかったか(?)。

 で、6~7号ごろになったとき、はじめてO氏に、私は異議を唱えた。

 「外国映画でも、字幕もなく、ただその言葉を聞かされたら、イライラしますよ」と。
シャワー方式を批判した。
O氏は、あれこれ説明してくれたが、つぎの私の一言が、O氏を怒らせた。
「実際、教えたことがない人が英語雑誌を作るなんて、無茶だ」と。

 私がその前に、1年かかっても、A~Zの文字が書けない6年生は、いくらでもいますと言った。
それに対して、O氏が、「そんなバカな」というような顔をしてみせた。
「無茶だ」と言ったのは、そのあとのことだった。
O氏は、くるりと背を向けると、こう言った。
「林さん、それを言っちゃ、おしまいだよ」と。

 それで私と『ハロー・ワールド』との縁は切れた。

 そうそうこんな会話をしたこともある。
私「1号の雑誌の中だけで、中1の教科書に出てくるほどの単語が出てきます」
O「では、林さんは、どんな雑誌がいいと思いますか」
私「1冊で、YES、NOだけを教える。それでじゅうぶんです」と。

 が、O氏は、こう言った。
「それでは、お金を取れません」と。

●英語教育

 現在、小学校における映画教育が、デッドロックに乗り上げている。
外人の講師が来て、それらしいことを教える。
が、それだけ。
よく言えば、ゲーム会。
悪く言えば、雑談会。
まったく軌道に乗らない。
外人講師も集まらない。

 が、そうした経験を、すでに私は、42年前にしている。
この浜松市で、幼児や小学生を相手に英語教室を開いたのは、事実、私が最初である。
大人向けの英語教室は、1軒だけあった。
紺屋町の五社神社を降りた坂の、その途中にあった。
1971年の終わりごろのことである。

 つまり『ハロー・ワールド』が生まれる前、すでに20年近いキャリアがあった。
その私が、あえて再び言う。

「小学6年生でも、A~Zのアルファベットを書けない子どもはいくらでもいる。
1年間教えても、書けない子どもは、書けない」と。

 この日本では、実際に子どもに英語を教えたことがない人が、指導者として上にたつ。
……立った。
だからおもしろくない。
役に立たない。
子どもたちの心をとらえることはできない。

 そんな教育を押しつけられた現場の先生たちこそ、えらい迷惑。
英語だけではない。
数学、国語、社会、理科にしても、そうだ。
総合的な学習にしても、そうだ。
どれも後に学者になる子どもには、すぐれた体系をもっている。
しかしいったい、何%の子どもが、その学者になるというのか。

 とくに英語は、暗記にはじまって、暗記に終わる。
文法を教える方法もあるが、それについてはまた別の機会に書く。
ともかくも1年も教えると、子どもの進歩が、一度停滞する。
それからは(覚える量)と(忘れる量)が均衡する。
進歩が見られなくなる。

●デッド・ロック

が、それが「デッドロック」ではない。
教育としての「道筋」が見えてこない。
それが「デッドロック」。

 なお私はその『ハロー・ワールド』を最後に、教材作りの世界から、足を洗った。

 ……といっても、O氏との関係が切れたわけではない。
そのあとも、会うたびに、こんな会話をした。

「あの夜、英語雑誌の話をしなかったら、西田ひかるという女優は、この日本にはいなかったですね」と。

 そのころ、西田ひかるさんは、押しも押されもせぬ日本を代表する女優に成長していた。

 なおその『ハロー・ワールド』は、5、6年を経て、廃刊になった。
そのころ私とO氏の関係も、プツリと切れた。

●奥浜名湖・国民宿舎

 奥浜名湖・国民宿舎は、清潔度(清潔感)では、この浜松でも星5つに評価してよい。
設備も真新しい。
ただ国民宿舎ということで、料金は安いが、サービス用品は最小限のものしかない。
大浴場にもあるのは、カミソリの自動販売機だけ。
料理は、それなりのもの。
同じ程度の料金で泊まれる「浜名湖かんざんじ荘」の料理とは、比較にならないほど、さみしい。
量も少ない。

 清潔感で選ぶなら、ここ「奥浜名湖・国民宿舎」。
眺望と料理で選ぶなら、「浜名湖かんざんじ荘」ということになる。

 あとは料金しだい。

●夕食

 客は私たちを含め、10人前後しかいなかった。
静かな夕食だった。

●DVD『サイレント・ワールド・2012』

 ワイフは今、DVD『サイレント・ワールド・2012』を見ている。
私も見ている。
が、これがどうしようもないほどの駄作。
「新作」ということで借りてきたが、駄作は駄作。
演技も、ヘタクソ。
緊張感を、もてあそんでいるだけ。
主役の男は、科学者というより、どこか間の抜けたコメディアン風。
そういう男が、超一級の気象学者を演ずるから、話がおかしくなる。
妻の女性は、どう見ても、娼婦?
清潔感がまったくない。
「日本の映画でも、ここまで無理な役付けはしないのに」と、私は思った。

 ……日本の映画なら、こんなことを書いたら、即、抗議が飛んでくる。
しかしこれはアメリカ映画。
ボロクソに叩いても、だれも文句を言ってこない。

 まだがまんできるが、私のがまんも、あと10分はつづかないはず。
ころあいを見て、もう一度、温泉に入ってくる。
そのあとすぐ眠るつもり。
今日は、昼寝をしていない。
目が、しょぼしょぼする。

 ワイフがこう言った。
「よくまあこんな駄作を、あの店(DVDショップ)は、新作として人に貸すわね」と。
ワイフも、怒りだした。

●日本映画

 日本映画の悪いところ。
演技が演技、演技しすぎ。
「これが演技です」というような演技をする。
不自然。
そのため感情移入する前に、観客のほうがスクリーンから、はじき飛ばされてしまう。

 少し前、『山本五十六』を見た。
そのときも、そうだった。
善人は、さも善人です……というような演技をする。
悪人は、さも悪人です……というような演技をする。
山本五十六を演じた役所Kはともかくも、脇役を演じた新聞記者がへたくそだった。
感情丸出し。
丸出しというより、ムキ出し。
つまり力(りき)み過ぎ。

その(丸出し)の部分が、へたくそだった。

 演技は、自然に!
 
●オーストラリアの物価

 たった今、オーストラリアの友人からメールが届いた。
1つは、K君(メルボルン在住)からのもの。
「娘の結婚式に、来てくれるか」と。

もう1つは、B君(南オーストラリア州)からのもの。
オーストラリア経済の現状を、簡単に説明してくれた。
自動販売機で、ペットボトル1本が、3ドル50セントもしたことに、私は驚いた。
それについて書いた。
その返事。

「……Hi Hiroshi,
やあ、ヒロシ。
Exchange rates are bouncing around a bit and the $A seems to be especially vulnerable to market sentiment.
為替相場がかなり高騰している。
オーストラリアドルは、市場の感情で傷つきやすくなっている。

Recently the $A has been greater than US$1.00 because we export lots of high priced minerals.
最近はオーストラリアドルのほうが、USドルより高くなっているが、これは高価格な鉱物のせいである。

This is great for us Aussies travelling overseas or importing stuff from overseas but not for our tourism industry or exporters of things other than minerals.
これは外国を旅行するオーストラリア人や、輸入業者にとっては、とてもよいことだが、国内の旅行会社や、鉱物以外の輸出業者にとっては、よくないことだ。

So to tourists from overseas Australia is expensive.
外国からの観光客にとっては、オーストラリアの物価は高い。

Also to Australians who don’t get their income from mineral exports Australia is becoming expensive.
鉱物の輸出から収入を得ていないオーストラリア人にとっては、オーストラリアの物価は高くなりつつある。

This is the so-called “two speed economy”.
これはいわゆる「2スピード経済」というものだ。

The States which export the most minerals, West Australia & Queensland are doing the best economically.
西オーストラリア州やクィーンズランド州のような、鉱物のほとんど輸出する州は、経済的に、今、最高に潤っている。

Things like soft drink vary greatly in price depending how you buy them.
ソフトドリンクのようなものは、どのように買うかで、値段がちがう。

A 300ml can of coke can be 70 cents if you buy it in the supermarket on special in a pack of 20 at room temperature.
300ミリリットル入りのコーラは、冷やしてないものであれば、スーパーマーケットでは、20本売りで、1本、70セントで買える。

A cold can of coke from a vending machine could be $2.50 or $3.
自動販売機で買えば、2ドル50セントから3ドルだ。

It is a funny world.
おかしな世界だね。
Cheers,
元気で。
B』

●結婚式

 さっそく旅行会社を調べる。
パッケージ旅行なら、1人、15万円前後で往復できる。
5日間のホテル代、込み。
それを別の友人に知らせたら、オーストラリア旅行を計画してくれた。

Possible Itinerary(可能な計画)
All travel by vline(ビクトリア線での旅行)
melb-echuca 1/04 train 09:35-12:57 3p+ $68.70(メルボルン→エチューカ)
echuca-swanhill 3/04 bus 07:35-10:12 3p= $45.90(エチューカ→スォンヒル)
swanhill-bendigo 4/04 train 07:11-09:21 3p= $59.10(スォンヒル→ベンディゴ)
bendigo-castlemaine 8/04 train 09:26-09:50 3p= $11.70(ベンディゴ→キャッスルメイン)
Castlemaine-maldon-castlemaine 8/04 Steamtrain 11:45-12:30 14:30-15:15 3p= $135(蒸気列車の旅)
Castlemain-melbourne 8/04 train 17:00-18:31 3p= $38.70(キャッスルメイン→メルボルン)
total fares = $359.10 for 3 people(3人分で、列車料金、359ドル=約2万4000円)

 ビクトリア州の西部を、ぐるりと回るコース。
スォンヒルもベンディゴも、学生時代に行ったことがある。
何の変哲もない田舎町だが、ところどころに、開拓時代の古い街並みが残っている。
西部劇映画に出てくるような、街並みを想像すればよい。
基本的には、当時のオーストラリアは、当時のアメリカと同じ。
ただ家畜だけは、ちがった。
アメリカは「牛」。
オーストラリアは「羊」。

 友人の娘の結婚式に出た後、ビクトリア州をぐるりと一周するのも、悪くない。
ワイフはすでに、その気でいる。

●就寝

 時刻は今、午後9時52分。
もうすぐ10時。
疲れた。

 温泉の中では、だれもいなかったので、ひとり、歌を歌っていた。
気分は、最高。
では、おやすみ!

●インバーター・エアコン?

 朝、4時に目が覚めた。
寒かった。
エアコンをいじってみたが、温風が出ない。
???

 朝食のときフロントにいた男性にそれを告げると、こう言った。
「いきなり温度をあげると、インバーター・エアコンだから、停止してしまいます」と。

 インバーター・エアコン?
知らなかった……。

 この世の中、(当然のことだが……)、私の知らないことが多すぎる!

●追記

 私自身が、ジジ臭くなったのか?
オーストラリアの旅行計画を見ながら、「体力的に無理だろうな」と。

 日本人とオーストラリア人とでは、距離に対する感覚が、まったくちがう。
彼らは300~400キロの距離なら、ドライブ範囲。
が、日本で400キロというと、浜松市から福島市までの距離をいう。

 オーストラリア大陸は、日本の約20倍。
友人の旅行計画によれば、日本列島を、北海道から九州まで、ぐるりと1周するほど、ある。
そうでなくても、オーストラリアは遠い。
昨年も、ワイフはオーストラリアへ着くやいなや、友人の家のベッドの上で寝てしまった。

 最近の私たちは、観光地には、ほとんど興味がない。
(このあたりが、ジジ臭い。)
とぼとぼと、その旅館の周辺を歩く。
旅館に閉じこもったままということのほうが、多い。

 もしメルボルンに5日間滞在するとしたら、私はジーロンの町へ行きたい。
そこからバスに乗って、ローンまで。
ローンのホテル(バー)で、2泊。
何もしないで、そのあたりを散歩して過ごす。
(このあたりが、ジジ臭い。)

●ハナ(2)

 家に帰ると、ハナは、玄関のところで、日向(ひなた)ぼっこをしていた。
そばに寄っても、そのままだった。
「だいじょうぶか?」と声をかけても、そのままだった。

 しばらく私はハナの背を、さすってやった。
すっかり白くなった目が、さらに奥へ落ち込んだように見えた。
その目が、さみしそうに、私を見あげた。

 私は台所で、ハナの好物を、料理した。
牛肉をバターで炒め、それに少しだけミルクをかけた。
それをハナの頭の前に置いた。

 ……どれくらい時間がたっただろうか。
私はハナが、その料理を食べ出すまで、いっしょにそばにいた。
風はなかった。
静かだった。
それを見て、また私は同じことを言った。

「今度、また海へ行こうな」と。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 奥浜名湖国民宿舎 ハローワールド ハロー・ワールド G社 はやし浩司 Hello World 英語雑誌)


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●教育と政治(Political Apathy itself is to be ashamed.)

++++++++++++++

教育と政治は分離する。
当然のことである。
私も、子どもたち(生徒たち)と
接するときは、政治の話は、
いっさい、しない。
してはならない。

しかし教師であるなら、当然、
政治に関心をもつべきである。
それが教育の場でないなら、
政治の話をして、当然。
意見を述べて、当然。

子どもの未来を考えていくと、
その向こうに(政治)がある。
政治抜きに、子どもの未来を
語ることはできない。

が、この日本には、おかしな
偏見が蔓延している。
高校生あたりに「6か国協議を
どう思う?」と問いかけても、
即座に、「ダサイ!」とはねのけられて
しまう。

あるいは政治的に無関心である
ことが、(常識的な人間の条件?)と
思われている。

しかしこんなバカげた民主主義国家
が、どこにある?
税金の使われ方すら知らない国民が、
どこにいる?

私が12年前に書いた原稿を、
もう一度読んでみてほしい。

++++++++++++++

●無関心な人たち

 英語国では、「無関心層(Political Apathy)」というのは、それだけで軽蔑の対象になる。
非難されることも多い。
だから「あなたは無関心な人だ」と言われ
たりすると、その人はそれをたいへん不名誉なことに感じたり、ばあいによっては、それに猛烈に反発したりする。

 一方、この日本では、政治については、無関心であればあるほど、よい子ども(?)ということになっている。
だから政治については、まったくといってよいほど、興味を示さない。
関心もない。感覚そのものが、私たちの世代と、違う。

ためしに、今の高校生や大学生に、政治の話をしてみるとよい。
ほとんどの子どもは、「セ
イジ……」と言いかけただけで、「ダサ~イ」とはねのけてしまう。
(実際、どの部分がど
のようにダサイのか、私にはよく理解できないが……。
ダサイ」という意味すら、よく理
解できない。)

● 政治に無関心であることを、もっと恥じよう!
● 社会に無関心であることを、もっと恥じよう!
● あなたが無関心であればあるほど、そのツケは、つぎの世代にたまる。
今のこの日本が、
その結果であるといってもよい。
これでは子どもたちに、明るい未来はやってこない。

では、なぜ、日本の子どもたちが、こうまで政治的に無関心になってしまったか、である。

● 文部省からの三通の通達

日本の教育の流れを変えたのが、三通の文部省通達である(たった三通!)。
文部省が19
60年に出した「文部次官通達」(六月二一日)、「高校指導要領改定」(一〇月一五日)、それに「初等中等局長通達」(一二月二四日)。

 この三通の通達で、中学、高校での生徒による政治活動は、事実上禁止され、生徒会活動から、政治色は一掃された。
さらに生徒会どうしの交流も、官製の交流会をのぞいて、
禁止された。
当時は、安保闘争の真っ最中。こうした通達がなされた背景には、それなり
の理由があったが、それから40年。
日本の学生たちは、完全に、「従順でもの言わぬ民」
に改造された。その結果が、「ダサイ?」ということになる。

 しかし政治的活力は、若い人から生まれる。
どんな生活であるにせよ、一度その生活に
入ると、どんな人でも保守層に回る。
そしてそのまま社会を硬直させる。今の日本が、そ
れである。構造改革(官僚政治の是正)が叫ばれて、もう10年以上になるが、結局は、ほとんど何も改革されていない。
このままズルズルと先へ行けばいくほど、問題は大きく
なる。
いや、すでに、日本は、現在、にっちもさっちも立ち行かない状態に追い込まれている。
あとはいつ爆発し、崩壊するかという状態である。

 それはさておき、ここでもわかるように、たった三通の、次官、局長クラスの通達で、日本の教育の流れが変わってしまったことに注目してほしい。
そしてその恐ろしさを、どうか理解してほしい。日本の教育は、(日本人の心も)、こういう形で、中央官僚の思うが
ままにあやつられている。

+++++++++++++

もちろん、極右であることも、極左であることも、
望ましいことではない。(否定はしないが……。)

ものごとは、常識を基点にして考える。
あるいは常識の上に常識を重ねながら、考える。
私たちが何よりも警戒しなければならないのは、
「極端化」である。
「先鋭化」ともいう。
とくに政治の世界では、警戒した方がよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●教育の結果

 つまり私たち日本人が、こうまでおとなしくなってしまったのは、「教育」が原因ということ。
ここに「教育」のもつ、「力」というか、「恐ろしさ」がある。
今のあなた自身を振り返ってみればよい。
あなたはなぜに、そうまで従順なのか。
従順であるのが悪いというのではない。
しかし「牙(きば)」を抜かれてしまった。
あなた自身がつまり、「教育」の結果ということ。

 もっとも今は、デモをして声を張り上げるような時代ではない。
(ときとばあいによっては、大切だが……。)
今は、こうしてネットを通して、意見を発表する。
世論を動かしていく。
ツイッター(Twitter)で、国が動く時代である。

『時事用語』(成美堂)の第1ページを読んで、そんなことを考えた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 文部省通達 たった3通の通達 牙を抜かれた日本人 デモ禁止 教
育と政治)
2012/01/12改


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●気負いは、ほどほどに(はやし浩司 2012-01-13)

●5時起き

 今朝は、5時起き。
それまで1時間ほど、布団の中でもぞもぞしていた。
が、こういうときは、思い切って起きた方がよい。
時間を無駄にしてはいけない。

●日常

 詳しく書いても、意味はない。
それは、どうでもよい。
実は、私は先日、あやうく死にかけた。
九死に一生……というより、それより危なかった。

 が、それはそれ。
そのあとのこと。
日常が、いつもと変わらぬ日常であることに驚いた。
と、同時に知った。
「私が死んでも、何も変わらず、世界は動きつづける」と。

●ワイフ

 それをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。
「私も、父が死んだとき、そう思った」と。

 ワイフは、自分の父親が死ぬとは思っていなかったという。
が、その父親が他界した。
そのときのこと。
「父が死んでも、何も変わらなかった。
そのことが、不思議でならなかった」と。

●もうけもの

 私が死んでも、またあなたが死んでも、この世界は、何も変わらない。
晴れた日であっても、雨の日であっても、そのまま。
人の流れも、車の流れも、そのまま。
「今」は、いつまでも永遠につづく。

 が、ひとつだけ、心境に変化が生じた。
その事件のあと、こんなふうに思うようになった。
そのつど、「もうけもの」と。
それがアワのように、心の中で浮かんでは、はじける。
つまりその日以来、こうして生きていること自体が、「もうけもの」と。

●人生、50年

 そう言えば、学生時代のS君も、そう言っていた。
胃ガンで生死の境をさまよい、そのあと、無事生還。
5年たった今も、元気で生きている。

「なあ、林、昔は『人生、50年』と言ったろ。
50歳を過ぎたら、人生は、もうけものなんだよ」と。

 もうけもの……つまり、おまけ。
余録。
そう思って生きれば、心に余裕ができる。
損得を乗り越えて、生きることができる。

●64歳

 ……ということでなくても、最近、よく、こう思う。
私も64歳になった。
江戸時代なら、もうとっくの昔に死んでいてもおかしくない年齢※。
その私が、まだこうして生きている。
しかも生涯、病院のベッドの上で寝たことがない。
入院すら、したことがない。
本当に、ありがたいこと、と。

 そう思うと、身近のささいな問題が、どうでもよくなってしまう。

(注※……江戸時代の平均寿命は45歳前後だったと言われている。
ただし当時は、6歳前後までに、約30%の子どもが亡くなったという。
数字は記憶によるものなので、不正確。)

●希望

 要するに生きる原点を、どこに置くかということ。
ないものをねだり、持てる人をねたんでも、しかたない。
できなかったことを悔やみ、人生の短いことをはかなんでも、これまたしかたない。
今、ここにいる。
生きている。
青い空が見える。
音が聞こえる。
それを楽しみ、それを喜ぶ。

 そこに原点を置けば、生きていること自体が希望。
それに気づく。
言い換えると、生きているかぎり、人にはみな、希望がある。

●おはようございます

 さて、こうして、その「もうけものの1日」が、今日も始まった。
何ができるか、何があるか、それはわからない。
ともかくも、今日1日、懸命に生きる。 

 期待のしすぎは禁物。
気負いも、そこそこに。
ヌカ喜びも、取り越し苦労もしない。
だからといって、時間を無駄にしてはいけない。
そのあとのことは、そのあとのこと。
結果は、かならず、ついてくる!

 2012年01月13日(金曜日)、午前6時

 みなさん、おはようございます。

(補記)「生きる哲学」

●一貫性

 最近、強く感ずるのが、このこと。
つまり「哲学のない人とつきあうのは、むずかしい」。

 哲学をもっている人には、それなりの一貫性がある。
が、それがない人には、その一貫性がない。
欲望に溺れるまま、そのつど変化する。
表面(おもてづら)に、騙(だま)されてはいけない。
処世術というか、そういう人にかぎって、身を飾るのがうまい。
言葉や表情、行動で身を飾る。
男だったら、地位や肩書きで、飾る。
が、よくよく観察してみると、一貫性がない。

●ある男

 わかりやすく言えば、(つかみどころ)。
たとえば身近に、平気で女性を騙して遊んでいる男がいる。
年齢は30歳くらいか。
下は中学生から、上は、40代のおばちゃんまで。
結婚はしていないが、街で見かけるたびに、ちがった女性と歩いている。

 そういう男だが、仕事だけは、ちゃんとこなしている。
それなりの大企業に勤め、それなりの仕事をしている。
実にまじめそうな顔をしている。

「女」のためだったら、正月でも、その家にあがりこんで、掃除の手伝いをしたりしている。
が、どうも一貫性がない。
知人に話を聞くと、給料のほか、生活費の大半を、実家の親に出してもらっているという。
つまりそのお金で、遊びまくっている。

 そういう話を聞いているから、どうも信用できない。
……というか、ウソばかり並べる。
口がうまい。

●哲学

 そんな男のことを、論じても、意味がない。
愚劣な男は、どこまでも愚劣。
いくら立派な学歴と肩書きをもっていても、愚劣は愚劣。
問題は、なぜ、そういう男が生まれるかといういこと。

 その男の親は、会うたびに、「いい大学を出ました」「いいところに就職できました」と喜んでいる。
今は、「いい嫁が早く見つかればいい」と。

 端的に言えば、その男には、一本のスジの通った哲学がない。
「私はこうなんだ」という、スジがない。
というか、それ以前の問題として、それを考えない。
水面に浮かぶ浮き草のように、我が身を流れに任せているだけ。
考えてみれば、これも悪しき受験競争に弊害ということになる。

 受験勉強が悪いというのではない。
それだけでは、片手落ち。
半人前。
さらに悪いことに、現代の若い人たちは、先人からものを学ぶということをしない。
「老人の言うことには、価値がない」と。
が、これでは浮き草になって、当然。
いつまでたっても、浮き草止まり。

●宗教

 私自身はそういう経験を、直接したことがない。
ないが、昔からこう言う。
「欧米では、宗教をもっていない人は、信用されない」と。

 たしかにそれはそうで、宗教をもっている人には、それなりの一貫性がある。
その一貫性が、相手、つまり私たちに、ある種の安心感をもたらす。
「この人は、ウソをつかない」と思うだけでも、安心して話を聞くことができる。

が、この私には宗教がない。
いろいろ探してみたが、どれも私には合わない。
仏教もキリスト教も、どうも肌になじまない。
宗教団体となると、さらにそうで、接しただけで、拒絶反応すら覚えてしまう。
だから「哲学」ということになる。

●私のワイフ

 その点、私のワイフの生き方は、参考になる。
ガチガチの石頭で、がんこ。
融通はきかないし、冗談もめったに言わない。
クソまじめすぎるほど、クソまじめ。
ときどきワイフのことを、「石部金子」(石部金吉をもじる)と呼んでいる。
まったく面白(おもしろ)みのない女性だが、いつも安心してつきあうことができる。

 つまりそれがワイフの、「スジ」ということになる。
その「スジ」に、私は身を寄せることができる。
たがいの信頼関係も、そこから生まれる。

 で、今日のテーマ。
「哲学」。
「生きる哲学」。
それを考えながら、今日1日を過ごしてみたい。
2012/01/13記

(補記の補記)

●小沢一郎

 本物の詐欺師は、自分で相手を騙しているという意識がないそうだ。
だから平気で、人を騙すことができる。

小沢一郎という人が、どういう人なのか、本当のところは、私も知らない。
しかしあの人は、ものすごい人と思う。
この場に及んでも、まだこう言っている。

「私は天下国家のことしか、考えていない。(金の流れなど、感知しない)」と。
もし本当にそうなら、彼こそ、本物の詐欺師。
天下の詐欺師。
まさに土建政治家。

 今朝の新聞(中日新聞)によれば、4億円という大金を金庫から出し、紙で包んだのは、小沢一郎自身だったという。
重さ、40キロ。
にもかかわらず、「(金の流れなど、感知しない)」と。

見苦しいというか、ああいう政治家しか生まれない、日本のこの土壌を情けなく思う。


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司


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Wednesday, February 15, 2012

●どうしてテレビコマーシャルなのか?

Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【日本ユニセフとは何か】

●今日は風邪気味

 朝から、風邪気味。
インフルエンザ?
……でもなさそう。
体温は、36・5度。
私はもともと低い。
調子のよいときは、36度以下。
低体温症?
私のばあい、36・5度でも、「熱がある」ということになる。

 朝は、9時過ぎに起きた。
午後からも、昼寝。
1時間の昼寝。
頭痛が消えなかったので、「Z(偏頭痛薬)」を半分割って、のむ。
半時間ほどで、頭痛は消えた。
あわせて感冒薬をのんだ。
そのせいか、腰痛も消えた。

あとは、ニンニクのたっぷり入ったラーメンを食べる。
それで治るはず。
……ということで、それから5~6時間。

時刻は、現在、午後8時半。
この原稿を書き終えたら、近くのラーメン屋へ行くつもり。

●午後8時半

 とくに書きたいことは、ない。
頭の中は、すっきりしている。
脳の中は、平和でのどか。
ニュースを読んでも、いつものような反応が起きてこない。
どうでもよい。
どこか投げやり。

 パソコン雑誌(Mr. PC)をパラパラとめくる。
メインのHP(ウェブサイト)を、更新する。
お絵描きソフトを使い、タブレット上で絵を描く。
お茶を飲む。
こういうときは、パソコンショップへ行くのがよい。
気分転換を図るのがよい。
が、すでに午後8時半。
そろそろ閉店時間。
ア~ア。

●黒いBEN

 ここ数日、黒いBENが出る。
ネットで調べると……、ゾーッ!
深刻な病気らしい?
「すぐ病院で検査を受けたほうがいい」とある。
どこかのサイトに、そう書いてあった。

 「年貢の納め時」と、一時は覚悟はした。
が、原因は、すぐわかった。
チョコレートの食べ過ぎ。
この1週間、毎日、チョコレートばかり食べている。
生徒たちが、くれた。
加えて、養命酒の飲み過ぎ。
が、これはワイフの説。
「養命酒を飲むと、BENが、黒くなるわ」と。

 本当かな~ア?

 バレンタイン・デーも終わり、先ほど、黒いBENは、黄色BENに。
無事、戻った。
よかった!

 ……と思いながら、居間へ。
ワイフはテレビで洋画を見ていた。
そこへ……!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本ユニセフとは何か(はやし浩司 2012-02-15)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本ユニセフ

 たった今、テレビを見ていたら、「日本ユニセフ」のコマーシャルが入った。
例によって、例のごとく、募金集めのコマーシャル。
このところ、日本ユンセフのコマーシャルが、よく目につく。
「国連の一機関が、テレビコマーシャル?」と。
だれしも、そう思う。
が、これには、ちゃんとウラがある。

 テレビだけではない。
週刊誌や雑誌などにも。
(この世界には、記事広告というのもある。
直接的に宣伝するのではなく、間接的に、記者に記事を書かせ、広告する。
それを「記事広告」という。)

 以前書いた原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

すぐ見つかった。
日付は、2010年9月になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【日本ユニセフvs国連ユニセフ】(2010年9月記)

●日本ユニセフ協会とは何か?

 私は知らなかった。
国連のユニセフ(以下、国連ユニセフ)と日本のユニセフ(正式名:日本ユニセフ協会、以下、日本ユニセフ)とは、別組織。
しかも日本ユニセフというのは、「財団法人」の名を載せてはいるが、「一般民間団体」?
道理で……というか、あの団体は、そのつど著名人をうまく利用している?
……というか、著名人やタレントばかりを、頭に、ズラリと並べている。
そのウサン臭さは、私も感じていた※。

 だれかの紹介で、私のところにも、ダイレクトメールが届いたことがある。
それをきっかけに何度か寄付金を送った。
が、それ以後、毎年、私の住所、名前をあらかじめ印刷したネームカードとともに、寄付金の募集用紙が送られてきた。
「熱心な団体だな?」とは思ったが、それには先にも書いたように、ウラがあった。

ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『……(日本ユニセフは)、36の国と地域にある「ユニセフ国内委員会(Committee for UNICEF)」のうちの1つであり、国際連合児童基金 (国連ユニセフ) の日本事務所ではない。
(ユニセフ本部(国際連合児童基金)との関係参照)』と。

 さらに明確に、『(日本ユニセフは)、日本における「ユニセフ国内委員会」として、世界におけるユニセフの活動を支援するために、日本において寄付募集、広報・啓蒙活動、政策提言協力を行うことを使命としている。

日本ユニセフ協会と国連ユニセフ(UNICEF)は、基本的に別組織である』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

『「日本ユニセフ」という名称をもつが、国際連合児童基金 (国連ユニセフ)の日本事務所ではない。

日本ユニセフ協会は、ユニセフ本部と協力協定を結んでいる団体であり、日本において民間人・民間団体・企業向けにユニセフを代表する唯一の組織である。

日本における民間協力の窓口として運営されている非政府組織であって、国連機関ではない。
ユニセフ本部は東京都内に「ユニセフ東京事務所」を設置しているが、この事務所もユニセフ日本支部ではない』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。

 だんだんとわかってきたぞ!

「日本ユニセフ」と「国連ユニセフ」。
この両者は、まったくの別組織。

 つまり平たく言えば、「日本ユニセフ」は、国連機関のひとつである「ユニセフ」という名前を巧みにまぶしながら、日本人から金を集めている(?)。
そういう疑念も浮上してきた。

 『日本における国際連合児童基金(=国連ユニセフ)の出先機関は、東京都渋谷区神宮前の国連大学ビルの中にある』とある。
「国際連合児童基金東京事務所」(ユニセフ東京事務所)というのが、それ。

 一方、日本ユニセフのHPには、つぎのようにある。

『「財団法人日本ユニセフ協会と密接に協力しながら」各種の交渉などに当たっていることになっている。と。

ほぼ同一の意味の記述は、ユニセフ公式サイトにもあり、日本ユニセフ協会は、ユニセフ東京事務所(=国連ユニセフ)の業務の一部にも関わりを持っている」と説明している』(以上、日本ユニセフ協会サイトによる)と。

この部分を注意深く読んでほしい。
「業務の一部にも関わりを持っている」(日本ユニセフ)と。
(日本ユニセフ)イコール(国連ユニセフ)ではない。
(国連ユニセフ)イコール、(日本ユニセフ)でもない。
「業務の一部に、関わりをもっている」だけ。
この部分を注意深く読むと、そうなる。

 つまり日本ユニセフ側は、「私たちは(国連)ユニセフとは無関係ではない。
ユニセフと『密接に協力しながら』活動している」と。
そんな煙幕を張っている。
だったらはじめから、無私無欲で、なぜ国連ユニセフ(本部)に協力しないのか。
協力すれば、それですむはず?
 
 どうしてこういう回りくどい言い方をするのだろう。

 私の記憶にまちがいがなければ、こういうこと。

「日本ユニセフ」は、集めた寄付金の75%を、「国連ユニセフ」に納める。
残りの25%(上限)については、「日本ユニセフ」のほうで、自由に使用することができる※。
職員の給料や活動費などに充てることができる。

 が、こんなおいしい話はない。
ふつうの常識のある人なら、そう考える。

たとえばウィキペディア百科事典には、こうある。

『2007年度は、日本ユニセフ協会は176億5671万円を集め、その81%をユニセフ本部に拠出した』と。

 つまり残りの19%は、日本ユニセフの取り分。
単純に計算すれば、約33億6000万円!
何もしなくても、つまり事務所に座っているだけで、約33億6000万円!
約33億6000万円だぞ!

 記事の内容は、ウィキペディア百科事典に取ってもらうことにする。

 が、なぜ、今、テレビのコマーシャルなのか?

 単純に考えれば、「募金が集まりにくくなった」?
今、日本は、アフリカの難民救運動どころではない。
3・11大震災による震災被害で、たいへん!
それにこんなことも言える。

 人の善意は、テレビのコマーシャルとは、基本的な部分で、なじまない。
選挙が近くなると、どこかの宗教団体は、さかんにテレビのコマーシャルを流し始める。
なぜか?
……理由など、改めてここに書くまでもない。

 が、日本ユニセフのコマーシャルは、そのコマーシャルとどこか似ている。
どこかウサン臭い。
そんなコマーシャル代が払えるなら、その分だけでも、難民救済とかに、回せばよい。
1円でも、多く。
そして「国連ユニセフ」には、こう言えばよい。

「日本も、今、それどころではありません。寄付金が少なくてすみません」と。
募金が減ったからといって、しかたのないこと。
が、テレビコマーシャル?
難民救済という高邁な精神と、テレビでコマーシャルを流して募金を集めるという行為は、基本的な部分で、矛盾している。
「募金が少なくなっても、それはそれでしかたのないこと」と。
常識のある人は、そう考える。

 あるいは日本ユニセフは、3・11大震災で被災者になった人のために、どうして募金活動を始めないのか。
大きな被害を受けた、日本の子どもたちだって、いる。
「善意」という心は、どの方向に向かおうとも、「善意」。

 ……ともあれ、どうもよくわからない。
つい先月(1月)は、週刊A誌に、国内委員会大使のA・チャンが特集されていた。
5ページという、大特集である。
「ポロポロと涙をこぼして……難民の子どもたちを……」(記憶)という記事もあった。
が、これもおかしい。
どこか、おかしい。

 もう一度、募金の流れを図示してみる。

(日本人一般)→(日本ユニセフ)→(国連ユニセフの東京事務所)→(国連ユニセフ)。
その募金を使い、(国連ユニセフ)が、難民救済活動を展開している。
(日本ユニセフ)がしているわけではない。

 なお(国連ユニセフの東京事務所)は、小さな事務所と聞く。
が、(日本ユニセフ)のほうは、住所からもわかるように、超立派なビル※。
何か、おかしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※……以下、ウィキペディア百科事典より)

●批判

『日本ユニセフ協会が集めた寄付金等の収入は、ユニセフ本部に、その全額が送金されるのではない。
募金活動の際にその旨明記されていないことが多い点や、その用途が適切かについて議論がある』(ウィキペディア百科事典)と。

●日本ユニセフの取り分

『日本ユニセフ協会は国際連合(UN)内の国際連合児童基金(ユニセフ)と協力協定を結び、日本からの民間拠出金を取りまとめている、あくまで民間協力の団体である。
従って、職員の身分は国際公務員・国家公務員ではなく、団体職員である。

なお、日本ユニセフ協会はユニセフ本部との協定により、専ら協会の活動費として用いられる会費の他に、寄付金の一部(上限25%)を協会自身の活動資金やユニセフ活動への広報・啓蒙活動の為に留保しており、留保額を除いた寄付金がユニセフ本部に拠出されている』(ウィキペディア百科事典)と。

●協会ビル

『……2001年6月、25億円を使って、都内でも有数の一等地である港区高輪に、協会のビル「ユニセフハウス」(地下1階、地上5階建、延床面積3702平方メートル)を建設した。
そこで、このようなビルを建てるのが寄付金の具体的使い道の妥当性として問題にされている』(ウィキペディア百科事典)と。

 ほかにも日本ユニセフに対する批判は多い。
詳しくは、ウィキペディア百科事典を参考。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%BB%E3%83%95%E5%8D%94%E4%BC%9A

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Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司

Tuesday, February 14, 2012

●錯視と意識のズレ

【意識のズレ】(意識の錯視)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

錯視という言葉がある。
昔は「目の錯覚」と呼んだ。

同じ図形でも、見方によって、魔女にも見えたり、少女に見えたりする。
あるいは中央に、花瓶がある。
が、見方を変えると、両側に女性の顔が現れる。
こういうのを錯視と呼ぶが、「色」についてのも、よく知られている。

同じ色でも、周囲を明るい色に取り囲まれると、暗く見える。
周囲を暗い色に取り囲まれると、明るく見える。

人間のもつ「意識」についても、この錯視がよく起こる。
見方によって、180度、違う。
あるいは同じ意識でも、社会的環境の中で、まったく違った「色」に見える。
そういうことは、よくある。

意識に基準もなければ、標準もない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●KS君

 私が「意識ズレ」を実感したのは、そのときだった。
中学2年生になったKS君という男子がいた。
市内のS小学校に通っていた。
小中一貫校として知られ、進学校としても有名だった。

が、うち3分の2の生徒は、小学校からのもちあがりの生徒だった。
残りの3分の1は、中学進学時に、各小学校から入学してきた、選り抜きの生徒だった。

 KS君は、今でいうLD児だった。
文章の読解力が、極端に劣っていた。
実際には、長文の文章を読むことができなかった。
そのため、国語はもちろん、社会、理科も、苦手だった。
……という回りくどい言い方はやめよう。
学校でも評判の、できの悪い生徒だった。
S小学校という学校だったからこそ、余計に目立った。
1、2年、学年が上の児童も、下の児童も、「KS君」という名前を出しただけで、笑った。

●「後悔していないか?」

 ふつう学力が極端に劣っている生徒のばあい、中学進学時に、ほかの普通校に転校していく。
が、強制力はない。
KS君は、そのままS中学校に残った。

 ただ数学だけは、得意だった。
それがKS君の取り柄になっていた。
が、ある日、私はKS君にこう聞いた。
仲間にも、何かにつけ、バカにされていた。

「なあ、KS君、君はS小学校に入学したことを後悔していないか?」と。

 私はKS君が、そういう進学校で、最下位の成績ということを心配し、そう言った。
が、KS君の答は、意外なものだった。

K「ううん、後悔してないよ」
私「じゃあ、学校は楽しいか?」
K「楽しいよ」
私「だって、勉強が苦手だろ?」
K「勉強は苦手だけど、放課後は楽しいよ」と。

 「後悔しているだろう」と思い、心配していた私。
が、KS君は、「楽しい」と。
みなにバカにされながらも、KS君は、自分の世界をちゃんと守っていた。
クラスでも人気者だった。

●親子の意識

 こうした意識のズレは、そのつど経験する。
こんなこともあった。

 高校3年生になったA君が、こう言った。
「親父のヤツ、地元の大学へ入れと言ってうるさい。チクショー!」と。
その言葉に、はげしい憎悪の念を感じた。
理由を聞くと、「親父は、自分の老後のめんどうを、オレにみさせようとしている」と。

 で、しばらくして、私はA君の父親と話す機会があった。
私は大学進学の話をした。
父親はこう言った。

「うちは、経済的に余裕がないから、息子には、できれば家から大学へ通ってほしいのです」と。

 で、再びA君との会話。

私「お父さんも、今、たいへんなんだから、自宅から通える大学にしたら?」
A「うそだよ。親は子どもの将来のためなら、借金でも何でもして、子どもを大学へ送るべきだよ」
私「若い人はそう考えるけどね」
A「子どもは親より、幸福になる権利がある。ぼくが親になったら、そうする」
私「自分で子育てをしてみると、思い通りにはいかないものだよ」
A「親父はね、自分の老後を心配しているんだよ。ぼくを利用しようとしているんだよ」と。

 親子の間でも、意識が大きくズレることがある。
そのズレは、時代や世代にまたがることもある。

●嫌われる団塊の世代

 最近、こんな意識のズレを経験した。
2チャンネルを読んでいたときのこと。
若い人たちが、団塊の世代を、「敵」と呼んでいるのを知った。
(「敵」と書いて、「カタキ」と読むらしい。)

 これには驚いた。
そこでその前後の記事に、目を通した。
で、わかったことは、「日本の繁栄をつぶしたのは、団塊の世代」と。
さらに「これからの高齢者世代は、ゴミ」とも。
みなが、そう考えているのがわかった。

 とくに強く意識しているわけではないが、私たち団塊の世代には、団塊の世代なりの、自負心がある。
「日本をここまで繁栄させたのは、私たち」と。
が、20代、30代の若い人たちは、私たちの世代に対し、正反対の意識をもっている。

●戦中派vs戦後派

 もっとも世代にまたがる意識のズレは、いつの時代にもある。
たとえば戦中派と戦後派。

 戦中派の人たちは、「日本を命がけで守ったのはオレたち」という意識が強い。
一方、戦後派は、「日本を焼け野原にしたのは、戦中派」という意識が強い。
「おかしな戦争をするから、日本はいまだに苦労しているのだ」と。

 そう、いまだにこの日本は、中国や韓国など、近隣諸国から、ああでもない、こうでもないと文句ばかり言われている。
そのたびに、私たち団塊の世代の多くは、「あの戦争はまちがっていた」と言う。
「日本が焼け野原になったのは、戦中派の人間のせい」と。

 しかしそう思う私たちと、私たち団塊の世代を「敵」と思う若い人たち。
どこがどうちがうというのか。
 
●親のめんどう

 が、意識のズレをもっとも強く感ずるのは、「親のめんどう」の話になったときのこと。
私たちの世代は、親のめんどうをみるのは、子どもの役目と考える。
「家族」というときは、そこにはかならず、祖父母がいた。
「当然」というより、そんなことは、常識。
疑うこともなかった。

 が、今は、ちがう。
悪しき欧米文化の影響というか、「家族」から祖父母が除外されてしまった。
若い人たちが「家族」というときは、自分と配偶者、それに自分の子どもたちだけの世界をいう。
もとから「親(祖父母)のめんどうをみる」という意識、そのものがない。
ないことは、先日紹介した、千葉市に住む、EH氏からのメールでも、わかる。
EH氏はこう書いている。

 「(自分の)めんどうをみてほしかったら、息子(娘)に、頼めばよい」と。
さらにこうもあった。
「親のめんどうで、息子や娘をしばるのは、それこそ家族崩壊」と。

 意識も、ここまでズレてくると、私はもう何も言うことはない。
まだ子育てが始まったばかりで、しかも親の介護もしたことがない若い父親が、ここまで言う。
私は「異常」と思うが、それが最近の若い世代の常識ということになる。

●意識論

 意識というのは、そういうもの。
それぞれが、それぞれの意識をもっている。
「常識」と置き換えてもよい。
で、それぞれの人が、それぞれの常識をもって、自分の意見を組み立てる。

 同じ形なのだが、見る人の視点によって、180度ちがう。
意識そのものが、だまされることもある。
まわりの色によって、濃淡が変わる。
「貧困」がよい例である。

 現代の人たちは、自動車を自由に乗り回している。
半世紀前には、車をもつこと自体、夢だった。
それでも「貧しい」と言う。
進学にしても、そうだ。

私の時代でも、半数が「就職組」。
高校へ進学できる中学生は、半数に過ぎなかった。
大学はもちろん、高校にしても、「行かせてくれ」と、親に頼んだ。
が、今、親に頼んで、高校や大学へ行かせてもらう中学生や高校生はいない。
もちろん感謝の「カ」の字もない。

親子の意識のズレとなると、もっと大きい。

 たとえば親が息子にこう言ったとする。
「(仕事がなくなったら)、地元へ帰って来い」と。

 親は、「何かにつけ、都会生活は、殺伐としていて、たいへんだろう」という思いをこめてそう言う。
仕事がなくなれば、なおさら。

 が、息子氏のほうは、そうは思わない。
「老後のめんどうをみさせるために、オレを地元に戻そうとしている」と。
親のやさしさが、かえって子どもの反発を買うこともある。

●ついでに……

 ついでに、ことこの私について。

「息子たちに老後のめんどうをかけたくない」という思いは、人一倍、強い。
自分で、実兄や実母の介護で苦労した。
社会へ入ると同時に、以後、45歳まで、収入の半分は、実家へ送った。
金銭的負担感というよりは、社会的負担感に苦しんだ。
その苦労を知っている人ほど、「息子や娘たちには、同じ苦労を経験させたくない」と思う。

 が、今、息子たちにその話をすると、こう言い返される。
「パパは、ぼくたちにも同じことをしろと言っているのか。
ぼくは、自分の息子や娘に、そんなことはさせない!」と。

 親の世話も、介護もしたことがない、(させるつもりもないが)、息子たちがそう言う。

●意識

 意識というのは、10年単位で変わっていく。

 戦後派の人たちにとっては、「金権」が、最大のテーマだった。
「出世」という言葉も、もてはやされた。
「国のため」が、「会社のため」となり、企業戦士が生まれた。
「一社懸命」という言葉も生まれた。
ひもじさの戦いが、いつしか、金権教と結びついていった。
「金(マネー)こそ、すべて!」と。

が、私たちの世代にとっては、「反権力」が大きなテーマになっていた。
60年代安保闘争。
70年代安保闘争。

 しかしつづくつぎの世代には、それが「反世代」へと変化した。
尾崎豊が歌った、『♪卒業』などに、その例をみる。

 が、さらに最近は、恋愛至上主義。
欲望第一主義と置き換えてもよい。
欲望の追求こそが、善であり、目的である、と。
映画『タイタニック』のジャックとローズに、若い人たちは、「人間の理想」を見た。
悪しき欧米文化の影響である。

 その結果が今。
世代ごとに、意識が大きく変化した。
が、その意識も、よくよく観察すると、見方がちがうだけ。
そういうふうに感ずることも多い。

 原点に同じ(欲望)がある。
その(欲望)が、見方によって、ちがって見える。
あるいは周囲の環境によって、ちがって見える。
が、中身は同じ。
親を思う心。
子を思う心。
みな同じ。
しかし見方がちがう。
周囲の環境がちがう。
だからまったく、ちがって見える。
言い換えると、(欲望)にメスを入れないかぎり、(意識)の本質を知ることはない。

 ……とまあ、話が入り組んできたので、この話は、ここまで。
こういう理屈ぽい話は、みなに嫌われる。
別の機会に、もう少しかみくだいて書いてみたい。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 意識 錯視 はやし浩司 意識のズレ)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●「♪右を見ても、左を見ても、真っ暗闇でござんせんか」(改)
(注:昨日(2-14)に書いた原稿ですが、誤字脱字が目立ちましたので、
 書き改め、再収録します。はやし浩司)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

昨夜は、鶴田浩二の「♪傷だらけの人生」を練習した。

「古いヤツだとお思いでしょう。
古いヤツほど、新しいものをほしがるものでございます。
が、新しいものなど、どこにございましょう。
生まれた土地も、荒れ放題。
右を見ても、左を見ても、真っ暗闇でござんせんか」(録音版から文章を起こしたため、不正確)と。

鶴田浩二は、この浜松市出身である。
だから浜松市の、ある一定年齢以上の人は、みな、鶴田浩二をよく知っている。
神様のように、みな、よく知っている。

「練習した」というのは、先のセリフの部分を暗記し、それをまねること。
このところ私の脳みそが、戦中、戦前時代へと戻っていくのが、よくわかる。
数日前は、浪曲を練習していた。
「♪旅行けば、駿河の道に、茶の香り」と。
(「駿河の国」ではなく、「駿河の道」が、正調。念のため。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●真っ暗闇

 「失われた10年」が、「失われた20年」になった。
それが今では、「失われた25年」になった。

 たいていの人は、立派になった公共施設や道路だけを見て、「日本もまだまだ……」と思っているかもしれない。
しかしそれらは、ミ~ンな、借金で建てられたもの。
国家予算にせよ、地方自治体の予算にせよ、土木建設費が、20~25%という国は、そうはない。
メチャメチャ!

 交付金で建ててもらった直後は、地方財政は、それなりに潤う。
が、そのあとドカッとやってくるのが、維持費。
人件費。
ご存知の方も多いと思う。
どこの会館でも、会館の職員は、会館の掃除すら「できない」。
(「やらない」ではない。「できない」。)
掃除をすれば、外郭団体の清掃会社の仕事を奪うことになる。
もちろん清掃会社といっても、役人の天下り先!

 修理、部品の交換、整備、管理……さらには、周辺の草刈りもすべて、外注。

 こんなことを25年もしていれば、その国は、どうなるか?
その結果が、1000兆円という借金。
ギリシャは、30兆円で、今の状態。
日本は、その30倍以上!

 「♪右を見ても、左を見ても、真っ暗闇でござんせんか」。

●移民国家

 つい先週、シンガポール政府は、こう発表した。
「私たちは日本のようにはならない」と。
具体的には、移民をどんどんと受け入れていく、と。

 この日本が生き残るためには、「移民」を受け入れるしかなかった。
が、この日本は、あえてそれに背を向けた。
たった10年前ですら、こんなことを言う人がいた。

「移民を受け入れたら、日本人が職場を失う」
「移民は質が悪いから、治安が悪くなる」
「日本の伝統的文化が、破壊される」と。

 が、2050年には、人口問題で、日本は崩壊する。
何度も書いてきたので、ここでは省略するが、国を守る兵士すらいなくなる。
すでに大企業のほとんどは、最後の生き残りをかけ、生産拠点を海外に移した。

 おかしな鎖国主義で、職場を失ったのは、日本人自身ということになる。
が、それだけではない。
おかしな復古主義。

「英語教育は不必要」
「英語教育の代わりに、論語」
「武士道こそ、日本の精神のバックボーン」と。

 日本へ来る移民の立場で、ものごとを少しは考えろ。
逆の立場で、少しは考えろ。
そんな頭ガリガリの国に、どこのだれが移民で、行きたがる?
現に南米からの労働者たちは、この日本からはじき飛ばされてしまったぞ!

 一方、シンガポールは、すべてを開放した。
シンガポールに住むアメリカ人は、アメリカにいるのとまったく同じ条件で、アメリカ人の医師に診察してもらえる。
もちろん保険も、そのまま使える。

 こんな狭い、小さな島国で、「日本」「日本」と叫んでいるほうが、おかしい。
日本が2050年以後も生き残るためには、開放しかない。
人口の減少分を、移民で補う。
アメリカやオーストラリア、カナダのように……。
が、今となっては、それもすでに手遅れ。

 移民を受け入れる、職場すら、消えた。
この浜松市にも、一時は3万人を超える南米からの労働者がいた。
が、今では、さがさなければならないほど、少ない。

 「♪右を見ても、左を見ても、真っ暗闇でござんせんか」。

●農業

 3反の畑を借り、農業を始めた人がいる。
家庭菜園のつもりで始めた。
Fさんである。
そのFさんと、昨日も、こんな話をした。

 「補助金を、100万円も、もらいました」と。

 が、農家の人たちが受け取る補助金は、そんなハンパなものではない。
そんなハンパなものではないことは、農家の人たちが、いちばんよく知っている。
まさに補助金漬け。
本来なら農業指導をする農協が、その補助金の指導をしている。
「こういうふうに申請すれば、~百万、出ますよ」と。

 こんなことばかりしているから、農業は衰退する。
農家の依存心だけを、増長させる。

平たく言えば、駅前のシャッター街に、意味のない補助金を注ぎつづけるようなもの。
時代には、時代の流れというのがある。
現在の農業政策は、その時代の流れに、完全に逆行している。

 農業だけではない。
林業しかり、漁業しかり……。

 本来なら企業の参入を認め、自由化すべき。
戦後の自民党は、票を失うことだけを恐れ、かえって墓穴を掘ってしまった。

 「♪右を見ても、左を見ても、真っ暗闇でござんせんか」。

●教育

 教育といっても、その世界は広い。
たとえば英語教育にしても、デッドロックに乗りあげてしまっている。
「小学校での英語教育、不要論」まで、出てきた。
ならばどうして、ドイツやイタリアのように、自由化しないのか。
こうしたノン・アカデミックな、(実用性の高い)科目は、民間に任せればよい。

 英語を教えたい学校がある。
英語を教えたくない学校もある。

 英語を学ばせたい親がいる。
英語を学ばせたくない親もいる。

 英語を勉強したい子どもがいる。
英語を勉強したくない子どももいる。

 そういう学校や親、子どもをいっしょくたにし、北海道から沖縄まで、画一教育。
もともと、この方式には無理がある。
デッドロックに乗り上げて、当然。

 だったら、自由競争に任せればよい。
民間は、何ごとにつけ必死。
その必死さが、質を高める。

 あとはバウチャー券のような形で、レッスン料を補助すればよい。
が、文科省は、戦後、70年、保守一徹。
韓国では、紙製の教科書を廃止し、電子ブック化を進めている。

あのね、あのオーストラリアでも、すでに30年前から、小学校でコンピューターを教えていたぞ。
ちゃんと、私はこの目で見たぞ!

アメリカでは、10年前から、幼稚園でコンピューターを教えていたぞ。
ちゃんと、私はこの目で見たぞ!

 「♪右を見ても、左を見ても、真っ暗闇でござんせんか」。

 ……ということで、今朝のグチは、ここまで。

 ついでに……。

 直近の経済統計によれば、日本の経済成長率は、とうとうマイナスに落ちた。
が、肌で感ずる不況感は、そんなものではない。
どこも青息吐息。
やがてすぐ、日本の国債(借金)は、買い手(貸し手)も見つからないまま、大暴落する。
イコール、日本の「円」は、紙くずと化す。
可能性の問題でない。
時間の問題。

 すでに都市銀行は、その防衛策として、長期国債を短期国債に乗り換え始めている。
日本のデフォルトを予想してでのことである。
日本をターゲットにし、ヘッジファンド(ハゲタカ組織)も動き出した。
「つぎは日本!」と。

 この先、もう日本のことはどうでもよい。
まず私たち自身の財産を守る。
生活を守る。
「みなと渡れば……」などと考えていると、それこそたいへんなことになる。

 ……という話は、おまけ。
今朝は、読者のみんさんを、クラ~イ気分にして、ごめん。
何といっても、天気が悪い。
空は鉛色。
雨雲。
雨がシトシトと降っている。

 ア~ア、私は天気男。
そのときの天気に、大きく左右される。

はやし浩司 2012-02-14朝記


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【愉快な小学1年生たち】

●今回は「座標」をテーマに、レッスンを進めてみました。
 暗く沈んでいる人は、どうか、ご覧ください。
 子どもたちのもつパワーと明るさに、圧倒されますよ。

(1)


(2)


(3)


(4)



Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司

Monday, February 13, 2012

●右を見ても、左を見ても・・・

●「♪右を見ても、左を見ても、真っ暗闇でござんせんか」

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

昨夜は、鶴田浩二の「♪傷だらけの人生」を練習した。

「古いヤツだとお思いでしょう。
古いヤツほど、新しいものをほしがるものでございます。
が、新しいものなど、どこにございましょう。
生まれた土地も、荒れ放題。
右を見ても、左を見ても、真っ暗闇でござんせんか」(録音版から文章を起こしたため、不正確)と。

鶴田浩二は、この浜松市出身である。
だから浜松市の、ある一定年齢以上の人は、みな、鶴田浩二をよく知っている。
神様のように、みな、よく知っている。

「練習した」というのは、先の口上の部分を暗記し、それをまねること。
このところ私の脳みそが、戦中、戦前時代へと戻っていくのが、よくわかる。
数日前は、浪曲を練習していた。
「♪旅行けば、駿河の道に、茶の香り」と。
(「駿河の国」ではなく、「駿河の道」が、正調。念のため。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●真っ暗闇

 「失われた10年」が、「失われた20年」になった。
それが今では、「失われた25年」になった。

 たいていの人は、立派になった公共施設や道路だけを見て、「日本もまだまだ……」と思っているかもしれない。
しかしそれらは、ミ~ンな、借金で建てられたもの。
国家予算にせよ、地歩自治体の予算にせよ、土木建設費が、20~25%という国は、そうはない。
メチャメチャ!

 交付金で建ててもらった直後は、地方財政は、それなりに潤う。
が、そのあとドカッとやってくるのが、維持費。
ご存知の方も多いと思う。
どこの会館でも、会館の職員は、会館の掃除す「できない」。
(「やらない」ではない。「できない」。)
掃除をすれば、外郭団体の清掃会社の仕事を奪うことになる。
もちろん清掃会社といっても、役人の天下り先!

 修理、部品の交換、整備、管理……さらには、周辺の草刈りもすべて、外注。

 こんなことを25年もしていれば、その国は、どうなるか?
その結果が、1000兆円という借金。
ギリシャは、30兆円で、今の状態。
日本は、その30倍以上!

 「♪右を見ても、左を見ても、真っ暗闇でござんせんか」。

●移民国家

 つい先週、シンガポール政府は、こう発表した。
「私たちは日本のようにはならない」と。
具体的には、移民をどんどんと受け入れていく、と。

 この日本が生き残るためには、「移民」を受け入れるしかなかった。
が、この日本は、あえてそれに背を向けた。
たった10年前ですら、こんなことを言う人がいた。

「移民を受け入れたら、日本人が職場を失う」
「移民は質が悪いから、治安が悪くなる」
「日本の伝統的文化が、破壊される」と。

 が、2050年には、人口の上で、日本は崩壊する。
何度も書いてきたので、ここでは省略するが、国を守る兵士すらいなくなる。
すでに大企業のほとんどは、最後の生き残りをかけ、生産拠点を海外に移した。

 おかしな鎖国主義で、職場を失ったのは、日本人自身ということになる。
が、それだけではない。
おかしな復古主義。

「英語教育は不必要」
「英語教育の代わりに、論語」
「武士道こそ、日本の精神のバックボーン」と。

 日本へ来る移民の立場で、ものごとを少しは考えろ。
逆の立場で、少しは考えろ。
そんな頭ガリガリの国に、だれが移民で行きたがる?

 一方、シンガポールは、すべてを開放した。
シンガポールに住むアメリカ人は、アメリカにいるのとまったく同じ条件で、アメリカ人の医師に診察してもらえる。
もちろん保険も、そのまま使える。

 こんな狭い、小さな島国で、「日本」「日本」と叫んでいるほうが、おかしい。
日本が2050年以後も生き残るためには、開放しかない。
人口の減少分を、移民で補う。
アメリカやオーストラリア、カナダのように……。
が、今となっては、それもすでに手遅れ。

 移民を受け入れる、職場すら、消えた。
この浜松市にも、一時は3万人を超える南米からの労働者がいた。
が、今では、さがさなければならないほど、少なくなった。

 「♪右を見ても、左を見ても、真っ暗闇でござんせんか」。

●農業

 3反の畑を借り、農業を始めた人がいる。
家庭菜園のつもりで始めた。
Fさんである。
そのFさんと、昨日も、こんな話をした。

 「補助金を、100万円も、もらいました」と。

 が、農家の人たちが受け取る補助金は、そんなものではない。
そんなものではないことは、農家の人たちが、いちばんよく知っている。
まさに補助金漬け。
本来なら農業指導をする農協が、その補助金の指導をしている。
「こういうふうに申請すれば、~百万、出ますよ」と。

 こんなことばかりしているから、農業は衰退する。
農家の依存心だけを、増長させる。

平たく言えば、駅前のシャッター街に、意味のない補助金を注ぎつづけるようなもの。
時代には、時代の流れというのがある。
現在の農業政策は、その時代の流れに、完全に逆行している。

 農業だけではない。
林業しかり、漁業しかり……。

 本来なら企業の参入を認め、自由化すべき。
戦後の自民党は、票を失うことだけを恐れ、かえって墓穴を掘ってしまった。

 「♪右を見ても、左を見ても、真っ暗闇でござんせんか」。

●教育

 教育といっても、その世界は広い。
たとえば英語教育にしても、デッドロックに乗りあげてしまっている。
「小学校での英語教育、不要論」まで、出てきた。
ならばどうして、ドイツやイタリアのように、自由化しないのか。
こうしたノン・アカデミックな、(実用性の高い)科目は、民間に任せればよい。

 英語を教えたい学校がある。
英語を教えたくない学校もある。

 英語を学ばせたい親がいる。
英語を学ばせたくない親もいる。

 英語を勉強したい子どもがいる。
英語を勉強したくない子どももいる。

 そういう学校や親、子どもをいっしょくたにし、北海道から沖縄まで、画一教育。
もともと、この方式には無理がある。
デッドロックに乗り上げて、当然。

 だったら、自由競争に任せればよい。
民間は、何ごとにつけ必死。
その必死さが、質を高める。

 あとはバウチャー券のような形で、レッスン料を補助すればよい。
が、文科省は、戦後、70年、保守一徹。
韓国では、紙製の教科書を廃止し、電子ブック化を進めている。

あのね、あのオーストラリアでも、すでに30年前から、小学校でコンピューターを教えていたぞ。
ちゃんと、私はこの目で見たぞ!

アメリカでは、10年前から、幼稚園でコンピューターを教えていたぞ。
ちゃんと、私はこの目で見たぞ!

 「♪右を見ても、左を見ても、真っ暗闇でござんせんか」。

 ……ということで、今朝のグチは、ここまで。

 ついでに……。

 直近の経済統計によれば、日本の経済成長率は、とうとうマイナスに落ちた。
が、肌で感ずる不況感は、そんなものではない。
どこも青息吐息。
やがてすぐ、日本の国債(借金)は、買い手(貸し手)も見つからないまま、大暴落する。
イコール、日本の「円」は、紙くずと化す。
可能性の問題でない。
時間の問題。

 すでに都市銀行は、その防衛策として、長期国債を短期国債に乗り換え始めている。
日本のデフォルトを予想してでのことである。
日本をターゲットにし、ヘッジファンド(ハゲタカ組織)も動き出した。
「つぎは日本!」と。

 この先、もう日本のことはどうでもよい。
まず私たち自身の財産を守る。
「みなと渡れば……」などと考えていると、それこそたいへんなことになる。

 ……という話は、おまけ。
今朝は、読者のみんさんを、クラ~イ気分にして、ごめん。
何といっても、天気が悪い。
空は鉛色。
雨雲。
雨がシトシトと降っている。

 ア~ア、私は天気男。
そのときの天気に、大きく左右される。

はやし浩司 2012-02-14朝記


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司




●ある姉妹の確執



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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【姉妹の嫉妬】(はやし浩司 2012-01-09・雑感)

●気力

++++++++++++++++++

貧乏性。
貧乏性と、昔は言った。
「何かをしていないと、落ち着かない」。
それを貧乏性と言った。

休みが1週間もつづくと、そうなる。
最初の2、3日は、あれこれと忙しい。
しかしそれを過ぎると、とたんに、貧乏性になる。

そこで何かをし始める。
ゴソゴソ……
ゴソゴソ……、と。

(コソコソではない。念のため!)

+++++++++++++++++

●モニター

 4、5年前、27インチのモニターを買った。
解像度は、1920x1200(これをAとする)。
が、しばらくすると、ワイド画面が主流になった。
解像度は、1920x1080(これをBとする)。
そこでワイド画面のモニターに買い換えた(これをCとする)。
27・5インチ。
が、どうもの足りない。
もっと大きいのが、ほしくなった。

 そこで液晶テレビをモニターに使ってみることにした。
テレビ用のモニターを購入。
32インチ。
画面がぐんと大きくなった。
「これはいい」と思ったのも、束の間。
字が粗くて使い物にならなかった。
それに明るすぎた。

 で、しばらく(B)を使っていたが、これにも問題があった。
上下幅が狭いため、サイトによっては、そのつどスクロールをしなければならない。
そこで今朝、再び(A)に、戻した。
で、今は、その(A)を使いながら、この文章を叩いている。

 で、一言。

 パソコンのモニターは、明るすぎるのはよくない。
目が疲れる。
やや薄暗いかな……という程度のものがよい。
何時間もつづけて使うときには、とくにそうだ。
その点、パソコン専用のモニターは、かなり薄暗くすることができる。
テレビ用のモニターでは、それができない。

 しばらくこのモニターを使ってみる。

●露天風呂

 自家製の露天風呂が欲しくなった。
それに湯を張り、星空をながめていたい。
……ということで、あれこれ計画を練っている。

 まず、小さなベランダを作る。
その上に、木製の浴槽を置く。
湯や水は、ホースで引けばよい。
その気になれば、半日仕事。

 友人のTさんは、自分の山荘では、浴槽に、本物のドラム缶を使っている。
それを川沿いの空地に置き、露天風呂にしている。
Tさんは、何をするにも、本格的。
「浴槽はドラム缶がいちばんいい」と。

 太陽熱温水器を使い、湯を入れる。
熱さが足りないときは、下から薪(まき)で温める。
風呂へは、下駄を履いて、入る。

ただし川のそばだから、使えるのは、春と秋だけ。
夏は虫が多く、使い物にならない。
昼間は、アブの襲撃を受ける。
冬は、寒い。
風呂から出た後が、つらい。

●オーストラリア

 ワイフがオーストラリアへ行こうと言っている。
それをオーストラリアの友人に話すと、毎日のように資料を送ってくれる。
「縁」というのは、それをいう。
人というのは、自分を望んでくれる人のそばに行きたい。
1人でも、そういう人がいると、そこへ行きたい。

 そこで計画。

 が、オーストラリアの物価は、高い。
メルボルン市内でも、ちょっとよいホテルになると、1泊1名で、4~5万円。
最低でも2万円前後。
もちろん素泊まり料金。

 「料金が高い」というより、為替レートがおかしい。
現在、オーストラリアドルは、1ドル=80円前後で取り引きされている。
が、実際には、1ドル=40~50円くらい(?)。
それくらいだと、日本の物価水準と同じくらいになる。
(食品価格をのぞいて……。)

 どうしようか?

●のぞき

 年賀状を見てわかったが、みな、私のHPを見ている。
「いつもHPを見ています」という人が、何人かいた。
しかし私的には、それを喜んでいいのか、悪いのか……?
本音を言えば、あまり見てほしくない。
そういう人がいると、書きにくい。
あれこれと、気を使わねばならない。

 というのも、私は、プライベートなことを書くときは、その人とわからないように書く。
たとえば身内の話を、近所の人の話にしたり、親類や知人、友人の話にしたりする。
「私の親戚に……」と書いたからといって、親戚の話とはかぎらない。
そうでないことのほうが多い。
もちろんその逆もある。

 さらに、2人~3人の話を1つにまとめることもある。
もちろんその逆もある。

 ウソを書いているのではない。
これは私のようなもの書きにとっては、最低限守らなければならないマナーである。
その人の名誉を傷つけると、たいへんなことになる。
が、読む人が読むと、それがだれかわかってしまう。
「これはあのXさんのことだ」と。
それがこわい。

 とくに不愉快ななのは、「のぞき」。
HPをのぞいては、私の家の事情を探ろうとする。
数年前だが、こう言った男がいた。

「浩司君、君のHPだけど、この1年くらい、見てないかなア~」と。

 が、これはウソ。
今ではフリーのサービスや、フリーのソフトを使うと、どこのだれが何回くらいアクセスしてきたかが、1日単位でわかる。
(もちろん相手のIP番号を登録しておく必要があるが……。)
その男は、毎晩、11時前後に、私のHPをのぞいていた。

 で、私はその男にこう言ってやった。
「あなたのサーバーは、Axxxxネットでしたね」と。
その男は、一瞬ギクリとしたあと、そのまま黙ってしまった。

 私のHPは、それを必要とする人に見てほしい。
のぞき目的で見るのは、厳禁!
あとはみなさんの良識に任せる。

●露天風呂(2)

 このところ、物価が上昇している。
それが実感として、よくわかる。
先ほども、浴槽のHPをあちこちのぞいてみた。
露天風呂に使えそうな浴槽を探してみた。

 が、価格を見て、驚いた。
ヒノキで作った丸形浴槽ともなると、いちばん小型のサイズでも、40万円前後。
その上のサイズとなると、50~70万円前後。

(露天風呂付きの温泉でも、50万円もあれば、食事付きで、40回は入浴できる。)

 「高いなア~」と思ったところで、思考停止。
こうなったら、自分で作るしかない。
木材を買ってきて、自分で作る。
箱形のものであれば、まさに「箱」を作ればよい。

 今日にでも近くのDIYショップへ行ってみる。
あれこれ、自分で考え、自分で作っているときが、いちばん楽しい。

●モニター(2)

 やはりワイド型(16:9)のモニターのほうが、使いやすい。
……ということで、結局は、もとのモニターに戻すことにした。

 ゴソゴソ……と。
ちょうどそこへワイフがお茶を届けてくれた。
「(テレビの)モニターはどうするの?」と。

私「不要だから、あげるよ」
ワ「じゃあ、もらとくわ」と。

 意外と簡単に、もらい手が決まった。
が、階下の居間までもっていくと、そこから息子にバトンタッチ。
息子がそのままそのモニターをもって、自分の部屋に消えた。

●相談

 ……とまあ、つまらない話ばかり書いていてはいけない。
読者のみなさんに、申し訳ない。

……。

 おととい、ある女性から、こんな相談を受けた。
電話での相談だった。

(ただし最初に書いておきますが、どなたかの紹介がないかぎり、電話での相談はお断りしています。
おとといの相談は、昨年世話になった、ある学校の校長の紹介の方からのものでした。)

 いわく、「姉妹が、仲が悪くて、悩んでいます」と。

 おおざっぱに言えば、こういう内容である。

(1)2人の姉妹(娘)が、いる。
(2)年齢は、上が28歳、下が26歳。
(3)上の娘は、ケチでためこみ屋。家業を継がせたくない。
(4)下の娘は、負けん気でやり手。家業を継がせたい。
(5)いつも喧嘩ばかりしている。
(6)一方に家を出るように言っているが、姉のほうは、一歩も譲らない。
(7)妹にボーイフレンドができた。
(8)そのボーイフレンドに、姉のほうが横恋慕。姉との結婚話まで進んでいる。
(9)現在、そのボーイフレンドを取り合って、家の中が大騒動。

 で、どうしたらいいか、と。

●姉妹

 『年齢の近い姉妹は、憎しみ相手』と。
昔からそう言う。
乳幼児期からの(わだかまり)があるから、その分だけ、根が深い。
姉妹がうまくいっているケースとなると、10に1つもない。

 が、話を聞くと、さらに深刻。

 姉が、ボーイフレンドと妹の仲を裂こうと、あれこれと告げ口をしているというのだ。
そのひとつが、妹に、中絶経験があること。
それを、姉は、ボーイフレンドに話してしまった。
それが大騒動の原因にもなった。
相談してきた女性(母親)は、こう言った。
「明日にでも事件になりそうで、恐ろしくてなりません」と。

●現在の状況

 姉は妹に向かって、「私が長女だから、家を出て行け」と。
妹は、「私が店を手伝っているから、あんたこそ、出て行け」と。
家は江戸時代からある、みやげもの屋。
その町の門前町の中でも、中心的な存在である。
敷地も広い。

現在の状況は、つぎのようらしい。

(1)たがいに口もきかない。
(2)ささいなことで、突発的に大げんかになる。
(3)夫(父親)は、「店を継いだものに、財産を譲る」と言っている。
(4)ボーイフレンド、つまり彼氏は、最近は、姉の方とデートしている。

●嫉妬

 こういう話を聞くと、乳幼児期の子育てがいかに重要かがわかってもらえると思う。
この時期の兄弟・姉妹関係が、そのままおとなになっても、尾を引く。
嫉妬がからんでいるだけに、それこそ相手を、殺す、もしくはその寸前のところまで発展する。
(実際、そういう例は少なくない。)

 原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

嫉妬について書いた原稿です。
中日新聞発表済み。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの嫉妬

 嫉妬はたいへん原始的な、つまり本能に根ざす感情であるだけに、扱い方をまちがえると、その子どもの人間性そのものにまで影響を与える。
「原始的」というのは、犬やネコをみればわかる。
犬やネコは、一方だけをかわいがると、他方ははげしく嫉妬する。
また「人間性」というのは、情緒面のみならず、精神面にも大きな影響を与えるということ。
そしてそれは多くのばあい、行動となって表れる。

 嫉妬が「内」にこもると、子どもはぐずったり、いじけたりする。
ひがみが強くなったり、がんこになったりする。

幼児のばあい、原因不明の身体の不調(発熱、下痢、嘔吐)を訴えることもある。
「外」に出ると、いじめや動物への虐待となることが多い。嫉妬がからんでいるばあいには、それが相手に向けられたときには、「殺す」というところまでする。残虐かつ陰湿になるのが特徴で、容赦しないのが特徴。

弟に向かって自転車で突進したケースや、弟を逆さづりにして頭から落としたケース、さらに妹の人形をバラバラにしてしまったケースや、妹をトイレに閉じ込めてしまったケースなどがある。

 一人、妹にお菓子と偽り、チョークを口の中に入れた女の子(小2)もいた。
また動物への虐待では、飼っていたハトの背中に花火をくくりつけ、ハトを殺してしまったケース、つかまえてきたカエルを地面にたたきつけて殺してしまったケースなどがある。

 ふつう子どもが理由もなく(また原因がはっきりしないまま)、ぐずったり、ふさいだりするときは、愛情問題を疑ってみる。
そういうときは抱いてみるとわかる。
最初は抵抗する様子を見せるかもしれないが、強引に抱き込んだりすると、そのまま静かに落ち着く。

 乳幼児期は、静かで穏やかな生活を大切にし、嫉妬と闘争心の二つはいじらないようにする。
中に、わざと子どもを嫉妬させながら、親への依存心をもたせる人がいる。
一昔前の親がよく使った方法だが、依存心をもたせるという意味で、好ましくないことは言うまでもない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●いろいろなケース

 「嫉妬がからんでいるだけに、ことはたいへんやっかいです」と、私は答えた。
それに財産問題も、からんでいる。
(財産)イコール、(欲望の追求)と考えてよい。
こうなると、さらに、やっかい。
一筋縄では行かない。

 私は今までに知ったケースをいくつか、話してやった。

(1)財産(土地)をきちんと2等分したのだが、今度は南側の土地、北側の土地で、けんかになってしまった姉妹。
(2)娘の夫たち(夫には相続権はない)まで加わってきて、玄関先で毎週のように、大げんかした兄弟・姉妹。
(3)古い例では、『ブーリン家の姉妹』がある。
映画にもなっている。

●『ブーリン家の姉妹』

 映画『ブーリン家の姉妹』の映画案内には、つぎのようにある。

『……16世紀のイングランド。
新興貴族のトーマス・ブーリン卿は一族繁栄のために才気あふれる美しい娘アンを国王ヘンリー8世の愛人に差し出すことを目論む。
ところが、王の心を捉えたのはアンの妹で凡庸だが気立ての良いメアリーだった。
一家は宮中に移り住み……』と。

 イギリス王室にも、そんな暗い歴史がある。

 で、一度こうした確執ができると、それを解きほぐすのは、ほぼ不可能と考えてよい。
姉妹でも、他人以上の他人になる。

 ではどうするか?

●「流れ」

 この種の問題は、(流れ)に任すしかない。
『時は心の癒し人』(はやし浩司)だが、その「時」にも、手に負えないときがある。
で、そういうときは、(流れ)に任す。
流れに任せておくと、やがて水がより下を求めて流れていくように、自然な形で解決する。
親が介入すると、かえって火に油を注ぐようなことになりかねない。

 姉妹関係は壊れたまま。
姉とボーイフレンドが結婚するようなことにでもなれば、さらに壊れる。
そうなればなったで、もうどうしようもない。
この先もずっとそうと、あきらめる。
『あきらめは悟りの境地』(はやし浩司)ともいう。
コツは双方の聞き役に回り、親が意見を言ったり、結論を出してはいけない。
成り行きに任せれば、姉妹双方で、何らかの結論を出す。
あとは、それに従う、と。

 運命というのは、そういうもの。
無数の糸が、複雑にからみあいながら、その人の人生を決める。
「家」にしても、そうだ。
家の運命も、それで決まる。

 ……ということで、今朝はここまで。
昨夜、ワイフが食パン製造器をセットした。
そのにおいが、この2階にある書斎まで入ってきた。
「8時30分にセットしたはず」と。
今、時計を見るとその8時半。
台所のほうで、カチャカチャと器具を外す音がする。

 では今朝はここまで。
2012/01/09朝記

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

『時は心の癒し人』『あきらめは悟りの境地』について書いた
原稿を探してみます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●『時は心の癒し人』(2003年07月15日記)

●子育て随筆byはやし浩司(978)

A市にお住まいの、Bさんからのメール

先日、A市での講演会に行かせていただきました。HPも見させていただき、色々思う事がありました。

私の兄は公務員で一人暮らし、二年ほど前に神経症になりました。
ある日、兄から電話があり、「お父さんが俺の仕事場の上司に俺の話をしているみたいだか
ら、上司に電話したりするのはやめるように言ってくれ……」ということでした。
私は実家に帰ったときに早速その話をしました。

父は「おかしいな。そんな話したことないのに……」と言い、その返事も兄に伝えました。

それからも何度かそんな内容の電話が兄からかかってきましたが、父の返事は変わりませんでした。

そんな電話から三か月くらいあとだったでしょうか、四国に旅行中の両親から電話があり「KK(兄)が調子悪くなって家に帰っているみたいだから、様子見てきて!」という事だったので実家に行ってみたところ、生気のない兄が母達が留守だった為、雨戸も開けずに暗い家の中にいました。

話しを聞けば病院で神経症と診断され、仕事を二週間休んできたという事でしたが、私にはとても二週間で復帰できるような状態でないことがわかりました。旅行中の両親も旅行をとりやめ帰宅。

その後は、もう大変でした、毎日のように母が泣いて電話をしてきたり、逃げるようにして父が私の家に来たり……。

兄は乱暴ではなく、とにかく元気がない状態。目の感じが違っていました。
仕事を休み始めた当初は私を呼びだし「俺、ホントに頭がおかしくなるかもしれないから、後は頼むな……。」

と言われた事もあります。「それだけ分かってるなら、頭おかしくないよ! 頭おかしい人はそんな事言わない」と返事しましたが、その返事も、それで良かったのか悪かったのか……。

どんな治療をしたかは、私は詳しく聞きませんでしたが「病院かえた方がいいかな?」とか、「この薬は普通こういう病気では処方されないらしい……」とか、とにかく、何もかもに神経質になっているのがわかりました。

あの時のおかしな電話の事もこれだったんだ……と後からわかりました。被害妄想のようなものだったようです。

「役所でみんなが俺の話をしてる。」とか「噂されてる。」とか色々言っていました。
結果、仕事場に行くとパニック症状が起きてしまい、どうにもならなくなり自分から病院に行ったようでした。

HPに、チックの事や神経症の事が書いてあるのを見て思い出したのですが、兄は小学校の頃チック症状で、目をぱちぱちさせていました。
それを母がとても気にしていました。

兄は昔からすくお腹が痛くなったり、頭が痛くなったりしていました。誰かが病気になると自分も調子が悪くなったような気がする……とか、とにかく変わった人でした。そして、神経症と診断されてから一年後、軽い鬱病だった……という診断にかわり(?)ましたが、とりあえず仕事に復帰出来る状態にまで回復し、今は部所を変えていただき、実家からなんとか仕事に通っています。

チックに始まり、三四歳で神経症。同じ家庭環境に育った私は何事もなく過ごしています。
今、私には、年中児の息子と五年生の息子、中三の息子がいますが、子育てにおいてあれこれ真剣に考えることもなく過ごして来たような気がします。

でも兄をみて、HPをみて、小さい頃のささいな事と思えたものが、その後大きな問題に発展してしまう恐怖を感じました。

長男はたまに寝言を言うし、一年前までおねしょ(年に一回くらい)しました。
実は、それも何かのサインだったのかと思うとドキドキします。

数日前、私の親類の子供が、脳炎を起こしました。結果、大脳がほとんどやられてしまっていて、治療の方法がない……と言うことでした。お見舞いに行きましたが、いとこは泣いていました。
かける言葉も見つからない状態です。

そんなこともあって、「おまえは生きているだけでいい……」という言葉が耳から離れません。

+++++++++++++++++++

【はやし浩司より、Bさんへ】

 講演をしていて、一番、気をつかうのは、聞きにきてくれた人に、不安感を与えないということです。もし私の講演が、Bさんを不安にしてしまったようでしたら、どうかお許しください。

 率直に言って、一つの講演の中でも、私は無数の話を織りまぜます。
で、そういう話のひとつずつに、それぞれの人が、まったく別の反応を示します。
ときに、私がまったく予期しないところで、まったく考えもおよばなかった反応を示す人もいます。
実のところ、Bさんがそうで、私は、申し訳ない気持ちで、いっぱいです。できれば楽しく、ハハハと笑っていただければよかったのですが……。
しかし私の話は、いつも暗いですね。申しわけありませんでした。

 が、私がここで答えられる部分は、「長男はたまに寝言を言うし、一年前までおねしょ(年に一回くらい)しました。
実は、それも何かのサインだったのかと思うとドキドキします」という部分だ
けです。
 
 これについては、寝言にしても、「たまに」ということですし、おねしょも、終わっているという点で、もう心配する必要はないと思います。
それに寝言にせよ、おねしょにせよ、ほとんどの子どもが経験することで、大きな問題ではありません。

 ただ子どもを包む環境が、神経質になっていないかは、反省してみてください。
コツは、子ども自身が安心して休めるような、時と場所を、家庭の中に用意することです。
子どもを、温かく包むように、無視する。
子どもの側から見て、親の視線を感じさせないようにします。

 こういうケースでは、Bさん自身が、問題そのものに気づいておられますので、少し時間はかかりますが、それで問題は解決します。
どうか自分を信じてみてください。

 で、話を戻します。

 お兄さんの件ですが、どの家庭も、外から見ると、うまくいっているように見えますが、それぞれ似たような問題をかかえています。
ほとんどが、そうではないかと思います。
みんなある意味で、懸命に、そして必死に、そうした問題と戦っています。
ですから、決して「自分だけが……」と思ってはいけません。
思う必要も、ありません。

 心だって、たまには病気になるのです。
ただふつうの、つまり風邪や肺炎のような体の病気と違うところは、心の病気は、外から見えにくいということ。
それにたいてい長期にわたるということです。
こじらせれば、一生つづくということも、珍しくありません。

 だから心が病気になったからといって、深刻になること自体、おかしいのです。
しかもこの種の「心の病気」は、まじめな人ほど、なります。
もっとわかりやすく言えば、そうなったとしても、基本的には、その人を取り巻く、社会や環境のほうが、おかしいのです。
脳に機質的な問題があれば、話は違いますが、機能的問題であれば、今、ほとんどの病気は治るという時代です。

 かく言う私も、過去において、何度か、人生そのものに絶望したことが、あります。
人前では、いつも明るく振る舞っている私ですが、実のところ、心はボロボロ。
私ほど、心の病気のデパートのような人間は、少ないと思います。
よく私は、「あらゆる精神病を、広く浅くもっている」と冗談ぽく言いますが、それはまちがっていません。

 また生まれながらにして(?)、家庭問題のいざこざには、常に悩まされました。
実のところ、今も悩まされています。
しかし私のばあいは、どれも長期で、もうなれたというか、あきらめたというか、そういう状態になっています。
またそういう私を悪く言う人もいますが、「勝手にどうぞ」という心境です。

 Bさんについても、今さら過去をほじくりかえしても、意味はありませんし、今の問題がどうかなることもありません。
しかたないのです。
みんな、懸命に生きていても、どこかで穴があき、そこから水が漏れることだってあるのです。懸命に生きていても、どうにもならない問題が、起きるときには、起きるのです。

 ここで大切なことは、仮にそういう問題が起きたとしても、それは私やあなたの問題ではないということです。
それが人間が、人間であるがゆえに、つまりは生きることにまつわる限界のようなものです。
そんなわけで、つぎに大切なことは、そういう問題が起きたとしても、それはそのまま、受け入れるということです。
まさに「なるようになれ!」と自分に言ってきかせることです。

 この言い方は、一見、無責任な言い方に見えるかもしれませんが、あのジョン・レノンも、『レット・イット・ビー』の中で、そう歌っています。
「♪レット・イット・ビー(あるがままにせよ)」と。
実のところ、私もずっと、そうしてきました。ものごとというのは、なるときには、放っておいても、なる。
しかしならないときは、がんばっても、ムダ……ですね。
とくに心の病気について言えば、そうではないでしょうか。

 ただお母さんの態度は、あまりほめられたものではありません。
娘のあなたに、「その後は、もう大変でした、毎日のように母が泣いて電話をしてきたり、逃げるようにして父が私の家に来たり……」とは?

 「逃げるようにして……」というのは、お父さんが、お母さんから、「逃げる」という意味でしょうか。
こういうケースでは、一番、自分を律しなければならないのが、お母さんなのですが……。
少し残念ですね。
お母さん自身が、あなたのお兄さんを、まったく受け入れていないばかりか、そうした態度が、お兄さんのみならず、あなたをも苦しめていることに気づいていない?
 またあなたのメールだけで、こう結論づけるのは、危険なことかもしれませんが、お兄さんが子どものころ見せた、いろいろな神経症による症状(チックなど)の原因も、お母さんにあったのではないかということです。
こういうケースでは、母親の態度というか、姿勢が、一番、重要なカギを握ります。
そのお母さんが、こうまで動揺してはいけません。

 ……と、ほとんど回答になっていない返事で、ごめんなさい。ただ言えることは、ことあなたについて言うなら、『時は、心の癒し人』ということです。
時間が解決してくれます。時間がたつと、あなた自身が、周囲を受け入れ、そして心穏やかになります。こういうときは、あせって、あれこれしないほうがよいです。
じっとがまんします。(もちろんそれでお兄さんが、よくなるとかということではありませんが……。あくまでも、あなた自身の問題が、です。)

 最後に、お兄さんがそうだったからといって、あなたのお子さんが、そうなるということは絶対にありません。
どうか過剰に不安になったり、心配したりしてはいけません。
一つだけ心配される点について、書いておきます。

 あなたのお母さんとあなたのお兄さんの関係においてですが、あなたのお母さんは、お兄さんを、全幅には受け入れてはいなかった? 
それが今いる、「お兄さん」をつくったと考えられます。
いろいろ事情があったのでしょう。
だからあなたのお母さんを責めても意味はありません。

 ただそういう関係、つまりあなたのお母さんのもつ、子育て観が、今のあなたの影響を与えている可能性はあります。
これを心理学では、世代伝播とか連鎖とか言います。つまり子育ては繰りかえすということです。

 そこでこれはあなたにとって、たいへんつらいことかもしれませんが、「母親である」という虚像というか、偶像を排除して、一度、あなたのお母さんを、一人の人間として、冷静に判断してみてください。
そしてあなたのお母さんのもつ、人間的な欠陥というか、精神的な未完成部分というか、はたまた情緒的な未熟性というか、そういうものを、冷静に判断してみてください。

 そしてそれに気づいたら、あなた自身は、それを繰りかえさないようにします。あなたの子どもに対して、です。
そこだけを注意すれば、もう心配はありません。ほとんどの人は、それに気づかないまま、同じことを繰りかえします。
どうかご注意ください。
繰りかえしますが、だからといって、あなたのお母さんを責めても意味はありません。
多分、もうかなりの年齢の方だと思います。
人間も、満四五歳前後を境に、あとは、急速に、人間的な進歩をやめます。
ばあいによっては、そのころを境に、退化します。
年配だから、人間的にもすぐれているだろうと考えるのは、幻想以外の何ものでもないということです。

 では、今日は、これで失礼します。また何かあれば、ご連絡ください。なおあなたからのメールは、このような形で、マガジンに転載させていただきますが、よろしくご了解ください。勝手なお願いですみません。よろしくお願いします。
(030715)

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●あきらめは悟りの境地(中日新聞にて発表済み)

 子育てをしていて、あきらめることを恐れてはいけない。
子育てはまさに、あきらめの連続。
またあきらめることにより、その先に道が開ける。もともと子育てというのはそういうもの。

 一方、「そんなはずはない」「まだ何とかなる」とがんばればがんばるほど、子育ては袋小路に入る。
そしてやがてにっちもさっちもいかなくなる。
要はどの段階で、親があきらめるかだが、その時期は早ければ早いほどよい。
……と言っても、これは簡単なことではない。
どの親も、自分で失敗(失敗という言葉を使うのは適切でないかもしれないが)してみるまで、自分が失敗するとは思っていない。
「うちの子にかぎって」「私はだいじょうぶ」という思いの中で、行きつくところまで行く。
また行きつくところまで行かないと気がつかない。

 要は子どもの限界をどこで知るかということ。
それがわかれば親も納得し、その段階であきらめる。
そこで一つの方法だが、子どもに何か問題が生じたら、「自分ならどうか」「自分ならできるか」「自分ならどうするか」という視点で考える。
あるいは「自分が子どものときはどうだったか」と考えるのもよい。
子どもの中に自分を置いて、その問題を考える。

たとえば子どもに向かって、「勉強しなさい」と言ったら、すかさず、「自分ならできるか」「自分ならできたか」と考える。
それでもわからなければ、こういうふうに考えてみる。

 もしあなたが妻として、つぎのように評価されたら、あなたはそれに耐えられるだろうか。

「あなたの料理のし方、76点。
接客態度、54点。
家計簿のつけ方、80点。主婦としての偏差値48点。
あなたにふさわしい夫は、○○大学卒業程度の、収入○○万円程度の男」と。

またそういうあなたを見て、あなたの夫が、「もっと勉強しろ」「何だ、この点数は!」とあなたを叱ったら、あなたはそれに一体どう答えるだろうか。
子どもが置かれた立場というのは、それに近い。

 親というのは身勝手なものだ。
子どもに向かって「本を読め」という親は多くても、自分で本を読んでいる親は少ない。
子どもに向かって「勉強しろ」という親は多くても、自分で勉強する親は少ない。
そういう身勝手さを感じたら、あきらめる。

そしてここが子育ての不思議なところだが、親があきらめたとたん、子どもに笑顔がもどる。
親子のきずながその時点からまた太くなり始める。
もし今、あなたの子育てが袋小路に入っているなら、一度、勇気を出して、あきらめてみてほしい。
それで道は開ける。

(以上、2012/01/09記)
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

**********以上、はやし浩司 2012年01月09日**********


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