●マガジン(6-14)右脳教育
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彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 6月 14日号
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★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★SD教育への疑問
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【BW子どもクラブ】(BW教室)
●5月13日のレッスン
昨日、OBの子どもの、Yさんが、BW教室に入会してくれた。
小学1年生の子どもである。
現在、OBの子どもが、20%ほどいる。
自分がお父さん、お母さんになり、その子どもを私の教室によこしてくれる。
私は不運にも(?)、孫がいても、自分の孫を教えることはできない。
これから先も、ないだろう。
だから生徒を自分の孫と思いながら、教える。
少しさみしいが、教室で子どもたちの顔を見たとたん、そのさみしさが消える。
だから今はもう、「教えてやろう」などという気持ちは、ない。
「子どもたちといっしょに、楽しもう」という気持ちだけ。
教える側が楽しめば、その気持ちは、そのまま子どもたちに伝わる。
それが子どもたちを前向きに伸ばす。
子どもたちの楽しそうな顔を見るのが、何よりも、うれしい。
楽しい。
「幼児教室」というと、いろいろな誤解がある。
「幼児を苦しめる教室」というイメージも強い。
しかしこと私の教室(BW子どもクラブ・BW教室)について言えば、いやがって
来る子どもはいない。
毎回、みな、その日を楽しみにして、来てくれる。
最初は警戒してくる子どもも、1~2か月もすると、私といっしょにゲラゲラと
笑い出す。
ウソだと思うなら、YOUTUBEを見たらよい。
YOUTUBEを見てから、私の教室を批判したらよい。
【BW公開教室】
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より、どうぞ!
【5月13日のレッスンより】
はやし浩司のHP ……→「公開教室」
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【3】(【SD式教育メソドへの疑問】
●乗馬マシン
昨日、乗馬マシンが届いた。
ネットで購入した。
庭の見える窓際に置いた。
またがって座ると、まるで馬に乗っているかのような動きをする。
前後・左右の動きに合わせて、さらにひねりや回転運動まで加えてくれる。
手綱をつかみながら、その上でバランスを取る。
乗りながら、こんなことを考えた。
「パカパカ……」という音が出れば、もっとよい。
ついでに横に、銃を入れるホルダーでもあれば、もっとよい。
気分は最高。
まるでカウボーイ(クリント・イーストウッド)にでもなったような気分。
驚いたのは、15分もすると、ただ座っていただけなのに、
背中に汗がジワーッと出てきたこと。
腰、背中の運動になっているらしい。
ついでに腸の運動にも。
生徒の親の中にも、乗馬マシンをもっている人は多い。
そういう生徒に、「お父さんやお母さんは、使っている?」と聞いてみた。
ほとんどが「よく使っている」と答えた。
同じ健康器具でも、すぐあきてしまうものもあれば、習慣的に使うようになるものもある。
乗馬マシンは、習慣化しやすい健康器具ということになる。
これからは、ウォーキングマシンで、10~20分、運動したあと、つづいて
乗馬マシンで運動することにした。
今日でまだ2日目だが、仲よくなれそう。
またがって乗っているだけで、楽しい。
外をながめているだけで、楽しい。
●映画『グリーン・ゾーン』
久々に迫力のある戦争映画を観た。
『グリーン・ゾーン』。
星は4つの、★★★★。
動きが激しいので、老人向けではない。
しかしボケ防止には、よい。
今夜は、「1000円DAY」(毎月14日は、入場料が1000円)
ということで、結構、混んでいた。
●パキスタン
映画の帰りに、友人が経営している、パキスタン料理の店に寄った。
「カラワン」という店。
星はもちろん、★★★★★。
そのカラワン。
しばらく休業していた。
友人が、生まれ故郷のパキスタンに、しばらく帰省していたため。
その友人が、こんな話をしてくれた。
「パキスタン人は、働かない」と。
私「働かないってエ?」
友「その日一日、食べていかれるだけのお金が手に入れば、それでいいと考える」
私「貯金は?」
友「パキスタン人は、しない。貯金するという考え方そのものがない」
私「家は、どうするの? 家を買うときは?」
友「家は、ある」
私「フ~~ン」と。
パキスタン人は、会社勤めをしない。
組織に入って、働いて、給料をもらうという考え方そのものがない。
「みな、お金がなくなると、何とか働いて、それでおしまい」と。
私「驚いたか?」
友「驚くって? ぼくはパキスタンで生まれ育ったから、驚かないよ」
私「日本人は、どこかの組織に属していないと、落ち着かない」
友「日本人は、そうだね。パキスタン人には、理解できない」と。
国がちがうと、基本的な意識そのものがちがう。
考え方そのものも、ちがう。
言うなれば、パキスタンでは、その日暮らしのフリーターが、主流。
それがふつう。
日本人の意識は、けっして世界の標準でもないし、常識でもない。
むしろ異質。
江戸時代の昔からの、身分制度そのものが、亡霊のように、いまだにのさばっている。
店から出たとき、そんなことを考えた。
●低劣な人
おととい、バスに乗った。
うしろに座った、2人の女性の会話が聞こえてきた。
年齢は、ともに65歳くらい。
例によって、例のごとく、低劣な話。
2人の女性を、AとBにしておく。
A「弟が母を介護しているんだけどね、介護士の人に聞いたら、月に1、2度しか
見舞いにこないんだってエ」
B「月に、1、2度? 少ないわねエ……」
A「でね、私、母のベッドのふとんをめくってみたら、ズボンがクルクルとまるめて、
ペッタンコになっていたの。
あの嫁さん、母のめんどうを、ぜんぜん、みていないみたい」と。
話の内容からすると、Aという女性の母親は、現在、特別養護老人ホームに入居して
いるらしい。
その母親を、Aという女性の弟夫婦が引き取って、めんどうをみているらしい。
それについて、Aという女性が、Bという女性に、グチをこぼしていた。
が、この話を聞いたとき、あまりの低劣さで、気分が悪くなった。
その第一。
「弟が、月に何回見舞いに来るか、それをスパイする姉など、いるのだろうか」と。
その「聞く」という行為そのものが、低劣。
その第二。
「老人ホームで、ふとんをめくって、その下を確かめるような人はいるのだろうか」と。
その「ふとんをめくって調べる」という行為そのものが、低劣。
話の内容もさることながら、それから感ずる人間性そのものが、低劣。
それに答えて、Bという女性が、「そうよねエ」「そうよねエ」と。
類は友を呼ぶということか。
Aという女性も低劣だが、Bという女性も低劣。
こうして人は、老後に向かって、低劣になっていく。
否応なしに、低劣になっていく。
みながみな、そうなるわけではないが、脳みそが萎縮し始めると、そうなる。
Hiroshi Hayashi+教育評論++May.2010++幼児教育+はやし浩司
【SD式教育メソドへの疑問】
+++++++++++++++++
「右脳教育」という、「エセ科学」とまでは
言えなくても、まだ安全性が確認されて
いない教育法(?)が、一時期、一世を風靡
した。
ネコもシャクシも、「右脳」「右脳」と騒いだ。
今も、その信奉者は多い。
が、右脳教育に疑問をもつ学者は、少なくなかった。
で、それから10数年。
そろそろその「結果」が出てくるころだが、
果たしてそれだけの「成果」はあったのだろうか。
以前、私が書いたエッセー(中日新聞)を、
もう一度、読んでほしい。
(2010-5-15)
++++++++++++++++++
●ギャグ化する子どもの世界
+++++++++++++
「IQサプリ」という言葉がある。
いわば、「トンチ」のことだが、
そのトンチが、明らかに子どもたちの
世界を侵襲し始めている。
わかりやすく言えば、子どもたち
の世界も、ギャグ化し始めている。
たとえば作文を書かせても、
「ぼくの夢は、ゴジラと戦って、
ゴジラの肉を食べること」などと、
平気で書いたりする。
昨日も、こんなことがあった。
+++++++++++++
【問】
14人の友だちに、4分以内で連絡が届くように、連絡網をつくりたいと思っています。
連絡は、電話でします。また電話は、1人、1分かかるものとします。どのような連絡網
を作ればよいですか。(たとえば、A→Bで、1分。B→Cで、1分、計2分……かかりま
す。)(浜松市内N高校中等部・07年出題問題より)
この問題を、小5の子どもたちにやらせてみた。学校ではみな、トップクラスの子ども
たちである。が、この問題を出すやいなや、みなが、こう言い始めた。
A「電話を14台、もってくればいい」
B「でも、やっぱり、14分、かかってしまう」
A「だったら、3分以内に、みなに電話をかけ、受話器を並べておいて、残りの1分で、
大声で、しゃべればいい」
C「電話を14台も、もってこれないよ」
A「どこかの病院の電話を借りればいい。病院になら、電話がたくさんある」と。
つまり数学の問題ですら、彼らはすぐギャグ化してしまう。
私「もう少し、まじめに考えろ!」
D「だったら、1分もかけないで、早口で、30秒ですませばいい」
私「これはそういう問題ではないの!」
A「私だったら、早口だから、30秒で、できる」
私「だったら、答にそう書けばいい。ぼくがバツをつけてあげる」
D「どうしてバツなの?」と。
多くの人は、思考と情報を混同している。情報量の多い子どもを、「賢い子ども」と錯覚
している。さらにこうしたトンチ的発想のできる子どもを、「賢い子ども」と錯覚している。
何度も書くが、思考力は、分析力と論理力で決まる。子どもたちが言っていることは、
論理ではなく、トンチである。トンチは、「頓知」と書く。国語大辞典には、「即座の知恵、
機転、機知、ウィット=quick wit」とある。
子どもの賢さは、(おとなの賢さもそうだが)、思考力で決まる。トンチではない。思考
力である。トンチなら、まだよいが、それが最近では、ここにも書いたように、ギャグ化
している。つまりものごとを、まじめに考えようとする前に、それを茶化してしまう。
で、私は、本気で怒った。
私「お前たち、もっとまじめに考えろ。電話は1台しかない。連絡するのに、1人、1分、
かかる。それが条件だ」
A「もし、友だちが、外出していたら、どうするの?」
私「そういう偶然性は、考えないの。もし外出していたら、留守番電話に伝言を残してお
けばいい」
A「留守番電話がなかったら?」
私「そんなこと、知らない。だまって考えろ!」と。
こうした傾向は、冒頭に書いた、「IQサプリ」という言葉が耳に入るようになってから、
大きくなった。ある時期は、毎晩のように、こうした番組がテレビで流されるようになっ
た。たしかに頭の体操にはなるだろう。しかしだからといって、つまりそれを繰りかえし
たからといって、「賢い子ども」には、ならない。
それに(機転)程度のことだったら、私の飼っている犬のハナにだって、できる。追い
かけていたトカゲが柵の中にもぐったようなとき、ハナは、先回りして、柵の向こうへ行
く。が、そういうことができるからといって、私は、ハナに思考力があるとは思わない。
頭はよいが、それと思考力とは、まったく異質のものである。
それがわからなければ、最初の問題を、あなた自身で解いてみたらよい。かなり難解な
問題である。
たとえば……
(A)→(B)→(C)→(D)→(E)で、4分、かかる。
そこで、
(A)→(B)→(C)→(D)→(E)
↓ ↓ ↓ ↓
(F)→……
↓
(G)
↓
(H)
……というように連絡網をつくっていく。たいていの人は、この段階で、「ああでもない」
「こうでもない」と頭をかかえ始めるだろう。つまりその(苦しみ)こそが、思考の特徴
ということになる。条件といってもよい。最近の子どもたちは、その苦しむということを
しない。あるいは、それを意図的に避けようとする。
その結果が……。話が飛躍するが、大阪府の元知事の、横山N氏であり、宮崎県の知事
の、S氏ということになる。昨日も、こんなニュースが伝わってきた。
自民党の総裁選挙で敗れたA氏は、こう言ったという。「これから家に帰って、たまった
コミック本(ゴルゴ13)を、みんな読む」と。政治そのものが、ギャグ化している。が、
悲しいかな、日本全体がギャグ化しているから、それをギャグとは、だれも気づかない。
日本人、1億、総ギャク化!、……と、子どもたちを見ながら、私は、そんなことを考
えていた。
+++++++++++++++
これに関連して、以前書いた
原稿を、ここに添付します。
+++++++++++++++
●右脳教育
++++++++++++++++++++++
右脳教育は、果たして安全なのでしょうか?
まだその安全性も、確認されていない段階で、
幼児の頭脳に応用する危険性。みなさんは、
それを、お考えになったことがありますか。
たった一晩で、あの百人一首を暗記してしま
った子ども(小学生)がいました。
しかしそんな能力を、本当にすばらしい能力
と安易に評価してよいのでしょうか。
ゲームづけになった子どもたち。幼いころか
らテレビづけになった子どもたち。今さら、
イメージ教育は必要ないと説く学者もいます。
それに右脳と左脳は、別々に機能しているわけ
ではありません。その間は、「交連繊維」と呼ば
れる神経線維で結ばれ、一番大きな回路である、
「脳梁(のうりょう)」は、2億本以上の繊維
でできています。
右脳と左脳は、これらの繊維をとおして、交互
に連絡を保ちながら、機能しています。
脳のしくみは、そんな単純なものではないよう
です。
そうそう、言い忘れましたが、一晩で百人一首
を暗記したのは、あの「少年A」です。
イメージの世界ばかりが極端にふくらんでしま
うと、どうなるか。そのこわさを、少年Aは、
私たちに教えてくれました。
++++++++++++++++++++++++
アカデミックな学者の多くは、「右脳教育」なるものに、疑問を抱いています。渋谷昌三
氏もその1人で、著書「心理学」(西東社)の中で、こう書いています。
「なにやら、右脳のほうが、多彩な機能をもっていて、右脳が発達している人のほうが、
すぐれているといわんばかりです。
一時巻き起こった、(現在でも信者は多いようですが)、「右脳ブーム」は、こういった理
論から生まれたのではないでしょうか。
これらの説の中には、まったくウソとはいえないものもありますが、大半は科学的な根
拠のあるものとは言えません」(同書、P33)。
++++++++++++++++++++++++++
●右脳教育への警鐘
論理的な思考力をなくす子どもたち。ものの考え方が直感的で飛躍的。今、静かにもの
を考えられる子どもが、少なくなってきています。
そうした危惧感を覚えながら書いたのが、つぎの原稿です(中日新聞発表済み)。
+++++++++++++++++++++
親が右脳教育を信奉するとき
●左脳と右脳
左脳は言語をつかさどり、右脳はイメージをつかさどる(R・W・スペリー)。その右脳
をきたえると、たとえば次のようなことができるようになるという(SD眞氏)。
(1)インスピレーション、ひらめき、直感が鋭くなる(波動共振)、
(2)受け取った情報を映像に変えたり、思いどおりの映像を心に描くことができる(直
観像化)、
(3)見たものを映像的に、しかも瞬時に記憶することができる(フォトコピー化)、
(4)計算力が速くなり、高度な計算を瞬時にできる(高速自動処理)など。こうした事
例は、現場でもしばしば経験する。
●こだわりは能力ではない
たとえば暗算が得意な子どもがいる。頭の中に仮想のそろばんを思い浮かべ、そのそろ
ばんを使って、瞬時に複雑な計算をしてしまう。あるいは速読の得意な子どもがいる。読
むというよりは、文字の上をななめに目を走らせているだけ。それだけで本の内容を理解
してしまう。
しかし現場では、それがたとえ神業に近いものであっても、「神童」というのは認めない。
もう少しわかりやすい例で言えば、一〇〇種類近い自動車の、その一部を見ただけでメー
カーや車種を言い当てたとしても、それを能力とは認めない。「こだわり」とみる。
たとえば自閉症の子どもがいる。このタイプの子どもは、ある特殊な分野に、ふつうで
ないこだわりを見せることが知られている。全国の電車の発車時刻を暗記したり、音楽の
最初の一小節を聞いただけで、その音楽の題名を言い当てたりするなど。つまりこうした
こだわりが強ければ強いほど、むしろ心のどこかに、別の問題が潜んでいるとみる。
●論理や分析をつかさどるのは左脳
そこで右脳教育を信奉する人たちは、有名な科学者や芸術家の名前を出し、そうした成
果の陰には、発達した右脳があったと説く。しかしこうした科学者や芸術家ほど、一方で、
変人というイメージも強い。つまりふつうでないこだわりが、その人をして、並はずれた
人物にしたと考えられなくもない。
言いかえると、右脳が創造性やイメージの世界を支配するとしても、右脳型人間が、あ
るべき人間の理想像ということにはならない。むしろゆっくりと言葉を積み重ねながら(論
理)、他人の心を静かに思いやること(分析)ができる子どものほうが、望ましい子どもと
いうことになる。
その論理や分析をつかさどるのは、右脳ではなく、左脳である。
●右脳教育は慎重に
右脳教育が脳のシステムの完成したおとなには、有効な方法であることは、私も認める。
しかしだからといって、それを脳のシステムが未発達な子どもに応用するのは、慎重でな
ければならない。脳にはその年齢に応じた発達段階があり、その段階を経て、論理や分析
を学ぶ。右脳ばかりを刺激すればどうなるか? 一つの例として、神戸でおきた『淳君殺
害事件』をあげる研究家がいる(福岡T氏ほか)。
●少年Aは直観像素質者
あの事件を引き起こした少年Aの母親は、こんな手記を残している。いわく、「(息子は)
画数の多い難しい漢字も、一度見ただけですぐ書けました」「百人一首を一晩で覚えたら、
五〇〇〇円やると言ったら、本当に一晩で百人一首を暗記して、いい成績を取ったことも
あります」(「少年A、この子を生んで」文藝春秋)と。
少年Aは、イメージの世界ばかりが異常にふくらみ、結果として、「幻想や空想と現実の
区別がつかなくなってしまった」(同書)ようだ。
その少年Aについて、鑑定した専門家は、「(少年Aは)直観像素質者(一瞬見た映像をま
るで目の前にあるかのように、鮮明に思い出すことができる能力のある人)であって、(そ
れがこの非行の)一因子を構成している」(同書)という結論をくだしている。
要はバランスの問題。左脳教育であるにせよ右脳教育であるにせよ、バランスが大切。
子どもに与える教育は、いつもそのバランスを考えながらする。
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●才能とこだわり
自閉症の子どもが、ふつうでない「こだわり」を見せることは、よく知られている。た
とえば列車の時刻表を暗記したり、全国の駅名をソラで言うなど。車のほんの一部を見た
だけで、車種からメーカーまで言い当てた子どももいた。クラッシック音楽の、最初の一
小節を聞いただけで、曲名と作曲者を言い当てた子どももいた。
こうした「こだわり」は、才能なのか。それとも才能ではないのか。一般論としては、
教育の世界では、たとえそれが並はずれた「力」であっても、こうした特異な「力」は、
才能とは認めない。たとえば瞬時に、難解な計算ができる。あるいは、20ケタの数字を
暗記できるなど。あるいは一回、サーッと曲を聞いただけで、それをそっくりそのまま、
ピアノで演奏できた子どももいた。
まさに神業(わざ)的な「力」ということになるが、やはり「才能」とは認めない。「こだ
わり」とみる。
たとえばよく知られた例としては、少し前、話題になった子どもに、「少年A」がいる。
あの「淳君殺害事件」を起こした少年である。彼は精神鑑定の結果、「直観像素質者※」と
鑑定されている。直観像素質者というのは、瞬間見ただけで、見たものをそのまま脳裏に
焼きつけてしまうことができる子どもをいう。
少年Aも、一晩で百人一首を暗記できたと、少年Aの母親は、本の中で書いている(「少年
A、この子を生んで」文藝春秋)。そういう特異な「力」が、あの悲惨な事件を引き起こす
遠因になったとされる。
と、なると、改めて才能とは何かということになる。ひとつの条件として、子ども自身
が、その「力」を、意識しているかどうかということがある。たとえば練習に練習を重ね
て、サッカーの技術をみがくというのは才能だが、列車の時刻表を見ただけで、それを暗
記できてしまうというのは、才能ではない。
つぎに、才能というのは、人格のほかの部分とバランスがとれていなければならない。
まさにそれだけしかできないというのであれば、それは才能ではない。たとえば豊かな知
性、感性、理性、経験が背景にあって、その上ですばらしい曲を作曲できるのは、才能だ
が、まだそうした背景のない子どもが、一回聞いただけで、その曲が演奏できるというの
は、才能ではない。
脳というのは、ともすれば欠陥だらけの症状を示すが、同じように、ともすれば、並は
ずれた、「とんでもない力」を示すこともある。私も、こうした「とんでもない力」を、し
ばしば経験している。印象に残っている子どもに、S君(中学生)がいた。
ここに書いた、「クラッシック音楽の、最初の一小節を聞いただけで、曲名と作曲者を言い
当てた子ども」というのが、その子どもだが、一方で、金銭感覚がまったくなかった。あ
る程度の計算はできたが、「得をした」「損をした」「増えた」「減った」ということが、ま
ったく理解できなかった。
1000円と2000円のどちらが多いかと聞いても、それがわからなかった。100
0円程度のものを、200円くらいのものと交換しても、損をしたという意識そのものが
なかった。母親は、S君の特殊な能力(?)ばかりをほめ、「うちの子は、もっとできるは
ず」とがんばったが、しかしそれはS君の「力」ではなかった。
教育の世界で「才能」というときは、当然のことながら、教育とかみあわなければなら
ない。
「かみあう」というのは、それ自体が、教育できるものでなければならないということ。「教
育することによって、伸ばすことができること」を、才能という。が、それだけでは足り
ない。その方法が、ほかの子どもにも、同じように応用できなければならない。またそれ
ができるから、教育という。つまりその子どもしかできないような、特異な「力」は、才
能ではない。
こう書くと、こだわりをもちつつ、懸命にがんばっている子どもを否定しているように
とらえられるかもしれないが、それは誤解である。多かれ少なかれ、私たちは、ものごと
にこだわることで、さらに自分の才能を伸ばすことができる。
現に今、私は電子マガジンを、ほとんど2日おきに出版している。毎日そのために、数時
間。土日には、4、5時間を費やしている。その原動力となっているのは、実は、ここで
いう「こだわり」かもしれない。
時刻表を覚えたり、音楽の一小節を聞いただけで曲名を当てるというのは、あまり役にた
たない「こだわり」ということになる。が、中には、そうした「こだわり」が花を咲かせ、
みごとな才能となって、世界的に評価されるようになった人もいる。あるいはひょっとし
たら、私たちが今、名前を知っている多くの作曲家も、幼少年時代、そういう「こだわり」
をもった子どもだったかもしれない。そういう意味では、「こだわり」を、頭から否定する
こともできない。
(02ー11ー27)※
(はやし浩司 右脳教育 右脳教育への疑問 こだわり 少年A イメージが乱舞する子
ども 子供 才能とこだわり 思考のバランス (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評
論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 SD教育 右脳教
育への疑問)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
2005年に、静岡県教育委員会発行の
「ファミリス」に発表した原稿を、
再掲載します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●右脳教育ブームの中で
左脳は言語をつかさどり、右脳はイメージをつかさどる(スペリー)。その右脳をきたえる
と、たとえば次のようなことができるようになるという(SD氏)。
ひらめき、直感が鋭くなる(波動共振)、受け取った情報を映像に変えたり、思いどおりの
映像を心に描くことができる(直観像化)、見たものを映像的に、しかも瞬時に記憶するこ
とができる(フォトコピー化)、計算力が速くなり、高度な計算を瞬時にできる(高速自動
処理)など。
しかしこういう説に対して、疑問を投げかける学者も少なくない。目白大学の渋谷氏も
その1人で、著書「心理学」の中で、こう書いている。
『なにやら、右脳のほうが、多彩な機能をもっていて、右脳が発達している人のほうが、
すぐれているといわんばかりです。一時巻き起こった、(現在でも信者は多いようですが)、
「右脳ブーム」は、こういった理論から生まれたのではないでしょうか。これらの説の中
には、まったくウソとはいえないものもありますが、大半は科学的な根拠のあるものとは
言えません』と。
●だから、どうなの?
ときどき、右脳教育の成果(?)として、神業的な能力を示す子どもが紹介される。ま
さに神業。しかし「だからどうなの?」という部分がないまま、子どもにそういう訓練を
ほどこしてよいものか。はたしてそれが能力と言えるのか?
昔、「一晩で百人一首を覚えたら、5000円あげる」と母親に言われ、本当に、一晩で
暗記してしまった子どもがいた。その子どもというのは、あの忌まわしい殺人事件を起こ
した、「少年A」である。彼は専門家の鑑定により、「直観像素質者」という診断名がくだ
された。
イメージの世界ばかりが、極端にふくらんでしまい、空想と現実の世界の区別がつかな
くなってしまった子どもと考えるとわかりやすい。
●大切なのは、静かに考える子ども
右脳が創造性やイメージの世界を支配するとしても、右脳型人間が、あるべき人間の理想
像ということにはならない。むしろゆっくりと言葉を積み重ねながら(=論理)、他人の心
を静かに思いやること(=分析)ができる子どものほうが、望ましい子どもということに
なる。その論理や分析をつかさどるのは、右脳ではなく、左脳である。
で、今、その静かに考えることができる子どもが、むしろ減っているのではないか。私
は、個人的には、これだけ映像文化が発達しているのだから、あえて右脳を刺激しなくて
も、よいのではと考えている。
要はバランスの問題。右脳教育にせよ、左脳教育にせよ、いつもバランスを考えながら
する。
++++++++++++++++++
●絶えない疑問
ここにきて、SD式教育メソドに対する風当たりが、急速に強くなっている。
そうした傾向は、ネットを使えば、即時にわかる。
私には、これが一時的な現象なのか、それとも、右脳教育ブームに対する「揺り戻し」
なのか、判断できない。
ただ言えることは、教育には「正道」はあっても、それ以外の「道」はないということ。
それは健康法に似ている。
日々の肉体の鍛錬のみが、その人の健康を保証する。
つまり、まず、それが基本。
その基本の上に、さまざまな健康法が存在する。
子どもの教育も、またしかり。
「右脳教育」といっても、それは「教育」の一部であり、さらに言えば、亜流に過ぎない。
利用するにしても、そうした視点を、しっかりともってする。
この先も、SD式教育メソドは、さまざまな分野で検証が加えられていくだろう。
近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●教材作り
このところ毎日、1~2時間は、教材づくりをしている。
たいていワイフが手伝ってくれる。
ときどき長男も手伝ってくれる。
そんなとき、子どものころ、どこかの家で見た、内職仕事を
思い出す。
窓からのぞくと、その一家の人たちが、黙々と仕事をしていた。
たしかキャラメルの粒を、紙でくるんでいた。
神業のようにすばやい作業だった。
私の仕事はそれとはちがうが、似たようなもの。
紙を切り、ノリでくつけ、教材に仕上げていく。
それが楽しい。
・・・というより、子どもたちの反応がその時点で、たいてい
予想がつくので、楽しい。
「こういう出し方をすれば、子どもたちが喜ぶだろうな」と。
●仕事
今の私から「仕事」を取ったら、何も残らない。
自分でもそれがよくわかっている。
もし仕事がなくなったら、毎日、貯金の残高ばかり気にしながら、
悶々とした日々を過ごすようになるだろう。
実際、身近に、そういう女性(70歳くらい)がいる。
何かするたびに、「そんなことをすれば、貯金が減る」が、口癖になっている。
それを最初聞いたときには、意味がよくわからなかった。
が、今は、よくわかる。
生き様(ざま)が、うしろ向きになると、そういうことを気にするようになる。
気をつけよう。
●うつ
この数日、どうも気分が晴れない。
うつ状態。
おまけに今日は、朝から雨。
雨は、心を重くする。
その雨を見ながら、この原稿を書いている。
意味のない、日誌にもならない、原稿。
言うなれば、知的な(遊び)のようなもの。
脳に飛来する雑感を、そのまま文章にしている。
楽しくはないが、退屈しのぎには、よい。
●ギリシャの破綻
うつ状態になったら、もっとも警戒しなければならないのが、「こだわり」。
何かのことにこだわり始めたら、要注意。
そのままどんどんと、深みにはまってしまう。
だからそういうときは、自分にこう言って聞かせる。
「これは本当のぼくではないぞ!」と。
そう言い聞かせながら、気分転換を図る。
要するに、クヨクヨしないこと。
ところで暗い話だが、とうとうギリシャが、事実上、デフォルト(国家破綻)した。
公務員の年金額が、現役時代の95%というから、すごい。
両親が死んでも、娘が独身なら、その娘にも、年金が出ていたというから、すごい。
つまり退職後も、ほぼ同額の年金が手に入る。
日本も似たようなものだが、そのためほかの国々からの支援が受けられなかった。
報道によれば、ドイツが「NO!」と言ったらしい。
この話は、先ごろ経営破たんした、JALの内情と、よく似ている。
JALのOBたちは、企業年金も合わせると、45万円前後の年金をもらっていた。
●債権投資
ユーロが下落した。
一時は、1ユーロが、140円以上もあった(09年)。
が、今は、115円前後。
そのあおりを受けて、世界の株価が大暴落。
この先、世界はどうなるのだろう?
私はたまたま先週、最後までもっていた株価連動型の債権投資から、手を引いた。
いわゆる「損切り」。
損を覚悟で、売却した。
数年前に買ったときと比べて、15%前後の損をした。
が、もし先週、売却しなかったら、今ごろは、半額程度になっていたはず。
(あやうくセーフ!)
為替連動型の債権は、まだ少し残っているが、これはしばらく塩漬け。
円高基調がつづいているから、今は様子を見るしかない。
満期は2017年。
それまでには、何とかなるだろう。
●6か国協議
中国が議長国?
6か国協議の議長国?
言葉はきついが、これでは泥棒の管理を、泥棒に任せるようなもの。
韓国の天安掃海艇事件以来、それがはっきりした。
結局、この10年間、6か国協議に進展はなし。
それもそのはず。
議長国の中国には、その意思はない。
最初から、K国の核開発など、どうでもよかった。
仮にK国が核兵器を保有しても、痛くもかゆくもない。
大切なことは、K国を自国の支配下におくこと。
K国の地下資源を、自分のものにすること。
そのため西側世界が騒げば騒ぐほど、中国にとっては、思う壺。
つまり他の4か国(日本、アメリカ、韓国、ロシア)を、よいように、
もてあそんだだけ。
議長国として、大きな顔をしただけ。
今となってみると、それがよくわかる。
Hiroshi Hayashi+教育評論++May.2010++幼児教育+はやし浩司
●舘山寺温泉一泊(ホテル・ウェルシーズン浜名湖、舘山寺温泉)すばらしいホテル
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5月の連休中は、毎年、家の中で静かにしている。
人ごみは、どうも肌に合わない。
苦手。
けばけばしい色を見ただけでも、疲れる。
それもあって連休中は、穴にこもる。
連休が終わったら、穴から出る。
それがここ10年、我が家のならわし。
で、その連休が終わると、毎年、こうしてどこかへ
旅行に行くことにしている。
で、今日は、舘山寺温泉。
自宅から、車で、20分ほど!
たったの20分!
泊まったホテルは、「ホテル・ウェルシーズン浜名湖」。
この温泉街には、「九重」「花の井」などの豪華なホテルがある。
「ホテル・ウェルシーズン浜名湖」は、それに並ぶ。
ホテルからそのまま、パルパル(遊園地)へ入場することもできる。
星は4つの、★★★★。
(「九重」を5つとするなら……という話。
「九重」は、浜松イチの最高級旅館。
私も、この浜松に住んで40年になるが、
1度しか、泊まったことがない。
宿泊料金は、1泊、4~6万円。)
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●ホテル・ウェルシーズン浜名湖
このホテルの自慢は、温泉。
大浴場。
あちこちの大浴場を利用したが、このホテルほどの大浴場を備えたホテルはない。
広くて、清潔。
それに新しい。
時間帯をうまくねらえば、いつもガラガラ。
外来客として、毎週、利用している。
が、今回は、宿泊客として、やってきた。
ちょっとリッチな気分。
言い忘れたが、3人1部屋。
平日で、料金は、1名分、1万2200円。
3人分で、3万6600円。
夕食、朝食ともに、バイキング。
初夏の今ごろ、秋になりかけたころ、パルパルで遊ぶつもりで宿泊するなら、お勧め。
が、ほめてばかりいては、いけない。
私は、「ウェルシーズン」という名前に、どうしても違和感を覚える。
「ウェル」というのは、「well」という意味。
もしそうだとするなら、「じょうずに」とか、「うまく」とかいう、副詞ということになる。
(形容詞もあるが、めったに使わない。
それに形容詞で使うときは、「健康な」「じゅぶんな」という意味になる。)
だから「ウェル・シーズン」は、英語で考えるとおかしい。
どういう季節(シーズン)を、「ウェル」と言うのか?
これだけ立派なホテルなのだから、それなりの語学力のあるブレーンもいたはず。
どうして「ウェルシーズン」にしたのだろう?
●気分転換
歳をとると、気分転換の大切さが、よくわかるようになる。
つまり「落差」が、よくわかるようになる。
(家の中にいるときの気分)と、(外へ出たときの気分)が、まるでちがう。
その(ちがい)が、よくわかるようになる。
だから歳を取ったら、できるだけ、外の世界へ飛び出したほうがよい。
家の中に閉じこもっていてはいけない。
閉じこもっていると、肉体も精神も、腐ってしまう。
それが自分でも、よくわかる。
それを「落差」という。
で、今、時刻は午後4時48分。
5時になったら、風呂に入る。
夕食は、6時半から。
まず長男が、横になって眠り始めた。
つづいてワイフが眠り始めた。
部屋の中は、初夏の陽気が入り込んできて、暑いくらい。
私は眠いまなこを懸命にあけながら、(どこかぼんやりとした頭を
奮い立たせながら)、この文章を書いている。
使っているパソコンは、TOSHIBAのMX33。
旅行に行くときは、いつもこのパソコンをもって歩く。
よいパソコンだ。
「ウェル・パソコン?」。
●新緑
先ほど、パルパルの中をワイフと2人で、歩いてみた。
客は、全部で、私たちも含めて10人ほど。
(たったの10人!)
のんびりと、園内を散策することができた。
(経営者の方には、申し訳ないが……。)
シーズンオフ(平日)のすばらしいところは、ここにある。
観覧車に乗ったが、あとにも先にも、乗ったのは私たちだけ。
私は子どものように、窓の外の景色を、デジカメに収めた。
楽しかった。
まわりの景色が、夢の中のようだった。
深い緑の山々が、いつもよりずっと、くっきりと見えた。
浜名湖の水が、空の青さをそのまま映していた。
風は強いが、乾いた風。
さわやかな風。
●バイキング料理
たった今、温泉から帰ってきた。
が、ここで大問題!
何と体重が、63・5キロ!
私の基準体重より、3キロもオーバー。
ア~ア!
これからバイキング料理というのに、何たるザマ!
湯船につかりながら、こう考えた。
「食べなければ、損なのか?」、それとも「食べたら、損(そこ)ねるのか?」と。
当然、今の状態で食べたら、「損(そこ)ねる」。
だからこう決意した。
「決意」という言葉を使わなければならないほど、深刻!
「今夜は、食欲と闘う」と。
太らない料理だけを選び、それを少量食べて、おしまいにする。
それができるかどうか、自信はない。
ないが、やるしかない。
今夜こそ、私の「前頭連合野」が試される。
がんばろう。
食べたら、損(そこ)ねる。
それを念じながら、夕食をとる。
意思の弱い私に、できるかな?
ところでこの「ホテル・ウェルシーズン浜名湖」。
先ほど、星は4つと評価したが、料金を勘案すると、5つでもよい。
脱衣所を出たところにも、生け花が飾ってあった。
休息所には、冷たい水も用意してあった。
そうした気配りが、うれしい。
だから、こう言う。
もし浜松へ来るようなことがあれば、「ホテル・ウェルシーズン浜名湖」がよい。
料金を勘案するなら、イチオシのホテル。
満足度、★★★★★。
(予算に余裕のある人は、「九重(ここのえ)」が、お勧め。)
●リラックス
若いころは、旅館と言っても、楽しむところだった。
が、今は、リラックスするところ。
50歳を過ぎるころから、それがわかるようになった。
しかもできれば、同じ温泉に、10回、20回と通ってみるとよい。
体と心が、やがてその温泉になじんでくる。
何も考えないで、温泉の湯の中に、自分の体をひたすことができるようになる。
この温泉にしても、そうだ。
毎週通うようになって、もう1年以上になる。
だから使い勝手というか、どうすればリラックスできるか、それがわかるように
なった。
ポイントは、団体客を避けること。
平日で言えば、~時から~時までの間がよい。
(こんなことを書くと、みなが、その時間帯に集中してやってくる。)
毎週のように通っていると、それがわかるようになる。
だから今もそうだったが、客は、私を含めて、2~3人。
のんびりと窓の外の竹やぶをながめながら、1時間ほどを過ごした。
●夕食
いろいろなバイキング料理を食べたが、このホテルのバイキング料理は、今まで
食べた中でも、最高級クラス。
ステーキも、蒲焼も、テンプラも、その場で料理してくれる。
おいしかった。
……ということで、あえなく私は完敗。
ふつう程度に、食べてしまった。
明日の朝は、体重は65キロに達しているはず。
「食べたら、損(そこ)ねる」。
何度も自分に言い聞かせたが、食欲のほうが、前頭連合野の「理性」よりも、強力
だった。
平たく言えば、そういうこと。
で、部屋ではビデオを見た。
題名は、最初から、忘れた。
お粗末なビデオだった。
眠くなったので、再び、温泉へ。
大浴場には、私、1人だけ。
気持ちよかった。
のんびりできた。
いつもだったら、脱衣場にある体重計で体重を量るが、今夜はやめた。
恐ろしくて、できなかった。
●深夜
長男は寝息をたてて眠っている。
ワイフは、ベランダで外を見ながら、ビールを飲んでいる。
私は、行灯(あんどん)の光の下で、こうしてパソコンと遊んでいる。
私にとっては、至極の時。
この一瞬のために、私の1日がある。
……と書いて、指の動きが止まった。
「そうだなあ……」と、何度も自分にそう言って聞かせる。
つまりなぜ私がこうして今、生きているかといえば、この一瞬のため。
そういうことになる。
安らいだ一瞬。
満足した一瞬。
心穏やかな一瞬。
不安もなければ、心配もない。
平和。
静か。
キーボードに触れる指先の感触が、心地よい。
……そう言えば、脳の奥から、白い雲に包まれたような睡魔が襲ってきた。
床に入る時刻が近づいてきた。
5月12日、水曜日。
こうして私の今日は、終わる。
みなさん、おやすみなさい。
(帰り道の様子を、ビデオに収めた。)
http://www.youtube.com/watch?v=uGm-synJoFs
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【X損害保険会社というインチキ会社】
+++++++++++++++++
「インチキ」と断言してよい。
世の中に、こういう会社が、堂々と存在する
こと自体、これこそまさに「不正義」。
私は、Dさん(交通事故被害者)の話を
聞いていて、それを強く感じた。
久々に、ムラムラと、腹の底から怒りが
わきあがってくるのを感じた。
+++++++++++++++++
●交通事故、Dさんのケース
Dさん(女性、40歳)の夫は、2年6か月前、交通事故に遭った。
朝の通勤中のできごとだった。
Dさんの夫の名前を、Y氏(43歳)としておく。
Y氏はいつものようにバイク(50CC)に乗り、会社に向かっていた。
通い慣れた道である。
で、いつものように信号のある交差点に入った。
信号は青だった。
3車線ある広い道。
Y氏はその3車線のいちばん、外側を走っていた。
信号は緑。
Y氏は直進。
そのとき前方から、右折してきた軽自動車にはねられた。
明らかに右折してきた軽自動車が、悪い。
100%、悪い!
●植物状態
救急車が来るまで、30分近く、時間がかかった。
不運だった。
が、Y氏はそのときは、自分で救急車に歩いて入るほど、気力はしっかりしていた。
しかしそれが最後だった。
Y氏は、以後、2年半、植物人間状態で、病院で過ごすことになった。
ときどき意識は戻ることはあったが、会話はできなかった。
家族を見分けることもできなかった。
が、2年半。
おととい(5月10日)治療を打ち切り、Y氏は、郊外にある専門の障害者施設に転居し
た。
これから先、生涯を、死ぬまでそこで過ごすという。
完全看護だが、回復の見込みはない。
つまり医師に見放された。
●損害保険金
Dさんは、Y氏(夫)が入院してからというもの、女手ひとつで、家族を支えてきた。
一度、「仕事をしていたよかったです」と言ったことがある。
Dさんは、ずっと夫と共働きをしていた。
2人の子どもがいたが、気丈夫な女性で、笑顔を絶やさなかった。
ハツラツとした、前向きな生き方が、すてきだった。
が、おととい(5月10日)の夜、Dさんに久しぶりに会って、驚いた。
Dさんは、疲れきった表情をしていた。
「どうしたのですか?」と聞くと、「今日、病院から、施設に移りました」と。
その手続きなどで、たいへんだったらしい。
私「……で、いらぬことを聞きますが、損害保険のほうはどうなっていますか?」
D「……治療費を払ってもらっています」
私「治療費? そんなものは当然でしょう。損害賠償金とか、慰謝料はどうなっています
か?」
D「えっ、そんなもの、もらえるのですか!」と。
●損害保険会社
ほとんどの損害保険会社内部には、3種類のマニュアルが用意してある(友人の弁護士
談)。
(1)「素人向けマニュアル」
(2)「内部向けマニュアル」
(3)「専門家(弁護士、対訴訟用)マニュアル」の3種類である。
相手が素人とわかると、損害保険会社は、損害保険額(=任意保険)の支払いをできる
だけ安くすまそうとする。
わかりやすく言えば、自賠責の範囲で、かつ当事者どうしの示談ですまそうとする。
そのほうが、支払額が、ぐんと安くすむ。
で、そのための特別のマニュアルが用意してある。
しかも相手の損害保険会社の名前を聞くと、あの悪名高い、X保険会社。
つい先日も、保険金の未払い問題で、国会で取りあげられた会社である。
簡単に言えば、被害者とは適当に連絡を取り合い、訴訟沙汰にさせないこと。
保険会社にすれば、支払いを安くすますことが、利益につながる。
そのため、最初の6か月くらいの間は、ひんぱんに連絡を入れ、あたかも被害者の味方の
ようにふるまう。
被害者の動向をうかがい、示談で話をすませようとする。
●司法書士のN君
学生時代の友人のN君は、開口一番、こう言い切った。
長野市で、司法書士を開業している。
「林君、それはひどいよ。
死亡事故より、ひどいよ。
保険金額は、満額でも足りないよ。
これは億単位(1億円以上)の損害保険になるよな。
裁判しかないよ。
すぐ裁判しろよ!」と。
この一言で、決まった。
N君自身も、ひどい交通事故を起こし、損害保険会社を相手に、4年近くも闘った。
私「相手(損害保険会社)は、示談へもっていこうとしているようだ」
N「あいつら、そういう手を使うんだよな。
許せないね」
私「許せない」と。
●3年の消滅時効
交通事故の損害保険請求は、3年で消滅時効が成立する。
3年たったら、請求権そのものが、消滅する。
Dさんのケースでは、すでに2年と6か月が経過している。
ギリギリである。
私は即、金沢市で弁護士を開業しているK君に電話を入れた。
「弁護士を紹介してほしい」と。
K君は、こう言った。
「簡単な事件だから、だれにでもできる。
残念だが、浜松には知り合いはいない。
まず、交通事故無料法律相談所へ行くべきだ。
そこで弁護士を選任しろ」と。
そして長野市のN君と同じように、「これは弁護士を立てる事案だ。すぐ弁護士を立てろ」
とアドバイスしてくれた。
私は、電話を切るとすぐ、紹介された相談所へ電話を入れた。
予約制になっていた。
私は翌々日の木曜日の午後に、予約を入れた。
私はその時間帯には、Dさんに同行できないので、ワイフに同行してもらうよう、頼んだ。
ワイフは、快く引き受けてくれた。
●損害保険
損害保険といっても、幅は広い。
夫のY氏の損害は当然としても、妻であるDさんが受けた精神的苦痛、損害、さらに2人
の子どもの受けた精神的苦痛となると、量り知れない。
もちろん慰謝料、さらには、Dさん自身が、そのため休業したことなどによる損害も含ま
れる。
「治療費どころではない」というのは、そういう意味である。
が、いまだに損害保険会社は、治療費のみを払って、あとはノラリクラリと時間稼ぎを
している。
Dさんの話を聞いていて、それがよくわかった。
たとえば必要な書類を送ってこない。
そこでDさんがそれを請求すると、「えっ、送っていませんでした? すぐ送ります」など
と、とぼけてみせる、など。
ほかにいろいろと小細工もしているようだ。
が、Dさんは、女性。
一方で仕事をもちながら、2人の子どもの世話で日々を追われている。
静かに自分を見つめる時間もない
もちろん法律的知識もない。
そういう人を、損害保険会社は、「素人」と位置づける。
「素人」と位置づけて、よいようにもてあそぶ。
許せない!
(つづく)
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