Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, July 13, 2011

●マガジン(7-13日号)2011

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /~~~\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 7月 13日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page008.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【親と子の逆転現象】(狂った日本の親子関係)

●妙な光景

 近くの大型ショッピングセンターに行った。
ドッグフードと野鳥の餌、それに水入りのペットボトルを、一箱買った。
合計すれば、70キロ近くになった。
それをカートに乗せ、車まで運んだ。
そのときのこと。
1人の男性が、気ぜわしく車と車の間を動き回っていた。
年齢は私と同じくらい。
60歳前後。
何をしているのだろうと思った。
荷物を車に入れながら、その男性が気になった。
顔には緊張感が漂っていた。
うっすらと汗ばんでいた。

 で、ハッチバックを閉じ、車のドアを開けたところで理由がわかった。
反対側に並んだ車の間から、中学1年生くらいの子どもが、どこか不機嫌そうな顔をして出て来た。
男性はその中学生らしき子どもを見つけると、すかさず、こう言った。
「ごめん、ごめん」と。
子どもは表情を緩めることもなく、何も返事をしなかった。
ふてくされていた。

 男性は、その子どもの祖父らしかった。
どこかで迷子になった。
それでその男性は、その子どもを探していた。

●祖父と孫

 どこにでもある光景である。
よく見かける。
が、私はその光景を見ていたとき、ムラムラと怒りに似たものを感じた。
見たくもない暴力映画を見せつけられたような気分?

 2人が、どこかで行き違いになったのは、わかる。
大きなショッピングセンターである。
が、探していたのは、祖父らしき男性。
子どもの方はと言えば、「どうして迷子にしたんだ」と、どこか怒っているような様子。
私には、そう見えた。
が、問題は、そのあと。
男性は、子どもを見つけると、開口一番、「ごめん、ごめん」と。
子どもが「ごめん、ごめん」と言ったのではない。
祖父らしき男性のほうが、そう言った。

●本末転倒

 こういうケースのばあい、祖父のほうが、謝る。
威張っているのは、子ども、つまり孫のほう。
頭の中の記憶をいろいろさぐってみても、子どものほうが謝っている光景を、私は見たことがない。
この文章を読んでいる、あなたにしてもそうだろう。
謝るべきは、子どものほう・・・とまでは、書けない。
何か、私の知らない事情があるのかもしれない。
しかし同時に、たがいに謝ったところで、何もおかしくない。
が、私の見た光景は、それとはちがっていた。

 一方的に、祖父らしき男性は謝っていた。
一方的に、子どものほうは、ふてくされ、男性を睨(にら)み返していた。

●謝る親たち

 親は、いつも子どもに謝りながら、子育てをする。
子どもにできないことを、謝る。
子どもはそれに対して、つまり親に対して、(してくれないこと)を怒る。
ある男性(30歳くらい)は、退職したばかりの親に対して、こう言って叫んだ。
「こんなオレにしたのは、テメエだろ。オレなんか、産んでくれなかったほうがよかった」と。

 前後のいきさつを省略したので、わかりにくいかもしれない。
が、どんな理由があるにせよ、この言い方は、おかしい。
今の若い人たちは、日常的に、不平、不満をかかえている。
それもそのはず。
今の若い人たちは、(そこにモノがある)という前提で生きている。
(してもらうのが当たり前)という前提で生きている。
食べ物、家、車・・・などなど。
豊かな生活を、「豊か」ともわからない。
それが(当り前)。
当り前の生活。
だから足りないモノ、不足しているモノがあると、それを不平や不満に転化してしまう。
だから「こんなオレにしたのは・・・!」となる。

●ドラ息子

 今の日本の子育ては、おかしい。
たしかにおかしい。
ある父親(私と同年齢)は、こう言った。

「息子は、一応、東京の一流大学を卒業しました。
が、学費と生活費だけでは足りず、毎月のように、10~15万円、余分に送りました。
息子は、そのつど、『就職したら返す』と。
で、就職しましたが、この不況。
今度は『給料があがったら、返す』と。
その貸した額だけでも、1000万円近くになります。
が、結婚すると同時に、ハイ、さようなら。
子ども(孫)ができたことをよいことに、借金の話は、忘れてしまったようです」と。

 こういうケースのばあい、親側の意識と、子ども側(息子側)の意識は、180度ちがう。
親は、「子どもに感謝してくれているはず」と考える。
しかし子どものほうは、感謝などしていない。
むしろその逆。
「あれをしてくれない」「これをしてくれない」と、不平、不満ばかりを並べる。
とどまるところを知らない。
不平、不満の上に、さらに不平、不満を重ねる。
たとえば「孫を産んでやったのに、それらしい祝い金もくれない」「世話もしてくれない」「妻(嫁)に、
ねぎらいの電話、一本くれない」と。

●意識論

 そこで登場するのが、意識論ということになる。
常識論と言い換えてもよい。
意識にせよ、常識にせよ、それは「偏見のかたまり」(アインシュタイン)。

最近の若い人たちは、赤ん坊のときから、蝶よ花よと育てられている。
ある程度大きくなれば、「そら、音楽教室」「そら、英語教室」と育てられている。
そのこともあって、今、高校生でも、親に感謝しながら、高校に通っている子どもなど、まず、いない。
100%いないと、断言してよいほど、いない。
大学生でも、いない。
お金を親からもらうときだけは、「ありがとう」と言う。
しかし大半は、そのまま遊興費。
アルバイトで稼ぐお金も、遊興費。
そんな子どもに感謝の念を求める方が、おかしい。
無理。

 ある子どもは、結婚式の費用を親にせびった。
が、親にはその余力は、もうなかった。
定年退職をしてから、4年が過ぎていた。
そこでその親が、「少しくらいなら・・・」と、重い口を開いて言うと、その子どもは、こう言った。
「親なら、結婚式の費用くらい、出してくれてもいいだろ!」と。

 意識がちがうと、ものの考え方も、そこまでちがう。
たとえば私たちの時代には、実家への仕送りは、当り前だった。
私自身も、結婚をする前から、収入の約半分を実家へ送った。
結婚式についても、その費用がなく、断念せざるをえなかった。
私だけではない。
当時の日本では、それが常識だった。

 が、今は、ちがう。
そんな話をしただけで、若い人たちは、反発する。
「オレたちに恩を着せるのか!」と。

●逆転現象

 親が子どもに謝る。
子どもは、親を責める。
おかしな逆転現象だが、今、それが常識化している。
保護と依存の関係だけでは、説明できない。
つまりこの現象は、論理では説明できない。
つまり「狂っている」。

 行き違いになった孫を探す祖父。
それを怒る孫。
祖父は孫を見つける。
「ごめん、ごめん」と言って謝る。
それを見て、孫は、ふてくされる。
祖父を睨みつける。

 今では、こんな光景は、珍しくも何ともない。
この日本では、ごくふつうの、当り前の光景である。
恐らくその子どもは、こう思っているにちがいない。
「オレを、迷子にしやがって。この馬鹿ジジイ!」と。
子どもの顔からは、そんな言葉が読み取れた。

●では、どうするか

 私たちは、飽食とぜいたくの中で、子育てのあり方そのものを見失ってしまった。
その第一。

子どもに楽をさせることが、親の愛の証(あかし)と考えるようになってしまった。
楽しい思いをさせればさせるほど、親子の絆(きずな)は太くなると考えるようになってしまった。
たとえばより高価なものを買い与えれば与えるほど、子どもは喜ぶはず、と。

 が、その一方で、先にも書いたように、子どもに向かっては、「ほら、音楽教室」「ほら、英語教室」
と。
子どもの意思を無視したまま、それを子どもに押しつける。
こうしたアンバランスな子育て観が、子どもの心を狂わせる。
が、親にはその意識はない。
「子どものため」と錯覚している。

 つまりこうした日常的な不協和音が、10年単位でつづき、親子の関係が逆転する。
今という時代が、そうだ。
が、これは子どものためにならない。
親のためにも、ならない。
子どもはますますドラ息子、ドラ娘化する。
そのドラ息子、ドラ娘が、つぎのドラ息子、ドラ娘を育てる……。
その一方で、親は、ますます社会の隅に追いやられる。

現在40代の人たちにしても、うち約60%の人が、やがて無縁老人、孤独老人になる。
その先で待っているのは、無縁死、孤独死。
発見までの平均日数は、約6日。
中には30日という人もいる。
(50代、60代の人の話ではない。
40代の人の話だぞ!)

 ・・・ということで、この問題は、いかに早い時期に、かついかにじょうずに子離れするかという問
題に行きつく。
先日も、ある雑誌社から、こんな質問が届いた。
「子ども(小5)に勉強しなさいと言ってもしません。どうしたらいいですか」と。

 私はそれに答えて、こう返事を書いた。
「そんなヒマがあったら、自分の老後のことを心配しなさい」と。
つまりそのあたりまで割り切らないと、子離れは、完成しない。
が、それができないとどうなるか。

 あなたは一生、それこそヨボヨボの老人になるまで、「ごめん、ごめん」と子どもに謝って暮らさな
ければならなくなる。
それでもよいなら、私には、もう何も言うことはない。


Hiroshi Hayashi++++++++June.2011+++++++++はやし浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人間どうしをつなぐ粘着力

++++++++++++++++++++

心理学の世界には、「共依存」という言葉がある。
それについては、たびたび、書いてきた。
よくあるケース。
暴力的な夫と、その夫に、涙ぐましいほどまでに、
献身的に仕える妻。
「ふつうなら……」ということになるが、一度、
共依存関係ができてしまうと、その関係を
断ち切るのは容易なことではない。

まず、共依存について書いた原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●共依存(改)2011-06-29

酒に酔って暴れる夫。殴られても蹴られても、そういう夫に尽くす妻。
典型的な共依存関係である。
妻に依存することで、自分の立場を確保する夫。
依存されることで、自分の立場を確保する妻。
妻を殴ったり蹴ったりすることで、妻の従順性を確かめる夫。
殴られたり蹴られたりすることに耐えながら、夫への従順性を証明しようとする妻。
たがいに依存しあいながら、自分を支える。
傍から見ると何とも痛ましい夫婦関係だが、親子の間でもときとして、同じことが起きることもある。
家庭内暴力を繰り返す息子と親の関係。
ニートとなり家の中に引きこもる子どもと親の関係。
子どもを突き放すことができない。
親自身も、無意識のうちに子どもに依存しているからである。

(補記)

●共依存

 依存症にも、いろいろある。よく知られているのが、アルコール依存症や、パチンコ依存症など。

もちろん、人間が人間に依存することもある。
さしずめ、私などは、「ワイフ依存症」(?)。

しかしその依存関係が、ふつうでなくなるときがある。
それを「共依存」という。典型的な例としては、つぎのようなものがある。

夫は、酒グセが悪く、妻に暴力を振るう。
仕事はしない。
何かいやなことがあると、妻に怒鳴り散らす。
しかし決定的なところまでは、しない。
妻の寛容度の限界をよく知っていて、その寸前でやめる。
(それ以上すれば、本当に、妻は家を出ていってしまう。)

それに、いつも、暴力を振るっているのではない。
日ごろは、やさしい夫といった感じ。
サービス精神も旺盛。ときに、「オレも、悪い男だ。
お前のようないい女房をもちながら、苦労ばかりかけている」と、謝ったりする。

一方妻は、妻で、「この人は、私なしでは生きていかれない。
私は、この人には必要なのだ。
だからこの人のめんどうをみるのは、私の努め」と思い込み、夫の世話をする。

こうして夫は、妻にめんどうをかけることで、依存し、妻は、そういう夫のめんどうをみることで、依
存する。

ある妻は、夫が働かないから、朝早くに家を出る。
そして夜、遅く帰ってくる。子どもはいない。
その妻が、毎朝、夫の昼食まで用意して家を出かけるという。
そして仕事から帰ってくるときは、必ず、夕食の材料を買って帰るという。

それを知った知人が、「そこまでする必要はないわよ」「ほっておきなさいよ」とアドバイスした。しか
しその妻には、聞く耳がなかった。そうすることが、妻の努めと思いこんでいるようなところがあった。

つまり、その妻は、自分の苦労を、自分でつくっていたことになる。
本来なら、夫に、依存性をもたせないように、少しずつ手を抜くとか、自分でできることは、夫にさせ
るといったことが必要だった。
当然、離婚し、独立を考えてもよいような状態だった。

が、もし、夫が、自分で何でもするようになってしまったら……。夫は、自分から離れていってしまう
かもしれない。
そんな不安感があった。だから無意識のうちにも、妻は、夫に、依存心をもたせ、自分の立場を守って
いた。

ところで一般論として、乳幼児期に、はげしい夫婦げんかを見て育った子どもは、心に大きなキズを負
うことが知られている。
「子どもらしい子ども時代を過ごせなかったということで、アダルト・チェルドレンになる可能性が高
くなるという」(松原達哉「臨床心理学」ナツメ社)。

「(夫婦げんかの多い家庭で育った子どもは)、子どもの人格形成に大きな影響を与えます。
このような家庭環境で育った子どもは、自分の評価が著しく低い上、見捨てられるのではないかという
不安感が強く、強迫行動や、親と同じような依存症に陥るという特徴があります。

子ども時代の自由を、じゅうぶんに味わえずに成長し、早くおとなのようなものわかりのよさを身につ
けてしまい、自分の存在を他者の評価の中に見いだそうとする人を、『アダルト・チェルドレン』と呼
んでいます」(稲富正治「臨床心理学」日本文芸社)と。

ここでいう共依存の基本には、たがいにおとなになりきれない、アダルト・チェルドレン依存症とも考
えられなくはない。
もちろん夫婦喧嘩だけで、アダルト・チェルドレンになるわけではない。
ほかにも、育児拒否、家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児放棄などによっても、ここでいうような症状は
現れる。

で、「見捨てられるのではないかという不安感」が強い夫が、なぜ妻に暴力を振るうのか……という疑
問をもつ人がいるかもしれない。

理由は、簡単。
このタイプの夫は、妻に暴力を振るいながら、妻の自分への忠誠心、犠牲心、貢献心、服従性を、その
つど、確認しているのである。

一方、妻は妻で、自分が頼られることによって、自分の存在感を、作り出そうとしている。世間的にも、
献身的なすばらしい妻と評価されることが多い。
だからますます、夫に依存するようになる。

こうして、人間どうしが、たがいに依存しあうという関係が生まれる。
これが「共依存」であるが、しかしもちろん、この関係は、夫婦だけにはかぎらない。

親子、兄弟の間でも、生まれやすい。
他人との関係においても、生まれやすい。

生活力もなく、遊びつづける親。それを心配して、めんどうをみつづける子ども(娘、息子)。
親子のケースでは、親側が、たくみに子どもの心をあやつるということが多い。
わざと、弱々しい母親を演じてみせるなど。

娘が心配して、実家の母に電話をすると、「心配しなくてもいい。お母さん(=私)は、先週買ってき
た、イモを食べているから……」と。

その母親は、「心配するな」と言いつつ、その一方で、娘に心配をかけることで、娘に依存していたこ
とになる。こういう例は多い。

息子や娘のいる前では、わざとヨロヨロと歩いてみせたり、元気なさそうに、伏せってみせたりするな
ど。
前にも書いたが、ある女性は、ある日、駅の構内で、友人たちとスタスタと歩いている自分の母親を見
て、自分の目を疑ってしまったという。

その前日、実家で母親を訪れると、その女性の母親は、壁につくられた手すりにつかまりながら、今に
も倒れそうな様子で歩いていたからである。
その同じ母親が、その翌日には、友人たちとスタスタと歩いていた!

その女性は、つぎのようなメールをくれた。

「母は、わざと、私に心配をかけさせるために、そういうふうに、歩いていたのですね」と。

いわゆる自立できない親は、そこまでする。
「自立」の問題は、何も、子どもだけの問題ではない。
言いかえると、今の今でも、精神的にも、自立できていない親は、ゴマンといる。
決して珍しくない。

で、その先は……。

今度は息子や娘側の問題ということになるが、依存性の強い親をもつと、たいていは、子ども自身も、
依存性の強い子どもになる。マザコンと呼ばれる子どもが、その一例である。

そのマザコンという言葉を聞くと、たいていの人は、男児、もしくは男性のマザコンを想像するが、実
際には、女児、女性のマザコンもすくなくない。
むしろ、女児、女性のマザコンのほうが、男性のそれより、強烈であることが知られている。

女性どうしであるため、目立たないだけ、ということになる。
母と成人した息子がいっしょに風呂に入れば、話題になるが、母と成人した娘がいっしょに風呂に入っ
ても、それほど、話題にはならない。

こうして親子の間にも、「共依存」が生まれる。

このつづきは、また別の機会に考えてみたい。

(はやし浩司 共依存 アダルトチェルドレン アダルト チェルドレン 依存性 マザコン 女性
のマザコン 自立 自立できない子供 相互依存 はやし浩司 DV 夫の暴力 ドメスティックバ
イオレンス 家庭内暴力 夫の暴力行為)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●読み返してみて……

 前述の原稿は、ずいぶん前に書いた原稿である。
「ずいぶんと勝手な解釈をしているな」と思うところもないわけではない。
しかしこれは心理学一般に共通することだが、心理学の世界では、数学でいえば、いわゆる「公式」的
なことしか書いてない。
具体例が書いてある本というのは、少ない。
さらに「では、どうすればいいか」というところまで書いてある本は、さらに少ない。
「心理学」というのは、そういうものかもしれない。
言うなれば、心の作用を、結晶化したもの。
それを並べて説明したのが、心理学。

 言い換えると、心の作用は複雑。
複雑というより、もろもろの心理作用が、複雑にからみあって、その人の心理作用を決める。
共依存についても、純粋な意味での「共依存」というのは、ない。
だからそのあとは、「それぞれの人の解釈で……」となる。

 こうした勝手な解釈は、アカデミックな世界では許されないことかもしれない。
自分の意見を付け足すことについても、そうだ。
が、しかし逆に言えば、心理学だけで、人間の心の採用をすべて説明できるわけではない。
たとえば、こんな例で考えてみよう。

●仮面夫婦

 「仮面夫婦」という言葉がある。
私たち夫婦もそれかもしれない。
あなたがた夫婦も、それかもしれない。
表面的には夫婦だが、中身は空っぽ。
形だけの夫婦をいう。

 が、そういう夫婦の方が多いことを思えば、「それが夫婦」ということになる。
結婚当初のように、ラブラブの関係にある夫婦というのは、まず、いない。
またそういう夫婦を基準にしていはいけない。
恋愛は、ロマンス(=夢の中のできごと)だが、結婚は、現実である。

●悪妻

 私は率直に言うが、Nさん(女性、45歳)ほどの悪妻を、ほかに知らない。
まさに悪妻中の悪妻。

 突発的に錯乱状態になり、夫を蹴る、殴るは当たり前。
一足数万円もするようなハイヒールの靴を、夫に投げつけたりする。
さらにはげしくなると、台所からフライパンをもってきて、それを夫に投げつけたりする。

 見るに見かねて、夫の両親と夫の兄が、Nさんを精神病院へ連れて行こうとしたことがある。
しかしNさんは、さらに暴れて、それを拒否。
近所中に聞こえるような声で、泣きわめいた。

 が、一晩……というより、数時間もすると、まったく別人になってしまう。
まったくの別人である。
穏やかで、やさしい。
言葉の使い方も、ていねい。

が、よく観察すると、どこか不自然。
どこか演技ぽい。
別の心を、どこかで押し殺しながら、そうする。

 こんなことがあった。

 夫は、宅配便の運転手をしている。
稼ぎは、それほど、多くない。
そのこともあり、生活費が足りなくなると、Nさんは、夫の実家へ行く。
やや痴呆症になりかけた父親と病弱な母親がいる。
それをよいことに、「100万円、出せ!」「200万円、出せ!」と。

 夫の両親は、ともに80歳を超えている。
会計士として蓄えた財産はあるが、それにも限度がある。
そこで母親が、「5万円くらいなら……」と言うと、Nさんは、その現金を、母親の顔に叩きつけて、
その場を去っていったという。

 が、夫は、Nさんと離婚はしない。
2人の子どもがいた。
それにNさんの夫は、心のやさしい男性だった。
妻に蹴られたり、殴られたりしても、オロオロと逃げ回るだけ。

●心の病気

 こういう関係を、どう理解するか。
「共依存」という言葉だけでは、説明がつかない。
Nさんが突発的に錯乱状態になるのは、多分に心の病気がからんでいる。
夫にしても、そういう妻であるにしても、孤独であるよりはよい。
あるいは夫自身も、何かの心の病気をかかえているのかもしれない。
それに毎日がそうであるというわけでもない。
Nさんが突発的に錯乱状態になるのは、10日に1度くらい。
多くて、5日に1度くらい。
それ以外のときは、先にも書いたように、むしろおだやかで、やさしい。

 そこで私は、……つまりNさんの夫のことを思いめぐらすうち、「心の粘着力」という言葉を思いつ
いた。
もちろん心理学上の言葉ではない。
私が勝手につけた名前である。

●心の粘着力

 人間関係には、ある程度の粘着力がある。
強弱の差はあるかもしれない。
粘着力の強い人間関係もあるだろうし、弱い人間関係もある。
強い人間関係は、「ネバネバ」ということになる。
弱い人間関係は、「パサパサ」ということになる。

 夫婦の関係。
友人の関係。
親類、縁者の関係。
近隣の人たちとの関係。
もちろん親子の関係、などなど。

 最近の若い人たちの傾向としては、前にも書いたが、デジタル型の人間関係が目立つ。
人間関係を、「ON」と「OFF」だけで、割り切ってしまう。
一度、「OFF」にすると、まったくのゼロにしてしまう。

 で、ここではもう一歩、話を進めて、ではどういうときにネバネバになり、またどういうときにパサ
パサになるか。
それについて考えてみたい。

●ネバネバ

 最近、私とワイフの関係は、加齢とともに、よりネバネバになってきたように感ずる。
「先が短くなった」という思いもある。
積み重ねてきた思い出も多い。
とくに私たち夫婦は、すべてを、2人だけでしなければならなかった。
だれの助けも期待できなかったし、だれも助けてくれなかった。

 3人の息子たちにしても、ワイフは自分で助産院に行き、ひとりで子どもたちを産んだ。
そのあとも、だれにも助けてもらわなかった。

 一方、私は仕事オンリー。
それでも家計は苦しかった。
当時はそういう時代だった。
だから余計に、私はがむしゃらに働いた。
20~30代のころは、休日は、月に1日だけ。
そんな年が何年もつづいた。

 だからというわけでもないが、私たち夫婦は、言うなれば「ネバネバ夫婦」。
どんなはげしい夫婦げんかをしても、1~2日のうちには、もとに戻る。
もとに戻って、また手をつないで歩く。
が、私がここで書きたい「ネバネバ」は、それとは意味が少しちがう。

 先のNさん夫婦のばあいである。
「ふつうなら、離婚」ということになるが、離婚しない。
「子はかすがい」とは言うが、それもあるのかもしれない。
が、何が2人をつないでいるのか。
そのつないでいるものが、ここでいう「ネバネバ」ということになる。

●理解のワク

 もう一度、共依存の話に戻る。
共依存の関係にある夫婦は、たしかにネバネバしている。
ほかにも、夫婦の間の会話が完全に途切れてしまった知り合いもいる。
まったく、しない。
そこでその夫婦のばあい、息子たちが、夫婦の、(つまり両親の)、連絡係をしている。
が、それでも夫婦。
離婚しないのか、できないのか、あるいはなぜそうなのか。

 そういうのを「仮面夫婦」というが、仮面の向こうに隠されたネバネバには、常識では理解できない
(思い)が隠されている。
それこそ私のような人間が、いくら想像力を働かせても、理解できるようなものではない。
理解のワクを超えている。
「私なら、即、離婚」と口で言うのは、たやすい。
しかし、問題は、そんな簡単なことでもない。

●離婚率35・4%

 もちろん反対に、「パサパサ夫婦」というのも、いる。
昔、「成田離婚」というのも、あった。
新婚旅行から帰ってきたそのとき、成田空港で離婚する。
だから「成田離婚」。

 パサパサといえば、パサパサ。
成田離婚は別として、さしたる理由もないまま、簡単に離婚していく人も、これまた少なくない。
一般論からいうと、(統計的にもそういう数字が出ているが)、身近に離婚経験者がいると、その影響を
受けて、その夫婦も離婚しやすいという。
姉夫婦が離婚したとたん、妹夫婦も、離婚する。
親が離婚経験者だと、子も離婚しやすくなる、など。

 何も離婚することが悪いと書いているのではない。
離婚など、今どき、珍しくも何ともない。

厚生労働省が発表している人口動態総のデータによれば、平成19年度に結婚した人の数が約72万人
に対して、離婚した人の数は25万5000人ということになっている※。
72万人に対して、25万人。
離婚率でみるかぎり、254832÷719822=35・4%!

 この数字をどう読むかだが、意外と、都会に住む人ほど、離婚率が低いというのも、興味深い(同、
統計)。

(注※)結婚届を出す数が、毎年72万人。
離婚届けを出す人が、毎年25万人ということ。
結婚年数や、結婚→離婚を繰り返す人の数などは、考慮に入っていない。

●二人三脚

 私の考えでは、夫婦でも、「形」にしばられることなく、人間関係が破綻したら、さっさと離婚した
ほうがよいのでは、と思う。
思うだけで、では、実際、自分たちがそうなったら……というときのことを考えると、自信はない。
それでもネバネバとがんばるかもしれない。

 世間体もある?
もちろん子どもたちのこともある?
が、それ以上に、今は、もう夫婦でありつづけるしかない。
二人三脚でも生きていくのがむずかしい。
ひとりになって、どうやって生きていくというのか。

 が、結論から先に言うと、つまり、これがこのエッセーの結論ということになるが、人間関係が、近
年、ますますパサパサになってきた。
ネバネバ感が消え、パサパサになってきた。
つまり人間どうしをつなぐ、粘着力が、弱くなってきた。
それがよいことなのか、悪いことなのか、私にはわからない。
その結果は、もう少し先になってみないとわからない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はや
し浩司 粘着力 パサパサ人間 ネバネバ人間 離婚率 日本人の離婚率)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●珍奇な事件

+++++++++++++++++++

意識のちがいと言えば、それまで。
しかし時として、常識では計り知りえない
事件が起きる。

あらすじは、こうだ。

ある温泉街で、ある男性が、温泉をのぞき見していて逮捕された。
年齢は75歳前後。
それを見つけたのは男性。
65歳前後。
ともに同じ旅館に泊まる客。
(以上、事実とは少し内容を変えた。)

ここまではよくある事件。
似たような話はよく聞く。
が、さらに話を聞くと、頭が混乱してくる。

温泉といっても、男性客用の温泉。
つまり75歳の男性は、同性である男性の温泉をのぞいて逮捕された。
男性が男性の浴室をのぞいて、どうする?、と聞きたいが、そこが意識の問題。
だれしも、「そんならいっしょに、入浴すればいい」と考える。
そうすれば堂々と、男性の裸を見ることができる。

++++++++++++++++++++++++

●のぞき見

 「のぞく」という行為には、不思議な快感をともなう。
相手の秘密を知るという快感である。
それはわかる。

 私のばあいも、同じ女性でも、入浴後の女性には、そうでない女性よりも色気を覚える。
なまめかしい。
清潔感が漂う。
これは私だけの感覚かもしれない。

 が、だからといって、それがそのまま(のぞき)につながるというわけではない。
のぞきは、犯罪。
相手のプライバシーを盗むという点で、窃盗罪に準じて考える。

が、(のぞき)願望というのは、だれにでもある?
英語では「Peeping Tom」という。
英語にも常用語があることからもわかるように、これは世界人類共通の性癖と考えてもよい。

 が、それとて、相手が異性のばあい。
日本のように公衆浴場が発達したところで、どうして男性が男性の浴室をのぞくのか。
その必要性すら、ない。
つまりここがこの事件の最大の謎。

●男にもいろいろ

 男にも、いろいろある。
若いころは、それがわからなかった。
しかし半世紀も生きてくると、それがわかるようになる。
「濃い男」もいれば、「薄い男」もいる。
濃い男というのは、女性だけにしか興味をもたない男。
薄い男というのは、男性でも、女性でも……という男。
境界がはっきりしない。

 が、さらに進んで、同性愛というのもある。
温泉などに行くと、ときどきそれらしきカップルを見かけるときがある。
何となく雰囲気があやしい。
それで、それがわかる。

 が、男性が男性の浴室をのぞき、逮捕された。
しかし罪状は、何か?
罪状を、どうするのか?

●多様性

 ただ想像することは、できる。
私たちが、女性の裸体を見て、それなりに性的に刺激されるように、同性愛の男性たちは、男性の裸体
を見て、それなりに性的に刺激される。
「見たい」という欲望も、生まれる。

 だから同性愛の人たちが、温泉に入るということは、私たちが混浴に入るのと同じと考えてよい。…
…のか?
あるいは、それとはちがうのか?

 人間の心理は、かなりの部分まで類型化されている。
心理学という学問に体系化されている。
しかしそれですべて説明できるかというと、そうでない部分もある。
そのひとつが、男女の問題。
性の問題。
1000人いれば、1000様の個性があると思われるほど、この世界は、多様性に富んでいる。
私がそれを最初に知ったのは、20歳のはじめのころ。
ある男性(当時、30歳くらい)が、こう話してくれた。

「ぼくはね、関取のような太った女性が好きだ。そういう女性の尻で、顔を踏みつけてもらうのが好き
だ」と。

 私はそれを冗談か思った。
が、その男性の妻は、本当に関取のような人だった!
言い換えると、「自分が理解できない」という理由だけで、相手の心を否定してはいけないということ。
人、それぞれ。
私は、私。
あなたは、あなた。

●夫婦問題

 夫婦にしても、そうだ。
いろいろある。
千差万別。
私のワイフは、ああいう女性だから、結婚当初は、何をしても、私は「変態!」と言われた。
石部金吉(カタブツ男)という人がいた。
私のワイフは、その石部金吉。
石部金子。

 まじめなのはよいが、融通がきかない。
今でも、ときどき、こう言う。
「ほかの人は、そんなことしないわよ」と。

 そこで私が、「どうしてそんなことを知っているのか?」と聞く。
つまりワイフは、自分の常識だけで、他人を判断しようとする。
が、こと「性」の世界では、それは通用しない。
言い換えると、この多様性こそが、おもしろい。

 ……もう20年ほど前のこと。
ある会合で会った女性(当時30歳前の美しい女性)が、こう言った。
「私、毎月1回、70歳の男性の相手をしています」と。

 相手の男性には、妻もいる。
子どももいる。
孫もいる。
みなの前で、臆面もなく、そう言った。
私が驚いていると、その女性は、10歳以上も年上の私にこう言った。

「あなたは、まだお若いですね」と。

 この世界は、そういう世界。
それにしても、冒頭の事件。
いろいろ想像力を働かせてみるが、私には、どうしても理解できない。
(理解する必要もないが……。)
私には、実に珍奇な事件ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++June.2011+++++++++はやし浩司

●礼状

++++++++++++++++

先日、虐待についての相談があった。
その返事を書いた。
それについて、つぎのような礼状が
届いた。
こうして礼状をくれる人は、珍しい。
つまりこの礼状を書いた段階で、
その人の心の問題の大半は解決したと
みてよい。
自分を知るということは、そういうこと。

子育ての世界では、「うちの子のことは、
私がいちばんよく知っている」と思っている
親ほど、実は、自分の子どものことを知らない。

が、謙虚になったとたん、そこに自分の
姿が見えてくる。
「子どもは家族の代表」にすぎない。
それがよくわかるようになる。

++++++++++++++++++

【埼玉県のSTさんより、はやし浩司へ】(一部、プライバシーに関する部分は、改変)

何をどのように調べていいのか検索方法も正直わからないまま、先生のホームページにたどり着いた時
はすがるような思いで今思っていることを書き連ねました。

その後・・・メルマガの廃止・相談は現在休止していることを知りました。
お忙しいのに、突然のメールに丁寧に返信して頂き、読みながら涙が止まりませんでした。
子どものこの状態を作ったのは、明らかに私だ!早く何とかしなくては!!と感じながら、なかなか一
歩を踏み出せないまま、毎日を送りまたバトルをする・・・の繰り返しでした。

自分を振り返っても母との楽しい思い出はほとんど思い出せず、叩かれたりののしられたり・・・辛い
悲しい思い出しか浮かばず、虐待は連鎖すると聞いていたけれど、子どもを授かった時に『絶対に優し
いお母さんになる!!私は絶対手を出さない!』と理想の母になると決めたはずでした。

ところが子育てはマニュアルどおりには全くいかず・・・それもわかっていたはずなのにイライラは募
るばかりでした。
主人は、大変子育てには協力的で、母乳以外の事はすべてやってくれます。
むしろ私以上に母親です。
子どもの事もこんな私ですら大切にしてくれます。子どもたちももちろんいうまでもなく二人ともパパ
っ子です。

主人は私にとっては、初めて嫌われるかどうかなど気にせず心を開ける唯一の人です。

主人の優しさに私の心はやっと開き、前向きに生きれるようになり、主人と生活するようになり生まれ
て初めて毎日が楽しく充実した日々をすごせるようになりました。

私と母との関係も知っています。
子どもに怪我した跡が見つかり、怪我するほど叱ってはだめだ!!とここ数年言われていましたが、
今年に入り子ども自身も今まで父親にはべたべた甘えていたのに、反抗的な態度をとる様になり、段々
このままでは家族が崩壊すると心を痛めていました。
私はその主人の悲しそうな姿を見てこの人の為にも私自身が何とかしないと、本当に親子も夫婦も・・・
家族がバラバラになる。
それぞれが壊れてしまう・・・ニュースで取り上げているようなことがいつか我が家にも起こる・・・・
主人に申し訳ないと。

以前テレビで見た【Mツリー】に問い合わせました。
しかし自分でもこれだけいいのか???子どももどこかにかからなくていいのか???とても不安で
した。

ネットを見ると【虐待】【アダルトチルドレン】【パーソナリティ障害】・・・・どれも当てはまりすぎ
るぐらい当てはまります。
子どもの荒れや自傷行為も私の関わりからだとはっきりしていますが・・・どこかわかっているのに子
どもに素直に謝る事も出来ず、自分を正す事も出来ません。

先生からの返事で戸惑っている場合でないことがよくわかり、心療内科の門をくぐろうと思います。〔薬
には正直抵抗がありますが・・・・〕
そして何より・・・・私たち家族の進むべき道が示されたような気がしてず~っと先に光が見えるよう
に思えます。

私は母に色々相談したり、手をつないで出かけたり、ショッピングに行くとこはありませんでしたが娘
といつか笑って並んで歩ける日がくるように頑張ります。

それとあつかましいのですが、M市でこのような心の問題に詳しい心療内科をご存知でしたら教えて頂
けないでしょうか??
紹介という形ではなく、特殊な問題ですので、ご存知であればそちらにかかろうかと思いまして・・・。
勝手なお願いばかりで申し訳ありません。なにとぞよろしくお願いします。
お忙しいところ本当にありがとうございました。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●蛍(ほたる)Fire Fly ●浜名湖かんざんじ荘 ●ポポンS信者

+++++++++++++++++++++

オーストラリアには、蛍はいない。
オーストラリアの友人が、そう言っていた。
英語では、「Fire Fly(火のハエ)」と言う。

その蛍が、今ごろ、山荘の周辺で飛び交う。
静かに、ひたすら静かに、羽音もなく、
静かに飛び交う。

2011年6月26日(日曜日)の夜、
私とワイフは、庭先で、蛍を追いかけた。
時刻は午後11時ごろ。
1匹、2匹……。
追いかけていくと、その先のヤブの中で、
10~15匹が飛び交っていた。
クリアな光だった。
白い、鋭い光だった。
ホーッとため息が出るほど、美しかった。

毎年、今ごろ、ときどき蛍を見かける。
しかし今年は、格別。
私も、もちろんワイフも、これほどまでの数の
蛍を見たことがない。
何匹かは、それぞれがペアになり、まるで
戯れるように飛んでいた。
ときどき、スーッと庭を横切るのもいた。
横切るときは、一直線。
結構、速い。

懐中電灯を照らしたとたん、姿が消える。
見失う。

オーストラリアの友人にそれについて書くと、
「一度でいいから、見てみたい」と。

ビデオカメラに収めようと思ったが、
「たぶん、だめだろう……」ということで、
あきらめた。

(記録)

蛍……毎年6月の末。
今年は6月26日。
曇天で、雨がつづいたような夜。
霧のような小雨が降っているか、湿っぽい夜。
そんな夜に、山草の周辺では、蛍が出没する。

(はやし浩司 蛍 ほたる ホタル 山荘の蛍 山荘のほたる)

++++++++++++++++++

●ポポンS・信者

 友人のO医師が、こう言った。
前立腺ガンの権威である。
PSA検査の普及に努めている。
「私はポポンSの信者です」と。

 その言葉が、ずっと頭の中に残っていた。
それもあって、昨日、ワイフがポポンSを買ってくれた。
総合ビタミン剤である。

 ……というのも、その前の数日、体の疲れが取れなかった。
睡眠時間もじゅうぶん。
それほど体重がふえたわけでもない。
しかし何とも言えない疲労感。
横になっていても、だるい。
集中力もつづかない。

 そんなときワイフがO医師の言葉を思い出した。
「ポポンSを買ってきましょうか?」と。
即座に私は、ワイフにそれを頼んだ。

 で、その結果。

 昨夜は夕食後に2錠、のんだ。
今朝は、朝食後に1錠、のんだ。
たぶん、ポポンSが効いたのだと思う。
体のだるさが、消えた。
口から、ジョークがポンポンと飛び出るようになった。

 よかった!

私「きっと、ビタミン不足だったんだね」
ワ「夏になると、どうしても不足しがちになるからね」と。

 ということで、私もポポンSの信者になった。
これからは毎日、のむようにする。
死ぬまで、……たぶん。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●浜名湖かんざんじ荘

++++++++++++++++++

昨夜、浜名湖かんざんじ荘に電話する。
浜名湖周辺では、一押しの簡易旅館。
清潔で、温泉もすばらしい。
浴衣にも丹前にも、アイロンがしっかりと
かかっている。
料理も、よい。
この旅館だけは、いつ行っても、期待を
裏切らない。
とくにカラオケスタジオがすばらしい。
一流の劇場並み。

で、X日の夜の予約を入れる。
常連と言ってよいほど、よく利用させてもらう。
それもあって、料金は、いつも特別料金。
xxxx円(1人一泊)。
「今度もその料金でいいですか」と聞くと、
「浜松の林さんですね、いいですよ」と。

こういう交渉が、電話でできるところがすばらしい。

「また、HPで、かんざんじ荘を宣伝しておきますから」と
言うと、「お願いしますね」と。
電話口の向こうの男性は、うれしそうだった。

みなさん、浜名湖かんざんじ荘へ行こう!
はやし浩司推薦の簡易旅館。
「簡易」をつけるのは、旅館街にある、ホテル九重や、花乃井
のような豪華なホテルではないという意味。

が、浜松イチのローケーション。
ほかにない!
ホント!
料金も、たいへんリ-ズナブル。
ウソでないことは、泊まってみればわかる。

〒431-1202
静岡県浜松市西区呉松町1768-1
TEL053-487-0330(予約専用)
   053-487-0257(代)

http://www.kanzanji.com/

夏休みに利用する人は、早めに予約するとよい。

もちろんふところに余裕がある人には、ホテル九重、あるいは花乃井がお勧め。
温泉で選ぶなら、ホテル・ウェルシーズン浜名湖。
あとの旅館やホテルは、どうかな?、といったところ。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆