●ひとり旅(福井県・越前大野へ)
【浜松から福井県・大野市へ】(気楽なひとり旅)
(プロローグ)
私は子どものころ、いつも母にこう聞いていたという。
「あの山の向こうはどうなっている?」と。
そのたびに、母は、こう言った。
「この山をいくつも越えていくとなあ、大野というところへ行くそうや」と。
今でも、その「大野」という言葉が、脳の中で、母の声で残っている。
それでひとり旅。
福井県・越前大野市をめざして!
●ひとり旅
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休みに、どうしてもしてみたいことがあった。
ひとり旅。
たまたま昨日、ワイフと喧嘩した。
たいした喧嘩ではなかったが、それを口実に、今夜、
家を飛び出した。
明日は、福井県の大野市に向かう。
その大野市から、岐阜県に入る。
(本当は、その逆コースをたどってみたかったのだが……。)
岐阜県に入ったら、関市板取村から岐阜市へ戻る。
若いころは、こういうひとり旅をよくした。
たいていはヒッチハイクだった。
もちろんこの年齢では、ヒッチハイクはできない。
車も止まってくれないだろう。
行程は決まっていない。
パソコンがあるから、それで調べながら行く。
とりあえず、明日は、大野市へ。
(浜松)→(大野市)→(板取村)→(岐阜市)→(浜松)!
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●浜松に一泊
今夜は、……というわけで、浜松市内のビジネスホテルに一泊。
酒が飲めない私が、コンビニでチューハイを買ってきた。
菓子に、ジュース、それにパン1個。
家を飛び出したとき気がついたが、Tシャツが汚れていた。
それは今夜風呂場で洗うつもり。
あるいは明日、駅前の店で1枚、買うつもり。
……たった今、地図で調べてみた。
大野市から岐阜県側までの距離。
歩いていける距離と思っていた。
しかし九頭竜湖に沿って歩いただけでも、20~30キロもある!
地図で見ると平坦だが、「~~岳」「~~岳」という文字が目に付く。
相当に険しい道らしい。
あきらめた!
と、同時に、大野市の観光案内を読む。
ひとつの文化圏を形成した文化都市。
訪れてみる価値あり。
そう判断した。
●子どものころ
大野市へ行きたいことについては、理由がある。
その話。
……私は子どものころ、よく母の在所で休みを過ごした。
そのとき、「大野」という名前がよく出てきた。
「この道をどんどんと上っていくと、福井県の大野へ出る」と。
それが私には、信じられなかった。
母の在所は、低いが無数の山々に囲まれていた。
そして道の向こうには、壁のように高い山々が、おおいかぶさっていた。
山の向こうに、町があるなどとは、とても信じられなかった。
が、やがて地図を見るようになり、たしかにその道が、福井県の大野市へつながっているのを知った。
それで「いつか……」と思うようになった。
「いつか、あの山を越えて、大野市へ行ってみよう」と。
●スカイプ
たった今、オーストラリアの友人と、スカイプで話をした。
30分ほど、あれこれ話した。
気温は、8度とか。
向こうは今が真冬。
南オーストラリア州のどこかでは、雪が降っているとも言った。
友人は、1~2分ごとに、コンコンと咳を繰り返していた。
少し熱があるという。
「まだ休みが5日もある」と話すと、「じゃあ、オーストラリアへ来い」と。
前々回は、別の友人の娘の結婚式に出るため、3日間で往復した。
5日もあれば、向こうで2泊できる。
ふと、行きたくなった。
……というか、若いときなら、そうした。
それが私のやり方だった。
火がついたら、そのまま行動。
今もその「火」が、心のどこかに残っている。
●友だち
中学生のとき、コーラス部で、こんな歌を歌った。
「♪友だちはいいな」と。
「♪友だちはいいな。明るい日向(ひなた)。かぐわしい花のそばに……」と。
NHKコンクールの課題曲だった。
が、そのときは、そんな歌を歌いながらも、「そうかなあ?」と思っていた。
が、今は、ちがう。
友だちのありがたさが、じんと胸にしみてくる。
話しているだけで、勇気がわいてくる。
こうしてホテルでひとりでいると、それがよくわかる。
で、今は、こう思う。
「明日は、大野へ行こう」と。
迷いは消えた。
明日の夜、10時に、またスカイプをすることになっている。
そのときは、別の旅館で、そのスカイプをしたい。
「今、泊まっている旅館はね……」とか。
そんなことを話をしたい。
「ワイフに会いたかったから、家に戻った」とは、言いたくない。
●夫婦
メールで、こんな相談(?)があった。
「夫と結婚して、8年になる。
しかしこの2年間、会話らしい会話をしたことがない。
レストランへ行っても、たがいに上の空。
会話といっても、共通の話題そのものがない。
結婚当初は、よく話をしたが、今にして思うと、どんなことを話していたか、それすら思い出せない」と。
こういう問題は、私は苦手。
私たち夫婦だって、問題をかかえている。
どうしようもないでいる。
そんな私が、相談に乗ること自体、おかしい。
断りの返事を書いたあと、そのまま削除した。
しかしそういう夫婦もいる。
親子もいる。
私の知人などは、30年間も、父親と話をしたことがないという人がいる。
同居していても、そうなるときには、そうなる。
が、夫婦のばあいは、どうか?
会話が途絶えたら、その2人は、夫婦と言えるのか。
もっとも夫婦には「形」はない。
標準もない。
それぞれがそれぞれに、ひとつの空間を共有すれば、それでよい。
あとは成り行き。
自然体。
無理をしてはいけない。
努力は必要だが、気負ってはいけない。
それでも、見た目にはうまくやっている夫婦となると、ゴマンといる。
●電気の無駄遣い
今、シャツを風呂場で洗った。
洗ったあと、エアコンの排出口の前につりさげた。
明日の朝までに乾くだろうか?
少し不安になった。
で、たった今、窓を少し開け、窓の内側にかけなおした。
生暖かい風が、サーッと吹いてきた。
今夜も熱帯夜になりそう。
しかし……。
一方で冷房をかけ、一方で、外気を中に取り入れる。
まさに電気の無駄使い。
●頭痛
喧嘩の原因は、私の頭痛。
いろいろあって、その前日、私は軽い熱中症になった。
幸い、症状は軽くてすんだが、そのあと、頭痛だけが残った。
かなりはげしい頭痛である。
偏頭痛の頭痛とは違う。
風邪の頭痛ともちがう。
頭のこめかみの奥が、割れるように、小刻みに痛む。
加えて、熱中症特有のイライラ感。
まさにマニュアル通りの頭痛。
で、そのイライラをワイフにぶつけてしまった。
「お前の料理は、まずい!」とか。
そんなことを口にしてしまった。
そういう点では、私は自己管理能力が低い。
ワイフは即座にそれに反応する。
私が「頭が痛い」と言っても、「自業自得でしょ」と片づけてしまう。
「あなたが暑いのに、道路を歩くから、悪いのよ」と。
で、その日は、一日中、床の上で臥せっていた。
もちろんゼロ看病。
夕方になって起き上がった。
ワイフに首のマッサージを頼んだ。
が、あっさりと断られてしまった。
「いやよ!」と。
それで私は、家を出た。
口論をしたくなかった。
だから家を出た。
●8月15日から8月16日
時刻は23:57。
パソコンの右下の時計では、そうなっている。
目がしょぼしょぼしてきた。
眠い。
だから今日の日記はここまで。
……今、時刻を見ると、0:01になっていた。
お茶に水を入れて、口につけただけで、4分も過ぎた!
+++++++++8月16日+++++++++
●単独行動
私は「単独」で生きてきた。
組織というものが、私の体になじまない。
が、自由に生きてきたわけではない。
いつも無数のクサリに縛られて、生きてきた。
義務感、責任感、拘束感……。
それに加えて、私はクソまじめ。
自分でもおかしいと思うほど、クソまじめ。
ときにそれが重圧感となって、私を襲う。
だから私の人生は、(息苦しさ)と(爆発)。
この繰り返し。
もう少し、ズル賢くなってもいいのでは……。
よくそう思うが、気がついてみると、やはりクソまじめ。
いつも心のどこかで、家族のことを心配している。
だから集団行動が苦手。
学生のころも、運動会や旅行が、苦手だった。
楽しいというより、自由が制約されると、とたんに息苦しく感じた。
だから旅行も、たいていひとりでした。
目的地も決めないで、ぶらぶらと……。
それが私のやり方だった。
●子どもたち
よく学校帰りの子どもたちを見かけるときがある。
中学校の校門から、ゾロゾロと歩いて出てくる。
そのとき、いろいろなグループがあることがわかる。
2~3人とか、3~4人とか、グループを作っている子どもたちが多い。
が、ときどき、1人で歩いて帰る子どもを見かける。
さみしそうとか、そういうふうには、見えない。
何かの本を読んでいたり、下を見つめたまま歩いていたりする。
私にも小学生、中学生、高校生のときがあった。
毎日学校へ通っていたわけだから、通学の記憶も残っていてよいはず。
しかしそれがよく思い出せない。
「私はどうだったかなあ……?」と。
登校のときはひとりだったと思うが、帰りは、いつも仲間といっしょだった。
小学生のときは、7~8人で、集団で帰った。
が、高校生になると、いつもひとりだった。
大学生のときも、ひとりだった。
どこかのたまり場に集まることはあった。
が、そこからは、ひとりで帰った。
●観光旅行
ということもあって、観光旅行が苦手。
バス旅行などというものは、私にとっては、拷問のようなもの。
ガイドが観光案内を始めるたびに、私は耳をふさぐ。
「右に見えますのが、~~。左に見えてくるのが~~」と。
ああした情報には、価値はない。
意味もない。
まったく、ない。
聞いても、すぐ忘れる。
今は、ナビの時代。
情報過多の時代。
そうでなくても、情報は毎日、洪水のように押し寄せてくる。
「旅行のときぐらい、静かにのんびりしたい……」と、私は思う。
思うから、観光旅行が、苦手。
●8月16日
今朝は6時半に起きた。
Tシャツは乾いていなかった。
しかたないので、部屋の中につるし、それをドライヤーで10分ほど暖めた。
だいぶ、乾いた。
これから風呂に入り、福井市へ向かう。
福井市から大野市へ向かう電車があるという。
その電車に乗る。
まだ眠いが、電車の中で眠っていけばよい。
……そうそう、ラッシュアワーは避けたい。
現在、時刻は7時23分。
8時ごろの電車に乗れば、名古屋あたりを、10時ごろ通過。
たぶん、だいじょうぶだろう。
が、時刻表は調べない。
あとは、そのときの様子を見て、決める。
●朝食
このビジネスホテルでは、朝食は無料ということになっている。
巧みな商法である。
「無料」ということなら、だれしもたいした料理を期待しない。
簡単なサービスに簡単な食材。
それに「セルフサービス」と書いてあっても、文句を言わない。
実際には、1泊シングルで、6000円。
「時節柄、割高になっています」と、フロントの男は言った。
その朝食でのこと。
ビア樽のように太った男が、斜め前の席に座った。
背も高い。
「元関取」と言っても、だれも疑わないだろう。
その男が、ごはんを山盛りにして、2杯、3杯と食べていた。
食べているというより、食物を、胃袋の中に押し込んでいるといったふう。
が、そこで止まったわけではない。
席に座ったまま、まだものほしそうに、料理のほうを見ていた。
「もう1杯、食べるぞ」と思っていたら、案の定、また食器をもったまま席を立った。
それを見ながら、こう思った。
「ダイエットは、習慣の問題」と。
食生活という習慣を変えないかぎり、ダイエットは成功しない。
●列車
JR浜松駅へ着くと、ちょうど岐阜行きが出るところだった。
私はとりあえず、名古屋までにチケットを買った。
自動販売機では、名古屋までしか売っていなかった。
幸い、席はあいていた。
そのひとつに座った。
節電対策のせいか、冷房特有の冷気は感じなかった。
●家族崩壊
軽い睡魔が襲ってきた。
昨夜寝る前に、熟睡剤を少し割ってのんだ。
それが今ごろになって効いてきた。
心地よい眠気。
キーボードを叩く指も、心なしか、けだるい。
……昨夜、オーストラリアのB君と話したことを思い浮かべていた。
B君と母親は、車で5分ほどの距離のところに住みながら、別々の家を構えて住んでいる。
「日本では、同居する」と言うと、B君は、こう言った。
「J(=母親)は、もうすぐ、オールドマン・ビレッジに入ることになっているよ」と。
日本風に言えば、85歳とは言え、まだピンピンしている。
そんな女性でも、「もうすぐ」と、B君は言う。
そういう状態を、韓国人のある作家は、「家族崩壊」(「家庭崩壊」ではない)と見抜いた。
つまり欧米では、「家族崩壊」が、何世紀にも渡って、社会の中に定着している。
もっとも大家族主義の韓国から見れば、の話だが……。
●列車の中
眠るのもよし。
このままパソコン相手に、遊ぶのもよし。
今日のお供は、TOSHIBAのMX。
バッテリーのもちが、抜群によい。
うまく使えば、9時間はもつ。
(たった今、チェックしてみたら、93%、7時間50分と表示された。)
福井市はもちろん、大野市までもつはず。
……前の席に座った女性は、イヤフォンで音楽を聴きながら、読書している。
その横の女性は、赤いハンカチを手で握ったまま、少し離れたところの人たちをながめている。
いつもの風景。
見慣れた風景。
つぎの列車に乗れば、そのまま忘れる風景。
私も、ぼんやりと、そうした風景をながめる。
●豊橋
豊橋からは、大垣行きの、新快速に乗り換えた。
停車駅が少ない。
「大垣で、おりてみようか」という思いも、少しあった。
岐阜県に住んでいながら、私は大垣駅で、下車したことがない。
静かでよい町とは聞いている。
が、こんな朝早く着いても、しかたない。
それに体力は、できるだけ残しておいたほうがよい。
軽い頭痛は、まだ残っている。
やはりこのまま福井県の大野市に直行!
今、そう決めた。
●選択
人はいつも、そのつど、選択を繰り返しながら、生きている。
英語では「選択」というが、日本語で言えば、「迷い」。
迷いながら、生きている。
できれば迷いのない人生を送りたい。
しかし時として、その迷いに苦しむことがある。
そのときどきの気分にも左右される。
そのときは「それでよい」と思っても、あとになってから、「しまった」と思う。
そんなことも多い。
だから人は、最大公約数的な部分で、判断をくだそうとする。
無難で、安全な道。
人を傷つけず、人間関係を破壊しない。
そのレベルで、自分を納得させる。
が、そうした生き方にも、限界がある。
無数のクサリとなって、体にからみついてくる。
●御用学者
数日前、NHKのテレビ解説委員の言葉に耳を傾けた。
EUの経済危機と、USAのドル暴落について話していた。
以前の私なら、何の批評も加えず、そうした解説委員の言葉を聞いていただろう。
しかし今は、ちがう。
彼らは、ウソは言わない。
しかし本当のことも言わない。
原発事故以来、こうした解説委員の言葉を、私は信用しなくなった。
案の定、(けっしてそれを望むわけではないが)、解説委員は、こう言っていた。
「G7の経済閣僚が、電話会議を繰り返し、危機に陥らないよう努力しています」
「今は、小康状態を保っています」などなど。
が、あのリーマンショックのときを思い出してみてほしい。
すでにネット上では、危機的な情報が行き交っていた。
が、公の報道機関は、「心配ない」「影響は限定的」と繰り返していた。
結果、リーマンショックは、(ショック)となって、ドカーンとやってきた。
一番、損をしたのは、一般投資家たちであった。
今の今も、そうだ。
たとえばドイツ国債ですら、この4~6月期、1兆8000億円以上も、売り越しがつづいている。
「国が売られている」。
ブラジルやオーストラリアでさえ、売り越しに転じている(2011年8月)。
こういう事実をさておいて、「心配ない」は、ない。
こうした大本営発表には、じゅうぶん、注意したほうがよい。
彼らもまた、テレビカメラに向かって話す前、ディレクターにこう注意されているはず。
「国民にいらぬ不安を与えるような発言は避けてください」と。
かくして解説委員たは、御用学者と成り下がり、事実を国民の目からそらす。
●国際経済
国際経済について言えば、もう結論は出ている。
つまり、もうどうしようもない。
ギリシア危機についても、手の施しようがない。
お手上げ。
目下の心配は、それがスペインやポルトガルに波及するか、しないかということ。
その先には、フランスがある。
中国も同じ。
民主化の嵐は、この先強くなることはあっても、弱くなることはない。
その混乱が、世界経済にも影響を与える。
日本やアメリカについては、もう何度も書いた。
生き残る道はただひとつ。
極端な円安に誘導し、人工的にハイパーインフレを引き起こす。
そういう形で、借金をチャラにする。
官僚たちの頭の中では、その構想は、すでにできあがっているにちがいない。
●日本vsアメリカ
どんなに転んでも、アメリカはアメリカ。
そのアメリカに、日本が勝てるわけがない。
アメリカには、強力な軍隊、資源、食糧の3つがそろっている。
それがアメリカという国を、3本の柱となって、支えている。
一方、この日本には、その3つがない。
どれも貧弱。
が、それよりも心配するのは、現在の韓国がそうであるように、この日本も、アメリカの経済的植民地になるのではないかということ。
経済規模そのものが、ちがう。
アメリカにしてみれば、日本の企業の買収など、なんでもない。
たとえばアルコール(酒造)産業にしても、全国規模の酒造会社と、地方の地酒会社くらいの差はある。
力の差は、100:9程度と言われている。
日本の企業を買い取る程度のことなら、朝飯前。
アメリカはそのうち、日本の銀行の買収に乗り出してくるはず。
そのときこそ、要注意。
●名古屋へ
かたい話ばかりつづいた。
列車は、愛知県の刈谷(かりや)を出た。
名古屋駅まで、あと30分ほど。
そこから岐阜まで、30分。
この列車は、大垣まで行く。
そこで列車を乗り換え、米原から福井へと向かう。
●大垣
大垣で、今度は米原行きに乗り換える。
窓の外には、白くかすんだ田園風景がつづく。
もうすぐ伊吹山が見えてくるはず。
生涯に、2度、登ったことがある。
3度目は、もうないだろう。
……伊吹山が見えてきた。
白い夏雲。
その向こうに水色の空。
丸いなだらかな形をした山。
今は車で、頂上近くまで登ることができる。
その山を見ながら、ふとワイフのことを思い出す。
頂上で、岩に座って、氷を食べた。
が、今日はワイフの話は避けたい。
目下、夫婦喧嘩中。
というか、私は家族にも嫌われている。
同居している長男にしても、たいていのばい、話しかけても、返事すらしない。
だからときどき、私はこう思う。
「私さえいなければ、私の家族はみな、平和で安泰なのだがなあ」と。
先日観た『ツリー・オブ・ライフ』の中にも、こんなシーンがあった。
映画の中の長男が、「あんな父、早く死ねばいい」と言った。
で、それを思い出し、数日前、私は長男にこう聞いてみた。
「なあ、お前もなあ、ぼくのこと、早く死んでしまえばいいと思っているのか?」と。
が、長男は何も答えなかった。
無言イコール、「YES」ということになる。
このばあいは、そういうことになる。
少なからずショックを受けたが、私は冗談ぽく、それを受け流した。
が、私のワイフにしても、そうだ。
ときどき、本音を漏らす。
その本音が、こわい。
そのつどズバリ、ズバリと私の心を突き刺す。
先日も、こう言いかけた。
「あなたがみんなに嫌われているのはねエ……」と。
すかさず私はワイフの口を制した。
●用なし
父親というのは、そういうもの。
「家族を支えなければ」という気負いは、母親のそれとは、比較にならないほど、強い。
この40年間にしても、病気で仕事を休んだのは、数日しかない。
しかも丸1日休んだわけではない。
どうしても耐えられなくなり、午後の半分の仕事だけを休むとか、そういう休み方だった。
あとは薬をのんで、自分をごまかした。
先週も、熱中症で吐き気と頭痛がした。
それでもレッスンを休まなかった。
……というような話を、ワイフや息子たちにしても、意味がない。
即座に、「私だってねエ」とやり返される。
息子たちにしても、「そんな恩着せがましいこと、聞きたくない」と言う。
が、あるとき、男は用なしになる。
ジジイというレッテルを張られる。
とたん、家族の目は、冷たくなる。
粗大ゴミ?
厄介者?
じゃま者?
私の家だけではない。
どこの家族でも似たようなことが起きている。
このあたりでも、「親の介護が2年つづくと、兄弟姉妹は、バラバラになる」という。
集団検診に行ったとき、そこにいた看護師の女性が、そう話してくれた。
さみしい話だが、それが最近の家族像ということになる。
●機嫌を取る
私は結婚してから、いつも、ワイフや子どもたちの機嫌ばかりとってきたような気がする。
が、ときどき、それに疲れる。
だから爆発する。
その繰り返し。
今も、そうだ。
自分のしたいことより、ワイフの喜ぶことを優先させる。
長男の機嫌をとる。
同時に自分を犠牲にする。
が、一言、不平、不満をもらしたら、最後。
ワイフの態度は一変する。
(コワイゾ~!)
批判など、とてもできない。
そのまま殻にこもる。
がんこになる。
ふだんはやさしく親切。
しかしこういうときになると、「どこへでも行きたいところへ行ったら」という態度になる。
「抑圧」というのは、そういう意味では、恐ろしい。
ワイフにかぎらず、その人が、まったくの別人格になる。
それこそ20年前、30年前の話を持ち出して、口論になる。
だから……人は、常に自分を発散させて生きるのがよい。
不平や不満を、心の別室に押し込んではいけない。
それを繰り返していると、やがて心がゆがむ。
●離婚
だから私たち夫婦も、よく離婚を考えた。
喧嘩のたびに、「離婚してやる」「離婚しましょう」となる。
が、2日も、それがつづくことはない。
3日目にはまた、もとの生活に戻る。
この繰り返し。
だからこんな(繰り返し)は、もうやめようと思った。
何度も思った。
しかしそのつど、どちらが本当の私たちなのか、わからなくなる。
喧嘩をしているときは、喧嘩をしているときの私たちのほうが、本当の私たちと思う。
ふだんは、ふだんのときの私たちが、本当の私たちと思う。
が、最近の私は、喧嘩はしたくない。
だからたいてい、そのまま外へ飛び出す。
ドライブ中に喧嘩しそうな雰囲気になったら、車の外へ。
家の中であれば、そのまま外出、あるいは家出。
が、それがかえって、ワイフを怒らせる。
今の状況がそうだ。
大声を張り上げて、言い争うということはしない。……もうしたくない。
●米原
米原に着いた。
11:59分発の特急しらさぎを待つ。
まだ30分ほど、ある。
食欲はゼロ。
昨日は、やけ食いも兼ねて、4回も食事をした。
今朝もバイキング。
いまだに腹の中が、ガポガポしている。
ホームには、そば屋がある。
クーラーのきいた待合室もある。
が、私は心地よい暑さを感じながら、こうしてベンチに座って、キーボードを叩く。
……目の前に、どこ行きかは知らないが、「新快速」と書いた電車が入ってきた。
「弱冷車」という文字も見える。
「うまい言い方だな」と、感心する。
役人というのは、新語を考えるときは、天才的な頭脳を発揮する。
「自衛隊」という言葉にしても、そうだ。
中身は軍隊なのだが、「自衛隊」というと、ぐんと響きがやさしくなる。
世界をだませる。
「節電冷房」ではなく、「弱冷車」。
たとえそうであっても、そんなこと、わざわざ断らなくてもよいのに。
どこか恩着せがましい?
偽善者ぽい?
●「消えました」
そう言えば、先月、オーストラリアの友人が、それまでのガールフレンドと別れた。
それについて、その友人は、こう書いてきた。
「She disappeared from my life.」と。
直訳すると、「彼女は、ぼくの人生から消えた」と。
日本人なら、「別れた」という言葉を使う。
それを「ぼくの人生から消えた」と。
そのときも、「うまい言い方だなあ」と思った。
「消えた」と書けば、責任問題は生じない。
未練がましくない。
悲壮感もない。
それを聞いた相手(=私)にも、心配をかけないですむ。
だからもし私がワイフと離婚したら、こう言おうと考えている。
「A子(ワイフ)は、ぼくの人生から消えました」と。
●しらさぎ
ここまで普通列車(快速)でやってきた。
が、ここからは特急。
15分ほど前に、ホームに列車が入ってきた。
自由席だが、最前列の席に座る。
パソコン台があり、その横には、電源もある。
さっそく電源をつなぎ、充電開始。
学生時代は、4年間、通った路線である。
当時の私には、特急に乗ることなど、考えも及ばなかった。
いつも鈍行。
大学1年生のときは、岐阜から金沢まで、たしか900円と少しだった。
学割を使うと、急行や特急には乗れなかった。
そんなことを、ふと、思い出す。
●密度の問題
先に、「この2年間、会話らしい会話のない夫婦」について、少し触れた。
2年間!
私もワイフもおしゃべりのほう。
だからそういう話を聞くと、「よくもまあ、がまんできるもの」と感心してしまう。
私なら1週間で、気が変になってしまうだろう。
恐らく仕事のすれちがいもあったりし、顔を合わせる時間も、少なかったのだろう。
夫婦といっても、密度の問題もある。
一方、私の近所には、奥さんで、スイスで着物の着付けを教えている女性がいる。
洗練されたセンスと垢抜けたマナー。
その奥さんのばあい、一度スイスへ行くと、半年ほど、家を空ける。
が、それでも、夫婦がいっしょにいるときは、実に楽しそう。
そういう夫婦もいる。
長時間いっしょにいるから、密度が濃いということには、ならない。
要するに、夫婦に定型はないということ。
私は私。
あなたはあなた。
大切なことは、認め合うこと。
干渉しないこと。
10年とか20年とか、長い年月をかけて、それぞれが自分たちの夫婦の像を作る。
だから自分たちが、ほかの夫婦とちがうからといって、それを問題にしてはいけない。
その必要もない。
が、それにしても2年、とは!
「私なら別れる……」と考えるが、今、別れるにも、お金がかかる。
子どもの問題もある。
もちろん世間体もある。
それを考えると、「やっぱり、我慢します」となる。
●遅れ
接続新幹線の遅れがあって、発車が15分ほど、遅れるという。
「こういうこともあるのだなあ」と思いながら、静かに待つ。
6号車は自由席だが、私を含めて乗客は7人ほど。
プラットホームで駅員が何やらしゃべっていることを除けば、のどかな風景。
心休まる風景。
カーテンを開き、窓の外を見る。
駅の向こうを、車が走っているのが見える。
国道1号線だと思う。(まちがっていたら、ごめん!)
遅れていた新幹線が着いたのか、どやどやと乗客が乗り込んできた。
と、同時に発車ベルが鳴った。
列車は、北陸線へ入った。
●絵描き
絵描きと、もの書き。
よく似ている。
絵描きかは、そのときの風景(=心)を、絵にする。
もの書きは、そのときの心を、文にする。
ひとつ大きくちがうところと言えば、絵を描いているときは、心の中は無になる。
ストレス解消になる。
文を書いているときは、頭の中は緊張感でいっぱいになる。
だから文を書いていても、ストレス解消にはならない。
では、なぜ、書くか?
あくまでもこれは私のばあいだが、書かないでいると、すぐ頭の中がモヤモヤしてくる。
放っておくと、それが充満し、息苦しくなる。
だから文を書いて、それを吐き出す。
その爽快感がたまらない。
今の今も、そうだ。
窓の外の景色を見ていても、つぎからつぎへと書きたいことが湧いてくる。
ぼんやりと眺めていても、そうなる。
それはちょうどカメラマンが、何かの被写体を見つけたときの気持ちに似ているのでは?
それを楽しむ前に、シャッターを先に切る。
もしそうでないと、あとで後悔することになる。
「あのとき、写真を撮っておけばよかった」と。
もの書きの心理もそれに似ている。
そのときでないと、思いつかないことは多い。
あとになると、忘れてしまう。
「しまった!」と思うことも多い。
だから、書く。
……と書くと、「そんなことをしていたら、旅を楽しめなくなるのでは?」と思う人もいるかもしれない。
しかし旅の楽しみ方は、人、それぞれ。
私のばあいは、あとで自分の書いた文を読みなおすことで、何度も旅を楽しむことができる。
しがない、無名のもの書きだが、そう思う。
●北陸線
学生時代の北陸線から見える景色は、ひなびた田舎の農村だった。
「♪秋の、日暮れしころの、北陸の長浜の町は……イノシシが逆さまにぶらさがっている」と。
合唱団で歌った歌に、そんなのがあった。
が、その景色も一変した。
家々も近代的になり、平行して高速道路が走っている。
遠くの丘の上には、高層ビルも見える。
近代的な工場もふえた。
深い緑の木々はそのままだが、「これが北陸線?」と思うほど、あたりの様子は変わった。
●敦賀(つるが)
しかし頭の中がからっぽになることも、ないわけではない。
緊張感が途切れ、疲れを覚えたようなとき。
……たった今、列車は、敦賀(つるが)に着いた。
敦賀原発のある、敦賀。
ここにも老朽化した原発が、いくつかあるという。
津波の心配もある。
もしこの敦賀原発で、福島第一原発程度の事故が起きたら、その影響は岐阜市を越え、名古屋市にも及ぶ。
直線距離にして、岐阜市まで、70キロしか離れていない。
ウソだと思う人は、グーグルアースを使って、自分で調べてみたらよい。
つまり岐阜市も、「避難勧奨区域」。
が、岐阜市の人たちは、どこ吹く風。
敦賀というと、遠い、遠い、山の彼方(かなた)の、その向こうと考えている。
●長いトンネル
列車は、長いトンネルに入った。
福井までは、あと30分ほど。
そこから越前大野へ向かう。
子どものころ、「あの山の向こうはどうなっている」と聞いた、その「大野」。
その昔には、越前大野から塩をはじめ、数々の海産物が、岐阜県側に入ってきた。
私の母の先祖は、岐阜城からの落ち武者だった。
その街道沿いで、山賊をしていたという説もある。
もっとも母は、こう言っていた。
「通行料をもらっていただけや」と。
大げさに聞こえるかもしれないが、死ぬまでに、一度は、その大野(大野市)を見たかった。
自分の目で、それを確かめたかった。
それで今日、その日がやってきた。
●9000円
……先のところまで書いたところで、船酔いに似ためまいを覚えた。
昨夜は、午前0時ごろ、床に就いた。
目を覚ましたのは、6時ごろ。
睡眠不足がたたった。
で、パソコンを閉じ、福井市へ着くまで、静かに目を閉じた。
……今は、福井市から越前大野に向かう電車の中にいる。
1両編成のワンマンカー。
地元の人たちと思われる乗客で、ほぼ満員。
形は電車だが、エンジン音は、バスのそれ。
ときどきギアが入れ替わるのがわかる。
福井市は、遠く三方を高い山に囲まれている。
10分も走ると、広々とした田園風景が広がる。
前方には、さらに高い山が見える。
それを見て、「これはだめだな」と。
明日は、大野市から、九頭竜ダム湖まで出て、それから岐阜県の白川村まで歩くつもりだった。
距離にして20キロ。
けっして歩けない距離ではない。
平坦地なら、歩ける。
しかし「この山では……!」と。
先に、駅の観光案内所を訪れてみた。
タクシーでなら、行ってくれるとのこと。
料金は、9000円、とか。
目下、思案中。
●電車
空が曇ってきた。
雨模様。
ときどき、窓の外を見る。
まぶしいばかりの田の緑が、目に入る。
ところどころに井掘り(水道)が見える。
水が豊富なところらしい。
目の前の山々が、ぐんと近づいてきた。
どうなるのか?
トンネルに入るのか?
それとも山間を縫って走るのか?
が、電車は山のふもとで、大きく左に曲がった。
どうやら川沿いに走るよう。
湿った空気が、エアコンの風にまざって流れてくる。
気持ちよい。
やはり電車は、川沿いを走っているようだ。
川幅は、それほど広くない。
10~15メートルほど。
●夢
その昔、福井からの行商人は、この道を通って、岐阜県側に入った。
そのときもこんな山々が連なっていたはず。
旅人も、同じ景色を見ていたはず。
そんな思いで、遠くの景色をながめる。
それを簡単な地図にしてみると、こうなる。
(福井市)+++(大野市)====〒===岐阜・郡上白鳥+++++名古屋
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関市板取村
……今、思い出した。
おとなになってからも、こんな夢をよく見た。
私はどこか、長良川の上流にいる。
そこからバスでくだっていくと、やがてバスは、岐阜県の板取村(現在の関市)に入る。
バスは、どんどんと下流に向かってくだっていく。
途中にいくつか、見慣れた村がある。
そのひとつが、母の在所のあったKB村。
今、私はその夢の中にいる。
この先が、長良川の源流になる。
まっすぐ行けば、郡上白鳥に出るという。
関市板取村は、途中を右に曲がったところ。
地図の上ではそうなるはずだが、しかし地図には、その道が載っていない。
地図にも載らない、けもの道かもしれない。
そう考えていたら、ほんのりと温もりのある懐かしさが、胸の中に充満してきた。
ふるさとの源流?
あのサケも、最後はふるさとの源流に戻り、そこで産卵し、命を果てるという。
そのサケの気持ちが、少しだが、理解できる。
●86キロ!
たった今、道路標識が見えた。
「郡上(ぐじょう・岐阜県)まで、86キロ」と。
10~20キロなら歩けるが、86キロは無理。
9000円でタクシーに乗るくらいなら、中古の自転車でもよいからそれを買って、郡上まで行きたい。脚力には、自信がある。
しかし坂道では、どうしようもない。
あるいはひょっとしたら、下り坂ばかりかもしれない。
もしそうなら、一考の価値あり。
旅館へ着いたら、宿主と相談してみよう。
言い忘れたが、今夜は「俵屋」という旅館に泊まる。
先ほど、駅の案内所でその宿を推薦してくれた。
もしよい旅館だったら、実名はこのまま。
そうでなければ、「TW屋」とする。
1人1泊、10000円。
「TW屋」とし上で、悪口をいっぱい、書く。
どうかな?
●越前薬師
電車は坂を登り始めた。
エンジン音が、苦しそうな回転音をたて始めた。
横を走る道路を見ても、明らかに勾配がきつくなっているよう。
それが目視でも、よくわかる。
今、小さな駅に停まった。
「越前薬師」とある。
そう言えば、昔、母がこう話してくれた。
「よく、薬屋も通った」と。
母の家の前を通る街道を、よく薬屋も通った、と。
ひょっとしたら、その薬屋というのも、このあたりから、来たのかもしれない。
勝手な想像だが、そうした想像力を働かせてみるのも、これまた楽しい。
いや、本当に楽しい。
●観光
今回の旅には、カメラはなし。
あえてもってこなかった。
そのかわり、こうして文を書き残すことにした。
が、率直に言って、これほどまでに旅心を楽しませてくれるところとは知らなかった。
電車の中には、トイレがあり、そのトイレのドアは、そのまま観光案内になっている。
駅ごとに、(本当に小さな駅だが)、さまざまな観光地が紹介されている。
かたくりの花……ひまわりの畑……花桃の並木……芝桜……桜と越前大野城……。
そしてその先には、九頭竜湖がある!
再び、三たび、電車は平地を走ったり、山間を走ったり……。
土地の様子をみるかぎり、開けた農村地帯。
母の在所よりは、はるかに豊かな田園風景が広がっている。
●越前大野・俵屋旅館
その昔は、機織業で栄えた町という。
今は、その栄華は見る影もない。
さびれた田舎町。
しかしその威厳は、いたるところに残っている。
大野城という、場違いなほど(失礼!)、立派な城もある。
すばらしく郷愁を覚える町。
それが越前大野市。
その一角に、大きな門構えの、俵屋旅館がある。
見た瞬間、大正時代か、昭和のはじめにタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。
で、部屋に案内され、さらに驚いた。
庭先に面した部屋。
浜松にも本陣宿がいくつか残っているが、規模といい、豪勢さといい、それをはるかにしのぐ。
まさに本陣宿風の宿。
部屋の中央には、ふとんが敷いてあった。
私もいろいろな旅館に泊まってきたが、ふとんが敷いてある旅館ははじめて。
「先に旅の疲れを癒してください」という気配りか?
ありがたい。
実のところ、睡眠不足でフラフラ。
星は3つ星の★★★。
心静かに、日本のよさを楽しみたいという方は、ぜひ、一度、訪れてみたらよい。
空いていれば、離れの一軒屋に同じ料金で泊めてもらえるとのこと。
女将はこう言った。
「同じ1泊10000円でいいですよ」と。
家の香り、雰囲気、作り……すべてが、私の実家そのもの。
一言で今の心境を表現すれば、こう。
「来て、よかった!」。
(ただし田舎志向の旅人向け。
部屋にトイレはない。
内湯もなし。)
●内緒
今、私がここにいることは、ワイフは知らない。
だれも知らない。
だいたい、私自身でさえ、ここに来るとは思っていなかった。
が、だれかに居場所を知らせたいという気持ちも、ない。
ワイフもそれを望んでいないだろう。
そう言えば、私がここで今、死んだら、どうなるか?
カバンの中には、いくつかの小物があるにはあるが、私の住所と名前を記したものは何もない。
身元不詳のまま、警察の安置所に入れられるかもしれない。
そう言えば、先ほど仲居さんがお茶を運んでくれたが、宿帳をもってこなかった。
どうしてだろう?
電話で申し込んだときも、私の苗字しか聞かなかった。
が、私はそういう(いいかげんさ)が、好き。
人と人のつながりが、信頼関係で結ばれている。
私は約束どおり、この宿にやってきた。
宿主は、ふとんを敷いて、私を待っていてくれた。
なお今夜は、近くの大通りで、盆踊りがあるという。
ラッキー!
楽しみ!
本格的な盆踊りを見るのは、30年ぶり。
私の町内でも盆踊りはあるが、曲目が「♪東京音頭」であったりする。
つまり風情、ゼロ。
●鯖街道
その昔、この大野を起点として、岐阜県側にものを運んだという。
その街道には、「鯖街道」という名前がついているという。
先ほど、仲居さんが、そう話してくれた。
「岐阜に向かって旅立つ前、きっとこんな旅館に泊まって、英気を養ったのだろう」と、そんなことまで考える。
「こんなところなら、2泊してもいい」と、今、そんなことを考え始めた。
明日の朝、それを決めよう。
悲しいことに、たいへん悲しいことに、今、私がここで死んでも、悲しがってくれる人はいない。
私が見えなくなっても、心配してくれる人もいない。
ワイフはどうか?
ああいう性格の女性だから、……というか、もともと私とはいやいや結婚した人だから、私がいなくなって、今ごろは、清々しているにちがいない。
息子たちにしても、そうだ。
去年の正月(2010)、心臓発作で倒れたときも、そのあとそれを心配してくれた息子はいない。
60を過ぎると、親父も死んで当然、……とまあ、そんなふうに割り切ってしまうものか。
思い出してみれば、私自身もそうだった。
50歳と聞いただけで、老人に思った。
60歳と聞けば、なさら。
病気で倒れたという話を聞いても、たいてい「ああ、そう」で終わってしまった。
さみしい人生だが、人生というのは、そういうもの。
期待しすぎてはいけない。
期待が大きければ大きいほど、あとで落胆する。
で、この先、60%の人たちは、孤独死、無縁死を迎えるという。
死後、発見されるまでの平均日数は、6日。
60%ということは、ほぼ全員ということ。
そう思うと、不思議と気が楽になる。
大切なのは、それまで悔いなく生きること。
で、先日、友人のN先生に、こう頼んだ。
息子さんが、臨済宗の寺の住職をしている。
「死んだあと、先生のところの慰霊塔(無縁仏用の石碑)に入れてもらえますか」と。
N先生は、すかさず、「うちでよければ、どうぞ」と言ってくれた。
うれしかった。
●死に方
私が考える死に方。
よく考える。
みなに迷惑をかけそうになったら、こうする。
まずオーストラリアへ行く。
どこかの田舎町のホテルに泊まる。
そこから荒野(アウトバック)を目指して歩く。
どこまでも、どこまでも、力尽きるまで歩く。
力尽きて、気を失ったら、そこでそのまま倒れて、死ぬ。
が、今、こんなことを考える。
オーストラリアの荒野でなくても、目の前に見える、山脈でもよいのではないか、と。
この大野市からでもよい。
ここから東に向かって歩く。
地図はもたない。
山の中を歩く。
力尽きるまで、歩く。
力尽きて、そこで倒れて死ぬ。
だれにも見つからない、雑木林に囲まれた谷地がよい。
……しかし残念ながら、今の私には、その勇気がない。
それにもったいない話だが、私は健康。
まだだれにも、迷惑をかけていない。
仕事も現役。
ほどほどに順調。
楽しい。
死ななければならない、理由がない。
今は、その健康と、私を支えてくれる人たちに感謝しながら、日々を過ごす。
懸命にがんばって、過ごす。
●ひぐらし
先ほど、一匹だけだが、ひぐらしが鳴いた。
驚いた。
こんな町中で、ひぐらしが鳴く。
さすが大野と、変に感心する。
しかしもう時刻は7時。
夕食はどうなっているのか。
まさか素泊まり?
そんなはずはない。
夕食を食べたら、盆踊りを見に行く。
そこで35歳くらいの女性と知り合いになり、今夜はラブラブ……。
もっとももう、今は、その元気もない。
今の今ですら、眠い。
●大野・盆踊り
今日は16日(火曜日)。
「ふつう盆踊りというと、15日までなのだがなあ」と思いつつ、したくをする。
下駄を履いて出かける。
大野市は、想像以上に、大きな町だった。
大通りには、提灯が一列に、きれいに並んでいた。
また夜店も、道の両側に、100~200軒も並んでいた。
遠くに、ライトアップした大野城を見上げながら、みな、整然と盆踊りをしていた。
もちろん知らない人ばかり。
大都会の真ん中にいるような孤独感を覚え、祭り会場を一周すると、そのまま旅館へ。
もう一度、風呂に入って、今夜は、このままおとなしく寝る。
熱中症の後遺症が、まだ残っている。
軽いめまいと頭痛。
気分は、晴れない。
今夜10時に、オーストラリアの友人とスカイプをすることになっている。
それまで起きていられるかどうか……?
かなり眠い。
もう少しがんばってみよう。
●私の欠陥
私は欠陥だらけ。
ワイフの目を通してみると、それがよくわかる。
(1)短気
(2)気分屋
(3)情緒が不安定
(4)うつ
(5)気難しい
(6)こだわりやすい
(7)人間関係で、傷つきやすい
(8)落ち込みやすい
(9)ワンマンで、権威主義者
まさにいいとこ、なし。
いいところもあるとは思うが、ワイフの目を通すと、それがすべて消えてしまう。
ただこういうことは言える。
ワイフの父親は、すばらしい人だった。
私も認める。
だからワイフは、いつも自分の父親を基準にして、私を見る。
言うなれば、ファザコン。
マザコンの反対だから、ファザコン。
しかしワイフの父親のような男性は、そうはいない。
というか、ワイフの父親を基準にしたら、世の男性はすべて、私も含めて、バカかアホに見える。
が、これは困る。
……とまあ、グチはこれくらいにしよう。
何だかんだと言いながら、40年間、いっしょに暮らしてきた。
その40年間という(重み)は、だれにも消せない。
私にも消せないし、ワイフにも消せない。
それに残りの人生は短い。
ともに健康なのは、あと10年もない。
新しい人生など、もう望めない。
あとは落穂を拾うように、人生の残り火をひとつひとつ大切にしながら生きていく。
私の性格は、変わらない。
ワイフの性格も、変わらない。
世の中には、いろいろな夫婦がいる。
私たちも、そのひとつ。
……というか、淡々と生きていく。
やるべきことをやり、人生の始末をつけるべきところはつけながら。
●8月17日
昨夜は10時ごろまでがんばって起きていた。
オーストラリアの友人とスカイプをする約束になっていた。
が、何度やっても、つながらなかった。
朝、起きてメールを読むと、「テレビを観ながら、眠ってしまった。Sorry!」とあった。
友人も、睡眠障害をかかえている。
睡眠時無呼吸症候群というので、毎夜、マスクを口にあて、眠っている。
私もそうだ。
早朝に目が覚めてしまう。
そのため昼食前後に、眠くなる。
昼寝をする。
その調整が狂うと、とたんに調子が悪くなる。
脳みその調子が悪くなる。
ぼんやりとし、何も考えられなくなる。
あるいは集中力がつづかなくなる。
●時刻は、5時
今、時刻は午前5時。
今日の予定は、九頭竜湖まで行き、そこからタクシーで、郡上白鳥へ向かう。
郡上白鳥からは、電車で、美濃大田まで。
そこで電車に乗り換え、名古屋へ。
郡上白鳥まで行けば、そこは私の故郷。
自由に行動できる。
……たった今さがしてみたが、肝心の時刻表と、タクシー会社の電話番号を書いたメモをなくしてしまった。
昨夜の祭りのとき、もって出たのが、最後。
どこかで落としてしまった?
大野駅の駅前にタクシー会社があったから、そこで再度、交渉してみる。
それにしても、ドジな話だ。
●頭痛
熱中症の頭痛が、まだ残っている。
脳がダメージを受けたのかもしれない。
熱中症で死ぬ人だっている。
けっして軽く考えてはいけない。
今日も暑くなるといから、注意しよう。
●失われた10年
ニュース・サイトをいくつか読む。
円高がつづいている。
1ドル、76・923円。
あとちょっとで、77円。
「円高で、助かります」などと、ノー天気なことを言っている人は多い。
盆休みを利用し、海外旅行に出かけた人たちだ。
成田空港で、テレビのレポーターに向かって、そう言っていた。
バカめ!
こんなメチャメチャな円高が続けば、日本の産業は、大打撃を受ける。
倒産もふえる。
その分だけ、工場の海外移転が進む。
半年を待たずして、日本はさらなる大不況の嵐に呑み込まれる。
「今回の円高で、失われた10年が、再びやってくる」と書いているサイトもあった。
つまり、そうなる。
今や日本中が不景気で、青い息吐息。
そのことは、大野市のような町に来てみるとよくわかる。
商店街では、どの店も、門構えだけは、大きく立派。
しかしシャッターを閉じる寸前。
並べてある商品を見れば、それがわかる。
賞味期限を過ぎたような、古い商品ばかり。
もし今、日本が再び「失われた10年」を迎えたら、3度目の「失われた10年」になる。
結果、日本は確実に二流国に転落。
アジアの各国と肩を並べることになる。
そこでIMFは、日本にも、「歳出削減」を求めている。
つまり小さな政府で、効率よく政策運営をせよ、と。
当然のことである。
収入が減ったら、それに見合った政府に作り変える。
借金に借金を重ね、ぜいたくをつづける国が、どこにある?
……(怒り)が戻ってきた。
よかった。
この(怒り)が、文を書く原動力となる。
(怒り)がなければ、文など、書けない。
●怒り
横にある朝日新聞(8月17日)を読むと、こうある。
「廃止補助金、98%、天下り先へ」「姿変え継続」(防衛省)と。
天下りを減らそう、そのために補助金を減らそう、と。
しかしフタを開けてみたら、結局は改善されたのは(?)、たったの2%。
朝日新聞は「姿変え」という言葉を使っている。
「見たか、日本の官僚制度!」と書きたいが、書くだけ、空しい。
こうした手法は、官僚たちの常套手段。
面従腹背などという生易しいものではない。
狡猾。
狡猾、そのもの。
だれかが声をあげなければならない。
しかしだれも声をあげない。
声をあげないから、行動もしない。
だから旧態依然のまま、悪弊はつづく。
同じく日本経済新聞には、こうある(8月17日)。
「日本人の特質は、我慢強さにある」(「新しい日本へ」福井俊彦)と。
我慢強い?
朝日新聞と日本経済新聞を並べて読むと、どうもそうではないのではないか。
日本人は、自分でものを考え、自分で行動できない。
それが「98%、天下り先へ」となり、他方で「我慢強さ」となる。
……が、今日は、ここまで。
(怒り)がつづかない。
●越前大野の駅で
電車が来るまで、15分ほど、ある。
先ほど、駅へ来るまで、1時間ほど、町の中を歩いてみた。
静かな町だった。
不思議なことに、知人が3人、できた。
1人は道を案内してくれた若い男性。
しばらく歩いていると、また別の男性。
こちらの男性は、私と同年輩。
いっしょに町中を歩いてくれた。
が、そこへ先ほどの若い男性。
「これ、私の息子です」と。
偶然だった。
親子で、別々に、私を案内してくれた。
もう1人は、昨日、越前大野へ来る途中のこと。
1人の女性と知りあった。
話を聞くと、いろいろ教えてくれた。
その女性と、今朝、またまた駅で会った。
昨日別れるとき、「お元気そうでいいですね」と声をかけると、こう言った。
「いいえ、盆休みというのに、病院通いですよ」と。
で、今朝会ったとき、「今日もですか?」と声をかけてしまった。
するとその女性は、笑いながら、「今日はちがいます」と。
のどかな町の、どこまでも親切な人たち。
私は越前大野がすっかり好きになった。
●越美北線
この路線を、「越美北線」という。
ならば、「越美南線」は、ということになる。
実は、美濃白鳥から美濃大田までの路線を、昔は「越美南線」と呼んだ。
今は、第三セクター方式で、「岐阜長良川鉄道」と呼ぶ。
が、もし越美北線と越美南線がつながっていたとしたら……。
岐阜県と福井県が、そのままつながっていたことになる。
が、その計画は実現しなかった。
恐らく、途中の山々が険しすぎたためではないか。
これからその山々をタクシーで抜ける。
どういう状態か、自分で確かめる。
●家出
私は目下、家出状態。
おとなげないとは、自分でもよくわかっている。
しかしその一方で、家出をする少年少女(=子どもたち)の心理が、よく理解できる。
で、私は今日か、明日、自宅に戻る。
帰りづらいが、戻るしかない。
が、戻ったとき、ワイフがそのまま迎えてくれれば、それでよし。
しかし不愉快な顔をされたり、小言を言われたら、どうか?
私は再び、そのまま家出してしまうかもしれない。
これは家出をする少年少女の心理に共通している。
親にしてみれば、「心配をかけて!」となる。
しかし家出をする側には、それなりの「理由」がある。
言いたくても言えない、理由がある。
だれも好き好んで家出をするわけではない。
自分の居場所がない。
家にいても、不快感ばかり、募る。
それを解消しようと、家出をする。
家に戻るにも、それなりの(壁)と闘わなければならない。
そんなとき、つまり家に帰ったとたん、父親や母親からガミガミ言われたら、その子どもはどうなるか。
かえって追いつめられるだけ。
だから次回は、さらに本気になって、家出をする。
さて、ワイフはどのように反応するか。
ワイフの反応しだいでは、再び、家出ということにもなりかねない。
で、一言、追加。
家出する側、つまり私は、こう思う。
「ワイフは何も心配など、していない。今ごろは、私がいなくて清々しているだろうな」と。
この私の心理も、家出をする少年少女の心理を理解するのに、役に立つのでは?
●亀裂
しかしこんなことも言える。
「家出」には、たいへん危険な側面もある。
つまり対処の仕方をまちがえると、夫婦のばあい、離婚ということになりかねない。
今回、私は家出をしたが、いつもと微妙に心理状態が異なっているのを知った。
たとえば昨夜も、大野市の夜祭を見た。
いつもの私なら、「ワイフにも見せてやりたかった」と思う。
が、昨夜は、そういう心理にはならなかった。
町のパンフレットにしても、駅の構内のゴミ箱に捨ててきた。
家に帰っても、越前大野市の話はしないだろう。
ワイフもああいう勝気な性格だから、聞かないだろう。
つまり夫婦の間に、小さいが、亀裂が入る。
その亀裂が修復されるものであれば、それはそれでよし。
が、そうでなければ、そうでない。
●九頭竜川へ
大野市から、さらに東に向かう。
九頭竜川行きの電車に乗る。
40分ほどで着くという。
左右には、豊かな田園風景が広がる。
ここは米どころ。
越前米の中心地。
こんな内陸に、これほどまでに広い田園地帯があるとは!
豊かな清流。
公害とは無縁の澄んだ空気。
蔵を並べた農家が、点在して見える。
「次回は、越前米を食べてみよう」と。
今、そんな気分になった。
●油坂
九頭竜ダムから美濃白鳥(しらとり)までは、タクシー。
今回の旅の目的は、ここにある。
そこには、私が子どものころから、一度は見たかった景色が広がっているはず。
じっくりと、見てみたい。
楽しみ。
途中「油坂」という坂(?)も通るらしい。
実は子どものころ、その「油坂」という言葉も、よく耳にした。
ここへ来て、そしてその文字を見て、それを思い出した。
「この道を上っていくと、油坂を通って、大野へ行く」と。
断片的な記憶が、ジグソーパズルのように、つながっていく。
●九頭竜ダム
九頭竜ダムが近づいてきた。
左右の山々が迫ってきた。
ときどき深い谷の上を、電車が走る。
では、電車の中では、ここまで。
これからはじっくりと景色を楽しみたい。
●白鳥(しろとり)
大野市の人たちは、「白鳥」を、「しらとり」と読んでいた。
私の故郷(岐阜県美濃市)でも、「しらとり」と読んでいる人がいた。
で、タクシーの運転手にそれを確かめると、「しろとり」が正しいとのこと。
「白鳥駅の近くには、看板がたくさんあって、みな、しろとりになっていますよ」と。
私も白鳥駅に着いて、それを確かめてみた。
やはり「しろとり」が正しかった。
地元を離れて、45年になる。
地名の読み方すら、記憶の中から消えていく。
●名古屋から
楽しい旅だったとは、言いがたい。
何かにつけ、気分が重かった。
食欲は、この3日間、ほとんどなかった。
が、いろいろな出会いがあった。
私はそういう点では、社交的(?)。
ちょっとしたチャンスをとらえ、相手の会話の中に入っていく。
今日は、このままおとなしく家に帰ることにする。
ワイフのことだから、今ごろは、自分のほうで家を出ているかもしれない。
昔からそうだが、家で静かに待っているタイプではない。
それも覚悟しておこう。
しかし今回の旅で、こんなことを発見した。
家出するといっても、その家出先が私にはない。
親戚を訪れれば、迎えてくれるより先に、相手は驚いてしまうだろう。
あとは、その話は、一晩をおかず、親戚中に伝わってしまう。
また友人といっても、私を泊めてくれるような友人は、この日本にはいない。
その前に、安心して我が夫婦のもめごとを話せるような友が、この日本にはいない。
だからといって、これからそういう友人をもつのは、不可能。
友情を育てるにも、その熟成期間すら、ない。
つまり「はやし浩司」といっても、この程度の人間。
自分でも情けなくなる。
●オーストラリア
オーストラリア……友人と、おとといスカイプで話した。
いろいろな人の名前が出てくるたびに、なつかしさがこみあげてきた。
この4月に会った人は、みな元気という。
電車の中でこの文を書いていることもある。
しかしこの日本では、窓の外を流れる景色のように、時間が過ぎていく。
立ち止まることさえ、許されない。
オーストラリアでは、ゆっくりと穏やかな風に包まれて、時間が過ぎていく。
横を見たり、うしろを見たり……。
そんなことが自由にできる。
今の仕事ができなくなったら、しばらくオーストラリアに住んでみよう。
そのあとのことは考えない。
先に、こう書いた。
どこまでも歩き、力尽きたら、倒れて、そのまま死ぬ、と。
しかし何も、オーストラリアの荒野(アウトバック)でなくてもよい。
福井県の山の中でなくてもよい。
人生という舞台でも、それはできる。
生きて、生きて、生き抜く。
やがて力尽き、倒れるまで、生きて、生きて、生き抜く。
そのあとのことは、知らない。
考えても、どうにもならない。
●浜松へ
列車は、刈谷を過ぎ、豊橋に向かっている。
そこで浜松行きに乗り換える。
窓の外には、田園風景が広がっている。
稲穂の中には、やや黄みを帯びたものもある。
しかし今朝見た、大野町の稲穂とは、明らかにちがう。
あえて書くなら、稲穂の向こうに見える、本気度がちがう。
大野町で見た稲穂は、一本、一本が、筋をそろえて、まっすぐ立っている。
そんな感じがした。
人間も、同じ。
本気で生きている人と、そうでない人は、明らかにちがう。
本気で生きている人は、生き生きと輝いている。
そうでない人は、そうでない。
年齢は関係ない。
●居眠り
電車の中で居眠りをしてしまった。
ひとつ手前の高塚で降りるつもりだったが、そのまま浜松へ。
一度事務所によって、留守番電話を確認。
そのままタクシーで家へ。
ワイフと長男は外出中だった。
私はドカッと居間に座った。
そこへワイフと長男が帰ってきた。
不機嫌な顔をしていたらか、私も黙っていた。
……ということで、気楽なひとり旅は、おしまい。
次回は、(岐阜)→(板取側の上流)→(大野市)をめざしてみたい。
そうそうタクシーの運転手が教えてくれたが、大野市から板取村へ抜ける道は、別にあるとか。
途中は車も走れない山道とか。
今回の、九頭竜川沿いの道とは、別ルート。
残念!
何しろ、地図さえない道の話だから……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 越前大野 福井県大野市 九頭竜川ダム)
Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司
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