Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, November 27, 2011

●ADHD児





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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司   12月 5日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【小学1&2年生に、割り算を教えてみました】

(1)小学1年生クラス



(2)小学1年生クラス



(3)小学1年生クラス




Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(1)小学1&2年生クラス(Active Children)




(2)小学1&2年生クラス(Active Children)




(3)小学1&2年生クラス(Active Children)


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 割り算 割り算レッス
ン 日本の小学1年生 Active Learning 愉快な子どもたち 活発に学ぶ子どもたち わ
り算練習)


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●7・206

 現在(08:15)、イタリア(10年国債)の利回りは、7・206。
午前7:15分時と、変化なし。
はげしい動乱のあと、EUも、やっと眠りについたらしい。

 で、今度は、この日本。

 株価はどう動くか。
大和、野村の株価は、どう動くか。
目が離せない!

 ……ということで、今日も始まった。

 田丸謙二先生、みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【教育とエデュケーション】

●2011年11月11日(金曜日)(はやし浩司 2011-11-11)

++++++++++++++++++

今朝は、雨。
冷たい雨。
肌寒いが、身がひきしまる。
一、二度、くしゃみを繰り返す。

そう言えば、昨日から鼻水が出る。
どこか花粉症ぽい?
今日は、インフルエンザの予防注射を受けてくる。
ワイフは、2週間ほど前にすませた。

+++++++++++++++++

●雑感

 曇天より、雨のほうがよい。
降るなら降る。
はっきりしてほしい。
私はそのほうが、好き。

 ところで、こんな話。

 教育観は、教師によって、みなちがう。
180度ちがうときもある。
たとえば私は、いつも、(そこにいる子ども)を原点にし、子どもを考える。
さまざまな問題があっても、それはそれ。
仮に何かの障害(?)をもっていても、不問。
IQなど、話題にしたこともない。
すべてが、そこからスタートする。

 一方、テストにテストを重ね、「ここに問題がある」「あそこに問題がある」と子どもの
問題を指摘しながら、指導する教師もいる。
もちろんIQテストも頻繁に繰り返す。
子どもの問題や能力を、数値化する。
指導の結果も、数値化する。
どこか教育の視点が、無機質化している。

 が、この方法は、私のやり方ではない。
AD・HD児を例にあげて、考えてみたい。

●「教育」と「エデュケーション」

 「教育」と「エデュケーション」は、基本的に方向性が、逆。
反対向き。
「教育」とは、「教え育てる」ことをいう。
寺の本山教育を思い起こせばよい。
わかりやすく言えば、「教え育てることによって、子どもを一定のワクに閉じこめようよす
る」。

 一方、エデュケーションは、「educe」が語源になっている。
もともとは「引き出す」という意味である。

 それぞれの子どもには、すでに自ら伸びる能力が宿っている。
その能力を引き出すのが、「educe」。
が、その能力は、みな、ちがう。
個性をもっている。
わかりやすく言えば、「子どもがもつそれぞれの能力を、じょうずに引き出してやる」。
それが「エデュケーション」ということになる。

●AD・HD児

 ……という話は、何度も書いてきた。
田丸謙二先生は、いつもそう言っている。
が、この(ちがい)には、もうひとつ、重要な意味が隠されている。
たとえばこんな例で考えてみよう。

 AD・HD児と呼ばれる子どもがいる。
昔は、多動児とか、多動性児とか、あるいは活発型遅進児(まったく遅れてなどいないが)
とか、呼ばれた。
このタイプの子どもでも、小学3~4年生を境に、急速に症状が落ち着いてくる。
自己認識能力(=自分を客観的に評価する能力)と、自己管理能力(=自分を自らコント
ロールする力)が、身についてくるからである。

 が、幼児期や児童期においては、そうでない。
どう(そうでない)かは、すでに、みな、よくご存知の通り。
「問題児」とか、「指導困難児」とか呼ばれている。

●私の経験

 AD・HD児という言葉がさかんに使われるようになったのは、2000年前後から。
そのころ、日本にはまだ診断基準もなかった。
時の厚生省が研究班を組織し、特定の大学に診断基準の作成を依頼したのも、そのころの
こと。
が、ADHD児と呼ばれる子どもは、すでに40年前にもいた。
(当然のことだが・・・。)

 私は一度、このタイプの子どもに、自分の研究授業をメチャメチャにされたのをきっか
けに、たいへん興味をもつようになった。
強く叱っても、効果は一時的。
10~15秒も効果はつづかなかった。

 で、勤めていた幼稚園の園長に相談し、このタイプの子どもだけを数人、教えさせても
らうことにした。
数人が限度だった。
が、教えるというよりは、毎日、プロレスごっこ。
20代の私でも、1時間、接しただけで、ヘトヘトになるほどだった。

●診断名

 西洋医学の世界では、体に不調が起きると、まず診断名をつける。
診断名をつけたあと、診断名に応じて、攻撃的な治療にとりかかる。
これが西洋医学的なものの考え方であり、治療法である。

 つまり診断基準を設けるということは、すでにその時点において、西洋医学的な視点で
子どもを見ているということになる。
「この子どもは、ADHD児である」と。
一見科学的(?)だが、しかし重要な視点を見落としている。
「相手は、人間である」。

 しかし40年前の当時には、そんな診断名すら、なかった。
またなくても、困らなかった。
私はやがて、・・・といっても、それを知るまでに、10年以上もかかったが、こう考えるよ
うになった。
「時を待てば、自然に解決する」と。
脳の器質的障害(=機質的障害)は別として、AD・HDのような機能的障害については、
子ども自身に自己治癒能力が備わっている。
年齢とともに、脳の機能が、自らを正常化していく。

 その結果というわけではないが、それ以後の研究によれば、あのモーツアルトも、エジ
ソンも、そしてチャーチルも、AD・HD児だったと言われている。
さらに最近では、あのアインシュタインも、そうであったと、言われ始めている。

 もちまえのバイタリィテイが、ある年齢以上になると、よい方向に作用し始める。

●複雑化

 が、2000年以後、診断基準が確立されると、「リタリン」という薬がこの日本でも使
用されるようになった。
私は、即、その薬についての文献を、アメリカでさがした。
が、驚いたことにすでにそのとき(2000年ごろ)、リタリンの副作用や弊害が指摘され
ていた。
そのことは、私のHPにそのまま翻訳し、収録した。
(現在でも、その当時の文献は、そのままHPに残っている。)
が、それから数年の間、リタリンは、ADHD児の特効薬として、ごくふつうに、学校内
部でも使用された。
昼休みの時間などに、保険の教師が、子どもに投与しているのを、私は何度も見かけたこ
とがある。

 が、子どものばあい、とくに幼児のばあい、脳の機能(=脳間伝達物質)をいじる薬物
治療については、慎重であったほうがよい。
脳には、フィードバック機能というのがある。
ある特定の脳間伝達物質を服用すると、脳自体が本来もつ機能を停止してしまう。
これがかえって症状を、悪化させてしまう。

 それが理由だと思うが、現在、リタリンの使用は、AD・HD児に関しては、使用がき
びしく制限されている。

●幼児性

 つまり私はADHD児という言葉がポピュラーになる前、すでに30年近い経験を積ん
でいたことになる。
(こんなことを自慢しても、何にもならないが・・・。)
そこへ降ってわいたように、AD・HD児という言葉が出てきた。
治療法(?)も、出てきた。
学校によっては、診断基準に応じて、特別学級が用意されるようになった。

 たしかにAD・HD児は、「指導困難児」である。
それは事実。
教育の場である「教室の秩序」を、容赦なく破壊してしまう。
が、幼児期から児童期にかけ、症状さえこじらさなければ、先にも書いたように、症状は
やがて落ち着いてくる。
が、こじらせば、話は別。

 薬物療法を受けた子どもや、はげしい指導(強圧的、威圧的な指導)を受けた子どもは、
AD・HDの症状のほか、複合的な症状をあわせもつようになる。
当然のことながら、その分だけ、「立ち直り」が遅れる。
顕著な症状としては、人格の核(コア)形成の遅れがあげられる。
その年齢(学年)なのに、その年齢(学年)に比して、著しく幼い印象を与える。
小学6年生なのに、小学3~4年生のように見えるなど。

 だから指導のポイントは、つぎのようになる。
「症状をこじらせないよう、あとは時期を待つ」。

●自然治癒力

 話を戻す。

 そこにAD・HD児がいたとしても、それはそれ。
まずその子どもが、そういう子どもであることを認める。
診断名がついていたとしても、教育の場では、不問。
わかっていても、知らぬフリをし、指導を開始する。

 指導が「困難」といっても、「不可能」ではない。
それにワクに入らないからといって、「問題児」と決めつけてはいけない。
(日本人は、古来より、「型」を重要視する。
ワクからはみ出る子どもを、嫌う。
しかしこれこそ、悪しき「本山教育」の弊害。)

 ポイントは、先にも書いたように、症状をこじらせることがないよう、時期を待つ。
つまりここで「引き出す」という言葉が生きてくる。
仮にAD・HD児であっても、子ども自身がもつ、自然治癒力や自然平衡能力、そういっ
た力が自然に機能するまで、待つ。

 平たく言えば、脳の機能も、年齢とともに成長する。

●終わりに

 要するに(引き出す)ということ。
つまりこと教育に関して言うなら、(診断)→(治療)という、西洋医学的な視点は、参考
にはなっても、本題であってはならない。
なぜなら、どんな子どもでも、1人の人間であり、現にそこにいるからである。
相手がどんな子どもであっても、そこにいる子どもを認め、その上で、指導を組み立てて
いく。

 教育者の考えるワクに入らないからといって、その子どもを問題視するほうが、まちが
っている。
いわんや「型」に押し込めようとするのは、まちがっている。
もし教師がやるべきことがあるとするなら、その子どもがもつ、自然治癒力を引き出すと
いうことになる。

……という意味で、今一度、「educe(引き出す)」の意味を考えてみた。
その一例として、AD・HD児について、考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 教育とエデュケーショ
ン 引き出す教育 ADHD児 AD・HD児 多動性児 多動児 はやし浩司 教育に
おける診断と治療)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●雑感(なぜ男性便器の周辺は、汚れるのか?)

 ときとして、(……というより、いつもそうなのだが……)、無駄なことを考えて遊んで
いる。

 たとえば先日来より気になっているのが、男子トイレの汚れ。
不潔さ。
女性は知らないかもしれないが、どこの男子トイレへ行っても、便器のまわりは汚れてい
る。
それを見て、だれしもこう考える。
「ちゃんと便器の中へすれば、そんなに汚れないのに……」と。

 私もそう考えていた。……考えている。
「どうして汚れるのか」「汚れないようにするためには、どうすればいいのか」と。

 いろいろ理由があることがわかってきた。
そのひとつは、小便というのは、本体の小便のほか、周囲を霧状になって散る小便がある。
これは明るい太陽を横にし、立ち小便をしてみるとよくわかる。(大発見!)
チリも積もれば……ということで、それが便器の周辺に飛び散る。
便器の周辺を汚す。……(1)
が、それだけではない。

 男性のばあい、(女性のことは知らないが)、それが終了するとき、そのまま途切れるの
ではなく、一部が、ソーセージに沿って、下内側へ逆行する。
表面張力という力が働いて、逆行する。
……と考えていたが、よくよく観察すると、どうもそれだけではなさそうだ。

 実は……ということで、前から知ってはいたが、改めて発見した。
小便の出口は、管状になっているのではない。
細い縦糸状になっている。

 男性というのは、いつも上からソーセージを見ているので、知っていても、直接それを
見ることは、めったにない。
イメージとしては、管状。
しかし実際には、縦糸状。

 つまり出口が縦糸状になっているから、それが終わるとき、しずくが縦に流れる。
それが先に書いた表面張力の力で、ソーセージの下から逆方向に落ちる。(大発見!)
だから便器の中へではなく、そのまま便器の外へ落ちる。
便器の周辺を汚す。……(2)

●では、どうすればよいか?

 (1)による汚れをなくすためには、小便をできるだけ低い位置からすればよい。
立ってするから、霧状の小便が、周囲に飛び散る。

 (2)による汚れをなくすためには、ソーセージより後方に、便器を広げる。
しかし実際には、足がじゃまになるので、それができない。
そこでもう少し深く、考えてみる。
なぜ出口が縦糸状なのか、と。

 理由はすぐわかった。

 もともと人間は、四つ足で歩いたり、走ったりしていた。
犬が小便する様を思い浮かべてみればよい。
その姿勢では、ソーセージは、真下に向かってたれさがっている。
が、人間は二足歩行をするようになった。
そのため人間は、ソーセージを真横に向けて、小便をするようになった。
そもそも、……こう結論づけるのは危険かもしれないが、横に向かって小便をすることに
は、無理がある。
無理だから、小便の一部が逆行してしまう。

 では、どうするか?

 もうおわかりかと思うが、ソーセージを真下に向けて小便をする。
ズボンのチャックを横にではなく、真下にあける。
真下にあけて、そこから手を突っ込んで、ソーセージを引き出す。
そして真下に向かって、シャーッ(ジャーッでもよい)と、小便を出す。

 が、実際問題として、手を下から入れて、ソーセージを出すのは不可能。
だったら、男性もスカートをはけばいい?
が、そうすると、これまたいろいろな問題が出てくる。
下着はどうするか?

●結論

 よく純和風の旅館に泊まったりすると、便器が、筒状の傘立てのようになっているとこ
ろがある。
あれならよい。
男性はその筒状の便器の真上に、それをまたいで立ち、ソーセージをまっすぐ下に向け、
小便をする。
そうれば、(1)と(2)の問題を、同時に解決することができる。
便器のまわりを汚さないですむ。(大発見!)

 要するに、現在の便器には、欠陥がある。
その欠陥故に、便器のまわりが汚れる。
ふとどきな連中が、便器のまわりを汚すのではない。
ソーセージそのものが、汚すようにできている。

 そこで結論。

 便器は傘立てのように筒状にする。
小便はその上でまたいでする。
そのときソーセージをしっかりと下に向けてする。
ソーセージと便器の高低差はできるだけ小さくする。
そうすれば、便器の周辺を汚さないですむ。……はず。

 以上、男子トイレについて、考察を加えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 男性便器 便器 どう
して男性のトイレは不潔なのか 汚れるのかはやし浩司 男子トイレ 男子トイレ考察)


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●ULTRABOOK TOSHIBA R631/28D

+++++++++++++++++++++++

ACER社とSUSAS社、それにTOSHIBA社。
これら3社から、ULTRABOOKが、出そろった。
3社3様。
が、私は、カタログで、私はTOSHIBAのR631に、決めていた。
そのR631が、11月11日(本日)、発売になった。

駅前のB店に行くと、それが並んでいた。
他の2社と比較すると、やや値段が高いかなと感じた。
「Office/Home & Business2010」が、付属しているということもある。
が、私は日本人。
迷ったら、日本製。
それにノートパソコンは、TOSHIBA製と決めている。

ただ発売当日に購入というのも、どうかと思った。
1~2か月もすると、値段が、数万円程度は安くなる。
が、それまで待ちきれない。
・・・ということで、購入。

今、そのR631で、この文章を打っている。

+++++++++++++++++++++++

●R631

 一度自分のモノになったら、批評はしない。
批評すれば、自分がさみしくなる。
よくても悪くても、この先、いっしょにつきあうしかない。
私のほうが、パソコンに慣れる。
自分に「これはよいパソコン」と、繰り返し言って聞かせる。
それしかない。

 そのR631。
よいパソコンだ。
ENTERキーが大きいのが、二重丸。
バッテリーのもちも、9時間(実測でも7時間程度)。
それだけあれば、ほぼ一日中、使える。
が、何よりもすばらしいのは、起動が速いこと。
電源を入れて、10秒ほどで、デスクトップ画面が現れる。
SSD(ハードディスクの代わりにSDを使ったパソコン)のすごさを、改めて実感する。

●欲望

 で、その欲望。
欲望をすべて「悪」と決めつけてはいけない。
欲望そのものは、生きるエネルギーと直結している。
そのことは、生きる力をなくした老人を見れば、よくわかる。
私の母がそうだった。

 元気なころは、ちぎり絵に没頭していた。
一日中、部屋にこもって、作品と取り組んでいた。

 が、晩年の母は、ちぎり絵にまったく関心を示さなくなっていた。
私が材料や道具を用意して置いてみたが、手も触れようとしなかった。
生きる意欲そのものを失っていた。

 もう1人、こんな人がいた。
車が好きで、元気なころは、つぎつぎと新型の車に乗り換えていた。
が、あるときから、パタンと、・・・本当にパタンと、車に興味を示さなくなってしまった。
何かの大病を患ったときのことだった。
その人はそのあと、しばらくして、亡くなってしまった。

 だから・・・。
たとえば、(ものが欲しい)という欲求が生まれたら、(あくまでも60歳以上の人につい
ての話だが)、それを消さないようにする。
しばらく放っておくと、その欲望そのものが消えてしまう。
どうでもよくなってしまう。

●自己投資

 が、こうなると、時間との勝負。
私が早くくたばるか、欲望が早くくたばるか・・・?
平均余命まで、あと15年。
何とかそれまでは、元気で過ごしたい。
そのためにも、欲望を大切にしたい。

 ずいぶんと身勝手な、かつ手前味噌的な意見だが、今の私は、そう思う。
だから家に、ノートパソコンがいくらゴロゴロしていても、新しいパソコンを買う。
もう少し専門的な表現を借りるなら、自己投資。
脳みその健康のためには、自己投資を怠らない。
命はお金では買えない。
が、お金で命を延ばすことはできる。 
だから、自己投資!

●条件反射 

 物欲そのものは、線条体に、受容体を作りやすい。
つまり条件反射が起きやすくなる。
ニコチン中毒やアルコール中毒と同じ。
新製品のカタログを見ているだけで、ググーッとそのモノがほしくなる。
これはまさしく条件反射。
若い男性が、女性のヌードを見たときのようなもの。
性欲本能は、(本能)で、ここでいう(条件反射)とは異質のものかもしれない。
しかし性欲も、扱い方によっては、受容体を形成しやすい。

 たとえば女性の下着を見ただけで、(それも汚れた下着のほうがよいそうだ)、ググーッ
と性欲を覚えるなど。
だから欲望といっても、善玉と悪玉とに分ける必要がある。
どこでどうこの両者を区別するかについては、むずかしい。
しかし基本的には、欲望イコール、(生きる原動力)と考えてよい。
もちろん犯罪性をともなう、反社会的行為は別である。

●甘い陶酔感

 ・・・今のところ、R631が、たいへん気に入っている。
キーボードが打ちやすい。
画面も13・3インチ(ワイド)ある。
それに軽い!
驚くほど、軽い!

 部屋の中を持ち歩いても、苦にならない。
それにもうひとつ、大発見。
欲望をじょうずに満たすと、脳の中に、モルヒネ様のホルモンが分泌される。
それが脳内を、甘い陶酔感(=満足感)で満たす。

 その結果、買うまでは軽い頭痛があったが、それが消えた。
反対に欲望を抑え込むと、ストレスが増大する。
それが脳内ストレスを引き起こす。
サイトカインという悪玉ホルモンを分泌する。

 このサイトカインには注意したほうがよい。
最悪のばあいには、体の免疫機能に作用して、免疫力そのものを弱めてしまう。

●結果論

 これは結果論。
冒頭に書いたように、私は3つパソコンの中から、どれにするか、それに迷った。
が、もっとも値段が高く、性能もよいTOSHIBA製のパソコンを選んだ。
しばらく使ってみると、それが心地よい喜びとなって返ってきた。
「いちばん気に入ったパソコンを手にした」という喜びである。

 こういうときは、いちばんよい機種を手にするのがよい。
二番手、三番手をもつと、かならず飽きる。
後悔する。
飽きて、結局は一番手が、またほしくなる。
ミニパソコンが出始めたころ、私はそれで失敗した。
つぎつぎと新製品が出たこともある。
気がついたときには、5~6台のパソコンがテーブルの上に並んでいた。
もっとも当時は、それをもらい受けてくれる息子たちが近くにいたからよかった。
が、そういう失敗は、二度と繰り返したくない。
多少、値段は高くても、一番手、つまり本命をねらう。
だから昔の人は、こう言った。

『安物買いの、銭(ぜに)失い』と。

 ただし一言。
パソコンだけは、いくら使わなくなっても、自分で処分する。
リカバリーしてから渡すという方法もないわけではない。
しかしめんどう。
削除したファイルでも、プロの手にかかると、簡単に生き返ってしまうそうだ。

●ワイフとの仕事

 さて、そろそろ今年1年間を振り返るときが、やってきた。
早いもので、もう11月の中旬。
あっという間の1年だった。

 で、この1年間を振り返ってみて、ひとつよいことがあった。
ワイフのこと。
ワイフが私の仕事を手伝ってくれるようになって、もう4~5年になる。
当初は、ためらっていたが、今は、自分のほうから手伝ってくれるようになった。
親や子どもたち(=生徒たち)とのつながりができたこともある。
それがワイフなりの(生き甲斐)になってきた。

 が、それだけではない。
私の仕事は、孤独との闘いだった。
その孤独を、ワイフが共有してくれるようになった。

 たとえば若いころ、大切に思っていた生徒が退会したとする。
私はつらくて、それをワイフに話すことができなかった。
1~2か月もして、「実は・・・」と。

が、今は、ワイフはそれを目の前で見ている。
私が思うのと同じくらい、それをつらく思ってくれる。
それだけでも、私の心は軽くなる。

 ・・・若いころは、ワイフにはそれが理解できなかったらしい。
私がそのつらさを、八つ当たりという形でワイフにぶつけたりした。
すると、ワイフはいつもこう言った。
「あなたは仕事のことしか考えていない!」と。
それが私を、さらに孤独のドン底へと、叩き落とした。

●すごい国!

 もちろん、あの3・11大震災もあった。
あの震災が、日本という国を、根底からひっくり返した。
今も、その状態がつづいている。
電話でだれと話しても、みな不安そうにこう言う。
「この先、この日本はどうなるんでしょう?」と。

 どうにもならない。
なるようにしか、ならない。
ただこう思うときもある。
「日本って、すごい国なんだなあ」と。
こんな状況になっても、見た目には、びくともしない。
円高をどうこう言う人もいるが、こんな大災難の中にあっても、円高!?

 アメリカをはじめ、世界中が、通貨安競争を繰り広げた。
日本だけは、しなかった。
自制した。
(本当は、アメリカの圧力で、できなかったのだが・・・。)
その結果が今。
この先のことはわからないが、世界中が大恐慌に見舞われている中、日本だけは何とか持
ちこたえている。
(・・・と言っても、経済の動きは、そんな単純なものではない。
日本が円高なのは、ヘッジファンドが、この先日本経済が崩壊するのを先読みしているか
らにすぎない。
そう説く経済学者もいる。)

●緊張感

 経済の話は、もうやめよう。
憂うつになるだけ。
こうした金融危機は、いつなんどき、自分たちの身に降りかかってくるか、わかったもの
ではない。
とんでもないところから、突然、始まる。
ギリシャ、ギリシャと騒いでいたら、今度はキプロス、イタリア。
イタリア、イタリアと騒いでいたら、今度はオーストリア、ベルギー。
さらに今度は、フランス、それにベルギー・・・。
それらがそのまま、さらなる恐慌へとつながっていく。

 それにしても、このピンと張りつめたようなこの緊張感。
息が抜けない。
これはどうしたものか。
が、人間は、こうした緊張感に弱い。
それほど長く、もたない。
そのときが、こわい。

●バツをつけると怒る子ども

 数日前、こんなことがあった。
小学高学年の子ども(生徒)だった。
その子どものテストを採点しているとき、当然のことだが、まちがえたところに赤ペンで
正しい答を書いてやった。
それを見て、その子どもはパニック状態になってしまった。

 体中を緊張させ、恐ろしいほどの形相で、私をにらみ返した。
大声で泣きたいのを、必死でがまんしているといったふうだった。
それをワイフがうしろで見ていて、あとでこう言った。
「きっと悔しかったのね」と。

 が、その子どもは悔しくて、そうなったのではない。
簡単に言えば、かんしゃく発作を起こした。
それ以前の問題として、軽いアスペルガー症候群、あるいは自己愛者的な症状も見られる。
心が閉じているから、そうなる。
つまりその分だけ、心に余裕がない。
その場で、ハハハと笑ってすますことができない。

 そういう性質を私もよく知っていたから、ていねいな言い方で、採点をした。
それでもそうなった。

●儀式

 新しいパソコンを買うと、最初の数晩は、枕元に置いて寝る。
またその前後には、指をキーボードに慣れさせる。
キーボードを指でこする。
これが私の儀式。
新しいパソコンを買ったときの、儀式。

 指先の神経は、脳細胞のどこかに直結している。
指先の神経を刺激していると、やがて甘ったるい陶酔感が脳に満ちてくる。
モルヒネ様のホルモン(エンケファリンやエンドロフィン)が分泌されるためと言われて
いる。
また古来より中国では、モノをいじることによって、ボケを防止しているそうだ。
そういう効果もあるらしい。

 ともかくも、指がキーボードに慣れるまで、少し時間がかかる。
やがてキーの表面が、指でこすれてピカピカになるころには、ブラインド・タッチができ
るようになる。

 大のおとな(ジー様)が、パソコンを枕元に置いて寝るというのも、おかしな話に聞こ
えるかもしれない。
しかしこの習慣だけは、私が子どものころから変わっていない。
何か欲しいものを手に入れたときは、枕元に置いて寝た。
おそらく、死ぬまで変わらないだろう。

●光るキーボード

 今回買ったパソコンは、キーボードが光る。
闇の中でも、文章を書くことができる。
いつか映画『トロン』の中で見たようなパソコンである。
横でそれを見たワイフがこう言った。
「不思議なパソコンね」と。

 これがなかなか重宝。
車の中でもパソコンを使える。
枕元の電気を消したあとでも、パソコンを使える。
が、こんなに便利なものとは、知らなかった。
一度使ったら、後戻りできない。
光るキーボードは、そういう機能と考えてよい。
つぎにまたパソコンを買うときは、光るキーボード付のパソコン・・・ということになり
そう。
 
●柿

 家に帰ると、従姉から柿が届いていた。
岐阜の柿である。
大きくて、色があざやかに輝いていた。

 すぐ礼の電話を入れた。
私より1歳、年上の従姉だが、元気そうだった。

●浜北文化センターでの講演

 今度、11月30日(水曜日)に、浜松市浜北区にある、文化センターで講演をするこ
とになった。
浜松市内では、今年最後の講演会である。
主催者の先生に電話を入れて確かめると、「一般参加もOK」とのこと。

 もしこの文章を読み、時間がある人は、どうか聞きにきてほしい。
自信はないが・・・というのも、いつも失敗ばかりしているので・・・今度こそ、最高の
講演をしてみたい。
真剣勝負。
開場は、午後6時30分。
講演時間は7:00~8:30ということになっている。

 演題は『思春期前夜から思春期の子どもの心と発達』『こうすれば伸びる3つの方法』。

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