Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Friday, December 30, 2011

●心の別室と、トラウマ返し

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司   12月 30日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ユングのシャドウ(シャドウ)論(Shadow)】

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11月30日(水曜日)
浜北文化センターにて、浜松市内では
今年度最後の講演会をもちます。

開場時刻は、午後6:30。
講演は、午後7:00~8:30です。
おいでください。

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次回の講演で、久しぶりに、ユングのシャドウ論に
ついて話してみたい。
(時間があればの話だが……。)

そこで私の書いた原稿を探してみる。
今では「はやし浩司 シャドウ論」で検索すれば、すぐ、
原稿が見つかる。
ネット全体が、私の書類倉庫のようなもの。
「どうしてこんなことができるのだろう?」と、よく思う。
本当に、不思議な世界だ。

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●子育て

 いかに子育てが恐ろしいものであるかは、私が書いた「シャドウ論」を読んでもらえば
よくわかるはず。
昔から『子は親の背を見て育つ』とはいう。
しかしそれは何も、よいことばかりではない。
親が隠している邪悪な部分まで、子どもがそっくりそのまま受け継いでしまうこともある。
それが「シャドウ論」である。

 たとえば欧米では、牧師による少年、少女への性的虐待事件が後を絶たない。
「虐待」と言えば、おおかた、その種の性的虐待をいう。
こうした心理も、ユングの「シャドウ論」をあてはめてみれば、よく理解できる。

●心の別室論

 その原稿、つまり以前書いた、ユングのシャドウ論を紹介する前に、「心の別室論」につ
いて書いた原稿を紹介したい。
「心の別室」という言葉は、私が考えた。
つまり抑圧された心理状態が長くつづくと、子ども(人)は、心の中に別室をつくり、そ
こへそれを押し込んでしまう。
防衛機制のひとつとされている。
わかりやすく言えば、いやなことがあったら、別の心を作り、そこへ押し込んでしまう。

 が、この心の別室の怖いところは、(1)時効が働かないということ。(2)たとえその
あといろいろな楽しい思い出があったとしても、記憶が上書きされないということ。
いつまでも心の別室の中に、独立して残り、時と場合に応じて、顔を出す。

 たとえばこんな例がある。
80歳を過ぎた老夫婦だが、若いころから夫婦喧嘩が絶えなかった。
が、決まってそのとき出てくる言葉が、つぎのような言葉という。
「お前は、あのとき……!」
「あんただって、あのとき……!」と。

 40年とか、50年も前の話。
ときには結婚当初の話すら出てくるという。
心の別室というのは、そういうもの。

+++++++++++++++++++++

心の別室については、たびたび書いてきた。
つぎの原稿は、2009年4月に書いたもの。

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●心の別室と加害意識(Another Room in the Mind and Consciousness of Guilty)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


カレー・ヒ素混入事件で、現在無実を争って
いる女性が、HM。
地下鉄サリン事件で、これまた無実を争って
いる男性が、OS教のMT。


現在刑事裁判が継続中なので、これらの人たちは
無実という前提で、ものを考えなければならない。
どんな被告人でも、有罪が確定するまで、推定無実。


カレーにヒ素を混入させたのは、別人物かも
しれない。
地下鉄サリン事件には、MTは関与していなかった
かもしれない。
そういう可能性が、1000に1つ、万に1つでも
あるなら、これらの人たちは、無実。
そういう前提で、ものを考えなければならない。


が、同じ無実でも、いまだに納得できないのが、
あの『ロス疑惑事件』。


Kさんの殺害現場に、一台の白いバンがやってきた。
そのバンが走り去ったとき、Kさんは、殺されていた。
Kさんのそばには、MKがいた。


白いバンは、近くのビルにいた男性たちによって
目撃されている。
MK自身が撮った写真の中にも、白いバンの
一部が写っている。
しかしMKは、「白いバンは見ていない」と。


そのMKは、ロス市警へ移送されたあと、留置場の中で
自殺している。
MKは無実だったのか?
無実だったのなら、自殺などしないで、最後の最後まで
闘ってほしかった。
どうもこの事件は、すっきりしない。
いまだにすっきりしない。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●心の別室論(Another Room in the Mind)


人間には、自分にとって都合の悪いことがあると、心の中に別室を作り、
そこへ押し込めてしまうという習性がある。
心理学では、こうした心理操作を、「抑圧」という言葉を使って説明する。
「心の平穏を守るために自らを防衛する機能」という意味で、「防衛機制」のひとつ
と考えられている。


その防衛機制は、つぎの7つに大別される。


(1) 抑圧
(2) 昇華
(3) 同一化
(4) 投射
(5) 反動形成
(6) 合理化
(7) 白日夢(以上、深堀元文「心理学のすべて」)


 この中でも、「不安や恐怖、罪悪感などを呼び起こすような欲求、記憶などを
無意識の中に閉じ込め、意識にのぼってこないようにする」(同書)を、「抑圧」
という。
つまり心の別室の中に、それを閉じ込め、外からカギをかけてしまう。
よく「加害者は害を与えたことを忘れやすく、被害者は害を受けたことを
いつまでも覚えている」と言われる。
(そう言っているのは、私だが……。)
この「加害者は害を与えたことを忘れやすい」という部分、つまり都合の悪いことは
忘れやすいという心理的現象は、この「抑圧」という言葉で、説明できる。


が、実際には、(忘れる)のではない。
ここにも書いたように、心の別室を作り、そこへそれを押し込んでしまう。
こうした心理的現象は、日常的によく経験する。


 たとえば教育の世界では、「おとなしい子どもほど、心配」「がまん強い子どもほど、
心配」「従順な子どもほど、心配」などなど、いろいろ言われる。
さらに言えば、「ものわかりのよい、よい子ほど、心配」となる。
このタイプの子どもは、本来の自分を、心の別室に押し込んでしまう。
その上で、別の人間を演ずる。
演ずるという意識がないまま、演ずる。
が、その分だけ、心をゆがめやすい。


 これはほんの一例だが、思春期にはげしい家庭内暴力を起こす子どもがいる。
ふつうの家庭内暴力ではない。
「殺してやる!」「殺される!」の大乱闘を繰り返す。
そういう子どもほど、調べていくと、乳幼児期には、おとなしく、静かで、かつ
従順だったことがわかる。
世間を騒がす、凶悪犯罪を起こす子どもも、そうである。
心の別室といっても、それほど広くはない。
ある限度(=臨界点)を超えると、爆発する。
爆発して、さまざまな問題行動を起こすようになる。


 話が脱線したが、ではそういう子どもたちが、日常的にウソをついているとか、
仮面をかぶっているかというと、そうではない。
(外から見える子ども)も、(心の別室の中にいる子ども)も、子どもは子ども。
同じ子どもと考える。


このことは、抑圧を爆発させているときの自分を観察してみると、よくわかる。


よく夫婦喧嘩をしていて、(こう書くと、私のことだとわかってしまうが)、
20年前、30年前の話を、あたかもつい先日のようにして、喧嘩をする人がいる。
「あのとき、お前は!」「このとき、あなたは!」と。


 心の別室に住んでいる(私)が外に出てきたときには、外に出てきた(私)が私であり、
それは仮面をかぶった(私)でもない。
どちらが本当の私で、どちらがウソの私かという判断は、しても意味はない。
両方とも、(心の別室に住んでいる私は、私の一部かもしれないが)、私である。


私「お前なんか、離婚してやるウ!」
ワ「今度こそ、本気ね!」
私「そうだ。本気だア!」
ワ「明日になって、仲直りしようなんて、言わないわね!」
私「ぜったいに言わない!」
ワ「この前、『お前とは、死ぬまで一緒』って言ったのは、ウソなのね!」
私「ああ、そうだ、あんなのウソだア!」と。


そこでよく話題になるのが、多重人格障害。
「障害者」と呼ばれるようになると、いろいろな人格が、交互に出てくる。
そのとき、どれが(主人格)なのかは、本当のところ、だれにもわからない。
「現在、外に現れているのが、主人格」ということになる。
夫婦喧嘩をしているときの(私)も、私なら、していないときの(私)も、
私ということになる。
実際、夫婦喧嘩をしている最中に、自分でもどちらの自分が本当の自分か、
わからなくなるときがある。


 ともかくも、心の別室があるということは、好ましいことではない。
「抑圧」にも程度があり、簡単なことをそこに抑圧してしまうケースもあれば、
重篤なケースもある。
それこそ他人を殺害しておきながら、「私は知らない」ですませてしまうケースも
ないとは言わない。
さらに進むと、心の別室にいる自分を、まったく別の他人のように思ってしまう。
そうなれば、それこそその人は、多重人格障害者ということになってしまう。


 ところで最近、私はこう考えることがある。
「日本の歴史教科書全体が、心の別室ではないか」と。
まちがったことは、書いてない。
それはわかる。
しかしすべてを書いているかというと、そうでもない。
日本にとって都合の悪いことは、書いてない。
そして「教科書」の名のもとに、都合の悪いことを、別室に閉じ込め、
カギをかけてしまっている(?)。


 しかしこれは余談。
ただこういうことは言える。
だれにでも心の別室はある。
私にもあるし、あなたにもある。
大切なことは、その心の別室にいる自分を、いつも忘れないこと。
とくに何かのことで、だれかに害を加えたようなとき、心の別室を忘れないこと。
忘れたら、それこそ、その人は、お・し・ま・い!


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
心の別室 防衛機制 抑圧 はやし浩司 心の別室論 人格障害 加害意識)

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そこで「シャドウ論」。
以下の原稿も、2009年ごろ書いた原稿である。
この中では、北朝鮮と韓国を例にあげ、「シャドウ論」を
展開してみた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●なし崩し的既成事実化

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「独島(日本名、竹島)と、K国の核兵器と
かけて、何と、説く?」。

答……「なし崩し的、既成事実化」。
共に、ものごとをなし崩し的に、既成事実化しよう
としている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●矛盾する論理

 韓国の人たちは、「オレたちは、K国とはちがう」と思っているかもしれない。
とくに、K国の核開発問題については、そうであろう。
K国は事実上、核兵器を所有し、核保有国であることを、既成事実化しようとしている。
韓国政府も、「それは認めない」とがんばっている。

が、同じように韓国は、K国と同じことをしている。
竹島(独島)への実効的支配を強化し(中央N報)、竹島は韓国領土であることを、
既成事実化しようとしている。
同じ民族。
発想が、よく似ている。
……というより、K国は、韓国のあとを、懸命に追いかけている。

今日(4月10日)の韓国・中央N報は、つぎのように伝えている。

 「…… 鄭総理は日本の独島(ドクト、日本名・竹島)領有権の主張に関し、『日本がこ

問題を持続的に取り上げるのは、韓日間の未来の発展に決して役立たない。すでに韓国の
国民が居住しているが、独島に対する実効的支配をさらに強化していく必要がある』と強
調した」と。

 つまり事実上、支配しているから、竹島は、韓国の領土だ、と。
しかしこんな論理がまかりとおるなら、K国の核兵器開発問題は、どうなる?
K国も同じ論理をふりかざして、「自分たちの国を核保有国として認めろ」と騒いでいる。

●シャドウ論

 韓国とK国を並べてながめていると、ユングのシャドウ論が、頭の中を横切った。
韓国のもつシャドウを、K国が受け継いでいる。
そんな感じがした。
そんな感じがしたので、韓国とK国、それにシャドウ論をからめて考えてみたい。
うまくまとめられるかどうか自信はないが、一度、書いてみる。

 シャドウ論……「シャドウ(影)」として、心の裏に閉じこめられた人間性は、その近く
にいる人に伝染しやすい。その一例として、佐木隆三の『復讐するは我にあり』がある。

 昨年(09年3月)に書いた原稿を、もう一度、ここでとりあげてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【シャドウ論】

●仮面(ペルソナ)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ペルソナ(仮面)そのものを、職業にしている人たちがいる。
いわゆる「俳優」という人たちが、それである。

で、あくまでも一説だが、あの渥美清という俳優は、本当は気難し屋で、
人と会うのをあまり好まなかったという(某週刊誌)。
自宅のある場所すら、人には教えなかったという(同誌)。
が、その渥美清が、あの『寅さん』を演じていた。
寅さんを演じていた渥美清は、ペルソナ(仮面)をかぶっていたことになる。

といっても、ペルソナ(仮面)が悪いというのではない。
私たちは、例外なく、みな、仮面をかぶって生きている。
私もそうだし、あなたもそうだ。

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●みな、かぶっている

 たとえばショッピングセンターで、深々と頭をさげる女子店員を見て、
「人間的にすばらしい人」と思う人は、まずいない。
顔には美しい笑みを浮かべている。
何か苦情を言ったりしても、おだやかな口調で、「すみません。ただ今、
お調べいたします」などと答えたりする。
彼女たちは、営業用のペルソナ(仮面)をかぶって、それをしている。
同じように、教師だって、医師だって、みな、ペルソナ(仮面)を
かぶっている。

最近では、さらにそれが進化(?)した。
インターネットの登場である。

 今、あなたは、私が書いたこの文章を読んでいる。
で、あなたはそれを読みながら、「はやし浩司」のイメージを頭の中で
作りあげている。
心理学の世界では、これを「結晶」と呼んでいる。
そのあなたが作りあげているイメージは、どんなものだろうか。

私にはわからない。
それに結晶といっても、その中身は、みなちがう。
ある人は、「林って、理屈っぽい、気難しい男だな」と思うかもしれない。
また別のある人は、「わかりやすい、単純な男だな」と思うかもしれない。
文章を読む人の、そのときの気分によっても、左右される。

 映画なら、まだそこに「像」を見ながら、相手のイメージを頭の中で
作りあげることができる。
しかし文章だけだと、それがさらに極端化する。
それがこわい。

●相手の見えない世界

 以前にも書いたが、たとえばメールで、「お前はバカだなあ」と書いたとする。
書いた人は、半ば冗談のつもりで、つまり軽い気持ちでそう書いた。
しかし受け取る側は、そうではない。
そのときの気分で、読む。
たとえば何かのことで、その人の心が緊張状態にあったとする。
だから、それを読んで激怒する。
「何だ、バカとは!」となる。

 もっとも小説家といわれる人たちは、こうした結晶を逆手に利用しながら、
読者の心を誘導する。
よい例が、スリラー小説ということになる。
恋愛小説でもよい。

たとえば「A子は、みながうらやむほどの、色白の美人であった」と書いてあったとする。
それぞれの人は、それぞれの美人を空想する。
その美人の姿は、それぞれの人によって、みなちがう。

●現実

 が、ここで重要なことは、ペルソナ(仮面)は、ペルソナ(仮面)として、
(現実)とは、しっかりと切り離すこと。

たとえば学生時代、私にとっては、「ベン・ハー」イコール、
「チャールトン・ヘストン」であり、「チャールトン・ヘストン」イコール、
「ベン・ハー」であった。
私には区別がつかなかった。

 しかしこうした現象は、何も私だけに起きた特殊なものではない。
映画ドラマの中の主人公を、(現実の人)と思いこんでしまう現象は、
よく見られる。
しかも若い人たちだけではない。
40歳前後の女性ですら、それが区別できなくて、韓国の俳優を追いかけたり
する。

 が、相手を見るときはもちろんのこと、自分自身に対してもである。
ペルソナ(仮面)と(現実)は切り離す。
とくに、自分がかぶっているペルソナ(仮面)には、警戒したほうがよい。
この操作を誤ると、自分で自分がわからなくなってしまう。
欧米では、牧師に、そのタイプの人が多いと言われている。
みなの前で、神の言葉を語っているうちに、自分自身が(現実)から遊離してしまい、
自分のことを(神)と思いこんでしまう。

が、それだけではすまない。

●シャドウ

 このとき同時に、自分の中にある(邪悪な部分)を、心の中に別室に閉じこめて
しまう。
閉じこめながら、自分を善人と思いこんでしまう。
こうした現象を、あのユングは「シャドウ(影)」という言葉を使って説明した。
このシャドウが、別のところで、別人格となって、その人を裏から操る。
大教会の神々しいほどまでの牧師が、その裏で、少年や少女を相手に、性犯罪を
繰り返していたという例は、欧米では、たいへん多い。

が、さらに恐ろしいことが起きる。

 このシャドウは、ときとして、そっくりそのまま子どもに伝わることがある。
心理学の教科書に出てくる例として、あの映画『復讐するは、我にあり』がある。
それについては以前にも書いたので、このあとに、そのとき書いた原稿を添付
しておく。

こういう例は極端な例であるとしても、親子の間でも、こうした現象はよく
観察される。

●シャドウを受けつぐ子ども

 ある母親は、世間では「仏様」と呼ばれていた。
しかし2人の息子は、高校時代、ともに犯罪行為を犯し、退学。
周囲の人たちは、「どうしてあんないい母親なのに、息子さんたちは……?」と
言っていた。
が、こうした現象も、シャドウ論をあてはめてみると、説明がつく。
母親は、邪悪な部分、たとえば嫉妬、ねたみ、恨み、不満などを、心の中の別室に
閉じことによって、善人を演じていただけである。

そのシャドウを、いつも近くで見ていた息子たちが、受けついでしまった。

では、どうするか。

 私たちはいつもペルソナ(仮面)をかぶっている。
それはそれでしかたのないこと。
ショッピングセンターの女子店員が、客に向って、「オイ、テメエ、そこの客、
泥靴なんかで、この店に来るなよ!」と叫べば、その女子店員は、そのまま解雇。
職を失うことになる。

この私だって、そうだ。

 で、大切なことは、それをペルソナ(仮面)と、はっきりと自覚すること。
そして脱ぐときは、脱ぐ。
脱いで、自分に戻る。
ありのままの自分に戻る。
それをしないでいると、それこそ人格そのものが、バラバラになってしまう。
これはたいへん危険なことと考えてよい。

+++++++++++++++++

シャドウについて書いた原稿を
添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【シャドウ論】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

仮面をかぶっても、仮面をぬぐことも
忘れないこと。

その仮面をぬぎ忘れると、たいへんな
ことになりますよ!

++++++++++++++++

●自分の中の、もう1人の自分

 もともと邪悪な人がいる。そういう人が仮面をかぶって、善人ぶって生きていたとする。
するとやがて、その人は、仮面をかぶっていることすら、忘れてしまうことがある。自分
で、自分は善人だと思いこんでしまう。

 このタイプの人は、どこか言動が不自然。そのため簡単に見分けることができる。さも
私は善人……というように、相手に同情して見せたり、妙に不自然な言い方をする。全体
に演技ぽい。ウソっぽい。大げさ。

 こういう話は、以前にも書いた。

 そこでこのタイプの人は、長い時間をかけて、自分の中に、もう1人の自分をつくる。
それがシャドウである。ユングが説いたシャドウとは、少し意味がちがうかもしれないが、
まあ、それに近い。

 このシャドウのこわいところは、シャドウそのものよりも、そのシャドウを、時に、身
近にいる人が、そっくりそのまま受けついでしまうこと。よくあるのは、子どもが、親の
醜いところをそっくりそのまま、受けついでしまうケース。


●仮面(ペルソナ)をかぶる女性

 ある母親は、近所の人たちの間では、親切でやさしい女性で通っていた。言い方も、お
だやかで、だれかに何かを頼まれると、それにていねいに応じていたりした。

 しかし素性は、それほど、よくなかった。嫉妬深く、計算高く、その心の奥底では、醜
い欲望が、いつもウズを巻いていた。そのため、他人の不幸話を聞くのが、何よりも、好
きだった。

 こうしてその女性には、その女性のシャドウができた。その女性は、自分の醜い部分を、
そのシャドウの中に、押しこめることによって、一応は、人前では、善人ぶることができ
た。

 が、問題は、やがて、その娘に現れた。……といっても、この話は、20年や30年単
位の話ではない。世代単位の話である。

 その母親は、10数年前に他界。その娘も、今年、70歳を超えた。

●子に世代連鎖するシャドウ

 その娘について、近所の人は、「あんな恐ろしい人はいない」と言う。一度その娘にねた
まれると、とことん、意地悪をされるという。人をだますのは、平気。親類の人たちのみ
ならず、自分の夫や、子どもまで、だますという。

 その娘について、その娘の弟(現在67歳)は、こう教えてくれた。

 「姉を見ていると、昔の母そっくりなので、驚きます」と。

 話を聞くと、こうだ。

 「私の母は、他人の前では、善人ぶっていましたが、母が善人でないことは、よく知っ
ていました。家へ帰ってくると、別人のように、大声をあげて、『あのヤロウ!』と、口汚
く、その人をののしっていたのを、よく見かけました。ほとんど、毎日が、そうではなか
ったかと思います。母には、そういう2面性がありました。私の姉は、その悪いほうの一
面を、そっくりそのまま受け継いでしまったのです」と。

 この弟氏の話してくれたことは、まさに、シャドウ論で説明がつく。つまり、これがシ
ャドウのもつ、本当のおそろしさである。

●こわい仮面

 そこで重要なことは、こうしたシャドウをつくらないこと。その前に、仮面をかぶらな
いこと。といっても、私たちは、いつも、その仮面をかぶって生きている。教師としての
仮面。店員としての仮面。営業マンとしての仮面。

 そういう仮面をかぶるならかぶるで、かぶっていることを忘れてはいけない。家に帰っ
て家族を前にしたら、そういう仮面は、はずす。はずして、もとの自分にもどる。

 仮面をとりはずすのを忘れると、自分がだれであるかがわからなくなってしまう。が、
それだけではない。こうしてできたシャドウは、そのままそっくり、あなたの子どもに受
けつがれてしまう。
(はやし浩司 仮面 ペルソナ シャドウ (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 
幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ユング 仮面 ペルソナ 
シャドウ論)

++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

少し前に書いた、「シャドウ論」を、
もう一度、ここに添付しておきます。
内容を少し手なおしして、お届けします。

++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●仮面とシャドウ

 だれしも、いろいろな仮面(ペルソナ)をかぶる。親としての仮面、隣人としての仮面、
夫としての仮面など。もちろん、商売には、仮面はつきもの。商売では、いくら客に怒鳴
られても、にこやかな顔をして、頭をさげる。

 しかし仮面をかぶれば、かぶるほど、その向こうには、もうひとりの自分が生まれる。
これを「シャドウ(影)」という。本来の自分というよりは、邪悪な自分と考えたほうがよ
い。ねたみ、うらみ、怒り、不満、悲しみ……そういったものが、そのシャドウの部分で、
ウズを巻く。

 世間をさわがすような大事件が起きる。陰湿きわまりない、殺人事件など。そういう事
件を起こす子どもの生まれ育った環境を調べてみると、それほど、劣悪な環境ではないこ
とがわかる。むしろ、ふつうの家庭よりも、よい家庭であることが多い。

●凶悪事件の裏に

 夫は、大企業に勤める中堅サラリーマン。妻は、大卒のエリート。都会の立派なマンシ
ョンに住み、それなりにリッチな生活を営んでいる。知的レベルも高い。子どもの教育に
も熱心。

 が、そういう家庭環境に育った子どもが、大事件を引き起こす。

 実は、ここに(仮面とシャドウの問題)が隠されている。

 たとえば親が、子どもに向かって、「勉強しなさい」「いい大学へ入りなさい」と言った
とする。「この世の中は、何といっても、学歴よ。学歴があれば、苦労もなく、一生、安泰
よ」と。

 そのとき、親は、仮面をかぶる。いや、本心からそう思って、つまり子どものことを思
って、そう言うなら、まだ話がわかる。しかしたいていのばあい、そこには、シャドウが
つきまとう。

 親のメンツ、見栄、体裁、世間体など。日ごろ、他人の価値を、その職業や学歴で判断
している人ほど、そうだ。このH市でも、その人の価値を、出身高校でみるようなところ
がある。「あの人はSS高校ですってねえ」「あの人は、CC高校しか出てないんですって
ねえ」と。

 悪しき、封建時代の身分制度の亡霊が、いまだに、のさばっている。身分制度が、その
まま学歴制度になり、さらにそれが、出身高校へと結びついていった(?)。街道筋の宿場
町であったがために、余計に、そういう風潮が生まれたのかもしれない。その人を判断す
る基準が、出身高校へと結びついていった(?)。

 この学歴で人を判断するという部分が、シャドウになる。

●ドロドロとした人間関係

 そして子どもは、親の仮面を見破り、その向こうにあるシャドウを、そのまま引きつい
でしまう。実は、これがこわい。「親は、自分のメンツのために、オレをSS高校へ入れよ
うとしている」と。そしてそうした思いは、そのまま、ドロドロとした人間関係をつくる
基盤となってしまう。

 よくシャドウ論で話題になるのが、今村昌平が監督した映画、『復讐するは我にあり』で
ある。佐木隆三の同名フィクション小説を映画化したものである。名優、緒方拳が、みご
とな演技をしている。

 あの映画の主人公の榎津厳は、5人を殺し、全国を逃げ歩く。が、その榎津厳もさるこ
とながら、この小説の中には、もう1本の柱がある。それが三國連太郎が演ずる、父親、
とるけん」と言う。そんなセリフさえ出てくる。

 父親の榎津鎮雄は、倍賞美津子が演ずる、榎津厳の嫁と、不倫関係に陥る。映画を見た
人なら知っていると思うが、風呂場でのあのなまめかしいシーンは、見る人に、強烈な印
象を与える。嫁は、義理の父親の背中を洗いながら、その手をもって、自分の乳房を握ら
せる。

 つまり父親の榎津鎮雄は、厳格なクリスチャン。それを仮面とするなら、息子の嫁と不
倫関係になる部分が、シャドウということになる。主人公の榎津厳は、そのシャドウを、
そっくりそのまま引き継いでしまった。そしてそれが榎津厳をして、犯罪者に仕立てあげ
る原動力になった。

●いつのありのままの自分で

 子育てをしていて、こわいところは、実は、ここにある。

 親は仮面をかぶり、子どもをだましきったつもりでいるかもしれないが、子どもは、そ
の仮面を通して、そのうしろにあるシャドウまで見抜いてしまうということ。見抜くだけ
ならまだしも、そのシャドウをそのまま受けついでしまう。

 だからどうしたらよいかということまでは、ここには書けない。しかしこれだけは言え
る。

 子どもの前では、仮面をかぶらない。ついでにシャドウもつくらない。いつもありのま
まの自分を見せる。シャドウのある人間関係よりは、未熟で未完成な人間関係のほうが、
まし。もっと言えば、シャドウのある親よりは、バカで、アホで、ドジな親のほうが、子
どもにとっては、好ましいということになる。

(はやし浩司 ペルソナ 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て は
やし浩司 シャドウ 仮面 ペルソナ 結晶 はやし浩司 復讐するは我にあり シャド
ウ論 参考文献 河出書房新社「精神分析がわかる本」)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●韓国とK国

 K国は韓国に対して、甘ったれている。
「好き勝手なことをしても、韓国は、何もしてこないだろう」と。
一方、韓国は日本に対して、甘ったれている。
「好き勝手なことをしても、日本は、何もしてこないだろう」と。

 そしてK国は、韓国に対して、言いたい放題のことを言い、やりたい放題のことをして
いる。
韓国は、日本に対して、言いたい放題のことを言い、やりたい放題のことをしている。
ともにその根底にあるのは、被害妄想と「甘えの構造」。

 たしかに韓国はK国に対して、何もしないだろう。
本音を言えば、「相手にしたくもない」。
南北統一についても、今、統一したら、それこそたいへんなことになる。
南北統一を望んでいないのは、当の韓国ということになる。

 一方日本は韓国に対して、何もしないだろう。
本音を言えば、「相手にしたくもない」。
竹島の実効的支配を進めれば進めるほど、世界に向かって、「竹島は韓国の領土ではない」
と、宣言しているようなもの。
どうしてあんな島に、ヘリポートを作り、一般人を住まわせるのか?
その(無理)が、不自然!
不自然だから、無理をする!
世界の人は、だれしも、そう思う。
本当に自分の領土なら、もっと堂々としていればよい。
姑息なことをするから、かえって疑われる。

●で、シャドウ論

 K国は、韓国のシャドウを受け継いでいるだけ。
わかるか?
表では正論をぶっているが、仮面の下では、姑息なことを繰り返している。
自動車にしても、「前から見れば、TOYOTA車、うしろから見れば、NISSAN車」。
そんな車を、平気で作っていた。
ほんの10年前の話である。

 日本中の、それこそ津々浦々にまで産業スパイをはびこらせ、日本から奪えるものは、
何でも奪っていった。
その結果が今である。
ウソだと思うなら、韓国の現在の産業構造を見ればよい。
20~40年前の日本の産業構造そのもの。
自動車、鉄鋼、電子産業などなど。
反対に韓国が独自に発展させた産業は、ひとつもない!
 
 それをK国は、横から見ている。
そして韓国が生来的にもっていた(姑息さ)を、K国がそっくりそのまま引き継いでいる。
先に「K国は、韓国のあとを追いかけている」と書いたのは、そういう意味。

 ……と書くのは、書き過ぎ。
かなり過激。
私もそれをよくわかっている。
しかしこれだけは言える。

 韓国の人よ、K国の人よ、なし崩し的に、ものごとを既成事実化するのは、やめよう。
「竹島」にしても、韓国の人よ、日本人がおとなしいからといって、それをよいことに、
言いたい放題のことを言い、やりたい放題のことをやるのは、やめよう。
いいか、韓国の人よ、K国が崩壊したら、竹島どころではなくなるぞ。
へたをすれば、38度線以北は、中国の領土となる。
「渤海国」になる。
わかっているのか。
そのとき日本に泣きついてきても、遅いぞ。

 ここは冷静に!
この極東アジアで、だれが友人で、だれが友人でないか、少しは頭を冷やして考えろ。
謙虚になれ。

 「自分たちの領土でない」ということを、心の奥で自覚しているからこそ、日本政府の
発言に、そのつどビクつく。
大騒ぎする。
それがいやなら、もっと正々堂々と、国際裁判所という「場」で、たがいに証拠をあげて
闘おうではないか。
どうしてそれがまずいのか?
何かまずいことでもあるのか?

 以上、「竹島(独島)」問題を、シャドウ論をからめて、考えてみた。
どこか「木に竹を接ぐ」ようなエッセーになってしまったが、許してほしい。
竹島問題の記事を読んだとき、ふと「シャドウ論」が頭の中を横切った。
「K国は、韓国のシャドウを受け継いでいるだけ」と。
それでこんなエッセーになってしまった。

 「?」と思われる人がいるなら、このエッセイを、「朝鮮問題」と、「シャドウ論」の2
つに、頭の中で分けて読んでほしい。
勝手な願いで、ごめん!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 竹島問題 独島問題 シャドウ論 はやし浩司 ユング シャドウ論 
実効的支配 なし崩し的支配)(以上、2009年3月記)

Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●2011年11月25日

 先のシャドウ論を書いた日付は、2009年3月になっている。
それから2年。
今は、2011年11月25日。

 で、改めて自分の書いた原稿を読みなおす。
いろいろ考える。
「これはシャドウ論というよりは、サイコパス(性格障害)の問題ではないか」とか、「妄
想とどう区別するのか」とか。

●日韓問題

 日韓問題にしても、すべてをシャドウ論で説明できるわけではない。
が、シャドウ論をあてはめてみると、韓国人のもつ精神的に二重構造性が、よく理解でき
る。

 (1)「日本ごときに植民地にされた」という屈辱感。
 (2)「自分たちの力で独立できなかった」という不完全燃焼感。
 (3)さらに「南北に分断されたのも、もとはと言えば、日本の責任」という日本責任
論。

 これら3者が混然一体となり、韓国人の心の別室の中に、押し込まれている。
それが時と場合に、表に出てくる。
よく「韓国人は政治と経済を、使い分けている」という。
政治で反日、経済では親日、と。
しかし使い分けているのではない。

 民族意識はどこの民族にもある。
それが誇張されたのが、民族主義。
「我ら民族がもっともすぐれている」と。
韓国人のばあい、「日本ごときに、蹂躙(じゅうりん)された」という思いが、心の別室の
原点にある。
言い換えると、そう思いながら、実は日本人を徹底的に差別している。
(「差別」というよりは、「軽蔑」に近いが……。)
私はこれを「逆差別」と呼んでいる。

●二重構造性

 それはともかくも、ユングのシャドウ論で考えると、韓国人がもつ精神の二重構造性が
よく理解できる。
と、同時に、私たちが個人がもつ二重構造性も、よく理解できる。

 私たちは円滑な人間関係を保つために、常に、この二重構造的精神状態の中で生きてい
る。
冒頭にも書いたように、それが悪いというのではない。
それがあるからこそ、またそれができるからこそ、私たちは、この複雑な社会で生きるこ
とができる。

 が、問題は、親子関係である。
ほとんどのばあい、子どものほうが、心の別室を作り、そこへ不平や不満をためこむ。
そしてそれが、時と場合に応じて、爆発する。
「こんなオレにしたのは、お前だア!」と。

 そういう言葉が、10年たっても、20年たっても、口から出てくる。
もちろん子ども自身にはそれがわかっていない。
「抑圧」「心の別室」という言葉すら知らない。
加えて先にも書いたように、「心の別室」には、時効が働かない。
20年前、40年前の記憶がそのまま、生々しく残る。
また上書きされることもない。
楽しい思い出は、心の別室には入らない。

●よい子論

 終わりに「よい子論」についても書いておきたい。

 今、日本の子ども観、子育て観は、世界の標準から、かなりかけ離れつつある。
結論から先に言えば、たくましさがない。
またそうであることを、ほとんどの親たちは、「できのいい子」と誤解している。
たとえば従順で柔和で、やさしく、キバを抜かれてしまったような子どもほど、「よい子」
と位置づける。
またそういう子どもにしようと、あくせくしている。

 昔風の、腕白で、自己主張が強く、たくましい子どもを、「できの悪い子」として、むし
ろ遠ざけたり、白い目で見たりする。
私の教室でも、そうである。
ときどき「うちの子には、この教室は合いません」と言って去っていく親がいる。
が、そういう親でも自分の子どもが、親の過干渉や過関心で萎縮していることに気づいて
いない。
親自身のものの考え方が権威主義的で、威圧的であることに気づいていない。

その結果として、むしろそういう子どもほど、心をゆがめやすい。
ゆがめやすいことは、ここに書いた「シャドウ論」を読んでもらえばわかるはず。
あるいはイプセンの『人形の家』を読んでみたらよい。
自らを「人形子」と呼んだ主人公が、精神の二重構造の中で、いかに苦しみもがいたか。
それがよくわかるはず。

 本来、子どもは、そうであってはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

しめくくりに、イプセンの『人形の家』について
書いた原稿をさがしてみる。
日付は2008年6月になっている。

(次号(明日号)につづく)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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