●自己否定の恐ろしさ
●自己否定(リビドーとサナトス)
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どうしてああまでがんばるのか?
いや、私やあなたのことではない。
あの独裁者たちのことである。
少し前は、リビアのカダフィー。
今は、シリアのアサド。
言い換えると、「自己否定」というのは、それほどまでに恐ろしいものであるということ。
自己否定に追い込まれるなら、「この宇宙もろとも」という考え方になる。
……らしい。
だから抵抗する。
最後の最後まで、抵抗する。
国民全員が死んでも、構わない。
つまりがんばる。
日本の政治家の中にも、このタイプの人間がいる。
小沢一郎氏や鈴木宗男氏を見ていると、そう感ずるときがある。
「どうしてああまでがんばるのか?」と。
彼らは決まって、「日本のため」という言葉を口にする。
が、本当に日本のことを考えるなら、さっさと身を引いたほうがよい。
そのほうが、日本のためになる。
が、それはできない。
それをすれば、「では、今までの私の人生は何だったのか」となる。
……なってしまう。
つまり、自己否定。
生きていて、……そして長い人生を生きてきて、自己否定ほど恐ろしいものはない。
そのことは、定年退職者たちを見ればよくわかる。
定年退職したあとも、もといた会社にしがみつく。
肩書きや地位に、固執する。
そういう人たちは多い。
それもそのはず。
それを否定されたら、自分がなくなってしまう。
だからしがみつく。
と、同時に、私のように自由に生きてきた人間を許さない。
ある女性記者は、私にこう言った。
大手の新聞社で、記者をしていた。
「はやしさん(=私)、あなたのような人が成功すると、私たちは困るのです。
自己否定の世界に陥ってしまいますからね」と。
つまり彼らは彼らなりに、私のような人間の失敗を楽しみにしている(?)。
「成功者」でなくても、この世界で生きていること自体を、許さない。
だから私のような人間が失敗するたびに、こう思う。
こう思って、自分を慰める。
「ほらみろ、やっぱり人は独りでは生きていかれない。
私の選んだ人生のほうが正しかった」と。
フロイト流に考えるなら、人はつねに、リビドーとサナトスの間で葛藤する。
リビドーは、創造するエネルギー。
サナトスは、破壊するエネルギー。
皮肉なことに、生きる力の強い人ほど、破壊力もすさまじい。
このことも、世界の独裁者たちを見れば、よくわかる。
適当なところで、ほどほどにしてすますということができない。
最後の最後まで、がんばってしまう。
ときにそのエネルギーが、この世界を破滅に導いてしまうこともある。
ドイツのヒットラーを例にあげるまでもない。
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●今週は、子どもたち(小1児、小2児)に「座標」を教えてみた。
「位置の概念」を明確にするという点では、たいへん意味がある。
もう少し指導を重ねれば、「関数&グラフ」まで教えられる。
今回「座標」を教えてみて、そんな感触をもった。
4月からの実験教室では、その関数をテーマにしてみたい。
小学1年生だから、足し算と引き算……という考え方は、完全に「遅れている」。
そんなカリキュラムにしがみついているから、日本の教育はおもしろくない。
子どもたちを引きつけることができない。
1年もたたないうちに、「算数、大嫌い」という子どもが続出するのは、そのため。
「どうしてそんなことがわからないのか!」と叫んだところで、この話はおしまい。
まさに犬の遠吠え。
自分でもそれがよくわかっている。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●「座標」
(小1児クラスより、一部)
(小2児クラスより、一部)
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Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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