Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, April 30, 2012

●田丸謙二先生

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 11日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【3月末・年中児・最後のレッスン】

●テーマは、漢字



●児童期から思春期へ、自我の同一性について




Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●子どもは人の父(完成原稿)
(日本自動車工業会・会報誌・特集(巻頭言)より)2012-3月

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Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●小1児に、距離、時速、時間を教える。

小学1年生に、距離、時速、時間について教えました。別のもうひとつの1年生クラスでは、うまく教えられませんでしたので、このクラスでは、気合いを入れて教えてみました。(うち1人は、幼稚園を卒園したばかりの、Yさんです)。

が、今回は、うまく教えられました。Yさんが、最後の問題を解いたとき、「ヤッター!」という気分になりました。うれしかったです。2012年3月27日。




(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 BW幼児教室 BW子供クラブ BW子供クラブbyはやし浩司)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【田丸謙二先生について】(日本のマスコミの大矛盾)

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http://ktamaru.ninja-web.net/

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●触媒工学

 触媒工学の分野では、日本は最先端を独走している。
「触媒」と聞いて、「?」と思う人も多いかと思う。
その理由は、もう少しあとに書くとして、今では触媒なしに、この社会は成り立たない。
電子工学、遺伝子工学、それにつづくのが、触媒工学である。

(1980年ごろ、東大の研究室で会うと、田丸謙二先生は、こう話してくれた。
「電子工学(コンピューター)については、基礎研究はすでに終わりました。
しかし遺伝子工学がこうまで進歩するとは、思ってもいませんでした」と。
まだ触媒工学なるものは、日本では、ほとんど知られていなかった時代である。)

 その触媒工学の分野で、これまた最先端のトップランナーが、田丸謙二先生である。
1970年当時、田丸謙二先生は、こんな話をしてくれた。

「水を、触媒で、酸素と水素に分解できれば、エネルギーの問題は、すべて解決します」と。

触媒工学というのは、それをいう。

 1年ほど前会ったとき、田丸謙二先生に、「いつ成果が出ますか?」と聞いたときのこと。
先生は、笑いながらこう話してくれた。

 「現在、理研(理化学研究所)で、チームを作り、懸命に研究していますから、近くその成果が出ますよ」と。
現在、東大だけでも、田丸謙二先生の弟子が、10人前後、教授をしている。
書き忘れたが、東大でも、当時、田丸謙二先生は、最年少で教授職に就いている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●田丸謙二先生

 その田丸謙二先生のホームページを読んでいたら、先生に、たまらなく会いたくなった。
で、昨夜(3月25日)遅く、メールを出すと、すぐ返事が来た。

『林様:メール有難うございました。ただ今私は「我が家」をレフォームしておりますので、その間、臨時の所(シニア・ホーム)に滞在しています。4月一杯多分滞在します。
今日は日本化学会の年会が日吉の慶応キャンパスであり、私が講演して来ました。自分ながらうまく行ってよい評判でした。くれぐれもお元気で。御急ぎの御用がありましたらどこかでお会いしましょうか。田丸謙二』と。

 折り返しメールを交換し、このx日に、鎌倉で会うことにした。
今日も、慶応キャンパスで、講演をしてきたとか。
1923年生まれということだから、今年、89歳になる。
若いときから、田丸謙二先生という先生は、そういう人である。
50歳を過ぎ、中国語を独学で学び、中国化学会の総会で、基調講演までこなしている(1982)。
しかも、中国語で!

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●ファーバー研究所創立100年祭(Fritz Haber Institut の創立百年祭)

 で、今朝、書きたいことは、このことではない。
田丸謙二先生は、先にも書いたように、世界の触媒工学の先鞭をつけた研究者である。
事実、ごく最近まで、日本は、この分野の研究では、世界の最先端を走っていた。

 その功績もあり、田丸謙二先生は、1984年(7月)~1988年(7月)まで、国際触媒学会の会長を務めている。
が、そのことを一般の人で、知っている人は、ほとんどいない。

 さらに5、6年ほど前、国際触媒学会の大会が、フランスのパリで催された。
世界中から、2000人近い学者が集まった。
(2000人だぞ!)
田丸謙二先生は、その学会でも、基調講演をしている。
が、そのことを知っている人も、ほとんどいない。
当時、田丸謙二先生は、こう話してくれた。

「中国人の学者がふえたのには、驚きました」と。

 ほかにも、いろいろある。
ごく最近では、昨年(2011)、ドイツで、ファーバー研究所創立100年祭があった。
私たちが今、ここでこうして生きているのは、ファーバー博士のおかげと言っても過言ではない。
ファーバーは、空気中の窒素固定を成し遂げた。
それにより、人類は、まさに「空気からパンを作る」ことができるようになった。

 そのファーバー研究所創立100年祭に、田丸謙二先生は、講師として呼ばれ、講演をしている(注※)。
田丸謙二先生の父親の田丸節郎は、ファーバーの第一弟子でもあった。
また現在の東工大、理研の産みの親でもある。
が、こういったことを、知っている人は、ほとんどいない。

 私は、それが、おかしい!、と言っている。

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(中央左が、田丸節郎、その右が、ファーバー博士)

●日本のマスコミの大矛盾

 なぜ、日本のマスコミは、こうした重大な事実を、日本で報道しないのか。
どこかつかみどころのないタレントが、どこか理解しがたい映画を製作し、何とかという賞を取ると、それこそ狂ったように大騒ぎする。
日本の一大事のように、大騒ぎする。

 が、日本人の科学者が、フランスのパリの国際学会で、基調講演をしても、一行(一秒)も報道しない。
その情報収集能力もなければ、価値を判断する能力すら、ない。
反対に、国内では、その人物を、肩書きや地位だけで判断する。
テレビへの露出度だけで判断する。

 一方、現地のフランス国営放送は、田丸謙二先生に、スタジオでさらに再講演してもらい、それを番組として、放送している。

 日本のマスコミの姿勢のおかしさ、矛盾は、すべてこの1点に凝縮される。
その結果というか、日本の文化レベルは、落ちるところまで、落ちた。
まるで日本総ギャグ化。
お笑いタレントが、どこかの県知事になっても、だれも疑問に思わない。
日本人は、「アカデミック」という言葉のもつ意味すら、知らないのでは?

 もっと言えば、この日本では、「文化人」なるものは、テレビへの露出度で決まる。
そうでなければそうでない。

 これを「大矛盾」と呼ばずして、何と言う?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※……以下、田丸謙二先生のHP(日記)より)

『●Fritz Haber Institut の創立百年祭に招待されて

   1911年にKaiser Wilhelm Institut として Berlinに創立された研究所が途中で Fritz Haber Institut (FHI) と名前を変えて、10月26日~28日の三日間に創立百年のお祝いをした。

   4年前にノーベル化学賞をとった前所長の Ertl 教授の75 歳の誕生日のお祝いも兼ねて、世界中から一流の学者を招いての盛大な講演会でもあった。
参加した人たちは物理、化学は言うまでもなく化学史の専門家まで含み、千人ほどの集まりであった。
私は百年の歴史の中での「Haber と日本」と題して、原稿も見ずに、この百年の間での田丸家と Fritz Haber Institut との関連について講演をした。

  内容的には亡父が1908年2月に Karlsruhe の Haber 研究室に留学し、「死ぬほど働いて」アンモニア合成の成功に関与し、1911年Haber が新設されたBerlin の Kaiser Wilhelm Institut の所長になった折に直ちに亡父を所員に招き、第一次世界大戦が始まって日独が敵対関係になるまで合計6年間 Haber と共に研究をして来た。

今回においてその当時亡父が撮った百年前の写真を何枚も出して見せたのは現在見せられた聴衆にとっては大変に印象的であったようであったし、FHI としても非常に貴重なものであった。

   その後1918年に Haber は「空気からパンを作った」ということでノーベル化学賞を受け、1924年に星一さんの招待に応じて夫妻で来日をした。
在日中は各地で講演をし「国を発展させるには科学の振興が必要である]という、彼がドイツで英仏をしのいで国を振興させた実績に基づいた講演をし、亡父がそれを翻訳し、自分なりの科学振興の必要性も加えて、一冊の本として岩波から出版したのである。
(事実その頃の我が国から欧州への自然科学の留学の75%はドイツに行ったものである。)

   その影響もあってわが国では昭和一桁の非常な経済不況の中にありながら、Kaiser Wilhelm 協会をモデルにして日本学術振興会を作り、大学や研究所に研究費を増額分配し、学術論文数もほどなく倍増し、人材が育ち、アジアでも最も近代化した国になった。

ベルリン工科大学をモデル化して東京工大を新設もした。
(この両方の学術振興の実積は亡父の大変な尽力なしでは実現しなかったものである。)

   Haber がドイツの学術振興だけでなく結果的にはわが国でも科学振興の実績を積んだことは、科学を重視するドイツ人たちにとっても初耳であったし,大変に印象的でもあったらしい。
(わが国でもほとんど知られていない。)

   次世代として私が、世界で初めて触媒反応中に固体触媒表面の挙動を直接観察して、それまで反応機構は推論に基づいていただけだったのを飛躍的に発展させて、in situ characterization を開発し触媒科学が科学として生まれたことに触れてそれをErtl がそれを発展して例えば Photoemission electron microscope を用いて見事な発展をもたらしてノーベル賞に至ったことに触れ、さらに婿の大山茂生(現東京大学教授)がフンボルト賞を三年前にうけて Hajo Freund と共に、半年間FHI に滞在したことを告げて、結局田丸家は過去百年の間三代にわたり FHIと深い関係を持って来たことを紹介し、これまで一世紀の間世界をリードして来たFHI が更なる新しい世紀も世界をリードすることを願う、と言って話を閉じた。

  話の途中に亡父が残した百年前の写真の中にある亡父が着ていたモーニングがベルリン製であり、百年の間無事に保たれ、興味あることに私の娘の大山秀子にピッタリのサイズであることを言って、秀子がその服を着て現れた時は皆で拍手大喝采であったし、ハ―バー夫妻が鎌倉の我が家を訪問した折の写真の中に、私が母の腕の中にいた赤ん坊であって、ハーバーと直接会っている証拠でもあると言った時も拍手が湧いた。

  話が終わってからの皆の態度はそれまでとはガラリと変わり、何十人もの人が入れ替わりに、素晴らしい話だった、wonderful だけでも、十何人か、, beautiful, elegant, moving (感動的), gem (宝石)(招待に与った Friedrich さんの表現)、highlight (今回のCentenary の議長を務めた FTI のdirector のGerard Meijer 教授も使った表現), excellent (Ertl さんの表現)と各人なりの言葉を使って私に対してベタ褒めであった。

英語も解りやすく、素晴らしかったし、とにかく88歳の人があんな立派な presentation をするなんて考えられない、という大変な評判であった。

そうしてあの話はとても内容が素晴らしくて、話を聞いておくだけではもったいないし、是非その資料をドイツ化学会やFHIに永久に保存すべき話であるから、面倒でももう一度同じ話をして貰いたいということになり、今度は聴衆は十何人の幹部の前でもう一度 presentation をさせられた。

ビデオにまとまったら送ってくれるという。
とにかくこの上ない大変な好評であった。
ビジネスクラスの旅費まで出してくれてのご招待であったので、それに充分以上に報いることが出来て本当によかったと思った。
中には鎌倉まで人を派遣して FHIの古い資料を見せてくれないか、とまで言われた。
FHI の図書室に「田丸古文書」の枠を作ることも議論されているとのことであった。

  昔は従来英語で苦労をすることが全くなかったが、今回は耳が遠くなり、英語が聞き難く、秀子が大分助けてくれた。
老化現象も耳の遠くなる不便さはどうにかしなければ、もっと優れた補聴器にするか、というのが正直の感じであった。
幸い招待を受けた婿が全てを手配してくれたし済ますことが出来た。
ベルリンでは日本に比べて非常な寒さであって、往復途中もよく眠れず、時差もあって肉体的に大変な苦労であったし、風邪をこじらせながらようやく無事に帰国できた。(会議が終わってから秀子たちと Romance Road を回って来た)

  秀子が科学史の専門家に我が家には亡父が百年前に購入した Lavoisier ヤ Liebig などの手書きの手紙があると伝えたら大変に興味を示していたという。
亡父が購入したままに置いてあっただけに、多分世界で唯一の本物の手書きの手紙だけに、科学史の資料としても大変に貴重なものであるからである。

  世界の人口は前世紀中に4倍になった。遠からず世界の人口は二百億になるという。ハーバーのお蔭で1913年に窒素肥料のアンモニアが工業的に生産され始め、何十億もの人が飢餓から救われたのでる。

2011年12月28日』
(以上、「田丸謙二先生のHPより」)

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(アインシュタイン博士より、田丸謙二先生へ)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 田丸謙二 田丸謙二先生 田丸節郎 ファーバー はやし浩司 触媒工学)


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●3月27日

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

朝早く、田丸謙二先生から、講演用
資料などが、送られてきた。

数日前、日吉の慶応キャンパスで行われた、
日本化学会の年総会の席で、田丸謙二先生は
基調講演を行った。
そのときの資料である。

この世界に住んでいる人も、また住んでいない人も、
超一級の講演がどういうものか、またそのレジュメが
どういうものか、これを見ればわかる。

今朝は、そのため、朝の運動は抜き。
起きるとすぐそのまま、書斎へ。
田丸謙二先生の資料を、ホームページに
UPLOADした。

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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 田丸謙二 田丸謙二先生 講演 日本化学会 2012年 年会 講演)


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【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●北朝鮮のミサイル問題

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 近く日本の野田首相は、北朝鮮のミサイルの迎撃、撃墜を命令するという(3月27日)。
が、私は、それに明確に反対する。
理由は、以下に述べる。

つまり今、ここで日本が、北朝鮮に対して攻撃的姿勢に出れば、即、北朝鮮に、日本攻撃の口実を、将来にわたって、提供することになる。

 次回から日本が衛星ロケットを打ち上げるたびに、日本は厳戒態勢をとらねばならなくなる。
日本の発射基地そのものが、攻撃対象になるかもしれない。

相手は、常識的な道理の通ずる国ではない。
通ずる国でないことは、今までの経緯を見ればわかるはず。
が、それだけではない。

 やがてこの先、南北朝鮮は、何らかの形で統一される。
オバマ大統領も、先の核サミット(ソウル)で、それを明言した。

が、それは同時に、日本のすぐそばに、巨大な反日国家が誕生することを意味する。
人口は、計6000~7000万人。
2050年には、日本の人口と拮抗(きっこう)する。
(日本の人口は、8000万人近くにまで減少すると言われている。)
そうなったとき、この日本は、その朝鮮と、どう対峙していくつもりなのか。

 今回のミサイル問題は、あくまでも、朝鮮半島の内部問題。
ミサイル自体は、アメリカと北朝鮮の2か国間問題。
つまりどこかで、この問題は、日本と切り離して考える必要がある。
深入りは、日本にとっては、たいへん危険。
今、日本は、南北朝鮮の統一後、もしくは30年後を見据えて行動する。

 仮に南北朝鮮が、平和的に統一されたとしても、(むしろそのほうが日本にとっては脅威なのだが)、つぎに彼らが「敵」とするのは、この日本である。
中には、表面的な友好関係だけを見て、「そんなことはない」と、思っている人もいるかもしれない。
しかし、それはどうか?

 たとえば今朝(3/27)の朝鮮日報は、こんな記事をトップに載せている。

『トヨタ、エアバッグで現代自を挑発』と。

 記事は、こうなっている。

『……新型カムリで失地回復を目指すトヨタ自動車が、韓国自動車最大手の現代自動車のエアバッグを「問題視」している。
最近韓国の新聞に掲載された新型カムリの広告は、「安価な第2世代のディパワード・エアバッグを採用することもできた。
大半の車はそうだから。
エアバッグは目に見えないものだから」とのフレーズとともに「カムリは同クラス最高の第4世代アドバンスト10エアバッグを搭載」とうたっている』と。

 トヨタは、何も現代自動車を挑発したわけではない。
「カムリは同クラス最高の第4世代アドバンスト10エアバッグを搭載」とうたっているだけなのである。
が、それが朝鮮日報では、「挑発」となる。
反日感情は、それほどまでに、根が深い。

 彼らのその思考回路を買えることは、容易なことではない。
というより、この40年間、何も変わっていない。
この先、40年についても、そうだろう。
だからこそ、日本は、(お人好し的外交政策)にブレーキをかけなければならない。

 いいか、迎撃ミサイル1発、1兆円だぞ!
政府は、ミサイル本体だけの価格を公示している。
が、機関銃に例えるなら、ミサイルというのは、「銃弾」。
銃弾だけの価格。
機関銃という銃、その他もろもろの装備の価格は、含まれていない。

 日本は、いったい、だれのために、北朝鮮のミサイルを、迎撃、撃墜しようとしているのか。
仮に日本のためであるとしても、あんな国、まともに相手にしてはいけない。
その価値もない。

 私だって子どものころ、よく戦争ごっこをした。
喧嘩もした。
しかしいつも、相手を選んで、それをした。
自分より幼い子どもや、女の子には、手を出さなかった。
もとから相手にしなかった。

 迎撃態勢を組み、相手を威嚇するのはよいとしても、構えだけ。
迎撃ミサイルを発射するのは、危険というより、無謀。
野田首相は、今回の核サミット(ソウル)では、「つまはじき」だったとか。
『民主党政権の外交無策により、日本は国際社会から「つまはじき」』(MSN)と。

 だったら、つまはじきでよい。
つまはじきのまま、あとは静観すればよい。
(あるいは「傍観」?)

 恐らくあの野田首相のことだから、日本の存在感をアピールしようと、過激な手段を選ぶかもしれない。
「撃墜命令」も、そのひとつ。
が、ここは冷静に。
何も日本が、火中の栗を、あえて拾うことはない。
アメリカや韓国に任せればよい。

 それがわからなければ、もう一度、頭の中で、こう考えてみたらよい。
「もし、南北朝鮮が統一したら、この日本はどうなるか?」と。
日本の横に、核兵器に加え、150万に兵力をもった、巨大軍事国家が誕生する。

 そういう未来を見据えながら、では、今、この日本はどうあるべきか、それを考えたらよい。
その結論が、冒頭に書いたこと。
「私は、ミサイル撃墜に、明確に反対する」である。

 勇ましい好戦論に、踊らされてはいけない。

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【美容整形という、背徳】(はやし浩司 2012-03-29夜記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

伊勢志摩→名古屋から帰ったのが、夕刻。
しばらくしてから夕食。
そのままコタツの中で、居眠り。
居眠りといっても、3時間。
寝過ぎた。

先ほどワイフは、先に床に入った。
現在時刻は午後11時。
「ぼくは、あとから寝るから……」と言い、そのまま書斎へ。
5月の講演のレジュメを、主催者の方から書き直すように言われている。
ついでに、中日ショッパー用の原稿も。
「専門的すぎてわかりにくい」とのこと。

書き直すのは、めんどうではない。
その気になれば、10分程度ですむ。
(ショッパーの記事の方は、全面的に書き改める。)
が、私のばあい、(その気)になるまでが、たいへん。
どうしても、後回しになってしまう。
若いころからの、私の悪いクセ。

「原稿は、いつも1回勝負!」と。
いつもそう決めている。
2回目を書くエネルギーがあったら、別のことを書きたい。
不完全でもよいではないか。
それがそのときの「私」なら、それも「私」。
私は「私」のままを書く。

消しゴムで消して直すなどという人生観は、私には、もとからない。
だから子どもたち(=生徒たち)にも、よくこう言う。
「まちがえたら、そのままにしておきなさい。
一本、線を引けばいい。
新しい答は、その下に書けばいい」と。

が、たまに、それまで書いた原稿を、何かの手違いで削除してしまうことがある。
コンピューターというのは、それがこわい。
一度、削除すると、跡形もなく、「虚」になってしまう。

そういうときは、つぎの2つの中から、1つを選ぶ。

(1)さらによい原稿を書く。
(2)あきらめて、別のことを書く。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●整形手術

 今日、こんなことがあった。
名古屋から、豊橋までは、名鉄。
豊橋から浜松までは、JRの在来線。
座席は通勤列車用に、両側、一列に並んでいる。
その電車の中でのこと。

 隣に、見た感じ、新婚旅行帰りの若い男女が座った。
おそろいの大きなバッグが、通路側に並べてあった。

 しばらくすると、私の左横にいた女性が、居眠りを始めた。
その向こうの男性は、そのときには、すでに熟睡モード。
左側の女性は、顔を男性のほうに傾けるようにして、眠り始めた。
私の位置からは、女性の顔を下から見あげたような状態になる。
が、その顔を見て、ドキッとした。

 ほんの3~4ミリだが、その女性は、目を開けたまま眠っていた。
そんなことができるのかと思い、数度、私は見直した。
最後は、まじまじと見た。

 見ると二重まぶたの溝が、先の方で一度途切れている。
かすかだが、端のところに手術痕も残っている。
その目の中で、眼球が、ゆっくりと左右に揺れていた。
私は、それを見て、ドキッとした。

 二重まぶたの手術で、目を大きくした。
それはわかる。
が、そのため眠ったとき、目が閉じなくなってしまった?
もしこんな状態が長くつづけば、角膜が乾燥し、角膜が傷つく。
そんなことは、素人の私でも、よくわかる。
だからふつう目は、常に涙を出し、角膜を潤す。
目がまばたくのも、そのため。
が、その目が、たとえ3~4ミリとはいえ、開いたまま……。
だいじょうぶなのだろうか。
私は右隣に座っているワイフに小声で、こう言った。

私「ぼくのねえ……隣の女性ね、目を開けたまま眠っているよ」
ワ「……みたいね……整形手術で、上まぶたを引き上げたせいじゃないかしら」
私「目にはよくないよ……」
ワ「でも今じゃ、みんなしてるわよ」と。

●二重まぶた

 ネットで、二重まぶた手術の後遺症について、調べてみた。

Seesaaの「広告BLOG」には、つぎのような後遺症が列挙してあった。

『(1) 術後のハレがひどかった。
 
(2) 目がチクチクして、違和感がする。
 
(3) すぐに二重が取れてしまった。
 
(4) 点止めなので、二重のラインの仕上がりが、カーテンのようにハシのほうが下がってしまった。

(5) 普段は気にならないが、まぶたをおさえると目がゴロゴる。

(6) 術後、目が少し引きつったままになってしまった。

(7) 二重のラインが不自然で、あまりきれいではない。

(8) 再手術をしても、またすぐに二重が取れてしまった。

(9) 目を閉じると、点状のくぼみが残っているので、手術を受けたのが他人にすぐわかる。

(10) 二重のラインが途中でとぎれている。

(11) 術後は、しばらくコンタクトレンズがはめられなかった。

(12) 術後、まぶたにシコリができてしまった。

(13) 手術後、気がかわってもとにもどそうとしたが、糸をそのままぬくことができず、もとにもどせなかった。

(14) 手術をする際、まぶたをひっくり返して麻酔の注射をされるので、とても痛く怖かった。

(15) 眼科で診察をうけると、まぶたの裏側に糸が見えているので、眼科の先生に二重まぶたの手術を受けたのが、バレてしまった』(以上、Seesaa Blogより)と。

 が、この中には、「目が閉じなくなってしまった」というのはない。

 そこでさらに検索を繰り返してみると、それはあった。

●目が閉じられない

 ある女性が、ある眼科医の相談コーナーのページに、それについて相談している。
それに対し、N医師(HPの管理者)は、つぎのように答えている。

『多分脂肪も取っているでしょうし、皮膚も余裕が無いということですと、修正は難しいでしょうし、元の一重に戻す事はさらに無理だと思います。
目を閉じれない位ですし、どうしてもということであれば植皮をして、皮膚を植え二重を狭くしていくしか方法は無いでしょう』と。

 失敗と断言してよいかどうかは、わからない。
しかし二重まぶたの手術をして、目が閉じられなくなってしまった女性(男性も?)、結構、多いようだ。

 が、私が書きたいのは、このことではない。

●内面世界の積み重ね

 ありのままをさらけ出して生きるのは、むずかしい。
ありのままをさらけ出して生きるためには、その前に「私」がなければならない。
「私」がないまま、さらけ出したら、それは裸で街を歩くようなもの。
「衣服で飾れ」ということではない。
ここでいう「私」というのは、内面世界の積み重ねをいう。
その積み重ねが、心の衣服となり、その人を美しくする。
その積み重ねが、むずかしい。

 たとえば女性の美しさ。

 以前、アメリカのある空港で、1人の若い女性を見かけた。
白人だった。
年齢は25歳前後だったと思う。
その女性は、大きなノートパソコンに向かい、一心不乱にキーボードを叩いていた。
直接顔を見たわけではない。
が、体全体が、知的な緊張感に包まれていた。
それがその女性を、美しく輝かせていた。

 が、この日本では、「女性の美」が、ますます軽薄になっていくように感ずる。
最近では、つけまつげが流行している(?)。
中には1センチほどもある、長いつけまつげをしている女性もいる。
私には、それが、お化けというより、タヌキのようにしか見えない。
いや、タヌキだって、あんなアホなことはしない。

 が、女性がそうした化粧をするのは、それを「かわいい」と思う男性がいるから。
つまりそういう女性が多いということは、男性もまた、それにふさわしい男性になりつつあることを示す。

 美容整形であろうが、プチ整形であろうが、それをするのは本人の自由。
(以下、「整形」とする。)
しかしその一方で、内面世界の積み重ねを忘れたら、それこそ顔は、絵を描くための、ただのキャンバスになってしまう。
が、私は、もう一歩踏み込んで、こんなことを考える。

 もしあなたの恋人なり、妻が、整形を繰り返していたとしたら……。
あなたは、それに耐えられるだろうか?
それでもあなたは、そういう相手を、自分の友人、もしくは妻として迎え入れることができるだろうか?

 顔だけではない。
胸も体も……。

 私の価値観を押しつけるつもりはない。
が、私だったら、とても耐えられない。

●ハイデッガー

 女性にかぎらず、その人の本当の美しさは、懸命に生きるその生き様の中から、生まれる。
見てくれの顔や姿ではない。
生き様。

 もっともそれを理解するためには、男性の側にも、それなりの内面世界の積み重ねがなければならない。
知性、理性、道徳、哲学……、何でもよい。
そういったものを、一方で、磨いていく。
昔から、こう言う。
そう言っているのはこの私だが、「賢い人からは、愚かな人がよくわかる。が、愚かな人からは、賢い人がわからない」と。
もう少しはっきり言えばこうだ。
「利口な人からは、バカな人がよくわかる。が、バカな人からは、利口な人がわからない」と。

 解釈の仕方は、いろいろあるだろう。
つまり、整形だらけの女性を美しいと思う男性は、やはりそのレベルの男性ということ。

 さらに短絡的につぎのように言い切るのは、たいへん危険なことかもしれない。
しかしこういうことは言える。

 見てくれの顔や姿ばかりを気にし、内面世界の積み重ねを怠る人は、女性にかぎらず、男性も、その程度の人間、ということ。
ハイデッカーが説いた『ただの人(Das Mann)』というのは、そういう人間をさす。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 2010年に、『ただの人』について
書いた原稿が見つかった。
話が脱線するが、許してほしい。

 なお、結論的に、冒頭にあげた女性について、こんな事実を付記しておく。

 ……やがて電車は浜松駅についた。
2人の男女は、たがいに起しあいながら、席を立とうとした。
と、そのとき、若い女性のほうの目を見ると、明らかに病的にまで目が充血していた。
とくに目の下あたりが、真っ赤だった。
仮に30分でも、目を開けたままにしていれば、そうなる。
あるいは私が見たときのように、常に眼球を動かしていないと、角膜が傷つく。

 その女性は、目を大きくしたいがため、整形手術を受けた。
しかし整形手術には、それがどんなものであれ、何らかの危険を伴う。
後遺症を伴うこともある。
目を開いたまま眠るというのは、どう考えても、ふつうではない。
5年や10年は、それでよいとしても、20年後、30年後に、何か大きな病気につながるかもしれない。

 なお私が見た充血と、整形手術との因果関係についてはわからない。
が、もし関係があるとするなら、そういうことを医師はしっかりと説明をしてから、手術を施すべきではないのか。

 かなり強い疑問を覚えたので、ここに記録しておく。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●『ただの人』(ハイデッガー(2009年の終わりに書いた原稿)

++++++++++++++++++

つい先日、12月になったと思っていたら、
もう今月もおしまい。
つい先日、2009年になったと思っていたら、
もう今年もおしまい。
つい先日、21世紀(2001年)になったと思っていたら、
もう2010年。

こうして日々は、容赦なく過ぎていく・・・。
過去へ過去へと、失われていく・・・。
・・・と、だれしも考える。
・・・と、だれしも考えやすい。

が、そういう考え方は、あまりにも通俗的。
長い歴史の中で、人は、そのように考えるように、
なってしまった。
つまり「数字」と「人生」を重ね合わせるようになってしまった。
が、そう考えてはいけない。
つまり「過ぎていく」と考えてはいけない。
「失っていく」と考えてはいけない。
何も過ぎていかない。
何も失っていかない。

そこにあるのは、今という「現実」。
現実があるだけ。
数字に惑わされてはいけない。
2009年だろうが、2010年だろうが、
そんなことは、私たちには関係ない。
私たちは、今という「現実」を懸命に生きる。
それだけを考えて生きる。

つまりこういうばあい、「数字」というのは、あくまでも
便宜上のものでしかない。

それがわからなければ、野に遊ぶ鳥や動物を見ればよい。
人間以外に、年や年齢を気にして生きている鳥や動物が
いるだろうか。
年齢にしても、そうだ。
気にならないと言えば、ウソになる。
しかし年や年齢という「数字」など気にしてはいけない。
気にする必要もない。
私たちは、今の今も、そこにある「現実」に向かって、
まっしぐらに進んでいく。
その上で、こう考えればよい。

「ああ、もうすぐ2010年なのか」と。

(2009年12月28日記)

++++++++++++++++++++

●年齢

 一度できあがってしまった(常識)を打ち破るのは、容易なことではない。
その個人だけの問題ではない。
その地域全体の人が、同じように考えている。
そういうところでは、なおさら容易なことではない。

たとえばG県の田舎へ行くと、今でも年長風を吹かしている人は多い。
家父長風を吹かしている人も多い
たった数歳年上というだけで、威張っている。
それがおもしろいほど、極端な形で現れる。

 こうした意識の根底にあるのが、「数字」。
年齢という数字。
言うなれば、「金持ちほど偉い」という、金権教の信者と同じ。
本来意味のないものにしがみつきながら、意味があるものと思い込んでいる。
それが意味がないものと、気がつくこともない。
またそれを認めることは、自己否定につながる。
そういう生き方そのものが、その人の哲学になっている。
だからよけいに、しがみつく。

●年齢という数字

 何歳であっても、私は私。
あなたはあなた。
今年が何年であっても、今年は今年。
今は今。
大切なのは、今、何歳かということではなく、今まで生きてきた蓄積が、私やあなたの中に、どれだけあるかどうかということ。
それがあればよし。
が、それがないなら、あなたが何歳であっても、あなたは、「ただの人」(ハイデッガー)。
数字という年齢をとることだけなら、だれにだってできる。
つまり、繰り返しになるが、「数字」には、意味がない。
まったく意味がない。
まず、私たちは、それを知る。
しっかりと肝に刻み込む。

●幻想

 ・・・こう書くと、「老人の強がり」と思う人もいるかもしれない。
しかし自分がこの年齢になってみて気がついたことがある。
老人ほど、人生の経験者」というのは、ウソ。
「人格者」というのは、さらにウソ。
まさに幻想。

地位や肩書きなどというのは、その人を飾るカラスの羽のようなもの。
イソップ物語に出てくる、あの話である。
一羽のカラスが、自分を美しく見せようと、自分の体を、いろいろな鳥の羽で飾ろうとする。
それと同じ。
自分では美しくなったつもりでいるかもしれないが、まわりの人たちは、それを見て、「バカ」と思う。
笑う。

 老人になればなるほど、愚劣になっていく人は、いくらでもいる。
またそういう人のほうが、多い。
だから私は、あえて言う。
「年齢」という「数字」には、意味はない、と。

●中身

 大切なのは、今という「現実」を、どう生きるているかということ。
今という「現実」の中で、自分がすべきことを、しっかりとしているかどうかということ。
そのために、今という「現実」を、しっかりと見据えているかどうかということ。
それには、若いも老いもない。
いくら若くても、死んだも同然。
そんな人は、いくらでもいる。
いくら年を取っていても、前向きに生きている人は、いくらでもいる。
大切なのは、中身。
中身で決まる。
その中身の追求こそが、「生きる」ということになる。

 ・・・とは言いつつ、「数字」はたしかに節目にはなる。
そのつど今の自分を、反省することはできる。
もし年数という「数字」、年齢という「数字」がなければ、生活に対する緊張感も半減する。
「数字」があるから、そこから緊張感が生まれてくる。
(もちろん何ら緊張感をもたないで生きている人も、多いが・・・。)
言うなれば、ウォーキング・マシンについているタイマーのようなもの。
タイマーがあるから、「がんばろう」という気持ちがわいてくる。
「2010年も、がんばるぞ!」と。

●今という「現実」

 ともあれ、節目としての2009年は、もうすぐ終わる。
で、振り返ってみれば、あっという間に終わった。
・・・というより、「数字」がどうであれ、私は今までどおり、前に向かって懸命に生きていく。
今という「現実」は、(今まで生きてきたこと)の結果であり、同時に、(これから生きる人生)の出発点でもある。

生物学的に言うなら、私たちは常に死に、常に生き返る。
だったら今そこにある「現実」に向かって、まっすぐに生きていく。
「過去」とか「未来」とかいう言葉に、惑わされてはいけない。
過去など、どこにも、ない。
未来など、さらにどこにも、ない。

 だから・・・。
今、できることは、今、する。
今、すべきことは、今、する。
懸命にする。

【補記】

 「数字」にこだわる人は多い。

先に書いたように、たった数歳年上というだけで、年長風を吹かしたりする。
このタイプの人は、当然のことながら、年号や年数にこだわる。
たとえばある宗教団体では、入信年月日によって、信者の上下関係が決まるという。
年齢ではない。
信仰していた年数で決まる。
だから、50歳、60歳の人が、30歳、40歳の人に、頭をさげたりする。
「信心歴が長ければ長いほど、その人は、上」というわけである。

 バカげた考え方だが、信仰の世界に入ってしまうと、それがわからない。
同じように、年長風を吹かす人もそうだ。
言うなれば、『年齢教』というカルトの信者。
「年上」というだけで、威張っている。
「年下」というだけで、「下」にみる。
偉そうに説教をしたりする。
それがおもしろいほど、極端なので、思わず笑ってしまう。
 
 このタイプの人は、当然のことながら、「長生きすればするほど、人生の勝利者」というふうに考える。
「数字」が、価値判断の基準となる。
だから幸福感も、「数字」による。
しかも相対的。
隣の人よりも、金持ちであれば、幸福。
隣の人よりも、貧乏であれば、不幸、と。
ふつうはケチで、小銭にうるさい。
そういう点では、一貫性(?)がある。

が、誤解してはいけない。 
長生きすることが無駄というのではない。
お金を稼ぐことが無駄というのではない。
しかしどちらであるにせよ、「数字」に毒されると、「人生」そのものを無駄にする。
それに気がつけば、まだよい。
ふつうはそれにすら気づかないまま、無駄にする。
そういう人は、どこまでもあわれで、かわいそうな人ということになる。
ハイデッガーの説いた、「ただの人」というのは、そういう人をいう。

+++++++++++++

「ただの人」については、
たびたび書いてきた。
つぎの原稿は2008年4月に
書いたもの。

+++++++++++++

【ただの人(das Mann)】
Along with getting old, most people is to become just a “man”, so-called “das Mann”. But nobody agree that this is the goal of our lives. We have what we should have to do toward the of the lives. Then how can we find it?

●生きているだけもありがたい

 若いときの20歳。
壮年期の終わりにやってくる60歳。
これら2つの年齢は、人生にとって、大きな節目となる年齢である。

 20歳という年齢を、人生への入り口とするなら、
60歳という年齢は、人生からの出口ということになる。
民間企業では、50歳を過ぎるころからリストラが始まり、60歳になると、ほとんどの人は退職、ということになる。
役所の人たちも、60歳を境に、それぞれの天下り先へと転職していく。

 もっとも60歳まで、無事生きてこられたというだけでも、ありがたい。
御の字。
感謝しなければならない。
すでにこの世を去った人も多い。
ざっと見ても、約5%の人が、亡くなっているのではないか。
健康や精神を病み、生きていくだけで精一杯という人も多い。
経済的に行きづまった人となると、もっと多い。

 さらにこの年齢になると、それまで隠しもってきた持病が、どんと前に出てくる。
持病だけではない。
人間性そのものも、そのまま前に出てくる。
わかりやすく言えば、化けの皮が、はがれる。

 が、それだけではない。
そのころになると、それまでの人生観を変えることなど、夢のまた夢。
小ズルイ人は、死ぬまで小ズルイ。
守銭奴は、死ぬまで守銭奴。

●老後の人間性

 よく誤解されるが、そしてほとんどの若い人たちは、そう思っているかもしれないが、歳をとれば、人間性が豊かになるというのは、ウソ。
むしろ、人間性は、後退する。

 その年齢になった私が言うのだから、まちがいない。
ただ人づきあいが、見た感じ、丸くなるということはある。
しかしそれとて、進歩してそうなるのではなく、生命力そのものが弱体化して、そうなる。
よい例が、老人ホームにいる老人たちである。
みな、穏やか過ぎるほど、穏やかな顔をしている。
だからといって、そういう老人たちが人格者などとは、だれも思わない。

 が、それだけではない。
さらに恐ろしいことがある。

●老化する脳

 そのころになると、穴のあいたバケツから水がこぼれるように、知識がどんどんと消えて行く。
年齢に比例して、その量は多くなる。
しかしそうなりながらも、その人自身は、それに気がつかない。
脳のCPU(中央演算装置)のクロック数そのものが低下するから、脳の働きが鈍くなったことすらわからない。

 先日も、どこか(?)な女性(65歳くらい)に会った。
話している内容に、一貫性がなかった。
そこで私が、「私はあなたが思っているほど、バカではないと思いますが……」と言ったときのこと。
その女性は、何を思ったか、こう叫んだ。
「私だって、バカではありません!」と。

 このように脳の機能全体が低下してくると、低下していること自体、わからなくなる。
そしてあとは加速度的に、老化だけが、どんどんと進んでいく。
脳の病気にかかれば、なおさらである。

が、それで終わるわけではない。
最後の最後に、とどめの一発がある。

生きがいの喪失である。

●統合性と生きがい

 この日本では、「庭いじりと孫の世話をすること」を、理想の老後生活と考える人は多い。
そういう理想像(?)が、いつしかできあがってしまった。
しかしそれはとんでもない、まちがい!
少なくとも、世界の常識ではない。

では、どうあるべきか?

 老後を迎えたら、(すべきこと)を見つけ、それに向かって、前に進む。
(したいこと)ではない。
(すべきこと)に向かって、前に進む。
それをエリクソンという学者は、「統合性の確立」と呼んだ。

 この統合性の確立に失敗すると、老後は、あわれでみじめなものになる。
それこそ「死の待合室」に放り込まれたような状態になる。
もっとも、この段階で、それに気づく人は、まだよいほう。
救われる。
大半の人は、死の待合室にいることさえ気づかないまま、ささいな夢や希望に、自分をつなぐ。
自分をなぐさめる。
あきらめる。

 つまらない人生を送りながら、それをつまらないとも思わない。
というのもこの問題は、あくまでも相対的なもの。

●統合性の内容

 統合性といっても、程度の差がある。
それこそマザーテレサのように、崇高な統合性を確立した人もいる。
私のように、HPの更新程度のことに、生きがいを求める人もいる。

 程度……、つまり統合性の次元は、より自分の次元が高くなってはじめて、より低い人の次元がわかるようになる。
わかりやすく言えば、次元の高い人からは、低い人がよくわかる。
しかし次元の低い人からは、次元の高い人は、わからない。
恐らく、理解もできないのではないか?
中には、「そんなことは、むだ」と否定してしまう人もいる。
先日会った、O氏(65歳)もその1人。
O氏は、こう言った。

 「あのね、林さん、総理大臣をやったような人でも、死ねばおしまいだよ。10年もすれば、みなに忘れられてしまう。残るのは、印刷された名前だけだよ」と。

「だから、人生というのは、したいことをして楽しむにかぎる」と。

しかしO氏のような生き方では、さらに何も残らない。
「生きた」という実感すら、もてないのではないか?

真理の探求を例にあげてみる。

●感動のある人生

 こんな私でも、ものを書いていて、何か新しいことを発見したときには、ゾクゾクするほど、感動する。
その感動こそが、私の生きがい。
生きがいとなって、私を支えてくれる。
研究者や芸術家なら、なおさらであろう。

 しかもそうすることによって、自分の(命)を、つぎの世代に伝えることができる。
わかりやすく言えば、自分を超えて、さらにつぎの世代の中で、生きることができる。
だから私は、O氏には悪いが、こう思った。

「かわいそうな人だ」「たったひとつしかない人生を、無駄にしている」と。

 さて、60歳。
この年齢になると、闘わなければならないものが、いくつかある。

 肉体の健康もそうだが、脳の健康も、維持しなければならない。
しかし何よりも大切なのは、統合性を確立し、その統合性に、自分を一致させていくこと。
その努力を怠ると、それこそ、そこらのオジチャン、オバチャン(失礼!)と同じ運命をたどることになる。

 繰りかえすが、ハイデガーは、軽蔑の念をこめて、そういう人たちを、「ただの人(das Mann)」と呼んだ。

「ただの人」になることだけは、何としても避けなければならない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ハイデッガー はやし浩司 ハイデッガー ただの人 das Mann 統合性 DAS MANN)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●カラス

 話を戻す。

 カラスはカラス。
カラスがいくらクジャクの羽をつけたところで、クジャクにはなれない。
だったら、カラスはカラスとして生きればよい。
カラスのもつ「黒」は、それ自体、美しい。
その美しさを否定し、クジャクの羽をつける。
それは即、自分の哲学の敗北を意味する。

 が、美しくなりたい(?)という若い女性を責めても、意味はない。
かわいそう。
酷!

 大切なことは、我々人生の経験組が、別の美的価値観を示してやること。
それもしないで、一方的に、若い人たちに向かって、「無駄なことをしている」と言ってはいけない。
それはたとえて言うなら、二階屋根に登った人から、ハシゴをはずすようなもの。

 が、その力は、あまりにも弱い。
たとえばテレビの影響。
連日連夜、そのタイプの女性や、それを取り巻く男性が、テレビに出てくる。
さらに今では、整形したことを隠すタレントは、まずいない。
堂々と、「こことここを整形しました」などと言ったりする。

 ものを考える力が乏しい、さらに若い人たちは、そういう人たちの影響をモロに受けてしまう。

 もちろん、みながみな、そうというわけではない。
同じ電車の中には、少数派だが、見るからに堅実そうな若い女性も、乗り合わせていた。
そういう女性を守るために、私たち老人組は、その(柱)にならなければならない。
ここに書いた原稿は、そのためのものと考えてほしい。

●終わりに……

 ただ誤解しないでほしい。
私は顔を整形することが、まちがっていると書いているのではない。
(「正しいこと」とは、絶対に思わないが……。)

しかし「整形」という行為の中に、その人の人生観が凝縮されているように思う。
見栄、体裁、メンツ、世間体を気にして生きる、そういう人生観である。
しかしこういう生き様ほど、見苦しいものは、ない。
へたをすれば、人生そのものを棒に振ることにもなりかねない。
その第一歩としての整形であるなら、これほど不幸な第一歩は、ない。

 私たちは、いつも、「私は私」と、生きる。
そういう生き様を貫く。
そこに生きる意味がある。
けっして、他人の目の中で生きてはいけない。

 ……今朝は、かなり過激な意見を書いてしまった。
このエッセーを読んで、不愉快に思う人も多いだろう。
が、それはそれとして、つまり美容整形のことは忘れ、では、人間の美しさとは何か。
この原稿をたたき台にして、それをもう一度、考えなおしてみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 美容整形 プチ整形 はやし浩司 二重まぶた 目の閉じない女性 人間の美しさ ハイデガー ハイデッガー ただの人  das Mann Das Mann)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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