マドンナ論byはやし浩司
【気力との勝負】6月14日(木曜日) Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 老後の健康を、どう守るか。 健康といっても、「精神の健康」。 このことは、近くの老人ホームへ行ってみればよくわかる。 老人というと、「脳の健康」、つまり痴呆症ばかりが目立つ。 しかし実際には、その多くが、「精神の病気」をかかえている。 たとえばうつ病にしても、痴呆症が原因でうつ病になった人もいる。 反対に、うつ病が原因で、痴呆症になった人もいる。 もちろん同時進行の形で、症状が進む人もいる。 専門家でも区別はむずかしいそうだ。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●持病 精神にも、「持病」というものがある。 もともと精神力が強靱な人もいれば、そうでない人もいる。 たとえば数日前、『娘に「死ね」と言われた母親』という題で、エッセーを書いた。 この原稿に対する反響には、すさまじいものがあった。 同時に、いろいろなコメントが寄せられた。 こんなのもあった。 「……私も、高校生の息子にいつも、「死ね」「死ね」と言われています。 息子はそれほど深く考えて、そう言っているのではないということは、よくわかっています。 本気ではないと信じています。 しかし実は、私は、若いころ、リストカットをした経験があります。 だからそういう言葉を聞くと、そのつど、心にその言葉が、鋭く胸に突き刺さります」と。 同じ状況でも、受け止め方はさまざま。 その人の精神力、さらには、過去までもが影響してくる。 そういうとき自分をどう支えていくか。 これはかなり深刻な問題と考えてよい。 つまりいかにして、精神の健康を守るか。 ●持病 結論から先に言えば、他人との接触を欠かさないということ。 「内」へこもったとたん、そこで水はよどみ、腐る。 そのための仕事や活動は、不可欠。 どんな小さなことでもよいから、夢や希望をもつ。 その先に目的をもつ。 何か持病のある人は、なおさら。 こわいのは、先に書いた、うつ。 妄想、恐怖症、不安症、パニック障害、それに情緒不安。 「内」へこもったとたん、こうした症状が、どっと表に出てくる。 言い換えると、これは何も老人だけの問題ではないことが、わかる。 若い人にしても、そうだ。 大切なことは、持病を作らないということ。 ●気力 若いときは、それなりの気力がある。 その気力で、自分をカバーできる。 ごまかすことができる。 言うなれば、仮面をかぶることができる。 しかし加齢とともに、気力が弱くなる。 弱くなったとき、その陰に隠れていた持病が顔を出す。 ねたみ、嫉妬、不平、不満、恨み、つらみ、不安、心配……など。 気力がじゅうぶんなときは、それを自分の中で押し殺すことができる。 が、弱くなると、そうはいかない。 それがそのまま表に出てくる。 ●では、どうするか つまりは気力との勝負ということになる。 「待ち」の姿勢ではいけない。 攻撃的。 攻撃的に出てはじめて、精神の健康は維持できる。 方法は簡単。 とにかく前向きに、前に向かって進む。 「やってやる!」と。 ……ということで、今朝も始まった。 今日も、やってやる! 2012/06/14記 Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司 ********************************* 彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡 | ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m (″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄) 凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` / \ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄偶 (BW公開教室・まぐまぐプレミアム読者のみなさんへ) ===○=======○==================== 子育て最前線の育児論byはやし浩司 6月 27日号 ================================ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━¬¬¬¬¬―――――――――――――― ★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★ マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック! http://bwhayashi2.fc2web.com/page027.html ★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに 選ばれました! ★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。 【1】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【人間不信論】(マドンナ論) Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 少し前、高校の同窓会に出た。 楽しかった。 その席でのこと 昔の恋話(こいばなし……若い人たちは、「恋バナ」という)に花が咲いた。 こうした恋話に花を咲かせたのは、15年ぶり、それとも20年ぶり? Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●デフォルメ 絵画、彫刻の世界には、デフォルメという言葉がある。 写実主義に対して、「デフォルメ」という。 同じように、もの書きの世界でも、ときどき「デフォルメ」という言葉を使う。 当の本人とわからないように、「形」を変える。 「内容」を変える。 「ストーリー」を変える。 そうでもしなければ、当の本人の名誉に傷がつく。 高校の同窓生ともなれば、なおさら。 が、いくらデフォルメしても、その向こうにある事実は、ひとつ。 まずその事実。 ●A子さん(女性) 私はある時期、高校の同級生の女の子とつきあっていた。 名前を「A子さん」としておく。 「つきあう」というのは、「つきあう」という意味。 プラトニックな関係から、濃密な肉体関係まで、いろいろある。 幅が広い。 年齢(学年)があがれば、当然、後者の関係に近づく。 そのA子さんの話を、だれかがしていた。 名前が聞こえたので、その輪に、私も加わった。 「あの人、どうしている?」「わからないわ」と。 で、私は、こう言った。 「ぼくね、A子さんと、~~時代、つきあっていましたよ」と。 今さら隠すような話でもない。 すると、すかさず、A子さんをよく知るという、つまりA子さんの実家の近くに住んでいるB子さんが、こう言った。 「あらっ、そんなはずないわよ。A子さんが好きだったのは、X男君よ。林君(=私)じゃあ、ないわよ」と。 実は、X君の名前は、記憶のどこかで聞いた覚えがある。 が、その当時、Aさんにとっては、すでに過去の人と思っていた。 私「なんだ、好きな人がいたのか」 友「そうよ。ずっと好きだったみたいよ」 私「ぼくは、純愛かと思っていた」 友「そんなわけないでしょう」と。 X君はスポーツマンで、背が高い。 私は背が低い。 見てくれも、悪い。 どう考えても、勝ち目はない。 ●純愛? が、話はそこで終わらなかった。 そばにいた、Y男君まで、こう言い出した。 「実はね、ぼくね、大学1~2年のころ、A子さんとつきあっていた」と。 私「お前もか?」 Y「そうだよ。いいとろこまでいったよ。A子さんの家の2階でね……」と。 私「ぼくがつきあっていたころと、重なるよ」 Y「そう。林君の名前は、聞いていた。『林君ともつきあっている』とね」と。 知らなかったのは、私だけ。 ああ、神様、仏様、……私だけ。 「ぼくはね、純愛かと思っていた」と。 Y「林君は、純情だなあ」 私「そうだなあ。ぼくは、A子さんと別れてから、A子さんを忘れるのに苦労したよ」 Y「そうだったのか。そうならそうと言ってくれれば、いろいろ話してやったのに」 私「当時は、言えなかったよ」 Y「つまりね、遊び。A子さんにしてみれば、林君は、ただの遊び友だち」 私「遊び友だちね? ぼくは結構、真剣だったよ」 Y「そんなわけないだろ。A子さんは、大学生のときも、X男と交際していたぞ。よく2人でドライブしていたぞ」と。 あとは、お決まりの笑い声。 ハハハ、アハハハ……、と。 ●人間不信 A子さんは、高校時代から大学時代まで、私を含めて、4人の男性とつきあっていたことになる。 わかっているだけで、4人! 同級生だけで、4人! 私はただのワン・オブ・ゼム。 もちろんそのほかにも、いただろう。 が、私が知るところではない。 何人かと顔を見合わせ、「女性って、すごいね」「ホント!」と。 そのときはそれで終わった。 が、私に与えたショックは、大きかった。 浜松に帰ってから、ボディブローのように、じんわりと痛みが大きくなってきた。 「人間不信」。 その不信感に襲われた。 ●C子さん まず、ワイフに聞いてみた。 私「なあ、お前、結婚前のお前の話はたくさん聞いた。でも、それはみんな、本当のことか?」 ワ「何よ、今さら」 私「だってさ、あのA子さんね、ぼく以外にも3人の男と同時に交際していたよ」 ワ「あら、すごいわね。田舎の人って、そんなにすごいの?」 私「都会も田舎もないよ。お前は、どうなんだ?」 ワ「私は、ウソはつかないわよ」 私「いえね、ぼくはね、それが信じられなくなった」と。 同窓会で聞いた話ではないが、別の機会に、こんな話も聞いたことがある。 同じクラスに、C子さんという、見るからに静かで、純情そうな女の子がいた。 ほのかな恋心を抱いたこともある。 そのC子さんも、これまた、メチャメチャ。 同級生の何人かと、肉体的な関係をもっていた! しかも高校時代に! 一度は、高校の近くの林の中で、それをしているところを、みなに見つかっている。 当初、私はその話が信じられなかった。 何度も、否定した。 「あのC子さんが、そんなことをするわけがない!」と。 しかしそれは事実だった。 残念ながら、事実だった。 その様子を直接目撃した友人がいて、それを詳しく話してくれた。 ●マドンナ論 要するに、聖母はいない。……ということ。 一般論からすると、マザコンタイプの男性ほど、マドンナ(聖母)を求めやすい。 女性の理想型を、相手の女性に求めやすい。 私は、そのマザコンだった。 いつも女性に、聖母的な潔癖さと、包容力を求めていた。 だからいつも、その女性の言葉を、そのまま信じていた。 「疑う」ということすら、しなかった。 私自身も、生涯、そのときどきにつきあうのは、1人だけ。 真剣。 遊びで、女性と交際したことはない。 また交際した以上、いつもその責任を取ってきた。 今のワイフとも、そういういきさつの中で、結婚した。 この性分は、私の実父譲りと思う。 私の父は、大のかたぶつ。 くそまじめで、融通がきかなかった。 浮いた話とは、まるで無縁の世界に住んでいた。 が、私のような人間は、少数派。 50年前の高校時代においてですらも、少数派? ●被害者 ここに書いたことは、かなりデフォルメしてある。 しかしウソでないという点で、A子さんやC子さんが、これを読めば自分とわかるはず。 それを心配して、ワイフがこう言った。 「あなた、A子さん、怒るわよ」と。 私「だって、ぼくはだまされた被害者だよ。もてあそばれただけだよ」 ワ「いくらそうでも、本人が読んだら、怒るわよ」 私「そうかなあ。ぼくは真剣に結婚まで考えた……」 ワ「だから、あなたはおめでたいのよ。相手の女性は、そういうあなたを、うるさく感じて、去っていったのよ」と。 うるさい? そうかもしれない。 相手の立場で考えれば、それがよくわかる。 相手は、私をただの遊び相手と考えていた。 そんな相手が真剣になったら、たしかに、「うるさい」。 しかし私は、A子さんとの思い出を、死ぬまで大切にしたいと思っていた。 それが今回の同窓会で、ものの見事に、破壊されてしまった。 フーッと、家の中にたまったほこりのように、散ってしまった。 何という虚脱感。 バカ臭さ。 「今度会ったら、あいつの顔をぶん殴ってやる」と。 ワ「私がA子さんだったら、とても同窓会には出られないわ」 私「そうだなあ……。ふつう同窓生というのは、大切にする。汚れた思い出を作らない」 ワ「親類みたいなものだからね」 私「そうなんだよ。そう言えば、それ以後、一度も同窓会に出てこない……」と。 ●性欲の奴隷 さらに一歩踏み込めば、こういうこと。 別に難しい話ではない。 最近の若い人たちを見れば、それがよくわかる。 つまりその年齢の男女は、性欲の奴隷。 性欲の奴隷となって、無数のドラマをつくる。 その一語につきる。(2012/05/03) Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 マドンナ論について書いた原稿を探してみる。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●聖母か娼婦か? 女性は、元来、聖母か娼婦か。どちらか。 ただし、聖母のように見えても、決して、聖母とは思ってはいけない。 一人の女性が、相手に応じて、聖母になったり、娼婦になったりする。 だから見た目には、つまり男によっては、その女性は、聖母にも見えることがあるし、娼婦に見えることもある。 わかりやすく言えば、男しだいということ。 若いころ、こんな経験をした。高校を卒業してから、まもなくのことだった。 私には、その女性(C子さんとしておく)は、聖母に見えた。 高校時代、隣のクラスの女の子だった。 おしとやかで、恥ずかしがり屋だった。 その上、理知的で、分別もある人に見えた。 が、その女性が、別の世界では、まったくの別人? 男を、まさにとっかえひっかえ、遊んでいた! ある友人が、こう言った。「あのな、林、あのC子さんな、高校生のとき、草むらで、男とSクスをしていたぞ。 自転車で家へ帰るとき、オレ、見てしまったぞ」と。 私が驚いて、「そんなことあるかア!」と言うと、その友人は、「ウソじゃない。オレは、ちゃんと見た」と。 それでも私は、信じなかった。 「きっと見まちがえたのだろう」とか、「何か、ほかのことをしていたのだろう」とか。 「C子さんではなかったのかもしれない」とも。 しかしそれから20年くらいたってからのこと。 別の友人が、こう言った。 「ぼくは、あのC子さんと、高校3年生のとき、つきあっていた。そのとき、C子さんは、すでにバージンではなかった」と。 私は「ヘエ~」としか、言いようがなかった。 私がC子さんにもっていたイメージとは、あまりにも、かけ離れていたからだ。 私「女って、わからないものだあ」 友「お前は、C子さんをどう思っていたんだ?」 私「とにかく、信じられない。ぼくにとってC子さんというのは、マドンナだった」 友「あのC子さんが、マドンナだったってエ? お前は、いったい、C子さんの、どこを見ていたんだい?」 私「そう、ぼくには、マザコン的なところがあるからな」と。 一般論として、マザコンタイプの男は、女性に、理想像を求める。 そして好意を寄せる女性を、マドンナ化する。 日本語で言えば、聖母化する。(マドンナのことを、聖母という。 少しニュアンスがちがうような気もするが……。) 聖母化するのは、その人の勝手だが、聖母化された女性のほうは、たまらない。 とくに夫に聖母化されると、妻は、困る。 これもまた一般論だが、マザコンタイプの男性は、離婚率が高いという。 浮気率も高いという。 1990年に発表されたキンゼイ報告によれば、アメリカ人のうち、37%の夫が、少なくとも、1回以上の浮気をしているという。 この数字を多いとみるとか、少ないとみるか。 日本には、宗教的制約がないから、日本人の夫の浮気は、もう少し、多いのではないか。 それはともかくも、マザコンタイプの男性は、理想の(?)女性を求めて、つぎからつぎへと、女性を渡りあるく傾向が強い。 新しい女性とつきあっては、「こんなはずではなかった」「この女性は、ぼくの理想の女性ではない」と。 だから離婚しやすい。 浮気しやすい。(多分?) 要するに、女性を聖母化するというのは、それ自体が、マザコン性のあらわれとみてよい。 このタイプの男性は、肉欲的な荒々しい性的関係を結ぶことができない。 女性を聖母化する分だけ、成熟したおとなの関係を結ぶことができない。 で、問題は、まだつづく。 さらに一般論として、女性は、自分がどう見られているかを敏感に察知し、その見られている自分を、男の前で演ずることがある。 「聖母に見られている」と感じたとたん、その人の前では、聖母のように振る舞うなど。 つまりC子さんは、私の前では、聖母を演じていただけ? しかしそう考えると、すべて、つじつまが合う。 が、これは私自身の問題でもある。 私は、ここにも書いたように、かなりマザコンタイプの人間だった。 母親を絶対化する分だけ、若いとき、私とつきあう女性にも、それを求めた。 私と結婚したワイフでさえ、あるとき、私にこう言った。 「私は、あんたの母親じゃないのよ!」「あんたの母親のかわりは、できないのよ!」と。 そのときはなぜワイフがそう言ったのか、その意味がわからなかった。 しかし当時の私は、ワイフに、いつも、女性としての完ぺきさを求めていたように思う。 そこであなたの(あなたの夫の)マザコン度チェック! ( )あなたは妻に、いつも完ぺきな女性であることを求める。(あなたの夫は、あなたに完ぺきな妻であることを求める。) ( )あなたはいつも、女性に、母親的な女性像を求める。(あなたの夫は、あなたに母親的な女性像を求める。) ( )あなたは妻に、動物的な妻であることを許さない。(あなたの夫は、あなたに動物的な妻であることを許さない。) ( )あなたは、いつも妻に、完全に受けいれられていないと気がすまない。(あなたの夫は、あなたに完全に受け入れられている状態を求める。) ( )あなたは妻に、かつてあなたの母親がしてくれたことと同じことを、求めることが多い。(あなたの夫は、夫の母親が夫にしたことと同じことを求めることが多い。) 要するに、妻を聖母化するということは、その夫自身が、マザコンであるという証拠。(……と、言い切るのは危険なことだが、それほど、まちがってはいない。) ワイフ「本人自身は、それに気づいているのかしら?」 私「さあね。たぶん、気がついていないだろうね。マザコンタイプの人は、そうであること自体、自分のことを、親思いのいい息子と考えているから」 ワイフ「でも、そんな夫をもったら、奥さんも、たいへんね」 私「お前も、苦労したな」 ワイフ「ホント!」(ハハハハ)と。 人生も半世紀以上生きてみると、いろいろなことがわかるようになる。 男も女も、ちがわないというのも、その一つ。 どこもちがわない。この世の中には、聖母も娼婦もいない。 みんな、そのフリをしているだけ。 そうでないフリをしているだけ。 だからこの議論そのものが、意味がない。 男性に、聖人も、男娼もいないように、女性にも、聖母も娼婦もいない。……ということで、この話は、おしまい。 ●女性とおとなのセックスができない男性 概して言えば、日本の男性は、総じて、マザコン的? 母系社会というより、母子関係の是正をしないまま、子どもは、おとなになる。 つまり父性社会の欠落? よい例が、ストリップ劇場。 私も若いころは、ときどき(ときどきだぞ!)、見にいったことがある。 日本のストリップ劇場では、中央の舞台で、裸の女性が、服を一枚ずつ脱ぎながら、なまめかしく踊る。 観客の男たちは、それを見ながら、薄暗い客席で、シコシコとペニスをマッサージする。 この関係が、実にマザコン的? 女がほしかったら、「ほしい」と言って、飛びついていけばよい。 セックスをしたかったら、「したい」と言って、飛びついていけばよい。 が、舞台の女性に、「あんた、ここへあがってきなさいよ。抜いてあげるからさア」と声をかけられても、その場で、照れて見せるだけ。 どうも、はっきりしない。そのはっきりしないところが、マザコン的? マザコンの特徴は、女性を美化し、絶対化するところにある。 あるいは母親としての理想像を、相手の女性や妻に求める。 そのため女性の肉体は、おそれおおい存在となる? ……という心理は、私にはよく理解できないが、多分、そうではないか。 このことは、子どもたちの世界を見ていると、よくわかる。 数は少なくなったが、今でも、雄々しい男の子というのは、いるにはいる。 (反対に、ナヨナヨした男の子は、多いというより、ほとんどが、そう。) そういう男の子は、女の子に対して、ストレート。 こんなことがあった。 私が、何かのきっかけで、「騒いでいるヤツは、ハサミでチンチンを切るぞ」と言ったときのこと。 一人の女の子(小5)が、すかさずこう言った。 「私には、チンチンなんて、ないもんね」と。 それを聞いた別の男の子(小5)が、「何、言ってるんだ。お前らには、クリトリスがあるだろ!」と。 私はこのやりあいには、驚いた。 「今どきの子どもは……!」と。 しかし思い出してみると、私たちが子どものころには、そういう言葉こそ知らなかったが、相手に対して、今の子どもよりは、ものごとをストレートに表現していたと思う。 「おい、セックスをさせろ」というなことまでは言わなかったが、それに近い言葉を言っていたように思う。 だから同じ男として、「お前らには、クリトリスがあるだろ!」と言いかえす男の子のほうが、好きと言えば、好き。 一応、たしなめるが、それは立場上、そうしているだけ。 そういえば、マザコン的といえば、マザコン的? かなり昔、こんなことを言う男子高校生がい た。その高校生は、ま顔で、私にこう言った。 「先生、ぼくの彼女ね、本当にウンチをするのかねエ?」と。 その高校生に言わせれば、「彼女は、ウンチをしない」とのこと。 そこで私が「じゃあ、彼女は、何を食べているの?」と聞くと、「ごはんだけど、彼女は、ウンチをしないと思う」と。 また反対に、こんなことを言う男子高校生もいた。 「先生、ぼく、ブルック・シールズ(当時のアメリカの女優)のウンチなら、みんなの前で食べてみせることができる」と。 彼は、そのブルック・シールズの熱狂的なファンだった。 こうして考えてみると、初恋時には、男はみな、多かれ少なかれ、マザコン的になるのか? あるいはプラトニック・ラブを、そのままマザコンと結びつけて考えることのほうが、そもそも、おかしいのか? ただ、こういうことは言える。 マザコンタイプの男性ほど、その女性のすべてを受け入れる前に、自分をすべて受け入れてくれる女性を求める。 そしてその女性に、母親的な完ぺき性を求めて、その女性を追いつめやすい、と。 恋人関係ならまだしも、結婚生活となると、ことは深刻。 いろいろ問題が起きてくる。離婚率や浮気率が高いという説があるのも、その一つ。 それについてワイフに話すと、ワイフは、こう言った。 「夫がマザコン的だと、奥さんも、疲れるわよ。 夫が望むような妻にならなければならないから」と。 私「夫がマザコンだと、離婚率が高いという説があるよ」 ワイフ「当然でしょうね。そんな男と、生活するのは、たいへんよ」 私「妻より、母親のほうが大切と考えている男性も、多いよ」 ワイフ「だったら、母親と結婚すればいいのよ」 私「ワア、それこそ、マザコンだあ」と。 そういう意味でも、母親は、ある時期がきたら、子どもを、自分から切り離していかねばならない。 いつまでも、濃密な母子関係に溺れていると、子ども自身が、自立できなくなってしまう。 本来なら、父親が、母子関係に割ってはいり、その母子関係を調整しなければならない。が、今、その父親不在の家庭が多い。 あるいは、父親自身が、マザコン的であるというケースも、少なくない。 最後に、タイトルに、「女性とおとなのセックスができない男性」と書いたので、一言。 もう10年近くも前になるだろうか。中学3年生になったばかりの女の子が、私に、こう言った。 「先生、あんな男とは、もう別れた」と。 その中学生には、ボーイフレンドがいた。そこで私が理由を聞くと、こう言った。 「だって、先生、3回もデートしたけど、何もしてくれないのよ」と。 私「何もしてくれないって?」 中学生「手も、握ってくれないのよ」 私「で、君は、どんなことをしてほしいと思っていたの?」 中学生「ふふふ。わかっているくせに……」と。 性的な男女交際を奨励するわけではないが、私はその話を聞きながら、そのとき内心では、「だらしない男もいるもんだ」と思った。 (はやし浩司 マザコン マザーコンプレックス マドンナ論 聖母 聖母意識 でき愛ママ 溺愛 溺愛ママ はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司) 【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ●『自動車技術 2012年05月号』 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 昨夕、郡上八幡+同窓会から帰ってきたら、 『自動車技術』(自動車技術界発行・定価2500円) が届いていた。 全世界配布版である。 で、問題は、これをどうBLOGにUPLOADするかということ。 方法としては、(1)1度、スキャナーでパソコン本体に取り込み、 (2)たとえばFrickr」のようなストーレッジ・サービスに、 保存する。 (3)そこから埋め込みコードを引き出し、それをBLOGに貼り付ける。 従来はそういう方法を繰り返してきた。 が、今回の『自動車技術』誌は、A4サイズの大型雑誌。 スキャナー時の解像度を落とすと、文字が読めなくなる。 かといて、300dpiで収録すると、画像が大きくなり過ぎ、 通常のノートパソコン(12~13インチ)では、画面からはみ出してしまう。 ・・・ということで、いろいろなサイズをここに収録してみる。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司









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