Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, December 20, 2012

ボケるということbyはやし浩司


【2012年12月21日】

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

明日、世界は終焉(しゅうえん)するそうだ。

が、明日は、明日。

何も起こらない。

 

あのノストラダムスの大予言のときも、そうだった。

何も起こらなかった。

が、その一方で、何十冊も本を書いた人がいる。

今回も、何十冊も本を書いた人がいる。

 

人がもつ、不安心理を巧みに利用して、金儲けにつなげる。

マヤの暦(こよみ)にしても、そうだ。

あの暦を作ったのは、けっして人間ではない。

「人間が作った」と言うのは、ピラミッドや仁徳陵を人間が作ったというのと同じくらい、バカげている。

そんなことは、私の書いている『謎の点と線』を一部でも読んでもらえば、わかるはず。

ピラミッドにしても、仁徳陵にしても、人間の英知をはるかに超えている。

 

もう謎でも何でもない。

明らかな事実である。

 

ともあれ、明日は、12月22日。

マヤ暦が、明日で終わる。

そう言えば、我が家のカレンダーも、もうすぐ終わる。

新しいカレンダーを買ってくる。

来年(2013年)も、どうか無事でありますように!

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

【出雲大社の謎】

 

○出雲大社

 

 調べれば調べるほど、不思議な神社。

それが出雲大社ということになる。

今朝は、それについての、追加的ビデオを作った。

「謎の90度」。

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 


 

http://www.youtube.com/watch?v=2g5PB-C1lmI&feature=share&list=UU2fHPR-NxuYGd1oMOGXLwFA

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

○だるい

 

 昨夜(12月19日)の過労がたたった。

朝から、気(け)だるい。

頭も休眠状態。

ぼんやり。

眠い。

 

 簡単な計算を、何度もまちがえる。

数字を、書きまちがえる。

 

○ボケ

 

 ボケ症状?

で、中学生にこう聞いてみた。

 

私「最近、ぼく、バカになったと思わないか?」

中「……変わんない」

私「つまりね、以前とくらべて、バカになったと思わないか?」

中「……わかんない」と。

 

 ボケになる。

そのときのこと。

それを自分で気づくことはあるのか。

できるのか。

ボケたと、自分でわかるようなことはあるのか。

できるのか。

 

脳の中央演算装置が鈍るのだから、理論的には、答は「NO」。

それがわかるためには、かなりの自己評価能力が必要。

メタ認知能力。

つまり自分を客観的に見る目。 

それがあってはじめて、自分で自分がわかる。

ボケたことが、わかる。

 

○持続力

 

 その点、肉体の衰えは、わかりやすい。

昨年できたことが、今年はできなくなったりする。

同じ運動をしても、筋肉痛や疲れが、どっと出る。

そういうとき、肉体の衰えを強く感ずる。

 

 で、脳みそはどうか。

 

 私のばあい、最近、強く感ずるのは、集中力の減退。

とくに持続力が、なくなった。

2~3時間もすると、スーッと、気力がなえていく。

それが、自分でもよくわかる。

 

 ほかの部分はだいじょうぶ?

しかしそれとて、自分でそう思っているだけ?

 

○『謎の点と線』

 

 今夜は、二等辺三角形について調べてみる。

二等辺三角形である。

 

 出雲大社の周辺には、いくつかの二等辺三角形がある。

7~9か所の神社がある。

その神社をつなぐと、二等辺三角形が浮かびあがってくる。

 

同じように、伊勢神宮の周辺にもある。

が、どうして二等辺三角形なのか。

 

 謎のイチ。

 

 人間は、5~6キロ先の位置でも、正確に知ることはできない。

どこかの高台からながめれば、それも可能だろう。

しかしそれでも難しい。

いわんや、20キロ、30キロとなると、不可能。

不可能ということは、自分の生活に当てはめてみると、よくわかる。

 

 が、現実に、寸部ちがわないといってもよい二等辺三角形が存在する。

そこで謎のニ。

 

 何のために?

どうして?

そこまで謎を解いて、はじめて「解いた」という。

 

○方向

 

 考えられるのは、「方向」。

方向を示すために、点在する拠点を、二等辺三角形になるようにした。 

 

 で、常識的には、(あくまでも人間の常識だが)、頂点の部分が出発点(スタート・ライン)。

その頂点から、それぞれの辺に沿って、旅だった。

あるいは、その中間線に沿って、旅だった。

すでにいくつかの心あたりがある。

今夜は、それについて調べる。

 

○『テストの花道』

 

 月曜日(12月17日)に、NHK教育の、『テストの花道』という番組に出演した。

が、私自身は、見ていない。

ちょうど仕事中で、見ることができなかった。

かわりにワイフが、義兄の家で見てくれた。

いわく、「よかったわ」と。

 

 NHKの番組とは比較にならない。

が、私もこのところ、ビデオの編集で苦労している。

5分たらずのビデオを編集するのに、2~3時間もかかることもある。

簡単ではない。

それを知っているから、テレビ局の人たちには、頭がさがる。

つまり私の立場では、「出演する」。

が、出演するだけ。

簡単な仕事。

 

 ワイフはこう言った。

「うまく、まとめてあったわ」と。

バラバラな話をしたつもりだったが、番組としては、きちんとまとまっていた、と。

 

○反響

 

 反響は、すごかった。

どうすごかったかは、改めてここに書くまでもない。

「さすがテレビだなあ」と。

同時に、「さすがNHKだなあ」と。

 

 衰えたとはいえ、インターネットには、まだ勝てない。

そういう印象をもった。

 

○12月21日

 

 今日は、12月21日。

木曜日。

今日から、映画『エ・ミゼラブル』が始まった。

楽しみ。

この数日中に、観に行くつもり。

 

 ほかに大きな予定はない。

一度、葦嶽山(あしたけやま・広島県)に行ってみたい。

しかしこの寒さ。

雪が降るかもしれない。

しかしそうした山に登るのは、今ごろが、いちばんよい。

ハチや毒蛇は、目下、冬眠中。

 

○選挙

 

 選挙も終わり、再び、静かに。

今、大きな問題になっているのは、調整インフレ。

意図的にインフレを起こし、景気を刺激しようというもの。

が、古今東西、調整インフレが、うまくいったケースは、ひとつもない。

それが起爆剤になり、国家経済は、破綻に向かう。

「日本だけは、だいじょうぶ」と考えるのは、甘い。

 

 率としては、2%を考えているよう。

しかし2%で収まるわけがない。

経済というのは、そういうもの。

一度暴走を始めると、止めることができない。

火薬(国家債務が1000兆円)の前で、花火遊びをするようなもの。

 

 ……というような話は、もうやめよう。

私も年金族になった。

が、その年金では、2人で、東京を往復するのがやっと。

先日、孫たちにゲーム機器を2台、買ってやった。

それだけで、年金額を超えた。 

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

「はやし浩司 レ・ミゼラブル」で、検索をかけてみた。

1作だけ、原稿が見つかった。

ちょうど10年前の原稿だった。

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

●私の老後

 

 若いころ、50歳のくらいの人たちが、みな、老人に見えた。しかし私自身が、その50歳になったとき、私は、自分のことを、老人とは、とても思えなかった。この状態は、57歳になった今も、同じである。

 

 が、それだけではない。若いときは、いつもまわりに友だちがいて、ワイワイと騒いでいた。

が、歳をとるにつれて、友だちは減り、かわって、孤独が身を包むようになった。

 

 こういうときというのは、どうも、心がセンチメンタルになる。以前、書いた原稿を、読みなおす。

 

++++++++++++++++++

 

●マダム・バタフライ(再録)

 

 久しぶりに、「マダム・バタフライ」を聞いた。ジャコモ・プッチーニのオペラである。

私はあの曲が好きで、聞き出すと何度も、繰り返し聞く。

 

「♪ある晴れた日に、

  遠い海の向こうに一筋の煙が見え、

  やがて白い船が港に着く……

  あの人は私をさがすわ、

  でも、私は迎えに行かない

  こんなに私を待たせたから……」

 

 この曲を聞くと、何とも切ない気持ちになるのは、なぜか。

遠い昔、長崎からきた女性に恋をしたことがあるからか。

色の白い、美しい人だった。本当に美しい人だった。

その人が笑うと、一斉に太陽が輝き、一面に花が咲くようだった。

その人はいつも、春の陽光をあびて、まばゆいばかりに輝いていた。

 

 マダム・バタフライ、つまり蝶々夫人は、もともとは武士の娘だったが、幕末から明治にかけての混乱期に、芸者として長崎へやってくる。

そこで海軍士官のピンカートンと知り合い、結婚。

そして男児を出産。

が、ピンカートンは、アメリカへ帰る。

先の歌は、そのピンカートンを待つマダム・バタフライが歌うもの。

今さら説明など必要ないかもしれない。

 

 同じような悲恋物語だが、ウィリアム・シェークスピアの「ロメオとジュリエット」もすばらしい。

少しだが、若いころ、セリフを一生懸命暗記したこともある。ロメオとジュリエットがはじめてベッドで朝を迎えるとき、どちらかだったかは忘れたが、こう言う。

 

 「A jocund day stands tip-toe on a misty mountain-top」と。

「喜びの日が、モヤのかかった

山の頂上で、つま先で立っている」と。

 

本来なら喜びの朝となるはずだが、その朝、見ると山の頂上にモヤにかかっている。

モヤがそのあとの二人の運命を象徴しているわけだが、私はやはりそのシーンになると、たまらないほどの切なさを覚える。

 

そう、オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」はすばらしい。

私はあの映画を何度も見た。

ビデオももっている。

サウンドトラック版のCDももっている。

その映画の中で、若い男が、こう歌う。

ロメオとジュリエットがはじめて顔をあわせたパーティで歌う歌だ。

 

 「♪若さって何?

   衝動的な炎。

乙女とは何? 

氷と欲望。

世界がその上でゆり動く……」

 

 この「ロメオとシュリエット」については、以前、「息子が恋をするとき」というエッセーを書いた

ので、このあとに添付しておく。

 

 最後にもう一つ映画の話になるが、「マジソン郡の橋」もすばらしい。短い曲だが、映画の最後のシーンに流れる、「Do Live」(生きて)は、何度聞いてもあきない。

 

いつか電撃に打たれるような恋をして、身を焼き尽くすような恋をしてみたいと思う。

かなわぬ夢だが、しかしそういうロマンスだけは忘れたくない。

いつか……。

(02-10-5)※

 

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●息子が恋をするとき(中日新聞投稿済み)

 

息子が恋をするとき

 

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。

メールで、「今までの人生の中で、一番楽しい」と書いてきた。

それを女房に見せると、女房は「へええ、あの子がねえ」と笑った。

その顔を見て、私もつられて笑った。

 

 私もちょうど同じころ、恋をした。

しかし長くは続かなかった。

しばらく交際していると、相手の女性の母親から私の母に電話があった。

そしてこう言った。

 

「うちの娘は、お宅のような家の息子とつきあうような娘ではない。

娘の結婚にキズがつくから、交際をやめさせほしい」と。

 

相手の女性の家は、従業員30名ほどの製紙工場を経営していた。

一方私の家は、自転車屋。

「格が違う」というのだ。

この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしなかった。

が、二人には、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。

ちょっとしたつまずきが、そのまま別れになってしまった。

 

 「♪若さって何? 衝動的な炎。乙女とは何? 氷と欲望。世界がその上でゆり動く……」と。

 

オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」の中で、若い男がそう歌う。

たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその戯曲が私たちの心を打つかと言えば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではないのか。

 

私たちおとなの世界は、あまりにも偽善と虚偽にあふれている。年俸が一億円も二億円もあるようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめてみせる。

一着数百万円もするような着物で身を飾ったタレントが、どこかの国の難民の募金を涙ながらに訴える。

暴力映画に出演し、暴言ばかり吐いているタレントが、東京都やF国政府から、日本を代表する文化人として表彰される。

 

もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受け、身も心も焼き尽くすような恋をするときでしかない。

それは人が人生の中で唯一つかむことができる、「真実」なのかもしれない。

 

そのときはじめて人は、もっとも人間らしくなれる。もしそれがまちがっているというのなら、生きていることがまちがっていることになる。

しかしそんなことはありえない。

 

ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ打ちのめされる。

そしてそれを見る観客は、その二人に心を合わせ、身を焦がす。

涙をこぼす。

しかしそれは決して、他人の恋をいとおしむ涙ではない。

過ぎ去りし私たちの、その若さへの涙だ。

あの無限に広く見えた青春時代も、

過ぎ去ってみると、まるでうたかたの瞬間でしかない。

歌はこうつづく。

 

「♪バラは咲き、そして色あせる。若さも同じ。美しき乙女も、また同じ……」と。

 

 相手の女性が結婚する日。

私は一日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて寝ていた。

六月のむし暑い日だった。

ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こなごなになってしまいそうだった。

ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感と切なさで、何度も何度も私は歯をくいしばった。

 

しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったことはない。

そしてそれが今、たまらなくなつかしい。

私は女房にこう言った。

「相手がどんな女性でも温かく迎えてやろうね」と。

それに答えて女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。

私も、また笑った。

 

++++++++++++++++++++

 

 「人生は葉巻のようなもの」と言った人がいた。

人生は、葉巻と同じで、吸い始めのときだけが、うまい、と。

 

 しかし本当にそうだろうか?

 

 もし今、ここで神様か何かが、私に、「もう一度、お前を、青春時代に戻してやる」と言っても、たぶん、私は、それを断るだろうと思う。

それはウナ丼を二度、つづけて食べる気分に似ている。

一度でたくさん。

こりごり。

 

 ただ悔やまれるのは、私は、20代、30代のころ、愚にもつかない仕事を仕事と思いこみ、時間をムダにしたこと。

教材制作が、それである。

 

 私はある時期、毎週のように、ある出版社に顔を出し、教材制作の手伝いをしていた。

結構、お金にはなったが、結局は、何も残らなかった。

利用されただけ。

そんな感じさえする。

 

 それはそれとして、では青春時代が、今よりまさっているかと言えば、そうとは言えない。

老齢期を迎え、そしてその先に「死」を感ずるようになった今のほうが、若いときより、ずっと、時間を大切にしている。

生きる、密度そのものが、ちがう。

 

 ヒントを得るために、梶山健氏編集の「世界名言辞典」(明治書院)に目を通す。

 

★「若い時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて、救いのボートに助けられ、ひと知れず帰ってくる」(シラー「実現と期待」)

 

★「老人になって耐えがたいのは、肉体や精神の衰えではなく、記憶の重さに耐えかねることである」(モーム「人間の絆」)

 

★「しわとともに、品位が備わると、敬愛される。幸せな老年には、言い知れない黎明(れいめい)がさす」(ユー・ゴー「レ・ミゼラブル」)

 

 大切なことは、最後の最後の、そのときまで、前向きに生きるということか。

人は、歳をとってはじめて入ることができる世界に入る。

いわば、老齢は、その世界への入場資格ということになる。

 

 たとえば若いときというのは、がむしゃらに生きることはできても、その生きることか生まれる「美しさ」までは、わからない。

さらに「生きることのすばらしさ」までは、わからない。

 

 しかし老齢というチケットを手にして、その世界に入ると、あたかも劇場で映画を見るかのように、自分の過去を見る。

そしてその生きることの美しさや、すばらしさを知ることができる。

 

 先の「人生は葉巻のようなもの」という言葉に、一言、つけ加えるなら、葉巻のうまさが、本当に理解できるようになるのは、老齢になってからということになる。

 

 刻々と過ぎゆく人生。たまたま今は、たそがれどき。冬の冷たい曇天が、窓の外を暗くおおい始めている。

こういう時の流れの中に身を置くからこそ、生きることの尊さや価値がわかってくる。

 

 わかりやすく言えば、人生を味わうのは、これからということ。

これからが、人生の本番ということ。

それにくらべると、今までの人生というのは、まるでカスカスのフ菓子のようなもの。

 

 まあ、一つだけ願いがかなうとしたら、老齢は老齢として、できるだけ長く、今の状態がつづいてほしいということ。

今のところ、頭も、それほどボケていないようだし、(自分でそう思っているだけかもしれないが……)、そこそこに健康である。

成人病とも無縁。

 

 もう少しだけ長く、真理の追求をしてみたい。

追求させてほしい。

 

 で、もし、それでもボケてしまったり、大病にかかってしまったとしたら……。

昨夜も、寝るとき、ワイフにこう言った。

 

 「ぼくは、そのときがきたら、いさぎよく、死ぬよ。ジタバタしない。みんなに迷惑をかけたくない。だから今、悔いが残らないように、懸命に生きるよ」と。

 

 本当にそのときがきたら、さみしいと思うが、少しずつだが、その覚悟はできつつあるように思う。

 

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 

●さみしさ

 

 ある女性に、幼児の心理について、少し意見を書いたら、こう返事が届いた。

 

 「そういうことが書いてある本を紹介していただけますか?」と。

 

 何かのことで、子どもの教育にかかわっている女性である。

 

 私は、そのメールをもらって、何とも言えないさみしさに包まれた。「私の意見では、だめなのか?」と。

 

 で、そのさみしい気持ちをこらえながら、「こうした知識は、私が、自分の35年という幼児教育の経験の中からつかんだものです」と、返事を書いた。

 

 もちろんその人に、悪気があったわけではない。文面やHPから察するに、善良な女性らしい。

それに教育熱心というか、知識欲が旺盛というか……。

 

 本来なら、つまりもう少しアカデミックな生き方をするなら、公的な場所で論文を発表しながら、自分の主張を通すのがよい。

それがこの世界では、正当な道ということになっている。

今では、数多くの、幼児教育学会がある。

 

 しかし私は、そういう世界には、若いときから、ほとんど関心がなかった。

「幼児教育は母親教育」と、自分に言って聞かせて活動したこともある。

目が上ばかり向いている人もいるにはいるが、しかし私の目は、いつも下ばかりを向いていた。

 

 それで、35年になった。

 

 で、あるときから、私は心に、こう決めた。

「これからは、私を理解してくれる人のために原稿を書こう」と。

名誉や地位などというものには、ハナから興味はなかったし、いわんや権威などというものは、私がもっとも嫌いなもの。

 

 しかし私ほど、最前線で、しかも下っ端で、幼児と接した教育者もいないだろうということ。

今でもときどき、自分のしていることに自信をなくすことがある。

そういうときでも、私は自分にこう言って聞かせて、自分を励ます。

 

 「経験の数では、私の右に出るものはいない」と。

 

 それが私の意見になった。

 

 だからその女性には、「いい本があったら、また紹介しますよ」と返事は書いたものの、実のところ、そんな本は知らない。

読んだこともない。

ずいぶんといいかげんな返事だなと思いつつ、その女性のことは忘れることにした。(ごめんなさい!)

 

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 

2年ほど前に書いた原稿を、

もう一度、ここに載せておきます。

 

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『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』

 

●密度の濃い人生

 

 時間はみな、平等に与えられる。

しかしその時間をどう、使うかは、個人の問題。使い方によっては、濃い人生にも、薄い人生にもなる。

 

 濃い人生とは、前向きに、いつも新しい分野に挑戦し、ほどよい緊張感のある人生をいう。

薄い人生というのは、毎日無難に、同じことを繰り返しながら、ただその日を生きているだけという人生をいう。

人生が濃ければ濃いほど、記憶に残り、そしてその人に充実感を与える。

 

 そういう意味で、懸命に、無我夢中で生きている人は、それだけで美しい。

しかし生きる目的も希望もなく、自分のささいな過去にぶらさがり、なくすことだけを恐れて悶々と生きている人は、それだけで見苦しい。こんな人がいる。

 

 先日、30年ぶりに会ったのだが、しばらく話してみると、私は「?」と思ってしまった。

同じように30年間を生きてきたはずなのに、私の心を打つものが何もない。

話を聞くと、仕事から帰ってくると、毎日見るのは、テレビの野球中継だけ。

休みはたいてい魚釣りかランニング。

 

「雨の日は?」と聞くと、「パチンコ屋で一日過ごす」と。

「静かに考えることはあるの?」と聞くと、「何、それ?」と。

そういう人生からは、何も生まれない。

 

 一方、80歳を過ぎても、乳幼児の医療費の無料化運動をすすめている女性がいる。

「あなたをそこまで動かしているものは何ですか」と聞くと、その女性は恥ずかしそうに笑いながら、こう言った。

「ずっと、保育士をしていましたから。乳幼児を守るのは、私の役目です」と。

そういう女性は美しい。輝いている。

 

 前向きに挑戦するということは、いつも新しい分野を開拓するということ。

同じことを同じように繰り返し、心のどこかでマンネリを感じたら、そのときは自分を変えるとき。

あのマーク・トーウェン(「トム・ソーヤ」の著者、1835~1910)も、こう書いている。「人と同じことをしていると感じたら、自分が変わるとき」と。

 

 ここまでの話なら、ひょっとしたら、今では常識のようなもの。

そこでここではもう一歩、話を進める。

 

●どうすればよいのか

 

 ここで「前向きに挑戦していく」と書いた。

問題は、何に向かって挑戦していくか、だ。

私は「無我夢中で」と書いたが、大切なのは、その中味。

 

私もある時期、無我夢中で、お金儲けに没頭したときがある。

しかしそういう時代というのは、今、思い返しても、何も残っていない。

私はたしかに新しい分野に挑戦しながら、朝から夜まで、仕事をした。しかし何も残っていない。

 

 それとは対照的に、私は学生時代、奨学金を得て、オーストラリアへ渡った。あの人口300万人のメルボルン市ですら、日本人の留学生は私一人だけという時代だった。

そんなある日、だれにだったかは忘れたが、私はこんな手紙を書いたことがある。

 

「ここでの一日は、金沢で学生だったときの一年のように長く感ずる」と。

決してオーバーなことを書いたのではない。

私は本当にそう感じたから、そう書いた。

そういう時期というのは、今、振り返っても、私にとっては、たいへん密度の濃い時代だったということになる。

 

 となると、密度の濃さを決めるのは、何かということになる。

これについては、私はまだ結論を出せないが、あくまでもひとつの仮説として、こんなことを考えてみた。

 

(1)懸命に、目標に向かって生きる。無我夢中で没頭する。これは必要条件。

(2)いかに自分らしく生きるかということ。自分をしっかりとつかみながら生きる。

(3)「考える」こと。自分を離れたところに、価値を見出しても意味がない。自分の中に、広い世界を求め、自分の中の未開拓の分野に挑戦していく。

 

 とくに(3)の部分が重要。

派手な活動や、パフォーマンスをするからといって、密度が濃いということにはならない。

密度の濃い、薄いはあくまでも「心の中」という内面世界の問題。

他人が認めるとか、認めないとかいうことは、関係ない。

認められないからといって、落胆することもないし、認められたからといって、ヌカ喜びをしてはいけない。

あくまでも「私は私」。

そういう生き方を前向きに貫くことこそ、自分の人生を濃くすることになる。

 

 ここに書いたように、これはまだ仮説。

この問題はテーマとして心の中に残し、これから先、ゆっくりと考え、自分なりの結論を出してみたい。

(02-10-5)

 

(追記)

 

 もしあなたが今の人生の密度を、2倍にすれば、あなたはほかの人より、2倍の人生を生きることができる。

10倍にすれば、10倍の人生を生きることができる。

仮にあと1年の人生と宣告されても、その密度を100倍にすれば、ほかのひとの100年分を生きることができる。

 

極端な例だが、論語の中にも、こんな言葉がある。『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』と。

朝に、人生の真髄を把握したならば、その日の夕方に死んでも、悔いはないということ。

私がここに書いた、「人生の密度」という言葉には、そういう意味も含まれる。

 

+++++++++++++++++ 

 

●密度の濃い人生(2)

 

 私の家の近くに、小さな空き地があって、そこは近くの老人たちの、かっこうの集会場になっている。

風のないうららかな日には、どこからやってくるのかは知らないが、いつも七~八人の老人がいる。

 

 が、こうした老人を観察してみると、おもしろいことに気づく。

その空き地の一角には、小さな畑があるが、その畑の世話や、ゴミを集めたりしているのは、女性たちのみ。

男性たちはいつも、イスに座って、何やら話し込んでいるだけ。

 

私はいつもその前を通って仕事に行くが、いまだかって、男性たちが何かの仕事をしている姿をみかけたことがない。

悪しき文化的性差(ジェンダー)が、こんなところにも生きている!

 

 その老人たちを見ると、つまりはそれは私の近未来の姿でもあるわけだが、「のどかだな」と思う部分と、「これでいいのかな」と思う部分が、複雑に交錯する。

「のどかだな」と思う部分は、「私もそうしていたい」と思う部分だ。

しかし「これでいいのかな」と思う部分は、「私は老人になっても、ああはなりたくない」と思う部分だ。私はこう考える。

 

 人生の密度ということを考えるなら、毎日、のんびりと、同じことを繰り返しているだけなら、それは「薄い人生」ということになる。

言葉は悪いが、ただ死を待つだけの人生。そういう人生だったら、10年生きても、20年生きても、へたをすれば、たった1日を生きたくらいの価値にしかならない。

 

しかし「濃い人生」を送れば、1日を、ほかの人の何倍も長く生きることができる。

仮に密度を10倍にすれば、たった1年を、10年分にして生きることができる。

人生の長さというのは、「時間の長さ」では決まらない。

 

 そういう視点で、あの老人たちのことを考えると、あの老人たちは、何と自分の時間をムダにしていることか、ということになる。

 

私は今、満55歳になるところだが、そんな私でも、つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことがある。

いわんや、70歳や80歳の老人たちをや! 

私にはまだ知りたいことが山のようにある。

いや、本当のところ、その「山」があるのかないのかということもわからない。が、

あるらしいということだけはわかる。

 

いつも一つの山を越えると、その向こうにまた別の山があった。

今もある。

だからこれからもそれが繰り返されるだろう。

で、死ぬまでにゴールへたどりつけるという自信はないが、できるだけ先へ進んでみたい。

そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。

 

 そう、今、私にとって一番こわいのは、自分の頭がボケること。

頭がボケたら、自分で考えられなくなる。

無責任な人は、ボケれば、気が楽になってよいと言うが、私はそうは思わない。

ボケるということは、思想的には「死」を意味する。

そうなればなったで、私はもう真理に近づくことはできない。

つまり私の人生は、そこで終わる。

 

 実際、自分が老人になってみないとわからないが、今の私は、こう思う。

あくまでも今の私がこう思うだけだが、つまり「私は年をとっても、最後の最後まで、今の道を歩みつづけたい。

だから空き地に集まって、一日を何かをするでもなし、しないでもなしというふうにして過ごす人生だけは、絶対に、送りたくない」と。

(02-10-5)

 

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 

○2012年12月21日

 

 再び、今日。

2012年12月21日、金曜日。

 

 風のない、穏やかな日。

枯れた庭の栗の木の葉が、動きを止めている。

去年もそうだった。

今年も、そうなりそう。

落ち葉にならないまま、栗の木の葉は、このまま越年する。

 

 ……ところで、10年前に、私はすでにボケの心配をしていた。

驚くというより、あくまでも結果論だが、杞憂(きゆう)に過ぎなかった。

が、この先のことはわからない。

10年後も、同じような文章を書ければ、それでよし。

そういう意味では、文章というのは、ボケのバロメーターになる。

自分の書いた文章を読み、ボケの進行度を知る。

そういうふうにも、利用できる。

 

 ということで、これから仕事。

我ら無年金族は、死ぬまで働くしかない。

がんばろう。

 

 

Hiroshi Hayashi+++++++Dec. 2012++++++はやし浩司・林浩司