Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, February 25, 2013

国宝・弥勒菩薩像への疑問byはやし浩司


206 中宮寺・弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)の謎

【中宮寺の弥勒菩薩像は、ガンダーラ・釈迦立像のコピーだった】

(Mystery of Statue of Miroku Bosatsu in Chugu-ji Temple ,Japan)

 


 

http://youtu.be/8ZZoqzv6wdQ

 

中宮寺・弥勒菩薩像は、どこから来たのか?

聖徳太子とは、いったい何者なのか?

聖徳太子は、574~622の人物と言われています。

一方、日本が唐の長安へ遣隋使をはじめて送ったのは、600年。

聖徳太子は、それ以前から手際よく、仏教の準備をしていたことになります。

が、繰り返しになりますが、法隆寺(中宮寺)に残る弥勒菩薩に、その謎が隠されています。

弥勒菩薩は、まさしくガンダーラの弥勒菩薩と一致します(はやし浩司説)。

百聞は一見にしかず。

みなさん自身の目で、お確かめください。

なぜか?

その謎と、答えもこのビデオの中に収録しておきました。

 

Where did Japanese Buddhism come from?

Who was Shotoku Taishi?

These are the greatest mystery of Japan and here is the answer.

 

なおこれらはすべて、私、はやし浩司が発見した事実です。

どなたも転用、流用、盗用できません。

禁止です。

2013年2月25日

 

 

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Hiroshi Hayashi+++++Feb.2013+++++はやし浩司・林浩司

 

 

 

【南紀勝浦・熊野古道へ】(謎の点と線、検証旅行)2013年02月24日(日曜日)

 

○7時10分発

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

熊野古道を見たかった。

自分の目で確かめたかった。

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

 7時10分発の新幹線に乗る。

目的地は南紀勝浦。

熊野古道。

 

○目的

 

 熊野古道を、自分の目で見て確かめる。

 

(1)  敷石の大きさ

(2)  クセ

 

 まず大きさ。

ポイントは、人間が運べるような岩かどうかということ。

写真でみるところ、とても無理(?)というのも、かなりある。

 

 またここでいう「クセ」というのは、まさにクセ。

写真で見るかぎり、それぞれの敷石には、クセがある。

絵画の世界でいう、筆のタッチ。

 

日本画のように精緻で、ていねいに造った道がある。

ゴッホのように、荒々しいタッチの道がある。

モザイク画のような道もあれば、神社の参道のような道もある。

それぞれ、はっきりとした個性をもっている。

 

 私の判断では、4~5種類、ある。

 

○エイリアン説

 

 ウィキペディア百科事典によれば、「雨量が多いから、石畳にした」とある。

が、これは(こじつけ)。

田舎生活を知らない、都会人の空想。

 

 石といっても、種類がある。

雨がつづけば、石にもコケが生える。

山深い、湿ったところなら、なおさら。

そうなったら、もう歩けない。

ツルツルとすべる。

平らな石ならまだしも、丸石だったら、足をすべらせ、足をくじく。

河原の石の上を歩くことを想像してみればよい。

山道で足をくじいたら、万事休す。

季節によっては、そのまま凍死……ということにもなりかねない。

 

 なお、最近の子どもたちは、河原の石の上を歩くことができない。

「こわい!」と言う。

 

(補記:実際には石といっても、大門坂で見るかぎり、ザラザラした石で、雨の日でもだいじょうぶのよう。)

 

○ボスニアン・ピラミッド

 

 ボスニアのビソコ(サラエボの近く)に、巨大なピラミッドが見つかった。

3個も見つかった。

2005年というから、たったの8年前。

メキシコのテオティワカン、ギザのピラミッドをはるかにしのぐ大きさである。

「ボスニアン・ピラミッド(Bosnian Pyramids)」と呼ばれている。

3個のピラミッドは、それぞれ「太陽のピラミッド」、「月のピラミッド」、「地球のピラミッド」と呼ばれている。

 

 発掘は、まだ始まったばかり。

が、巨大な、明らかに加工された石が、つぎつぎと発見されている。

道かどうかはよくわからないが、道と思われる個所には、びっしりと石が敷き詰めてある。

写真で見たところ、幅は、50センチ~1メートル前後、長さは2~3メートル、厚さは、30センチ前後もある。
(これでもまだ、小さい方。)

そういった石……というより岩が、びっしりと、大都会で見る通路のように並べられている。

 

 詳しくはビデオNO205で紹介したので、興味ある人は、そちらを見てほしい。

そのビデオの中で、私は、こう言った。

 

「熊野参道にはエイリアンが関与していたと言うと、笑う人がいるかもしれない。

だったらボスニアン・ピラミッドは、どうなのか。

あれを見て、人間が造ったと言う人がいたら、もっと笑われる」と。

 

 書き忘れたが、炭素年代測定(Carbon Dating)によれば、ボスニアン・ピラミッドは、2万5000年前に建てられたという。

「2500年のまちがいではないか」と思った。

思って、あちこちのサイトを調べた。

やはり、2万5000年前、だった。

 

 2万5000年だぞ!

 

○新幹線

 

 豊橋を過ぎた。

つぎは三河安城。

名古屋を、8時08分発の南紀線で、南紀勝浦に向かう。

 

○睡眠不足

 

 このところ毎日、朝方、どうも気分が晴れない。

睡眠不足ということは、よくわかっている。

昨夜も、早く床に就こうと思いつつ、結局は、午前0時になってしまった。

 

 軽い頭痛。

花粉症によるものなのか、偏頭痛によるものなのか。

睡眠不足がつづいても、同じような症状が出る。

判断がむずかしい。

 

○中宮寺の弥勒菩薩

 

 中宮寺(法隆寺の一部)に、弥勒菩薩・像と呼ばれる仏像がある。

「半跏観音(はんか・かんのん?)」と呼ばれている。

その弥勒菩薩について、昨夜、調べた。

ウリ2つというか、ガンダーラに残っている釈迦立像と、顔が同じ。

鼻の長さだけはちがうが、それを除いたら、同じ。

たがいに縦に半分に切ってつないでも、まったく違和感はない。

同じ。

 

 ……この事実を、どう考えたらよいのか。

中宮寺の弥勒菩薩は、日本の仏師が造ったということになっている。

使われた木材は、クスノキ。

ある本には、中国や韓国には、クスノキはないと書いてあった。

別の本には、クスノキは、もともとは、中国から来たものとあった。

どちらにせよ、この日本では、海沿いの温かい地方にしか自生しない。

奈良周辺に、クスノキは、あったのだろうか。

 

 ……などという遠回しな言い方は、やめよう。

あの弥勒菩薩像(国宝、切手の図柄にもなっている)は、日本とガンダーラを自由に行き来できる人、つまりエイリアンによって作られた。

それについては、ビデオNO206の中で、話した。

 

○疑問

 

 私がたった1日調べただけで、そこまでわかった。

つまり中宮寺の弥勒菩薩(半跏観音)と、ガンダーラの弥勒菩薩は同じ。

だとするなら、つまり私のような素人が調べても、1日でわかったのだから、専門家はどうなのか。

疑問!

「そんなことにも気づかなかったのか」ということにもなるし、あるいは、気づいていたのかもしれない。

しかし何ごとにつけ、この日本で事実を話すには、勇気がいる。

 

 弥勒菩薩像という国宝にケチをつけるのは、タブー?

国宝だぞ!

口が裂けても、エイリアン作とは、言えない。

 

学者の悪いところ……ウソは言わないが、本当のことも言わない。

仮に「同じ」ということになれば、今度はその説明に窮(きゅう)する。

可能性はいくつか考えられる。

 

(1)  同じ仏師が彫った。……ありえない。石造と木造である。

(2)  中宮寺の弥勒菩薩は、ガンダーラ製……ありえない。

この日本でも、クスノキは、海側の土地にしか自生していない。

(3)  ともに同じデータをもとに、エイリアンが加工した。……ありえる。

 

○墓説

 

 ボスニアン・ピラミッドの発掘がつづいている。

世界中から、ボランティアの若い人たちが集まっている。

「さぞかし楽しいだろうな」と思う。

うらやましい!

みんなでワイワイ騒ぎながら、巨大ピラミッドを発掘する。

そこは夢のような世界にちがいない。

 

 で、そのピラミッド。

だれかの墓でなくて、よかった。

ほっとした。

というのも、世界中どこでも、そうした遺跡は、「墓」になっている。

エジプトや日本を例にあげるまでもない。

後の権力者たちが、みな、自分の墓に仕立ててしまった。

 

 が、もしそのピラミッドが、500年前、1000年前に発見されていたとしたら、どうだっただろうか。

やはり、時の権力者たちの墓になっていたにちがいない。

 

○8時08分

 

 名古屋を8時08分発の南紀1号(特急)に乗る。

勝浦へは、11時39分に着く。

3時間半!

 

 日本は、狭いようで、結構、広い。

 

 天気は快晴。

絶好の行楽日和(びより)。

 

○心配

 

 心配なことが、ひとつある。

というのも、今夜の宿は、ホテル浦島。

洞窟風呂が人気。

それはそれでよいのだが、もし地震が起きたら……?

さらに勝浦からは、船でホテルに渡ることになっている。

津波が襲ってきたら、どうなるのか?

 

 私は、心配性。

 

(補記:その心配は、まったくなかった。

私たちの泊まった部屋は、8階。

同じホテルには、山の上に建つ、山上館というのもある。)

 

○大阪

 

 来週中には、大阪へ行ってみたい。

大阪の西側古墳群(大仙陵古墳を含む)と、その反対側にある東側古墳群。

その中間あたりに、小さな池があり、中に、島がある。

円形のきれいな島である。

その島を見たい。

 

 その話を、大阪に住む友人のNR氏に話すと、同行したいとのこと。

段取りは決めていないが、今は、認知症の母の介護で、たいへんらしい。

NR氏の予定に合わせて、スケジュールを組むつもり。

 

 なおその島を中心に、西側古墳群と東側古墳群は、奇妙な位置関係を保っている。

私は、その島を基準点(Datum Point)と判断している。

エイリアンが、世界のあちこちで、使っている方法である。

つまり一つの基準点を決め、そこを基準に、あちこちの拠点を決めている。

最大のものは、私が知るかぎり、フィルザバード(Filzabad)である。

釈迦の生誕地のルンビニ(Kunbini)への、基準点にもなっている。

 

 その島が基準点になっていても、何もおかしくない。

 

○65歳

 

 そのNR氏に昨日、メールを書いた。

「私ももう、65歳。

あとがありません。

が、何としても、あのUFOの正体を突き止めてやりたいのです」と。

 

 今さら、恥も外聞もない。

まっすぐ前に向かって、突き進むしかない。

だれのためでもない。

自分のためである。

よくて10年。

へたをすれば、あと5年。

その前後で、ボケる。

 

○ボケ

 

 何よりも不安なのは、ボケ。

すでに始まっている。

日々に、脳みその働きが悪くなっていくのを感ずる。

記憶力も、鈍ってきた。

英語力も、低下してきた。

注意力も、散漫になってきた。

 

 そのことは、同窓会などに出てみると、よくわかる。

みな、自分ではそう思ってはいないのだろうが、みな、ボケてきた。

話の内容そのものが、浅薄になってきた。

デリケートな話ができない。

「エ~とだねエ~」「ア~ア」「ウン、マア~」と言ったあとは、お決まりの俗説。

「男というのはネエ~、はやし君、決断力で決まるんだよ」と。

 

 私は毎日、幼児~高校生と接している。

よけいにそのちがいが、よくわかる。

 

○田丸謙二先生

 

 恩師の田丸謙二先生が、激痛に苦しんでいる。

鎌倉の病院から、メールが届いた。

昨夜もメールを出したが、返事がない。

いつもならすかさず返事をくれるのだが……。

 

 だいじょうぶだろうか?

 

○断る

 

 ふと考える。

もしだれかが私に、「君を東大の総長にしてやろう」と言ったとする。

日本国の総理大臣でもよい。

(そんな人は、絶対に、いないが……。)

が、今の私なら、断る。

今の私には、そんなことをしている時間がない。

お金は嫌いではない。

もっとほしい。

しかし事務、事務、事務……の仕事に、どれだけの意味があるというのか。

なったところで、どうしようもない。

その世界で、それに狂っている人には、それがわからないかもしれない。

地位や肩書など、タヌキの屁(へ)にもならない。

 

 今、私にとっていちばん大切なのは、「時間」。

私が私でいられる時間。

時間こそ、財産。

昨日も高校生に、こう話してやった。

 

 「命というのは、時間のことだよ」

「生きるということは、時間を大切にすることだよ」と。

 

 だから改めて、自信をもってこう書く。

「今の私なら、断る」と。

 

○紀伊半島

 

 紀伊半島に入ると、空が曇ってきた。

厚くて低い雲が、空を覆っている。

窓ガラスが曇っているのか、外が曇っているのか、外の景色も曇っている。

 「次は、鈴鹿」という電光掲示板が流れた。

 

 ……空はやや、黄土色。

花粉雲かもしれない?

 

 横を見ると、朝食を終えたワイフが眠っている。

のどかな列車。

ジーゼル車特有の、心地よい振動音が、床下から響いてくる。

 

(補記:あとでわかったが、窓ガラスが、全体に汚れていた。)

 

○ひと眠り

 

 たった今、目を覚ました。

紀伊長島に着くときだった。

一度、この町の公会堂のようなところで、講演をしたことがある。

親子同席の、ガヤガヤした会場だった。

宿は近くの民宿だった。

窓の外の景色を見ながら、そんなことを思い出した。

 

 南紀勝浦までは、あと1時間半。

 

○不可能ではないが……

 

 その昔も、人口は少なかったはず。

太古の昔には、もっと少なかったはず。

再び熊野古道の話。

 

 太古といっても、こと熊野街道については、いつごろのことかよくわからない。

ヤタガラス(=鳥頭人間)がいたころのことだから、卑弥呼のあと、400年前後までの時代をいう。

熊野本宮大社といえば、ヤタガラス。

三本足のヤタガラス。

(韓国や中国では、「三足烏」という。)

そのころに、そういう道ができた。

つまりそこが第一の謎。

 

 たとえば1個の岩を、4~7人で運んだとする。

4~5個で、30センチ(長さ)の舗装ができたとする。

1メートルの道を作るのに、18~20人。

石切り場がどこにあるかにもよるが、1日、2~3往復が限度ではないか。

仮に2往復としても、18~20人で、1日、2メートル前後の道を作るのが、精一杯。

それが1キロ(長さ)となると、500日。

10キロとなると、1000日。

100キロとなると、1万日。

 

 人工(にんく)の数を、10倍の200人にしても、1000日。

数百キロ(長さ)ともなると、そのまた数倍。

 

 それほどの財力は、どこにある。

そもそも労働力は、どこにある。

不可能ではないが、現実との連続性がない。

 

 が、これらの謎も、舗装された岩を見れば、わかる。

岩の質、色、並べ方を見れば、わかる。

 

 窓の外の景色を見ながら、そんなことを考えた。

 

(補記:大門坂を見るかぎり、石は大部分が、同じ色をしていた。

20%くらいが、それらとは明らかにちがう色をしていた。

おおまかなところは、大きな石で、エイリアンが造った。

残った、すきまなどは、小さなで、人間が造った。

小さな石といっても、おとながやっと持ちあげられる程度。)

 

○官僚主義国家

 

 またまたグチになる。

 

 この日本では、肩書がないと、研究(?)も、思うようにできない。

どこに電話をしても、まず、私の肩書を聞く。

「ただの研究者です」などと答えると、みな、口調を変える。

「アッ、そう」というような言い方をする。

もちろん仏像や絵画を見せてもらうのは、夢のまた夢。

実際には、不可能。

 

 相手の気持ちもよくわかるから、私は何も言わない。

黙って引き下がる。

で、そういう自分の気持ちをよく知っているから、私は逆に、相手がだれであろうとも差別しない。

相手自身を見て、判断する。

逆に、いくら肩書があっても、高慢な人とは、話をしない。

少し前も、H大学の教授という人から、連絡があった。

浜松で会いたいというから、会った。

が、その高慢な態度に驚いた。

まさに「来てやった」という態度だった。

 

 ……この教授について文章に書くのは、今回がはじめて。

キリスト像の研究で、有名な教授だった。

あるキリスト像を、コンピューターで解析していた。

NHKテレビでも、放送されたことがある。

たぶんそういう人なら、名刺一枚で、好き勝手なことができるのだろう。

国宝級の仏像だって、自由に見られるにちがいない。

 

 が、私には、それができない。

できないまま、人生、65年を生きてきた。

その結論。

この日本は、官僚主義国家(=権威主義国家)。

日本人は奈良時代の昔から、その世界から、一歩も外に出られないでいる。

骨のズイまで、その精神が浸み込んでいる。

 

○熊野

 

 電光表示板に、「次は、熊野」とあった。

私は「次」という漢字を、めったに使わない。

「つぎ」と書く。

同じように、「子ども」は、「子ども」と書く。

「子供」とは、書かない。

 

 どうでもよい話だが、表示板を見ながら、そんなことを考えた。

 

○エイリアン

 

 熊野古道には、謎を解くカギが隠されている。

つまり熊野古道を詳しく調べれば、エイリアンの性格がわかる。

 

 話はそれるが、たとえばギリシア彫刻とガンダーラ彫刻は、よく似ている。

似ているというより、同じ。

同じエイリアンが関与している。

 

 一方、エジプトの神殿の壁画は、みな、よく似ている。

統一性がある。

平面的で、イラストぽい。

図柄にしても、真横から見た図が多い。

 

 さらにインド西部の遺跡の仏像は、肉欲的で、ごちゃごちゃしている。

像と像が、複雑にからみあっている。

像というより、建物全体が、ひとつの作品になっている。

 

 私はこうしたちがいを見ながら、こう思った。

「みな、好き勝手なことをしている」と。

 

○自由

 

 こうした現象は、子どもの絵画指導のときに感ずる。

もちろん私には、私の画風がある。

好みもある。

だからといって、それを子どもに押しつけてはいけない。

それぞれの子どもには、それぞれの個性がある。

その個性を、うまく、引き出す。

伸ばす。

簡単に言えば、それがどんな絵であっても、「じょうずだね」と。

それだけを繰り返し、その子どもの個性を引き出す。

伸ばす。

 

 が、共同作業になると、そうした個性が、平均化される。

大作はできるが、面白味が消える。

 

 同じように、熊野古道を見たとき、こう思った。

「どうして、統一性がないのだろう?」と。

これほどまでの山道でありながら、作風がみなちがう。

部分によっては、極端なまでに、みなちがう。

指導者がいれば、そういうことはない。

指導者の指導により、統一性が生まれる。

 

 つまりエイリアンの世界では、みな、平等。

上からいろいろな指示は受けるのだろうが、それを受け取ったエイリアンは、自由。

自分の思いどおりのことができる。

たとえばピラミッド。

 

 アンコールワットピラミッドと、テオティワカンのピラミッド(月のピラミッド)は、同じ。

たがいに半分で切って、つなげても、同じ。

同じエイリアンが造った。

 

 が、同じ遺跡でも、日本の古墳とは、まったくちがう。

同じUFOの発着台と考えるなら、どうしてこうまでちがうのか?

が、それについても、日本の古墳は、別のエイリアンが造ったと考えると、わかりやすい。

 

○ワイフ説

 

 これに対して、ワイフは、こう説明する。

「その場所、場所に応じて、その土地の特徴を生かしているのではないのかしら?」と。

一理ある。

 

 たとえば石造物が好きなエイリアンでも、この日本では木造物を残している。

そういったちがいは、あるのかもしれない。

 

○エイリアンの性格

 

 このことは空路についても言える。

 

 たとえばこの日本には、何種類ものエイリアンがやって来ている。

やって来た時代も、ルートも、それぞれ、みなちがう。

あくまでも推察だが、おおざっぱに言えば、つぎのよう。

 

 たとえば卑弥呼の時代には、エイリアンは、仁徳陵を中心にやってきた。

空路は、クロス・ポイント中国を経由した。

が、つづく獣頭人間の時代には、直接、エドフ神殿(エドフ)からの空路を使っている。

一度、クロス・ポイント北西ヨーロッパを経由し、直接、日本へ乗り込んでいる。

日本各地に、稲荷(キツネ)神社ができたころのことである。

 

 ときを同じくして、鳥頭人間がやってきた。

顔がカラスに似ていたことから、日本では、「ヤタカラス」と呼ばれるようになった。

熊野へやってきたのは、この鳥頭人間である。

興福寺に残っている、「カルラ像」というのは、その鳥頭人間をいう。

 

 さらに聖徳太子の時代には、ギリシア→ガンダーラ→ルンビニ(釈迦の生誕地)→プレア・ビヒアを経由し、(以上は、真一直線)、そこから那智大社を経由し、法隆寺へ来ている。

先に書いた、中宮寺の阿弥陀如来像も、そのころガンダーラから、日本へもたらされた。

 

 さらに仏教が本格的に入ってくるころになると、テオティワカンから北極、そこからクロス・ポイント・日本を経て、日本へやってきている。

東大寺ができたころのことである。             

そのころ、かなり力のあるエイリアンが、日本へやってきた。

八幡大菩薩と、日本では呼ばれている。

13世紀前後と考えてよい。

 

ちなみに、宇佐神宮と太宰府天満宮、西都原古墳群を線でつないでみるとよい。

直角三角形が、狂いなくできる。

(これら三者は、卑弥呼九州説の論争地となっている。)

できるばかりか、一方は、270度の真西、一方は180度の真南を向く。

さらに一辺は、他の一辺の2倍になっている。

誤差は、数キロもない。

 

 もちろん卑弥呼の前にも来ている。

が、そのときは、来ただけ。

葦嶽山、皆神山、富士山を目印にした。

出雲大社の位置も、そのころ決まった。

(位置が決まるというのと、実際の神社が建つというのは、別。

誤解のないように!)

皆神山→葦嶽山、皆神山→富士山の2本の直線は、90度になる。

 

 ちなみに、出雲大社からナスカに線を引くと、ナスカに2本の線を見つけることができる。

出雲大社が、当時、それだけ重要だったことを示す。

これに対して、敦煌→雲崗の仏像を結び、その線を正確に延長すると、伊勢神宮の外宮へやってくる。

また出雲大社から西都原の距離と、出雲大社から伊勢神宮(内宮)までの距離は、同じ。

誤差は数キロもない。

 

(なお以上の話は、まだ輪郭レベルの話。

近く、私なりに年表化してみたい。)

 

 それぞれみな、性格がちがう。

熊野古道でみるように、みな性格がちがう。

 

○ホテル浦島

 

 ロビーこそ大病院風。

が、トンネルを通り、部屋へ。

日昇館、8813号室。

(ホテルは、本館、日昇館、山上館の3つに分かれている。)

8階という最上階。

「地震が来てもだいじょうぶ」と、部屋へ入ったとたん、そう思った。

 

が、まあ、それにしても驚くほど広い。

島全体が、ひとつのホテル。

トンネルだけでも、100~200メートルは、ある。

私はいろいろなホテルや旅館に泊まったが、こんなダダ広いホテルは、はじめて。

それがいいのか、悪いのかは、わからないが、ともかくも広い。

 

 部屋も広く、20畳以上。

トイレ、バス付。

 

(補記:レストランまでは、500メートル近く、あった。

名物の巨大洞窟風呂へは、そんなわけで入らなかった。

帰ってくる間に、風邪を引きそうだった。)

 

○温泉

 

 部屋で一息つくと、そのまま温泉へ。

同じ日昇館内にある、玄武洞。

が、そこでまた仰天。

洞窟風呂とは聞いていたが、まさに洞窟。

その洞窟が、不思議。

ホテル全体が、まさに遺跡。

仲居さんに話を聞くと、昔の熊野水軍の基地があったところです、と。

 

 窓の外には、ほぼ直角に切り込まれたような絶壁が立っている。

その間に、明らかに(?)人工的に掘られたような洞窟。

(もちろん仲居さんをはじめ、フロントの従業員の人たちは、それを否定するが……。)

見方によっては、熊野古道より、はるかにおもしろい。

が、明日は、早朝に、ホテルを出なければならない。

昼からは、仕事が待っている。

 

○熊野古道

 

 熊野古道は、人間が造ったと言われれば、それまで。

不可能ではない。

古道を覆う岩にしても、不可能ではない。

しかし前にも書いたように、連続性がない。

 

 途中で立ち寄った茶店の女性は、こう話してくれた。

「天皇の行幸が何度もありましてね。それで古道を整備したのです」と。

 

 つまり天皇が歩きやすくするために、岩で舗装した、と。

私はこの説に、「?」マークをつけたい。

「そんなことのために……」と思ったが、それは言わなかった。

 

が、それはともかくも、ではなぜ、天皇がここまで足を運んだのか。

それほどまでに天皇を、引きつけたものは、何なのか。

むしろそちらのほうが、謎。

 

那智大社の横に隣接する、那智寺の職員の話を聞いた。

それによれば、仁徳5年の時代に、この地に、滝の神様と熊野の神様が2人やってきたという。

それが現在の那智大社の始まりという。

 

 ということは、滝の神様というのは、エイリアン社会の土木課の職員、熊野の神様というのは、総務課の職員、ということになる。

総務課の職員というのは、つまりは、鳥頭人間。

まず土木課のエイリアンが、岩を削り、滝を造った。

古道を造った。

同時の総務課のエイリアンが、人間を指導した。

 

SF的な話をとしては、おもしろい。

ワイフにその話をすると、ハハハと笑った。

(不謹慎な話で、ごめん!)

 

 が、どうしてこんなところまで、天皇は、400人にもの従者(茶店の女性の話)を連れて、何度もやってきたのだろう。

何が、天皇をして、そこまで動かしたのだろう。

謎といえば、そちらのほうが、はるかに謎。

 

○収穫

 

 熊野古道の建設には、明らかにエイリアンたちが関与していた。

私は、現地で、その物的証拠を見つけた。

それについては、家に帰り、ビデオ化したあと、文章にしたい。

 

 ただここにも書いたように、熊野古道そのものについては、不可能ではないということ。

人間でも作れなくはない。

現地の人たちが総出で、がんばって造ったと言われれば、それでおしまい。

それに古道といっても、すべてが舗装されているというわけではない。

舗装されているところもあれば、そうでないところもある。

私は、すべての古道が舗装されていると思った。

が、これはまちがいだった。

 

 が、同時に、古道の横に、2メートル近くもある、大きな岩石も見つけた。

まるで切り取られたかのように、一面は、真平らに、平たくなっていた。

私の想像によれば、まず巨石をもってくる。

それを細(こま)切れにして、道に並べた。

大きな岩石は、その残り物ということになる。

 

が、これとて、何ら、証拠にならない。

「たまたまここにありました」、「岩石が平面なのは、割れたからです」と。

そう言われたら、反論のしようがない。

 

 が、それでも証拠はあった。

ハハハ、見つけたぞ!

本当だぞ!

エイリアンが関与していたという、物的証拠!

確たる証拠。

乞う、ご期待。

 

○ジグソー・パズル

 

 今回のビデオを作るようになって、もう7か月になる。

その間、私は、いつもジグソー・パズルを解いているような気分になった。

つまりあらかじめ、答が用意してある。

私がすることと言えば、その答をもてきて、穴に埋めるだけ。

 

 中には、私のしていることを、(こじつけ)と思っている人もいるかもしれない。

が、事実は、逆。

向こうのほうから、答がやってくる。

今回も、そうだ。

熊野古道は、エイリアンが造った。

そう思いながら調べていると、証拠は、向こうのほうから、やってきた。

 

○午前3時

 

 昨夜(24日)は夕食後、そのまま就寝。

食事中も眠りそうになるほど、強烈な睡魔を覚えた。

で、目を覚ましたのが、午前3時。

現在、午前4時15分。

2013年2月25日月曜日、早朝。

 

 窓の外が明るいので、朝かなと思った。

が、真夜中だった。

明るいと思ったのは、ホテルのどこかのライトが照り返していたためだったらしい。

今しがた窓の外を見たが、月は出ていなかった。

 

 「もう少ししたら、眠りなおそう」と、今、そう思った。

あくびが立てつづけに、2、3度、出た。

 

○帰り

 

 今、津(つ)へついた。

先ほどまで、眠っていた。

2時間ほど、眠っていたことになる。

名古屋は近い。

 

○AD・HD(集中力欠如型多動性児)

 

 乗客のほとんどは、ほとんど眠っている。

が、1人だけ、間断なくしゃべっている女性がいる。

30歳前後か。

ジェスチャが、大げさ。

低い声だから、じゃまにはならない。

しかし「間断なく」。

ボソボソ、ボソボソ……と。

途切れることがない。

 

 「あの人、ずっとしゃべっているの?」と聞くと、ワイフが「そうよ」と。

 

 AD・HDというと、男児だけの問題と考える人は多い。

しかし女児にもいる。

割合は、男児に対して、2:1程度ではないか(経験)。

多動性というより、多弁性が目立つ。

その女児がおとなになる。

おとなになっても、異常な多弁性だけが残る。

 

 特徴はここに書いたように、よくしゃべる。

考える前に、しゃべる。

しゃべりながら、つぎつぎと話題が変化していく。

強く注意しても、10~20秒も、もたない。

10~20秒後には、またしゃべり始める。

 

 内容は、もちろん浅薄。

脳の表面に飛来した情報を、そのまま音声に換える。

「置き換える」という意味で、「換える」という言葉を使う。

 

私「口を閉じていなさい」

子「閉じていればいいのね」

私「そうだ」

子「どうして閉じているの」

私「静かにしなさい」

子「それは、無理よ」

私「だから口を閉じなさい」

子「口を閉じていたら、しゃべれない」と。

 

 これはある女子中学生(2年)と話したときの会話である。

 

○那智勝浦駅

 

 ホテル浦島は、この大不況下でも、大繁盛。

昨日は、土日ということもあり、全館、満室!

1700人も宿泊客がいたという。

 

 が、今朝のこと。

ホテルから、駅のある那智勝浦の桟橋までは、船が行き来している。

その船で出発を待っていると、どやどやと人が乗り込んできた。

店員45人とあったが、実際には、60~80人ほどが、乗り込んできた。

 

 が、桟橋に着くと、みな、観光バスのほうに歩き始めた。

団体旅行客である。

で、電車のほうもさぞかし混んでいるだろうなと思いつつ、駅へ行ってみると、客は私たちと、ほかに2人だけ。

ホテル浦島からは、2人だけ。

 

 特急列車は、1時間30分~2時間に1本だけ。

その1本ですら、自由席は、4~5人だけ。

指定席は、ガラガラ。

1客車2~3人、ほど。

 

 理由は、わかりきっている。

料金が高すぎる。

今回も、浜松→南紀勝浦(JR)で、片道1万円以上(特急利用)。

2人で往復、4万円以上。

プラス、ホテル代。

 

 私がJRの社長なら、料金を半額にする。

その分だけ、周辺のサービス業で稼ぐ。

 

 そうそう、高いといえば、バス代。

南紀勝浦駅から、那智大社までの料金が、600円。

たった15~20分足らずの距離で、600円。

浜松市内の感覚で言えば、2倍以上!

これには驚いた。

 

○太平洋

 

 広々とした田園風景が広がってきた。

ワイフが、横から私にこう言った。

「どうして熊野なの?」と。

 

 私はグーグルマップの地図を、開いて見せた。

 

私「いいか、地球人の目で、地球を見てはいけないよ」

ワ「どういうこと?」

私「宇宙から地球を見てごらん。最初に目につくのは、海だ。大きな海だ」

ワ「水の惑星、ね」

私「そう。太平洋だ。太平洋を中心に見ると、なぜ熊野かがわかる」

ワ「……そうね」

私「太平洋をはさんで、ナスカと熊野は、ほぼ正反対の位置にある」と。

 

 日本という国は、太平洋の一端にある。

日本が神々の国になったのは、そのためと考えてよい。

そこに住んでいた日本人が、神々にとくに選ばれたというわけではない。

 

○四日市

 

 たった今、四日市に着いた。

とくに書くことはなし。

 

 そろそろ今回の旅行記も、おしまい。

田園風景は消え、かわって、工場や都会的な風景が、飛び込んできた。

風は強いらしい。

白い煙(蒸気)が、煙突に対してほぼ直角に、南の方角へと流れている。

 

 では、ここまで。

 

2013年02月25日

 

 

Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2013++++++はやし浩司