*Under the process of Senile
●ボケの過程(Under the process of Senile)
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昨夜、久しぶりに、野球の実況中継を見た。
けっこう、おもしろかった。
が、それを見ているとき、少し前、兄が
口にした言葉を思い出した。
現在、兄は、重度の認知症になり、私たちの
顔さえも認識できなくなっている。
兄は、こう言った。
「野球は、いつ見ても、同じ」と。
念のためつけ加えると、同じ認知症でも、
うつ病から認知症になる人もいるという。
兄のケースは、重度のうつ病が高じて
認知症になった。
私はそう判断している。
当初、認知症特有の、痴呆性は、ほとんど
見られなかった。
感情もきめこやかだった。
ほんの数年前には、私の顔を見ると、
ポロポロと涙を出しながら、泣いた。
それはそれとして、「いつ見ても、同じ」とは!
鋭いというか、核心を、ズバリ、言い当てている。
少なくとも、選手にとってはそうではないかも
しれないが、観客の立場でいえば、そうなる。
いつ見ても、同じ!
……という人生には、じゅうぶん、気をつけた
ほうがよい。
ともすれば、私たちは、そういう人生を
繰りかえしてしまう。
繰りかえしながら、それにすら気がつかない。
気がつかないまま、どんどんと退行していく。
わかりやすく言えば、ボケていく。
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おととい、仕事から帰ったのが、午後9時。
居間でお茶を飲みながら、ワイフに、こう言った。
「なあ、これから映画を見に行かないか?」と。
ワイフは、「これから……?」と言ったが、
つづけて、「いいわよ」と。
さっそくインターネットで検索してみる。
トムハンクス主演の『チャーリー・ウィルソンズ・
ウォー』というのがあった。
午後9時45分からだという。
最初の10分間ほどは、コマーシャルとか、そういうのが
入るから、じゅうぶん、まにあう。
私たちは、そそくさとあと片づけをすますと、
出かける準備に取りかかった。
私たちは若いころから、こういう生き方をしてきた。
自由奔放というか、私たちには、時刻表というのは、ない。
……なかった。
それがいつの間にか、時刻表ができてしまった。
私は、(ワイフも)、そういう時刻表と、いつもどこかで
闘ってきたように思う。
だから「行かないか?」「いいわよ」となった。
で、映画は、星2つの、★★。
「ウォー(WAR)」というほど、大げさなものではない。
何となく流れに乗った1人の下院議員が、それなりの成果を
あげただけ……という内容の映画だった。
(日本にも似たような政治家がいたが……?)
それはともかくも、こうして脳みそを刺激していくということは、
とても重要なこと。
肉体の健康は、運動をすることで維持できる。
脳みその健康は、刺激を与えることで維持できる。
それを怠ると、介護老人の世界にまっしぐら!
が、それだけではない。
刺激を与えても、その刺激に対する感受性そのものが、
弱くなる。
さらに情報を吸収しても、それ以上の情報が、脳みその
底から漏れ出ていく。
ときに先週見たばかりの映画の題名はもちろん、内容すら
思い出せないことがある。
(たまたま先週は、「MIST」という、これまたひどい
映画を見た。あれほどまでにひどい映画はなかった。
そういう意味では、かえって印象に残ったが……。)
そこでボケと闘うためには、2つのことに心がけなければ
ならない。
(1) 時刻表的生活を避ける。
(2) 感受性を豊かにする。
(3) 刺激を与えつづける。
(4) 漏れ出る以上の情報を吸収しつづける。
時刻表的生活と、規則正しい生活とは、中身がちがう。
「時刻表的生活」というのは、(時刻)に対する(こだわり)をいう。
「規則正しい生活」には、その(こだわり)がない。
そのつどフレキシブルに変化する。
感受性を豊かにするためには、音楽を聴いたり、美しいものを
見たりするのが、よい。
「感動」には一貫性がある。
よい音楽を聴いて感動する人は、美しいものを見ても感動する。
もちろん人間関係においても、そうである。
また刺激を与えるためには、たとえば映画鑑賞がよい。
できればいろいろな映画を見る。
ときにSF、ときにファンタジー、ときに戦争もの……と。
が、何よりも大切なのは、「漏れ出る以上の情報を、吸収しつづける」
ということ。
10の情報が漏れ出たら、20の情報を吸収していく。
20の情報が漏れ出たら、100の情報を吸収していく。
話せば長くなるが、私の計算によれば、6年間で、約80%の
情報は、どこかへ消えてなくなる。
たとえばあなたの今日一日をみても、今日というこの日の
中で、明日まで残る情報というのは、半分もないのでは……?
とくに思考の分野では、そうである。
たいはんの人は、新しい情報を吸収することもなく、
(思考のループ状態)へと入っていく。
あるいは過去へ、過去へとさかのぼっていく。
しかし一度、こうなったら、「進歩」など、望むべくもない。
一方的に退化していくだけ。
ボケていくだけ。
そのことは、介護センターにいる老人たちを見ればわかる。
そこにいる老人たちにしても、一晩でああなったわけではない。
長い時間をかけて、徐々に、ああなっていった。
10年とか、20年とかいう、長い時間をかけて、である。
私やあなたが今、その過程にいないと、だれが断言することが
できるだろうか。
むしろこの世界では、「私はだいじょうぶ」と思っている人ほど、
あぶない。
先日もある女性(70歳くらい)と話していたときのこと。
その女性は、明らかにその過程にいた。
あれこれと、レベルの低い話を、私にした。
そこで私が、「あのオ~、私は、そんなバカではないと思いますが……」と、
その女性の言葉をさえぎると、その女性は突然、ヒステリックな声で、
こう叫んだ。
「私だって、バカではありません!」と。
私は、つぎの言葉を失った。
で、野球の話にもどる。
野球の実況中継の好きな人は、専門紙を読みながら、それを楽しむ。
試合のチケットが手に入れば、仕事の疲れをものともせず、
それを見に行く。
私の周囲にも、そういう人が何人かいる。
しかしそれはここでいう「情報の補充」になるのか。
その結論は、あの兄の言葉に集約されている。
つまり、「いつ見ても、同じ」イコール、「ならない」。
わかりやすく言えば、漏れた情報と同じだけのものを、
補充しているだけ。
風呂の湯で考えてみれば、それがわかる。
排水口から流れていくお湯の量と同じ量を、上から補充しても、
風呂の湯は、たまらない。
たまらないばかりか、脳みそそのものの活動も鈍くなって
いくから、感受性も弱くなっていく。
全体としてみれば、長い時間をかけて、ボケていく。
……と書きながら、実は、この問題は、私自身の問題でもある。
私自身も、その過程にある。
たとえば映画にしても、先週見た、DVDの「SKYBOYS」
くらいなら、まだよく覚えている。(星は4つ。★★★★。)
しかしその前の週に劇場で見た、「スパイダー何とか」という
映画については、内容は覚えているが、題名が思い出せない。
妖精の映画だった。(星は2つ。★★。)
さらに最近では、もっと恐ろしいことが起きつつある。
DVDショップで、以前借りたことがあるのと同じDVDを
借りてきてしまう。
家で、モニターに映してみて、はじめてそれを知ったりする。
映画のばあいは、まだこういう方法で、自分がボケていく
過程を知ることができる。
しかし野球の実況中継では、どうか?
兄が言ったように、「いつ見ても、同じ」というような
状況になる。
もちろんだからといって、そういうものを見るのが無駄とか、
そんな失礼なことを言っているのではない。
生活の一部として楽しむには、それなりによい刺激になる。
しかしこんな男性(70歳くらい)がいることも、忘れては
いけない。
その男性は、今では、認知症か何かになってしまって、繊細な会話
そのものができない。
何か話しかけても、「アウ~」とか、「ハハハ」とか大声で笑って、
それをごまかす。
その男性は、50歳くらいのとき、いつもこう言っていた。
「林君、ぼくはね、野球の実況中継を見るのが、何よりも
楽しみ。実況中継がない日はね、パチンコをしているよ」と。
大切なのは、その(見方)ということになる。
もっと言えば、(生き方)ということになる。
ついでに一言。
深夜劇場で映画を見るのは、できたら、やめたほうがよい。
おととい、『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』を
見て、家に帰ってきたのが、午前0時前後。
頭が興奮状態になってしまい、そのあとなかなか寝つかれなかった。
で、翌日は、午前中は、何となくぼんやりとした状態。
疲れも残ってしまった。
若いころは、ブルース・リーの深夜劇場を見ても、そういうことは
なかったのだが……。
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