Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Friday, March 12, 2010

+*Anxiety

●不安の原点(Where does Anxiety come from?)

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私たちの日常生活は、「不安」との
闘いと言っても過言ではない。
個人差はあるが、「不安」のない人は、
いない。
金持ちも貧乏人も、健康な人も、
病気の人も、そして若い人も、
老いた人も……。
みなが、共通に「不安」をかかえている。

その原因のひとつが、「現代社会」が、
構造的にもつ欠陥と考えてよい。
つまり私たちは、「欲望」を解き放った
ことによって、便利で、未来志向型の
生活習慣を手に入れた。
つまり飽くことを知らない、未来への
欲望が、「不安」の原点になっている。

「現代社会」では、「後れること」イコール、
「敗者」を意味する。

そのことをキリスト教の世界では、アダムと
イブの説話を通して、説明する。
アダムとイブは、「知識の実」を食べ、
神を裏切る※。
知識の実と引き替えに、人間は、それ以後、
常に「不安」と同居することになる。
キリスト教でいう「原罪」というのは、
それをいう。

悶々と晴れることのない不安。
ひとつの不安を克服すると、その向こうに
もうひとつの不安が現れる。
毎日が、この繰り返し。

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●スズメと山鳩

 朝、起きると、最初に庭に、鳥の餌をまく。
その直後、数秒を待たないうちに、スズメや山鳩がおりてきて、その餌を食べる。
こんな習慣が、もう20年近く、つづいている。

 そんなとき、ふと、こう思う。
私という人間は、かなりいいかげんな人間である。
「毎朝」といっても、(ここ数年は、たしかに毎朝だが……)、時に、忘れることもある。
そんな人間を、スズメや山鳩は、その時刻になると、屋根の端に列をなして、待っている。
「スズメや山鳩は、不安に思うことは、ないのだろうか」と。
つまり「私という人間に、不信感をもつことはないのだろうか」と。

私がスズメや山鳩なら、私という人間を信用しない。
「あの林(=私)は、いいかげんな男だ。
信用してはいけない」と。
が、信用しない分だけ、スズメや山鳩は、不安になるはず。
「今朝は、ちゃんと、餌をまいてくれるだろうか」と。

●後れる

 ほんの10年前まで、幼稚園の教師は「後れる」という言葉を、よく使った。
今でも年配の教師は、よく使う。
子どもが幼稚園を休んだりすると、「後れますから、幼稚園へ子どもをよこしてください」と。
私も、子育ての最中には、よく言われた。
 
 しかし何から、後れるのか?
さらに言えば、どうして後れてはいけないのか?
もう少しわかりやすい例で説明しよう。

 新しいゲームソフトが発売になるたびに、子どもたちの世界がザワつく。
多くの子どもたちは、発売と同時に、そのゲームソフトを買う。
親や祖父母に頼んで、買ってもらう子どももいる。
「売り切れになるといけないから、(学校へ行っている間に)、買っておいてよ」と。

 で、私はその中の1人に、こう聞いたことがある。
「ゲームの中身を確かめてから、買ってはどう?」と。
すると、その子どもは、こう答えた。
「そんなことしてたら、後れてしまう」と。

 多くの子どもたちは、そのゲームがほしいから買うのではない。
1日でも早く、それを手に入れ、ほかの子どもたちに先んずるために買う。
つまり自分のステータスを守るために、買う。

●「不安」との闘い

 こうした現象を、だれが笑うことができるだろうか。
これは子どもの世界の話だが、おとなたちも、まったく同じことをしている。
子どもの受験を例にあげるまでもない。

 今どき、「受験」を謳(うた)い文句にしていない幼児教室は、私が知るかぎり、私の教室(=BW教室)以外に、ない。
親のもつ不安を利用すれば、生徒は集まる。
しかしそれは邪道。

 親たちは、心のどこかで強い不安を覚え、子どもの受験競争に狂奔する。
つまりこうした構図は、現代社会全体に、共通している。

 今朝も新聞の折り込み広告が、20枚近く、入っていた。
私は大型電気ショップの広告には、必ず目を通す。
見ているだけで楽しい。

 言うまでもなく、そこは新製品の世界。
今、ねらっているのは、ビデオカメラ。
ハイビジョン撮影は、常識。
小型化も著しい。

こういう世界では、1年でも進歩を止めたら、そのまま敗者の世界に追い出されてしまう。
店どうしの競争も、熾(し)烈になってきている。
私はその広告を見ながら、「この世界も、たいへんだなあ」と思った。
製造会社も、販売会社も、まさに「不安」との闘い。

●では、どうすればよいのか

 先ほど、おもしろいことが起きた。
私がパソコンで、「現代」と打つつもりで、「gendai」とキーを叩いたら、「原罪」という言葉が出てきた。
入力ミスである。

 そう、まさに「原罪」。
アダムとイブは、神の教えに逆らって、「善悪の知識の実」を食べる。
つまり欲望を解き放つ。
それが「原罪」となって、私たちの身を焦がす。
そのひとつが、「不安の原点」ということになる。

 ……かといって、私たちはこの「世界」と無縁でいることはできない。
わかりやすく言えば、「競争」と無縁でいることはできない。
その「競争」が、絶え間なく、「不安」を生み出す。

 そこで考えられる方法は、2つ。
「おごれる人も久しからず」と、平家物語を書いた兼好法師のように、厭世するという方法。
競争社会から、身をはずしてしまう。

もうひとつは、原罪は原罪として、それを理解した上で、仲よくつきあうという方法。
理解しないまま、つきあうのはよくない。
へたをすれば、欲望の奴隷となってしまう。

さらにもうひとつ、宗教の世界に救いを見出すという方法もあるが、これは私のやり方ではない。

 やはり仲よくつきあうしかない。
良質で、適度なストレスは、私たちをむしろ前向きに引っ張ってくれる。
それがまたどこかで「生きがい」につながる。
無数のドラマも、そこから生まれる。
悪いことばかりではない。

(注※)『失楽園は創世記第三章の挿話である。 蛇に唆されたイヴとアダムが、神の禁を破って「善悪の知識の実」を食べ、 最終的にエデンの園を追放されるというもの』(Yahoo 知恵袋より)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 不安 不安の原点 失楽園 アダムとイブ エデンの東)


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