●独り暮らし
●独り暮らし
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現在、独り暮らしの老人の方(年齢は81歳)
から、メールが届いた(5月25日)。
一部をそのまま紹介させてもらう。
ここに書いてあることは、明日の「私」のこと。
暗い話で、申し訳ないが、この問題だけは、
だれも避けて通ることはできない。
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【兵庫県にお住まいのMH氏より、はやし浩司へ】
わたくしは一人で住んでいます。一日中一言もしゃべらない日もあります。
しゃべる相手がいないからです。
着実に歳をとって行きます。
この先どうなるものか、何時何が起こるのか、いくら考えても分かるはずはないのですが、確実に何時か、お迎えが来るはずですが、どうなるものか、生きる苦しみが増して行くでしょうが、なるようにしかならない、それだけです。
死んだら、ちょうど10年前に亡くなった妻にあちらで会えるような、ほのかな明るい期待も致します。
いい人でした。
一人暮らしは歳と共に辛くなります。
ただ介護の人たちがよくしてくれるので、どうにか「生きておれる」のです。
一日一日、毎日が感謝です。
先日も書きましたが、幸せな人生でした。
沢山の人のお世話になりながらご恩返しもしなかったのが唯一の悔いになっています。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●MH氏
MH氏とのつきあいは、もう40年以上になる。
当時MH氏は、ある国で、領事館の領事をしていた。
何かと便宜を図ってもらった。
そのMH氏も、今年81歳。
息子氏と娘氏がいるが、現在は東京と京都に、離れて住んでいる。
数年前、ころんで腰を痛めてからは、マンションの中で、車椅子生活をしている。
最近は、ほとんど寝たままとのこと。
●老後のわびしさ
老後のわびしさは、この一文に集約されている。
読めば読むほど、考えさせられる。
「明日は我が身」というような、生やさしいものではない。
またそういう言葉でごまかせるような、一文でもない。
が、「これが人生」と言い切るのは、あまりにもわびしい。
じんとした切なさが、私の心を塞ぐ。
●老後の孤独
若い人たちからみれば、老人はみな、愚かで、バカに見えるかもしれない。
死ぬのが当然だから、死ぬことに対して、恐怖心もないだろうと思うかもしれない。
気力が衰える分だけ、孤独にも鈍感になると思うかもしれない。
が、これは誤解。
まったくの誤解。
老人だって、1人の人間である。
今の(あなた)と、どこもちがわない。
ちがわないことは、この文を読めばわかる。
私たちだって、さみしい。
孤独。
死ぬのは、こわい。
●感謝
老後の生き方には、大きく分けて2つある。
ひとつは、バカに徹し、何もかも忘れて生きる。
もうひとつは、老後と戦って戦って、戦い抜いて生きる。
が、どちらにせよ、それにも限度がある。
バカになればなるほど、そのあと襲ってくるのは、虚しさ。
戦うといっても、体力や気力が衰弱すれば、おしまい。
戦いようが、ない。
が、MH氏は、「感謝」という言葉を使っている。
●喜び
昨日、たまたま長男に、こんな話をした。
「今のお前にはまだわからないかもしれないけど、ぼくの年齢になるとね、
歩けるということだけも、喜びなんだよ」と。
そこらにある(当たり前)のことが、実は(当たり前)でないことが、よくわかる。
「感謝」という言葉は、その延長線のずっと先にある。
だから私は歩く。
時間さえ許せば、車から降りて、歩く。
「楽をしたい」という思いは、あまりない。
そのかわり、「明日も、元気であればいい」と願う。
それができたとき、「感謝」という言葉が口から出てくる。
毎日が、その繰り返し。
私にはまだよくわからないが、生きるということはそういうことか。
●メール
たった今、MH氏にメールを送った。
「起きていたら、電話で話をしましょう」と書いた。
それからすでに30分以上。
MH氏は、もう眠ったのかもしれない。
返事がない。
起きていれば、すぐ返事をくれる人である。
もう少し、待ってみよう。
(午前1:00まで待ってみたが、MH氏からは連絡なし。
おやすみなさい!)
Hiroshi Hayashi+教育評論++May.2010++幼児教育+はやし浩司
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