Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, June 17, 2010

●マガジン(6-18)

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      6月   18日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【母子分離不安について】(けっして軽く考えてはいけない)

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母子分離不安をけっして、軽く考えてはいけない。
「嫉妬」がからむだけに、扱い方をまちがえると、
子どもの心を大きく変調させる。
そのまま何かの「障害」につながることもある。
母子分離不安がこじれ、はげしい赤ちゃん返りを
起こす例となると、ゴマンとある。

さらにその赤ちゃん返りがこじれて、常時発熱状態に
なった子ども(6歳女児)の例もある。

たまたま昨日、ある母親と母子分離不安について
会話をしたので、古い原稿だが、ここに再掲載する。
(2010-5-21)

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●対人恐怖症

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ある母親から、掲示板のほうに、こんな相談
があった。

明らかに、分離不安がこじれた対人恐怖症に
よるものと思われる子どもについてである。

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【Yさんより、はやし浩司へ】

はやし先生、初めまして。HP拝見させて頂きまして、こちらの掲示板の存在を知りまし
た。

実は今私にはある悩みがあるのですが、その解決策になる情報がないものかと

にて探しておりましたところ、こちらにたどりついたわけなのです。

そうしてはやし先生のご意見等を拝見いたしまして、ぜひ、はやし先生にご相談にのって
頂きければと思い、書き込みさせて頂きました。

前置きが長くなってしまい申し訳ありません。以下、長文・乱文で大変失礼致しますが、
お目にかけて頂ければ幸いです。

私には、今月末で2歳になる息子が1人おります。

息子は、会ったことのない人や、会ったことがありましても回数の少ない人と会った場合
は人見知りをします。女の人にはあまりそうでもないのですが、男の人は少し苦手なよう
で、私の後ろに隠れたり、時には泣いたり。しかし平気な時もありますし、少し時間がた
てば慣れて一緒に遊んだりします。

私の目から見て(素人判断で恐縮なのですが)比較的、人見知りが酷い方だとは思わない
のです。しかし一つ気になることがあるのです。

私の主人の両親が、毎月に1、2回息子に会いに来てくれたり、私達の方から主人の両親
のいる実家へ遊びに行ったりするのですが、息子は主人の両親に会う度、決まって泣くの
です。特に主人の実家へ行った時などは、車から降ろした途端泣きだします。

私や主人の友人宅へ遊びに行った時は、玄関先で泣きはしますが、抱っこをして部屋の中
へ入りしばらくすれば、慣れてくるのか泣き止むのです。ところが主人の実家だと、いつ
までも泣いて私や主人にしがみつき、一人で歩き回ったりするまでに、とにかく時間がか
かります。ですから最近主人の実家に行った時には、まず、家の周りを少し散歩してから
中に入るようにしているのですが、あまり効果は無いようで、家に入ればまた泣き出しま
す。

悩みというのは、その息子の両親に対する態度なのです。

最近どうもそのことが気にかかるようになり、そういえば息子は初対面の人と会ってもこ
んなにひどくなくことはないな、と感じるようになってきたのです。そして今までに何か
こう、似たようなことはあっただろうかと思い返してみたところ、息子が予防接種や、風
邪を引いたときにお世話になる病院の医師の顔を見て必ず泣き出す…。この時の反応が唯
一近いと思われます。

もしも息子の中で医師に対して、『この人は注射という痛いことをする人だから、怖いし、
嫌』という思いを持って泣き出すのであれば、主人の両親に対しても何か泣く理由がある
のではと思ったのです。そうして思い当る節が出てきたのです。

主人の両親にしてみれば、息子は初孫で本当に本当に可愛くて可愛くて仕方ない様子です。
ところがあまりにも可愛すぎるのか、息子が泣いているのに無理やり抱っこし続けたり、
お義父さんとお義母さんの間で、息子を抱くために取り合いになることもありました。息
子が生まれてまだ1か月の時も、私や主人や私の実母以外の人が抱くと泣くのですが、主
人の義母は泣いている息子をいつまでも抱っこし続けた結果、主人の両親が帰った後も、
息子には4時間も延々と泣き続けられました。

先日も主人の両親が私達の家に遊びにこられて、泣く息子を無理やり外に連れ出し、散歩
に連れて行こうとしたことがありました。しかし息子があまりにもひどく泣くものですか
ら(泣きすぎてむせるくらいです)私がとりあえず落ち着かせるために一度抱っこをしよ
うとしたのですが、結局泣き続ける息子に構わず、主人の両親は息子を連れて散歩に行っ
てしまいました。

1時間程して帰ってきた息子は、ケロッとしていたので、その時はあまり気にもとめなか
ったのですが、先程申し上げた「思い当たる節」というのは、主人の両親のこういう『強
引』なところが、もしかしたら息子は嫌で泣くのではないかということなのです。しかし
当のお義父さんとお義母さんは「まだ私達の顔を覚えてないから泣くのね」といった具合
いで、息子が泣くのは顔を覚えていないための人見知りが原因だと思っているようです。
確かに私にも、どちらが正しいのかはハッキリと分かりません。ですから息子の気持ちや
考えを分かってやれない事が口惜しくて歯痒くてならないのです。

主人の両親は更に「慣れさせるためには、泣いてでも強引に3人だけで(主人の両親と私
の息子)だけで出かけないと駄目だな、そうしないといつまでたっても慣れないから泣く
んだよ」と言っていたのですが、そういうものなのでしょうか? 私にすれば、そんな強
引なことをしなくても少しずつ慣らしていけばいいのでは…と思うのですが、これは過保
護な考えでしょうか?最近、主人の両親に会う息子がなんだか可哀相に思えてならないの
です。

はやし先生、どうかご意見をお聞かせ願えませんでしょうか?もしも主人の両親の考え方
が間違いでなく正しいのであれば私も安心して子供をみてもらうのですが…。

私のような悩みは小さいことでしょうし、もっと大きな悩みを抱えた方のお気持ちを考え
れば、こんな相談をもちかけて申し訳なくも思うのですが、どうにも不安でたまりません。
はやし先生もご多忙かとは思いますが、どうぞ宜しくお願い致します

【はやし浩司よりYさんへ】

 お子さんには、何ら問題はありません。ただの対人恐怖症です。2歳ということですか
ら、人見知りの時期が少し延び、分離不安へとつながり、それがこじれたケースと考える
とわかりやすいでしょう。

 恐怖症については、このあと、別の原稿を添付しておきます。

 ただ恐怖症については、理由も原因もさまざまであり、どれがそうであるか、特定する
ことはできません。また特定しても意味はありません。

 子どもの世界でよく知られた恐怖症としては、高所恐怖症、閉所恐怖症、お面恐怖症(お
面をかぶった人をこわがる)、先端恐怖症(とがったものをこわがる)、人形恐怖症(大き
な人形をこわがる)などなどがあります。

 一度何かのことで恐怖症を覚えると、さまざまに形を変えて、それが出てきます。私も、
子どものころ、閉所恐怖症でした。(今も、そうです。)で、飛行機事故に遭遇してから、
今度は、飛行機恐怖症になりました。そういうものです。

 こうした恐怖症をなおす方法はありません。またなおそうと思わないこと。大切なこと
は、そういう場面からできるだけ、子どもを遠ざけることです。もっとわかりやすく言え
ば、忘れさせること。

 あとは自己意識が育つまで、時期を待ちます。自己意識が育ってくれば、自分で自分を
コントロールできるようになります。

 Yさんのお子さんは、ここにも書いたように、何でもない対人恐怖症です。子どもの世
界では、珍しくも何ともありません。ただ子どもの心理は複雑です。もう少し大きくなっ
てから、「メガネがこわかった」「ひげがこわかった」「男の人がこわかった」と、理由を言
うことがあります。が、それはあくまでも、あとになってから、わかることです。

 Yさんのお子さんは、何かにおおきなこだわりをもち、そうなったと考えるべきです。
無理に、いやがるのに慣れさせようとしても、かえって心がこじれるだけです。ご両親に
は悪いですが、そのあたりをよく理解してもらい、強引なやり方、乱暴なやり方をひかえ
てもらうようにしてはどうでしょうか。
 
 あまりぐずりがひどいようであれば、心の緊張感をとるためにも、カルシウム、マグネ
シウム、カリウムの豊富な海産物を中心とした献立に切り替えてみてください。それで症
状は、かなり落ちついてくるはずです。(同時に、甘い食べ物は控えてください。)

 あくまでも子どもの立場で、子どもの視線でものを考えることです。子どもにしてみれ
ば、両親の前に立つと、あなたが数百人もいる会場の演壇に立たされているのと同じ心理
状態になるのです。

++++++++++++++++

●子どもの恐怖症

 先日私は、交通事故で、危うく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こ
うして文を書いているのが、不思議なくらいだ。

が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。夜、自転車に乗っていたのだが、
すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じたのだ。私は少し走っては
自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった…。恐怖症である。

子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、「学校の怪談」と
いうドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児が続出
した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。
それが恐怖症だが、この恐怖症は子どもの場合、何に対して恐怖心をだくかによって、ふ
つう、次の三つに分けて考える。

 【対人(集団)恐怖症】子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある
程度の警戒心を持つことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子ども
や、注意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無とんちゃくで、はじめ
て行ったような場所でも、我が物顔で騒いだりする。

が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語
症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(不
登校)などの症状が現れる。

 【場面恐怖症】その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに
乗れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。私も子どものころ、
暗いトイレがこわくて、用を足すことができなかった。そのせいかどうかは知らないが、
今でもトンネルなどに入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

 【そのほかの恐怖症】動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、手の汚れやにおいを嫌う(疑
惑症)、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。ペットの死をきっかけに
死を極端にこわがるようになった子ども(年長男児)もいた。

 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、し
かっても意味がない。一般に「心」の問題は、1年単位、2年単位で考える。子どもの立
場で、子どもの視点で、子どもの心を考える。無理な誘動や強引な押し付けは、タブー。
無理をすればするほど、逆効果。ますます子どもは物事をこわがるようになる。

いわば心が風邪をひいたと思い、できるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。
症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。私の場合も、その事故から数日間は、車
の速度が五十キロ前後を超えると、目が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」
とは分かっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。が、少し
ずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も何度も自分に、「こわくない」と言いきかせること
で、克服することができた。

いや、今でも時々、あのときの模様を思い出すと、夜中でも興奮状態になってしまう。恐
怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうにもならない。そういう前提
で、子どもの恐怖症に対処する。

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●分離不安について

子どもの情緒不安

 子どもの発達をみるときは、次の四分野をみる。(1)情緒の安定度、(2)精神の完成
度、(3)知能の発達度、それに(4)運動能力。

そのうちの情緒の安定度は、体力的に疲れたと思われるときに観察して、判断する。たと
えば運動会や遠足から帰ってきたようなとき。そういうときでも、不安定症状(ぐずる、
ふさぎ込む、ピリピリする、イライラするなどの精神的動揺)がなければ、情緒の安定し
た子どもとみる。

あるいは子どもは寝起きをみる。毎朝、不機嫌なら不機嫌でもよい。寝起きの様子が安定
していれば、情緒の安定した子どもとみる。子どもは2~4歳の第一反抗期、思春期の第
二反抗期に、特に動揺しやすいということがわかっている。経験的には、乳幼児期から少
年少女期への移行期(4~5歳)、および小学2年から4年ぐらいにかけても、不安定にな
ることがわかっている。この時期を中間反抗期と呼ぶ人もいる。

 情緒が不安定な子どもは、心が絶えず緊張状態にあるのが知られている。外見にだまさ
れてはいけない。柔和な笑みを浮かべながら、心はまったく別の方向を向いているという
ことは、よくある。このタイプの子どもは、気を許さない、気を抜かない、周囲に気をつ
かう、他人の目を気にする。よい子ぶることもある。

そういう状態の中に、不安や心配が入り込むと、それを解消しようと一挙に緊張感が高ま
り、情緒が不安定になる。症状としては、攻撃的、暴力的になるプラス型。周囲に溶け込
めず、引きこもったり、怠学、不登校を繰り返したりするマイナス型に分けて考える。プ
ラス型は、ささいなことでカッとなることが多い。

さらに症状が進むと、集団的な非行行動をとったり、慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴
えるようになったりする。原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体験が引き金になる
ことが多い。たとえば親の放任的態度、無教養で無責任な子育て、神経質な子育て、家庭
騒動、家庭不和、恐怖体験など。

ある子ども(5歳男児)は、たった一度だが、祖父にはげしく叱られたのが原因で、自閉
傾向(親と心が通い合わない状態)を示すようになった。また別の子ども(3歳男児)は、
母親が入院している間、祖母に預けられたことが原因で、分離不安(親の姿が見えないと
混乱状態になる)になってしまった。

 子どもの情緒が不安定になると、親はその原因を外の世界に求めようとする。しかし原
因の第一は、家庭環境にあると考え、反省する。子どもの側から見て、息が抜けないよう
な環境など。子どもの心に負担になっているもの、心を束縛しているようなものがあれば、
取り除く。

いちばんよい方法は、家庭の中に、誰にも干渉されないような場所と時間を用意すること。
あれこれ親が気をつかうこと(過関心)は、かえって逆効果。子どもが情緒不安症状を示
したら、スキンシップを大切にし、温かい語りかけを大切にする。叱ったり、冷たく突き
放すのは、かえって子どもの情緒を不安定にする。

なお一般的には、情緒不安は、神経症の原因となることが多い。たとえば、夜驚(やきょ
う)、夢中遊行、かん黙、自閉、吃音(どもり)、髪いじり、指しゃぶり、チック症、爪か
み、物かみ、疑惑症(臭いかぎ、手洗いぐせ)、かみつき、歯ぎしり、強迫傾向、潔癖症、
嫌悪症、対人恐怖症、虚言、収集癖、無関心、無感動、緩慢行動、夜尿症、頻尿症など。
症状は千差万別で、定型がない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
分離不安 恐怖症 子供の心理 情緒不安)

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●子どもの分離不安

 ある女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られた
コラムニストのものだが、いわく、「うちの娘(むすめ)(3歳児)をはじめて幼稚園へ連
れていったときのこと。娘ははげしく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを
見て、親子の絆の深さに感動した」と。

とんでもない! 

ほかにも詳しくあれこれ症状が書かれていたが、それを読むと、それは、「別れをつらがっ
て泣く子どもの姿」ではない。分離不安の症状そのものだった。

 分離不安症。親の姿が見えなくなると、混乱して泣き叫んだり暴れたりする。大声をあ
げて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイ
プ(マイナス型)に分けて考える。

私はこのほかに、ひとりで行動ができなくなってしまうタイプ(孤立恐怖)にも分けて考
えているが、それはともかくも、このタイプの子どもは多い。4~6歳児についていうな
ら、15~20人に1人くらいの割合で経験する。親がそばにいるうちは、静かに落ち着
いているが、親の姿が見えなくなったとたん、ギャーッとものすごい声をはりあげて、そ
のあとを追いかけたりする。

 原因は……、というより、分離不安の子どもをみていくと、必ずといってよいほど、そ
のきっかけとなった事件が、過去にあるのがわかる。はげしい家庭内騒動、離婚騒動など。
母親が病気で入院したことや、置き去りや迷子を経験して、分離不安になった子どももい
た。

さらには育児拒否、虐待、下の子どもが生まれたことが引き金となった例もある。子ども
の側からみて、「捨てられるのではないか」という被害妄想が、分離不安の原因と考えると
わかりやすい。

無意識下で起こる現象であるため、叱ったりしても意味がない。表面的な症状だけを見て、
「集団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もいる。無理をすればか
えって症状をこじらせてしまう。いや、実際には無理に引き離せば、しばらくは混乱状態
になるものの、やがて静かに収まることが多い。

しかしそれで症状が消えるのではない。「もぐる」のである。一度キズついた心は、そんな
に簡単になおらない。この分離不安についても、そのつど繰り返し繰り返し症状が現われ
る。

 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場ではやさしくてい
ねいに説得を繰り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、
そういう親子を観察すると、たいてい親のほうが短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり
しているのがわかる。「いいかげんにしなさい!」とか、「私はもう行きますからね」とか。
こういう親子のリズムの乱れが、症状を悪化させる。子どもはますます被害妄想をもつよ
うになる。

 分離不安は4~5歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここにも書い
たように、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。

ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が予定より遅くなっただけで、言いようのない
不安感に襲われます」と。姿や形を変えて、おとなになってからも症状が現われることが
ある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
分離不安 子供の分離不安 後追い人見知り 人見知り)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●退職後の夫婦生活

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「みんな今ごろ、どうしているんだろう?」と、
そんなことをよく考える。
健康問題、経済問題、そして家族問題などなど。
60歳を過ぎてから、こうした問題が、質的に
変化したのを、私は直接、肌で感じている。

それまでは、かなり楽天的だった。
「どうにかなる」という思いが強かった。
しかし今は、ちがう。
どのひとつをとっても、深刻さがましている。
あるいは考えれば考えるほど、袋小路に入って
しまう。

夫婦関係についても、そうだ。
たとえば私たち夫婦は、よく喧嘩する。
喧嘩といっても、私の側からの一方的なもの。
が、たいへん幸いなことに、私のワイフは、精神的に、
きわめて安定している。
だからふつうだったら、喧嘩にならないはず。
ワイフは、いつも私を軽くあしらう。
私を無視する。
だから喧嘩する(?)。

が、喧嘩が悪いというのではない。
たいてい1~2日で、仲直りする。
私のほうがあやまれば、それですむ。
つまりは、いつも私のひとり芝居?

が、その喧嘩も、このところ(さみしさ)を帯びてきた。
若いときのような「お祭り」では、すまなくなってきた。
あれほど気丈夫だったワイフも、60歳。
気弱になった。
「私には、あなたしかいない……」と、そんな弱音を
吐くこともある。

が、この年齢で、マンネリほど、恐ろしいものはない。
「そこにあなたがいて、ここに私がいる」というような
状態では、たがいに息が詰まってしまう。
そこで私たちは、この危機(?)を乗り越えるため、
2010年に入って、こんなことをするようになった。
「一泊旅行」である。

講演に招かれるたびに、それを利用して、2人で旅行をする。
何かネットでよい情報が飛び込んできたら、すかさず、それを
利用する。
たがいの倦怠感を吹き飛ばすには、旅行がいちばん。

……ということで、今夜は、細江町にある国民宿舎にやってきた。
キャンペーン中ということで、一泊9000円弱で泊まれた。
新装、増改築したばかりで、星はもちろん5つの★★★★★。
(星の数は、(料金の満足度)x(サービスの満足度)で計算。)

【注:国民宿舎奥浜名湖、電話、053-522-1115。
〒431-1305 静岡県浜松市北区細江町気賀1023-1
JR浜松駅からは、車で40分ほど。
東名西インターからは、15分ほど。
この国民宿舎の売り物は、何と言っても、窓からの景色。
小高い丘の山頂にあって、見晴らしがすばらしい。】

何といっても、風呂が清潔なのがよい。
食事も、料金が料金だから、ぜいたくは言えない。
満足+大満足。

またこういう旅館でワイフを見ると、別人(愛人かな?)のように
新鮮に見えるから不思議。
遠くへ行くのもよいが、こうして近くにある温泉をめぐるのも、
また楽しい。

60歳を過ぎて、夫婦関係に悩んでいる人は、ぜひ一度、
旅行を試してみてほしい。
行くまでは何かと迷うが、こうして来てしまうと、いつも
「よかったね」となる。

そう、今夜も食事が終わった後、ワイフに「来てよかったね」と
声をかけると、ワイフもうれしそうに笑った。
これでしばらくは(?)、我が家も平穏な日々がつづきそう。
……と言いながら、すでに来週の行動計画を立て始めている。

そうそう、6月は、あちこちへ講演で呼ばれる。
その前後にどこかの旅館に、一泊する。
忙しくなりそう!

(はやし浩司 国民宿舎 奥浜名湖 夫婦の倦怠期 老後の夫婦 夫婦問題)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2010++++++はやし浩司

【感情論】(感情と感動、そして教育とは)

+++++++++++++++++++

人は悲しいから、泣くのか。
泣くから、悲しいのか。

「悲しいから、泣く」という説を、
中枢神経起源説という。
「泣くから、悲しい」という説を、
末梢神経起源説という。
(以上、齋藤勇著「心理学の基本が
すべてわかる本」より)。

ほかにも、
(1)ジェームス・ランゲの末梢神経説
(2)キャノン・バードの中枢神経説
(3)アーノルドの情緒評価説
(4)プルチックの心理進化説
(5)シャクターの認知―生理説
があるという(同書、P53)。

 どれも一長一短というか、納得できる部分もあれば、
そうでない部分もある。
人がもつ「感情」というのは、それぞれの
ばあいにおいて、複雑なメカニズムを通して
生まれるものらしい。

++++++++++++++++++++

●共鳴性

 私たちは、「心の暖かい人」というとき、どういう人を、心の暖かい人というのか。
また「心が暖かい」というのは、心のどういう状態をいうのか。
一方、「心の冷たい人」というとき、どういう人を、心の冷たい人というのか。
また「心が冷たい」
というのは、心のどういう状態をいうのか。

 EQ論(情緒指数=人格の完成論)では、他者との共鳴性の高い人を、人格の完成度の
高い人という。
わかりやすく言えば、「心のポケット」が多い人を、共鳴性の高い人という。
その分だけ、他人の悲しみや苦しみを、よりよく理解できる。
相手の立場で、相手の気持ちになって、ものを考えることができる。
ただ、そういう人を、短絡的に、「心の暖かい人」と言ってよいかどうかはわからない。
共鳴性が高い人は、概して、「心の暖かい人」とみる。
しかし共鳴性が低いからといって、「心の冷たい人」ということにはならない。

 たとえば私は、実兄、実母の介護を経験してはじめて、介護の苦労というものがわかっ
た。
それまでの私には、わからなかった。
「私」という人間は同じ人間なのに、介護の経験をする前と後とでは、介護をする人に対
する共鳴性は、大きく変わった。
今だと、介護で苦労している人の気持ちがよく理解できる。
相手の立場で、ものを考えることができる。
心のポケットができたためと考えてよい。
が、つまりだからといって、私が「心の暖かい人間」になったとは、言えない。

 心が暖かい、冷たいという基本的な部分は、ポケットの有無によっては、変わらない。
ポケットの有無にかかわらず、それ以前に、その人の性質として備わっている。
それが共鳴性ということになる。

●脳のCPU(中央演算装置)

 一方、私の知人にこんな人(男性、65歳くらい)がいる。
他人の不幸が、何よりも楽しいらしい。
用もないのに他人の家の不幸をのぞいては、それを酒の肴(さかな)にして、楽しんでい
る。
心の壊れた人だが、当人は、そうは思っていない。
おかしなことに、自分では、他人の面倒をよくみる、心の暖かい人物と思い込んでいる。
脳のCPU(中央演算装置)が狂っているから、自分を客観的に評価することができない。
自分を基準にして、自分を見る。

 心の冷たい人というには、そういう人をいう。
……と断言するのも、むずかしい(?)。
で、そこで登場するのが、「感情論」。

 私たちがもつ「感情」というのは、いったい、脳のどの部分で、どのようにして生まれ
るのか。
それがわかれば、心の暖かい人と、そうでない人を、大脳生理学的に分類することができ
る。
感情が豊かで、何かにつけ共鳴性の高い人を、「心の暖かい人」という。
たとえば映画『男はつらいよ』の中に出てくる、寅さん的な人を、想像すればよい。
感情が平坦で、共鳴性の乏しい人を、「心の冷たい人」という。
たとえばコミック『ゴルゴ13』に出てくる、ゴルゴ13的な人を、想像すればよい。

●泣くから悲しい

 冒頭に書いたことを、もう一度、考えてみる。

人は悲しいから、泣くのか。
泣くから、悲しいのか。

「悲しいから、泣く」という説を、中枢神経起源説という。
「泣くから、悲しい」という説を、末梢神経起源説という。
が、同書によれば、現在は、「このふたつの中間のような生理・認知二因説をとっている」
「感情は生理的興奮と認知のふたつによって起こるという説」(同書、P54)ということ
らしい(シャクター)。

 「悲しいから、泣く」というのは、常識的な考え方ということになる。
が、「泣くから、悲しい」というのも、合理性がある。
同書は、こんな例をあげている。

 たとえば車を運転していて、突然道路に人が飛び出してきた。
運転していた人は、あわててブレーキを踏む。
すべてが終わったあと、「ああ、こわかった」と。

 つまり「こわかった」という感情は、このばあい、あとから出てきた感情と考える。
こわかったから、ブレーキを踏んだのではない。
ブレーキを踏んだから、こわかった(?)。

もう少し専門的にいうと、(脳があることがらに反応する)→(それが脳に向かう求心性神
経を経て)→(脳の中枢神経)に伝わる。
その情報を得て、(脳の中枢神経)が、「これは悲しむべきことだ」と知り、「悲しみという
感情を覚える」(同書)と。

●シャクターの認知―生理説

 シャクターの認知―生理説は、つぎのように説明する(同書P53)。

(刺激)→(身体的反応の高まり、状況検討)→(情緒判断)→(情緒)。

 つまり(刺激)があって、それを脳の中枢神経が判断し、それが情緒、つまり感情へと
つながっていく、と。

 この説で重要なところは、(とくに心の暖かさという点で重要なことは)、「脳の中枢神経
が判断する」という部分。
「判断する部分」の状態で、大きな(差)が生まれる。
ここが重要!
私にもこんな経験がある。

●映画『ベン・ハー』

 私はビデオを手に入れてからというもの、毎年のように、映画『ベン・ハー』を観た。
その映画を観ているとき、こんな奇妙な現象が現れた。
涙が出てくるシーンが決まっていたこと。
またそのシーンが近づいてくると、まだそのシーンになっていないのに、先に、涙が出て
くるようになったこと。
ここ10年ほどは、あまり観ていないが、つい先月、BS放送で、久しぶりに『ベン・ハ
ー』を観た。
そのときも、そうだった。
涙が出てくるシーンが近づいてくると、やはり先に目頭がジーンとしてきた。

 これはパバロフの条件反射によるものなのか。
それとも脳の中枢神経が、先に判断して、それを遠心性神経系を通じて、末梢神経に「涙
を流せ」と命令しているためなのか。
どうであるにせよ、脳の中枢部にある判断力が、感情に大きな影響を与えているのは事実。
(判断力が強く働く)……それが強い感情となって、末梢神経に伝わる。
そこで「悲しい」「うれしい」という感情が生まれて、涙腺を刺激する。

●脳とが支配する感情

 この話を、つまり先に書いた、ブレーキを踏んだ話を、たまたま中学2年生の女子にし
てみた。
聡明な子どもである。
その子どもはそれを聞いて、「へえ~、そうなんだ!」と驚いて見せた。
このばあいも、脳の中枢神経がまず、「おもしろい!」と判断したことになる。
それを遠心性神経が末梢神経に情報を伝え、(驚く)という感情につなげた。

 が、このばあい、もし中枢神経が「おもしろい!」と思わなかったら、どうなるか。
あるいはその子どもが、それが理解できるほど、聡明でなかったとしたら……?
その子どもは、(驚く)という感情を示さなかったことになる。

●なぜ人間なのか

 このことは、感情について、重要な教訓を示唆している。
つまり感情は、訓練によって、その幅を深みを増すことができるということ。
それはちょうど、学習することによって、知識や経験を深めることができるのに似ている。
が、そうでなければ、そうでない。
感情も、退化する(?)。

 どちらがよいかということになれば、当然、感情というのは、豊かであればあるほど、
よい。
もしだれかが、「人間はなぜ人間なのか」と問えば、私は迷わず、「感情があるから」と答
える。
たとえば人間が、映画『スタートレック』の中に出てくる、ミスター・スポックのように
なってしまったら、人間の織りなす世界は、まさに昆虫の世界と同じ。
味気なく、つまらないものになる。
どちらがよいかということになれば、感情は豊かであればあるほどよい。
もしだれかが、「人間はなぜ生きるか」と問えば、私は迷わず、「感動があるから」と答え
る。

 感情のない人間、感動のない人生……。
それは即、人間性の否定、さらには命の否定と考えてよい。

●では、どうすればよいか

 「感情」というと、どこか得体の知れないものに考える人もいるかもしれない。
しかしそうではなく、脳の中枢神経が支配するものと考えると、先にも書いたように、「訓
練」という言葉を、そのまま使うことができるようになる。

 感情は、訓練によって、その幅を深みを増すことができる!
あとはその方法をさがし、訓練すればよい。

 たとえば音楽を聴く。
たとえばすばらしい映画を観る。
旅行をする。
方法はいろいろある。
要するに日常の生活の中に、「感動」を呼び込む。
その感動が、中枢神経を刺激する。
私も、日常的に、こんなことを経験している。

 先日も、リチャード・ギア主演の『HACHI(忠犬ハチ公)』というDVDを観た。
よかった。
何度も涙をもらした。
そのあとのこと。
家で飼っているハナ(ポインター犬)が、それまでになく、いとおしく見えた。
庭に出て、何度もハナをさすってやった。

 あるいはYOUTUBEをサーフィンしながら、いろいろな音楽を聴く。
1~2時間も聴いていると、頭の中に、いろいろな音楽が浮かんでくるようになる。
テーブルの上の果物を見ても、浮かんでくる。
庭先の菜園を見ても、浮かんでくる。
ワイフと話していても、食事をしていても、浮かんでくる。
中枢神経が、音楽でいっぱいになる。

●感情

 ……ということで、子どもの世界では、「感動させる」ことが、いかに重要なことかがわ
かってくる。
たとえば教育を通して、「知識」を教えるのではない。
「知識をもつ喜び」を教える。
「学ぶ喜び」を分かち合う。
その感動が大切。
知識を覚えたかどうかということは、つぎのつぎ。
(だからといって、知識を否定しているのではない。誤解のないように!)

 つまり、少しおおげさな言い方に聞こえるかもしれないが、「教育」で大切なことは、「人
間を育てる」こと。
その第一歩が、「感動を与える」ということになる。

感情論。
一読すると、無意味な論争に見えるかもしれないが、その奥は深い。
久々に、新しい知識を得て、私は、今、感動している。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 感情 感情論 感情と感動 感動の大切さ ジェームス・ランゲの末梢
神経説 キャノン・バードの中枢神経説 アーノルドの情緒評価説 プルチックの心理進
化説 シャクターの認知―生理説 感情はどこで生まれるか)


Hiroshi Hayashi+教育評論++May.2010++幼児教育+はやし浩司

【心のメカニズム】(脳内ホルモン支配説)

●扁桃核(扁桃体) 

+++++++++++++++++

脳の辺縁系の中に、扁桃核(扁桃体)
という組織がある。
調べれば調べるほど、(私のばあい、
「聞けば聞くほど」ということになるが)、
不思議な組織である。

私たちが「人間性」と呼んでいる部分は、
どうやらこの扁桃核が司っているらしい。
「人間性」イコール、「心」と考えてもよい。
そんなことが、近年、少しずつわかってきた。

+++++++++++++++++

●扁桃核

 扁桃核(扁桃体ともいう)については、たびたび書いてきた。
たった今、グーグルの検索エンジンを使って、「はやし浩司 
扁桃核」で検索してみたら、504件、
「はやし浩司 扁桃体」で、602件、ヒットした。

 その扁桃核について、こんな記事が載っていた。
2007年に中日新聞に載っていた記事である。
当時書いた原稿の一部を、そのまま紹介する。

++++++++++++++++++++

こんな興味ある研究結果が公表されたので、
ここに紹介する。

「いじめは、立派な傷害罪」という内容の
記事である。

++++++++++++++++++++

 東北大学名誉教授の松沢大樹(80)氏によれば、「すべての精神疾患は、脳内の扁桃核
に生ずる傷によって起きる」と結論づけている。

 松沢氏によれば、「深刻ないじめによっても、子どもたちの扁桃核に傷は生じている」と。

 傷といっても、本物の傷。最近は、脳の奥深くを、MRI(磁気共鳴断層撮影)や、P
ET(ポジトロン断層撮影)などで、映像化して調べることができる。実際、その(傷)
が、こうした機器を使って、撮影されている。

 中日新聞の記事をそのまま紹介する(07年3月18日)。

 『扁桃核に傷がつくと、愛が憎しみに変わる。さらに記憶認識系、意志行動系など、お
よそ心身のあらゆることに影響を与える。……松沢氏は、念を押すように繰りかえした。『い
じめは、脳を壊す。だからいじめは犯罪行為、れっきとした傷害罪なんです』と。

 今、(心)そのものが、大脳生理学の分野で解明されようよしている。

+++++++++++++++++++++++

 これだけでも扁桃核が、重大な組織であることがわかる。
この扁桃核が、大脳皮質部からの信号を受けて、エンドロフィン系、エンケファリン系の
モルヒネ様のホルモンを分泌する。
それが脳内を甘い陶酔感で満たす。
何かよいことをすると、気持ちがよくなる。
そういった現象は、この扁桃核の機能によって、引き起こされる。

 が、その扁桃核は、かなりデリケートな組織らしい。
もろく、傷つきやすい。
それを東北大学名誉教授の松沢氏が、科学的に証明した。

 言い換えると、子育てをする上において、扁桃核に悪影響を与えるような環境や
行為は、タブー中のタブーということになる。
万が一、扁桃核に傷をつけるようなことがあると、その子どもの人間性そのものに大きな
影響を与えることになる。

●心の傷

 では、「心の傷」とは何かということになる。
それについては、まさに千差万別。
定型がない。
つまり症状には、定型がない。
どこに傷がついたかによっても、ちがう。
ひがみやすい、ひねくれやすい、いじけやすい……などの性格的症状に始まって、
さまざまな身体的症状や精神的となって現れることもある。
最近の研究によれば、うつ病の「種」すらも、乳幼児期に作られるということまで
わかってきた。

 ともかくも、扁桃核に傷がついたばあい、「心」、つまり、「人間性」に影響を与える
ことになる。
「あの人は、心の温かい人だ」「冷たい人だ」というときの、(温もり)を決定する。

++++++++++++++++++++

九州大学の吉田敬子氏は、つぎのように説く。
母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、
子どもは、『母親から保護される価値のない、
自信のない自己像』(九州大学・吉田敬子・
母子保健情報54・06年11月)と。

さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、
強迫性障害、不安障害の(種)になることもあるという。
それが成人してから、うつ病につながっていく、と。

++++++++++++++++++++

●子どもの世界

 ほかにもいろいろある。
そのことは、子どもたちの世界を見ていると、よくわかる。
というのも、子どもはおとなとちがい、ありのままの姿を、外に表現する。
隠すということをしない。
だからよくわかる。

 言い換えると、子どもにとって望ましい環境で、心安らかに育てられた子どもは、
共通した性格、性質を示す。
穏やかで、やさしく、表情も豊かで、心が静かに落ち着いている。
もちろんそれ以前の問題として、何らかの障害をもった子どもは別だが、ともかくも、
ほっとした温もりを感ずる。
が、そうでない子どもは、そうでない。

親にようる虐待、無視、冷淡、拒否的態度、暴力など。
こうした衝撃が日常的に繰り返されたりすると、子どもの心には大きな影響を与える。
たった一度でも、それが強烈だと、子どもの心をゆがめることがある。
どこかに不自然さや、違和感を覚えたりする。

 何かあると、つっぱってしまう。
ひがみやすく、いじけやすい。
嫉妬深く、根に持ちやすく、いつまでもこだわる。
ちょっとしたことで、別人格になってしまう、など。それが「心の傷」ということになる。
私が直接経験した例を、いくつか、あげてみる。

●症例

 ある女の子(当時2歳)は、何かのことで母親に強く叱られた。
あとで母親は、こう言った。
「それまではほとんど叱ったことのない子でした。
しかしその日だけは、私のほうがおかしかったかもしれません」と。
ともかくもその日を境に、その女の子は、1人2役の、(ときには、3役、4役の)、
独り言を言うようになってしまった。
「まったく別人のように、たがいに会話をするので、不気味です」と。

 また別の男の子は、4歳くらいのときに、風呂に水を入れて遊んでいた。
(風呂は2階にあった。)
その水があふれて、2階から1階を、水びたしにしてしまった。
それを見た祖父が激怒。
その子どもを激しく叱った。
以後、その子どもは、ニタニタと意味のわからない笑みを浮かべるようになって
しまった。
病院へ連れていくと、「自閉症」と診断された(当時)。

 先にも書いたように、心の傷というのは、症状は多岐に渡る。

(1) 性格的症状(性格から、(すなおさ)が消える)。
(2) 身体的症状(さまざまな身体的変調が現われる)。
(3) 精神的症状(精神不安、恐怖症、神経症、パニック障害など)。

 傷という(損傷)が、脳のどこにつくかによって、異なる。
扁桃核のばあい、その子ども(人)の人間性にまで、影響を与える。
他者との共鳴性の欠落、自己中心性、無表情、無感動、無反応など。
わかりやすく言えば、心の温もりが消える。
 
●私たちの問題

 が、この問題は、即、私たち自身の問題として、はね返ってくる。
私はどうなのか?
あなたはどうなのか?、と。
というのも、心の傷のない人のほうが、少ない。
程度の差こそあれ、みな、もっている。
それが扁桃核によるものなら、なおさらで、心というのは、そういう意味では、
たいへんもろい。
薄いガラス箱のようなもの。
ちょっとしたことで、すぐ壊れる。

 そこで重要なことは、心の傷があるという前提で、私自身、あなた自身をながめて
みるということ。
まずいのは、そういう傷があることに気づかず、同じ失敗を繰り返すこと。
そしてそれでもって、「これが私」と思い込むこと。
「他人もそうだ」と思いこむこと。

●心の冷たい人

 心理学的には、心の冷たい人は、それだけ人格の完成度が低いということになる。
その人格の完成度は、(1)他者との共鳴性、(2)いかに自己中心的でないか、の2点で
判断される(EQ論)。
心の冷たい人というのは、その反対側に位置するということになる。
目の前でだれかが悲しんでいても、平気。
考えることは、自分のことだけ、と。
(だからといって、心の冷たい人が、すべて扁桃核に傷をもっているということにはなら
ない。誤解のないように!)

 そこで重要なことは、まずそういう自分自身に気がつく。
つぎに、そういう自分を改造していく。
「心理療法」というのもある。
が、これは簡単なことではない。
それこそ10年単位の時間がかかる。
「一生かかる」とだれかが言っても、私は同意する。

この問題だけは、本能に近い部分にまで根ざしているため、それを変えることは、
容易ではない。
それこそ『三つ子の魂、百まで』ということになる。
基本的には、つまりよほどのことがないかぎり、心の温かい人は、一生温かい。
心の冷たい人は、一生、冷たい。

●心の温もりとは

 心の温もりについて、大脳生理学では、つぎのように説明する。

 何かよいことをしたとする。
弱い人を助けたり、だれかを手伝ったとする。
その意識は信号となって、扁桃核に伝えられる。
扁桃核はその信号を受けて、エンケファリン系、エンドロフィン系のホルモンで、脳内を
満たす。
モルヒネ様のホルモンである。
それが心地よい感覚をもたらす。
「よいことをすると、気持ちがいい」という感覚は、こうして生まれる。
音楽や絵画、そのほかの芸術に感動したり、他人の不幸や悲しみに共鳴するというのも、
それに含まれる。

 反対に何か悪いことをしたときは、どうか?
これについては私の不勉強かもしれないが、まだ明確な解答はない。
ただ考えられることは、あくまでも私の推察だが、何らかのホルモンが分泌され、脳内を
不快感で満たすのではないか。

 わかりやすく言えば、よいことをすれば、気持ちよくなる。
悪いことをすれば、不快感を覚えるようになる。

●性善説

 少し回り道をするが、この点からも、私は「性善説」を支持する。
よいことをすれば、気持ちよくなる。
楽しくなる。
それが免疫機能を高め、病気に対する抵抗力を高める。
つまりより長生きできる。

 反対に悪いことをすれば、それがストレッサーとなり、免疫機能を低める。
つまり命を縮める。

 ……とまあ、脳の機能がこうまで単純とは言えないが、おおまかに言えば、それほど
まちがっていないと思う。
つまり人間が、過去20数万年も生き延びてこられたのは、性善説に基づいているからと
考えてよい。
もし性悪説に基づくものであれば、人間は、とっくの昔に滅びていたことになる。

●「心」

 人間には知恵がある。
それを司るのが、大脳皮質部であるとしても、知恵だけでは人間は人間たりえない。
コンピューターにたとえるまでもない。
「心」があってはじめて、人間は人間たりえる。
それを「人間性」という。

たとえば喜怒哀楽の判断は、大脳皮質部でもできる。
しかしその信号を受けて、「心」として反応するのは、辺縁系という組織ということになる。
その組織が、さまざまな「心的反応」を示す。
つまり「心」も、脳の機能の一部ということになる。
言うまでもなく、その人の人間性は、その「心」で決まる。
最近では、心の原点は、脳内の化学物質、つまり脳内ホルモンであるという説が、
半ば常識化している。
その鍵を握るのが、扁桃核ということになる。

●終わりに……

 いろいろと話が脱線したが、「心」も、脳の機能のひとつということになる。
その鍵を握るのが、脳の中心部にある辺縁系ということになる。
この部分には、ほかに、やる気を司る帯状回とか、記憶を司る海馬などと呼ばれる
組織もある。
私たちが学生のころは、このあたりを「原始脳」と呼び、「すでに機能を失った脳」として
学んだ。
が、それがとんでもない誤解であったことは、ここに書いたことからでも、わかる。

 「心」……この不可思議にして、得体がつかめない「内的現象」は、いつの時代にも
人間を悩ませる。
できれば心の傷など、なければないほうがよいに決まっている。
しかし時として、その傷が、人間のさまざまなドラマを生み出す。
1億人、人がいれば、1億種類のドラマを生み出す。
「おもしろい」と言えば語弊があるが、それが人間社会の豊かさということになる。

(ほかの動物たちと比べてみると、それがよくわかる。
北海道のスズメも、沖縄のスズメも、スズメはスズメ。
それぞれ個性的な動きをしていても、スズメはスズメ。
その範囲を超えることはない。)

つまり「心の傷」を、「悪いもの」と決めてかかるのではなく、「それが人間」と考える。
あとは、それと仲よくつきあう。
自分の傷ならなおさら、他人の傷であっても、仲よくつきあう。
扁桃核に焦点をあて、「心」と「心の傷」について、考えてみた。
(2010-4-2)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 扁桃核 扁桃体 心の正体 心のメカニズム 心はどこに 人間性と
心 心と人間性)

●補記

 「心」も脳の機能的活動のひとつということになる。
そういう意味では、けっして霊的(スピリチュアル)な存在ではない。
またそう考えてはいけない。

 すこし話が突飛もない方向に進むが、以前、特養に母を見舞ったときのこと。
私とワイフは、こんな会話をしたことがある。
「この人たちもみな、やがてすぐ、あの世へ行くことになる。
しかしどの段階で、あの世へ行くのだろうか」と。

 「どの段階」というのは、20代のころの段階をいうのか、30代のころの
段階をいうのか、と。
もし死ぬ直前の状態のままあの世へ行くとしたら、死んだ人たちは、ほとんど思考能力を
失ったままあの世へ行くことになる。
特養の中には、一日中、「飯(めし)はまだか!」と、怒鳴り散らしている女性もいた。
そんな状態のままあの世へ行くというのも、おかしな話ではないか。

 で、ワイフが言うには、「いちばんよい段階のときに、行くんじゃない?」と。
つまり一番美しく、輝いていた(段階)で、あの世へ行く、と。
またそう考えないと、矛盾が生じてくる。

 たとえば死ぬとき、眠るようにして死ぬ人もいる。
しかしほとんどは、長く病気を患い、苦しんで死ぬ。
交通事故にしても、そうだ。
そんな状態のまま、あの世へ行ったら、あの世は、そういう人たちばかりになる。
となると、あの世というところは、病院のようなところかということになってしまう。
特別養護老人ホームのようなところを想像してもよい。
ここに「あの世」と書いたが、「天国」でもよい。

 そこで人間は、肉体と霊(心)を分けた。
そうすれば、この矛盾を解消できる。
が、「心も脳の機能的活動のひとつ」ということになると、心的現象としての「霊」
の存在も、否定されることになる。
昔は、「心は心臓にある」と考えられていたが、今では「脳にある」と考える。
が、その脳にも「ない」ということになる。
「ある」とか、「ない」とか、考えるほうが、おかしい。
「ない」のである。

 たとえば恋愛感情にしても、今ではホルモン説で説明される。
以前、「恋の寿命」※という原稿を書いたことがある。
性欲、食欲については、脳の視床下部が司っている。
そうしたものが、こん然一体となって、人間の「心」をつくりあげている。

 が、誤解しないでほしい。
だからといって、「人間の心はつまらない」と書いているのではない。
またそういうふうに思ってもらっては困る。
私が書きたいのは、その逆。
「だから、おもしろい」である。
というのも、「心」の奥は深い。
かぎりなく深い。
ひとつの例をあげて、それを説明してみたい。

 たとえば夫婦の間の性行為がある。
女性のばあいはどうなのか、本当のところはよくわからない。
しかし男性のばあい、射S前と、射S後では、「女性の体」に対する感覚は、180度
変化する。
(「S」にしたのは、BLOGによっては、禁止語になっているから。「精」のことである。)

それが瞬間に、おもしろいほど、変化する。
射S後は、そこにあるのは、ただの肉塊。
射S前には、あれほどまでに狂おしく見えた肉体でも、そう見える。

 が、ここからが人間のすばらしいところ。
ワイフの肉体ですら、ただの「肉塊」になるが、そのとたん、そこに(いとおしさ)を
覚える。
しわもふえ、肌には、つやもない。
弾力性もないばかりか、シミが出ている。
が、そこに(いとおしさ)を覚える。
もし人間の心が機能だけで動くとしたら、こうした(いとおしさ)を説明することは
できない。

 いつだったか、「人間の脳のニューロンの数は、DNAの数より多い」ということを
書いた。
つまり人間がもつ創造性は、DNAの限界を超えて、無限性と多様性を秘めている。
心もまた同じ。
つまり人間の脳の機能を、すべて科学で説明することはできない。
それが「奥が深い」という意味になる。 
もっとわかりやすく言えば、脳の機能は、1+1=2であっても、それがときには、
1+1=∞になったりする。
 
 私は、それが「おもしろい」と言う。
蛇足だが、私は心の否定論者ではないことをわかってもらいため、この補記部分を書いた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心 ホルモン説 脳内ホルモン 脳内ホルモン説)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


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