Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, June 06, 2010

●6-7(暗い話)

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      6月   7日号
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 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━¬¬¬¬¬――――――――――――――
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【4月30日のレッスンより】

テーマは、あいさつ。
(声を出す。)

この時期、(とくに私の教室では)、心の中にたまったものを、
声としてはき出させる訓練を重ねます。
こうして子どもの心を開放させます。

加えて、今日は、「あいさつ」をテーマにしました。
年少児、年中児(3~4歳児)のテンポの速い指導を、
どうかお楽しみください。
お子さんといっしょに観てくださると、楽しんで
いただけます。

はやし浩司
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●BW公開教室
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Hiroshi Hayashi+教育評論++May.2010++幼児教育+はやし浩司

●子育て失敗論

++++++++++++++++++

子育てには「失敗」はつきものだが、
親は自分で失敗してみて、はじめて、それを
失敗と気づく。
それまでは、わからない。
「私にかぎって……」とか、
「うちの子はだいじょうぶ……」とか考えて、
その兆候を見過ごしてしまう。

今までにいろいろな例がある。
私の立場で言えば、いろいろな経験をしてきた。
が、そのつど、私は口を閉じてきた。
今も、閉じている。
というのも、子育てには、その人の
全人格、全人生、さらには哲学が集約される。
それを批判するなどということは、
危険と言うより、あってはならないこと。
また私のような者が、それを指摘したところで、
親は納得しない。

よく誤解されるが、受験産業があるから、
受験競争が過熱するのではない。
親たちが、それを求めるから、受験産業は
存在する。
だから今日も、一式80万円もするような
教材を、なけなしのサイフをはたいて買う。
そういう親がいる。
子どもがそれを求めるわけではない。
親は親で、自分の人生を通して、社会の
不公平性をいやというほど、感じている。
だから「何としても……」となる。

++++++++++++++++++++

●内政不干渉

 この浜松市には、静岡県でもナンバーワンと言われる進学高校がある。
K公立高校である。
しかしそのK公立高校でも、満足しない親たちがいる。
理由はさまざま。
それぞれの親には、それぞれの事情がある。
もちろん子どもの能力の問題もからんでくる。
中には飛び抜けて優秀で、「田舎のK高校なんて!」と言って、都会の高校を
求めていく子どももいる。

 一方、私たちには、『内政不干渉の大原則』というのがある。
その親や子どもが、どんな選択をしようとも、内政には干渉しない。
言われた範囲で、かつ与えられた範囲で、自分の仕事をする。
できるだけ親や子どもの希望に添うような形で、自分の仕事をする。
しかし明らかに失敗するだろうなというケースも、少なくない。
それでも黙って、仕事をする。

●80万円の教材 

 冒頭で、80万円の教材について書いた。
悪徳商法として、ネットでも叩かれている。
こえについて、少し書いておきたい。
方式はこうだ。

 「一式、80万円。中学3年分の教材」。
そんな教材を売りつける。
80万円の中には、テキスト代はもちろんのこと、FAXによる添削、電話相談料が
含まれている。
で、80万円を、3年分の36か月で割ると、月額約2万2000円となる。

ワークブックということなら、自分で書店で選んだ方がよい。
ワークブックには、「相性」というのがある。
その相性が合わないと、高価な教材と共に、「勉強心中」ということにもなりかねない。
「勉強心中」というのは、教材が負担で、方向転換できず、そのまま教材と共に、
勉強ができなくなってしまうことをいう。

 大切なのは、「達成感」。
その達成感が、子どもに自信をつけさせ、子どもを伸ばす原動力となる。

 それはともかく、月に1冊、1000円のワークブックをこなすだけでも、たいへんな
こと。
それを考えただけでも、2万2000円というのは、メチャメチャな額といってよい。
が、買う人は買う。
子どもにやらせる。

●私の経験

 私もある時期、市販の教材づくりに命をかけた。
毎晩、2時、3時まで、ワークブックの原案を考えた。
そんなある日、奇妙な仕事が依頼された。

 大手出版社のX社からのものだった。
「都内の小学校の入試問題集を制作してほしい」という依頼だった。
わたしは即断で、それを承諾した。

 で、しばらくすると、ダンボール箱に入った資料が、ドサッと送られてきた。
過去問題に関する資料である。
全部で、40校あまりあった。
が、傾向はどれも似たようなもの。
たがいに隣の小学校の入試問題を見ながら、自分の学校の入試問題を制作していた。
それが私にも、よくわかった。
つまり私には、楽な仕事だった。

●別会社

 が、「?」と思われるような申し入れが、つづいた。
まずその教材は、「X社」の名前では売らない。
書店にも並ばない。
もちろん「はやし浩司」の名前は入れない、と。
そのかわり、高額な制作料を支払う、と。
私には、どういうことか理解できなかった。
が、やがてわかった。

 X社は、ダミーの子会社(販売会社)を立ち上げた。
その子会社名で、セールスマンを雇った。
そのセールスマンに、訪問販売の形で、教材を売らせた。
あとで聞いたら、40校あまりの問題集が、1セット、200万円とか!
この金額には驚いた。
当時はバブル経済、華やかりしころで、200万円でも、飛ぶように売れた。

 が、この方式、つまり親会社がダミー会社を立ち上げ、自分の名前をけがさない
ように、悪徳商法を繰り返すという方式は、けっして珍しいものではなかった。
さらにあくどい販売会社となると、倒産した教材制作会社の教材群をまとめて
買い上げ、それを再印刷し、同じ方式で売っているところもあった。
(今も、それがふつうのやり方になっている。)

昨年(09年)も、この浜松で、悪徳教材会社が摘発された。
同じような手口で、親をだまし、高額な教材を売りつけていた。
が、刑法上の罪は軽い。
表紙だけを取り替えて、また別の販売会社を立ち上げる。
社長(=責任者)は、そのつど、別の人物にすえ替える。

 いろいろな教材を手がけてきたが、これほどまでに後味の悪い仕事はなかった。

●勉強心中

 「勉強心中」の話が出たので、一言。

 たとえば難解な、その子どもの能力を超えたワークブックを1冊、買ったとする。
するとそのワークブックが足かせとなって、子どもの勉強がそこでストップしてしまう。
「あのワークブックがあるから、つぎの新しいのが買えない」と。
こうしてそのワークブックとともに、心中する。
それを「勉強心中」という。

 よくあるケースは、(1)こまかい文字で、たくさん問題が出ているワークブック
ほど、よいワークブックと誤解すること。
ワークブックは、ショッピングセンターの商品とは、ちがう!

(2)「○×大学教授監修」という「飾り」のあるワークブックほど、よいワークブック
と誤解すること。
大学の教授で、そんなヒマな教授はいない。
いるとしても、タレント教授。
はっきり言えば、インチキ教授。
そういう教授なら、自分が指導したこともない教材に、自分の名前を貸しても、みじんも
恥じない。

 ほかにもいろいろあるが、たかが1000円、2000円程度のワークブックで、
「勉強心中」するほど、バカげたことはない。
そういうときは、そういうワークブックは、思い切って捨てる。
ワークブックは、「本」ではない。
「トイレットペーパー」である。
一度、だれかが使ったら、つぎの人は、使えない!

●思春期

 話が脱線した。
もとに戻す。

 浜松市内から都会の学校へ、子どもを送る。
先にも書いたように、それぞれの家庭には、それぞれの事情がある。
考え方もある。
だから「内政不干渉」。
それはそれとして、失敗するかどうかは、私には、わかる。
「失敗」というのは、親の思惑どおりには、いかないことをいう。
というのも、この時期、子どもは、心理的にも大きな転換期を迎える。
「思春期」という転換期である。
この思春期という転換期は、人間が動物的になるという意味で、扱い方をまちがえると、
たいへんなことになる。
勉強どころか、そのまま「遊び」の世界に転落してしまう子どもも、少なくない。
非行に走る子どもさえ、いる。

 親は、小学生の子どもを見て、「うちの子は、すなおで、明るい」と思うかもしれない。
が、そうはいかない。
そうはいかないことは、あなた自身が、いちばんよく知っているはず。

●ドラ息子性

 私の経験でも、浜松市を離れて、たとえば東京の有名中学校(こういう言い方は、
本当に不愉快だが)に、入学して、そのままうまくいくケースと、そうでないケースは、
フィフティ・フィフティとみている。
つまり50%。

 その(差)は何かというと、その子どものもつ(ドラ息子性)ということになる。
自分勝手でわがまま。
享楽的で精神的基盤が軟弱。
そういう子どもが親元を離れて都会へ出ると、とたんに(誘惑)の餌食になる。
もちろん勉強など、そっちのけ。
遊びに遊んで、そのまま……?

 もちろん、そうでない子どももいる。
そういう子どもは、小学生のとき、すでにどっしりとした(重み)を感ずる。
目的意識も強いため、(誘惑)にも強い。
そういう子どもなら、都会へ出ても、それなりに学生生活をやりこなす。

●「やればできる」と思ったら、「やってここまで」

 どんな親も、自分の子どもに対して、「やればできる」と信じている。
「できないのは、やらないから」と。
しかしそういうふうに思ったら、すかさず、「やってここまで」と思いなおす。
それが子どもの心を救う。

 その子どもに能力があるかないかということは、小学3、4年生ごろになると、
はっきりしてくる。
能力のある子ども、つまりいわゆる(Gifted Children=恵まれた
子ども)のばあい、この時期、メキメキと頭角を現してくる。
が、そうでない子どもは、そうでない。
いくら教えても、ザルで水をすくうような感じになる。
その(差)を埋めることは、容易ではない。
実際には、不可能。

 が、親にはそれがわからない。
わからないから、無理をする。
「やればできるはず」と。
少しでも成績があがったりすると、「もっと……」「さらに……」と、がんばる。
親の希望には際限がない。
この無理が、子どもを勉強から遠ざける。
遠ざけるだけならまだしも、そこで子どもをつぶしてしまう。

 だから「やってここまで」と思いなおす。
親としてはつらいところかもしれない。
それまでの人生観を、へし曲げるような衝撃を感ずる人もいる。
しかし「やってここまで」。

●結論

 私はこうした「失敗」(失敗という言葉には、少なからず抵抗を感ずるが、ほかに
適切な言葉がないので、「失敗」と書く)を、無数に見てきた。
が、この問題だけは、親自身が、自分で気がつくしかない。
それまでは、わからない。

 一方、私たちの世界には、『10%のニヒリズム』という言葉がある。
どこかの塾教師の人が、教えてくれた言葉である。
「どんなに子どもの教育に没頭しても、最後の10%は自分のために、残しておく」。
それを守らないと、時に、火傷(やけど)する。
さらに身も心も、ズタズタにされる。
予期しないトラブルに巻き込まれることもある。

 だから明らかに失敗するとわかっていても、黙る。
そっと見守る。

が、あえて言えば、もしあなたが今、子どもの勉強問題で悩んでいるなら、この
エッセーを何度も読み返してみてほしい。
読み返せば、今のあなたが抱えている問題に、解決の糸口を見つけるかもしれない。
そのために、このエッセーを書いた。

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【暗くて悲惨な話】

●「有料老人ホーム問題」→「国家経済問題」

+++++++++++++++++

この浜松市にも、有料老人ホームと
呼ばれるホームが、あちこちにできた。
入居時の入居費が、300万円前後。
月々の費用、20万円弱。
が、これでも安いほう。
都会地域では、入居費が、2000~
3000万円。
月々の費用、30~40万円とか。

ある雑誌が、有料老人ホームを特集
していた。
その中で、いくつかのモデルケースが
紹介されていた。

夫婦で、ともに元教師(公務員)のばあい、
年金が、合計で月70万円(35万x2)。
預貯金が、2億円。
ほかに土地が2か所など。
現在、年齢はともに74歳、とか。

この夫婦のばあい、有料老人ホームと
自宅の間を行き来しながら、それぞれの
生活を楽しんでいるという。

これからは、そういう「形」がふえてくるという。
つまり、ある程度元気なうちに、有料老人
ホームに入居する。
自宅と老人ホームの間を行き来しながら、
やがて常時介護が必要になるようになったら、
そのまま老人ホームで最期を迎える。

しかしそれにしても、老後も楽ではない。
お金がかかる。
有料老人ホームにしても、ピンからキリまである。
サービスの内容も、金額に応じて、もちろん、
ちがう。

+++++++++++++++++

●簡単な数学

 「お金があれば、老後も何とかなる」と考えている人は多い。
(もちろんお金がなければ、老後は、悲惨なものになるが・・・。)

 しかしものごとは、常識で考えてみよう。
簡単な数学である。

 この先、15年を待たずして、日本人のうち3人に1人は、高齢者になる。
言い換えると、1人の高齢者を支えるために、2人の働き手しかいないことに
なる。
(たった2人だぞ!)
その元教師(公務員)のばあい、夫婦2人で月70万円の年金を受け取っている。
たいへん恵まれた人たちだが、2人の働き手で、月70万円の支援するのは、不可能。
つまりその分だけ、そうした恩恵からはずされた人は、悲惨な老後を送ることに
なる。

たとえばこの私にしても、あるのは国民年金だけ。
夫婦2人で、計13万円弱。
その13万円弱で、どうやって老後を暮らすのか?
安いと言われる、この浜松市での有料老人ホームにさえ、入居することはできない。
そこに見えてくるのは、ぞっとするほど、悲惨な老後!

(これに対して、元公務員の人たちは、こう反論する。
「私たちは、納めた積立金を返してもらっているだけ」と。
しかしこれはウソ。
積立金そのものが、国の補助で補てんされている。
またこういう私の意見に対して、どうか怒らないでほしい。
こうした問題は、あなたの子ども、さらに孫の問題として考えてほしい。
仮に今のあなたはよくても、子どもの代、孫の代にはどうなるか。
そういう視点で考えてほしい。)

●息子や娘たち

 で、頼みの綱は、息子や娘たちということになる。
しかし息子や娘たちにしても、自分たちの生活で、精一杯。
経済的な余裕など、どこにもない。
内閣府の調査によっても、日本人の若者の大半(60~70%)は、「経済的に
余裕があれば、(老後の)親のめんどうをみる」と答えている。
つまり、息子や娘たちは、アテにならない。

・・・だんだんと暗い話になってきた。
書いているだけで、イヤ~ナ気分になってくる。
このエッセーを読んでいる、あなただってそうだろう。
しかしそこにある現実から、目をそらしてはいけない。
「何とかなる」などと考えていたら、それこそたいへんなことになる。

 そこで私たちに残された選択肢は、つぎの2つ。
(実際には、1つ。)

 それまでにじゅうぶんな貯金をしておくか、あるいは最後の最後まで働くか。
最後の最後まで働いて、ポックリと死ぬ。
どうやら私たちに残された道は、後者しかないようだ。
今の今でさえ、特別擁護老人ホームに入居するのは、たいへんむずかしい。
1年待ち、2年待ち・・・。
順番で言うなら、100番待ち、200番待ち・・・。
ほとんど寝たきり状態の老人ですら、入居がむずかしい。

●経済破綻

 このエッセーでは、「老後問題」を書くつもりだった。
最初は、そういうつもりだった。
しかしここでテーマを変える。
つまりこのままでは、日本経済は、確実に破綻する。
また破綻に向かって、すでにまっしぐらに進んでいる。
さらに言えば、一度破綻しないことには、この問題は解決しない。

 数日前、ギリシャの国家経済が破綻(デフォルト)した。
そのあおりを受けて、EU全体の経済がぐらついている。
が、国家の負債比率をみるかぎり、日本のほうがギリシャより、状況は、はるかに悪い。
日本がかろうじて国家破綻しないですんでいるのは、日本にはまだ産業力があるから。
それに日本は、外国には借金をしていない。
国債の持ち率にしても、外人の持ち率は、5%前後と言われている。
つまり日本は身内の借金で、何とかまかなっている。
加えて日本には、国有財産が、1000兆円近くある(・・・と言われている。
しかし実際には、それほどないのではないかと、最近疑いをもつ人がふえている。
たとえば国有林にしても、財産価値は、ほとんどない。)

 そこでアメリカは、日本の大黒柱である自動車産業に目をつけ、TOYOTAを
ねらいうちにしてきた?
・・・という話まで書き出すと、収拾がつかなくなるので、話を戻す。

 要するに、老人問題ひとつみても、日本経済の破綻は、確実に時間の問題。
1人ひとりの公務員の人に責任があるわけではない。
また私も、それぞれの公務員の人に、責任を求めているのではない。
ないが、国家税収(約40兆円)のうちの95%以上(38兆円)を、公務員の
人権費にあてている国は、そうはない。
実際には、ない!

日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。
今の今もそうで、日本が民主主義国家と思っているのは、どこかのバカだけ。
その結果が「今」ということになる。
そしてさらに悪いことに、この「現実」は、一度、国家経済を破綻させないかぎり、
変らない。
つまりそこまで日本の国家財政は、悪化している!

 ギリシャでは、連日公務員たちによるストライキがつづいている。
給料が40%前後にまで減らされたとか。
が、40%前後なら、まだよいほう。
一般大衆は、収入がさらに減って、青息吐息。
日本もやがて、そうなる。
つまりそのツケは、組織も力もない、私たち一般民衆がかぶることになる。

●薄氷の上でダンス

 現在、世界中の国々が、我も我もと、札を印刷して、市中にどんどんとばらまいている。
08年のリーマンショック以来、この日本でも、ジャブジャブにばらまいている。
が、一向に円安に向かわない。
向かわないということは、それ以上に、世界中が札をばらまいているということ。

 韓国経済も中国経済も、現在、バブル状態。
土地の値段にしても、この数年だけで、7~8倍前後に高騰している。

(7~8倍という数字がどういうものかは、あなた自身が今住んでいる家の土地で考えて
みればわかるはず。
現在、私が住んでいる家の土地の売買価格は、坪30万円前後。
それが240万円になるに等しい。
あの日本のバブル経済のときですら、100万円が最高額だった。)

本来ならそれぞれの国の中央銀行が金利を引き上げ、札を印刷する輪転機を
止めなければならない。
が、それもできない。
止めた国から順に、奈落の底へと落ちていく。

 その1番手が、ギリシャ。
つづいてポルトガルとアイスランド。
スウェーデンもあぶない。
中国にしてもいつまでもつか、わからない。
中国がこければ、もちろん日本もこける。
世界中が今、薄い氷の上で、狂ったように踊りまくっている。

●ハイパーインフレ

 金(ゴールド)が暴騰しつづけている。
原油も、このところ上昇傾向にある。
アルミ、銅などの先物価格も、この数か月で、最高値を示しつつある。
簡単に言えば、ジャブジャブになったお金(マネー)が、現物に回り始めている。
「回る」というより、「逃避」と書くべきか。

 ただひとつはっきりしていることは、そのあと世界中を、ハイパーインフレが
襲ってくるということ。
やがてこの日本でも、ラーメン一杯が、2万円、3万円となる。
あるいはそうでもならないかぎり、今の「ジャブジャブ状態」は、解消されない。
が、これは予想でも予言でもない。
現実に今、そうなりつつある。

●結論
 
 「老後問題」を書いているうちに、いつの間にか「経済問題」になってしまった。
言うなれば、老後問題イコール、経済問題。
経済問題のひとつが、老後問題ということになる。
つまりあくまでも、老後問題は経済問題の一部分。

 冒頭にあげた、ある雑誌に載っていたモデルケース。
それを読んでいたとき、私は別の心で、「?」と思った。
その理由のひとつが、ここに書いた経済問題ということになる。

 けっしてそうなればよいと願っているのではない。
しかしこの日本でも、やがてすぐ公務員たちが、ストライキをするようになる。
給料を40%に減らされ、年金を半額にされた元公務員たちが・・・。
が、それ以上に、社会のどん底に叩き落とされるのが、私たち一般大衆ということに
なる。
そのことは今のギリシャの現状を見ればわかる。
ギリシャの現状は、そのまま日本の近未来図と考えてよい。

 では、どうするか。

 ここでも結論は、ただひとつ。
最後の最後まで懸命に働いて、そのときがきたら、ポックリと死ぬ。
ひとつだけ条件があるとするなら、「健康」。
何とか健康だけは、維持する。
最後の最後まで、維持する。
今の私たちに残された道は、もう、それしかない。

●補記

 ついでに一言。

 「最後の最後まで仕事をする」といっても、老人のばあい、そこに(生きがい)の
問題がからんでくる。
ほとんどの老人は、サラリーマン生活のむなしさを、いやというほど、知っている。
だから「仕事をする」といっても、退職前のようなサラリーマン生活では、満足できない。
できないばかりか、そこに絶望感すら覚える。
「もう、コリゴリ」と。

 そこで「働く」ということを、「生きがい」、さらに「収入」とどう結びつけていくか。
「収入」といっても、多大な期待をしているわけではない。
足りない分は、貯金で補う。
その程度の収入でよい。

私もこの年齢になってはじめてわかったことがある。
それは「遊んで暮らすこと」が、けっして理想の老後生活ではないということ。
またそんなことを繰りかえしていても、むなしいだけ。
「毎日、遊べ」と言われても、遊べるものではない。
若いときは、みなでよくこう言いあった。
「老後は、孫の世話と庭いじり。悠々自適の年金生活」と。
しかしそんな生活に、どんな意味があるというのか。
またそれが老人の魂の救済に、どれほど役に立つというのか。
はっきり言えば、バカげている。

 そこで再び、生きがい論。

 我ら老人組は、風に舞うようなささやかな希望であればよい。
それさえあれば、そこに夢を託し、クモの糸のような細い糸で、それを目的へと
つなげることができる。
ぜいたくは言わないし、言えない。
「ささやかな希望」でよい。
我ら老人組は、それにしがみついて生きる。

・・・とまあ、本当に暗い話になってしまった。
イヤーナ話になってしまった。
私もここまで暗い話を書くつもりは、なかった。
しかしここで重要なことは、ここを原点として、自分たちの未来を前向きに
考えるということ。
「今」が結論ということでもないし、ここで人生が終わるわけでもない。
私たちにはそれぞれ、やるべきことがある。
それをさがしながら、ともかくも前に向かって進む。 
とりあえず、その第一は、「健康」ということになる。
今日もこれから4キロ近くを、ランニングするつもり。
「つもり」ではなく、「する」。
午後は、浜松の凧揚げ祭りを、凧揚げ会場まで歩いて見に行く。
このつづきは、それが終わってから、また書きたい。

 5月3日月曜日、早朝。
みなさん、おはようございます。
ただ今の時刻は、午前6時50分。
ともかくも、今日も始まった。
がんばりましょう。
がんばるしかないのです!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●4月29日(昭和の日)(改)

●歩き方

+++++++++++++++++++

毎朝、起きると同時に、ウォーキングマシンで、
運動をする。
それが1日の始まり。
が、今朝は、とりあえず、10分だけ。
気分があまりよくない。

そのウォーキングマシンを使うようになってから、
1年あまり。
「人の歩行」に興味をもつようになった。

若い人はともかくも、50代、60代の人に
ついては、歩き方を見ると、その人の
健康度を、おおよそ知ることができる。

+++++++++++++++++++++

●ウォーキングマシン

 歩き方にも、いろいろある。
いろいろあることを、ウォーキングマシンを使うようになってから、知った。
専門用語は知らないので、自分流の(用語)を使う。

 まず、私のようにO脚ぎみの人は、足の裏の外側(小指からかかとにかけての外側)
から地面に足をつける。
そのため、歩くとき、ペッタン、ペッタン・・・というような音がする。

 そこで歩き方を変える。
足の裏の内側(親指からかかとにかけての内側)から地面に足をつける。
とたんにスタスタ・・・という感じになる。

 つぎに大切なのは、大またで歩くこと。
大またで歩こうとすると、ウォーキングマシンの性質として、さらに足を後方へ、
ぐいぐいと引っ張ってくれる。
床が電動で回転している。
それが相乗効果となって、ますます大またで歩くようになる。

 で、こうして自分の歩き方を矯正しながら、20分も歩いていると、
背中の下部から上部にかけて、ジワーッと、血が上ってくるのがわかる。
東洋医学では「気」という。
それが首筋あたりまで、上ってくるのがわかる。
同時に、ぼんやりとした頭がすっきりしてくる。

 最後は軽くジョギング風に早足で歩いて、すます。
が、このときも、つま先で走るようにする。
ひざをできるだけ高くもちあげて走るようにする。
これを1~2分するだけで、とたんにウォーキングが、有酸素運動に変わる。
ハーハーとあえぐようになる。
少し暖かい日だと、汗が上半身ににじみ出てくる。

●老人の歩き方

 で、私はこの半年ほど、通りで歩いている人を見かけると、その人を観察するように
なった。

 まず若くて健康な人だが、そういう人は、つま先を使って、ひざを高くあげて
歩いているのが、わかる。
反対に老人になればなるほど、足のかかとのほうを使って、足を引きずるように
して歩いているのが、わかる。
ひざもあがらない。

 さらに何らかの脳の病気をかかえている人は、それぞれ独特の歩き方をする。
たとえばP病の人は、足がもつれるような歩き方をする。
前かがみになって、小またで歩く。
脳梗塞の人は、片方の足を、腰の回転をうまく使って、前へ差し出すようにして歩く、
などなど。
腰痛もちの人は、腰痛をかばうような歩き方をするし、骨に異常のある人は、腰を
曲げて歩く。
またひざに故障がある人は、脚そのものが、外側に大きく歪曲する。
ヨタヨタした歩き方になる。

 だから……というわけでもないが、私はひとつの健康法を編み出した。
その第一。
大またで、足をまっすぐ前に差し出して歩く。
足をまっすぐ伸ばして歩くことも、大切。
あとはつま先をよく使い、軽くかかとをあげながら、歩く。
(つま先で歩いていると、アキレス腱の上部のふくらはぎがあとで痛むこともあるが、
それはよい徴候とみる。)
さらにひざを高くあげながら、歩く。
また私のようにO脚気味の人は、足の内側から地面につけるようにし、左右のひざを
できるだけ近づけて歩くとよい。

 ……以上のことを、日常的に心がける。
それがウォーキングマシンを使って学んだ、歩き方の健康法ということになる。
なお、近く、乗馬マシンというのも買うつもり。
ときどき近くのショッピングセンターで試乗させてもらっている。
あれはたしかに腰の運動になる。
それを昨日、自分なりに確認した。

 老化は、腰とひざからやってくる。
腰やひざが痛くなってからでは、遅い。
まだ健康なうちから、予防に心がる。

●不気味な足音

 昨日、ギリシアの国家経済が破綻した。
つづいてポルトガル、アイスランドもあぶない。
EU全体も、大きくぐらついている。
しかし忘れてならないのは、この日本もあぶないということ。
「2011年度の予算は成り立たなくなるのでは?」と危惧されている。
この日本は、国家税収(40兆円前後)の大半(38兆円前後)を、公務員の人件費に
投入している。
そのほかの必要経費は、すべて借金。
「国債」という借金で、まかなっている。
こんなメチャメチャな財政運営をしている国は、そうはない。

 が、もし国債が売れなくなったら……つまりお金を貸してくれる人がいなく
なったら、日本は、そのとたん、破産。
予算そのものが、成り立たなくなる。

 それを避けるためには、内需を拡大して、日本経済を活性化させる。
簡単に言えば、みながもっているタンス預金を引き出して、それを市中へ流す。
が、あらゆる指標が、悪いほうへ、悪いほうへと向っている。
日本の国際的格付けも、そのつど、下方修正されている。

 中国のバブル経済もひどいが、韓国のバブル経済も、ひどい。
日本も今、ミニバブルから中型バブルへと向っている。
つまり世界中の国々が、お金をバラまいている。
が、こんなことをつづけていたら、それこそ、世界は、おしまい。
いつか……といっても、その時期はすぐそこまで迫ってきているが、世界経済は、
まとめて破綻する。
世界中の札束が、紙くずと化す。

 どうしたらよいのだろう……?

要するに、個人資産は、私たち個人が守るしかない。
方法については、ここには書けないが、大衆に迎合し、いっしょになって
ザザーッ、ザザーッと動いていたら、そのまま奈落の底に。
08年末のリーマンショックで、金融資産を、100分の1程度にしてしまった
人さえいる。
その人は、1億円の金融資産を、100万円にしてしまった!

 こわいぞ!
今度の嵐は!
中国のバブル経済がはじけたら、ドバイショックの1000倍の威力があるとか
(某経済誌)。
「1000倍」と言われてもピンとこないが、そのあと世界は、未曾有の大恐慌へ
と突入する。
(2010・4・29記)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2010++++++はやし浩司

●生物の「多様性」

(新・進化推論・仮説)

++++++++++++++++++++++

生物は、形質(形態、機能、成分)が似たものどうし、
分けられ、体系づける分類方式がとられている。
これを自然体系(自然分類)という。

「分類階級」は、上位のものから、

「界(かい)」
「門(もん)」
「綱(こう)」
「目(もく)」
「科(か)」
「属(ぞく)」
「種(しゅ)」の順になる。

分類階級が上のものほど、より広い共通点や相違点で
より分けられる。
「種」は生物分類上の基本的な単位で、
通常は、同じ種の個体間でしか繁殖しない。

一方、同じ種でも分布する地域により
色や形に違いがみられ、地域間で異なる
集団と認められる場合、これらを「亜種」という。
(例えば、「ニホンザル」という種に対して、
「ヤクシマザル」は亜種)。
亜種の中で最初に学会に登録されたものを、
「基亜種」という。
(以上、参考、EICネット)

たとえば私たち人間、つまりヒトは、つぎのように
分類される。

「界(かい)」……動物界
「門(もん)」……脊椎動物
「綱(こう)」……哺乳綱
「目(もく)」……サル目
「科(か)」 ……ヒト科
「属(ぞく)」……ヒト属
「種(しゅ)」……サピエンス

「界」より上に、「ドメイン」というのもある。
ヒトは、「真核生物」に分類される。
これに対して大腸菌などは、「細菌」に分類される。

+++++++++++++++++++++

●名倉智道先生からのメール

 昨日、名倉智道先生(浜松市湖西市在住)から、こんなメールが届いた。
先生は、シダ植物の研究家としても、知られている。

「はやし 浩司 様

爽やかで、よい気候となりました。
ここ何日かシダを探して歩いています。歩くといっても1株1株じっくり見るので、とて
も歩くなんて言えたものではありません。まだ新葉の展開中で柔らかく、標本には向かな
い種類がたくさんあります。

気合いを入れて探しているのはイノデという仲間の雑種です。
イノデは「猪の手」が語源で、葉の根元の部分・葉柄に毛のような鱗片というものが沢山
あって、イノシシの手のようだからと名付けられたのです。

このイノデ属は雑種を作りやすいのか多くの雑種が確認されています。今回探しているの
はミウライノデとオオタニイノデです。それぞれの親となるアスカイノデとアイアスカイ
ノデ、それにこの地域では一般的なイノデの3種類が同じ谷間に生育していることは分か
りました。それらを片親とする雑種の存在の可能性が考えられますから、これぞと思う株
をしらみつぶしにあたって見ているのです。雑種は両親種の特徴を併せ持っているので、
検索表などでははっきりと違いが示されています。現物もどちらかなあと迷うタイプは雑
種である可能性を秘めています。

アスカイノデ   × アイアスカイノデ  =  オオタニイノデ
アスカイノデ   × イノデ        =  ミウライノデ
アイアスカイノデ × イノデ      =  ドウリョウイノデ


ところが、経験の少ない小生にはあれもこれも同じように見えたり違うように見えたり、
なかなか判断できません。いきおい沢山の標本を採集することになってしまいます。


1970年代、伊豆で採集した標本まで引っ張り出して「ウンウン」うなりながら見比べ
ています。
昨日は、田原市の百々(どうどう)海岸の谷間へも行ってみました。ここに先に挙げた種
類の混生地だと教えてもらっていたからです。ここでじっくり観察すれば分かるようにな
るはず、そう考えたのです。しかし、現実はそうは甘くありませんでした。
やはり、あれかこれかと迷うばかりなのです。

伊豆の標本、百々海岸の標本をもとに雄踏の採集品を見てみるとオオタニイノデか?と考
えられる株が含まれています。小生の知っているドウリョウイノデという雑種のほかに新
たに記録を加えることができたかも知れません。いずれ分類の専門家に標本を送って同定
してもらうつもりで、結果はそれから先ということになります。

雑種の難しさは、両親種の形質をきっぱり半分ずつを受け継いでいるのではなく、片親か
らもう片方へと移行していることです。人間でも父親似と言えばそうだよなあと感じても
やっぱり母親に似ているところはある、というようなことです。両親から少しずつその形
質をもらっているのですから当然のことです。

探す楽しみはもちろんです。加えて、そうしている間は他のことを全く忘れていること、
気分転換には欠かせません。

近況をお伝えしました。   名倉智道」

●生物の多様性

 私はこれを読んだとき、生物の「多様性」に、改めて驚いた。
「多様性」というのは、進化の過程で、分化と進化を重ね、多様な生物になって
いくという、生物本来の「特質」をいう。
もちろん個体としての特定性を確保し、環境に適応していくためである。

 たとえば海の中には、私たち人間が想像もつかないような生物がいる。
たとえば地上の動物を例にあげてみると、目が口の下についていたり、
耳が顔の真ん中についていたりする、など。
現実にそういう生物がいるというのではない。
それくらい奇想天外な生物がいるということ。
それを「生物の多様性」という。

 が、何も海の生物だけではない。
陸上の生物、しかも植物の中にも、こうした多様性をもった生物がいる。
それがシダ植物ということになる。

 もっとも、「植物」の種類そのものは、多い。
多いが、「歴史※1」「分化の過程がわかっている」「分類学が進んでいる」という
点では、シダ植物にかなうものはない。
シダ植物は、この地球に「緑」が芽生え始めたことから、存在する。

(注※1)
陸上植物の中ではコケ植物がまず現れ、苔類、蘚類、ツノゴケ類の順に古い起源を持つ。
維管束植物は、ツノゴケ類と同一の起源から進化してきたと考えられる(以上、
ウィキペディア百科事典より)。

●シダ植物

 シダ植物(真葉シダ植物)の「科」「属」については、現在、
つぎのように分類されている。

(表は、HPのほうに収録。
BLOG、メールのほうでは、ハナヤスリ科のみを例とあげて、
あとは省略。

(科)              (属)
ハナヤスリ科          ハナワラビ属
                ミヤコジマハナワラビ属
                ハナヤスリ属

(以下、30種以上の「科(か)」および100種類の「属」に分類。)
   
●真葉シダ植物
●多様な植物

 わかりやすく言えば、「種類(種ではない)」の豊富さもさることながら、
特異な生活形態をもっているものも多いということ。

 たとえば、マツバラン類は、ほぼ全体が茎のみからなり、根も、葉もない、
構造は茎だけで、葉がなく、地中に向かって伸び、その「上に」、根を生ずるもの
もあるという(担根体)。
しかもクラマゴケ類では、根に見える根をもつが、ミズニラ類では、短くつまった
形であるという。
さらに、茎が「限定成長」し、その上に、「胞子葉と栄養葉」をつけるものもあると
いう。

 これだけでも私たちがもっている植物観をひっくり返すには、じゅうぶんである。
(参考:ウィキペディア百科事典)

●仮説

 そこで私のもった仮説というのは、こうだ。

あるひとつの生物が、ひとつの「目(もく)」から、10の「科(か)」に進化、
分化したとする。 
さらにひとつの「科(か)」から、10の「属(ぞく)」に進化、分化したとする。
で最終的に、ひとつの「属(ぞく)」から、10の「種(しゅ)」に進化、分化した
とする。

 これを短冊様に並べると、つぎのようになる。

1つの目(もく)→10の「科(か)」→100の「属」→1000の「種」。

 実際には、数字がこれほど単純に表されるわけではない。
あくまでも仮定として、そう考える。

 で、現在、シダ植物に、100の属があり、1000の種があったと仮定する。
その「100」という数字と、「1000」という数字で、シダ植物の「歴史」を
割ってみる。

(植物の起源は、古生代オルドビス紀~デボン紀までさかのぼることができる。
そのころ世界最古の陸上植物の化石が見つかっている。
シダ植物が地上に現われるのは、そのつぎの「石炭紀」ということになる。
このころ、初期の木本性植物、前裸子植物が地上に現われる。)

 石炭紀というのは、古生代の後半、デボン紀のあと、ペルム紀までの間をいう。
年代的には、3億6700万年前から、2億8900万年前までに当たる。
このころ、昆虫や両生類が誕生し、つづいて爬虫類も誕生した。

 平均して、「3億年」とする。
(おおざっぱな数字で、ごめん。)

 その3億年を、100で割ると、「属(ぞく)」は、300万年ごとに進化、分化し、
「種(しゅ)」は、30万年ごとに進化、分化するということになる。
つまりこの方法を使えば、進化、分化の過程を、「定数的」に、表示することが
できるようになる。

シダ植物には、その「歴史」があり、また私が知るかぎり、シダ植物ほど、分類学の
進んだ植物は、ほかにない。
シダ植物には、そういう「秘密」と、「秘密を解く鍵」が隠されている。
一説によるとあのダーウィンですら、「忌まわしい植物」と呼んで、シダ植物には、
手をつけなかったという。
あまりにも複雑に分化しているからである。

●あくまでも仮説

 もちろんこれはひとつの仮説であり、仮にシダ植物については正当性をもったとしても、
ほかの植物は、またべつの定数が算出されるかもしれない。
さらに「植物」と「動物」はちがう。

しかし「進化」「分化」が、すでにDNAレベルで予定されたものであるとするなら、
「定数」で表示されても、何ら、おかしくない。
また「突然変異」という言葉もあるように、何らかの外的な影響がDNAレベルに影響を
もたらすということも考えられる。
そうした変数はあるが、それとて「数値化」することは、不可能でない。
それを「変異指数」という。

 つまり生物の多様性と、進化の過程を、「数字」として、公式化することができる。
またそれができると、逆に計算して、生物の未来的進化と分化を、予想することができる。
さらに応用すれば、未知の生物を、公式に従って探し出すことも可能になる。
(もちろん絶滅したものも、あるだろうが……。)

地球規模で、探し出すことも可能になるし、地域規模で、探し出すことも可能になる。
さらに近年のコンピュータ・アルゴリズムを使えば、新種そのものを、コンピュータ上で、
再現することもできる。
(もちろん絶滅したシダ植物を、再現して示すことも可能になる。)

●モンタージュ写真付きの捜索

 名倉智道先生は、そうしたシダ植物の新種の発見に努力している。
が、それはある意味で、地図のない宝探しのようなもの。
が、この公式と定数がわかれば、どの地域に、どの程度の数の未発見のシダ植物があるか、
おおよその見当をつけることができる。

 もちろんそのためには、基礎となるデータが必要である。
「種(しゅ)」「属(ぞく)」「科(か)」「目(もく)」……の、正確な数字がわかればよい。

 つぎにそれぞれのシダ植物の特徴を、できるだけ細かく、短冊化して並べる。
それをコンピュータ・アルゴリズムを使えば、いわゆるミッシングリンクとなっている
シダ植物を、コンピュータ上で、再現できる。
あとは、その再現されたシダ植物を、統計学的な手法を使って、探し出せばよい。
たとえば「A大陸のB地方には、B1種と、B3種のシダ植物が見つかっている。
その間のB2種もあるはず」と。

 つまり地図のない宝探しから、地図と、それにモンタージュ写真付きの情報をもとに、
新種のシダ植物を発見することができる。

 実に突飛もない仮説かもしれないが、名倉智道先生からのメールを読んだとき、
私はそれを真っ先に思いついた。
言うまでもなく、生物のもつ「多様性」は無限であり、それぞれの「種(しゅ)」は、
連続した「リンク」でつながっている。

 ところでもう20年ほども前のことだろうか。
恩師の田丸謙二先生は、私にこう教えてくれた。
「遺伝子工学が、ここまで進歩するとは、思ってもみませんでした」と。
田丸先生が、東大の理学部長をしていたころの時代と比べると、という意味である。
その遺伝子工学を使えば、ミッシングリンクとして、今は絶滅したシダ植物を、
現実の植物として、再出現させることもできるようになるかもしれない。
もっともそこまでできるようになると、おもしろいというよりは、こわい。
それにひょっとしたら、「楽しさ」という点では、地図のない宝探しのほうが、
おもしろいかもしれない。
時間はかかるが、そこにロマンを覚える。

名倉智道先生は、毎週のように、その宝探しを楽しんでいる。

(補記)

名倉智道先生へ、

 以上、この道のド素人が思いつくまま、仮説を立ててみました。
どうか笑わないでください。
しかしいつか本当に、「変異指数」のようなものが、見つかるかもしれませんね。
(あるいはそれよりも先に、人間が人工的に変異種を作り出してしまうかも
しれません。)

 しかしその一方で、生物のもつ多様性が、人間の手で破壊されつつあるというのも、
悲しいことです。
たまたま昨日ですが、夕刊にこんな記事が載っていました。

「生物多様性・国際目標、達成できず」(中日新聞・4月30日)と。

「国連などの科学者の分析によると、個体数の減少が続いている」というのです。
いわく「自然保護区の拡大は進んでいるが、生物種の個体数の減少や、外来種の
増加傾向に歯止めがかからず、『2010年までに生物多様性の損失速度を顕著に
減少させる』との国際目標は、達成できなかったとの分析を、国際環境計画
(UNEP)などの科学者チームがまとめ、アメリカ科学誌サイエンスに30日、
発表した」と。

「・・・生物多様性への圧力に関する、5指標すべてが、悪化傾向で、「生物多様性
の損失が穏やかになる傾向は認められないと結論づけた」とも。

 シダ植物という目立たない植物であるだけに、先生たちのご努力が、しっかりと
実を結ぶことを願ってやみません。
生物の多様性が失われるということは、即、生物体系の崩壊を意味します。

 では、おやすみなさい。
今夜は、ボケ防止のため、劇場で、『ウルフマン』という、まったくナンセンスな
映画を観てきました。
週に1、2度は、劇場に足を運び、脳みそを刺激しています。
観たいとか観たくないとか、そういう選択はしていません。
先週は、『不思議な国のアリス』とか、『タイタンの戦い』とか、途中で眠くなる
ような映画を、がんばって観てきました。

 ついでに星評価をするなら、
『不思議な国のアリス』・・・★★
『タイタンの戦い』  ・・・★★
『ウルフマン』    ・・・★★

 制作技術にはものすごいものがありますが、どれもパッとしません。
あくまでもボケ防止用です。

 おやすみなさい。

 はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 シダ植物 種 属 科 目 仮説 進化仮説 新進化論 生物 多様
性 進化の定数化 進化定数 進化の公式 公式化)

【NG先生から、はやし浩司へ】

はやし浩司 様

おはようございます。
生物多様性の原稿興味深く拝読いたしました。
先生のように自分で考えるということをほとんどしない小生にとっては大変刺激的な内容
でした。

学生のころ「花はなぜ咲くのか?」という植物学上の大きな課題が話題となっていました。
当時はフロリゲンなど開花に作用する物質の研究に関心も多く集まっていたものです。
昆虫では、「蛹から蝶へ」という変化の過程も関心事の一つでした。

こうした一つ一つの事象から生物全体をとらえて論議するようになり、現在では種の分化
に関心が集まっているようです。研究技法としても光学顕微鏡から電子顕微鏡へ、染色体
からDNAへと飛躍的に深化し、ゲノムを語らずに生物のことを語ることができないよう
な状況になってきています。素人には手も足もでない世界となりつつあります。

現に、シダ植物の分類体系も変わりはじめています。これまでの分類表のうちのイノモト
ソウ科だけをとっても新しい説に取って代わろうとしています。
 誤解を恐れず申し上げると「イノモトソウ科」「ホウライシダ科」「シシラン科」に分け
られていたシダ類は一つの系統樹で説明できるようになったというようなことです。

先日、国立科学博物館筑波実験園の主任研究員の方に同行して田原(29日に行った同じ場
所)などを歩きました。その折、ゲノムの解析が進んでコケシノブ類も大きく書き換えら
れたたと聞きました。その研究を行った研究員に現物を同定してもらえば完璧のように思
えるのですが、実は「見た目だけだは100%同定することは難しい」というのです。研
究者ですら肉眼での同定は困難な時代となって、ゲノムに頼らねばならないのだそうです。

これまでに刊行されている図鑑は、名前を調べるだけならいざ知らず、学名まで必要な人
たちにはすでに役にたたなくなってきているようです。

この先、ゲノム解析が一段落すると、いよいよ分化についての研究が本格化するのでしょ
うか。なぜ、その姿にならなくてはいけなかったのか、地域による変異の問題など興味は
尽きません。しかし、素人が趣味で取り組むには高度になりすぎてしまいます。

NG


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