●マザコン女性(子離れできない母親、親離れできない娘)
●11月10日(隠れマザコン、マザコン女性と、子離れできない母親の問題)
●iPad
昨日、ワイフと2人で駅前のBカメラへ行ってきた。
iPadが置いてあった。
手にとってながめていると、店員が寄ってきて、あれこれ説明してくれた。
iPad……わかりやすく言えば、キーボードがないミニパソコン。
画面がタッチパネルになっている。
画面にタッチして、操作する。
もちろんワープロにもなる。
で、デザインの斬新さに、改めて驚く。
バッテリーも10時間近くもつという。
値段は、5万円弱。
「ほしいなあ~」と思ったが、そこまで。
オプションとして、携帯用のキーボードが付けられるという。
それを知ってワイフが、「だったら、ミニパソコンを買えばいい」と。
同感!
とたんに頭の中から、「欲しい」という思いが、スーッと萎(な)えていった。
●iPhone
似たような製品に、iPhoneがある。
こちらはiPadを、小型化したもの。
携帯電話としても使える。
しかし……。
今まで、私は何度新製品に飛びついてきたことか。
が、そのつど、数週間もすると、飽きてしまったことか。
ここでiPhoneに飛びついたら、同じ愚を犯すことになる。
ここはグイとがまんのとき。
iPadにせよ、iPhoneにせよ、すぐまた飽きるに決まっている。
で、今度、M社から、新しいデスクトップパソコンが発売になった。
OSは、SDカードに格納。
そのほかはハードディスクに格納。
それによってパソコンの起動が格段に速くなる、とか。
で、いろいろなオプションをつけて概算を出してもらったら、21万円弱。
買うなら、こちら。
来年の夏までには、新型パソコンに乗り換えたい。
●帰り道
Bカメラからの帰り道。
ワイフと、こんな会話をした。
ワ「でも、iPadってかっこいいわね」
私「そうなんだよな。60歳を過ぎたジーさんが、バッグからiPadを取り出して、
おもむろにネットに接続する。……なっ、想像するだけもかっこいいだろ?」
ワ「そうよ、何も若い人たちに遠慮することは、ないわよ」と。
若い人たちは、老人というのは、そういうものと思い込んでいる。
つまり「老人にiPadは、似合わない」と。
一方、老人は、自分でそういうものと思い込んでいる。
つまり「iPadのようなものは、若い人たちのもの」と。
しかしこれはとんでもない、誤解。
まちがい。
日本人は、古来、「型」が好き。
何でも型に押し込めたがる。
またその型に入ることによって、安心感を覚える。
若い人には若い人の「型」があり、老人には老人の「型」がある、と。
しかし人間には、「型」はない。
老いも若きもない。
むしろ逆。
老人になればなるほど、新しいものに興味をもち、自分のものにしていく。
そういう「力」で若い人たちを、圧倒していく。
言い替えると、老人の存在感を、もっと高める。
……と、少し力(りき)んで書いてみた。
偉そうなことを書いたが、私は結局は、iPadを買わなかった。
雑誌などによると、当初のiPad人気は、現在急速に色あせてきているという。
在庫もかなりたまっているらしい。
「おとなのおもちゃに過ぎない」と書いた記事を、どこかで読んだこともある。
「そういうものだろうな」と思ったところで、この話は、おしまい。
その夜は、枕元にミニパソコンを2台、並べて寝た。
Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司
【R天へのコメントより】
●隠れマザコン(=女性のマザコン)
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マザコンというと、男性だけの問題と
考える人は多い。
しかし女性にも、同じくらい、あるいは
それ以上に多い。
称して「隠れマザコン」(=はやし浩司の造語)。
R天BLOGにこんなコメントが寄せられて
いた。
いわく、
『……ここしばらく「親離れ子離れ」ということについてチト頭をとられています。
カミサンとカミサンの母親がその関係で、どうもこの先よからぬ・・・ と杞憂しております。
カミサンはそのあたりを少しわかってきたのか上手に離れるようにしているので、まぁこちらは時間をかければうまくいきそう。 ・・だといいな。
が、カミサンの母親がいけない。
40年近くも娘を手元に置いていたから完全に頼り切ってしまっている。
実家に遊びにいくと分かるのだが、手より口が動くタイプなんですな。
カミサンの身の回りトラブルで話し合いにいくと毎回娘(カミサン)をかばうことばかりなんで、こりゃマズイなぁ~と思っておりました。
もっともこんなハナシはアダムとイヴのころからあるでしょうから別にワタクシだけってことでもないかと思います。
問題は「親離れ子離れ」の先にある子供を育てていくということを気にしています。
「子供の手本をみせられない」
「叱ることのできない」
等々、親として「それはどうよっ」と思うのです。
もっともなるようにしかならないんでしょうが』と。
●隠れマザコン
隠れマザコン(マザコン女性)については、たびたび書いてきた。
いくつか原稿をさがしてみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【マザーコンプレックス】
●依存と愛情(Mother Complex)
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「マザコン」というと、男性だけにある
特異な現象と思っている人は多い。
しかし女性にも、マザコンの人は
いくらでもいる。
同性というだけで、目立たない。
これについては、何度も書いてきた。
ここでは、さらにもう一歩、話を進めて
みたい。
これには男性も女性も関係ないが、
母親にベタベタと甘えているからといって、
それだけ、母親への愛情が深いかという
と、そういうことはない。
マザコン性というのは、母親への依存性を
いう。
依存性イコール、愛情の深さではない。
よくあるケースは、それまではマザコンで
あった女性が、母親が認知症になったとたん、
母親への虐待し始めるというもの。
依存できなくなったときが、縁の切れ目(?)
ということか。
もちろん、中には、そのままの状態で、見た目には
良好な(?)人間関係をつづける親子もいる。
しかしそういうケースは、少ない。
つまりマザコンタイプの人は、常に「理想の
女性像(マドンナ)」を、母親に求める。
母親は、常に、その理想の女性でなければ
ならない。
が、母親がその期待(?)に応えられなく
なったとき、マザコンタイプの人は、それを
すなおに受け入れることができない。
あるいはそれを許すことができない。
たいてい、その段階で、はげしく葛藤する。
ある女性(60歳くらい)は、自分の母親が
認知症になりつつある段階で、そのつど、
パニック状態になってしまった。
母親が、就寝中に尿を漏らしただけで、親戚中に
電話をかけたりした。
「お母さんが、オシッコを漏らしたア~!」と。
が、先にも書いたように、依存性イコール、愛情の
深さではない。
たとえば夫婦についても、そうで、配偶者に
強い依存性があるからといって、つまり見た目には
ベタベタに仲のよい夫婦に見えたとしても、
たがいに深い愛情があるとはかぎらない。
言うまでもなく、「愛」というのは、どこまで
相手を「許して忘れるか」、その度量の深さで決まる。
つまりその分だけ、愛には、常に孤独と苦しみが
ともなう。
さらに言えば、愛には熟成期間が必要。
たがいに困苦を乗り越え、その結果として、
人は「愛」を自覚することができるようになる。
一方、依存性は、その人自身の情緒的欠陥、精神的
未熟性に起因する。
情緒的欠陥、精神的未熟性をカバーするために、
相手、つまり母親(父親、配偶者)に依存する。
「母親に依存する」ということと、「母親を愛する」
ということは、まったく異質なものである。
このことは子どもの世界を見れば、よくわかる。
親に依存している子どもは多いが、親を愛している
子どもというのは、皆無とみてよい。
あっても、「思いやり」程度。
たとえば病気になった親を、看病するとか、など。
年少の子どもであれば、なおさらである。
子どもが「愛」を自覚するのは、思春期前夜から
思春期にかけてである。
また話は少しそれるが、よく「マザコン男性ほど、
離婚率が高い」と、言われる。
それもそのはずで、つまりその分だけ、マザコン男性は、
配偶者に、理想の女性(マドンナ)像を求めすぎる。
あるいは押しつけすぎる。
それが夫婦の間に、キレツを入れる。
さらにマザコンタイプの人ほど、自分がマザコン的で
あることを正当化したり、ごまかすため、
母親を、ことさら美化する傾向が強い。
(ファザコンも同じように考えてよい。)
「私の親を批判したり、悪口言ったりするヤツは、
たとえ女房、子どもでも許せない」と息巻くのは、
たいていこのタイプの男性と考えてよい。
(男性にかぎらない。女性でもよい。)
話をもどす。
人間関係、とくに親子関係、夫婦関係を見るときは、
この(依存)と(愛情)に焦点をあてて考えて
みるとよい。
また別の人間関係が見えてくるはず。
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以前書いた原稿を添付します。
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●マザコンの果てにあるもの
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マザコンについて、補記します。
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子どもをでき愛する親は、少なくない。しかしでき愛は、(愛)ではない。自分の心のすき間を埋めるために、親は、子どもをでき愛する。自分の情緒的不安定さや、精神的欠陥を補うために、子どもを利用する。つまりは、でき愛の愛は、愛もどきの、愛。代償的愛ともいう。
これについては、何度も書いてきたので、ここでは、省略する。
でき愛する親というのは、そもそも、依存性の強い親とみる。つまりそれだけ自立心が弱い。で、その結果として、自分の子どもがもつ依存性に、どうしても、甘くなる。このタイプの親は、自分にベタベタ甘えてくれる子どもイコール、かわいい子イコール、いい子と考えやすい。
そのため自分にベタベタ甘えるように、子どもを、しむける。無意識のまま、そうする。こうしてたがいに、ベタベタの人間関係をつくる。
いわゆるマザコンと呼ばれる人は、こういう親子関係の中で生まれる。いくつかの特徴がある。
子どもをでき愛する親というのは、でき愛をもって、親の深い愛と誤解しやすい。でき愛ぶりを、堂々と、人の前で、誇示する親さえいる。
つぎにでき愛する親というのは、親子の間に、カベがない。ベタベタというか、ドロドロしている。自分イコール、子ども、子どもイコール、自分という、強い意識をもつ。ある母親は、私にこう言った。
「息子(年中児)が、友だちとけんかをしていると、その中に割りこんでいって、相手の子どもをなぐりつけたくなります。その衝動をおさえるのに、苦労します」と。
本来なら、こうした母子間のでき愛を防ぐのは、父親の役目ということになる。しかし概して言えば、でき愛する母親の家庭では、その父親の存在感が薄い。父親がいるかいないかわからないといった、状態。
で、さらに、マザコンというと、母親と息子の関係を想像しがちだが、実は、娘でも、マザコンになるケースは少なくない。むしろ、息子より多いと考えてよい。しかも、息子がマザコンになるよりも、さらに深刻なマザコンになるケースが多い。
ただ、目だたないだけである。たとえば40歳の息子が、実家へ帰って、70歳の母親といっしょに、風呂に入ったりすると、それだけで大事件(?)になる。が、それが40歳の娘であったりすると、むしろほほえましい光景と、とらえられる。こうした誤解と偏見が、娘のマザコン性を見逃してしまう。
……というようなことも、何度も書いてきたので、ここでは、もう少し、先まで考えてみたい。
冒頭にも書いたように、でき愛は(愛)ではない。したがって、それから生まれるマザコン性もまた、愛ではない。
子どもをでき愛する親というのは、無私の愛で子どもを愛するのではない。いつも、心のどこかで、その見返りを求める。
ある母親は、自分の息子が、結婚して横浜に住むようになったことについて、「嫁に息子を取られた」と、みなに訴えた。そしてあちこちへ電話をかけて、「悔しい、悔しい」と、泣きながら、自分の胸の内を訴えた。
で、今度は、その反対。
親にでき愛された子どもは、息子にせよ、娘にせよ、親に対して、ベタベタの依存性をもつ。その依存性が、その子どもの自立をはばむ。
よく誤解されるが、一人前の生活をしているから、自立心があるということにはならない。マザコンであるかどうかというのは、もっと言えば、親に依存性がもっているかどうかというのは、心の奥の内側の問題である。外からは、わからない。
一流会社のバリバリ社員でも、またいかめしい顔をした暴力団の親分でも、マザコンの人はいくらでもいる。
で、このマザコン性は、いわば脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、本人自身が、それに気づくことは少ない。……というより、まず、ない。だれかが、その人のマザコン性を指摘したりすると、こう答えたりする。
「私の母は、それほどまでにすばらしい人だからです」「私の母は、世の人のためのカサになれと教えてくれました」と。
つまりマザコンの人は、息子であるにせよ、娘であるにせよ、親に幻想をいだき、親を絶対視しやすい。美化する。親絶対教の信者になることも少なくない。つまり、自分のマザコン性を、正当化するために、そうする。
で、その分だけ、親を愛しているかというと、そうでもない。でき愛で愛された子どももまた、同じような代償的愛をもって、それを(親への深い愛)と、誤解しやすい。
本来なら、子どもは、小学3、4年生ごろ(満10歳前後)で、親離れをする。また親は親で、子どもが中学生くらいになったら、子離れをする。こうしてともに、自立の道を歩み始める。
が、何らかの理由や原因で、(多くは、親側の情緒的、精神的問題)、その分離がままならなくなることがある。そのため、ここでいうベタベタの人間関係を、そのまま、つづけてしまう。
で、たいていは、その結末は、悲劇的なものとなりやすい。
80歳をすぎて、やや頭のボケた母親に向って、「しっかりしろ」と、怒りつづけていた息子(50歳くらい)がいた。
マザコンの息子や娘にしてみれば、母親は絶対的な存在である。宗教にたとえるなら、本尊のようなもの。その本尊に疑いをいだくということは、それまでの自分の生きザマを否定することに等しい。
だからマザコンであった人ほど、母親が晩年を迎えるころになると、はげしく葛藤する。マザコンの息子にせよ、娘にせよ、親は、ボケてはならないのである。親は、悪人であってはならないのである。また自分の母親が見苦しい姿をさらけ出すことを、マザコンタイプの人は、許すことができない。
そして母親が死んだとする。依存性が強ければ強いほど、その衝撃もまた、大きい。それこそ、毎晩、空をみあげながら、「おふくろさんよ、おふくろさ~ん」と、泣き叫ぶようになる。
さらにマザコンタイプの男性ほど、結婚相手として、自分の母親の代用としての妻を求めるようになる。そのため、離婚率も高くなる。浮気率も高くなるという調査結果もある。ある男性(映画監督)は、雑誌の中で、臆面もなく、こう書いている。
「私は、永遠のマドンナを求めて、女性から女性へと、渡り歩いています」「男というのは、そういうものです」と。(自分がそうだからといって、そう、勝手に決めてもらっては、困るが……。)自ら、「私は、マザコンです」ということを、告白しているようなものである。
子育ての目的は、子どもをよき家庭人として自立させること。子どもをマザコンにして、よいことは、何もない。
(はやし浩司 マザコン 息子のマザコン 娘のマザコン 代償的愛 親の美化 偶像化)
【補記】
【マザコンの問題点】
(親側の問題)
(1)情緒的未熟性、精神的欠陥があることが多い。
(2)その時期に、子離れができず、子どもへの依存性を強める。
(3)生活の困苦、夫婦関係の崩壊などが引き金となり、でき愛に走りやすい。
(4)子どもを、自分の心のすき間を埋めるための所有物のように考える。
(5)親自身が自立できない。子育てをしながら、つねに、その見返りを求める。
(6)父親不在家庭。父親がいても、父親の影が薄い。
(7)でき愛をもって、親の深い愛と誤解しやすい。
(8)親子の間にカベがない。子どもがバカにされたりすると、自分がバカにされたかのように、それに猛烈に反発したり、怒ったりする。
(9)息子の嫁との間が、険悪になりやすい。このタイプの親にとっては、嫁は、息子を奪った極悪人ということになる。
(息子側の問題)
(1)親に強度の依存性をもつ。50歳をすぎても、「母ちゃん、母ちゃん」と親中心の生活環境をつくる。
(2)親絶対教の信者となり、親を絶対視する。親を美化し、親に幻想をもちやすい。
(3)結婚しても、妻よりも、母親を優先する。妻に、「私とお母さんと、どちらが大切なのよ」と聞かれると、「母親だ」と答えたりする。
(4)妻に、いつも、母親代わりとしての、偶像(マドンナ性)を求める。
(5)そのため、マザコン男性は離婚しやすく、浮気しやすい。
(6)妻と結婚するに際して、「親孝行」を条件にすることが多い。つまり妻ですらも、親のめんどうをみる、家政婦のように考える傾向が強い。
(娘側の問題)
(1)異常なマザコン性があっても、周囲のものでさえ、それに気づくことが少ない。
(2)母親を絶対視し、母親への批判、中傷などを許さない。
(3)親絶対教の信者であり、とくに、母親を、仏様か、神様のように、崇拝する。
(4)母親への犠牲心を、いとわない。夫よりも、自分の生活よりも、母親の生活を大切にする。
(5)母親のまちがった行為を、許さない。人間的な寛容度が低い。母親を自分と同じ人間(女性)と見ることができない。
(6)全体として、ブレーキが働かないため、マザコンになる息子より、症状が、深刻で重い。
(はやし浩司 マザコン マザコンの問題点 娘のマザコン マザコン息子 マザコン娘
はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 隠れマザコン 女性のマザコン)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●コメント
冒頭にあげた男性は、妻のマザコン、子離れできない妻の母親を問題にしている。
が、この問題だけは、相互の「依存性」がからんでいるだけに、解決は容易ではない。
つまり「精神の未熟性」がからんでいるだけに、解決は容易ではない。
まず本人がそれに気づくことが重要だが、実際には、そういう関係であることを、
「いい関係」と誤解しているケースが多い。
「親孝行の子」「子を思う親の深い愛」と。
コメントを書いた男性は、こう言っている。
『……カミサンはそのあたりを少しわかってきたのか上手に離れるようにしているので、まぁこちらは時間をかければうまくいきそう。 ・・だといいな』と。
つまり時間をかけて、少しずつ、親に子離れを促していく。
どうやらそれしか方法は、ないようだ。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 子離れできない親 子離れできない母親)
Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司
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