Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, November 03, 2010

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●私の教室では・・・

 今、多くの幼児を教えさせてもらっている。
で、あのピアジェも、人間は、2度、作りかえるチャンスが
あるというようなことを説いている。
一回目は、1・5歳~2歳前後※。
しかしこれは私の専門外。

 もう1度は、4~5歳※にかけての時期。
(※年齢は、記憶によるものなので、不正確。)
これについては、私も納得する。

この時期に適切な指導をすれば、心の開けない子どもでも、心を
開くことができるようになる。
子ども自身が、大きく変化する。

 もちろんそんなことは親には言わない。
言っても理解されないだろう。
しかし私はそういう子どもを知ると、猛烈な指導意欲が
わいてくる。
それは自分自身との闘いのようなもの。
そしてこう思う。
「ぼくが直して(治して)やろう!」と。

 不幸にして不幸な家庭に生まれ育ち、(けっして
見た目の裕福さにだまされてはいけない)、心が
開けなくなった子どもは、多い。
そういう子どもを見かけると、とても他人ごとのように
思えなくなる。

●知っているのは、私だけ

 もちろん子ども自身も、それに気がつくことはない。
仮に開けるようになったとしても、私のおかげで
そうなったとは、思わない。
ただ自分が味わった不幸、現在進行形でつづいている
不幸だけは、経験させたくない。
そういう思いが、強く働く。

 方法は、簡単。
大声でゲラゲラと笑わせる。
言いたいことを言わせる。
心の状態と表情を一致させる。

 が、この時期を逃したら・・・。
この問題にも臨界期のようなものがあって、それ以後、
心を開くようになるのは、たいへんむずかしい。

●終わりに・・・

 ほとんどの人は、「私は私」と思っている。
しかしその「私」は、けっして私ではない。
繰り返しになるが、私のばあいも、日々に襲いくる不安感と
焦燥感。
いまだにそれに苦しんでいる。
人を信じられない孤独感を、どうしようもないでいる。

 が、それが本当の「私」かというと、そうは思いたくない。
そういう「私」は、環境の中で、作られた「私」でしかない。
私は、作られた「私」にあやつられているだけ。

 ……ということで、ここでの結論。

●結論

 まず、そういう「私」であることを知ること。
そういう「私」で知った上で、そういう「私」と、うまくつきあうこと。
直そうとおもって、直るものではない。
直そうともがけばもがくほど、深みにはまってしまう。

この問題は、本能に近い部分にまで、刻み込まれている。
また前頭連合野の理性で、コントロールできるような問題もない。
だから、あとは、うまくつきあっていくしかない。
つまり居直る。
「私は、こういう私」と居直る。

 だれしもこの程度の十字架の、1本や2本を背負っている。
十字架を背負っていない人はいない。
まずいのは、そういう「私」がいることに気づかず、それに振り回される
こと。
同じ失敗を繰り返すこと。

このエッセーが、あなたの中の「私」を発見するための手がかりになれば、
うれしい。

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以前書いた原稿を、1作、
添付します。
内容がダブりますが、お許しください。

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【基本的信頼関係】



信頼関係は、母子の間で、はぐくまれる。



絶対的な(さらけ出し)と、絶対的な(受け入れ)。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味である。こうした相互の関係が、その子ども(人)の、信頼関係の基本となる。



 つまり子ども(人)は、母親との間でつくりあげた信頼関係を基本に、その関係を、先生、友人、さらには夫(妻)、子どもへと応用していくことができる。だから母親との間で構築される信頼関係を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。



 が、母子との間で、信頼関係を結ぶことに失敗した子どもは、その反対に、「基本的不信関係」に陥(おちい)る。いわゆる「不安」を基底とした、生きザマになる。そしてこうして生まれた不安を、「基底不安」という。



 こういう状態になると、その子ども(人)は、何をしても不安だという状態になる。遊んでいても、仕事をしていても、その不安感から逃れることができない。その不安感は、生活のあらゆる部分に、およぶ。おとなになり、結婚してからも、消えることはない。夫婦関係はもちろんのこと、親子関係においても、である。



 こうして、たとえば母親について言うなら、いわゆる不安先行型、心配先行型の子育てをしやすくなる。



●基底不安



 親が子育てをしてい不安になるのは、親の勝手だが、ほとんどのばあい、親は、その不安や心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。



 しかし問題は、そのぶつけることというより、親にその自覚がないことである。ほとんどの親は、不安であることや、心配していることを、「ふつうのこと」と思い、そして不安や心配になっても、「それは子どものため」と思いこむ。



 が、本当の問題は、そのつぎに起こる。



 こうした母子との間で、基本的信頼関係の構築に失敗した子どももまた、不安を基底とした生きザマをするようになるということ。



 こうして親から子どもへと、生きザマが連鎖するが、こうした連鎖を、「世代連鎖」、あるいは「世代伝播(でんぱ)」という。



 ある中学生(女子)は、夏休み前に、夏休み後の、実力テストの心配をしていた。私は、「そんな先のことは心配しなくていい」と言ったが、もちろんそう言ったところで、その中学生には、説得力はない。その中学生にしてみれば、そうして心配するのは、ごく自然なことなのである。

(はやし浩司 基本的信頼関係 基底不安)





●人間関係を結べない子ども(人)



人間関係をうまく結ぶことができない子どもは、自分の孤独を解消し、自分にとって居心地のよい世界をつくろうとする。その結果、大きく分けて、つぎの四つのタイプに分かれる。



(1)攻撃型……威圧や暴力によって、相手を威嚇(いかく)したりして、自分にとって、居心地のよい環境をつくろうとする。

(2)依存型……ベタベタと甘えることによって、自分にとって居心地のよい環境をつくろうとする。

(3)服従型……だれかに徹底的に服従することによって、自分にとって居心地のよい環境をつくろうとする。

(4)同情型……か弱い自分を演ずることにより、みなから「どうしたの?」「だいじょうぶ?」と同情してもらうことにより、自分にとって、居心地のよい世界をつくろうとする。



それぞれに(プラス型)と、(マイナス型)がある。たとえば攻撃型の子どもも、プラス型(他人に対して攻撃的になる)と、マイナス型(自虐的に勉強したり、運動をしたりするなど、自分に対して攻撃的になる)に分けられる。



 スポーツ選手の中にも、子どものころ、自虐的な練習をして、有名になった人は多い。このタイプの人は、「スポーツを楽しむ」というより、メチャメチャな練習をすることで、自分にとって、居心地のよい世界をつくろうとしたと考えられる。



●子どもの仮面



 人間関係をうまく結べない子ども(人)は、(孤立)と、(密着)を繰りかえすようになる。



 孤独だから、集団の中に入っていく。しかしその集団の中では、キズつきやすく、また相手をキズつけるのではないかと、不安になる。自分をさらけ出すことが、できない。できないから、相手が、自分をさらけ出してくると、それを受入れることができない。



 たとえば自分にとって、いやなことがあっても、はっきりと、「イヤ!」と言うことができない。一方、だれかが冗談で、その子ども(人)に、「バカ!」と言ったとする。しかしそういう言葉を、冗談と、割り切ることができない。



 そこでこのタイプの子どもは、集団の中で、仮面をかぶるようになる。いわゆる、いい子ぶるようになる。これを心理学では、「防衛機制」という。自分の心がキズつくのを防衛するために、独特の心理状態になったり、独特の行動を繰りかえすことをいう。



 子ども(人)は、一度、こういう仮面をかぶるようになると、「何を考えているかわからない子ども」という印象を与えるようになる。さらに進行すると、心の状態と、表情が、遊離するようになる。うれしいはずなのに、むずかしい顔をしてみせたり、悲しいはずなのに、ニンマリと笑ってみせるなど。



 この状態になると、一人の子ども(人)の中に、二重人格性が見られるようになることもある。さらに何か、大きなショックが加わると、人格障害に進むこともある。