Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, December 21, 2010

●12月22日、あれこれ

●12月20日、夜記

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PSPを使っての将棋は、連戦連勝。
しかし画面が小さく、私には見づらい。
根を詰めて指していると、すぐ頭が痛くなる。
これはどういう理由によるものなのか。

だからそのつど1試合が、限度。
間に1時間以上の休憩が必要。
・・・というより、将棋ばかりしている暇はない。
楽しいが、そこまで。

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●失聴

 左の耳が聞こえなくなって、もう20年以上になる。
「突発性~~」という病名が使われ始めたころのことである。
正月も近いというある夜、左耳が焼けるように痛くなった。
熱もあった。
それが一昼夜つづいた。
いろいろな薬をのんだ。
扁桃腺か風邪かと思った。
が、その熱が冷めたとき、左耳は聴力を失っていた。

 で、左耳というのは、右脳に直結している。
身体の神経と脳の神経は、左右逆に交差している。
その右脳は、音楽やグラフフィックなど、アナログ的な働きを得意とする。
一方左脳は、論理や分析、言語や計算などの、デジタル的な働きを得意とする。
だから芸術家には、左利きが多いとよく言われる。
一方、作家や数学者には、右利きが多いとよく言われる。
もっともこの日本では、以前は、左利きは全体の5%前後と言われていた。
左利きは、嫌われていた。
左利きの子どもは、無理に矯正された。
が、実際には、左利きにしても、人類の約5%が、左利きといわれている
(日本人は3~4%)。
原因は、どちらか一方の大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。
親からの遺伝という遺伝説。
生活習慣によって決まるという生活習慣説などがある。

 それはともかくも、左耳を失聴してから、ステレオ音楽がわからなくなった。
音の方向もわからなくなった。
教えていて困るのが、これ。
幼児の声は、みな、よく似ている。
口の動きをみて、その子どもがしゃべっていると知る。
が、もっと困ることがある。

 たとえば一方向から、親の声と子どもの声が、耳に入ったとする。
こういうばあい、頭の中で、音を分離できない。
できないから、親の声と子どもの声が、混ざって聞こえる。
あるいは講演会の席などで、だれかが質問したとする。
そのとき講演会の外を走る車の音と、質問の声がまざって聞こえる。
つまり大きい音に小さい音が、負けてしまう。
質問した人の声が小さいと、声を聞き取れなくなる。

●右脳vs左脳

 さらに論理的に考えると、こうなる。
左耳が聞こえないということは、右脳に直接信号が届かないということになる(?)。
音楽を理解する中枢は、その右脳にある。
が、私は音楽が好きだし、よく聞く。
しばらく聞いていると、よい気分になる。
脳の中で、モルヒネ系のホルモンが分泌されるためと考えられる。
つまり左耳からの信号はなくても、右脳はちゃんと機能している(?)。

 大脳生理学の専門家が聞いたら、「おい、林、それはちがうよ」と言う
かもしれない。
右脳に音楽を司る中枢があるといっても、理解するのは脳の別の部分かも
しれない。
それに右耳から入った信号でも、右脳に届くということもあるかもしれない。
右脳と左脳は、脳梁(のうりょう)と呼ばれる、神経の太い束でつながっている。
左脳に入った信号が、右脳に伝わるということは、じゅうぶん考えられる。
さらに脳には、補完作用というのがある。
たとえば左脳がダメージを受け、言語中枢に支障が出たようなばあい、訓練に
よって右脳がそれをカバーする、など。
さらに最近の研究によれば、女性のばあい、右脳にも言語中枢があるという。
だから女性には、おしゃべりの人が多い、とか。
つまり脳というのは、私たちが考えるよりはるかに柔軟性や適応性がある。

 わかりやすく言えば、脳は使えば使うほど、よくなるということ。
そればかりか、失われた機能まで、回復することもあるという。
これも何かの本で、読んだことがある。
(本といっても、ちゃんとした研究論文だぞ!)

●ボケ

 一方、使わなければ、どうなるか?
・・・というより、50歳も過ぎると、脳の底に穴が開いたような状態になる。
それまで脳の中にあった知識や知恵が、どんどんと下へとこぼれ落ちていく。
みごとなほど(?)、下へとこぼれ落ちていく。
それが自分でも、実感として、よくわかるようになる。
つまり放っておいたら、バカになるだけ。

 それを防ぐためには、2つの方法がある。
(1) 頭をよく使う。(いろいろな刺激を多方面から与える。)
(2) 失われた分以上に、新しい知恵や知識を脳の中に叩き込む。

 これは私という人間の素人判断。
が、ときとしてボケは、その向こうで始まることがある。
血栓性の脳梗塞や、アルツハイマー病など。
こうなるとお手上げ。
言い換えると、自分ではどうしようもない。
その恐ろしさは、左耳を失聴した私にはよくわかる。
どんなに努力しても、一度切れた神経は、つながらない。
こうした状態が、脳全体で起こる。

●相手にされない

 ボケになると、人に相手にされなくなる。
それがさみしい。
たとえば私たちでも、相手がボケているとわかると、相手にしない。
適当にあしらって、それですます。
「どうせボケた人の言うことだから・・・」と。
言い換えると、自分がボケになると、相手は私を適当にあしらって、
それですますようになる。
相手にされなくなる。

 もっともボケた本人は、それに気づかない。
このことはボケた人と話していると、よくわかる。
「頭のほうは、だいじょうぶですか?」などと言おうものなら、即座に、こんな
返事が返ってくる。
「私は、だいじょうぶです。どこも悪くありません!」と。
アルツハイマー病の初期段階の人ほど、猛烈に反発するという。
取り繕(つくろ)いや、辻褄(つじつま)あわせ、弁解や言い訳が多くなるという。
何かの本で、そう読んだことがある。

 が、それも限度を超えると、つまり本人があきらめてしまうのか、
ボケは急速に進む。
もっともそうなれば、自分がボケていることさえ、わからなくなる。

●メガネ店で

 メガネ店では、補聴器も売っている。
補聴器といっても、ただ音を大きくするだけのものから、耳の状態に合わせて、
きめこまかく調整して使うものまである。
後者のばあい、耳鼻科の医師と相談して使うのがよい。

 それはそれとして、先日、骨振動系の補聴器を貸してもらい、試してみた。
ボリュームは最大。
わずかだったが、左耳でも音を聞くことができた。
そのときのこと。
音がすばらしく奥行きのあるものに聞こえた。
絵画にたとえるなら、それまで白黒だったものが天然色になったような
気分だった。

 けっして大げさなことを書いているのではない。
本当にそう感じた。
と、同時に「私は損をしている」と思った。
美しい音でも、その10分の1も味わっていない。

●相対的

 賢明な人は、それを失う前にその価値を知る。
そうでない人は、それを失ってはじめて、その価値を知る。
健康というのは、そういうもの。
しかし脳の健康には、それが当てはまらない。
失ったことにすら気がつかない。
気がつかなくても、生きていくうえにおいては、ほとんど支障がない。
ボケた人はボケた人なりに、何とか生きていく。
しかもボケというのは、相対的なもの。
私やあなたにしても、若くて聡明な人たちから見れば、ボケて見える。

●今日もがんばろう!

 今は、PSPを使って、脳トレをしている。
PSPの将棋(D3パブリシャー社「The将棋」)では、
レベル20まで難度を調整できる。
で、昨夜ふとんの中で、そのレベル20に挑戦してみた。
結果は、私の負け。
このゲーム機器で遊んで、はじめて負けた。
(もっともPSPのほうでは、そのつど30秒も思考を繰り返す。
私は、5秒以内の速攻。
これは負けたことの言い訳か?)

 ……しかし今朝は、脳がよく働かない。
目の前に、処理しなければならない書類が、4~5通、ある。
が、どれから手を付けようか……?
何かにつけて、投げやり。
迷っている間に、時間ばかりが過ぎていく。
やはり頭の働きが、悪くなったのか?

 ……ともかくも、今日も始まった。
12月22日。
みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司