●映画『BOX』vs『TRON』
●映画『トロン(TRON)』
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前作を見てから、25年(?)。
前作が衝撃的だったから、期待も大きかった。
当時主流になりつつあった、レーザーディスク版も買った。
当然、何度も観た。
が、時代は変わった。
映画も変わった。
昨夜、その映画、つまり『トロン』を観てきた。
星は2つか3つの、★★+。
(かなり、がっかり!)
3D映画だったが、それほどの迫力もなかった。
先週観た『ロビンフッド』が、よかったこともある。
そちらは、星4つの、★★★★+。
久々に、「これが娯楽映画!」と言わせるような映画だった。
その反動?
感覚が鈍化したため?
今では『トロン』程度の映画なら(失礼!)、いくらでもある。
たくさん観てきた。
ワイフはこう言った。
「前宣伝が派手な映画ほど、がっかりすることが多いわ」と。
半分、同感。
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●DVD『運命のボタン、THE BOX』
この原稿を書き始めたころ、ワイフもこたつの中で、『運命のボタン、THE BOX』
というDVDを観始めた。
劇場で上映されたとき、忙しくて見損ねた。
で、今夜になった。
私はパソコン、ワイフはDVD。
が、途中から、おもしろそうだったので、原稿を書くのをやめ、合流。
あら筋は、つぎのよう。
宇宙の知的生命体(たぶん、火星人?)が、人間の「質」を試すという筋書き。
そのために、ボタンのついたBOX(箱)を、人間に渡す。
「押せば、100万ドルをあげる。しかし押したとき、どこかでだれかが死ぬ」と。
が、どこでだれが死ぬか、それは当人たちにもわからないという。
その映画を観ながら、私なら、迷わず押すと思った。
100万ドルといえば、約1億円。
もともとインチキ臭い話。
押してダメもと。
第一、 そんな話は信じない。
本当に100万ドルもらえるとは、思わない。
つまり欲望vs理性ということになれば、私のばあい、欲望のほうが、はるかに強い。
こういうケースでは、理性の力で欲望をコントロールするのは、たいへんむずかしい。
で、それを見て、火星人は、人間というか人類の「質」を判断する。
いうなれば投票のようなもの。
ボタンを押す人間がより多ければ、人類を絶滅させる。
押さない人間がより多ければ、人類を存続させる、と。
(しっかりと観ていたわけではないので、このあたりの展開は不正確。)
映画自体、少し回りくどい。
全体としてわかりにくい構成になっている。
何もそんな手のこんだ方法を使わなくても、人間の「質」を知る方法は、いくらでもある。
ストーリーは、1組の夫婦が、そのモニター(?)に選ばれるところから始まる。
●摂氏400度
この映画を別として、こんなことを考えてみたい。
つまり人間にはその価値があるかどうか。
地球上で存在する価値があるかどうかということ。
もしそれを判断せよと言われたら、あなたなら何と答えるだろうか。
たとえば地球温暖化が、温暖化程度ではすまなくなり、いよいよ火星化するとわかった
ときでもよい。
人間という一種類の動物のために、そんほかのありとあらゆる動植物が、犠牲になる。
それでもあなたは、「人間は存在すべき」と判断するだろうか。
どうせ人間も絶滅するなら、ほかの動植物を存在させるためにも、早めに人間を絶滅
させたほうがよい。
私ならそう考えるし、それが常識的な判断ということになる。
が、人間は、簡単には絶滅しない。
ありとあらゆる無間地獄を経験してでも、人間は最後の最後まで生き残ろうとする。
あがく。
もがく。
最終的に、地球の平均気温が摂氏400度になっても、だ。
(摂氏で、400度だぞ!)
実は、それがこわい。
●SFファンなら、必見映画
『BOX』の中では、火星人は人間の欲望の醜さを知り、全体として、人間を
絶滅させる方向に考えているようだ。
が、その1組の夫婦の「愛」を知り、考え方を少し改めたかな(?)というところで
映画は終わる。
映画の撮り方をまちがえると、とんでもない映画になりそうな映画。
が、そこはアメリカ映画。
実にたくみに、かつ、俳優の名演技でカバーしていた。
お金をかけ、ていねいに制作されていたこともある。
星は『トロン』より1つ多く、3つの、★★★。
SFファンなら必見。
で、先の話に戻る。
もしあなたにその選択が任されたら、あなたはどう判断するだろうか。
「人間は存続する価値があるか、どうか」と。
で、同じ質問をワイフにすると、ワイフはこう言った。
「神様なら、どうするかしら?」と。
私「実は旧約聖書にも、似たような話が出てくるね。キリストにしても、最後の
晩餐のあと、そういう選択を迫られる」
ワ「キリストは、すべての人間の罪を背負って、自ら犠牲になったというわけでしょ」
私「キリスト教では、そう教える」
ワ「……私なら、どうするかしら……」
私「ぼくなら、迷わず、押すよ。ハハハ」
ワ「そうね、ハハハ」と。
●批評
映画『BOX』では、「どこかでだれかが1人、死ぬ」という筋書きになっている。
しかしそれでは弱い。
つまり1人では、弱い。
私が製作者なら、「どこかでだれかが、一度に100人死ぬ」というような筋書きにする。
たとえばその主人公の夫婦がボタンを押したとき、近くで爆発事故が起き、ちょうど
100人が死ぬ、とか。
あるいは夫婦の年齢の数だけ、人が死ぬでもよい。
(あくまでも映画としての、話だぞ!)
主人公の夫婦は100万ドルを手にするが、同時にそれ以後、良心の呵責に苦しむ。
そのほかの展開は、映画どおりでよい。
どこかでだれかが死ぬといっても、病気や事故で亡くなる人は多い。
「どこかでだれかが、1人死ぬ」では、直接的な因果関係を結びつけるのは、むずかしい。
つまりそのあたりの結びつけが、少し甘い。
(偉そうなことを書いて、ごめん!)
●『トロン』
一方、『トロン』では、コンピューターの中に、人間が入る。
発想としては、最高におもしろい。
映画の中では、人間のDNAをデジタルDNA化してコンピューターの中に入るという。
そんな筋書きになっている。
が、観ているうちに、いくつかの疑問がわいてきた。
その第一が、感情の問題。
最近の脳科学によれば、感情=脳内ホルモン説が、主流になってきている。
私たちが感ずる喜怒哀楽など、もろもろの情感は、脳内ホルモンによるもの。
コンピューターの中に入った人間には、(仮に入れたとしても)、その情感があるのか。
あるとするなら、どうやってその情感を作り出すのか。
前作を観てから、いつもどこかで私はそれについて考えてきた。
で、私の得た結論は、コンピューターの内部というのは、おそろしく冷たく、機械的
な世界ということ。
コンピューター内部で、何かしらのホルモンでも分泌されれば、話は別だが、それは
ありえない。
このことは人間の脳を、そっくりそのままコピーしたばあいを考えてみればわかる。
たとえばあなたの脳を、そのままそっくり、1台のコンピューターにコピーできた
とする。
そのとき、そのコンピューターは、あなたそのもの。
カメラをつけ、マイクをつけ、ついでにスピーカーを取り付ければ、「あなた自身」。
見ることも、聞くことも、話すこともできる。
しかしそのコンピューターに感情があるかいなかということになれば、ない。
コンピューター内部で、どうやってホルモンを合成し、分泌するのか。
映画『トロン』の中では、コンユーターの中であるにもかかわらず、そこに出てくる
人間は、みな、地上の人間と同じように感情をもっていた。
さらに言えば、「時間」の問題もある。
映画の中では、コンピューターの中の8年間は、地上の1秒に相当するというような
ことを言っていた(記憶により、不正確)。
それはその通りだろうと思う。
であるとするなら、コンピューターの中の父親は、どうして年を取ったのか。
悪玉のコピーされた父親は、どうして年を取らなかったのか。
また「次元」の問題もある。
コンピューターの中は、上下、左右のない、異次元の世界のはず。
が、映画の中では、地上の様子とまったく同じ。
バイクが、地上を走るバイクと同じように、コンピューターの中を走る。
……とまあ、いろいろ考えながら、観た。
そういう点ではおもしろかったが、言い換えると、私自身も、前作から今日までに
観方が大きく変わったということ。
知識もふえた。
それで星は、2つということになってしまった。
『トロン』は、やはり前作だけで終わればよかった。
そのほうが、伝説的価値が残ったと思う。
●付記
DVD『BOX』を観終えたあと、ワイフとこんな話をした。
「ぼくが映画製作者なら、『未知との遭遇』のリメイク版を作るよ」と。
ワ「どんなふうに?」
私「今度は、宇宙人側に視点を置いた映画にする」
ワ「おもしろそうね」
私「そうだよ。人間とコンタクトするかどうか、宇宙人は迷う。そのためいくつかの
実験を重ねる。反対派や、人類滅亡を主張する宇宙人と、あれこれやりあう。そういう
筋書き」
ワ「おもしろそうね」
私「だろ……」と。
こういうバカ話は、本当に楽しい。
いつまでしていても、飽きない。
(2010年12月18日夜記)
Hiroshi Hayashi+++++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司
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