Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, February 14, 2011

●聖バレンタインデー(神の心)

●2月14日(St.バレンタイン・ディ)に

●野鳥

 今日はSt.バレンタイン・ディ。
神様の日。
そこで神の心。
それについて考えてみる。

・・・というほど、大げさなことではない。
私の家の庭には、毎朝、いろいろな種類の野鳥がやってくる。
スズメ、キジバト、ヒヨドリ、ツグミ、モズ、メジロほか。
名前のわからないのも、2、3種類やってくる。
そういう野鳥が、それぞれの餌を食べる。

 スズメとキジバトに餌をやるようになって、もう20年以上になる。
あるいはそれ以上になるかもしれない。

私は子どものころから、空を飛ぶものは、何でも好きだった。
飛行機、凧、鳥・・・。
とくに小鳥が好きだった。

それでそうしている。

●キジバト

 餌は、農協で、ニワトリ用のものを買ってくる。
10キロ入りで、1500円前後。
1袋あれば、2か月前後はもつ。
その餌を、私は庭にまく。

が、少し前、隣町の豊橋市で、鳥インフルエンザが発生した。
それ以後は、少し離れた、山の中にまくようにした。

 が、今年は、様子が、変わった。
少し前までは、スズメとキジバトしか、来なかった。
が、そこへほかの野鳥が、多数、やって来るようになった。
とくにツグミ。
私とワイフは、「鳥のギャング」と呼んでいる。
気性が荒く、喧嘩早い。
つまり私にとっては、邪魔もの。

 一方キジバトは、庭の栗の木の上で生まれ育った鳥。
昨年の秋に2羽生まれたが、1羽は、どこかへ行ってしまった。
以後、子どものキジバトは1羽だけになってしまった。
いつも庭のどこかで、ポツンとひとりで時間を過ごしている。
私としては、そのキジバトに餌をあげたい。

●ツグミ

 キジバトの世界は、きびしい。
雛でも、ある程度大きくなると、親鳥に追い出される。
いつまでも親子関係がつづくわけではない。
もともと、私の家の庭は、親鳥の縄張り。
わが子でも、容赦しない。

 それを知っているから、最近は餌を2か所に分散してまくようにしている。
が、そこへ最近は、先にも書いたように、ツグミの集団がやってくるようになった。
夫婦プラス子ども。
3~5羽ずつ、いくつかの集団に分かれてやってくる。
そのツグミが、キジバトを追い払うようになった。
が、これは私の意図したこととは、ちがう。

●不謹慎な話

 神と人間。
その神と人間の間には、大きな「差」がある。
同じように、人間と鳥の間にも、大きな「差」がある。
言い換えると、鳥から見れば、私だって、神ほどの力があるかもしれない。

 そこで仮に、・・・こんなことを書くと、キリスト教徒の人には不愉快かも
しれない。
が、仮に私が「神」であるとする。
ともかくも、仮に私が「神」であるとすると、キジバトは、「わが子」
ということになる。
庭に遣(つか)わした、わが子。
つまり「キリスト」。

(かなり不謹慎な話になってきた!)

 私は鳥の世界に、愛と平和を教えたい。
キジバトを通して、愛と平和を教えたい。
が、今の状況を見るかぎり、ホープレス(=希望なし)。
今の今も、つぐみどうしが、小刻みにギギーッと鳴いて、喧嘩をしている。
先にも書いたように、先住者であるキジバトを追い回す。
何とあさましい世界。
醜い世界。

 「私が餌をまいているのは、お前たちのためではない。
キジバトのためだ。
そのお前たちが、餌を取り合って喧嘩している。
何ごとか!」と。
私は、そう叫びたい。

●自然の掟

 しかし鳥は鳥。
私と鳥の間には、距離がありすぎる。
「差」がありすぎる。
私がいくら鳥どうしの愛と平和を説いても、意味はない。
人間の言葉すら、理解できない。
また理解できるようになるまでに、この先、億年単位の時間が
かかるだろう。

 それに鳥たちは、それでいて、何も悪いことをしているわけではない。
この現象、つまりツグミがキジバトを追い出すという現象は、ここだけ
のものではない。
北海道でも九州でも、同じ現象が起きているはず。
体はキジバトより小さいが、ツグミには、鋭いくちばしがある。
動きも、キジバトよりすばやい。
それに比較して、キジバトは、どこかおっとりしている。
つまりキジバトに勝ち目はない。

 彼らは彼らで、自然の掟(おきて)に従っているだけ。
またその掟があるから、自然界は一定の秩序を保っている。
いくら私が神でも、その掟を破ることはできない。

●わが子

 神がイエス・キリストを「わが子」として、人間世界に遣わした。
キリスト教では、そう教える。
が、当時の地上は、とても楽園と言えるような世界ではなかった。
圧政と暴力、貧困と疫病。
民衆は不幸のドン底で、あえぎ苦しんでいた。
当然、略奪や喧嘩も日常的に起きていたにちがいない。
で、神は人間に、何とかして愛と平和を教えようとした。
結果、今に見るキリスト教が誕生した。

(さらに不謹慎な話になってきた!)

 言い換えると、神と人間との間には、人間と鳥ほどの「差」はないと
いうことになる。
「差」がありすぎたら、神はイエス・キリストを地上へ遣わさなかったはず。
割と近い?
つまり「差」は、小さい?
そんな関係かもしれない。

●庭の鳥と同じ

 そこで神の心。

こうした人間世界をどこかで見ている神は、人間を、どうとらえているだろうか。
「あさましい動物」と思っているだろうか。
それとも、「これも自然の掟」と割り切っているだろうか。

 今朝もニュースサイトを開くと、その種の事件が、ズラリと並んでいた。
人間にはそれなりの知的能力がある。
しかしやっていることは、庭の野鳥と同じ。
わずかな餌を取り合い、喧嘩し、他の鳥を追いかけ回す。
そのあさましさ。
その醜さ。
ふと心のどこかで、「愚かなことをしているな」と思う。
しかしそう思うその心は、私が庭の鳥を見るのと同じ。
あるいは、どこがどうちがうというのか。

 つまりそれが神の目。
神の心。

●St.バレンタイン・ディ

 今日は、St.バレンタイン・ディ。
これから先週受けた、胃カメラの検査の結果を聞きに行ってくる。
一部、組織検査に回された。
かなりあやしいところが、あった。
ドクターは、数回、「念のため」と言った。
が、それでもこわい。
この1週間は、私にとって、地獄のような毎日だった。
私は何を隠そう、心気症。
がんノイローゼ。
食欲も減った。
何をしても、気が重かった。

 数日前に読んだ本には、こうあった。
「がんは、ストレスなどによって、免疫機能が低下したときに増殖する。
がん検診を受け、その結果が出るまでに、本当にがんになってしまう人もいる」と。
あれこれ気をもむうちに、免疫機能が低下し、本当にがんになってしまう人もいる、と。
けっして笑いごとではすまされない。

 さあて、神の心になったところで、これから出かけることにする。
病院へ、検査結果を聞きに行く。
あとの運命は、神のみぞ、知る。

 ハッピー・バレンタイン・ディ!


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【子育てQ&A】

相談(1)小学3年生の母から

 最近同居を始めた夫の親が子どもを甘やかして、ストレスを感じている毎日です。
 宿題が終わるまでテレビは見ないとか、夕飯が近い時間に間食しない……、というようなささいなことですが、注意しているこちらの努力を無にするように子どもの言うことを聞いてしまいます。夫の親だからと遠慮せず、甘やかさないようにガツンと言った方がいいのでしょうか?

A:あきらめなさい。この種の問題は一度こじれると、別居か、さもなくば離婚かという問題に発展します。(その覚悟と経済的余裕があるなら、ガツンと言いなさい。)あなたの子どもは、(多少)、スポイルされますが、しかし子育て全体からみれば、マイナーな(=どうでもよい)問題です。小学3年生ということですから、(多少)ですみます。少なくともあなたの夫より、悪くなることはありません。(あなたの夫も、同じ両親に育てられたのですから。)
それよりも大切なのは、こういう状況を前向きに生かし、あなたはあなたで自分の好きなことをすること。あなたにも夢や希望があったでしょ。それを今、実行するのです。一人の人間として、したいことを追求します。すばらしいチャンスですよ! 
 で、両親にはこう言います。「お父様、お母様のおかげで、たいへん助かっています。ありがとうございます」と。両親を責めるのではなく、両親に自覚を促し、子育ての責任を分担してもらいます。
 ついでに一言。両親があなたの方針に反したことをしたとしても、けっして子どもの前で、両親のことを悪く言ってはいけません。批判もタブー。子どもは糸の切れた凧のようになり、指導ができなくなります。言うとしても、どこがどう悪いか、その行為だけにとどめます。あとの判断は、子ども自身に任せます。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学6年生の父から

 二男は、6年生の後半から不登校です。きっかけは、友達とのちょっとした行き違いで起きたけんかです。そのうち学校に行くようになるだろうと思っていましたが、今も学校に行けないままです。
 中学進学を機会に、本人も不登校から抜け出したいと言っています。親がすべきことは、どんなことでしょうか?

A:こういうときの大鉄則は、これ。『暖かい無視』『求めてきた時が与え時』です。あせればあせるほど、子どもをマイナスの方向に追い詰めてしまいます。暖かく無視します。そして子どものほうから何かアクションがあったら、そのときはすかさず相談に乗ってやります。表面的にはどうであれ、あなたの子どもは、あなた以上に苦しんでいます。大切なことは、それを忘れないこと。あなたも苦しいでしょうが、その苦しみを、子どもにぶつけてはいけません。
 今は時代が変わりました。「学歴」から「一芸」へ。おとなになる道は一つではありません。この機会をうまくとらえ、子どもの特性、方向性を見極めてみてはどうでしょうか。そしてそれが見つかったら、あなたは子どもにこう言います。「お前がしたいことをしなさい。どんな道であれ、お父さんは、お前を応援するよ」と。
 私の二男も、同じころ、不登校を繰り返しました。しかしそのつど、「生きているだけでいい」と思い直すことで、乗り越えることができました。
 そのときは遅々として進まない子育て。しかしそれも終わってみると、あっという間のできごと。不登校など、何でもありません。子どもを信ずること。子どもを支えること。それがあとあと、今という現在を、光り輝くものにします。平凡は美徳ですが、平凡な生活からは、親子の太い絆は生まれません。


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司