Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, March 01, 2011

●京都大学の不正入試事件

●3月2日

●不正入試事件

 「京都大などの入試問題が、試験時間中にインターネットの質問サイト、(ヤフー知恵袋)に投稿された」(Yahoo News)という。

 が、こうした不正入試方法は、今に始まったことではないのではないか。
すでに10年ほど前から話題にはなっていた。

 方法はいろいろ考えられる。

 もっとも簡単な方法は、たがいにモールス信号のようなもので、解答を送受信するというもの。
マークシート方式の試験問題なら、この方法が、もっとも簡単でわかりやすい。
順番に、正解の番号のみを、トンツーで送受信すればよい。
私はよく冗談交じりに、こう話したことがある。
「長い髪の毛で、イヤホンを隠せば、簡単にできる」と。
それがさらに高度に進化したのが、今回の方法ということになる。

 で、今回の事件を聞いて、私はこう思った。
「日本も、やっと気づいたか!」と。

隣の韓国では、数年前から、携帯端末や電子機器を使った不正入試事件が続発し、社会問題にもなっている。
日本ではそういうことは起きないと考えるのは、オメデタイというか、バカげている。
どうしてもっと真剣に、対策を練らなかったのか。

不正入試事件を起こした受験生も悪だが、対策を取らなかった大学側も悪。
現在の入試方法は、まるで現金を台座に乗せて、町中を運ぶようなもの。
あまりにも無防備すぎる。

●入学試験

 「入学試験ほど、いいかげんなものはない」。
私は小・中・高・大学と、この40年間、その入学試験を傍から見つづけてきた。
その結論が、これ。
最悪だったのは、80年代から90年代の中ごろまで。
勉強しかしない、勉強しかできない、どこか頭のおかしな高校生ほど、スイスイと一流大学の一流学部へ入学していった。

 今でも一般論として、よくこんなことが言われる。
「進学校と呼ばれる中学、高校ほど、いじめ問題が深刻」と。
あるいは「進学校と呼ばれる中学、高校ほど、学校の周辺にゴミが散乱している」とも。
不正というなら、これほどの「不正」はない。

 で、それではよくないということで、AO入試というのが始まった。
2000年に入ってからである。
が、そこは「敵も然(サル)もの……」。
即座に進学予備校では、対策講座が始まった。
結果、今では、AO入試すら、骨抜きにされてしまっている。

●「不正」とは何か

 そこで改めて考えてみる。
「不正とは、何か」と。
考えてみれば、この世の中、不正だらけ。
上は政府与党や日本相撲協会に始まり、下は子どもの世界まで。
総合商社にしても、まともな方法で稼ぐ利益よりも、不正な方法で稼ぐ利益のほうが多いと言われている。
つい先月には、こんな事件もあった。

 インドネシアの経済使節団が韓国を訪問した。
その宿泊先のホテルに、韓国政府直属の経済スパイが侵入。
情報を盗み出そうとして、失敗。
「あまりにも稚拙な方法だった」と、韓国紙も認めるほど、お粗末な事件だった。
さらにその上を行くのが、スパイ衛星、などなど。

 もしこの世で、「私は不正なことはしません」などと言おうものなら、その人は生きていかれない。
そのことは、あなた自身を冷静に見つめてみればわかるはず。
卑近な例をあげれば、信号無視、走行中の携帯電話……。
みな、スキさえあれば、不正なことを、平気でしている。

 私たちは常に、犯罪ではないが、その一歩手前のギリギリのところで生きている。
そんな私たちが、どうして子どもたちに、「不正はいけません」と言うことができるだろうか。
さらに一言付け加えるなら、これほどまでに不公平感が社会に充満してくると、「何が、不正だ!」とも言いたくなる。
まじめに生きるのが、バカバカしくなる。

●不作為の悪

 だからといって、不正入試方法を是認せよというのではない。
日本の社会にあって、唯一の聖域。
それが「受験」ということになる。
もしその受験の世界にまで不正がはびこるようになったら、日本はおしまい。
そういう意味で、先に「対策を取らなかった大学側も悪」と書いた。
つまり大学側は、あたかも被害者であるかのような立場を取り繕っているが、これはおかしい。
言うなれば、「不作為の悪」。

 ということで、この先も、いたちごっこはつづく。
この世に不公平感があるかぎり、いたちごっこはつづく。
またその不公平感があるかぎり、犯罪者の犯罪意識を薄める。
方法もさらに巧妙になる。
そのうちメガネに仕込んだカメラで、入試問題を撮影し、瞬時にその解答が、メガネに映し出される、そんな装置も開発されるようになるかもしれない。
つまりそういうことも考えに入れ、大学側は対策を練る必要がある。

 最後に一言。

 「学生から携帯電話を取りあげるのは、不可能」という意見が目立つ。
「携帯電話は必携品」とか、「携帯電話で親と迎えの場所を打ち合わせている」とか、など。
「数千台の携帯電話を、入り口で預かるのは不可能」という意見もあった。
が、これもおかしい。

 私たちの時代には、携帯電話なるものは、まったくなかった。
20年前にも、なかった。
しかし何も困らなかった。
が、どうして今は、困るのか?
どうも釈然としない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 不正入試事件 不正入試)


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