Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, October 09, 2011

●疑惑力

●疑惑力(人を見たら、泥棒と思え)

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「疑う力」のことを、「疑惑力」という。
私が勝手に、そういう名前をつけた。
洞察力、推察力、直感力、判断力の一部。
独立して、「疑惑力」という。

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●人を見たら、泥棒と思え

 この日本では、疑惑力は、とくに必要な能力かもしれない。
何といっても、本音と建て前を使い分ける国である。
見栄や体裁を気にする人も多い。

 こういう国では、まず「人を見たら、泥棒と思え」となる。
またそれは、(たいへん悲しいことだが)、それほどまちがっていない。
人を見たら、まず泥棒と思え。

 先日も、私にこう言った人がいた。
「あのXさん(女性、60歳)は、いい人ですね」と。
が、私はワイフを通して、その女性のことは、たいへんよく知っている。
浜松へ来たころは、毎週のように会っていた。

私「えっ、あのXさん?」と。

●Xさん

 若いころは、美しい人だった。
男好きするというか、静かに立っているだけでも色気を感じた。
そのこともあって、男性関係は、メチャメチャ。
会うたびに、ちがった男性とつきあっていた。

 が、やがて水商売に。
そこで一子(女児)をもうけた。
が、自分では育てないで、その子どもを、実の姉に預けた。
預けただけではなく、姉の夫とも性的関係をもった。

 それが原因で、姉夫婦は離婚。
姉と妹は、そのまま絶縁した。
が、それでXさんの派手な男性遍歴が終わったわけではない。
50歳になるまで、バーを転々とした。
そのXさんを、「いい人?」。

●人間関係

 人間関係というのは、実に興味深い。
同じ人物でも、見る人によって、「いい人」にもなるし、「悪い人」にもなる。
どちらが正しいとか、正しくないとか、そんなことを論じても意味はない。
人、それぞれ。
また私やあなたにも、いろいろな面がある。
単純ではない。

 たとえば私についても、「いい人」と言う人もいる。
「悪い人」と言う人もいる。
つまりその人が、XさんならXさんでもよいが、「いい人」と思っているなら、それはそれ。それでよい。
私が間に入って、「あの人はね……」と、言う必要はない。
また言ってはならない。

 が、中には、さらに腹黒い人がいる。
いい人ぶりながら近づいてきて、相手をだます。
モノを売りつける。
宗教に勧誘する。
そういうときは、やはり注意してやる必要がある。
「あの人は注意したほうが、いいですよ」と。

●歳月

 その人が本当にいい人かどうかは、10年単位でつきあってみなければわからない。
つきあう。
「幼なじみ」とか「昔から知っている」、あるいは「親類だから」というのは、まったくアテにならない。

 頻繁でなくてもよい。
しかし1~2か月ごとに、つきあう。
そういうつきあいを通して、その人を知る。
で、ある人は、私にこう言った。

「20年ぐらい住まないと、仲間に入れませんよ」と。
私が郊外の山間地に、山荘をもったときのことだった。
で、その20年がすぎた。
その人が言ったとおり、20年で、やっと仲間になれた。
今は、そんな感じがする。

●疑惑力

 そこで疑惑力。
人を疑う。
先にも書いたが、本来なら、不必要な「力」である。
が、この日本では、必要。
とくに老人組になったら、必要。

 たとえば今、私がいちばん怪しいとにらんでいるのが、訪問介護士のY(女性、50歳くらい)。
ときどき、ワイフのある親戚に寄るのだが、いつもその女性はそこにいる。
仕事を聞くと、「訪問介護士」と言う。

 その家には、90歳近い女性(義理の伯母)がひとりで住んでいる。
先日もどこかへ行く途中、その親戚に寄ると、やはりいた。
偶然か、それとも毎日来ているのか?

 それはわからないが、いくら介護度が高くても、「毎日」ということはないはず。
別の事件だが、ある訪問介護士は、そうして訪問しながら、その家の老人がボケているのをよいことに、つぎつぎと財産を持ち出していたという。

いよいよ特別養護老人ホームに入居するというときになって、家族(娘)が家に入ってみると、現金類はもちろんのこと、財産らしい財産は、すべて消えていたという。
タンスの中は、空き箱の捨て場になっていたという。
そういうこともある。

 が、これは私たち自身の問題でもある。
私たちもやがてそういう老人になる。
だから「疑惑力」。

●制度として解決

 ……が、疑惑力にも限界がある?
人を疑うのも、疲れる。
家人が近くにいれば、そういう家人に守ってもらうという方法もある。
しかし、それでもスキは生まれる。

 こうした問題は、制度として解決するしかないが、頼りになるはずの訪問介護士ですら、信用できない。
もちろんほとんどの訪問介護士の人は、よい人かもしれない。
だから制度として、解決する。

 たとえば同一の訪問介護士を、長期にわたって、同一老人の自宅を訪問させないなど。
しかしこのあたりでも、一度、その訪問介護士になると、1~2年は、同じ訪問介護士になるようだ。
が、それではいけない。
老人の安心と財産を守ることはできない。

 ……などなど、こうして疑惑力を前向きに育てていく。
これから老人組になる人たちには、とくに必要な「力」ということになる。

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