●富士宮焼きそばを食べよう
【富士宮へ焼きそばを、食べに行こう!】(はやし浩司 2011-10月)
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昼食を・・・と思い、台所へ。
ワイフが、ポツンとそこに座っていた。
「昼ごはんは・・・?」と聞くと、
「柿があるわ」と。
うちの庭でできた柿である。
農薬ゼロ。
皮ごと食べられる。
それを食べながら、「なあ、焼きそばを
食べにいかないか?」と声をかけると、
二つ返事で、「あらっ、いいわ!」と。
私「富士宮焼きそばだよ」
ワ「どこにあるの?」
私「富士宮だよ」
ワ「富士宮まで行くの?」
私「そう・・・」と。
で、今は、新幹線の中。
浜松から静岡まで新幹線。
静岡から富士まで、在来線。
そこで身延線に乗り換え、富士宮まで。
私「往復の旅費が、12640円。
焼きそばが、1000円・・・くらいかな?」
ワ「ぜいたくね・・・」
私「ホント・・・」と。
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●掛川
乗ったと思ったら、もう掛川。
いつもは在来線。
今日は新幹線。
今週は、大阪のユニバーサルスタジオに行くつもりだった。
が、その日、ワイフは高校の同窓生に会うとか。
しかも天気予報を見ると、全国的に雨。
「あきらアメ(雨)たあ」と言うと、「そうね」と。
それで富士宮焼きそばとなった。
さあ、みんなで行こう、富士宮焼きそば!
みんなで食べよう、富士宮焼きそば!
●あるコラム
ある週刊誌に、知人のF氏が、毎週、短いコラムを書いている。
そのコラム。
久しぶりに読んでみたが、???。
論理性がなく、自慢たらしい話。
やたらと漢字が多く、読みづらく、おもしろくない。
おまけに支離滅裂。
全部で、60行足らずのコラムである。
一読して、すぐわかった。
「あぶないな」と。
つまり脳みその働きが、あぶないな、と。
●認知症
文章が書けないから認知症ということではない。
文章を書くのが苦手という人はいくらでもいる。
しかしF氏はちがう。
大学元教授。
ベストセラー本ももっている。
そういう人が、文章を書けなくなったら、認知症を疑ってみたらよい。
特徴がある。
(1) ことさら古臭い漢字遣いが多い。(読者の立場になって書かれていない。)
(2) 話がくどい。(こまかいところで、へんにこだわる。)
(3) 連続性がない。(話がポンポンと飛ぶ。)
(4) 支離滅裂(突然、だれも知らない中国の四字熟語が飛び出したりする。)
(5) 趣旨が不明(何を言いたいか、よくわからない。)
その週刊誌の、そのF氏のコラムは、まさにそれだった。
が、「明日は我が身」。
たとえば今朝、私は「メタ認知能力」についての原稿を書いた。
途中で、何を書いているか、自分でもわからなくなってしまった。
BLOGに載せようかどうか迷った。
認知症を疑われてもしかたないような文章だった。
●映画『送り人』
これは現実の話。
事実。
だからその人たちとわからない程度に、ありのままを書く。
数か月前、1人の男性が死んだ。
名前をUT氏としておく。
享年84歳。
妻も84歳。
妻のほうは、自活できる程度に、元気だった。
その男性が危篤状態になったときのこと。
東京に住んでいる息子氏が、叔母から連絡を受け、30年ぶりに、浜松へ戻った。
30年ぶり!
いろいろあったらしい。
父親は自宅で倒れた。
息子が戻ったとき、(ふつうは「駆けつけた」と書くが、そういう雰囲気ではなかった)、男性の意識ははっきりしていた。
男性と息子氏の間に、母親が立った。
母親は息子氏に、こう言った。
「あんたなんか、帰ってちょうだい」と。
息子氏は玄関口に立って、母親にこう聞いた。
「親父はどうなんだ! 親父も同じ気持ちか!」と。
そこで母親が父親のところへ行き、息子が来ていると話した。
しかし父親は、一瞬かなりの興奮状態になったあと、首を横に振った。
それを知って、息子氏は、そのまままた東京に帰っていった。
この話をワイフがしてくれたとき、即座に、私はあの映画『送り人』を思い出した。
その映画の中では、死んだ父親が、最期まで息子との思い出の石を握っていた。
●映画『送り人』
静岡から、在来線(東海道線)に乗り換えた。
その電車の中で、映画『送り人』の話になった。
私「なあ、あんなことありえないよな」
ワ「そうねえ・・・。ありえないわよね」
私「親父が、そんな石、握って死ぬだろうか」
ワ「ありえないわよね」と。
その前に、UT氏の話をしていたこともある。
私「あの映画の脚本を書いたのは、若い人だと思うよ。視点が若い人のほうにある」
ワ「そうよね。父親の立場からすれば、息子に捨てられたわけだし・・・」
私「理由はともあれ、息子は親を捨てた・・・。最近の若い人たちは、ささいな理由をこじつけては、親を捨てる」
ワ「この半世紀で、立場が逆転したわね」
私「そこなんだよ。ぼくたちが社会へ出たころは、みな、収入のいくらかは、実家へ送った」と。
●二番煎じ
UT氏と息子氏の間に、何があったかは知らない。
しかし昔風の言い方をするなら、「30年も親を放っておいて、私は息子です」は、ない。
息子の側は永遠の親の愛を期待するかもしれない。
しかし親側は、別の考え方をする。
神や仏ではない。
その愛にも限界がある。
UT氏にしても、そうだろう。
が、今は、時代も逆転した。
親が子ども(息子や娘)の心配をする。
子ども(息子や娘)が、それを親に要求する。
「親なら親らしくしろ!」と。
で、話は映画『送り人』に戻った。
私「母親なら、石を握っていたかもしれない」
ワ「そうねえ・・・」
私「が、父親は、そんなことはしない。古い世代の父親なら、なおさら」
ワ「お涙、ちょうだい・・・というわけね」
私「若い人たちなら、泣いただろうね。しかしあの映画は、『マジソン郡の橋』の二番煎じ。ぼくはそう思った」と。
映画の中では、息子が父親の死に駆けつけると、父親は、息子との思い出のある石を手に握って、死んでいた。
●富士
電車は富士に着いた。
そこで身延線に乗り換え。
富士宮まで。
(現在、富士宮から先へは、バス運行になっている。)
ネットを使って、おいしい店をさがそうとしたが、一件もヒットせず。
通信販売で、今では富士宮焼きそばを買うこともできるそうだ。
それはわかったが、店によって味がみなちがうという。
そういう話を、いつか、だれかから聞いたことがある。
浜松からわざわざ参上した手前、富士宮では、いちばんおいしい店を探し当てたい。
ワイフは「駅前でだれかに聞けばいい」と、のんきなことを言っている。
しかしそんなことで、いちばんおいしい店が見つかるだろうか。
少し心配になってきた。
おまけに、今日は、柿を食べただけ。
腹のほうは、ペコペコ。
それにもうひとつ気がかりなことがある。
現在、時刻は14:49分。
個人の店だったら、休憩中ということになる。
だいじょうぶかな?
●車内
日曜日というが、高校生らしき学生の姿が目立つ。
みな、それぞれ乱れた服装をしている。
平気で携帯電話を使っている。
少し前まで、ドアの手前の床に座っていた女性もいる。
たった今しがた、実に、奇天烈(きてれつ)な恰好をした高校生の一群が通路を通り過ぎていった。
私「あのなあ、富士宮には、チンドン屋学校というのがあるそうだ」
ワ「うそでしょ!」
私「ああ、うそだ」と。
●タクシー
富士宮駅からは、タクシーに乗った。
運転手に聞くと、「うるおいてい」がよいと薦めてくれた。
(富士宮市淀師415-2:電話0544-24-7155)
駅からは、1150円の距離だった。
●うるおいてい
タクシーの運転手が薦めてくれただけのことはあった。
おいしかった。
その様子は、ビデオに収めた。
家に帰ったら、編集し、YOUTUBEにUPするつもり。
で、帰りは、西富士宮駅まで、歩いた。
30分ほど。
それが今日の運動。
途中、富士の清流か。
川もあり、側溝もあったが、水は清らかに住んでいた。
「このあたりに、友人が経営する幼稚園があったはず・・・」と。
そんなことを考えながら、道を歩いた。
●西富士宮駅
駅に着いたら、ちょうど電車が発車するところだった。
つぎの電車は、5時7分発。
約50分、待ち。
私たちは交番の前にある、「M-Fuji」という喫茶店というか、雑貨屋に入った。
道路に面したテラスで、紅茶とコーヒーを飲んだ。
時刻は16:49分。
すでにあたりは暗くなり始めていた。
低い雲が、隙間なく天を覆っていた。
・・・その前に、こんな事件があった。
駅を出たところで、カバンが落ちているのがわかった。
中を見ると、長野県・・・と書いた封筒が見つかった。
私たちはそれを交番に届けようと、交番に向かった。
で、あと数メートルというところで、一人の男が追いかけてきた。
「私のかばんです」と。
2、3言、言葉を交わしたあと、私はその男にカバンを渡した。
●帰りの電車の中で
ところで中華料理店というと、気取った高級店が多い。
料金も高い。
そういう中にあって、本物中の本物の中華料理を食べさせてくれる店がある。
「紅虎餃子店」。
JR浜松駅から北へ、数百メートル。
駅から歩いて7~8分のところに、その店がある。
数日前も、ワイフと2人で、その店で夕食をすませた。
いつ行っても、おいしい。
「本物を食べた」という実感が、食事を終え、外に出ると、どっと湧いてくる。
●和風中華料理店
もう少しグルメの話をつづける。
南オーストラリア州の、Dという町へ行ったときのこと。
オーストラリアの友人が、その町に一軒しかないという中華料理店へ案内してくれた。
経営者は、中国人夫婦。
私とワイフは、定番料理をいくつか注文した。
酢豚、ギョーザ、えびのチリソース炒めなど。
が、食べてみて、びっくり。
日本で食べなれた味ばかり。
と、同時に、私はそれが和製中華料理とわかった。
つまり日本のインスタント食品に、適当に食材を加えた、和製中華料理とわかった。
製造元の食品会社名まで、わかった。
「味の素」である。
私が、「おい、これ、味の素の味だぞ」と言うと、ワイフも素直に、それを認めた。
●タイ風インド料理店
反対にこんなこともある。
浜松の郊外に、一軒のインド料理店がある。
経営者はインド人とか?
で、そこで私とワイフは、3種類のカレーがセットになった夕食を注文した。
が、食べてみると、どれもタイ風カレーの味。
「どこかで食べた味だなあ」と思いながら、食べた。
グリーンカレー?
レッドカレー?
が、やがてわかった。
東南アジア系の食材店で売っている、缶詰に入ったカレーだった。
ある時期、私はエスニック料理が好きで、よくその食材店へ通った。
そのインド料理店では、(多分x10?)、そのカレーをそのまま使っていた。
牛肉や鶏肉は、適当に加えてあったが、ベースとなっている味まではごまかせない。
が、それでもおいしければ、私は文句を言わない。
しかし食材店で一缶、80~120円前後。
一缶もあれば、4~5人前は作れる。
それを店で、簡単なサラダをつけ、1200円!
あとで人づてに聞いたところでは、その経営者はインド人ではない。
バングラデッシュ人だったという。
残念ながら、こういうインチキな店は少なくない。
●本物
もちろんその一方で、本物を食べさせてくれる店もある。
冒頭にあげた「紅虎餃子店」も、そのひとつ。
中国語のほうでは、「紅虎餃子房」となっている。
本物の中華料理を食べてみたいと思う人は、一度行ってみたらよい。
はやし浩司の保証つき。
「餃子店」という名前がついていることからもわかるように、その店には10種類のギョーザがある。
浜松も「浜松ギョーザ」で、名を売り出している。
が、率直に言って、中国の本場のギョーザには、かなわない。
かなわないことは、10種類のうち、どれひとつをとっても、すぐわかる。
ところでこれは、何かの雑誌に載っていた話だが、中国には、焼きギョーザというのは、ないそうだ。
(浜松ギョーザと言えば、すべて焼きギョーザ。)
で、その理由が書いてあった。
中国では食べ残し、古くなったギョーザを、焼きギョーザとして食べる、と。
だから中国人に、焼きギョーザを出すと、出された人はそれを不愉快に思う、と。
そう言えば、この日本でも、食べ残した刺身は、あとで焼いて食べる。
それと同じ?
●本物論
本物というのは、どんな世界でも、どんなばあいでも、光る。
それを見た人を、感動させる。
ただし一言。
私の30年来の友人に、北京から来た人(現在55歳・男性)がいる。
その人に、紅虎餃子店の話をすると、その人は、こう言った。
「ああ、あれは、日本の味ですよ」と。
……!
つまり日本人向けに、味を変えている、と。
そういうものか?
本物を超えたその向こうにある「味」までは、私たち日本人にはわからない。
●10月2日も終わって・・・
こうして10月2日も、こうして終わりに近づいた。
電車に乗ると、外の景色は一段と、暗さをましていた。
まさに衝動的な旅だったが、それなりに楽しかった。
「一度は・・・」と思いつつ、その「一度」を果たした。
本場の焼きそばを食べた。
これで「富士宮へ焼きそばを食べに行こう」という話はしないだろう。
・・・ということで、富士宮への旅はおしまい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW BW教室 富士宮やきそば うるおいてい はやし浩司 富士宮焼きそば)
Hiroshi Hayashi++++++++Oct 2011+++++++++はやし浩司
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