●闇路に迷う愚痴人間
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 2012年 1月 9日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●11月30日朝記
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今朝は、8時半起き。
昨夜は久しぶりに、睡眠導入剤というのをのんだ。
1錠ものむと、頭がおかしくなるので、いつも4分の1とか、
8分の1とかにして、のんでいる。
それでも朝まで、ぐっすりと眠れる。
「頭がおかしくなる」というのは、起きがけに、夢とも現実とも
区別のつかない夢を見ることをいう。
今日の講演は、午後7時から。
それで睡眠導入剤をのんだ。
++++++++++++++++++
●講演レジュメ(概要)
おととい、今夜の講演のレジュメ(概要)ができた。
「やっと……」という感じ。
……といっても、講演の「柱」のみ。
あとは、その場の雰囲気で決める。
私にとって講演というのは、そういうもの。
中にしっかりとした原稿を用意する人もいる。
私も何度か、それを試したことがある。
しかしそれでは聴衆の心をつかむことができない。
ザワついてきたなと感じたら、さっと話題を切りかえる。
そんな芸当も、講演では必要になる。
それに今日は、夜の講演ということで、父親も多いはず。
そういうときは、父親用の話も用意する。
年配の人が多いときは、年配の方用の話も用意する。
それぞれの分量は、そのとき決める。
が、この浜松市では、今年最後の講演会。
力んではいけない。
気合いを入れすぎてもいけない。
普段着で普段話をするつもりで、講演をする。
それが肝心だが、このサワサワとした緊張感は、どうしたものか。
「最後の講演会」という部分で、かなり緊張しているよう。
自分でもそれがよくわかる。
午後からは、運動を2単位こなし、夜に備える。
●酷評
YOUTUBEのほうに、ときどき、辛らつな酷評が書き込まれる。
昨日も、同じ女性から、3通も書き込まれた。
pxxxx04という女性からのものだった。
匿名だから、何とでも書ける。
が、待ったア!
匿名といっても、その気になれば、その女性を特定することは簡単。
まずその「pxxxx04」で検索をかける。
同じハンドルネームをあちこちで使っていることが多い。
検索をかけると、やはり同じハンドルネームで、4~5本のBLOGを発行しているのが
わかった。
そのうちのひとつには、プロフィール欄のところに、「45歳」「女性」とあった。
BLOGのタイトルは、『~~ママの~~日記』。
いくつか記事を読むと、その中に地名が書いてある。
それでおおよその住所がわかる。
「先日、近くの~~庭園へ行ってきました」とか。
さらに記事の内容から、ある特殊な花の栽培に興味をもっているのがわかった。
あとは、その地名と、その花の名前で検索をかければよい。
案の定、その花の専門BLOGに、その女性とのやり取りが書き込まれていた。
こうして私はその女性が、「X県Y町に住んでいる、MR」と、実名(名字)まで知るこ
とができた。
時間にすれば、5分もかからなかった。
が、それでも相手がわからないときは、特殊なフリーソフトを使う。
それを使うと、IP番号から、その人の住んでいる住所を、町名程度まで特定できる。
この方法はきわめて簡単で、ドラク→コピー→張りつけ→Enterキーで、すんでしま
う。
その方法でも、「X県Y町」という地名が出てきた。
(フリーソフトは雑誌などに紹介されている。)
だから返事には、こう書いた。
「幼児教育歴42年になる者です。
きびしいご意見ありがとうございました。
はやし浩司」と。
「教育歴42年」とわざわざ書いたのは、書き込みに「どこのド・シロートか知らない
が、偉そうなこと、ヌカスナ」とあったから。
……ということで、不愉快な書き込みに悩んでいる人も多いかと思う。
そういうときは、ここに書いたことを参考に、相手を調べてみたらよい。
どこに住んでいる人間かがわかるだけでも、気が楽になる。
(=不気味さが、消える。)
また匿名で書き込みをすれば、正体はバレないはずと考えている人もいるかもしれない。
が、今では、かなりのところまで特定できる。
ものを書くなら堂々と、実名を公表して書いたらよい。
(私は、そうしているぞ!)
●復習
講演の話に戻る。
今夜の講演では、(1)善悪論、(2)共鳴性、それに(3)もうひとつの話をすること
になっている。
が、(3)の部分で、つぎの2つのうちのどちらにするかで、迷っている。
(1)自我の同一性にするか、(2)心の抵抗力にするか。
どちらも似たような話だが、切り口がまったく逆。
どちらにしようか。
過去に書いた原稿をさがしてみる。
++++++++++++++++++はやし浩司
2007年に書いた原稿が見つかった。
++++++++++++++++++はやし浩司
【子どもを非行から守る法】
●時事・雑感(Yahoo Newsより)
●性描写漫画の規制条例が成立(東京都)(注※1)
石原都知事が言っているように、こんなことは、当たり前。
石原都知事は、こう言った。「当たり前。日本人の良識だ。
子どもにあんなものを見せられるのか」と。
ただし今となっては、焼け石に水。
手遅れ。
子どもたちの世界は、さらにその先に進んでいる。
漫画やアニメではなく、そのものズバリのDVDを見ている。
また近くに高校があるが、日暮れ時になると、目のやり場に困る。
高校生たちが、木陰の隅のあちこちで抱き合っている。
少し前までは、まだ隠れながらしていた。
が、今は、堂々というか、車のライトに照らされても、平気。
で、その話を、ある中学校教師(中高一貫校)に話すと、こう言った。
「ここ数年、さらに低年齢化してますよ」と。
驚いていると、「放課後なんか、使われていない部屋や道具置き場は、ラブホテル
みたいです」とも。
ほとんどの男子高校生は、コンドームを持ち歩いている。
携帯電話と同じ。
必携品。
「何も今さら……」というのが、私の実感。
こうした規制は、20年近く前、「PT」という女子向き雑誌が、
国会で問題になったとき、しておくべきだった。
が、これに対して、いくつかの団体が、猛反発。
「表現の自由、言論の自由の侵害」「捜索活動を萎縮させる」と。
しかしこういうのを、表現の自由とは言わない。
言論の自由を盾に取って守らなければならない、自由でもない。
むしろ逆。
表現の自由とか、言論の自由とか、そういう言葉を使って、自分たちの
醜い商業主義をカモフラージュしているだけ。
日本には、モラル、哲学、宗教がない。
ないから、法律で規制するしかない。
たとえば援助交際にしても、話題にのぼらなくなったのは、それがなくなったからでは
ない。
あまりにも日常的になり過ぎたからにほかならない。
それがわからなければ、その時間帯(夕暮れ時)に、コンビニをのぞいてみること。
コンビニが待ち合わせ場所になっている。
携帯電話を片手に、女子中学生や高校生が、あやしげな車につぎつぎと乗り込んでいく。
世界でも、ここまで退廃した国は、そうはない。
+++++++++++++以下、Yahoo Newsより++++++++++++
(注※1)【性描写漫画の規制条例が成立】=付帯決議で「慎重な運用を」
過激な性描写のある漫画やアニメの販売規制を目的に、東京都が12月議会に提出してい
た青少年健全育成条例改正案が、15日の都議会本会議で民主、自民、公明各党の賛成多数
により可決、成立した。ただ、「創作活動を萎縮させる」との指摘もあるため、条例の慎重
な運用を求める付帯決議も行った。条例は来年7月1日までに施行される。共産党と生活
者ネットワーク・みらいは反対した。
+++++++++++++以上、Yahoo Newsより++++++++++++
●では、どうすれなよいか
こうした風潮を改めるには、つまりあなたの子どもをこうした風潮から守るためには、
方法は、ただひとつ。
子どもに心の抵抗力をつける。
方法は簡単。
子どもに夢と希望をもたせ、その先に目標をもたせる。
わかりやすく言えば、子どもが好きなことをできる環境を用意する。
それについては、何度も書いてきたので、その原稿を、このあとに添付する。
が、残念なことに、現在の教育環境は、子どものもつ多様性に答えるしくみになって
いない。
「学校以外に道はなく、学校を離れて、夢や希望を育てる方法もない」。
どうして欧米がみなしているように、教育を自由化しないのか。
多様な教育方法を認めないのか。
たとえばドイツやフランスでは、子どもたちはみな、クラブに通っている。
いろいろなクラブがある。
英数国社理のような基本科目は、学校で教えればよい。
しかしそれ以外の科目は、民間に任せればよい。
私が言う「自由化」というのは、それをいう。
何も学校を解体せよと言っているのではない。
+++++++++++++++
心の抵抗力について書いた
原稿をさがしてみました。
2006年に、当時の講演用に
書いた原稿です。
+++++++++++++++
【心を支える、3つの物語】
●私が「私」であるためには、3つの柱が必要です。
(1)(したいこと)を、現実に(している)という実感、つまりは自我の同一性
(2)「いつも、私は、私でいられる」という連続性、一貫性
(3)他者との関係で、いつも良好な人間関係をもつことができるという社会性。
+++++++++++++++++++
「したいことをする」という姿勢の中から、夢や希望、それに目標が生まれます。自
分の描いた自己概念と、現実の自分が一致している。それが「私」でいるための第一条件
ですね。
つぎに、どんなばあいも、私は、自分でいられる。動じない。それが「私」というこ
とになります。
また「私」は、いつも、社会というカガミの中で、映し出されます。そもそも社会性
をもたない「私」は、私ではないということです。
今回は、これら3つの柱を中心に、時間が許すかぎり、私の個人的な過去もふまえて、
子どもの心を伸ばす、3つの物語を、みなさんに、お伝えしたいです。どうか、よろしく
お願いします。
+++++++++++++++++
【意外とシンプルな、心をはぐくむメカニズム】
●(自分のしたいことをする)……それが子ども自身を伸ばす原動力となります。
●(したいこと)をしている子どもは、生き生きとしています。夢や希望もそこから生ま
れ、
その先には、目標が生まれます。
●子どもを守るのは、子ども自身の中の、(心の抵抗力)です。目的がしっかりしている子
どもは、その抵抗力も強くなります。
***************************
●同一性の危機(1)
万引き、自転車盗、薬物濫用、暴走、家庭内暴力、校内暴力、性非行、無断外泊、いじめ
を、非行という(会津若松警察書)。子どもは、(自分のしたいこと)と、(現実にしている
こと)の間に遊離感を覚えたとき、無意識のうちにも、その距離を、縮めようとする。子
どもの耐性にもよるが、それが一定の限界(個人差は当然ある)を超えたとき、子どもの
自我の同一性は、危機に立たされる。
●夢・希望・目的(2)
夢・希望・目的は、子どもを伸ばす、三種の神器。これら夢・希望・目的は、(自分のした
いこと)と、(現実にしていること)が一致しているとき、あるいは、そこに一体感がある
とき、そこから生まれる。「ぼくはサッカー選手になる」「私はケーキ屋さんになる」と。
そしてサッカーの練習をしたり、ケーキを自分で焼いてみたりする。「プロの選手になる」
とか、「パン屋さんになる」とかいう目的は、そこから生まれる。
●子どもの忍耐力(3)
同一性が危機に立たされると、子どもは、それを修復しようとする。(自分のしたいこと)
を、別のものに置きかえたり、(現実にしていること)を、修正しようとしたりする。ある
いは「したくないが、がんばってやってみよう」と考えたりする。ここで登場するのが、
忍耐力ということになる。子どもにとって、忍耐力とは、(いやなことをする力)をいう。
この忍耐力は、幼児期までに、ほぼ完成される。
●同一性の崩壊(4)
同一性を支えきれなくなると、そこで同一性の崩壊が始まる。子ども自身、自分が何をし
たいか、わからなくなってしまう。また何をしてよいのか、わからなくなってしまう。「私
は何だ」「私はだれだ」と。「私はどこへ行けばよいのか」「何をすればよいのか」と。それ
は「混乱」というような、なまやさしいものではない。まさに「自己の崩壊」とも言うべ
きもの。当然、子どもは、目的を見失う。
●顔のない自分(5)
同一性が崩壊すると、いわゆる(顔のない自分)になる。で、このとき、子どもは、大き
く分けて、二つの道へと進む。(1)自分の顔をつくるため、攻撃的かつ暴力的になる(攻
撃型)。(2)顔のない自分のまま、引きこもったり、カラに閉じこもったりする(逃避型)。
ほかに、同情型、依存型、服従型をとる子どももいる。顔のない自分は、最悪のケースで
は、そのまま自己否定(=自殺)へとつながってしまう。
●校内暴力(6)
暴力的な子どもに向かって、「そんなことをすれば、君がみなに嫌われるだけだよ」と諭(さ
と)しても、意味はない。その子どもは、みなに嫌われ、怖れられることで、(自分の顔)
をつくろうとする。(顔のない自分)よりは、(顔のある自分)を選ぶ、。だからみなが、恐
れれば、怖れるほど、その子どもにとっては、居心地のよい世界となる。攻撃型の子ども
の心理的のメカニズムは、こうして説明される。
●子どもの自殺(7)
おとなは、生きるのがいやになって、その結果として、自殺を選ぶ。しかし子どものばあ
いは、(顔のない自分)に耐えきれず、自殺を選ぶ。自殺することによって、(自分の顔)
を主張する。近年ふえているリストカットも、同じように説明できる。リストカットする
ことで、自分を主張し、他人からの注目(同情、あわれみなど)を得ようとする。「贖罪(し
ょくざい)のために、リストカットする」と説く学者もいる(稲富正治氏ほか)。
●自虐的攻撃性(8)
攻撃型といっても、2つのタイプがある。外に向って攻撃的になる(校内暴力)と、内に
向って攻撃的になる(ガリ勉、猛練習)タイプ。「勉強しかしない」「勉強しかできない」「朝
から寝るまで勉強」というタイプは、後者ということになる。決して、勉強を楽しんでい
るのではない。「勉強」という場で、(自分の顔)をつくろうとしていると考えるとわかり
やすい。近年、有名になったスポーツ選手の中には、このタイプの人は少なくない。
●自我の同一性(9)
(子どもがしたがっている)ことに、静かに耳を傾ける。そしてそれができるように、子
どもの環境を整えていく。そうすることで、子どもは、(自分のしたいこと)と、(自分が
していること)を一致させることができる。これを「自我の同一性」という。この両者が
一致している子どもは、夢や希望もあり、当然、目的もあるから、見た目にも、落ちつい
ていて、どっしりとしている。抵抗力もあるから、誘惑にも強い。
●心の抵抗力(10)
「私は~~をしたい」「ぼくは~~する」と、目的と方向性をしっかりともっている子ども
は、心の抵抗力も強い。外部からの誘惑があっても、それをはねのける。小学校の高学年
から中学校にかけては、その誘惑が、激増する。そうした誘惑をはね返していく。が、同
一性が崩壊している子どもは、生きザマが、せつな的、享楽的になるため、悪からの誘い
があると、スーッとその世界に入ってしまう。
●夢や希望を育てる(11)
たとえば子どもが、「花屋さんになりたい」と言ったとする。そのとき重要なことは、親は、
それに答えて、「そうね、花屋さんはすてきね」「明日、球根を買ってきて、育ててみまし
ょうか」「お花の図鑑を買ってきましょうか」と、子どもの夢や希望を、育ててやること。
が、たいていの親は、この段階で、子どもの夢や希望を、つぶしてしまう。そしてこう言
う。「花屋さんも、いいけど、ちゃんと漢字も覚えてね」と。
●子どもを伸ばす三種の神器(12)
子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。
中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と
思って、一日を終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学
会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それを伸
ばすのは、親の義務と、心得る。
●役割混乱(13)
子どもは、成長するにつれて、心の充実をはかる。これを内面化というが、そのとき同時
に、「自分らしさ」を形成していく。「花屋さんになりたい」と言った子どもは、いつの間
にか、自分の周囲に、それらしさを作っていく。これを「役割形成」という。子どもを伸
ばすコツは、その役割形成を、じょうずに育てていく。それを破壊すると、子どもは、「役
割混乱」を起こし、精神的にも、情緒的にも、たいへん不安定になり、混乱する。
●思考プロセス(回路)(14)
しかし重要なのは、「思考プロセス」。幼いときは、「花屋さんになりたい」と思ってがんば
っていた子どもが、年齢とともに、今度は、「看護婦さんになりたい」と言うかもしれない。
しかし幼いときに、花屋さんになりたいと思ってがんばっていた道筋、あるいは思考プロ
セスは、そのまま残る。その道筋に、花屋さんにかわって、今度は、看護婦が、そこへ入
る。中身はかわるかもしれないが、今度は、子どもは、看護婦さんになるために、がんば
り始める。
●進学校と受験勉強(15)
たいへんよく誤解されるが、「いい高校」「いい大学」へ入ることは、一昔前までは、目的
になりえたが、今は、そういう時代ではない。学歴の権威を支える、権威主義社会そのも
のが崩壊してしまった。親は、旧態依然の考え方で、「いい大学へ入ることが目的」と考え
やすいが、子どもにとっては、それは、ここでいう目的ではない。「受験が近いから、(好
きな)サッカーをやめて、受験塾へ行きなさい」と子どもを追うことで、親は子どもの夢
をつぶす。「つぶしている」という意識すらないまま……。
●これからはプロの時代(16)
これからはプロが生き残る時代。オールマイティなジェネラリストより、一芸にひいでた
プロのほうが、尊重される。大手のT自動車の面接試験でも、学歴不問。そのかわり、「君
は何ができるか?」と聞かれる時代になってきている。大切なことは、子どもが、生き生
きと、自分の人生を歩んでいくこと。そのためにも、子どもの一芸を大切にする。「これだ
けは、だれにも負けない」というものを、子どもの中につくる。それが将来、子どもを伸
ばす。
●大学生の問題(17)
現在、ほとんどの高校生は、入れる大学の入れる学部という視点で、大学や学部を選んで
いる。もともと、勉強する目的すらもっていない。そのため、入学すると同時に、無気力
になってしまったり、遊びに夢中になってしまう大学生が多い。燃え尽きてしまったり、
荷おろし症候群といって、いわゆる心が宙ぶらりんになってしまう子どもも多い。当然、
誘惑にも弱くなる。
●自我の同一性と役割形成(18)
子どもをまっすぐ伸ばすためには、(子どもがしたがっていること)を、(現在しているこ
と)に一致させていく。そしてそれを励まし、伸ばす。親の価値観だけで、「それはつまら
ない仕事」「そんなことは意味がない」などと、言ってはいけない。繰りかえすが、子ども
が、「お花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「それはすてきね」と言ってあげる。
こういう育児姿勢が、子どもを、まっすぐ伸ばす基礎をつくる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司●
同一性の危機●夢・希望・目的●子どもの忍耐力●同一性の崩壊●顔のない自分●校内暴
力●子
どもの自殺●自虐的攻撃性●自我の同一性●心の抵抗力●夢や希望を育てる●子どもを伸
ばす
三種の神器●役割混乱●思考プロセス(回路)●進学校と受験勉強●これからはプロの時
代●
大学生の問題●自我の同一性と役割形成 心の抵抗力 自我の同一性)
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 心の抵抗力 子どもを非行から守る法 子どもの心を守る。)
++++++++++++++++++はやし浩司
●心の抵抗力
心にも抵抗力がある。
その抵抗力が弱くなると、子どものばあい、一義的には、非行に走りやすくなる。
言い換えると、非行から子どもを守るためには、心の抵抗力を強くすればよい。
つまり講演の切り口を、(1)「子どもを伸ばすこんな方法」にするか、(2)「子どもを
非行から守る、こんな方法」にするか。
3番目の話が、どうしても決まらない。
どちらにしようか……?
それは講演会場の雰囲気で決めるしかない。
これから運動を2単位(40分x2)、こなしてくる。
2011/11/30記
Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司
●11月30日(水曜日)
風もない。
のどかな小春日和(びより)。
一匹の蛾が、半分枯れた畑の周りを飛んでいる。
左から右へと。
パラパラ、パラパラ……。
せわしない飛び方だ。
が、それを除けば、動くものはない。
葉先を照らす白い光も、今は動きを止めている。
●般若(ハンニャー)
よく耳にしているものの、意味がよくわからないまま使っている言葉というのは、多い。
「般若(ハンニャー)」も、そのひとつ。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
「般若(はんにゃ)、サンスクリット語:prajñā プラジュニャー、パーリ語:パンニャー、
音写:斑若、鉢若、般羅若、鉢羅枳嬢など)は、一般には智慧といい、仏教におけるいろ
いろの修行の結果として得られた「さとり」の智慧をいう」と。
私は子どものころ、「はんにゃ」と聞いたとき、即、能面のひとつの、あの恐ろしい顔を
連想した。
「どうしてそんな恐ろしい話が、お経にあるのか」と。
「般若」が「智慧」を意味することを知ったのは、ずっとあとのことだった。
「いろいろの修行の結果として得られた悟りの智慧」を「ハンニャー」というらしい。
が、ここまで詳しくは知らなかった。
ウィキペディア百科事典によれば、「はんにゃ」は、パーリ語の「パンニャー」に由来する
という。
「般若」は、中国語(漢語)の当て字。
だから「般」とは何かとか、「若」とは何かとか、漢字からその意味をさぐっても、文字通
り、意味はない。
同じように、よく話題になるが、「南無」もそうだ。
「南無」も、サンスクリット語の「ナム」の当て字。
インド大使館の中の領事部に電話で意味を確かめたことがある。
学術部というところがある。
意味は、「Hello(こんにちは)」に相当する言葉だそうだ。
もともとは「帰依します」という言葉だったとか。
が、今は、そんなむずかしい意味で使っている人はいない。
インドでは、「ナマ(=ナム)・ステ(あなたに帰依します)」というように言い、あいさつ
言葉として使っている。
で、その「般若」。
『般若心経(ハンニャーシンギョウ)』は、あまりにも有名である。
正式には『摩訶般若波羅蜜多心経』というのだそうだ。
ここでいう「心」は、「心臓」。
これは当て字ではなく、漢語の「心」を置いた。
「心臓のように重要な」という意味でそうしたらしい。
「経」はもちろん、あとで中国人が勝手につけ足した。
●中国語
多くの経典は、「仏説……」で始まる。
「仏が以下のように、……と言った」という意味である。
が、それにつづく経文は、ほとんどが当て字。
今ではYOUTUBEを使って、チベット僧たちの読経を直接聞くこともできる。
発音が、日本で聞く経典と、たいへんよく似ているのがわかる。
つまり中国人たちは、経典を、日本でいうなら英語をカタカナで書くように、自分たちの
漢字を使って、「音」を表した。
だから今、中国人に、仏教の経典を見せ、意味をたずねても、わかるはずもない。
私も若いころ、何度かそういうことをした経験がある。
つまり経典の意味をたずねたことがある。
が、みなこう言った。
「まったく、プーミンバイ(わからない)」と。
●般若心経
どうしてここで「般若」を取り上げたか?
理由がある。
先日、恩師の1周忌に行ってきた。
その席で、みなが般若心経を僧侶の声に合わせて、読経していた。
が、私はひとり、静かに座っていた。
読経できなかったのは、私だけだった。
軽い屈辱感を覚えた。
以来、……まだ数日だが、ずっと般若心経について考えている。
何度か訳本のようなものは、読んだことがある。
しかしいつも、そのあたりで、思考が停止してしまう。
これにも理由がある。
というのも、般若心経の教えは、一言で表せば、生き様が後ろ向きで、暗い。
何もかも、空しい。
何をしても、空しい。
形あるものは、すべて無、と。
が、60歳を過ぎた今は、考え方がかなり変わってきた。
「空」の意味も、「無」の意味も、おぼろげながら、わかるようになってきた。
●モノ論
たとえばモノ。
このところモノに対する執着心が、どんどんと消えていくのを感ずる。
というか、ほとんど興味がない。
衣服にしても、家具にしても、どうでもよくなってしまった。
置き物や装飾品にしては、さらにそうで、今では世話になった人に、どんどんと分け与え
ている。
例外と言えば、パソコン関連。
パソコンも、モノはモノだが、少し感覚がちがう。
ひとつには、パソコンはモノだが、パソコンというのは、言うなれば別の宇宙への「窓
(WINDOW)」。
それにいくら高価なパソコンであっても、5年もすればただの箱。
今では2~3年ごとに、どんどんと変化していく。
骨董品のように、あとで価値が出てくるということはない。
簡単に言えば、ただの消耗品。
●「家」意識
が、昔の人は、「家」を意識した。
だから財産としてのモノに、大きく執着した。
先祖から自分、自分から子孫へ、と。
私の母がそうだった。
(父はその反面、モノには、まったくといいほど、関心がなかった。)
そういう価値観をもっている人にしてみれば、私のような生き様は理解できないだろう。
モノが、その家の価値を、裏付ける。
「家」意識の残る昔は、そうだった。
が、私も、今から思うと、母の影響を強く受けていた。
だから若いころは、よく骨董品屋を回った。
絵画も買い集めた。
価値のあるモノは、財産だった。
しかし今は、変わった。
●時代の変化
たとえば切手にしても、古銭にしても、今では、ほとんど価値を失った。
切手などは、額面料金でしか、買ってもらえない。
江戸時代の古銭にしても、一枚いくらではなく、目方でいくらというような売買の仕方を
する。
骨董品にいたっては、売ることすらむずかしい。
実際には、買ってもらえない。
実際、モノというのは、そういうものかもしれない。
私たちが「価値あるもの」と信じているものは、幻想のようなもの。
このことを即、『般若心経』に結びつけて考えることはできない。
しかしおぼろげながら、あくまでもおぼろげながら、「無」の意味がわかるようになった。
●人間電子レンジ
話題を変えよう。
数日前、あるところのある通りを歩いた。
一角がビルになっていて、その一室に、老人たち、20~25人が椅子に並んでいるのが
見えた。
何かの健康器具の販売会のようだった。
1人の女性(45歳くらい)が、ツボマッサージ器のような器具をもち、順に何かを説明
していた。
……というような回りくどい言い方はやめよう。
例の「人間電子レンジ」である。
(私は原理的な構造からみて、そう呼んでいる。)
椅子型の人間電子レンジ。
原理的には、電子レンジと同じ。
それに座っていると、体中が、ポカポカと温かくなってくる。
そうした効果が、もろもろの病気に効く……というわけである。
窓ガラスには、「慢性的な頭痛で苦しんでいませんか」「慢性的な腰痛で苦しんでいません
か」というような張り紙が、ぎっしりとしてあった。
「治る」という言葉は、薬事法に抵触するため、使えない。
だからそういう表現にしたのだろう。
もちろん人間電子レンジといっても、家庭で使うような強力な電子レンジではない。
20~30分もすると、何となく温まってきたかな……という程度のもの。
たとえて言うなら、温泉にでもつかったような暖かさを感ずる。
しかも人体の外部からではなく、内部から、その暖かさを感ずる。
●電磁波
が、問題は、それが発する電磁波。
ここに書いた健康器具がそうというわけではない。(誤解のないように!)
たとえば欧米では、電磁波に発ガン性があるということで、高圧線の近くは、学校の建設
すら規制されている(アメリカなど)。
一方、この日本では、電磁波を規制する法律すらない。
健康への影響についても、ほとんど問題になっていない。
もしそれが大きな問題になると、電力会社にとっては、まことにもって都合が悪い。
この日本では、電線がそれこそまさに野放しになっている。
日本の空という空を、それこそ蜘蛛の巣のように張りめぐされている。
家屋から数メートルしか離れていないところに、巨大なトランス(変圧器)が設置されて
いるところもある。
電磁波は、基本的には、危険なものである。
DNAレベルにまで、影響を与えると言われている。
脳腫瘍や小児白血病の原因になると言われている。
が、どの程度危険か……ということになると、それがはっきりしていない。
(参考:くわしくは、ウィキペディア百科事典
……http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E7%A3%81%E6%B3%A2)
仮にその住宅に住む人がガンになったとしても、高圧線との因果関係を特定することは、
たいへんむずかしい。
……ということで、野放し。
(この話は、日本の原子力発電所の話とどこか似ている?
電力会社のやることは、どうも信用できない。)
これ以上のことは、私にもわからない。
が、これだけは言える。
人間電子レンジは、健康によいというよりも、(その根拠もないが)、長く使用すれば、そ
れなりの弊害が現れるのではないのか。
その心配はないのか?
ウィキペディア百科事典によれば、いろいろな学者が、安全性や危険性についての論文を
書いている。
鍼灸院や接骨院では、常設しているところもあるという。
ここではあくまでも、「?」としておく。
●浜北区での講演会
夜、浜北区での講演会で講師を務めた。
できは、最悪!
「3つのキーワード」というテーマで話すつもりだったが、当初の予定より、時間が20
分、短縮された。
それもあって、急きょ、3つのテーマを2つにしぼる。
順番を入れ替える。
段階を追いながら……という当初の予定が、崩れる。
演壇にあがるまで、頭の中が混乱する。
……ということで、出だしから、話の内容がめちゃめちゃ。
で、なんとか、2つの話をし終えたところで時計を見ると、残り10分!
10分しかない!
(10分もある!)
さあ、どうしようかと頭の中、さらに混乱する。
10分で、3つ目のテーマについて話すのは無理。
しかし早く終わるわけにはいかない。
……ということで、3つ目のテーマを話し始める。
早口になる。
ハラハラ、ドキドキ……。
が、やはり途中で、時間切れ!
最後は、「3つ目の話は忘れてください」と。
今までに、そんなドジな言い方で、講演を締めくくったことはない。
最後のあいさつがすんだとたん、居場所がなくなってしまった。
落ち着かなかった。
そのまま演壇から消えたかった。
……早く消えたかった。
●帰宅
控え室に入ると、ワイフがつづいて入ってきた。
いつもなら、「どうだった?」と聞くが、その勇気もなかった。
出されたお茶を飲んで、そのまま外へ。
気分が重かった。
ワ「暖かいわね……」
私「……」
ワ「いつもなら、もっと寒いのに……」
私「……」と。
家に戻る途中、レストランで、遅い夕食を食べた。
ときどきワイフが慰めてくれた。
が、家に帰ると、生徒の母親からメールが届いていた。
恐る恐る開くと、こうあった。
「……お世話になります、SGです。
講演会は少し遠かったので迷いましたが、久々に先生のお話が聞けて思い切って行って本
当によかったです。
すばらしいお話をありがとうございました。
また機会がありましたら是非お願い致します。
父の実家が浜北文化センターのすぐそばで、私も3歳までその大家族で育ち、文化センタ
ーが建った昔神社の敷地だった所は、遊び場でした。懐かしい場所です。
先生には長男のTRが小学校1年生の時からですから、もう10年以上もお世話になって
おります。
先生のような方が浜松にいらして、息子達が教えていただけたことは本当に奇跡のような
有り難い事だと思い感謝しております」と。
「……そんなはずはない……」と思いながら、何度も読み返す。
胸が熱くなる。
「1人でもそういう人がいてくれただけでも、うれしい」と、自分に言って聞かす。
で、それを読んだあと、今回、講演会の主宰してくれた、担当のIK先生にメールを書く。
詫びのメールである。
「できは最悪で、申し訳ありませんでした」と。
●潮時
10年ほど前だったら、浜北区(旧浜北市)で講演すれば、いつも会場は、120%の
入りだった。
が、今回は、ガラガラ。
自分の力なさ……というか、限界を感じた。
「そろそろぼくも、潮時だね」と、寝る前にワイフにこぼす。
50代のころのような元気は、もうない。
早口になったとき、言葉がもつれることがある。
気力も弱くなった。
私「50代のころだったら、10分も早く終わるなどというドジなことはしなかった……」
ワ「そんなことないわよ」と。
そのつどワイフは何度も、「そんなことないわよ」と慰めてくれた。
●礼のメール
翌日、IK先生からメールが届いた。
それには、こうあった。
『はやし先生
昨日は、素晴らしいご講演をいただき、本当にありがとうございました。
事務局が不慣れなため、失礼な面が多々あったと思いますが、さわやかに接していただき、
ありがとうございます。
昨日いただいた本は、職員みんなで読ませていただきます。
アンケート結果は、9割の方が「とてもよかった」1割の方が「よかった」と回答していま
した。「子育てを見直す機会となった」「早速実践していきたい」「分かりやすかった」など
の意見とともに、「3つめのキーワードのお話についても、もっと聞きたかった」という意
見もかなりありました。
今朝の職員室でも、「昨日の講演、よかったね」の声が多数聞かれました。
はやし先生にお願いして、本当によかったと思います。
先生のお話は、もっと多くの方に聞いていただきたいので、機会がありましたら、またお
願いしたいと思います。
昨日は、本当にありがとうございました。
メールにて失礼かとも思いましたが、取り急ぎお礼をさせていただきました』と。
???????????????
コピーしてそれをワイフに渡す。
それを読んでワイフがこう言った。
「ほらね、何もあなたは失敗なんかしてないのよ」と。
私は、ただ、「本当かなあ?」を繰り返すのみ。
ふつうなら喜んでよいはずのメールである。
が、今回は、どうしてもそんな気分になれない。
●失敗感
おかしなもので、年を重ねるごとに、講演するのが恐くなってきた。
若いころは、無鉄砲というか、恐いもの知らずというか、平気だった。
が、60歳を過ぎるころから、恐くなってきた。
今は、もっと恐い。
ひとつには、「失敗感」が強くなったことがある。
講演を終えるたびに、ガクリとくる。
「今日も失敗だった」と。
落ち込みがはげしくなった。
とくにこの数年、自分で納得できる講演をしたことがない。
どれもボロボロ。
一応筋書きを書くのだが、その筋書き通りに話したことは、一度もない。
話の途中で、めちゃめちゃになってしまう。
だからいつもこう思う。
「今度こそ……!」と。
しかしそのつど、また失敗する。
その繰り返し。
来週は、三島市での講演がある。
だから今、こう誓う。
「今度こそ、失敗しないぞ!」と。
Hiroshi Hayashi++++++Dec. 2011++++++はやし浩司・林浩司
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●闇路に迷う愚痴人間(はやし浩司 2011-11-29朝記)
+++++++++++++++++
「闇路に迷う愚痴人間」。
まさにその通り。
「愚痴」というのは、「法を知らない愚かな」という意味。
「法」とは、すなわち、「仏法」をいう。
つまり私のこと。
+++++++++++++++++
●週刊現代を読む
昨日、夕食のあと、空き時間があった。
『週刊現代』(2011・12・10)を読む。
改めて、60歳以上の人たちが置かれた立場のきびしさを実感する。
うすうすわかってはいたが、具体的な数字で示されると、衝撃も大きい。
働くといっても、60歳以上の人には、満足な仕事すらない。
ほんの少し前には、少子化による労働力不足が叫ばれた。
が、今は、仕事そのものがない。
働きたくても、また働かなければならなくても、仕事そのものがない。
●ターニング・ポイント
円高から、円安へ。
そのあとこの日本は、一気にハイパーインフレの時代へと突入する。
そのターニング・ポイントはいつか。
その目安となるのが、日本国債の応札倍率と利回り。
国債の利回りが、急激に上昇し始めたとき、あるいは上昇したときが、あぶない。
先日のドイツのように応札倍率が、1倍に満たないとき、つまり「札割れ」したときも、
あぶない。
そのとたん……というより、その瞬間から、日本は一気に円安に向かう。
●札が紙くずに
日本の国家債務が、1000兆円。
地方債務を含めれば、その額は、もっとふくらむ。
国家税収(=収入)が40兆円余りだから、その25倍ということになる。
たとえて言うなら、年収が400万円の人が、1億円の借金を抱えているに等しい。
見た目には豊かでも、中身はガタガタ。
が、私はこの数字を逆に読む。
「日本は、実際には、25年前に逆戻りしてもおかしくない」と。
つまり2011-25=1986年。
1986年だぞ!
それ以後の日本は、まさに砂上の上に築いた楼閣のようなもの。
わかりやすく言えば、1986年以後築いた財産などは、すべて失っても文句は言えない。
●1986年(昭和61年)
1986年という年は、どんな年だったのか。
講談社の「20世紀全記録」によれば、つぎのようにある。
1月……「チャレンジャー」爆発……砕かれた宇宙開発の夢、7人、全員死ぬ
2月……「ピープルズパワー」……マルコス追放
3月……(とくに目立ったニュースなし。)
4月……ハレー彗星接近、そしてあの「チェルノブイリ原子力発電所・爆発!」
5月……チャールズ英皇太子、ダイアナ妃と来日
6月……(とくに目立ったニュースなし。)
7月……ワールドカップ・アルゼンチン優勝……マラドーナの5人抜き
8月……タイタニック号を撮影、円高1ドルが152円に
9月……(とくに目立ったニュースなし。)
10月……第10回、アジア大会、ソウルで開催
11月……レーガン・ゴルバチョフのレイキャビク会談失敗、三原山209年ぶり噴火
12月……数十年ぶり、ヨーロッパ全土に大寒波襲来
「チェルノブイリ原子力発電所・爆発」と書いたとき、心底、ドキッとした。
それから25年。
この日本でも、同じことが起きた!
●精神
しかし60歳以上の人には、さらにきびしい現実が待ち構えている。
仕事だけが問題ではない。
どう精神的に自分を支えていくか……。
実は、こちらの問題のほうが、大きく、かつ深刻。
たとえて言うなら、目的地のわからない暗い夜道を歩くようなもの。
その先に待っているのは、断崖絶壁。
それでも死ぬこともできず、ただひたすら歩きつづける。
そういう中で、自分をどう精神的に支えていくか。
●IMFへの出資比率
昨日、IMFについて書いた。
「日本は大口出資者なのに、ディレクター(理事)のメンバーに加えられていないのはお
かしい」と。
そこで調べてみた。
「大口」(ウィキペディア百科事典)とは、何か。
「間違いだらけの金融知識」サイトにそれが、あった。
……2010年11月5日の理事会で、IMFは新しい出資比率の改定を承認した。
この承認案は2012年の発効を目指しており、また、出資金総額も7557億ドル(約6
1兆円)にほぼ倍増される予定。
背景には、ギリシャやウクライナなどへの金融支援によって、資金基盤の増強が急務であ
ることがあげられている。(以上「間違いだらけの金融知識」より)
(以下、出資比率、単位は(%))
1位 米国 17.407
2位 日本 6.464
3位 中国 6.394
4位 ドイツ 5.586
5位 フランス 4.227
6位 英国 4.227
7位 イタリア 3.161
(以下、つづく)
日本の出資率は、6・464%。
出資金は、61兆円x0・06464=3・94兆円となる。
「今回の増資による出資金は約2兆円」(同サイト)とある。
その後、それだけの出資金を支払ったかどうかは知らない。
(たぶん、日本のことだから、支払ったにちがいないが……。)
「お金がない」と言いながら、どうして日本は外国では、こんなに気前がいいのだろう。
数週間前には、野田首相は、東南アジアで2兆円もばらまいてきた。
●お金
お金で人を助けてはいけない。
助けた方は、「相手は感謝しているはず」と考えがち。
しかしその相手は、その場だけ。
ばあいによっては、逆恨みされる。
「返せ」と言えば、そのとき人間関係は終わる。
が、それだけではない。
一度、保護・依存の関係ができると、それを断ち切るのは容易なことではない。
助けてもらうほうは、いつまでも、それを当然ととらえる。
国際関係を見ていると、それがよくわかる。
あの3・11大震災のときも、民間の義援金の話は耳にした。
とくに台湾からの義援金は、突出していた。
しかしどこかの国が、国として復興費用を支援してくれたという話は聞いていない。
日本は、今まで何をしてきたのか。
そのつどそれぞれの国で、1兆円単位のお金をばらまいてきた。
受け取る方は「Thank You」と言うかもしれない。
しかしいつもそのままで終わってしまう。
●親子でも
親子でも、お金の貸し借りはしてはいけない。
息子や娘のほうは、必要になるたびに、こう言う。
「就職したら返すから」「給料があがったら返すから」と。
が、いまだかって、そういう息子や娘が、親にお金を返したという話も聞いたことがない。
で、親がいよいよ生活に困るようになって、息子や娘にこう言う。
「そろそろ少し返してくれないか?」と。
とたん息子や娘の態度が豹変する。
「家でも土地でも、売ればいい」と。
「お父さんには年金があるだろ」と、息子に直接言われた知人もいる。
さらに「お前は見返りを求めて、オレたちを育ててきたのか」と、息子に怒鳴られた知人
もいる。
今、親子の関係も、ここまで希薄になっている。
●どうでもなれ!
現世に執着するかぎり、私たちはこの闇路から抜け出ることはできない。
抜け出るためには、執着、あるいは執着心を捨てなければならない。
執着があるから、迷い、悩み、苦しむ。
が、ひとたび執着を捨ててしまえば、前の道が、パッと明るくなる。
わかりやすく言えば、「どうでもなれ!」と宣言すればよい。
自分の命すらも、この宇宙という大自然界に託す。
……とまあ、口で言うのは簡単なこと。
しかし実際、そこまで割り切らないと、この複雑怪奇な世界では、楽しく生きていくこと
はできない。
「どうでもなれ!」と。
●闇路に迷う愚痴人間
今日も闇路に迷う。
明日も闇路に迷う。
今までも闇路に迷ってばかり。
いつになったら、執着から解放され、安穏の世界に入ることができるのだろう。
そこにある「現実」を前にすると、かけ声ばかりで、前に進まない。
「とりあえずすべきことは……」と考えたとき、思いつくのは「生活」のことばかり。
「この原稿を書くのが終わったら、30分、運動をしよう」
「今日は胃の調子がよくないから、節食しよう」
「明後日からの教材の準備を始めよう」
「為替の様子を見て、現金を現物資産に交換してこよう」
「AさんとBさんに、暮れの付け届けを送ろう」
「年賀状のデザインを考えよう」などなど。
『六趣輪廻(りんね)』に振り回されながら、それに抵抗する術(すべ)もない。
こんな私には安穏の世界など、夢のまた夢。
ドロドロした現実の中で、今日もこうして生きていく。
ア~ア!
では、みなさん、おはようございます。
こうして私は、すでに1時間も、命を無駄にしてしまった。
もう一度、ア~ア!
Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
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はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■
【BW生・募集中!】
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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