Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, February 19, 2012

●思いつくまま、意味のない駄文

【不安の時代……意味のない雑文】(人類が滅亡する?)

(注意:意味のない雑文(=駄文?)です。
どうかあらかじめ、ご承知置き下さい。)

●地球滅亡?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 今、不気味な情報が行き交っている。
この地球が滅亡する、と。
「2012年に地球が滅亡する」という、マヤの予言説が根拠(?)になっているらしい。

 天変地異説、パンデミック説(世界的大流行)、巨大隕石落下説、惑星衝突説などなど。
もちろん地球温暖化による、欧米地域の氷河説もある。

 「地球温暖化による氷河期説」というのは、大洋の海流の流れが変わり、中緯度帯が急速に寒冷化するというもの。
さらに恐ろしいものもある。
超新星(ベテルギウス)爆発説、太陽系のフォトンベルト突入説、宇宙人の侵略説。
さらに核戦争説などなど。
ゾーッ!

 では、そのまま人類は、地球もろとも消滅するのかというと、そうでもないらしい。
「アセッション」という言葉も生まれた。
「次元上昇」という意味らしいが、次元上昇することによって、人類は生き残ることができる、と。

 心配なのは、こうした説をふりかざし、現在、無数の集団や団体が生まれつつあること。
カルト化しているのもある。

つい先日もどこかのインチキ宗教団体が、摘発されている。
何でも女性信者は、みな、ミニスカートの着用が義務づけられていたとか。
そういう信者が教祖の指導に従い、床の上をごろごろと寝転がって回る。
インチキもインチキだが、そういうカルトでも、信者が何百人もいたというから、驚きである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●思考力の欠落

 結論から先に言えば、思考力の欠落。
その一言に尽きる。

たとえば「アセッション」も、そのひとつ。
この人間の世界(次元)を離脱し、つぎのより高度な次元に到達するという。
15年ほど前から流行した、スピリチュアル(=霊)ブームが、それなりに理論化したものと思えばよい。
私たちが「そんなバカな」と思っている間に、それを信奉している人たちは、自ら理論武装してしまった。
それが「アセッション」。

 「肉体としての人類は滅亡するが、次元上昇したスピリット(霊)は、生き残る」と。

 それ以上のことはわからないので、ここでは否定も肯定もできない。
というのも私は、徹底した現実主義者。
若いころは、当時の大学生がみなそうであったように、ラッセルやサルトルに傾注した。
が、現実主義にも限界がある。
たとえば(現実)を中心にものを考えると、どうしても自己中心的になる。
それがときとして、利己主義に走る。

ただこの種のカルトは、人々の不安をエネルギーに、急速に力を拡大する。
人々をまちがった方向に導いてしまう。
今が、そのとき。

 1978年に起きた、人民寺院事件、1997年に起きた、ヘールボップ事件などが、よく知られている※。
これらはともに、集団自殺という悲惨な結果を招いている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※……人民寺院事件)

2008年2月18日にBLOGに載せた
原稿をそのまま紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●はびこるカルト信仰(Cult)

 ある有名なロックバンドのHという男が自殺したとき、わかっているだけでも女性を中心に、3~4名の若者があと追い自殺をした。

家族によって闇から闇へと隠された自殺者となると、もっと多いはず。
自殺をする人にはそれなりの人生観があり、また理由があってそうするのだろうから、私のような部外者がとやかく言っても始まらない。
しかしそれがもし、あなたの子どもだとしたら……。

 1997年の3月、ヘールボップすい星が地球に近づいたとき、世にも不可解な事件がアメリカで起きた。
「ハイアーソース」と名乗るカルト教団による、集団自殺事件である。

当時の新聞記事によると、この教団では、「ヘールボップすい星とともに現われる宇宙船とランデブーして、あの世に旅立つ」と、教えていたという。
結果、39人の若者が犠牲になった。

 この種の事件でよく知られている事件に、1978年にガイアナで起きた人民寺院信徒による集団自殺事件がある。
この事件では、何と914名もの信者が犠牲になっている。
なぜこんな忌まわしい事件が起きたのか。
また起きるのか。
「日本ではこんな事件は起きない」と考えるのは早計である。
子どもたちの世界にも大きな異変が起きつつある。
現実と空想の混濁が、それである。

 あの「たまごっち」にしても、あれはただのゲームではない。
あの不可解な生きもの(?)が死んだだけで、大泣きする子どもはいくらでもいた。
そして驚くなかれ、当時は、あのたまごっちを供養するための専門の寺まであった。
ウソや冗談で供養しているのではない。
本気だ。本気で供養していた。
中には手を合わせて、涙を流しているおとなもいた(NHK『電脳の果て』)。

 さらに最近のアニメやゲームの中には、カルト性をもったものも多い。
今はまだ娯楽の範囲だからよいようなものの、もしこれらのアニメやゲームが、思想性をもったらどうなるか。

仮にポケモンのサトシが、「子どもたちよ、二一世紀は暗い。一緒に死のう」と言えば、それに従ってしまう子どもが続出するかもしれない。
そうなれば、言論の自由だ、表現の自由だなどと、のんきなことを言ってはおれない。
あと追い自殺した若者たちは、その延長線上にいるにすぎない。

 さて世紀末。旧ソ連崩壊のときロシアで。
旧東ドイツ崩壊のときドイツで、それぞれカルト教団が急速に勢力を伸ばした。
社会情勢が不安定になり、人々が心のよりどころをなくしたとき、こうしたカルト教団が急速に勢力を伸ばす。

 終戦直後の日本がそうだったが、最近でも、経済危機や環境問題、食糧問題にかこつけて、急速に勢力を拡大しているカルト教団がある。
あやしげなパワーや念力、超能力を売りものにしている。
「金持ちになれる」とか「地球が滅亡するときには、天国へ入れる」とか教えるカルト教団もある。

フランスやベルギーでは、国をあげてこうしたカルト教団への監視を強めているが、この日本ではまったくの野放し。
果たしてこのままでよいのか。
子どもたちの未来は、本当に安全なのか。
あるいはあなた自身はだいじょうぶなのか。
あなたの子どもが犠牲者になってからでは遅い。

 このあたりで一度、腰を落ちつけて、子どもの世界をじっくりとながめてみてほしい。
(以上、2008年2月18日)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●2012年

 その2012年も、もう2月18日。
マヤの予言によれば、2012年、12月22日に、地球は滅亡するという。
(マヤの暦(こよみ)が、その日に終わっているというだけなのだが……。)
話としてはおもしろいが、バカバカしい。

もしそうなら、我が家の暦によれば、2012年12月31日に、この地球は滅亡することになる。
その日が、暦の最後の日になっている。

 ただまったく心配がないかといえば、そうでもない。
パンデミックをはじめ、いくつかある。
どれも可能性としては、ないわけではない。
枠(わく)を広げ、経済問題となると、さらに心配。
が、それが「2012年」に結びつくかといえば、それはどうか?
いつかは、そういうことがあるかもしれない。
しかし2012年に起こるとはかぎらない。

 ゆいいつ起こりうるのは、日本のデフォルト(国家破綻)。
2012年度中に、日本がデフォルト(国家破綻)する可能性は、きわめて高い。
が、これは、「地球」というより、この「日本」の問題。

●善と悪

 ともあれ、地球温暖化はもう、止めようがないということらしい。
私は「地球火星化」と呼んでいる。
そのほうが、ずっとわかりやすい。

 そこでその地球温暖化。
こうした危機を回避する方法はあるのか。
このまま座して死を待つだけなのか。

あるとすれば、ゆいいつの方法は、精神性の向上でしかない。
思考力の向上と言い換えてもよい。
もしこの世の中に、善と悪があるとするなら、思考力が「善」ということになる。
地球温暖化の元凶を一言で言い表せば、「人間の欲望」ということになる。
その欲望が、あらゆる場面で、地球温暖化を引き起こしている。

 その欲望の追求を、理性の力でいかにコントロールしていくか。
それができれば、人類は、生き残ることができる。
そうでなければ、そうでない。
核戦争を例にあげるまでもなく、人類は、自ら身を滅ぼす。

●シェルター

 ……今夜は深刻な話になってしまった。
昨夜見た映画、『メランコリア』が、悪い。
ああいう映画を見ると、ものの考え方すべてが、悲観的になる。
今の私が、そうだ。
それだけ私に与えた衝撃は大きかった。……ということになる。

 が、人間の心理というのは、おかしなもの。
自分に直接関係ない恐怖であれば、むしろそれを楽しむ傾向がある。
ありえない恐怖であれば、なおさら。
宇宙人による襲来も、そのひとつ。
もし宇宙人が襲来してきたら、私は、この山荘のどこかにシェルターを作り、その中に隠れる。

 で、そのシャルターを、どう作るか。
それを考えるのが、私の趣味にも、なっている。
先日も、Y氏(同年齢)とその話になった。
電話で、1時間も話した。

 ポイントは「水」。
「水さえ確保できれば、何とかなる」と。
そういう結論になった。

幸い、この山荘の水は、500メートル近く離れた山からパイプで引いている。
自然の湧水。
そのパイプを、さらに50メートルほど延長し、その先にシェルターを作る。
先にコンクリートで外枠だけ作り、ユンボで埋めればよい。 

 あとは電源と空気清浄器。
食料は、外に様子をうかがいながら、どこかで調達すればよい。
宇宙人も、まさか、こんな山奥まではやってこないだろう。

 Y氏も、私と同じことを考えていたのには、驚いた。

●願わくは……

 問題は経済危機。
注視すべきは、日本国債の金利。
その金利が上昇に転じたときが、あぶない。
日本国経済は、一気に奈落の底へと叩き落とされる。

 「私には年金があるから……」などと、のんびりと構えている人もいる。
が、それはどうかな?
それにつづくハイパーインフレの中で、年金も紙くずと化す。
さらに深刻な問題は、「失業」。
ギリシャの例を見るまでもなく、この日本でも、1000万人以上の人が職を失うと言われている。
20%の失業率で計算しても、6000万人x0・20=1200万人。

怖ろしい話だが、ことこの私に関して言えば、私は「万年失業者」。
今さら失うものは、何もない。
名誉も地位も肩書も、ない。
街でホームレスの人を見かけると、たまらないほどの共感を覚える。

 むしろ逆。
今まで、こうして無事、生きてこられたことに感謝している。
私が子どものころは、「人生、50年」と言った。
それ以後の人生は、(おまけ)。
釈迦もこう言っている(法句経)。

『明日のないことを嘆くな。今まで生きてきたことを、喜べ、感謝せよ』と。

 あとはその日、その日を懸命に生きていけばよい。
だれの世話にもならないし、なりたくない。
願わくは、ピンコロ。

 ……というふうに、いけばよいのだが……。
この世の中、生きていくのもたいへん。
死ぬのも、これまたたいへん。
簡単には、死ねない。

●ホームレスの人たち

 ところで、そのホームレスの人の話。
それだけの哲学をもった人がいるかどうかということもある。
が、ホームレスの人たちのほうが、一般世間の人たちより、より「真理」に近いところにいるのではないか。
最近の私は、ホームレスの人を見るたびに、そう思う。

 彼らはもともと「無」の世界に生きている。
俗世間から離れ、俗欲を断ち切って生きている。
孤独でさみしいだろうとは思うが、その分だけ、「真理」に近い。
むしろ俗世間の中で、四苦八苦している私たちのほうが、自分を見失っている。
それがわからなければ、少し前に亡くなった、どこかの国のあの独裁者を思い浮かべてみればよい。

 すべてをもつがゆえに、すべてを恐れていた。
結局はすべてを失い、この世を去っていった。
彼が残したものは、何もない。
生きている間も、1日とて、安穏たる日々はなかっただろう。
そうそうその独裁者にしても、夜な夜な、死者の亡霊に苦しんだという。
彼は何10万人という人たちを、粛清の名のもとに殺害している。
元側近の幹部が、そんな話を、言い伝えている。

●地球滅亡

 話を戻す。 

 地球が滅亡する?
ハハハ、日本の滅亡は困るが、地球が滅亡することは、ありえない。
私たち人類にしても、どんなことをしてでも、生き残る。
少人数にはなるかもしれない。
が、その人たちが、やがていつか、地球を再生させる。
それが私やあなたでなくても、嘆くことはない。
私やあなたより、はるかに賢い人たちが、地球を再生する。

 そのために、その基礎を、今、こうして残しておく。
みなが懸命に考え、善なる思考力を養っていく。
人類は今までも、こうして生き残ってきたし、これからも生き残っていく。

●夢

 話題を少し変える。
脱線する。
今朝、こんな夢を見た。

 ……私は教材で使う、ヒモ(紐)を探していた。
で、それを買うため、自転車で、外に出た。
見知らぬ通りだった。
そこを少し行くと、2、3人の人が立っていた。
その人たちに、こう聞いた。
「このあたりで、ヒモを売っている店はありませんか」と。

 すると1人の男性が、その先を指さし、こう言った。
この向こうに、丸七という店がある。
そこでヒモを売っている、と。

 私は言われたまま、その道を進んだ。
角にやってきた。
そこで偶然、昔、教えたことのあるOBと出会った。
そのOBに聞いた。
丸七は、どこにありますか、と。
OBは、笑いながら、「ほらっ」と。

 OBが指を差した方を見ると、目の前が、丸七があった。
が、店先には、大きな魚が並べてあった。
魚屋だった。
私はその店の中に入り、ヒモがありますか、と。
すると店の主人は、奥へと案内してくれた。
見ると、そこには、魚のヒモノ(乾物)が、いっぱい、並んでいた。

 ヒモとヒモノ?

●矛盾

 その夢の話を、隣りで寝ていたワイフにすると、ワイフはハハハと笑った。
ヒモとヒモノの話ということになる。
が、この夢は、矛盾している。
どう考えても、おかしい。

 夢全体は、「私」の世界。
ヒモを探した私も、「私」なら、それをヒモノとまちがえた魚屋も、「私」。
魚屋が別人格なら、魚屋がまちがえたということもある。
しかし魚屋も、「私」。

 わかりやすく言えば、自分で自分をだましたことになる。
あるいは自分が自分にだまされた、でもよい。
しかしそんなことはありえない。
だから矛盾している。
(話としては、おもしろいが……。)

●つづき

 この夢には、つづきがある。

 帰るとき、焼き芋を売っている人が近づいてきた。
私とワイフは、車の中にいた。
見ると巨大な焼き芋だった。

 「いくら?」と声をかけると、「1個、350円だよ」と。
「高いなア……」と思いながら、350円を払った。
が、ここで目が覚めた。

 その瞬間、こう思った。
「350万円、払ってやればよかった」と。

 どうせ夢は夢。
3500万円払ったところで、どうということはない。
が、私は、350円を、高いと思ってしまった。
その「高い」という思いは、どこからどのようにして生まれたのだろうか。
ごく日常的な感覚が、夢の中にまで入り込んできた。

 が、350万円払ってやったら、どうだっただろう。
焼き芋を売っている人は、びっくりして喜んだにちがいない。
焼き芋を買う私も「私」なら、焼き芋を売る男も、「私」ということになる。

で、このばあいも、わかりやすく言えば、自分で自分を喜ばしたことになる。
あるいは自分が自分に喜ばされた、でもよい。
しかしそんなことはありえない。
だから矛盾している。
(話としては、おもしろいが……。)

●別人格

 こうした矛盾をどう考えたら、よいのか。
先の魚屋の男を例にあげて、考えてみる。

 もっともわかりやすい考え方は、脳の中に、「私」ではない、別人格の「私」がいると想定すること。
コンピューターにたとえるなら、デュアル・コア。
別の脳みそ。
魚屋の男は、その別人格の「私」だった。
言い換えると、私でない「私」。
それが別に、もう1人、いることになる。

 しかしそんなことは、ありえるのか?
ただ子どもの世界では、ときどき似たような現象を見ることがある。

たとえば1人2役の独り言を言う子どもがいる。
心に強烈なインパクト(衝撃)が加わると、そういう症状を示すようになることがある。
私が相談を受けた中で、最年少の子どもは、2歳になったばかりの女児だった。
母親は、「不気味です」と言っていた。
自閉症スペクトラムのひとつと考えてよい。

 さらにそれが進んだ状態が、多重人格者ということになる。
が、これは私の専門外。

 ということは、私は夢の中で、その多重人格者になっていた可能性がある。
ゾーッ!

●夢のように過ぎていった……

 話を進める。

 生きるということは、ときどき夢の中のできごとのように感ずることがある。
現実に、そこにある世界は別として、過去については、とくにそうだ。
「夢のように過ぎていった」と。

 子ども時代、青年時代、結婚、育児、仕事、旅行……。
すべてが夢のように過ぎていった。
今、ここに見えるものにしても、光が分子に反射した残像を見ているに過ぎない。
緑内障か何かになれば、闇というより、闇そのものすら見えなくなる。
音にしてもそうだ。

 記憶となると、さらにそうだ。
脳の中に残っている信号を、かろうじて読み出せるに過ぎない。
だったら、こうは考えられないだろうか。

 そこにものが見える……のではなく、見えるものそのものが、「私」と。
今、ワイフは、横にいて、本を読んでいる。
そのワイフも、脳の中の別人格の「私」と。
そこに魚屋の男がいても、また焼き芋屋の男がいても、そうだ。
すべて「私」と。

 どうせ現実などというものは、一瞬の、そのまた一瞬。
その瞬間に終わり、すべて、夢の中に追いやられる。
今朝見た夢と、どこもちがわない。
区別するほうが、おかしい。
だったら、この(現実)も、思い切って(夢)の中に含めてしまったら、どうか。
……というのは、行き過ぎ。
それはよくわかっているが、そういう感覚をもつことによって、私たちは、この(次元)から、別の(次元)へと移行できる(?)。

 ……こういうのを、「アセッション」と言うのか?
もしそうなら、私も立派な、カルト教の信者?

●現実が原点

 もちろん現実を見失ってはいけない。
(現実)は、常に生きる原点。
が、その(現実)には、同時に、いつも限界がある。
冒頭に書いたように、ものの考え方が、どうしても自己中心的になりやすい。
それがときとして、利己主義に走ってしまう。

さらに「私」を中心にものを考えていくと、どうしても利己主義にならざるをえない。
「とにかく私さえよければ、それでいい」と。
この利己主義が、進むべき道を誤らせる。

 そこで精神文化の高揚ということになる。

●本能の奴隷

 ところで最近、私は、よくこんなふうに考える。
「人間は本能の奴隷」と。

 生まれてから、おとなになるまで。
おとなになって、結婚し、子育てする。
もちろん当の本人は、そうは思っていない。
自分の意思でそうしていると信じている。

 たとえば子育て。
親は生まれた乳児を見て、「かわいい」と思う。
それとて本能。
本能がそう思わせる。
若い男性が、女性の肉体を見て興奮するのと、同じメカニズム。
さらに最近の研究によれば、母親は乳児の泣き声を聞くと、脳内で、麻薬を得たときと同じ反応を示すことがわかってきた。

 一方、乳児にしても、親の「愛?」を得るために、自ら行動することがわかってきた。
これを「かわいさの演出」という。
もちろん乳児自身が意思的にそうしているわけではない。
本能として、脳の中にプログラム化されている。
エンゼルスマイルも、そのひとつと言われている。

 平たく言えば、「私は子どもを愛しています」と言うのは、「私はSxxが大好きです」というのと、どこもちがわない。
かくして、男も、女も、本能の奴隷となり、恋愛し、結婚し、子育てを始める。

 が、誤解してはいけない。
だからといって、私は、それを無意味と書いているのではない。
それがあるからこそ、人は、子孫を後世に残すことができる。
無数のドラマも、そこから生まれる。

 また無意味かどうかということになれば、この世の中、意味のあるもののほうが、はるかに少ない。
というより、それを見つけるのは、至難の業(わざ)。
「私は意味のある生き方をしている」と、胸を張り、そう言い切れる人は、いったい、どれほどいるだろう。

●性的エネルギー

 欲望の奴隷なら、奴隷でよい。
が、そのとき、そうであると自分を知るのと、知らないのとでは、生き様が大きく変わってくる。

 恋愛しかり、Sxxしかり、子育ても、またしかり。
欲望が、生きる原動力になっている。
フロイトがそれを「性的エネルギー」と呼んだ。
ユングは、「生的エネルギー」と呼んだ。

が、それに毒されている間は、「私」が見えない。
心そのものが、厚いベールに包まれたような状態になる。
……ということも、そのベールを取り去ったときはじめてわかること。
そのときは、わからない。
どんなに説明しても、わからない。
それが「私」と思い込んでいる。 
「私」と思い込み、ものを考え、行動する。

 が、それを知る方法が、ないわけではない。

●観察

 私は……というより、それが私の癖になっている。
電車などで、ほかの客と対峙して座ったりすると、すぐ乗客観察を始める。
もう20年以上、それをしている。
「人間観察」と、私は呼んでいる。

年齢?
家族?
生い立ち?
趣味?
志向?
職業?
人生観?
生き様?
 
 そのつどさまざまな角度から、観察する。
ときに相手の脳みその中に自分を置き、そこから反対に自分の姿をながめてみることもある。
この方法が有効とは思わないが、「私」を知るには、たいへん役に立つ。

●電車の女性

 で、ある日のこと。
こんなことを考えた。
ずいぶんと昔のことである。

 電車に乗ったときのこと。
反対側の席に座った女性が、化粧をし始めた。
25、6歳の女性だった。
バッグから道具を取り出し、そのつど鏡をのぞき込んでいた。
私はそれを見て、「この女性は、自分の意思でそうしているのか。それとも、本能に動かされて、そうしているのか」と。
「もし私が、その女性に、あなたは自分の意思でそうしているのですか」と聞いたら、どのようにその女性は、答えるだろうか。
その女性が、毛づくろいしている小鳥の姿に見えた。

 もちろんその女性は、こう答えるだろう。
「私の意思で、そうしています」と。

 以来、「私の意思」という言葉を、疑って考えるようになった。
私は常に、「私」と思い込まされながら、さらに大きな力によって、動かされている!

●別の脳

 この確信を決定づけたのが、つぎのような事実。
実は私たちの意思は、それをさかのぼる、10分とか、20分前に、別の脳であらかじめ、作られている、と。
最近の脳科学の進歩には、すばらしいものがある。
脳の働きを、リアルタイムで、見ることができる。

 その1例が、ウソ発見器である。
いくら意識の世界でウソをついても、脳はその奥の別の脳の働きを感知してしまう。
なおここで「10分」とか、「20分」とか書いたが、根拠があるわけではない。
ケースによっては、「30分」かもしれない。
「1か月」かもしれない。

●話がバラバラ

 話がバラバラになってしまった。
地球滅亡論から、カルト、日本のデフォルト、欲望論、育児論、さらには本能論……、と。
今朝見た、夢の話まで書いた。

 自分でも何を書いているか、わからなくなってきた。
要するに私が言いたいのは、欲望をどうコントロールしていくかということ。
それがうまくできれば、人類は滅亡することなく、22世紀を迎えられる。
そうでなければ、そうでない。

 そこで重要なのは、理性の力、つまり思考力ということになる。
今、その理性の力が、地球規模で試されつつある。
……というのが、結論(?)ということになる。
「はやし浩司の考えていることが、まったく理解できない」と思う人も多いことかと思う。
今朝の私は、思考力ゼロ。
ここまで読んでくれた人には、本当に申し訳ない。
ここに書いたことの一部だけでも、みなさんの生活のどこかで役に立てばうれしい。
少し頭を冷やしてから、このエッセー(?)を、書き改めてみたい。


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司