「親ならちゃんと責任を取れ」と叫んだ娘
【2012-06-19のBW教室】
台風の直撃下、それでもBWは、休みにしない!
……ということで、がんばりました!
●年長児「地図」の学習
●小2児、予定を変更し、欠席の人が多いかも?、ということでテスト勉強に切り替えました。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 幼児教室 年長児 地図)
【母親に「死ね!」と言った娘】
【掲示板への相談より】
●子育て相談
子育て相談を受けるようになって、もう30年になる。
15年ほど前までは電話で、それ以後は私のホームページのほうで、受けている。
そのホームページの掲示板に、こんな相談が届いた(2012年6月)。
母親と娘の断絶についてのものだった。
が、これを読んだとき、ついにというか、とうとうというか、私はふつうでない衝撃を受けた。
それまではぼんやりとした闇に包まれていた。
「何かおかしい」とは感じていたが、「ここまで……」とは、思っていなかった。
で、私はAさんの相談内容と、私の回答を、BLOGに掲載した。
私の日課でもあった。
が、その原稿は、ちがっていた。
BLOGへのアクセス数だけでも、いつもの数倍。
Goo-Blogだけでも、1日、5000件を超えた。
170万誌あるBLOGだが、アクセス順位で1000番台をキープした。
ほかにも、楽天、Seesaa、はてなでもBLOGを出している。
それらでも、同じようなアクセス数があった。
私は、その反響のあまりの大きさに、驚いた。
と、同時に、これは私のBLOGの範囲内だけですましてはいけない問題と判断した。
今、水面下で、多くの親たちが、自分の子どもとの断絶に悩み、苦しんでいる。
ただ悩み、苦しんでいるのではない。
身を引き裂かれるような自己否定の世界で、悩み苦しんでいる。
奥は深い。
根は深い。
「断絶」という言葉だけで説明できるほど、生やさしいものではない。
またそれで納得できるような話でもない。
まさに「自己否定」。
私は、この投稿の向こうに、現代の日本がかかえる、基本的な矛盾を感じた。
その矛盾が、そのまま老人問題まで直結している。
孤独死、無縁死、ジジババ・ゴミ論、老人難民、老害論……。
それはさておき、この本は、一通の投稿で始まる。
●音信不通になってしまった長女
掲示板に、こんな相談が届いた。
【Aさんより、はやし浩司へ】
はじめまして。
子供のことで悩んでおります。
いろいろなサイトで解決策を探していたら、ここにたどり着きました。
うまく気持ちが伝わるかどうかわかりませんが、ご意見を頂けたら幸いです。
現在、私54歳、長女23歳、二女21歳です。
15年ほど前に離婚し、遠方に引っ越し、母子家庭として生活してきました。
幸い、今のところ、職に困らない資格をっており、裕福ではありませんが、離婚後も生活には不自由していません。
長女の事で悩んでいます。
二人の子どもは、生まれたときから、自分より幸せになってほしいと必死でした。
乳児期の日光浴から始まり、習いごとや行楽、しつけや勉強にも一生懸命でした。
まさに、ずっと昔、先生が中日新聞にお書きになったエッセーの中に出てくる母親と、酷似しています※。
長女は、国立大学の附属中学に入学しました。
そのあと、市内でもいちばんと言われる進学高校に進学しました。
親子とも、大学は地元の国立大学を希望していましたが、高校の担任の先生からせっかくだから、もっとランクの上をと勧められました。
その大学には寮もあり、経済的にも可能かと思い、遠方でしたが、先生が勧めてくれる大学に合格しました。
そのときは、私も娘も明るい未来に期待し、たいへん喜びしました。
ところが、家を出たとたん、長女は変わりました。
疎遠になり、凶暴になってしまいました。
メールをしても、電話をしても、応答なし。
かろうじで来た返事は、「邪魔!」とか、「死ね」でした。
私は何がなんだか、訳がわかりませんでした。
で、仕送りはやめることにし、学費や生活費は、家で手渡しにすることにしました。
が、それでも1年に1度程度帰って来る程度でした。
お金や物をあげたときだけは、満足して優しい面を見せるときもありました。
4年間で親から離れ、時間やお金の使い方や、人生を学んでくれたらそれでよいと、好きにさせていました。
そしていよいよ卒業後の進路の話になったときのことです。
法科大学院に行きたいと、突然、言い出しました。
ご存知なように簡単な世界ではないため、受験料や日程、入学後の費用や生活、その後の道など専門外の私にもわかるように説明を求めました。
が、返答はありませんでした。
長女は、一方的に、受験の費用だけを要求してきました。
とりあえず、4年間の生活がきつかったので、(細かく説明すると長くなりますので省略します)、距離的な面や将来性や経済的な面から、私が納得できる大学なら協力するが、それ以上は協力できないことを伝えました。
結果、私も応援し本人も志望した大学は不合格で、協力できないと話していたことろに合格しました。
その大学は本人も最初は乗り気ではなかったのですが、4年の後半ということもあり、今から就職もむずしいから、行きたいと言い出しました。
が、私は協力できないものは、協力できないと長女に伝えました。
そういう約束でした。
その後、自分の給料では生活できないため地元で仕事を探し、なんとか卒業間際に就職が決まりました。
新卒で入社することができました。
当然のことながら、いやいやだったと思います。
長女は実家に戻り、家から仕事先に通っていましたが、帰ってきたくないとの理由で、毎日終電車で帰宅していました。
職場が、通うには遠いのでお、金がたまったら、1人で暮らすとは言っていました。
私もそれを覚悟していました。
が、数か月後、家出同然で、家を出ていきました。
それからもうちょうど、1年になります。
そのころ、「死ね」「ほっといてくれ」「二度と関わってくるな」などのメールが届き、今は音信不通状態です。
家を出るとき、住所も言わず、着の身着のままでした。
今は二女と二人で住んでおり、二女の助けで、なんとか長女との消息はわかりました。
が、二女も長女の身勝手ぶりに愛想を尽かし、もう関わりたくないと言っています。
姉妹とはいえ、他人以上に互いに疎遠になってしまいました。
恥ずかしながら、先生の過去の記事やサイトにあるとおり、今振り返ると、私は(自己中心的な親)でした。
娘たちを誉めるのも、上手ではありませんでした。
きびしすぎました。
教育に熱心なだけで、優しい母親ではありませんでした。
でも、実は私自身も同じような家庭環境の中で育ちました。
そこでやっと質問です。
(1)法科大学院の入学に反対したことは、まちがっていたのでしょうか?
私の目からは、家に帰ってきたくないがため、そう言い出したとか思えませんでした。
合格率や本人の意思や成績をみたとき、黙って何百万も出すほど勇気はありませんでした。
もちろん納得できれば、借金をしてでも応援するつもりでした。
それに長女も、25歳になるところでした。
25歳を過ぎての再出発というのも、どうかと思いました。
私のほうが不安になりました。
(2)長女とどうしたら和解できますか?
おそらく「無理」との回答になるかと思われますが、やはり仲直りとまではいかなくても、消息くらいは伝えてくれる程には改善したい。
そう望んでいます。
下手に接触を求めると、もっと遠くに行ってしまいそうなので、家を出てからは連絡していません。
この先、長女と、どう接触したらよいでしょうか。
自分の人生だけを生きなさいという先生の意見も拝見しましたが、日々の生活は趣味も仕事も充実しています。
昼間は仕事をし、夜は趣味のテニスに熱中し、寝る前は生活の一部でもある読書をし、1日中、フル回転状態です。
土日は、試合に出て学生さながらに没頭しています。
それでも疲れたときは、たまに旅行にも出かけたりもしています。
そんな忙しい毎日でも、やはり子どものことが、頭から離れません。
忘れようと思えば思うほど、気になります。
忘れられるものではありません。
お忙しいこととは思いますが、ご意見聞かせていただければ幸いです。
(静岡県静岡市 Aより)
●中日新聞に発表したエッセー
この相談の中に出てくるエッセー(中日新聞にて発表済み)というのは、つぎのものをいう。
日付は、2000年 月日になっている。
●親が子育てで行きづまるとき
ある月刊雑誌(月刊『M』)に、こんな投書が載っていた。
ショックだった。
考えさせられた。
この手記を書いた人を、笑っているのでも、非難しているのでもない。
私たち自身の問題として、考えさせられた。
そういう意味で、そのまま紹介させてもらう。
『思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。
幼児期から生き物を愛し、大切にするということを、体験を通して教えようと、犬、ウサギ、小鳥、魚を飼育してきました。
庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。
毎日必ず机に向かい、読み書きする姿も見せてきました。
リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食卓も部屋も飾ってきました。
なのに、どうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力もせず、マイペースなのでしょう。
旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。
息子は出不精。
娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。
二人とも『自然』になんて、まるで興味なし。
しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなるばかり。
私の子育ては一体、何だったの?
私はどうしたらいいの?
最近は互いのコミュニケーションもとれない状態。子どもたちとどう接したらいいの?』以上、月刊「M」より。K県・50歳の女性)と。
多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。
こんな相談があった。
ある母親からのものだが、こう言った。
「うちの子(小3男児)は毎日、通信講座のプリントを3枚学習することにしています2枚までなら何とかやります。
が、3枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。
どうしたらいいでしょうか」と。
もう少し深刻な例だと、こんなのがある。
これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。
「昨日は何とか、2時間だけ授業を受けました。
が、そのまま保健室へ。
何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」と。
こうしたケースでは、私は「プリントは2枚で終わればいい」「2時間だけ授業を受けて、今日はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。
仮にこれらの子どもが、プリントを3枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「4枚やらせたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うようになる。
つぎのような相談となると、もっと多い。
「何とか、うちの子をC中学へ。
それが無理なら、D中学へ」と。
そしてその子どもがC中学に合格できそうとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」と。
要するに親のエゴには際限がないということ。
そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。
【はやし浩司より、Aさんへ】
●時代は、変わりました
簡単に言えば、時代が変わったということです。
そうであってはいけないと私も思いますが、これも時代の(流れ)ですね。
いろいろ抵抗はしてみますが、川の中に立てる竿程度の効果しかありません。
子どもたちは、子どもたちで、大きな川の流れの中に身を置き、その流れに身を任せていきます。
たとえば今、若い人たちに、「孝行論」を説こうものなら、それを「束縛」「拘束」と捕えます。
私が「あなたの親のめんどうは、だれがみるのか?」と質問すると、こう答えます。
「親が、子どもを束縛するものではない」とか、「拘束するものではない」とです。
中には、こう答えた若者もいました(私のBLOGへの反論)。
30歳くらいの男性で、最近父親になったようです。
「私は子どもを自由に育てる。親のめんどうをみろと私は自分の子どもには言わない。子どもをそういうふうに束縛したくない。そういう子育てを目指します」と。
さらに「あなたも自分の老後が心配なら、息子さんに頼めばよい」とも。
まだ子育てが何であるかも知らないような、また親の介護もしたことがないような若者がそう言うから、おかしい。
老親の親のめんどうをみるのは、民法上も、子どもの義務なのです。
悪しき西洋文化の影響と、私は考えています。
●皮肉
もちろんそうでない子どもも多いです。
心がやさしく、ほっとするような温もりを感ずる子どもです。
が、皮肉なことに、いわゆる受験勉強とは無縁だった子どもほど、親子関係も、うまくいっています。
つまり親が、「金をかけ」「苦労をした子ども」ほど、その分だけ、それなりのエリートにはなりますが、その一方で、人間らしさを失っていきます。
(本人が、それに気づくことはありません。
これは脳のCPUの問題だからです。
自分の子どもにやさしいことをもって、私は「やさしい父親(母親)」と、思い込んでいる人は多いですが……。)
で、いつこうしたキレツが始まるかということですが、幼児期にさかのぼります。
親は、子どものためと思い、「勉強しなさい」と言いますが、子どものとっては、それが「虐待」なのですね。
が、親はそれに気づかない。
気づかないまま、無理をしてしまう。
苦労をし、それこそ爪に灯をともすようにして、学費や生活費を工面する。
が、子どもにしてみれば、まさにありがた迷惑。
そのキレツが、徐々に大きくなり、最終的には、断絶となるわけです。
Aさんのケースもそうですが、親は、「大学まで、苦労して出してやった」と考えがちですが、子どもの方は、そうは思っていません。
中には「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言う子どもさえいます。
つまり親の願いどおり大学へ行ってやったのだから、学費+生活費を出すのは当たり前と考えるわけです。
今、ほとんどの大学生が、そう考えています。
つまり親に感謝など、していない。
親の苦労など、どこ吹く風で、遊んでいる。
「大学、遊園地論」が出るようになって、もう30年近くになりますよ。
もう一度、最近、あるニュースサイトに載っていた記事を、読んでみてください。
時代がどう変わったかわかりますよ。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【資料の整理】(Yahoo・News 2012年6月より)
R25が首都圏・愛知・大阪に住む、25歳から34歳の男性300人に実施したアンケートでは、「社会人になって(就職した後)、親からお小遣いをもらったことはありますか?」の問いに対し、
「今も継続的にもらっている」が3%、
「今もたまにもらっている」が11・3%、
「以前にもらったことはあるが、今はもらっていない」が30%、
「もらったことはない」が55・7%となっている。
「今も継続的にもらっている」「今もたまにもらっている」と回答した人に「どれくらいの頻度で、お小遣いをもらっていますか?」と聞いたところ、
最も多かったのは「月に1回程度」(27・9%)。
以下、「4~6か月に1回程度」(23・3%)、
「2~3か月に1回程度」(18・6%)、
「7~12か月に1回程度」(18・6%)となっており、わずか1名ながら「毎週もらう」との回答もあった。
「1回にもらう金額」については、
「1万円以上~2万円未満」が最も多く44・2%。
以下、「1万円未満」(27・9%)、
「2万円以上~3万円未満」(18・6%)と、
3万円未満との回答が合計、90・7%を占めているが、なかには「7万円以上~10万円未満」(4・7%)、10万円以上(2・3%)とかなり親に依存している人も。
ちなみに、親から援助してもらったお金をどのように使っているのかというと、
「食費」(48・8%)
「交際費」(44・2%)
「レジャー費」(37・2%)といった回答が多かった。
例えば人生の節目である結婚に際し、費用を親・親族から援助してもらった人は75・8%。
援助額の平均は196・9万円(ゼクシィ「結婚トレンド調査2011」より)。
また、新居を建てる際には54%の人が親・親族からの資金援助を受けており、そのうち1500万円以上の援助を受けた割合は11・4%(SUUMO「住居に関するアンケート2011」より)。
これに対して、子ども側の言い分は、つぎのようになっている。
●「時々もらうものに対しては、親が子どもに威厳を保ちたいような感情があるので、喜んでもらっている感じです」(34歳男性)
●「社会人たるもの、必要な資金は自分で調達するべきだが、親の好意に甘えるのも時には必要。親もそれで喜んでくれるのであればなおさら」(28歳男性)
●「こちらから欲しいと言って貰う訳ではないし、これはこれでいいかと」(26歳男性)
●「極力避けたいが、キャッシングとか利用するよりはいいかなと思う」(34歳男性)
●「家族によって違うとは思うが、援助したりされたりすることで繋がりを持っていたいと思う」(26歳男性)
●「ちゃんと働いていて、さらに親から貰えるならいいと思う。使われなかったものは多くの場合、遺産として自分のところに最終的に入ってくるので、いつもらうのかという話」(29歳男性)
「特に多かったのは金銭の授受によって、別々に暮らす親子のつながりが生まれるという意見。
実際、援助することに喜びを感じる親は少なくないため、仕送りを受け取ることが親孝行になるとの考えもあるようだ」(Yahoo・News)と。
●数字を読む
この事実を、どう読むか。
たとえばここに「もらったことはない……55・7%」とある。
この55・7%の中には、逆に、親の小遣いを渡している子どもは、果たして何%いるのか。
さらに言えば、親と子どもが共同経営者になっているようなばあい、たがいに「もらった」「あげた」という関係そのものが成り立たない。
もしそうなら、「もらっている」「もらったことがある」という子どもは、44・3%(100-55・7%)より、はるかに多くなる。
また今回の調査は、「男性」を対象にしたもの。
結婚しているばあいは、妻側が親の援助を受けているケースもあるはず。
実際には、妻側が援助を受けているケースも、多いのではないか?
もしそうなら、「もらっている」「もらったことがある」という子どもは、さらに多くなる。
しかしこの常識は、私たち戦後直後に生まれた団塊の世代の常識ではない。
話を先に進める前に、私が知るいくつかの例をあげておく。
●取り分を請求する子どもたち
いろいろな例がある。
●孫が、遺産相続の裁判を起こす
長野県のS市で、司法書士をしている友人が、こう言った。
「今ではね、子どもが親をたきつけて、遺産相続の裁判を起こす時代だよ」と。
つまり孫である子どもには、遺産相続権は、まだない。
(正確には、「まだ発生していない」。
親が死んで、はじめて親の取り分について、遺産相続権が発生する。)
つまり「オレの親父は、実家を出るとき、1円も財産分与を受けていない。
親父にも、遺産相続権がある。
その分を、よこせ」と。
そこで親の実家を預かる、叔父や叔母を相手に、遺産分与の請求をする。
肝心の親自身は、「家を出た」「老親のめんどうをみなかった」という、うしろめたさから、「どうでもいい」と言っているのだが……。
●「兄貴と平等に、よこせ」
その親には3人の息子がいた。
長男は生まれつき体が弱く、能力的にも恵まれなかった。
そこで親は長男が結婚し、家を出るとき、土地と家を買い与えた。
一方、二男は、4年生の大学を出た後、1年間、海外の大学に留学。
そのあと日本に帰り、2年間、専門学校に通った。
もちろん学費は、すべて親が負担した。
そのあとのこと。
二男は、親にこう請求したという。
「兄は土地と家を買ってもらった。オレにも、買ってよこせ」と。
で、親は、二男に、金を貸したという形にした。
実際には、二男が、「返済計画書」なるものを作成し、親のところにもってきた。
親は内心では「こんなものいいのに……」と思ったという。
が、二男の言うまま、署名、捺印した。
で、それから5年近くになるが、二男は1円も返していないという。
気まずく思っているのか、盆や暮れにも、実家(浜松)へ戻ってこないという。
が、それで話が終わったわけではない。
今度は、何と三男まで、「オレにも買ってよこせ」と。
●土日は実家で
さらにこんな夫婦(ともに30代)もいる。
毎週土日は、実家に帰り、そこで終末を過ごすという。
「ずいぶんと親思いの夫婦だな」と思っていたら、ワイフがこう言った。
「ちがうのよ。その夫婦は、土日の食費を浮かすために、そうしているのよ。
でね、子どもたち(ともに幼児)を親に預け、自分たちはドライブに出かけているのよ」と。
土日の生活費を浮かせば、生活費は、3分の2ですむことになる。
もちろん残りの分は、親の負担ということになる。
が、この話には、さらにつづきがある。
その夫婦の夫(長男)は、ほかの兄弟(弟と妹)に、こう言っているそうである。
「お前たちも、親孝行しろよ」と。
土日ごとに実家へ帰ることを、その息子夫婦は、「親孝行」と考えているらしい。
【はやし浩司より、Aさんへ】
だから残念ながら、あなたのお嬢さんは、あなたに感謝など、していない。
「感謝」という言葉を使うと、たいていこう言い返してきます。
「私はその分、今度は自分の子どもに返していくからいい」と。
つまり親にしてもらった分は、自分の子どもに返していく、とです。
お
おかしな論理ですが、これも現代の若者気質(かたぎ)ということになるのでしょうか。
彼らが言う「家族」には、自分と配偶者、それに子どもしかいません。
そこには両親の姿は、もとからないのです。
●法科大学の件
あなたは賢明な選択をしました。
それほどまでに勉強をしたければ、自分で稼いで、自分で大学へ行けばよいのです。
4年間も、親のスネをかじったあげく、「また大学……」というのは、ドラ娘もよいところです。
(本人は、そうは思っていないでしょうが……。
「親の希望通り、大学へ行ってやった」と、心のどこかで考えています。)
一方、親のほうは、「4年間も学費+生活費を出してやったのだから……」と考えがちです。
つまりこのあたりの意識が、たがいに完全にズレています。
仮に法科大学へ行ったとしても、何かとささいな理由を針小棒大にとらえ、あなたから去っていく可能性は、たいへん大きいでしょう。
私の友人の息子は、親にこう言ったそうです。
「結婚式を、(地元の浜松でしてやるから)、結婚式の費用を出してくれ」と。
そこで親が、「半額くらいなら……」と答えると、「親なら、全額出すべきだ」と猛反発。
それを理由に、親との縁を切ってしまったそうです。
(子どもの側が、親との縁を切ったのですよ!)
●意識
悪い面ばかり書きましたが、先にも書きましたが、意識そのものがちがいます。
どちらが正しいとか、そうでないとか、そんなことを議論しても意味はありません。
たとえば私たちの世代(戦後生まれの団塊の世代)は、そのほとんどが、社会人になり、外に出ると、親への仕送りを欠かしませんでした。
私もそうしました。
現在、70代~の人となると、もっとそうでした。
仕送りの仕方は、人、さまざまでした。
知人のUさん(70歳・女性)は、「ボーナスはすべて送った」と。
別の知人のF氏(70歳・男性)は、「盆暮れには、当時のお金で、10万円近く、親に渡した」と。
(大卒の初任給が、やっと2万円を超えた時代ですよ!)
私のばあいも、結婚前から、収入の半分を実家へ送っていました。
それまでの学費を返す意味もありました。
こうした意識は、日本人から、すでに消えました。
一方、少し前まで、東南アジアや中国から多くの人たちが日本へ働きに来ていました。
そういう人たちは、みな、母国の両親にお金を送っていました。
そういう話を聞くたびに、私は自分の青春時代を思い起こしました。
が、今は逆転しています。
このあたりでも、盆暮れになると、都会から若い人たちが戻って来ます。
妻や子どもを連れてきます。
が、みやげをもってくる人は、ほとんどいません。
むしろ都会へ戻るとき、親から、お金をもらって帰るそうです。
また盆暮れに来るのは、「生活費を浮かすため」だそうです。
(中には、その旅費を、親に出させている息子や娘もいます。)
つまりこれは「意識」、つまり彼らが言うところの「常識」の問題です。
私たちは、その「違い」を認めるしかありません。
●戦中派の意識
一方、私は、最近、こんな経験をしました。
義弟と話をしているときのことです。
義弟(78歳)は、こう言いました。
「ぼくらの世代からみると、団塊の世代はいい気なもんだと思うよ」と。
驚いて、思わず私は、こう聞きました。
「どうして?」と。
私たちの世代は、私たちの世代なりに、「日本の繁栄を築いたのは私たち」という強い意識をもっています。
その私たちが、「いい気なもんだ?」と。
義兄は、こう説明してくれました。
「君たちは、ぼくたちが敷いたレールの上を走っただけではないか」と。
私「そんなことないですよ。自分を犠牲にし、家族を犠牲にし、懸命に働きました」
義「しかし命を犠牲にしたことはないだろ。偉そうなことを言ってはいけない」
私「命?」
義「俺たちの世代はね、戦争を経験している。命がけで、日本を守った」と。
70代、80代の人は、そう考えています。
戦中派の人たちです。
そうした意識については、考えたこともありませんでした。
つまり、私たちはいつも、自分のもつ意識を基本にものを考えます。
Aさんにしても、そうです。
もう20年ほど前になるでしょうか。
こんな記事が、ある雑誌に載っていました。
私自身の育児観に、大きな影響を与えた一文です。
それについて書いた原稿を添付します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
私の子育ては何だったの?
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●親が子育てで行きづまるとき
ある月刊雑誌に、こんな投書が載っていた。ショックだった。
考えさせられた。
この手記を書いた人を、笑っているのでも、非難しているのでもない
。私たち自身の問題として、本当の考えさせられた。
そういう意味で、紹介させてもらう。
『思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、大切にするということを、体験を通して教えようと、犬、ウサギ、小鳥、魚を飼育してきました。
庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。
毎日必ず机に向かい、読み書きする姿も見せてきました。
リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食卓も部屋も飾ってきました。
なのに、どうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力もせず、マイペースなのでしょう。
旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。
息子は出不精。
娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。
二人とも『自然』になんて、まるで興味なし。
しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなるばかり。
私の子育ては一体、何だったの?
私はどうしたらいいの?
最近は互いのコミュニケーションもとれない状態。子どもたちとどう接したらいいの?』(K県・50歳の女性)と。
多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。
こんな相談があった。
ある母親からのものだが、こう言った。
「うちの子(小3男児)は毎日、通信講座のプリントを3枚学習することにしていますが、2枚までなら何とかやります。
が、3枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。どうしたらいいでしょうか」と。
もう少し深刻な例だと、こんなのがある。
これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。
「昨日は何とか、2時間だけ授業を受けました。
が、そのまま保健室へ。
何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」と。
こうしたケースでは、私は「プリントは2枚で終わればいい」「2時間だけ授業を受けて、今日はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。
仮にこれらの子どもが、プリントを3枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「4枚やらせたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うようになる。
こういう相談も多い。
「何とか、うちの子をC中学へ。
それが無理なら、D中学へ」と。
そしてその子どもがC中学に合格できそうとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」と。要するに親のエゴには際限がないということ。
そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。
+++++++++++++++++++++
●親が子育てでいきづまるとき(2)
前回の投書に話をもどす。
「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も一瞬ドキッとした。
しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエゴではなかったのか。
もっとはっきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ?
(どうか、この記事を書いた、お母さん、怒らないでください。
あなたがなさっているような経験は、多かれ少なかれ、すべての親たちが経験していることです。
決して、Kさんを笑っているのでも、批判しているのでもありません。
あなたが経験なさったことは、すべての親が共通してかかえる問題。
つまり落とし穴のような気がします。)
そのつど子どもの意思や希望を確かめた形跡がどこにもない。
親の独善と独断だけが目立つ。
「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、ウサギ、小鳥、魚を飼育してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。息子は出不精」と。
この母親のしたことは、何とかプリントを3枚させようとしたあの母親と、どこも違いはしない。あるいはどこが違うというのか。
一般論として、子育てで失敗する親には、共通のパターンがある。
その中でも最大のパターンは、(1)「子どもの心に耳を傾けない」。
「子どものことは私が一番よく知っている」というのを大前提に、子どもの世界を親が勝手に決めてしまう。
そして「……のハズ」というハズ論で、子どもの心を決めてしまう。
「こうすれば子どもは喜ぶハズ」「ああすれば子どもは親に感謝するハズ」と。
そのつど子どもの心を確かめるということをしない。
ときどき子どもの側から、「NO!」のサインを出しても、そのサインを無視する。
あるいは「あんたはまちがっている」と、それをはねのけてしまう。
このタイプの親は、子どもの心のみならず、ふだんから他人の意見にはほとんど耳を傾けないから、それがわかる。
私「明日の休みはどう過ごしますか?」
母「夫の仕事が休みだから、近くの緑花木センターへ、息子と娘を連れて行こうと思います」
私「緑花木センター……ですか?」
母「息子はああいう子だからあまり喜ばないかもしれませんが、娘は花が好きですから……」と。
あとでその母親の夫に話を聞くと、「私は家で昼寝をしていたかった……」と言う。息子は、「おもしろくなかった」と言う。
娘でさえ、「疲れただけ」と言う。
親には三つの役目がある。
(1)よきガイドとしての親、
(2)よき保護者としての親、
そして(3)よき友としての親の三つの役目である。
この母親はすばらしいガイドであり、保護者だったかもしれないが、(3)の「よき友」としての視点がどこにもない。
とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。
この母親が見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大きなギャップを感ずる。
はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよい「我が家」であったのかどうか。
あるいは子どもたちはそういう「我が家」を望んでいたのかどうか。
結局はこの一点に、問題のすべてが集約される。
が、もう一つ問題が残る。
それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエゴに気づいていないということ。
いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしがみついている!
「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉が、それを表している。
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子どもは、小学3年生ごろを境に、親離れを始める。しかし親が、それに気づき、子離れを始めるのは、子どもが、中学生から高校生にかけてのこと。
この時間的ギャップが、多くの悲喜劇を生む。掲示板に書きこんでくれたFさんの悩みも、その一つ。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●子どもは去っていくもの
要するに、じょうずに子離れしていくということ。
自分の息子や娘に、友情や、深い慈愛を求めても意味はありません。
またそういう対象ではありません。
親のほうは、「私の……」という所有格をつけます。
が、子どものほうは、「親の……」という所有格をつけません。
そのあたりに意識のギャップがあります。
Aさんの長女について言うなら、その原因は、ひょっとしたら、乳幼児期に始まっているかもしれません。
いちばん親の愛情を必要とするときに、下の妹が生まれてしまった。
長女にとっては、たいへんショックなことだったと推察されます。
現在、姉妹が仲が悪いのは、そのあたりに起因している可能性があります。
つまり長女にしてみれば、居心地の悪い世界だった?
●可能性
とは言え、長女が戻ってくる可能性がないというわけではありません。
30歳前後の子どものばあい、戻ってくるということは、まずありません。
息子であれば、なおさらです。
が、まだ若い。
脳の構造そのものが、まだフレキシブルです。
いつか、戻ってくる可能性は、じゅうぶんあります。
それに望みをかけろというのではありません。
戻ってきても、たいていのばあい、ギクシャクした親子関係は残ります。
再び会い、「お母さん、ごめん」「会いたかったわよ」と、ハッピーエンドで終わるということは、まずありません。
(安っぽい日本映画では、そういうシーンが、ありますが……。)
すでに今、たがいの間に、大きな(こだわり)ができつつあります。
この(こだわり)が、たがいの間に、超えがたい「壁」を作ります。
たとえば子どものほうは、「葬式くらいなら、行ってやる」と考えているかもしれません。
が、親のほうは、「来てほしくない」と。
つまり修復など考えないこと。
今、あなたがしているように、あなたはあなたで、好きなことをすればよいのです。
というのも、みな、外から見ると、うまくいっているように見えますが、それは外見。
それぞれの家庭が、それぞれの問題をかかえ、悩み、苦しんでいます。
悲しみにじっと耐えている家庭も、少なくありません。
……というか、みな、そうです。
が、それも人生。
これも人生。
あとは、居直ればよいのです。
ただし、こうした事例では、親側の意見だけを一方的に取りあげてはいけない。
つまりここに書いてきたことは、親側の意見。
子ども側には、子ども側の言い分がある。
それについても、一言、触れておきたい。
私には、こんな経験がある。
ある女子高校生(3年生)の話である。
その女子女子高校生は、父親に向かってこう叫んだ。
「親なら、責任を取り、借金でも何でもしていいから、私を大学へ出せ!」と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ある母親からの相談(2010年1月7日)
たまたま今朝、こんな相談が届いていた。
埼玉県K市に住んでいる、MSさんという方からの
相談である。
一部を変えて、そのまま紹介させてもらう。
【MSさんからはやし浩司へ】
はじめまして。
毎日先生のブログを読んでいる者です。
私の子供はもう19才と17才になり、子育てという年齢ではなくなっていますが、それでも、何かと心に思うことがあり、子育てのブログを読ませていただいております。
今回、長女の成人式の問題と次女の大学受験のことで、私の気持ちがいっぱいになってし
まい、自分を見失ってしまいそうなので、ご相談しました。
先ず、長女の成人式ですが、着物は娘の好みに合わせレンタルしました。
今時のレンタルは早めの申し込みで、記念写真の撮影は昨年3月に済ませており、夫と私の親にはすでにアルバムを渡しております。
この写真撮影の時、着物を着て帰りましたので、双方の祖父母宅に寄り、振袖姿を披露しました。
ですが、もうすぐ成人式というのに、長女は成人式には出ないと言い出しました。
その時の私のショックは言葉に出来ません。
長女は大学2年で、学費で精一杯の家計ですが、せっかくの成人式なので好きな着物を選ばせ、トータル20万円もしました。
今、思い起こせば、着物を選ぶ時も、写真撮影の時も、娘はずっと不機嫌でした。
私は娘の様子を見ているだけで吐き気がするほど、気分が悪くなってしまいました。
これも、私がそう育ててしまったのだから……
しっかりものの長女のこと、何か出席したくないよっぽどの理由があるはず、もうすでに振袖姿は見たし、祖父母にも披露し、アルバムも撮影済み。
何が問題なのか? 長女の成人式だもの、本人の好きにすればいい・・・ と自分に言い聞かせる毎日ですが、なかなか私の気持ちに折り合いが付きません。
これも、許して忘れる・・・でいいのでしょうか?
加えて、次女の大学受験で彼女のストレスが私に向けられ、毎日眼が回りそうです。
不安で不安で仕方ないようです。
私が高卒で、ずっと学歴にコンプレックスを持ち、子供には大学に行ってもらいたいと、小さい頃から学歴が大事と間違って育ててしまったのがいけないのでしょうね。
夫はいうと、我関せずとばかりに、遠巻きにしております。
こんなことで・・・と笑われてしまいそうですが、中学生の時に、長女、次女とも本当に大変な時期があり、頭の固い私が変わらざるを得ない事態となりました。
それから、子育てに自身がなくなり、これは共依存なのか?、と思うようになりました。
何かにつけ、私のしていることに自信がないのです。
何か良いアドバイスがありましたら、よろしくお願いいたします。
【はやし浩司よりMSさんへ】
簡単に言えば、親の私たちは、子どもに対して(幻想)をもちやすいということ。
その幻想を信じ、その幻想にしがみつく。
「私たち親子だけは、だいじょうぶ」と。
しかし実際には、子どもたちの心は、親の私たちから、とっくの昔に離れてしまっているのですね。
親は子どもの将来を心配し、「何とか学歴だけは・・・」と思うかもしれない。
しかし当の本人たちにとっては、それが(ありがた迷惑)というわけです。
いまどき、親に感謝しながら大学へ通っている子どもなど、まずいないと考えてよいでしょう。
それよりも今、大切なのは、自分たちの老後の資金を切り崩さないこと。
あなたにかなりの余裕があれば、話は別ですが・・・。
お嬢さんたちもその年齢ですから、今度は、あなた自身の年齢を振り返ってみてください。
そこにあるのは、(老後)ですよ。
今は、まだ(下)ばかり見ているから、まだ気がついていないかもしれませんが、あと5~10年もすると、あなたも老人の仲間入りです。
では、どうするか。
つい先日、オーストラリアの友人が、メールでこう書いてきました。
「子どもたちには、やりすぎてはいけない。社会人になったら、お(現金)をぜったいに渡してはいけない」と。
同感です。
私もずいぶんとバカなことをしましたが、それで私の子どもたちが、私に感謝しているかというと、まったくそういう(念)はないです。
息子たちを責めているのではありません。
現在、ほとんどの青年、若者たちは、同じような意識をもっています。
だから私の結論は、こうです。
「よしなさい!」です。
娘の晴れ着など、娘が着たくないと言ったら、「あら、そう」ですまし、そんなバカげた儀式のために20万円も浪費しないこと。
親の見栄、メンツのために、20万円も浪費しないこと。
それよりもそのお金は、自分の老後のためにとっておきなさい。
子どもというのはおかしな存在で、そうしてめんどう(?)をみればみるほど、子どもの心は離れていきます。
それを当然と考えます。
20年ほど前になるでしょうか。
ある父親が事業に失敗し、高校3年生の娘に、「大学への進学をあきらめてくれ」と頼んだときのこと。
その娘は、父親にこう言ったそうです。
「親なら、責任を取り、借金でも何でもしていいから、私を大学へ出せ!」と。
そこで私がその娘さんに直接話したところ、娘さんはこう言いました。
「今まで、さんざん勉強しろ、勉強しろと言っておきながら、今度は、あきらめろ、と。
私の親は、勝手すぎる」と。
率直に言えば、これは「共依存」の問題ではありません。
あなたはまだ「子離れ」できていない。
つまりは精神的に未熟。
それが問題です。
あなたは子離れし、自分は自分で、好きなことをしなさい。
自分で自分で、自分の人生を見つけるのです。
つまりあなたはあなたで前向きに生きていく……。
その点、あなたを(遠巻きにして)見ている、あなたの夫のほうが、正解かもしれません。
ずいぶんときびしいことを書きましたが、そのためにも、前段で書いた部分を、どうか読んでみてください。
私たち自身の老後をどうするか?
お金の使い方も、そこから考えます。
二女の方の学費にしても、子どものほうから頭をさげて頼みに来るまで、待ったらよいでしょう・・・といっても、今さら、手遅れかもしれませんが。
本人に勉強する気がないなら、放っておきなさい。
今のあなたには、それこそ重大な決意を要することかもしれませんが、そこまで割り切らないと、あなた自身が苦しむだけです。
どうせ大学へ入っても、勉強など、しませんよ。
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
つづく
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