Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, April 09, 2013

西洋の女妖怪、リリスbyはやし浩司


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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     4月 12日号

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【1】(西洋の女妖怪)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 
【舘山寺、ウェルシーズンにて】
 
261 西洋の女妖怪、リリト(Female Demon, Lilith
 
Hiroshi Hayashi++++++++++++はやし浩司
 
http://youtu.be/bMHkHV6CY0g
 
 
Hiroshi Hayashi++++++++++++はやし浩司
 
西洋には、リリトと呼ばれる女妖怪がいます。
もとは、アダムの妻だったとか。
そのリリトときわめてよく似た像が、ギリシア彫刻の中にありました。
不思議なことに、ギリシア彫刻のほうが、古いのです。
ギリシア彫刻は、3D写真と、CADによって作られています。
(そういう意味では、エイリアンは、それほど創造的ではありません。)
そのことを考えるなら、リリトは実在したことになります。
つまりリリトを写真に撮り、それをデータベースにして、彫刻が彫られた。
そう考えられなくもありません。
が、それ以上に不思議なのは、きわめてよく似た像が、メソポタミアで見つかったということです。
ギリシアとメソポタミア……直線距離にして、2500km近くも離れています。
どうしてギリシア彫刻ときわめてよく似た像が、メソポタミアで見つかったのか。
あるいは、ただの偶然の一致なのでしょうか。
ビデオで紹介しますので、みなさん自身でご判断ください。
 
はやし浩司
 
2013年04月09日
 
Hiroshi Hayashi
 
In Jewish folklore, from the 8th–10th centuries 
Alphabet of Ben Sira onwards, Lilith becomes 
Adam's first wife, who was created at the same time
 and from the same earth as Adam. This contrasts
 with Eve, who was created from one of Adam's ribs.
 The legend was greatly developed during the 
 
Middle Ages, in the tradition of Aggadic midrashim, 
the Zohar and Jewish mysticism.[3] In the 13th 
Century writings of Rabbi Isaac ben Jacob ha-Cohen, 
for example, Lilith left Adam after she refused to
 become subservient to him and then would not return
 to the Garden of Eden after she mated with archangel 
 
Samael.[4] The resulting Lilith legend is still 
commonly used as source material in modern 
Western culture, literature, occultism, fantasy, and
 horror.
 
 
Hiroshi Hayashi+++++April.2013+++++はやし浩司・林浩司
 
○春休み
 
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
春休みも、残すところ1日。
あと1日。
……ということで、今日は、舘山寺温泉にやってきた。
ウェルシーズンというホテルに、やってきた。
温泉でいうなら、静岡県イチの広さ。
清潔で豪華。
ときどきやってくるが、いつ来ても、快適。
大満足。
 
浴衣も、洗濯+アイロンがけ済み。
寝具のシーツ類も、すべて洗濯済み。
というか、真新しい。
部屋にはチリひとつ、落ちていない。
 
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
○蒙古軍(元寇の役)
 
 今朝は、6時起き。
そのころ目が覚めた。
30分ほど、布団の中で、あれこれ考えた。
謎という謎ではないが、セイント・ジョージが気になった。
欧米では、守護聖人(Military Saint)と呼ばれている。
何かの窮地に陥ったようなとき、やってきて人間を助ける。
第二次大戦中も、あちこちで現れたという。
 
 で、それが気になった。
というのも、似たような話が、この日本にもある。
まっさきに思い出すのが、元寇(蒙古襲来)のとき。
日本軍は敗退に敗退を重ね、もうどうじようもない状態に追い込まれていた。
そのときのこと。
燃え盛る筥崎宮(箱崎宮)の中から、30人余りの男たちが飛び出してきた。
男とは書いてないが、男とする。
みな、白装束。
その男たちが、不思議な矢を放ちながら、蒙古軍に突進した。
とたん、蒙古軍は、その姿におののき、退却。
その数、1万とも数万とも。
そのとき日本軍のほうはといえば、すでに数万人が捕虜になっていたという。
 
 で、蒙古軍は、海ぎわに追いつめられた。
筥崎宮から海までの距離は、さほどない。
大きな湾になっていて、その内側に、筥崎宮がある。
が、そこへあの「神風」。
突風が吹き、陸上の蒙古軍のみならず、船団を組んで停留していた蒙古軍たちも、手痛い被害をこうむった。
それが引き金となり、蒙古軍は、敗退。
日本軍の勝利へと、つながった。
 
○史実
 
 この話がウソでないことは、複数以上の記録が残っていること。
詳しい戦記も残されている。
それらの戦記に残っている武将の名前も、所属も、正確。
が、肝心の「30数名の白装束」の男たちについては、どこのだれかは、わかっていない。
つまり謎の軍団。
……ということで、八幡大菩薩の化身ということになった。
そのとき吹き荒れた突風は、「神風」ということになった。
 
 そののち筥崎宮は、軍神のメッカとなった。
第二次大戦中も、軍人幹部たちは、みな、筥崎宮詣(もうで)でを繰り返した。
「神風特攻隊」という名前も、そのあたりから、生まれた。
 
○歴史家のインチキ
 
 戦後の教育の最大の欠陥は、子どもたちから夢やロマンを奪ったこと。
おかしな学問性にこだわった。
英語にしても、数学にしても、将来、英語の文法学者になるには、すぐれた体系をもっている。
数学者になるには、すぐれた体系をもっている。
が、英語の文法学者や数学者になる子どもは、いったい、何%いるのか。
だからおもしろくない。
役に立たない。
歴史にしても、しかり。
 
たとえば元寇の役(蒙古軍の襲来)についても、これら白装束の男たちの話は、学校では、いっさいしない。
教えない。
「そうそう、こんな不思議な話も残っています」とでも言ってくれれば、まだ楽しい。
が、「ありえない」という理由だけで、すべて切り落としてしまう。
事実、この話は、歴史書の中では、タブー。
もちろん教科書には載っていない。
 
中には白装束の男たちについて書いた本もある。
が、しかし「3000人」。
「30人」ではなく、「3000人」。
30人では、まことにもって、不自然。
たった30人では、いかに強力な矢(?)をもっていたとしても、数万とも言われた蒙古軍の軍勢に勝てるわけがない。
そこで3000人(?)。
 
 言うなれば、歴史教育にしても、ほんの一部。
海辺で貝殻を拾い、「これが~~貝です」とは、教えるようなもの。
目の前に、大海があることを教えない。
大海のすばらしさは、教えない。
 
その上、事実として証明されたことだけをもって、世界の歴史を説明しようとする。
言うなれば、ジグソーパズルのチップ1枚だけを見せ、絵、全体の話をする。
よい例が、エジプトの3大ピラミッド。
 
あれを見た人は、その瞬間、だれしも、こう思う。
「これは人間業(わざ)ではない!」と。
が、そうした私たちが本来感ずる素朴な疑問には、いっさい耳を傾けない。
答えない。
答えないばかりか、「人間が作った」という前提だけで、歴史を組み立てる。
私たちに押しつける。
「~~王の墓です」と。
 
が、もともと無理な話。
証明された事実だけをもって、世界の歴史を説明するのは、無理な話。
 
が、それだけではない。
自分たちが「?」と思うような話は、どんどんと切り捨てていく。
残ったのは、骨と皮。
その結果が、今。
ミロのヴィーナスを見て、美しいと思う人は多い。
が、骸骨を見て、美しいと思う人はいない。
それと同じことを、しながら、みじんも恥じない。
 
 で、答に窮すると、こんな説明。
 
ナスカ平原に何千人もの人たちを一列に並べ、直線を引かせる。
イースター島のモアイを、多くの人で、ロープでユラユラと動かしてみせる。
いわく、「こうすれば、人間の力でも可能です」と。
エジプトのピラミッドについては、いまだに「~~王の墓です」と言って、がんばっている。
 
これを歴史家のインチキと言わずして、何と言う。
 
○人間業
 
 同じく、ギリシア彫刻。
見た瞬間、だれしもこう思う。
「これは人間業ではない」と。
ガンダーラの仏像にしても、そうだ。
 
 どんな文化にも、周囲文化というものがある。
たとえば彫刻にしても、それを支える文化がなければならない。
彫刻だけが飛びぬけて発達するということは、ない。
ないというより、ありえない。
 
 美術学校はあったのか。
彫刻技術はあったのか。
彫刻するための道具は、あったのか。
金具はどうしたのか。
絵画はどうか。
教師は、どうやって育成したのか。
だれがどのようにして、芸術家たちの生活を保障したのか。
紙と筆記用具には、どんなものを使っていたか、などなど。
 
 芸術というのは、生活にゆとりがないと、発達しない。
その(ゆとり)は、あったのか。
あるいはギリシアの人は、どんな生活をしていたのか。
その富は、どこから得ていたのか、などなど。
 
 さらに言えば、ギリシア彫刻には、似たようなものが多い。
時間差をおいて、写真化したような彫刻も少なくない。
なぜ、そんなことをしたのか、などなど。
 
 こうした疑問にすべて答えたあとで、ギリシア彫刻を論ずればよい。
が、それもしないまま、「人間が作った」という前提だけで、歴史を組み立ててしまう。
私は、それが「無理」と言う。
 
○ミケランジェロ
 
 「人間にはできない」と書くと、こう反論する人がいるかもしれない。
「ミケランジェロは、どうなのか」と。
「ミケランジェロは、同じようなものを彫刻することができた」と。
 
 ギリシア彫刻は、紀元前1~4世紀の話。
ミケランジェロの彫刻は、紀元後16世紀の話。
その間に、2000年近い、年月がある。
つまりギリシア彫刻から、2000年もたってから、ミケランジェロは生まれた。
 
 が、そのミケランジェロの作品についても、そうだ。
それを見て、だれしもこう思う。
「人間業ではない」と。
あるいは「ギリシア彫刻とウリ2つ」と。
 
 そう、ギリシア彫刻と、ウリ2つ。
同じ。
そこで調べてみると、出てくるわ、出てくるわ、謎の連続。
髪の紋にしても、ギリシア彫刻のそれと、そっくり。
ミケランジェロは、確かに彫刻家だった。
が、明らかに、エイリアンの技術を借りていた。
ギリシア彫刻と区別がつかないというのが、何よりの証拠。
それが私の今の結論。
 
○思考の原点
 
 常識で考えてみよう。
あんな作品、23~5歳の若者に、作れるわけがない。
しかも処女作?
いきなり大作?
そのことは、私が制作したビデオの中で、説明した。
興味のある人は、どうか見てほしい。
3時間近い長編のビデオだが、あなたがもっている歴史観、常識をひっくり返すには、それくらいの時間はかかる。
ぜひ、見てほしい。
 
 
http://youtu.be/4nBloTRxx8A
 
 ……私の頭がおかしいのではと思っている人は、多いと思う。
が、そう思うと同時に、こうも思ってほしい。
「私のもっている常識は、作られたものではないか」と。
 
 おかしいものは、おかしい。
私たちの思考の原点は、そこにある。
そこを出発点として、ものを考える。
 
○ジグソーパズル
 
 同じような話だが、私自身も、こうまで『謎の点と線』にのめり込むとは、思ってもいなかった。
最初は、軽いノリ程度。
「ちょっと調べてみよう」と。
が、調べれば調べるほど、ちょうどジグソーパズルのチップのように、そこに絵が現れてくるのを知った。
 
最初は、イースト・ポール(East Pole)の発見だった。
そのイースト・ポールと南極をつないでみた。
その直線の直下に、あのエアーズロック(オーストラリア)があるのを知った。
ぞっとした。
 
 ……などなど。
同じ話の繰り返しになるので、この話は、また別の機会に書くことにする。
ともかくも、私が謎を解くというよりは、向こうのほうから謎が解けていった。
ジグソーパズルそのもの。
答はすでに用意してあった。
私がすることといえば、そのひとつずつを、空いたところにチップを埋めていくだけ。
簡単な作業だった。
 
 が、その原動力となったのは、言うまでもなく、あの夜、ワイフと見た巨大なUFOだった。
 
○見たものは、見た
 
 今回もそうだが、事実を発表するのが、こんなに困難なことだとは、私は予想もしていなかった。
日本は、まさに学者という人たちが作りあげた、独裁国家。
学者が作った常識以外は、みな、価値がない。
学者の意見に反したとたん、そのまま闇に葬られる。
 
UFOを目撃したときも、そうだった。
見たものは、見た。
たったそれだけのことだが、私とワイフは、それから20年以上も、沈黙を守らねばならなかった。
「君は、教育評論家を名乗っているのだから、そういうことは口にしないほうがいい」と、忠告してくれた人も、多い。
つまりこの日本では、UFOはもちろん、異星人、エイリアンという言葉を口にしただけで、頭がおかしいと思われる。
変人扱いを受ける。
私など、すでに、「超常現象研究家」というレッテルを張られている。
 
が、それとて、私たちが受けた教育の結果ということになる。
日本人は、(不思議なもの)を、不思議なものとして、受け入れる心の余裕を失ってしまった。
そのかわり、「~~年~~」と、年号を暗記するのが、歴史の勉強になってしまった。
私も、こう覚えた。
「大化の改新、ムシ、ゴヒキ(虫、5匹=645年)」と。
 
 たぶん、あなたもそうだろう。
そう暗記しただろう。
が、こんな知識は、まったく役に立たない。
立たないばかりか、あなたの心の中から、夢やロマンを奪ってしまう。
 
○『謎の点と線』
 
 もちろん私にも、ミスはある。
まちがいも、ある。
が、それはそれ。
そんなことは、あとで訂正すれば、すれですむ。
大切なことは、そのときどきで、正しいと思うことを、発表していくこと。
幸か不幸か、『謎の点と線』の手法で、古代文明の謎解きに挑戦しているのは、世界でも、私ひとりだけ。
友もいないが、ライバルもいない。
 
 が、けっして孤独ではない。
楽しい。
歴史学者の連中が、私を「変人」と思えば思うほど、楽しい。
というのも、その分だけ、うるさいハエを遠ざけておくことができる。
その間、私はさらに自分の道を進むことができる。
まさに独走状態。
 
 ……あのギリシア彫刻にしても、エイリアン制作説を唱えているのは、このはやし浩司だけ。
人間ではないのだから、エイリアン。
簡単な論理である。
 
○新宗教団体
 
 「新宗教団体」という言葉がある。
つまり私がしていることは、新宗教団体?
まだ、直接、そう言ってきた人はいない。
が、そのうち、そう言われるようになるだろう。
時間の問題。
 
 私が教祖。
このエッセーを読み、私に賛同する人は、みな、信者。
どうか、ご注意!
 
 ……というか、歴史学者のインチキを、もうひとつ。
 
 益田の岩船を検証していたときのこと。
その説明書き(立札)に、こうあった。
「高麗尺(寸法)を使っているので……云々。
この岩船は、どこかで削って運んできたものではないようだ……云々。
この場(=益田)で、削ったもののようである」(以上、記憶)と。
 
 バカめ。
あんな岩、どこのだれが、あんなところに運ぶか!
とは、言えない。
本当に、あの場で削ったのかもしれない。
そこで私は、岩船の下の斜面を、掘れるだけ、掘ってみた。
あの場で、岩を削ったのなら、その破片が残っているはず。
花崗岩である。
色も質もちがう。
あれば簡単に、見分けられる。
しかも岩船は、ポツンと、1個だけ、あの場にある。
周囲を見回しても、白い花崗岩は、岩船だけ。
 
 が、削った破片は、どこにもなかった。
岩船の下側斜面である。
あれば、上に露出していても、おかしくない。
(反対に、上側斜面は、土に埋もれていても、おかしくない。)
 
 であるなら、つまり「この場で削った」と言うのなら、その証拠を見せたらよい。
が、そういう証拠は見せない。
言い換えると、歴史学者というのは、ウソは言わない。
しかし同時に、自分に都合の悪いことも、言わない。
「この場で削ったはずですが、破片は見つかりませんでした」とか。
そういう事実は、言わない。
 
 つまりこうして私たち一般の人間に、まちがった先入観をもたせる。
私は、それを、「ウソ」と言う。
 
 なお、私のビデオについて、「トンデモ……」とか、「即刻、中止すべき」と書いてきた、どこかの歴史学者のセンセーへ。
ほんとうに、ごちそうさまでした。
「歴史は、広い宇宙の中で、心で読むもの」という、ご宣託には、ひどく感動いたしました。
その言葉を、そっくりそのままあなた様に、お返しいたします。
 
○リリト(悪魔)
 
 話題を変える。
 
 聖書には、「リリト」と呼ばれる悪魔がいる。
顔は人間、体は鳥という悪魔である。
暗黒の悪霊とも呼ばれている。
(反対に、顔は鳥、体は人間というのも、いる。
興福寺に残っている、迦楼羅像(かるら・ぞう)も、そのひとつ。)
 
 このリリトは、中東周辺では、広く信じられている。
悪魔として、恐れられている、
が、リリト自身は、女性形。
やさしい顔立ちと、丸味を帯びた体をしている。
胸もある。
 
 が、である。
先日図書館で、まったく同じ形の彫刻を見つけた。
ギリシア彫刻である。
姿、形が同じ。
が、悪魔ではない。
どこか悲しげな表情をしている。
彫刻のタイトルは、『泣くセイレーン』であった。
それが今、気になっている。
 
 セイント・ジョージは、守護聖人。
一方、リリトは、悪魔。
このちがいは、何か。
つまり両者のちがいは、何か。
 
 が、私は何もここで、善人論、悪人論を述べるつもりはない。
今まで、ざんざん、この問題について、考えてきた。
「はやし浩司 善人論」で検索をかけてみてほしい。
(たった今、Yahooで検索をかけてみたら、2900件、ヒットした。)
 
 で、ここでは、彫刻からみた、善人論、悪人論を考えてみる。
どの彫刻をもって、善人というか。
悪人というか。
ここにあげた、『泣くセイレーン』という彫刻は、どう見ても、悪魔には見えない。
悲しげな顔をしている。
が、ここでひとつ、大きな謎にぶつかる。
 
 ギリシア彫刻は、現代でいうコンピューターで作られた。
「3D写真」という。
だからどれも、例外なく、超写実的。
写真そのもの。
写真と絵画はちがう。
ギリシア彫刻は、彫刻というより、写真。
それがわからなければ、江戸時代の人に写真を見せたようなばあいを、想像してみればよい。
江戸時代の人たちは、どんな反応を示すだろうか。
つまり私たちが今、ギリシア彫刻を見て、似たような反応を示している。
言うなれば、ただの3D写真。
それを見て、意味もなく、「すばらしい」と感動している。
 
○現物
 
 ならば『泣くセイレーン』も、写真と考えてよいのでは。
つまり現物を、そのまま3D写真にした。
 
事実、羽根の生えている部分は、ぼんやりとしている。
胸から乳首のあるあたりは、まるで薄い綿に包まれたようになっている。
ということは、というのも、エイリアンたちは、自分たちでは彫刻はしないので、その像もまた、現物を3D写真にしたと考えるのが、正しい。
言い換えると、そういう体の人間は、実在したということになる。
頭は人間で、体は鳥。
もしそれが悪まであるというのなら、悪魔は、実在した。
ロジカルに考えると、そうなる。
 
 エイリアンは、実在したモデルを使い、3D写真を作った。
が、その人間(?)は、どこからどう見ても、悪魔には見えない。
この謎を、どう解いたらよいのか。
 
○謎
 
 明日は、家に帰ったら、その彫刻について調べてみる。
おもしろそう。
悪魔なら悪魔でよい。
なぜエイリアンは、悪魔なるものを、作ったのか。
昔から西洋では、『善と悪は、神の左手と右手』と教える。
この両者が、バランスを保ち、人間の道徳論を構成している。
 
 それはちょうど、交感神経と副交感神経に似ている。
亢進と抑制。
悪を否定してはいけない。
悪があるからこそ、善がひきたつ。
もし人間がみな、天使のようになってしまったら、この世は何とつまらないものになることか。
人間は悪と闘う。
その闘いの中から、無数のドラマが生まれる。
そのドラマが楽しい。
人間の生活を、潤い豊かなものにする。
 
 悪魔は、その「悪」の象徴ということになる。
リリトも、その1人か。
 
○センチ
 
 今夜の私は、同時に、かなりセンチメンタルになっている。
「センチ」という。
どういうわけか、周囲で亡くなっていった人たちのことを強く思う。
つい先日まで、生き生きと園長をしていた友人がいた。
浜松市内で、2つの幼稚園を経営していた。
話を聞くと、去年、亡くなったという。
知らなかった。
 
 まさかのまさか。
私より、元気な人だった。
その人のことをぼんやりと考えていたら、つぎつぎといろいろな人が、脳裏に現れては消えた。
「つぎは、私の番かなあ……」と。
 
 が、理由がないわけではない。
つまりセンチになったことについて、理由がないわけではない。
つまり先ほど、温泉に入ってきた。
そこで一人の老人を見かけた。
トイレのドアを開けたまま、中でうろうろしていた。
見ると、コックの使い方が、わからないといったふうだった。
 
 で、つぎに見ると、洗面台の前で、整髪料を手にしながら、ブツブツと独り言を口にしていた。
「これは何か……」と。
 
 私はそれぞれの説明をしてやった。
「これが、顔。これが頭……」と。
 
 脳梗塞か何かで、脳みそがダメージを受けたらしい。
そう感じた。
で、年齢を聞くと、「80歳だよ」と。
 
 私はすぐさま逆算した。
「あと15年か。15年で、私も、ああなるのか」と。
それでセンチになってしまった。
 
○宗教性
 
 ……私の説は、神や仏を、まっこうから否定する。
神や仏イコール、エイリアンと考えている。
神や仏にしても、もっと現実的なもの。
けっして霊的(スピリチュアル)なものではない。
言い換えると、神や仏に救いを求めている人たちには、きびしい説ということになる。
サンタクロースを信じている子どもに、サンタクロースは、いないと言うのと同じ。
衝撃は、もちろんそれ以上。
 
 が、だからといって、私はそういう人たちの生き様を否定しているのではない。
エイリアンだって、信仰しているのかもしれない。
つまり神の神、仏の仏。
それを信仰しているのかもしれない。
しかし残念ながら、人間の私たちには、理解できない。
人間は、エイリアンの目から見れば、サルやイヌに近い。
だから低いレベルで、私たちに神や仏を教えるしかない。
そのように考えられなくもない。
 
 エイリアンは、この広い宇宙を自由に行き来している。
住んでいる世界も、それだけ広い。
エイリアンが、私たち人間とは、まったくちがった宗教観をもっていたとしても、私は驚かない。
つまり私はエイリアンの向こうにある宗教性まで、否定しているわけではない。
 
 それは何か。
どこにあるのか。
センチになった分だけ、今夜はそれについて、思いを巡らす。
 
 眠くなってきたので、今夜はここまで。
これから大浴場で身を温め、そのあとそのままベッドに入る。
おやすみ!
 
2013年04月08日
 
 
Hiroshi Hayashi+++++++April.2013++++++はやし浩司(ひろし)
 
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