Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, May 22, 2008

*Those Cghildren who have poor ability of Speech

●言葉が乱れる子ども

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言葉が乱れる子どもというのは、少なくない。
言っていることは、わかるのだが、全体として、
文章になっていない……?

それを書く前に、こんなことは、よくある。
これは日本語の特徴なのかもしれないが、
たとえば、子どもたちは、こう言う。

「明日は、プールがない」と。

そこで私がすかさず、「プールがないって、
どういうこと?」と聞きかえす。

子「プールがないよ」
私「プールが、現れたり、消えたりするの?」
子「ううん、プールはあるけど、プールで、
泳がない」

私「泳げばいいでしょ。どうして泳がないの?」
子「だからア~、体育の授業で、水泳をしないって
いうこと」
私「ああ、そう。だったら、はじめっから、そう
言えばいいのに……」と。

が、P君(小2男児)のケースは、ややちがう。
(Pさん、P君のことを書いて、ごめんなさい。
立ち話のつづきを書いてみます。)

P君は、こう言った。

「ぼく、携帯電話ない。かぎは、もってる。
お母さん、仕事で、ぼく、先に、中に入る……」と。

P君が言おうとしていることは、よくわかる。
こういうことらしい。

「ぼくは携帯電話はもっていない。しかし家のかぎは、
もっている。お母さんが仕事で帰りが遅くなったときは、
そのかぎを使って、ぼくは、先に、家の中に入る」と。

こういうケースでまず疑ってみるべきは、その
子どもの会話能力。
会話能力が貧弱だと、作文能力に、そのまま
大きな影響を与える。
作文能力が劣ると、あらゆる科目に影響がおよぶ。

その子どもの会話能力を決めるのは、母親である。
母親は、そのため、子どもには、正しい日本語で
話しかけなければならない。

たとえば、「ほら、カバン、カバン、ハンカチは?」
ではなく、
「あなたはカバンをもちましたか?」「ハンカチは
もっていますか?」と。

それについて書いた原稿は、このあとに添付して
おく。

が、P君のケースは、それともややちがう。
お母さんは知的な人で、かつP君には、愛情豊かに
接している。
もちろん言葉の使い方も、正しい。

似たようなケースは、バイリンガルの子どもにも
ときどき観察される。

たとえば父親が日本人で、母親が中国人であるような
ケースである。

0歳~2歳期の、言語形成期にバイリンガルで育てる
と、子どもの言語能力は、大きく乱れることは、
よく知られている。

私の孫も、2歳半くらいのとき日本へ来たとき、
英語とも日本語ともわけのわからない英語を
話していた。

たとえば「私は家へ帰りたくない」というときも、
「No go home, bye, bye」と。

問題は、なぜP君の言語能力が、乱れているか、である。
P君の両親は、日本人である。
脳の言語中枢の問題など、いろいろ考えられるが、
教育の世界では、(原因)よりも、「この先、どうするか?」
を、優先して考える。

私「乱れた日本語は、そのつど、言いなおさせるしかありませんね」
母「私も、気になっていましたが……」
私「まだじゅうぶん間にあいますから、今日からでも、正しい
日本語で会話することに心がけてみてください」
母「わかりました」と。

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子どもの会話能力について書いた
原稿を、いくつか添付します。

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子どもの国語力が決まるとき

●幼児期に、どう指導したらいいの?

 以前……と言っても、もう30年近くも前のことだが、私は国語力が基本的に劣っていると思われる子どもたちに集まってもらい、その子どもたちがほかの子どもたちと、どこがどう違うかを調べたことがある。結果、次の3つの特徴があるのがわかった。

(1) 使う言葉がだらしない……ある男の子(小2)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校ジャン」というような話し方をしていた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」となる。

たまたま『戦国自衛隊』という映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だった?」と聞くと、その子どもはこう言った。「先生、スゴイ、スゴイ! バババ……戦車……バンバン。ヘリコプター、バリバリ」と。何度か聞きなおしてみたが、映画の内容は、まったくわからなかった。

(2) 使う言葉の数が少ない……ある女の子(小4)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウウン」だけで会話が終わるとか。何を聞いても、「まあまあ」と言う、など。母「学校はどうだったの?」、娘「まあまあ」、母「テストはどうだったの?」、娘「まあまあ」と。

(3) 正しい言葉で話せない……そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみたが、どの子どもも外国語でも話すかのように、照れてしまった。それはちょうど日本語を習う外国人のようにたどたどしかった。私「山の上に、白い雲がありますと、言ってごらん」、子「山ア……、上にイ~、白い……へへへへ」と。

 原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その母親にそのことを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホントにモウ、ダメネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!

●国語能力は幼児期に決まる

 子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。毎日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話し方をしていて、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。

こういうケースでは、たとえめんどうでも、「帽子をかぶりましたか。ハンカチを持っていますか。もうすぐバスが来ます」と言ってあげねばならない。……と書くと、決まってこう言う親がいる。「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、本を読んであげているから」と。

 言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞いているからといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それこそ立て板に水のように、本をスラスラと読む子どもが現れる。しかしたいていは文字を音にかえているだけ。内容はまったく理解していない。

なお文字を覚えたての子どもは、黙読では文を理解できない。一度文字を音にかえ、その音を自分の耳で聞いて、その音で理解する。音読は左脳がつかさどる。一方黙読は文字を「形」として認識するため、一度右脳を経由する。音読と黙読とでは、脳の中でも使う部分が違う。そんなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読の練習をするとよい。具体的には「口を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませる。

●幼児教育は大学教育より奥が深い

 今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわかってもらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だと思っている人は多い。

私が「幼稚園児を教えています」と言ったときのこと。ある男(54歳)はこう言った。「そんなの誰にだってできるでしょう」と。

しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」の基本と方向性は、幼児期に決まる。そういう意味では、幼児教育は大学教育より重要だし、奥が深い。それを少しはわかってほしかった。

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もう1作、携帯電話について書いた原稿です。
(最近、携帯電話が話題になることが、多く
なりましたので……。)

日付はわかりませんが、2000年ごろに
書いたものです。

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●子どもの携帯電話を考える法

 携帯電話をもつ子どもがふえている。調査のたびに、ぐんぐんとうなぎ昇りにふえているので、調査そのものがあまり意味がない。が、それと同時に弊害も表面化してきた。それらを並べると……

(1) マジックミラー症候群……膨大な情報量の中で、知りたい相手の情報は見ても、自分の情報は流さない。一方的に相手を観察するだけで、自分の正体は明かさない。あるいは他人の意見を知り、それを攻撃することはできても、自分の意見は述べない。情報が一方通行化する。

(2) リセット症候群……一度、嫌いになると、ちょうどスイッチを切るかのように、相手を自分の世界から抹殺してしまう。その後その相手からメールが入っても、それを受けつけないか、無視する。

(3) オセロ症候群……白黒はっきりした人間関係をつくろうとする。敵の敵は味方という考え方をしながら、その色分けをはっきりする。中間色的なつきあいができなくなる。

(4) マトリックス症候群……バーチャルな人間関係を結ぼうとする。相手は無臭、無味、体温の感じない状態のほうが、つきあいやすい。自分の側の臭いや味、感情も文の上でコントロールしようとする。一方、現実の世界の人間とは、心を結べなくなる。

(5) 字幕症候群……相手からの文字に、自分の心をのせて相手の文を読む。たとえば相手が「バカだなあ」と書いたとする。相手は冗談のつもりで書いたとしても、その「冗談」の部分はわからない。わからないから、こちらの感情でその文を読んで、ときには憤慨したり、怒ったりする。

(6) 携帯電話依存症候群……携帯電話がないと落ち着かない。気分がすぐれない。携帯電話に固執する。

(7) カプセル症候群……メール用語、メールの世界だけしか通用しない用語だけで会話をしようとする。またそれを知らない人を、よそ者的に排斥しようとする。

(8) ワイアレス症候群……膨大な情報の中に埋もれてしまい、自分がわからなくなる。無能化、愚鈍化が進む。一日の行動が決められず、電話の運勢占いにすべてをかける。

(9) グラフィック症候群……音声の会話ができなくなる。メールでは何でも話せるのに、いざその人と直接対面すると、何も話せない。

(10) ボーダーレス現象……性情報が氾濫し、それが見境なく低年齢層に浸透している。

(11) 情報のフェザー現象……情報の価値が限りなく軽くなり、その分、思考回路も軽くなる。会話能力の低下、思考能力の低下をきたす。

(12) 親指人間、会話能力欠如、言葉の短文化、感情化、短絡化、文字のマンガ化、ムダ話がなくなった分だけ、黙々と携帯に文字を打ち込んでいる。

通学電車の中。昔は高校生や中学生の笑い声やはしゃぐ声が聞こえた。が、今は違う。誰もが黙々と携帯電話のボタンを押している。携帯電話をもっていない子どもも、もっている子どもに遠慮して何も話しかけない。静かだ。しかしおかしい……?

今では中学生の約60%、高校生の約80%が携帯電話をもっている(2000年、筆者調査)。すでに「持ち物」という範囲を超え、携帯電話は子どもたちの間では必需品にすらなりつつある。

「携帯電話がないと、仲間ハズレにされる」「友だちができない」と言った中校生すらいる。もちろんそれが子どもたちに与える影響は大きい。今どき、テレクラ・ナンパ・援助交際を問題にするほうがおかしい。有害な性情報は、容赦なく子どもたちの世界に降り注ぐ。知識や行動だけではない。この携帯電話が子どもたちの心まで蝕み始めている。

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P君のケースとは関係ありませんが、
たとえばアスペルガー児のばあい、
言語能力が乱れることは、よく
知られています。

つぎの原稿は、6~7年前に書いた
原稿です。

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●心にキズをもった子ども

【大阪府T市在住の母親より】

幼稚園で不登園になって以来、小学校に 入学してから今まで 毎日 学校でつき添って登校しています。

最近 「ぼくは、死んだほうがいいんだ。」「お母さんは、僕が嫌いなんだ。」「どうせ何をやってもうまくできない」と、毎日言います。

幼稚園に行かなくなったときに 私が、死にたいほど辛く 本人にもかなりひどいことを言ってしまったのを、思い出しているのかも知れません。最近になって、アスペルガ-症候群だといわれました。

子供に 自己に自信をつけてあげるには、どのように接してあげれば、いいでしょう?毎日 楽しく生活できるようにと 思っているのですが、毎日 あまりにもしつこく言われ 私も いらいらしてしまいます。
(大阪府T市、CFより)

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 アスペルガー症候群については、たびたび書いてきたので、ここでは、簡単に説明だけしておく。

 自閉症的な症状を示しながら、知的な発達障害の見られない子どもが見せる症候群を、アスペルガー症候群という。ふつう自閉症というときは、言語能力などの分野で、知的発達障害をともなくことが多い。が、アスペルガー児には、そういった発達障害は、見られない。むしろ、数学や算数の分野などで、特異な能力を見せることが多い。

 正確には、自閉症の中でも、正常レベルに近い子どもを、「高機能自閉症児」という。その中でも、さらに正常に近い子どもを、「アスペルガー児」という。高機能自閉症児と、アスペルガー障害児をまとめて、「高機能広汎性発達障害児」と呼ぶ。

 しかし名前だけはぎょうぎょうしいが、要するに、対人関係に問題がある子どもというだけで、それ以上に問題はない。「個性」と位置づける研究者も多いし、実際、教育現場では、そういう方向で、指導をしている。

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 この相談のばあい、その子どもが、アスペルガー児であるかどうかは、不随的な問題と考えてよい。アスペルガー児だから、「死んだほうがいい」という言葉を口にするわけではない。ただ、対人関係の調整が、きわめて苦手な子どもなので、ささいなことで、キズつきやすいということ。

 で、気になるのは、母親自身が、「私が、死にたいほど辛く、本人にもかなりひどいことを言ってしまったのを、思い出しているのかも知れません」と告白している部分である。

 恐らくそういった接し方を、その母親は、一度とか、二度とかではなく、ごく日常的に、態度をとおして、していたのかもしれない。

 そのため、子どもの心は、キズついた。アスペルガー児であるというなら、なおさら、デリケートな心をもっていた。子どもの年齢は書いてないので、よくわからないが、低学年児であるなら、この言葉は、痛々しい。

【CFさんへ……】

 CFさんも、当時は、いろいろ混乱していたのだと思います。子どもの様子が、少し変わっているということで、いろいろ悩んだのだと思います。そして、(ひどいこと)を口にしてしまった。

 この問題は、CFさんの子どもが、アスペルガー児であるとかないとかいうこととは、一度、切り離して考えてみたほうが、よいのでははいないかと思います。そして過去の失敗は、いまさら、悔やんでもしかたのないこと。

 問題は、これから先、どうするか、ですね。

 幸いなことに、CFさんは、今、そういう自分を深く、後悔しています。そして自分やあなたの子どもを、冷静に見つめています。ここがとても重要な点です。というのも、世の中には、そういう子どもをもちながら、その子どもの心を知らないまま、子どもを叱りつづける親も多いからです。

 ほとんどの親は、子どもに何か問題が起きると、自分を改めようとする前に、「子どもをなおそう」と考えます。しかしこれほど、身勝手な考え方はありません。

 実のところ、私自身も、「アスペルガー症候群」という言葉を、ほんの5年前にさえ知りませんでした。当時、ある母親から、子育て相談会の席で相談され、そういう症状があることを知りました。今から思うと、それがアスペルガー症候群でした。

(この名称が一般的になったのは、ここ数年のことではないでしょうか。私の勉強不足かもしれません。

 対人関係が結べず、その子どもの母親も、深刻に悩んでいました。「完ぺき主義で、だれかにまちがいを指摘されたりすると、錯乱状態になる」と。

 で、その子どもは、小学3年生になるまで、私は指導しました。その子どもについては、また別の機会に詳しく書くとして、そんなわけで、私は、「死にたいほどつらく思い、子どもにひどいことを言った」あなたを、責めることができません。

 で、その結果、あなたの子どもの心は、ひどくキズついてしまったというわけです。

 ただ、一つ、誤解してはいけないのは、こうした対人関係がうまく結べない子どものばあい、ときとして、相手に同情を求めながら、相手の心を試すということは、よくあることということです。

 「死」という言葉にしても、言葉として、そう言うかもしれませんが、あまり本気にしてもいけません。「死ぬ」「死ぬ」と言って、死んだ子どもはいません。子どもが死を選ぶのは、あくまでも、何かのことで行きづまった、その結果です。……といっても、やはり痛々しい言葉ですね。本来なら、絶対、子どもには口にしてほしくない言葉です。

 こういうケースでは、まさにあなたの親としての、愛の資質が試されます。どんなことがあっても、「許して、忘れる」です。あとは、暖かい無視を繰りかえし、子どもが、何かのスキンシップや愛情表現を求めてきたら、すかさず、いとわず、ていねいにそれに答えてあげるということです。

 あとは、時の流れに任せましょう。コツは、そういったテーマや問題には、触れないことです。うまく、聞き流すことです。「暖かい無視」という言葉がありますが、私も好きな言葉です。うまく、応用してみてください。

 ただとても残念なことですが、一度ついた心のキズは、簡単には消えません。忘れることはできますが、消えません。

 しかしだれしも、そうしたキズを無数にもちながら、つまりキズまるけになりながら、成長し、生きていくものです。ですから、CFさんの子どもが、こうしたキズをもっているとしても、それはそれとして、前向きに生きていくしかありません。

 コツは、その問題にふれないように。話題にしないように。あまり気にしないように。

 なお、こんな指導法もありますから、参考にしてください。

 ある中学生の男子ですが、何かにつけて、ゆううつな話題をもちかけてきます。……きました。

 たとえば、こうです。

 「ぼく、今度のテストで、悪い点を取るような気がする」
 「高校へ入っても、また勉強するなんて、いやだ」
 「昨日、友だちが、ぼくを無視した」と。

 最初のうちは、その中学生に相談に、そのつどあれこれ答えていましたが、そのうち、私のほうもいやになり(本音!)、やがて、こう答えるようにしました。すぐ、話題を、切りかえるのです。

 その子どもが憂うつそうな顔をして、話しかけてきたら、すかさず、「ほほう、君は、いい趣味しているねえ。このサイフ、かっこいいね。もらったの? 買ったの?」と。

 あるいは、「もうすぐ運動会だね。君は、何に出場するの? 子どものころから、君は、走るのは速かったんだろ?」と。

 つまりその瞬間、瞬間に、明るい話題に、こちらからもちこんでいきます。この方法は、たいへん効果的ですから、ぜひ、CFさんのご家庭でも、応用してみてください。

 なお、いただきましたメールですが、マガジン用に、転載することを、どうかお許しください。不都合な点があれば、改めます。どうか、至急、ご連絡ください。勝手なお願いですみません。
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原稿をさがしてみたら、6年前(02年)
にも、同じようなことを書いていたのが
わかった。

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● 子どもの言葉(乱れる言葉)

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昨日、生徒たちと、こんな会話をした。
だれかが、「先生、トイレ!」と言ったときのこと。

私は、「もう少し、言葉を、ていねいに話そう」と
指導した。そしていろいろな例をあげて、
日本語のおかしさを、指摘した。

つぎの原稿は、そうした視点から書いたもの。

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ある夏の暑い日、1人の女の子(小2)がこう言った。「私、今日、プール、ない!」と。ほかの子どもが、「今日、私、プール、あった」と言った言葉に対してそう言った。私はそのときふと、「こういうとき、IBMの翻訳ソフトなら、こういう会話をどう翻訳するだろうか」と考えた。ちなみに、私がもっているソフトで、実際、翻訳してみた。つぎのがそれである。

 「私、今日、プール、ない!」……"Pool and there is nothing me and today." (プール、私と今日、何もない)
「今日、私、プール、あった」……"today and me -- a pool -- "(今日と私……プール)

 仮にもう少し原文に忠実に翻訳して、たとえばアメリカ人に、「Me, today, pool, no!」「Today me, pool, yes」と言っても、多分その意味は通じないだろう。

 そこで私はその女の子に、つぎのように質問しながら、正しい言葉で言いなおさせた。

私「あなたはプールをもっていないの?」
女「私が、もってるんじゃ、ない」
私「プールがどうしたの?」
女「プールがなかった」
私「どこになかったの?」
女「そうじゃなくて、プールはあるけど、プールのレッスンはなかったということ」

私「プールがレッスンするの?」
女「あのねえ、私がプールへ行かなかったということ」
私「どうして?」
女「だからさあ、プールがなかったの」
私「プールがなくなってしまったの?」

女「そうじゃなくてエ~、今日は水泳のレッスンはなかったということ」
私「だったら、最初から、そう言ってね」と。

 こういうとき英語では、「私は今日、スイミングのレッスンには行かなかった」というような言い方をする。IBMの翻訳ソフトで、翻訳させると、今度はちゃんと、「"I did not go to the lesson of swimming today."」と翻訳できた。

今、書店へ行くと、日本語についての本がたくさん並んでいる。その理由が、少しは理解できたような気がした。
(02-7-25)