Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, December 14, 2008

*Magazine, Dec 15th, 2008






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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      12月   15日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑感・特集】

●痛みと(怒りの)感情

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まず、こんな仮説を立ててみる。

痛覚が突然刺激されると、突発的に
(怒りの感情)が爆発する。
「痛い!」と感じた瞬間、「この、ヤロー!」
となる。

私はこうした現象は、子どもの世界だけの
ことかと思っていたが、晩年の母も、
そうだった。

晩年の母は、認知症も加わり、思慮深さが
極端に低下していた。
そういうこともあって、自分むきだしの
感情的な行動が目立った。

食事のとき、のどに食べ物がひかかったとき、
介護士の人がそれを吸引しようとしたりすると、
ときどき大声で、「あんたら、鬼やな!」と
怒鳴り返したりしていた。

これは肉体の防御反応ともいえるもので、
「痛い」というシグナルが、脳の中で危険因子
と判断され、それに対して攻撃的に反応する
ためと考えてよいのではないか。

となると、痛覚を感知する脳のその部分に、
(怒り)をコントロールする何かがある。

言いかえると、(怒り)のメカニズムを
解く、何らかの鍵が、そこに隠されている。

これがここでいう仮説である。

+++++++++++++++++

条件反射というと、パブロフということになる。
しかし最近の研究では、ドーパミンという神経伝達物質が、それに深くかかわっている
ことがわかってきた。
条件反射も、簡単に言えば、ドーパミンの増加によるものということになる。
「肉を与える」という合図によって、犬の脳の中にドーパミンが増加する。
それが条件反射となって、外に現れる。

このドーパミンが、「生き延びるために注意を払わなければならない新情報が、
思いがけず現れたことを、私たちに知らせてくれる」(サイエンス・07・12)
ということらしい。

その中には「危険や痛みのほか、セックスや食物、快楽」(同)も含まれるという。
こうした反応は、最近では、機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)によって、
リアルタイムで観察することができるという。(すごい!)

ドーパミンが、危険を知らせてくれるとしても、では、(怒り)の感情は、いったい、
どこから発生するのか。
あるいはそれは(怒り)ではなく、別の反応なのか。

……と考えていくと、疑問がまた別の疑問を呼び、自分の思考がどんどんと深みに
はまっていくのがわかる。
まるで底なしの謎地獄である。

こういうとき科学者なら、あちこちから情報を集め、あたかもジグソーパズルを
解くようにして、問題を解いていく。
ときには最新の研究装置を使うかもしれない。
それはたいへんおもしろい作業にちがいない。
恩師の田丸謙二先生も、いつもそう言っている。
「研究ほど、クリエイティブな仕事はない」と。
が、私の能力は、ここまで。
その作業を繰り返す時間もない。
第一、研究装置さえ身近にない。

が、こうした仮説を立てることによって、これ以後、自分を客観的に
観察することができるようになる。
何かのことで(怒り)を感じたようなとき、脳のどの部分がどのように反応するかを、
一歩退いて、観察することができるようになる。

それがわかれば、(怒り)を自分でコントロールすることができるようになるかも
しれない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】(11月24日)

●勤労感謝の日

今日、11月23日は、勤労感謝の日。
その振り替えということで、明日、11月24日は、祭日。

しかし「勤労感謝の日」とは、何か?
どこか(こじつけ)のような感じがしないでもない。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『日本の国民の祝日の一つ。日付は11月23日。国民の祝日に関する法律(祝日法)では
「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」ことを趣旨としている。1948年(昭
和23年)公布・施行の祝日法で制定された。
戦前の新嘗祭(にいなめさい; しんじょうさい)の日付をそのまま「勤労感謝の日」に改め
たものである』と。

「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」とは、あのK国のあちこちに
掲げられているポスターの標語みたいで、おもしろい。
が、また疑問。
「新嘗祭(にいなめさい)」とは、何か。

改めてウィキペディア百科事典をひいてみる。

『11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また、自らもこれ
を食して、その年の収穫を感謝する祭儀。宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる。
秋に新穀を供えて神を祭る稲作儀礼である。

飛鳥時代の皇極天皇の御代に始められたと伝えられている。一時中断されたが、元禄時代
の東山天皇の御代に復活した。1873年の太陽暦採用以前は旧暦の11月の2回目の卯の日
に行われていた。1873年から1947年までは大祭日となっていた。

戦後は、勤労感謝の日として国民の祝日となった。新嘗祭自体は伊勢神宮及びそれに連な
る神社の祭儀となり、伊勢神宮には天皇の勅使が遣わされて、大御饌(おおみけ・神が召
し上がる食事)を供える形式となった』と。

天皇家の稲作儀礼の日が、戦後そのまま勤労感謝の日になった。
簡単に言えば、そういうことらしい。
が、祝日は祝日。
それ以上に、「働くことができる喜び」というのは、それを失ってみたとき、はじめて
わかる。
「働ける」というのは、健康な人の大特権と考えてよい。
そういう意味で、勤労に感謝するということについては、異論はない。
おおいに感謝すべきである。
感謝するというより、それをすなおに喜ぶ。

息ができる。
目が見える。
音が聞こえる。
冬の冷気を肌で感ずることができる。
まさに、感謝、感謝、感謝。

そう言えば、今朝の私は快調。
風邪らしき症状は、みな、消えた。
体も軽い。

しかし今、大不況のまっただ中で、職を失った人も多いはず。
そういう人たちは、今日の祝日をどうながめているのだろう?


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●葬儀が終わって……

母の葬儀が終わって、ちょうど40日目になる。
92歳という年齢もあったが、静かな葬儀だった。
あっけないというか、こんなものかなあと思うような葬儀だった。

が、それから40日。
母の葬儀が、見えないところで、思わぬ波風を立てているのを知った。
参列してくれた人、参列してくれなかった人……。

私自身は、この浜松市で葬儀をしたということもあり、参列してくれなかった人に
対して、どうこう思っていない。
……まったく思っていなかった。
最初から、内々で、静かにすませたいと願っていた。

しかしみなが、みな、同じように考えるわけではないらしい。
それぞれの立場で、それぞれが非難しあっているのを、知った。
「あの人は、どんなことがあっても、来るべきだった」とか、なんとか。

今は、その火消しに追われている。
どうかみなさん、心安らかに。
私自身は、なんとも思っていない。

ただこういうことは、感じた。

若いころ、10年といっても、それほど大きな変化はなかった。
しかし今は、ちがう。
同じ10年でも、みな、大きく変化していく。
たとえば70歳の人は、80歳になる。
今は、伯父が1人、叔母が2人だけになってしまったが、みな、
歩くのもままならないという状態。
葬儀のあと、礼の電話をしてみて、はじめてそれを知った。

少し前、学生時代の友人がこう言った。
「林、60歳を過ぎるとな、どんどんみな、死んでいくぞ」と。
そんな変化を目(ま)の当たりに見せつけられた感じだった。

これからは1年、1年、もっとしっかりとまわりを見つめながら、
生きていこう。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ある老夫婦の会話

+++++++++++++++++

昨日は、一日、仕事がなかった。
それで一日中、ワイフと時間を過ごした。
午前中に山荘へでかけ、そこで昼食。
夕方帰ってきて、いっしょに料理。
食後は、音楽を聴いたりして、過ごした。

で、昨夜は、早めに就寝。
その床の中で、こんな会話をした。

私「お前だって、したいことがあるだろ?
ぼくのような男と一日、過ごして、
つまらないと思うこともあるだろ?」
ワ「ないわ。あなたこそ、私と一日
過ごして、いいの?」
私「ぼくは、お前さえいればいい。
お前がいれば、さみしくないし、
あとはだれにも会いたいと思わない」と。

そのとき、私はふと、ワイフが先に
死んだときのことを考えた。
もしワイフが先に死んだら、さみしい
だろうな、と。

きっとそのとき私は、こう思うにちがいない。
一晩だけでもいいから、もう一度、
ワイフと寝てみたい、と。
そう思ったとたん、涙が、ポロポロとこぼれて
きた。

冬の寒い夜は、暖かいふとんが、何よりも
ありがたい。
ワイフの肌の温もりが、何よりもありがたい
そう思って、ワイフの顔に毛布をかけてやった。
それを感じて、ワイフも私の顔に毛布を
かけてくれた。

で、今朝、起きるとき、開口一番に私は
ワイフにこう言った。

「せっかくの休みだから、今日は、
思う存分、遊ぼう」と。

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●日にちのまちがい

今日は、11月23日。
先ほど書いたエッセーを見たら、「今日は11月24日」となっていた。
このところ、日にちをまちがえることが、多くなった。
これはボケの始まりか?

少し前は、年齢をまちがえた。
満61歳になったのに、62歳と書いてしまった。
これには理由がある。

満61歳になったということは、そのあとは62年目に入ったことになる。
それで62歳と書いてしまった。
仕事上、満1年が過ぎると、「2年目」とか、そういうふうに書くことが多い。

しかし今日は、弁解できない。
今日は、まちがいなく、11月23日。
勤労感謝の日である。
明日(24日)が、その振り替え休日。

どうしてだろう。

すべてを電子マガジンのせいにするわけではないが、電子マガジンを発行していると、
「月」がめちゃめちゃになってしまう。
この原稿にしても、発行するのは、12月15日号。
だから頭の中は、12月ということになる。
しかし発行されてくるマガジンは、先月(10月)に書いたもの。

が、どうして今日を、11月24日と、思いこんでしまったのか。
やはりボケが進んでいるのか?
認知症のテストでも、「今日は何日ですか」と聞かれるという。
それがわからなくなると、かなり重症ということになるらしい。

ゾーッ!


●「マンガ脳首相」(週刊B春)

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AS首相のボロが、ボロボロと出てきている。
なんともお粗末な首相である。
「おバカ首相」(週刊S潮)とまで書かれている。
実際、おバカだから、どうしようもない。
しかしこんなことは、AS氏が外務大臣だった
ころから、わかっていたこと。
神輿(みこし)のように持ち上げるおバカが
多いから、あんな程度の人物が、首相に
なってしまった!
その責任は、だれが取るのか。

++++++++++++++++++++

『利口な人からは、バカな人がよくわかる。
バカな人からは、利口な人がわからない』と。
これは私が考えた格言だが、ここではその先。
つまり、自分がバカなとき、それを知ることは
可能なのか。
つまり自分で自分がバカであることを、知る方法は
あるのか。

たとえばAS首相にしても、(あくまでも見た感じ
の話だが……)、自分ではおバカとは思っていない
だろう。
それがわかったら、とても首相など、恥ずかしくて
できない。
その前に、総裁選で、立候補など、しない。

おバカを防ぐ方法があるとするなら、思慮深く
なること。
日々に脳みそを研鑽(けんさん)すること。
そうでなくても、AS首相も含めて、私たちの
年代になると、脳みそに穴があいたような状態に
なる。

知恵や知識が、どんどんとこぼれ落ちていく。
思考力や理解力も鈍ってくる。

が、一国の宰相ともあろう立場の人が、
「国際社会の動きは『ゴルゴ13』で勉強する」
(週刊B春・11・27)とは!
あきれるというよりも、情けない。
前にも書いたが、日本人が一億、みな、
総ギャク化している!

そこでこう考えてみる。
AS首相のような人物に、(人物と言ってよいかどうか
わからないが)、自分がおバカであることを
わからせるためにはどうしたらよいか、と。

この問題だけは、神経細胞的にも、基本的レベルの
ものであるだけに、むずかしい。
人は、より自分が賢くなったときだけ、それまでの
自分が愚かだったことを知る。
もしAS首相が自分で自分がおバカであることを
気がつくとしたら、自分でより賢くなったときだけ。
が、その研鑽もしていないとなると、ほぼ
絶望的としか、言いようがない。

そのAS首相はあれこれ理由にもならない理由を
並べて、政権の座に居座ろうとしている。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2932)

●うつ病一考

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うつ病になると、その人自身も苦しむ。
病気は、病気。
しかし同時に、その周囲の人たちも、苦しむ。
が、それだけではない。

私の印象では、(あくまでも私の印象だが)、
うつ病になると、見た目には精神構造が二重になる。

内にひっこみながら、ときとして外の世界に
向かって、攻撃的になる。
たいていはその双方が、状況に応じて、交互に
現れる。

うつ状態になっても、いつも心は緊張状態。
ささいなことが引き金となって、突発的に
錯乱状態になる。

+++++++++++++++++++++

数日前、どこかの県でどこかの人が、隣人を車でひき殺すという事件が起きた。
隣家との境界問題で、仲がこじれていたという。
間の道幅は、2メートルしかなかったという。
それで「うちの土地にお前の車が入った」「お前の車が、うちの塀をこすった」
という争いになったらしい(報道)。

隣家でも、土地問題がからむと、とかく感情的になりやすい。
が、これに似た話となると、だれしも、1度や2度は経験しているはず。
つまり1度や2度、隣の家と、境界問題で争ったことがある。
が、それはそのとき。
あるいは隣家との関係を考えて、たいていは黙ってそのまま見過ごす。
が、今回の事件は、内容がやや複雑なようだ。

ひき殺された男性の横には、カメラがころがっていたという。
つまりひき殺された方の男性は、相手が自分の土地を侵害しているという
証拠写真のようなものを撮ろうとしていたのではないか。
それを見て、車を運転していた男性が、逆上した(?)。
そしてそのまま車で体当たりして、相手をひき殺した。

この事件と、うつ病とは、まったく関係ない。
ないが、一方、こんな話も聞いたことがある。

その男性は、道路の車が異常なまでに気になるらしい。
どこかのだれかが車を道路にとめただけで、すぐパトカーを呼んだ。
近所の人が、車をとめたりすると、カメラで写真を撮り、それを警察署に
送り届けたりしていた。
道路といっても、団地内の、ほとんど車が通ることがない道路である。
そこに車がとまっていても、それほどその人が迷惑するという感じでもない。
で、最近は、認知症(?)も加わって、とまっている車に、いたずらを
するようになった。

釘やコインで、車に傷をつけたり、あるいはナンバープレートにペンキを
塗ったりする、など。
(もちろん証拠がないので、その男性の犯行とは断言できないが……。)

あとは一日中、家の中に引きこもっている。
言い忘れたが、その男性の年齢は、75歳前後(当時)。

こういうケースのばあい、事件そのものよりも、その男性自身の心の問題を
疑ってみたほうがよい。
その第一が、うつ病ということになる。

そのうつ病の第一の特徴といえば、(こだわり)ということになる。
何かのことで、ひとたびこだわると、そのことが、心の壁にペタッと張りついた
ような状態になる。
そしてそのことばかりを考えるようになる。
「考える」というよりは、ループ状態になる。
そしてその状態を繰り返しているうちに、妄想だけがどんどんとふくらんでいく。
冷静に考えれば何でもないような問題であっても、「ああでもない」「こうでも
ない」と悩み始める。

今回、どこかの県で起きたその事件にしても、どちらかの側の人に、こうした
心の問題があった可能性がある。
あるいは隣家の問題がこじれたことが原因で、そうなったのかもしれない。
どちらであるにせよ、ふつうの心の状態では、こうした事件は起きない。
車で相手をひき殺した男性は、そのまま相手の家にあがりこみ、相手の妻まで
殺害している。

一般的にうつ病というと、悶々と悩むのは、その人自身で、外部の人には
迷惑をかけないと考えられがちである。
しかし実際には、心はいつも緊張状態に置かれ、ささいなことで、それが
爆発することが多い。
突発的に錯乱状態になる。

悪意をもった相手に、カメラを向けられたときの不快感は、それを経験した
ものでないとわからない。
(私のワイフは、一度、ある。)
一方、自分の土地を侵害されたときの不快感も、これまたそれを経験したもの
でないとわからない。
(私も何度かあるが、そのすべてで、泣き寝入りしてすませた。)
そうした不快感が、日常的につづけば、だれだって悶々とした状態、
つまりうつ病になったところで、何ら、おかしくない。

……ここまで書いてワイフに話しかけると、ワイフはこう言った。
「そこまでこじれる前に、どうして話しあわなかったのかしら?」
「警察に間に入ってもらい、話しあえばよかったのに」と。

しかし警察には、『民事不介入』という大原則がある。
こうした民事上の争いには、警察は、ぜったいに協力しない。
またしてはならない。
あくまでも当事者どうしの問題である。
(もちろん法律違反があれば、話は別だが……。)

話を戻す。

こうした事件をみたとき、その断面だけを見て、判断してはいけない。
もちろん表面だけを見て判断してはいけない。
こういう事件にいたる背景には、それまでの確執がある。
そしてここにも書いたように、心の問題がからむことも多い。
繰り返すが、だからといって、当事者のうちのだれかが、うつ病だったとか、
そういうことを言っているのではない。
ふつうの心の状態では、こうした事件は起きないということ。
ふつうでなかったから、事件は起きた。

どうか、誤解のないように!

今回のこの事件が、とても他人ごとのようには思えなかったので、
あえて私の意見を書いてみた。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov・08++++++++++++++はやし浩司

●たたり

++++++++++++++++++++

こんな事例があったとする。
あくまでも仮定の話だが、似たような事例は、
あなたのまわりにも、いくつかあるはず。

その家には4人の兄弟姉妹がいる。
しかしどの兄弟姉妹も、結婚まではするのだが、
そのあと、みな、離婚してしまった。
みなそれぞれ、子どもがいたが、子どもたちはみな、
相手方に手放してしまった。

(だからといって、離婚するのが悪いと言うのではない。
今どき、離婚など、珍しくも何ともない。)
平均25%の離婚率として、2人の子どもが離婚する確率は、
16分の1。
3人の子どもが離婚する確率は、64分の1。
4人の兄弟姉妹がみんな離婚する確率は、256分の1。

ふつうに生活していても、兄弟姉妹が4人とも離婚する確率は、
256分の1。
しかし実際には、離婚は兄弟姉妹間で連鎖性をもちやすいので、
うち1人が離婚すると、「私も……」「ぼくも……」となる。
離婚家庭の子どもは離婚しやすいという統計上の数字もある。

が、親は、「これは何かのたたりにちがいない」と考えて、近くの
神社の神主に頼んで、「お祓(はら)い」をしてもらった。

++++++++++++++++++++

悪いことが重なると、それは自分たちの理解を超えた、何かの(力)によって
そうなったと考えやすい。
これは人間が本来的にもつ、脳の欠陥のようなものと考えてよい。
(たたり)という言葉は、そういう脳の欠陥を埋め合わせるために生まれた。
しかし(たたり)などというものは、ない。
あるわけがない。
わざわざ「科学的に……」という言葉など、つけるまでもない。
バカげている。

似たようなものに、(バチ)がある。
それについても、これだけ人間が多い中で、いちいちそんなことを
気にしている神や仏がいたとしたら、そんな神や仏は、エセと考えてよい。

たとえば北極周辺に住む白熊にしても、あと半世紀足らずのうちに絶滅する
と言われている。
原因は、言わずとしれた、地球の温暖化である。
その白熊が、つぎつぎと死んでいく仲間の姿を見ながら、それを(たたり)
とか(バチ)と考えたとした、あなたはどう思うだろうか。

こんな例もある。

その家には3人の息子と娘がいる。
しかし3人とも高校へ入るころから、非行に走るようになり、3人とも、
みな高校を退学させられた。

こういうケースでは、まず疑ってみるべきは、親の育児姿勢。
(バチ)とか(たたり)に結びつけるほうが、おかしい。

さらに交通事故や大病がつづくこともある。
そうなると人は、ますます(バチ)や(たたり)を信じやすくなる。
そしてひとたびそのワナにかかると、それがずっと頭から離れなくなる。
うつタイプの人なら、そのまま、本当にうつ病になってしまうかもしれない。

ところがそういう言葉が、堂々とテレビの中で使われている。
誤解しないでほしいのは、占星術にしても、スピリチュアル(霊)にしても、
それを信ずるのは、立派なカルトであるということ。
言うなれば天下のテレビ局が、テレビという天下の公器を使って、堂々と
カルトを垂れ流している。
まず、この異常さに、みなが、気がつくべきである。

仮に(たたり)というものがあるとするなら、毎日牛肉を食べている人が、
どうして牛にたたられないのか。
仮に(たたり)というものがあるとするなら、病院の医師たちは、どうして
死んだ患者にたたられないのか。

それに(バチ)にせよ、(たたり)にせよ、常に多面性をもっている。
かなり前、1人の子ども(小5男児)がこう言った。
「昨日、遠足だったけど、雨が降ったのは、バチが当たったからだ」と。
そこで私がすかさず、「そんなのはバチではないよ。
このところの水不足で、農家の人たちは、みな喜んでいるよ」と。

……議論するのも、バカバカしい。
意見を書くのも、バカバカしい。

私も15年ほど前、ある宗教団体を攻撃する本を、何冊か書いたことがある。
そのため、その教団の信者たちが、何組か押しかけてきて、私たち夫婦を
脅かしたことがある。

「お前たちは地獄へ落ちる」とか、なんとか。

しかし結局のところ、なにも起きなかった。
もちろん地獄へ落ちることもなかった。
最初は少なからず、そういうおどしに怯(おび)えたが、
(というのも、中に、頭のおかしい人もいたので、)
それ以後は、もう何を書いても、こわいと思ったことがない。
一連の騒動を経験して、私は、勇気と、それにものを書く
思慮を手に入れることができた。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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