Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, December 22, 2008

*Romeo Syndorome

●発想の転換(ロメオ・シンドローム、ジュリエット・シンドローム)

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ワイフがこう言った。
「今年も、あと少しで終わりね」と。
カレンダーを垣間見ながら、そう言った。
言い方が、どこか暗かった。
沈んでいた。

そこで私はこう言った。
「そういう、うしろ向きな言い方をしてはだめだ。
そういうときは、『もうすぐ新しい年ね』と
言わなくちゃア」と。

こういうのを発想の転換という。
「あと少し……」と言うよりは、「もうすぐ……」と
言ったほうが、心がずっと軽くなる。
明るくなる。
(12月22日記)

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●私は71歳だ

子どもたちに、「ぼくは51歳だ」というと、子どもたちはすかさず「ウソだ、
ウソだ」と騒ぐ。
中に私の生年月日を知っている子どもがいて、(たぶん、親がそう教えているのだろうが)、
「先生は、本当は61歳だよ」と言うのもいる。

自分の年齢をごまかすということは、よくある。
私も少し前まで、10歳ほど、年齢を引いて、子どもたちに言っていた。
「ぼくは、51歳だよ」と。
しかしこういうウソは、疲れる。
どこかで無理をしなければならない。
(本当の年齢は、1947年生まれ、今年、満61歳。)

そこで最近は、こう言うようにしている。
「あのね、本当は、71歳なんだよ」と。
ときどき「81歳だよ」と言うときもある。

すると子どもたちは、「そんなジジイには見えないよ。……先生は、ぼくのパパ
くらいかな」とか言う。

●年齢をごまかす

自分の年齢を若く言うか、それとも、古く言うかで、生き方そのものが変ってくる。
最近、そんな発見をした。

自分の年齢を若く言う人は、「まだ若いから、仕事ができる」と人に思わせたいのかも
しれない。
あるいは若い女性(あるいは男性)に、相手にしてもらいたいという潜在的な
願望があって、そう言うのかもしれない。
それに若さと決別するには、それなりの勇気がいる。
が、中には、異常なまでに、(若さ)にこだわる人もいる。
タレントの中には、40歳を過ぎているはずなのに、どう見ても20代後半かな(?)
と思うような人もいる。
このタイプの人は、自分の年齢を受け入れることができない。
だからそれに抵抗する。
ホルモン剤を顔に注入し、化粧に化粧を重ねる。
整形手術などというのは、この世界では常識。

そういう心理状態を総称して、「ロメオ・シンドローム」、あるいは
「ジュリエット・シンドローム」※という。
私がつけた名前である。

で、女性のばあいは、化粧で年齢をごまかす。
(最近では、こうしたごまかしを、「アンチ・エイジング(抗年齢)」と呼ぶ。)
そのつじつま合わせのために、年齢という(数字)もごまかす。
しかしこの方法は、無意味。

仮に35歳のとき、30歳に見られても、5年後の40歳のときには、35歳に
見られるだけ。
そのつど5歳ほど年齢をごまかすことはできても、10歳は、無理。
それに(若さ)というのは、外見や年齢という数字では決まらない。
中身だ。
中身で決まる。

だったら、35歳だったら、35歳と正直に言いながら、生きればよい……ということに
なる。
が、現実には、だれしも若く見られたい。

が、そこで発想の転換。

●人生、50年

少し前、がんで闘病生活をしている大学の友人が、電話でこう言った。
「ぼくはね、50歳すぎてからの人生は、1年ごと、もうけものと思うようにしているよ」
と。

そのとき彼は、織田信長の話をした。
織田信長は、「人生、50年」と言ったとか。
だから「それからの命は、(もうけもの)」と。
「50歳で、がんで死ぬことを考える必要はない。
悲観的になることはない。
50歳で死んだと思って、残りの人生を楽しく生きる」と。

だったら、これはあくまでも私のばあいだが、「51歳」と言うよりは、「71歳」と
言ったほうが、よいということになる。
「71歳なのだが、61歳の人のように、若々しい」と。
そのほうが、感謝の念も強くなる。
生き方にも、力が入る。
あるいは余命を計算しながら、「残りの人生は、よくて10年」と、生きていることその
ものを大切にするようになる。

それに先にも書いたように、私が「ぼくは71歳だ」と言っても、だれも信用しないだろう。
「あなたは、どう見ても、71歳には見えない」と。
しかし「51歳だ」と言うと、みなが、疑う。

●1年ごと、(もうけもの)

2008年も無事、終わろうとしている。
いろいろあったが、私や私の家族は、ともかくも無事だった。
仕事も楽しかった。
やりがいもあった。
これを(もうけもの)と言わずして、何と言う?
つまりそういう意識をもつためにも、「71歳」と言う。

「71歳」と言えば、60歳から計算すると、11年も「もうけた」ということになる。
その分だけ、心を広くすることもできる。
が、それだけではない。

「71歳」と言うことによって、人生を先取りすることができる。
ジジ臭くなれということではない。
71歳らしく生きろということでもない。
71歳の人が、61歳の人のように、あるいは51歳の人のように、
若々しく生きたところで、おかしくない。

それに本当に71歳になったとき、10年分、前もって心の準備しておくことができる。
81歳になったときも、そうだろう。
91歳になったときも、そうだろう。
そのつど、10年分、得をしたような気分になる。
その(得をした)という気分こそが、大切。

●私は71歳なのだ

「私は71歳」と思うことによって、71歳の高齢者の人たちと、同じレベルに
自分を置く。
そして自分にこう言って聞かせる。
「ぼくは71歳だけど、中身は61歳」と。

そのほうが、ずっと楽しい。
無理をして、51歳のまねをするような、うしろめたさというか、イヤミがない。
ウソはウソだが、「51歳」と言うときは、他人を欺くため。
しかし「71歳」と言うときは、自分を欺くため。
むしろ他人を楽しませるかもしれない。

簡単に言えば、「年齢を若く言って無理をするより、年齢を古く言って、余裕を
もって生きたほうがいい」ということ。

あとのことは、天命に任せる。
そのときが来たら、そのとき。
ジタバタしない。
……ということで、最近、私は子どもたちから年齢を聞かれるたびに、「ぼくは71歳だよ」
と答えることにしている。

(付記)
「♪もういくつ寝ると、お正月……」という歌は、前向きな歌ということになる。
しかしジー様、バー様は、(私も含めて)、暗い顔をして、こう歌う。
「♪もういくつ寝ると、今年もおしまい……」と。
しかしそれではいけない。
いけないということで、このエッセーを書いた。

さあ、ここは童心に返って、『お正月』の歌を、明るく、楽しく歌ってみよう。

♪もういくつ寝ると、お正月
 お正月には、凧あげて、コマを回して遊びましょう。
 早く来い来い、お正月

(付記)
ところであなたはどうだろうか?
新年が近づくたびに、「今年も、もうおしまい?」とか、「もうお正月?」とか
言って、暗い顔をするだろうか。
もしそうなら、あなたはすでに、片足を棺おけにつっこんでいるようなもの!

同じ1年でも、やりたいことを思う存分しながら、有意義に過ごした人は、
その1年を長く感ずる。
新年が来ることを、喜ぶことができる。
そうでない人は、そうでない。
大切なのは、前向きに生きること。
中身の濃い人生を送ること。
が、ふと油断すると、すぐうしろ向きになってしまう。
わかりやすい例が、同窓会。

50歳を過ぎると、とたんに同窓会の回数がふえる。
心理学でも、こうした現象を、「回顧性」という言葉を使って説明する。
過去を懐かしむことが、多くなる。

その反対の位置にあるのが、「展望性」という言葉。
未来に向かって夢や希望をいだきながら、生きることをいう。
その回顧性と展望性は、満55歳くらいのときに、クロス交差するという。
つまり満55歳くらいのときに、前向きな生き方と、うしろ向きな生き方が、交差する。
それからは生き方そのものが、うしろ向きになる。

が、回顧性など、くそ食らえ!
回顧性にしばられるようになると、未来よりも過去ばかりを気にするようになる。
過去の肩書きや、学歴、名誉、地位にしがみついて生きる人もいる。
もっと言えば、そういう人たちは、「年齢の奴隷」ということになる。
若かったころの自分から、自分を解放することができない。

今は今。
年齢という数字にまどわされてはいけない。
私たちは、どこまでも前向きに生きる。
死ぬまで前向きに生きる。
けっしてうしろ向きになってはいけない。
いつか書いたが、年齢というのは、ただの数字。
そんな数字に、どんな意味があるというのか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
前向きな人生 展望性 回顧性 後ろ向きな人生 ロメオ シンドローム 
ロメオ症候群 ジュリエットシンドローム ジュリエット・シンドローム)

(注※)ロメオ・シンドローム……若かりしころの自分に、人生の基点を置く。
それから遠ざかることに、強迫観念をもつ。そのため(若さ)の
維持に何よりも注意を払う。自分をロメオに見立て、常にそこに悲劇性を
もたせる。『ピーターパン・シンドローム』を、(おとなになりきれない、
おとな)とするなら、『ロメオ・シンドローム』は、(加齢を受け入れ
ることができないおとな)ということになる。そのため年配者や老人をことさら
嫌ったりする。あるいは年配者や老人の価値観、思想を、ことさら否定したり
する。顔にシワやシミ、白髪が現われたりすると、人一倍、狼狽(ろうばい)
したりする。ロメオ・シンドロームというのは、(ピーターパン・シンドローム
もそうだが)、結局は、その人の精神的未熟性に起因すると考えられる。

 
Hiroshi Hayashi++++++++dec 08++++++++++はやし浩司

●大型自転車店

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関西地方を中心に、「AS」という大型自転車店がある。
「サイクル・ベース」という名前がついている。
全国に約150店舗を構え、常時、800台前後の
自転車を並べている。
この浜松市にも、2店舗、ある。
折からの自転車ブームに乗り、店舗数もさることながら、
売り上げ高も急激に伸びている。
売る上げも、前年度比17%増の、173億円(08年2月)。
ふつう自転車の利益率は、30~35%と言われている。
個人の自転車店(従業員2人以下)でも、40%前後と言
われている、
そういう中で、ASは、50%前後の利益率を確保しているという。
(日経ビジネス)
それだけ値段が高いかというと、事実は、逆。
中間マージンを排しているため、かえって安い!
中国を中心に、自社ブランドの製品を開発している。

そのASに入ってみてまず驚くのは、品数の多さ。
まるで遊園地のようにカラフルである。
そういうのを見ると、……というより、私が若いころ頭の中で
描いていた自転車店そっくりなので、驚く。
私も商社マンだったころ、すでに同じような商売を考えていた。
1971~2年のころである。

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●がんばれ、町の自転車店!

私の実家も自転車屋だった。
しかし子どものころから、いつもこう考えていた。
「どうせ商売をするなら、大きいほうが勝ち」と。
しかも全国ネットで、大量に仕入れて、薄利多売で勝負する。

M物産という商社にいたときから。そしてそのあと10年ほど。
あちこちで貿易の顧問をしていたときから、私は密かに、大型自転車店の
構想を考えていた。

当時は中国本土までは行けなかったが、台湾、香港で、自転車の製造を
始めつつあった。
品質は、おせじにも、よいとは言えなかった。
しかし値段が安かった。
私自身も、香港や台湾へ行ったついでに、向こうの自転車を、20~30台、
実家へ仕入れてやったことがある。
おとな用の自転車でも、5000円前後で仕入れ、店で、7000~8000円で、
売ることができた。
(品質が悪すぎて、かえって評判を落としてしまった面もあるが……。)

が、それから20~30年。
ASという名前の自転車店を知った。
ふつうなら、悔しいと思わなければならないはずだが、私にはそれはない。
私の夢を実現してくれた、ASの経営者の方たちに、むしろ敬意を表したい。

で、こういう店ができると、町の個人の自転車屋は、大打撃を受ける。
もし私が今でも自転車店を経営していたら、そのままつぶれてしまっただろう。
が、それでも、ASに恨みをもつことはなかっただろう。
規模そのものがちがう。
それには、こんな話がある。

自転車屋には、ランクがある。
いちばん小さい、田舎町の自転車店。
それよりやや大きい、町の自転車店。
さらに大きい、町の自転車店。
さらに大きな、中堅の自転車店。

自転車店の世界には、大型店というのは、ない。……なかった。

どんぐりの背比べというか、わずかの(ちがい)の中で、「うちの店は大きい」
「あの店は小さい」と、張りあっている。……いた。
縄張り意識も強かった。
私には、それがバカげて見えるほど、おかしかった。
大きな中堅の自転車店といっても、従業員は1~2人。
妻や祖父母がそれを手伝っていた。

言うなれば、小さな、どうしようないほど小さな世界で、それぞれが張りあっていた。
そういうところへ、ASというとてつもないほど大きな店が現われた。
勝つとか、負けるとか、そういうレベルの話ではない。
みなが大八車を引きながら、たがいに足の引っ張りあいをしていたところへ、
大型トラックがやってきた。
そんな感じである。

自転車業は技術職と言う人もいるが、昔とちがって、今では自転車は、
完成品として各店に届けられる。
(私が子どものころには、自転車は、スポークで車輪を組み立てるところから、
手作業だった。)
また自転車業には、自転車技師の認定書が必要と言われているが、あんなものは
あってもなくても、同じようなもの。
自転車店組合が、自分たちの職業を権威づけるために、資格試験にまで
祭りあげた。
そのあたりの経緯(いきさつ)を私は知っているが、私の祖父も、父も、
あえてその試験を受けなかった。
きっとプライドが許さなかったのだろう。

現に大半の自転車屋では、妻や、年老いた祖父母が、修理を手伝っている。
言い換えると、今までの自転車店は、あまりにも居心地のよい世界に、
安住しすぎた。
つまりなぜ、今まで自転車店業界が無風地帯であったかというと、(技術)の
問題ではなく、(油)の問題だった。
自転車店というのは、どこでもそうだが、トイレのドアのノブまで油で黒く
なっている。
パンクの修理にしても、やり方をまちがえると、服やズボンが、油で汚れてしまう。
一般の人は、それを嫌った。

つまりこの点だけクリアできれば、自転車店といっても、ほかの商店と、どこも
ちがわない。
が、Sの店内は、明るく、清潔。
油臭さが、どこにもない。

そういうASに対抗する方法があるとするなら、自転車店の店主が、きわめて
専門的な知識人になることでしかない。
健康哲学とか、自転車工学とか、あるいは自然哲学とか、そういうものをもって、
勝負する。
自前でサイクリング・クラブを運営するのもよいだろう。
ただの(もの売り屋)ではないという、差別化。
マニアを相手にした、高級店化。
それを前面に押し出すしかない。

が、それもしないというのであれば、市場から退散するしかない。
かなりきびしい意見を書いたが、これは町の自転車店のために書いた。
ASだけではない。
ここ5年前後で、あなたの町にも、大型店がやってくる。
その準備と覚悟だけは、しておいたほうがよい。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec 08++++++++++はやし浩司