*What is the Desire?
【物欲のメカニズム】
●ビョーキ?
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今朝、新聞のチラシを見ていたら、
エプソン社のミニ・パソコンが、3万9000円で
売りに出ていた(市内、Y店)。
3万円台!
4万円、以下!
それを見ていたら、グググーッと、物欲がわいてきた。
「安い!」と思ったとたん、それが「ほしい!」という欲望に変わった。
が、すでにミニ・パソコンは、2つ、もっている。
HP社の2133、それにAcer社のアスパイア(1)。
2133は、つい先日、1万5000円かけて、
英語キーボードから、日本語キーボードに変更したばかり。
アスパイア(1)は、6セルの増設バッテリーを、別途、購入したばかり。
それにしても、この物欲は、いったい、どこから来るのか?
恐らくドーパミンが、線条体あたりを猛烈に刺激しているのだろう。
アルコール中毒者が、酒のにおいをかいだときの反応と同じ。
ニコチン中毒者が、タバコのコマーシャルを見たときの反応と同じ。
さらに言えば、犬が、餌を見たときに、ヨダレを出すときの反応と同じ。
条件反射が、脳みその中で起きている。
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●脳みその奴隷
脳みそというのは、私たちの意思とは無関係に、勝手に反応する。
あるいはその逆で、無関係に反応して、意思そのものまで作ってしまう。
私という(私)は、その大部分において、私であって、(私)ではない。
(私)の大部分は、脳みその奴隷。
その奴隷となって、動くだけ。
ニコチン中毒者を例にあげるまでもない。
自分の意思で、タバコを吸っているつもりかもしれないが、実は、吸わされて
いるだけ。
子どもも、また同じ。
●ゲーム脳
年末、子どもたち(小学生)に、「クリスマスには、どんなプレゼントがほしいか」
を聞いてみた。
いろいろな返事が返ってきたが、その中でもいちばん多かったのが、ゲーム機器、
あるいはそのソフト。
今は、そういう時代である。
で、今ごろ多くの子どもたちはそれを手にして、夢中になってゲームをしているに
ちがいない。
そういう子どもたちの脳みその中は、どうなっているのか?
少し前、「ゲーム脳」という言葉が、話題になった。
「ゲームばかりしていると、脳のある特定の部分だけが覚醒し、その他の部分は
眠ったような状態になってしまう」と説く学者が現れた。
それにたいして、「ゲーム脳など、存在しない」と説く学者も現れた。
後者の学者は、現在、ゲームの世界では、カリスマ的な存在となっている。
しかしゲーム脳があるとか、ないとかいう議論そのものが、ナンセンス。
ゲームは、子どもたちの世界に大きな影響を与えている。
(もちろんゲームの内容にも、よるが……。)
そのため様子がおかしくなってしまった子どもとなると、ここにも、そこにも、それこそ
ゴマンといる。
何も脳みそだけの問題ではない。
毎日、2~4時間も、「殺せ!」「やっつけろ!」「1000点、ゲット!」と
やっていて、子どもの精神が無事ですむはずがない。
ものごとは常識で考えたらよい。
で、そういう子どもの脳みその中でも、同じような反応が起きていると
考えてよい。
新しいゲームが発売になるたびに、猛烈な勢いでドーパミンが分泌され、
それが線条体を刺激する。
とたん、グググーッと、そのソフトがほしくなる。
●脳みその中の反応
そこで大切なことは、(1)自分の脳みその中の反応を、できるだけ客観的に
知ること。
つぎに(2)それを理性の力で、コントロールすること。
理性の力を強くするためには、自ら考える力を養う。
言うまでもなく、考える力というのは、(論理力)と(分析力)で決まる。
それを司るのが、左脳。
そして脳全体をコントロールするのが、前頭前野の連合野ということになる。
もちろん脳みその中を見ることはできない。
しかし脳みその中で、どういう反応が起きているかを、想像することはできる。
その想像を繰り返していると、「ああ、今、ドーパミンが分泌された」
「条件反射が起きている」と、観念的にわかるようになる。
(あくまでも観念的。そういうような感じがするだけだが……。)
たとえば今、あなたはこの文章を見ている。
パソコンのモニターに映った文字を読んでいる。
しかしそれは大脳の後頭部にある、脳みその中のモニターを見ているにすぎない。
最初は、そう言われても、あなたは納得しないかもしれない。
「私は自分の目で、目の前のものを見ている」と。
しかし実際には、そう見えるだけ。
少し訓練すると、何となくそれがわかってくる。
今、あなたが見ているものは、大脳後頭部にある、脳みその中のモニターに
映った像にすぎない。
それを目の前に映った像と、錯覚しているにすぎない。
(脳というのは、そういう意味では、ずいぶんといいかげんなものだが……。)
同じように、あなたが何かをしたいとか、ほしいと思ったときも、そうだ。
少し訓練すると、脳みその中で、反応が、どういう順序で、どのようにして
あなたに作用しているか、何となくそれがわかってくるようになる。
●ブレーキ
そこでブレーキということになるが、今年の正月は、何もあえてブレーキなど、
かける必要はない。
だいたいお金が、ない。
今またパソコンがほしいなどと言おうものなら、ワイフが黙っていないだろう。
それに3つもあっても、しかたない。
今の今ですら、2つのパソコンをもてあましている。
そこで最後の方法。
今朝、息子にこう言った。
「なあ、お前、パパが今使っている、このミニ・パソコンを、あげようか?」と。
すると息子は、あっさりと、こう言った。
「いらない」と。
これで最後の望みも絶たれた。
あとはあきらめて、ぐっとがまんするしかない。
今がそのとき。
自分で自分の脳みそをコントロールするしかない。
ドーパミンの分泌を抑制するしかない。
簡単に言えば、ほかのことに神経を集中して、ミニ・パソコンのことは忘れる。
あとは数日、様子をみる。
「これはビョーキは、ビョーキだ」と、自分に言い聞かせながら……。
(追記)
先日、浜松市市内で、あるドクターの家に、ドロボーが入った(報道)。
現金数百万円のほか、何と高級時計ばかり数千万円分が盗まれたという。
たぶん、そのドクターは、高級時計のコレクターだったにちがいない。
しかし数千万円分というのには、驚いた。
それこそ、時計などというのは、数個あればよい。
それで足りる。
……と考えるのも、ヤボ。
そのドクターは、時計のカタログを見ただけで、脳の中で、ドーパミンが猛烈に
分泌されるのだろう。
それが線条体を刺激して、強烈な条件反射が起きる。
「ほしい」という欲望が、ドドドーッとわいてくる。
自分で自分をコントロールできなくなる。
そしてその結果が、数千万円となった(?)。
つまりは、ドーパミンの力(ドーパミン効果)というのは、それほどまでに
強烈ということになる。
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 はやし浩司
ドーパミン 条件反射 線条体 脳下垂体 視床下部 物欲のメカニズム)
Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司
●医師の偏在問題
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医学部の学生は、6年間の学生生活を
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医師がもうからないというのは、ウソ。
実際には、医師になって2年目程度で、
平均年収は、2000万円を超える。
開業すれば、それこそ上限はない。
保険収入をのぞいて、一日の現金収入だけ
で、100万円を超える開業医は、いくらでも
いる。
が、その分だけ、重労働ということになる。
責任も重い。
それに職場は、3K(臭い、汚い、苦しい)。
それなりの立場が保障されなければ、医師に
なる人など、いなくなってしまう。
「2年目で2000万円」というのも、妥当な
収入ではないか。
が、今、問題になっているのは、そのことではない。
医師が都市部の特定の科目に偏在するようになってしまい、
地域によっては医師が不足したり、大病院においてすら、
診療科目がなくなってしまうようになった。
ではどうするか。
いろいろな改革案が考えられているが、どれもそのまま
社会保障費の高騰に直結する。
「今の制度がもっとも効率的で、安価」(医師会側)
ということであれば、改革は容易ではない。
もうひとの解決策は、医学部の定員を、現在の1・5
倍程度にふやすというのがある。
しかしこれには、現役の医師たちが反対している。
「医師の数がふえれば、その分、取り分が減る」
というわけである。
で、もうひとつの解決策としては、(当然、そのあたりの
ことは、厚生労働省も徹底的に調査しているだろうが)、
イギリスのファミリィ・ドクター制度の導入がある。
それについてはすでに何度も書いてきたので、ここでは
省略するが、しかしこれはそのまま私たち自身の問題
と考えてよい。
これは私だけの印象かもしれないが、今回、母や兄の
末期医療をみながら、こんなことを感じた。
ここ10年、あるいは20年かもしれないが、
医療そのものが、事務化しているということ。
母のときも、92歳という高齢ということもあったが、
担当の医師は、こう言った。
「検査はしますが、延命処置は、もうしません」
「天命と思ってください(=あきらめろ)」と。
兄のときも、こう言われた。
「私は、治る見込みのある患者さんは治療しますが、
そうでない患者さんについては、治療しません」と。
兄のばあい、そのとき(治る見込みのない患者)という
ことになっていた。
年齢は、67歳だった。
で、義兄もこう言った。
「75歳以上になると、がんでも、もう手術してもらえない
ようだ」と。
もちろん年齢によって線引きがあるわけではない。
「75歳」という年齢は、あくまでも義兄の意見である。
(ただし、前立腺がんのような、「おとなしいがん」のばあいは、
75歳以前であれば、できるだけ手術で治療し、75歳以後で
あれば、ホルモン療法を中心にするという話は聞いている。
義兄は、その前立腺がんだった。
年齢はそのとき、ギリギリの74歳だった。)
しかしこれから先、その年齢が引き下げられることはあっても、
引き上げられることは、まず、ない。
しかし医療というのは、本来、そうであってはいけないはず。
「命」に年齢は、関係ないはず。
(……というのも、少しきれいごとすぎるかもしれないが……。)
ともかくも、老人医療にかぎらず、医療が事務化するという
のは、若い人たちにとっても、けっして好ましいことではない。
「やるべきことはやります」「しかしあとは知りません」という
のは、医療本来のあるべき姿ではない。
都市部の、より楽に稼げる科目に医師が集中し始めているというのは、
あくまでも、その結果でしかない。
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
医師の偏在 偏在問題)
Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司
●他人の不幸話
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人は、ときとして、心のどこかで他人の
不幸を願うことがある。
『他人の不幸話(悪口)ほど、おもしろいものはない』
と書き残した文人さえいる。
しかしこれほど悪魔的な発想は、そうはない。
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●他人の不幸
私の周りにも、何人か、不愉快な人たちがいる。
「敵」というふうには思ったことはないが、それを薄めたような人たちである。
で、そういう人たちを思い浮かべながら、冒頭に書いた悪魔的な発想を
もつことがある。
「あんなヤツは、~~になってしまえばいい」と。
しかしそういう発想に毒されると、心そのものが腐る。
しばらくそれに浸(ひた)っていると、自分の人間性そのものが低下していくのが
わかる。
が、それだけではない。
『他人の不幸を願った者は、その分だけ、今度は自分が不幸になる』。
これは私が考えた格言だが、それには理由がある。
わかりやすい例でいえば、たとえば、『他人の失敗を笑った人ほど、笑った
分だけ、自分が苦しむ』ということがある。
こんなことがあった。
●出身校
私が住む浜松市では、出身高校でその人の価値を判断するという、イヤ~ナ
雰囲気がある。……あった。
(最近は、そういう雰囲気は、減ってきたようだが……。)
で、その母親は、ことあるごとに自分がSS高校出身であることを、自慢していた。
それとなく会話の中へ、自分の出身校を、織り込む。
「いえね、今度、SS高校の同窓会がありましてね……」とか、何とか。
そしてその返す刀で、他人を批判するときは、こう言う。
「あの方って、CC高校出身なんですってねエ~」「あの方は、DD高校出身
だそうですが、よくがんばっておられますわよネ」とか、など。
私が浜松へ来た40年前には、こうした会話は、いたるところで聞かれた。
「江戸時代の身分制度のよう」と、私はそのとき、そう思った。
そんなとき、自分の娘の進学問題が起きてきた。
が、その娘には、その(力)がなかった。
だから夜な夜な、母と娘は、「勉強しなさい!」「うるさい!」の大乱闘を
繰り返すことになった。
●自分のレベル
自分よりレベルの低い人は相手にしない。
そういう人を相手にしていると、いつの間にか、自分までレベルが低く
なってしまう。
つまりその人の不幸を願ったり、悪口を言ったりする人というのは、
そのレベルの低い人ということになる。
またそういう人であるなら、あなたがあえてその人の不幸を願わなくても、
5年、10年という単位で、やがて自ら墓穴を掘っていく。
運命というのは、そういうもの。
つまり運命というのは、自分の知らないところで、自分で自ら、作っていくもの。
もしそれだけのエネルギーがあるなら、もっとほかのことで消耗したほうがよい。
「敵」ということを考えるなら、私やあなたの敵は、国家であり、社会であり、
さらには、この地球ということになる。
そこらの個人を相手にしても、意味はない。
時間の無駄。
愚かでバカな人というのは、どこにでもいる。
1人や2人つぶしたところで、何も変わらない。
たとえば私の近くにも、一生懸命、策をめぐらしながら、私から小銭を奪おうと
考えている人がいる。
そのためにウソを並べたり、インチキを重ねたりしている。
しかしそういう人はそういう人で、無視するのがいちばん、よい。
本気で相手にしたとたん、相手の毒牙にかかってしまう。
たかが小銭ではないか……!
だから……。
『愚かな人のために、祈る』などという高尚なことは私にはできないが、
「あわれな人だ」と同情することくらいなら、私にもできる。
ひょっとしたら、あなたにも、できる。
もしあなたが心のどこかでふと、他人の不幸を望むようなことがあれば、
ここに書いたことを思い出してみてほしい。
けっして、うつむいて、うしろを見てはいけない。
顔をあげて、前を見る。
と、同時に、あなたはその前に、広くて、おおらかな世界を見るはず。
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
他人の不幸 悪口 不幸話 はやし浩司 悪口ほど)
Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司
●久能山
+++++++++++++++++
今日は、久能山へ行ってきた。
コースは、つぎのよう。
(日本平)→ロープウェイ→(久能山東照宮)
→(いちご狩り)→(焼津)。
昼食は、寿司バイキング。
私たち夫婦は、回転寿司でも、4~5皿が限度。
それ以上は、がんばっても食べられない。
だからワイフはこう言った。
「私たちのような客ばかりだったら、店も
もうかるわね」と。
+++++++++++++++++++
●家康
ここ静岡県では、家康の悪口は、タブー。
天皇の悪口を言うようなもの。
今でも、「天皇」と書いただけで、ツンとした
緊張感が走る。
私は、子どものころ、「天皇」と言っただけで、
父に殴られたことがある。
「陛下と言え!」と。
……とまではいかないにしても、実際、
家康の悪口を言う人は、まず、いない。
敬愛の念をこめて、「家康公」とか、
「徳川家康公」と呼ぶ。
しかし私はよそ者。
もともと県外からの移入者。
気にしない。
平気で「家康」と書く。
で、一応、偉人ということになっているが、
私には、家康と、K国のあの独裁者、金xxの区別が
できない。
呼び名も同じ、「将軍様」。
信長にいたっては、さらにそうで、それが
まちがっているというのなら、どこがどう
ちがうか、それをきちんと説明してほしい。
ほとんどの人は、それにつづく300年という
圧制の中で、虐げられた庶民である。
江戸の末期ですら、武士階級は、人口の5~7%以下。
そのきわめて少数だった特権階級が、富の
ほとんどを独占していた。
家康にしても、彼にとって都合の悪い事実は、
300年という年月の中で、繰り返し抹消された。
痕跡の「コ」の字も残らないほど、抹消された。
そのやり方も、現在のK国と似ている。
そういう事実も忘れて、「徳川家康公」は、ない。
●過去の亡霊
……とまあ、そんなヤボなことを書いても意味はない。
それに世俗にそこまで背を向けると、自分のほうが、はじき飛ばされてしまう。
妥協できるところは適当に妥協しながら、みなと仲よく過ごす。
「極論」は、なにごとにつけても、よくない。
ただ不幸なことに、私たち日本人は、過去において、
ただの一度も、あの江戸時代という封建時代を、
清算していない。
清算しないまま、いまだに、ズルズルと引きずっている。
そのため、いまだに、封建時代の亡霊が、いたるところに残っている。
家制度に始まり、男尊女卑思想、長子制度、家父長意識、
悪玉親意識、上下意識、身分制度などなど。
そうした負の遺産に目を向けることもなく、また自分たちが
庶民、もしくは農民(江戸時代には90%以上が農民だった)
であったことを忘れて、武士道を一方的に礼讃(らいさん)するのも、
どうかと思う。
だからいまだに、私は、こうした封建領主のゆかりの地を訪れるたびに、
ムラムラと疑問が、わいてくる。
もし今のまま、私が江戸時代に生まれていたら、反政府運動を起こして
いたかもしれない。
(由比正雪よろしく、あっという間に逮捕、投獄され、一族もろとも、
処刑されていただろうが……。)
●ゲーム『信長の野望』
……ということで、いつもこんなことを考える。
どこかの城を訪問するたびに、「この城を攻略するには、どこから
どのように攻めたらよいか」と。
実は、今日もそうだった。
(これはたぶんに、ゲーム『信長の野望』の影響かと思う。
少し前まで、私はあのゲームを、時間の合間に、よく楽しんだ。)
日本平へ向かう坂をのぼりながら、どうすれば久能山東照宮を攻略できるか、と。
一度、山火事で消失しているということだから、火攻めが効果的かもしれない。
久能山の下方から、風の強い日に、兵をあげるとか。
しかし東照宮など、攻略しても意味はない。
暴力で相手を破壊することはできても、それに代わる政権をどう樹立するか。
それを忘れて、改革は、ない。
日本の政治は、それでは変わらない。
(現在は、家康が「神様」として祭られているという。
つまり家康の墓所。)
日本平は、標高308メートルということらしい。
そこから東照宮(270メートル)までは、ロープウェイで、下へ。
(東照宮までは、下から石段で、1500段あまり。)
少しわかりにくいので、図示してみる。
○(日本平)308メートル
/~~~~
/
__●_/(久能山東照宮)270メートル
/
____/石段で、東照宮まで、1500段あまり。
海/
やはり国民を教育するしかない。
教育によって、国民の意識を変えていく。
時間はかかるが、そのほうが確実。
……ということで、またまた教育論。
●歴史
なぜ私たちが歴史を学ぶかといえば、過去の失敗や教訓を、未来へ生かすためである。
年号や名前など、暗記しても意味はない。
大切なのは、中身。
なぜ、そうなったか。
そのとき、人は、どうしたか。
その結果、どうなったか。
私たちは、それから何を学ぶか。
それを現在に、どう生かすか。
未来に向かって、どう生かすか。
無反省、無批判なまま歴史を踏襲するのは、むしろ危険なことでもある。
ときに為政者につごうのよいように、操られてしまう。
もちろん歴史は歴史だから、それなりに評価すべことは、評価しなければならない。
しかし信長にせよ、秀吉にせよ、また家康にせよ、忘れてならないことは、
彼らは、何も民衆のために立ち上がった英雄ではないということ。
ただ己の欲望を満たすため、日本を舞台に、国盗り物語を展開したにすぎない。
一般庶民など、奴隷以下。
……日本では、こういう意見を書くこと自体、色眼鏡で見られる。
「あの林は、おかしい」と。
しかしそうした色眼鏡そのものが、日本人特有の民族性によるものと考えてよい。
つまりそれくらい、日本人は、骨の髄の髄まで、魂を抜かれてしまっている。
一方、欧米では、ときの権力と戦った人ほど、英雄となっている。
またそういう人を、称える。
が、この日本では、それすらしない。
そういう人物すら、存在しない。
それも、考えようによっては、あの封建時代からつづく負の遺産という
ことになる。
……と書くと、「林の意見は、過激」と思う人も多いかと思う。
しかし私はおかしいものは、「おかしい」と、言っているだけである。
●いちご狩り
帰りに、久能山下の村で、石垣いちごを、食べた。
海岸沿いに、1500軒あまりの、いちご栽培農園が連なっている。
時期的に、今が食べごろとか。
おいしかった。
そこでのこと。
「40分間、食べ放題」ということだが、入り口には、「持ち帰りはできません」
と明記してある。
にもかかわらず、自分の袋やポケットにいちごを詰めて、持ち帰る人がいるのには、
驚いた。
しかも夫婦で、それをしている人がいた。
考えようによっては、よい夫婦ということになるが、しかしこういうケースでは、
たがいに戒(いまし)めあってこそ、夫婦。
「お前、そんなずるいことをしてはいけない」「あなたも、ね」と。
そういうやりとりが、たがいの人間性を高める。
で、私が見かけた夫婦は、妻が、布製の手提げのバッグの中にそれを入れていた。
夫のほうは、コートの内ポケットにそれを入れていた。
近くの売店では、ワンパック(12個入り)を、700~800円で売っていた。
私とワイフがあきれてそれを見ていると、その夫婦は少し離れたところで、
あたかもたがいの戦利品を喜びあうように、それを見せあっていた。
言い忘れたが、夫のほうは、70歳くらい。
妻のほうは、66歳くらい。
妻のほうの、セカセカした、落ち着きのない動作が気になった。
こぎれいな服を着ていたが、顔には余裕がなかった。
一事が万事というか、その人の過去が、その表情に集約されているように感じた。
●世俗
だからといって、こうした世俗と自分を隔ててしまうのも、危険なことである。
世俗に染まれということではない。
つねに世俗の身をさらしながら、その中で世俗との接点を保つ。
免疫性を養う。
同じことが、教育論についても言える。
幼稚園の世界でも、問題のある子どもを見ながら、「親のしつけがなっていない」とか、
「親の顔が見てみたい」などと言う教師がいる。
しかしそういう教師というのは、自分で子育てをしたことがない教師とみてよい。
自分で子育てをしてみると、その考えというより、その考え方がまちがっていることを
知る。
思うようにならないのが、子育て。
いくらがんばっても、ときとして、子どもは別の方向へ行ってしまう。
つまり「世俗との接点」というのは、それをいう。
その接点を忘れると、教育観のものが、社会から遊離してしまう。
人生観も、また同じ。
たまたまいちご園で、えげつない夫婦を見た。
しかし彼らが見せた姿こそが、まさに(世俗)ということになる。
私たちはその世俗を離れて、人間、なかんずく、社会的人間ではありえない。
大切なことは、そういう人たちを見ながら、「では私自身はどうか」と、
自分自身を見つめなおすこと。
えげつない他人を見て、同じような部分が自分の中にあることを知ったら、
それと闘う。
闘うことによって、自分をさらに高い位置に置く。
●終わりに
久能山を出て、東名高速道路に入るころには、すでにあたりは、なんとなく暗かった。
時計を見ると、午後3時40分。
空は重い雲に覆われていた。
低い位置にぼんやりとした夕日が輝いていたが、どこか元気がなかった。
横を見ると、ワイフは腕組みをしたまま、目を閉じていた。
まだ風邪の後遺症が残っているようだ。
寿司も、いちごも、あまり食べなかった。
そのつど「食欲がない」と言った。
そうそう久能山東照宮では、私たちは意図的に石段を速く上ったり、下りたりした。
このところの運動不足を補うためもあった。
その疲れが出たのかもしれない。
静かなひととときだった。
今日のバスガイドは、比較的静かなほう。
それがありがたかった。
私も静かに目を閉じた。
ほっとした安堵感を覚えた。
1月x日、月曜日記。
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
久能山 東照宮 いちご狩り イチゴ狩り 日本平)
Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司
●怒り
++++++++++++++++++
新聞に、若年アルツハイマー病にかかった
男性についての記事が載っていた(中日新聞・1・5)。
45歳ごろから異変が現れる。
52歳で、アルツハイマー病と診断されたという。
で、その初期症状として、その男性のばあい、
怒りっぽくなったことが書いてあった。
「なんだと!」「バカにしているのか!」とか、
など。
とくに食事中のとき、怒りっぽくなったという。
+++++++++++++++++++++
●怒りっぽくなる?
この記事を読みながら、ワイフがこう言った。
「アルツハイマー病になると、怒りっぽくなるのかしら?」と。
しかしそれは怒りっぽくなるというよりは、理性のコントロールがきかなくなるため
と考えるほうが正しいのでは?
素人判断なので、正しくないかもしれないが、私はそう思った。
このことはピック症候群による症状と比べてみると、よくわかる。
ピック症候群でも、やはり前頭前野の機能が著しく低下するという。
ただ頭頂葉のほうはそのままであることがあるので、「話すことだけは一人前」
という状態になるらしい。
見た感じ、いつもプリプリと怒ってばかりいるような雰囲気になる。
が、こういう記事を読むたびに、ドキッとするほど、衝撃を受ける。
私というより、私の身近にも、似たような人がいる。
●Dさん(女性、70歳くらい)
このところDさんと連絡を取るのが、不安でならない。
Dさんの夫と、この15年近く、一緒に仕事をしている。
そういう関係もあって、Dさんを無視するわけにもいかない。
が、そのDさん、連絡を取るたびに、様子が大きく変化する。
妙に親切だなと思っていると、つぎのときには、反対に、つっけんどんになるなど。
つかみどころがない。
先日も、電話が終わったあと、私のほうが何かまずいことをしたのではないかと、
心配になってしまった。
で、事件が起きた。
あることで、Dさんに電話をしていると、Dさんが、ことこまかに、あれこれと私に
指示をした。
その上、くどくどと、同じようなことを何度も繰り返した。
そこで私が、「私は、そんなバカではありませんから……」と言うと、Dさんは
突然電話の向こうでヒステリックな声を張り上げて、こう叫んだ。
「私だって、バカではありません!」と。
私は何もDさんが、バカと言ったつもりはなかった。
が、何をどう勘違いしたのか、Dさんは、そのまま怒り出してしまった。
●周囲への影響
新聞の記事では、当然のことながら、そのアルツハイマー病の男性について書いていた。
もちろん、それはそれとして、つまりそうした病気になって、一番苦しんでいるのは、
本人自身。
それはよくわかる。
しかしそれ以上に、あるいはそれと同じくらい、その周りの人たちも、苦しむ。
事実、手記の中には、こうあった。
「(夫が)小刻みに右手を振っているのを見ただけで、怒りがこみあげてきた」と。
その夫の妻の言葉である。
アルツハイマー病は、けっして本人だけの問題ではない。
こんな例もある。
これはある幼稚園の園長から聞いた話である。
その園長が、まだ若いころの話である。
その園長が、(Aさんとしておく)、ある日、そのとき自分が勤めていた幼稚園へ行くと、
当時の園長がつかつかとその園長のところへやってきて、こう言ったという。
「君は、明日から、この園に来なくていい」「君がいると、この幼稚園はつぶれて
しまう」と。
そのときAさんは、頭の中が真っ白になってしまったという。
大学を出て、幼稚園の教師になって、5年目のことだった。
で、Aさんは、そのまま退職。
公立の幼稚園に新しい職場を求めて、再出発をすることになった。
Aさんは、こう言った。
「ずっとあとになって、当時のあの園長がしたことは、アルツハイマー病の
症状のひとつとわかりましたが、そのときはそうではありませんでした。
私は悔しくて悔しくて、それから一か月ほど、夜も体がほてって、眠れません
でした」と。
Aさんをクビにした園長は、その後、アルツハイマー病と診断され、さらにその
少しあと、そのまま亡くなってしまった。
●早期発見、早期対策
ことアルツハイマー病について言えば、早期発見、早期対策が必要なことは、
今さらここに書くまでもない。
が、それは何も、本人のためだけではない。
周りの人たちのためでもある。
とくに初期症状を示すころは、その病気とわかりにくい。
そのため周囲の人たちも、どこか「?」と思いながら、その判断に苦しむ。
苦しみながら、本人の心ない言葉に傷ついたりする。
相手の気持ちにお構いなしに、ズケズケとものを言う。
ふつうなら笑ってすますようなばあいにも、激怒する。
ささいな、どうでもよいことに、強いこだわりを示す。
言っていることが、コロコロと変わる。
気分の変化がはげしい。
「何かをした」というエピソードそのものを、忘れてしまう、など。
これらの症状は、現在のDさんについて、私が感じていることである。
もちろんまだ、Dさんが、アルツハイマー病と決まったわけではない。
「?」とは思っているが、病院で、正式に診断されたわけでもない。
が、ここでも、また別の問題が起きつつある。
私はDさんの夫とは、親しい。
先ほども書いたように、仕事もいっしょにしている。
そこでそのことを、それとなくDさんの夫に伝えようとしているのだが、
Dさんの夫自身に、それを聞く耳がないということ。
その話をしようとしたとたん、Dさんの夫も、怒り出してしまう。
「うちの家内は、思い込みは激しいかもしれないが、頭は、どこも悪くない!」と。
おそらく夫も、何か、心当たりがあるのだろう。
それだからこそ、それを強く否定する。
もしそういう心配が何もないなら、笑ってすませるはずである。
●明日はわが身
こうした問題は、いつも「明日はわが身」と、いつもそのまま自分に直結してくる。
私だけが例外ということはありえない。
ものの名前が浮かんでこないときも、あるいはものを置き忘れても、「もしや!」と、
自分を疑う。
実際には、ものの名前が浮かんでこないようなときには、「アイウエオ、カキクケコ……」
と、順に頭の中で、言葉をさがす。
新聞記事ではあるにせよ、一字一句、一文字も逃さないように、私は読んだ。
なお、その記事の中の男性は、現在は、専門の施設に入り、その中で介護を受けながら、
楽しそうに毎日を過ごしているという。
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