Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, January 01, 2009

*Jan 2nd 2009

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 1月 2日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●高1の歴史

高校1年のDさんが、こんな問題をもってきた。
世界史の問題である。

【問1】五胡のうち、匈奴の別種といわれる、山西に居住した民族は何か。
【問2】九品中正により豪族の高級官職独占が進み、門閥貴族が出現した。
このことを嘆じた言葉を記せ。
【問3】北魏の村落制度で、均田制実施のための戸籍調査や徴税を担当した
ものを何というか。

残念ながら、私には1問もわからなかった。
とくに問2の、「嘆じた言葉」というのは、わからない。
わからないというより、わかるはずがない。
が、同時にこうも思った。
「こんなことを暗記して、何になるのか」と。
まさに暗記のための暗記。

私が、「こんなむずかしいことをしているの?」と聞くと、その生徒は、「別に……」と。
「教科書を調べれば、すぐわかる」と。

フ~~ン?

私も高校生のとき、受験科目に世界史を選んだ。
どこかで一度は、暗記したはず。
しかし脳みそのどこをひっくり返しても、そんなことを暗記した記憶さえない。
完ぺきに忘れてしまっている。
これはどういうことか?

言い換えると、こんな例もある。

ある人(50歳くらい、男性)が「林」を、ローマ字で、「HAYASI」と書いた。
ヘボン式、つまり発音どおりに表記すれば、「HAYASHI」が正しい。
その人はどこかの大学も出ているはず。
私はそのとき、「この人は、ローマ字も正しく書けないのか」と驚いた(失礼!)。

しかしよくよく考えてみれば、これは当然のこと。
大学を出たあと、英語に親しんでいれば、そういうこともなかったかもしれない。
しかしその人は、英語とは無縁の世界に入ってしまった。

一方、私はそのあと、30年近く、高校生に英語を教えてきた。
英語が、多少なりとも、(できる)のは、当たり前。
が、世界史はどうか?

高校を卒業すると同時に遠ざかってしまった。
それが先の結果である。
1問もわからなかった。
が、もしそのあと、世界史に少しでも親しんでいれば、今でも覚えているかも
しれない。

このことは重要な教訓を、私たちに与えている。
つまり『教育とは、学校で学んだことをすべて忘れてしまったあとに、
残っているものをいう』と。
アインシュタインも、同じようなことを言っている。

世界史について言えば、「中国って、すごい国なんだなあ」という思い。
その思いが、「残っている教育」ということになる。
そしてこんなことも言える。

ただの暗記のための暗記科目など、学んでも意味がないということ。
はっきり言えば、時間の無駄。
その無駄のために、高校生たちは、それが教育と信じ込まされて、学校へ
通っている(?)。
このことは幼児を見ればわかる。

年長児でも、掛け算の九九をペラペラと口にする子どもがいる。
親は、「うちの子は、掛け算ができる」と喜んでいるが、それができたからといって、
算数の力(=数を考える力)があるということにはならない。

私はその問題を見ながら、改めて「教育とは何か」、それを考えさせられた。
「九品中正」にしても、何も中国の歴史に学ばなくても、現在の日本を見れば
わかる。
政治家の世襲制は当たり前。
高級官僚たちは、したい放題のことをしている。
この不況下にあって、わが世の春を謳歌している。

私「そんなことは、インターネットで調べれば、即座に答がわかるよ」
生「それじゃ、勉強にならない」
私「あのね、そんなすぐ忘れるようなことを暗記しても、意味はないよ」
生「そんなことを、先生が言ったら、おしまいだよ」
私「でも、ぼくは、そう思う」と。

私が社会科の教師なら、教科書なんか捨てて、みなで、映画『レッド・クリフ』を
見に行く。
そのほうがよほど強いインパクトを子どもたちに与えるはず。
それをきっかけに、私たち夫婦のように、「三国志」に興味をもち、ついでに中国の
勉強をしなおすかもしれない。
あるいは中国を見直すようになるかもしれない。

しかしそれにしても、今、高校では、こんなくだらないことを教えているのだろうか。
実にくだらない。
高校の先生もたいへんだなあと思ったところで、この話は、おしまい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●浜松と岐阜

先ほど、岐阜から浜松へ帰ってきた。
気のせいか、浜松のほうが、ずっと暖かい。
空気そのものがもつ、冷気の重さそのものがちがう。
岐阜のほうでは、体の芯までつんと、冷気が
入ってくる。

それにもう一つ驚いたこと。
岐阜の街の大通りに、「テナント募集」の張り紙をした、
空ビルや空事務所、それに空店が、かなり目立ったこと。
バスからぼんやりとながめていたが、「次々……」
という感じだった。

また駅前の整備が、ほとんどといってよいほど、進んでいなかった。
雑然としていて、どこかさびれた田舎町といったふうだった。

たとえばJRの岐阜駅から、空中回路ができていたが、
仙台駅で見るような、センスのよさはない。
長い横断歩道を、いくつも無造作につなげただけという感じ。

浜松のほうも景気は悪いとはいうものの、岐阜と
くらべたら、はるかに活気がある。
街を歩く人も、どこかハツラツとしている。

(こんなことを書くと、岐阜の人は怒るかもしれない。
しかし怒る前に、一度、浜松のほうまで足を延ばしてみたらよい。
私の言っていることがウソでないと、わかるはず。)

では、なぜこうなってしまったか。

私が学生時代のころは、岐阜市は、既製服の町として知られていた。
駅前には、既製服の問屋が、ところ狭しと、ズラリと並んでいた。
その既製服がだめになった。
だめになったというより、韓国、台湾、中国に追いあげられるようになった。

が、その転換が、うまくできなかった。
それだけ変化が急だったとも言える。
あるいは先見の明がなかったとも言える。
一時は高級品化をねらったというが、バブル経済崩壊で、それが裏目に
出てしまったとも聞いている。

今ではあの柳ケ瀬(歌にもなった、岐阜市第一の歓楽街)は、見る影もない。
そのあたりも今は、空ビル、空事務所、空店が、ズラズラと並んでいる!

では、どうするか?

岐阜市が名古屋市のベッドタウン化するのはしかたないとしても、
岐阜市がだめになると、その周辺の中規模の町がだめになる。
さらにその中規模の町周辺の、小規模の町がだめになる。
よい例が、岐阜市→関市→美濃市の関係である。
それぞれが、その上の町に依存している。
だから岐阜市がだめになると、関市がだめになる。
関市がだめになると、美濃市がだめになる。

美濃市にしても、昔は製紙業の町として栄えたときもあった。
が、今は、さらにその昔にさかのぼって、和紙の町として、
つまり観光で生きるしかない町になってしまった。

ところが岐阜市も、観光都市として生きる道を選んでしまった。
関市については知らないが、美濃市、さらに郡上(ぐじょう)まで
観光として生きる道を選んでしまった。
岐阜市がこのざまだから、あとは共(とも)食い、あるのみ。

「観光」「観光」といっても、いったい、だれが来るのか?
どこから来るのか?

私も観光バスで、そうした観光地をよく回るが、観光客というのは、
それほどお金を落とさない。
使う場所というのも、限られている。
みやげもの屋か、食堂と、決まっている。
金額そのものが、知れている。
さらに言えば、よほどのことがないかぎり、リピートしない。
たいてい1回ポッキリ。
これだけ似たような観光地がふえてくると、「1回でたくさん」となる。

……と書くと、お先真っ暗ということになる(ホント!)。
だったら、私なら、外国をねらう。
外国人観光客をねらう。
とくに中国、台湾からの観光客をねらう。
外国人が来るようになると、それが誘い水となって、日本人もやってくる。
となると、国際性ということになる。
案内書も道案内も、英語での表記は常識。
つまりこうした国際性をもたないかぎり、観光地に未来はない。

しかし美濃市もいろいろ努力はしているようだ。
夕暮れになると、街のあちこちに、和紙でつくった行灯(あんどん)が並ぶ。
今は少し寒いが、春の陽気がもどってくれば、ロマンチックな夜を
かもしだしてくれるはず。

お勧めのコースは、市内、もしくは郊外の旅館に泊まって、町の中を
夕刻から夜にかけて、散策すること。
みやげもの屋もふえた。

ついでに一言。
美濃市へ行ったら、観光マップ(美濃市発行)の、左下隅の家に注目
してほしい。
それが私の実家である。


●長良川

私がいる旅館から、ちょうど真下に長良川が見える。
その長良川が、旅館の下あたりで、ゆるやかに西に曲がる。
そのため、旅館の窓から、長良川上流が、あたかも橋の上に
いるかのように、よく見える。
その先は、郡上踊り(かわさき)でよく知られている郡上(ぐじょう)、
天下の清流として知られている板取川(いたどりがわ)へとつづく。

対岸の山々は、ちょうど紅葉のまっさかりで、色とりどり
の秋の葉が、朝日を浴びて、ゆっくりと光り始めた。
風呂から戻ってきたワイフもそれに気がついて、「あらっ」と言っただけで、
窓の外に見とれていた。

私はこの美濃市で、18年間を過ごした。
高校を卒業するまでの18年間である。
で、この旅館に来て驚いたことに、私の実家が、町の案内マップに載っていた!
いちばん下の隅だったが、私の家とすぐわかった。
そう言えば、一度、市の役人が、あの家を買いたいといってきたという話を、
姉から聞いたことがある。
大正時代の商家として、たいへん珍しい建物だそうだ。

もちろん好んで、その建物を保存しようとして保存してきたわけではない。
それだけの財力がなかったから、そのままにしてきただけ。

そう、あの家は遺産などではない。
遺産として残すためにがんばった家ではない。
あの家は、私の祖父母が住み、両親が住み、兄が住んだ家である。
そこには無数のドラマがある。
そのドラマがしみついている。
繰り返しになるが、「遺産にしたい」などとは、考えたことはない。
もしじゅうぶんなお金があれば、みな、とっくの昔に、家を建てなおして
いただろう。
が、それがなかった。
みな、苦しい家計と戦いながら、細々と今日まで生きてきた。

建物というのは、たとえて言うなら、空箱のようなもの。
観光客は、その空箱だけを見て、それぞれがそれぞれの空想を働かせる。
しかしそれほど、無責任で、いいかげんな見方もない。

私はそのマップを見ながら、「みんなが守ってきたのは、いったい
何なのか」と、考えた。
みんなというのは、私の家族も含めてという意味だが、「いったい何なのか」と。
みんな、どれもこれも、煙のように消えてしまった。

が、その一方で、変わらなかったものもあるはず。
目の前の山々の景色がそうだ。
川の流れがそうだ。
が、私には、それがわからなかった。
子どものころ、そういう変化に、私はまったく気づかなかった。
気づいていたかもしれないが、関心がなかった。
ときどき母が、「紅葉を見に行こう」と誘ってくれたが、私はいつも、
それを断っていた。

が、今、「子どものころも、こんなに美しかったのか」と。

改めて、長良川の美しさに、心を奪われる。

(追記)
その美濃の町から、私たちはバスに乗った。
とたん、窓の外の景色が、まるでタイムトンネルか何かを潜り抜けるように、
パラパラと動き出した。
古い時代から、新しい時代へ。
10年、20年、30年……、と。
祖父や両親がいた時代から、今の時代へ。
不思議な感覚だった。

美濃の町は美しいが、私は子どものころ、いつも息苦しさを覚えていた。
周囲を山に囲まれているだけが、理由ではない。
何をするにも、近所の人や親類の人たちが干渉してきた。
それは(人のやさしさ)であると同時に、(体をしめつけるロープ)の
ようでもあった。

この町では、「私は私」という生き方を許してくれない。
認めてもくれない。
そんなことをすれば、即座に、あの町からはじき飛ばされてしまう。
だからみな、面従腹背というか、仮面をかぶって生きていく。
本音と建前を巧みに使い分けて、生きていく。
腹の中では、「コノヤロー」と思っていても、ニコニコ笑いながら、
「こんにちは!」と言って、声をかけあう。

そういう芸当ができない人は、この町には住めない。

……というよう話を、旅館の仲居さんと話したら、仲居さんは、
こう言って笑った。

「そんなことありませんよ」「みんな、本音で生きていますよ」と。

しかしそれは美濃の町を知らない人か、あるいは美濃の町から一歩も
外へ出たことがない人の言う言葉(失礼!)。
あるいは外国を知らない人の言う言葉(失礼!)。
あるいはきわめて恵まれた家庭環境で育った人の言う言葉(失礼!)。

古い町並みを見て、「すてき!」と思うと同時に、
その町並みの向こうにある、陰の文化を、ほんの少しでも感じ取って
もらえれば、私はうれしい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


●緑風荘(岐阜県美濃市、緑風荘)

岐阜県美濃市の長良川沿いに、緑風荘(りょくふうそう)という名前の旅館がある。
美濃市では、イチ押しの旅館である。
美濃市というより、この長良川一帯で、と言ったほうがよいかもしれない。
料金も安い。
ビジネス料理で、1泊8500円~から(08年末)。
窓から、長良川の上流が、一望できる。

私は郷里の美濃市へ行くたびに、この旅館に泊まる。
泊まるたびに、言いようのない喜びを感ずる。
それには、こんな理由がある。

私は子どものころ、その長良川で泳いで育った。
まだ貧しい時代で、旅館に泊まるなどということは、夢のまた夢。
そんな時代に、いつもこのあたりを泳ぎながら、緑風荘を見あげていた。
「いつかは泊まってみたい」と、心のどこかで思っていた。
そのことはよく覚えていないが、今、こうして喜びを感ずるところからして、
そう思っていたことには、まちがいはない。

……実は今、その緑風荘に泊まっている。
今日は、兄と母の法事で、この美濃市にやってきた。
そしていつものように、この緑風荘に泊まった。
繰り返すが、よい旅館である。
料理はおいしいし、サービスもよい。
ここへ来ると、実家へ帰ったかのような安堵感を覚える。

で、ワイフは、すでにイビキをかいて、横で眠っている。
私は暗い電灯のもとで、こうしてパソコンを叩いている。
この雰囲気がよい。
この雰囲気が好き。
この旅館の常連客になって、もう30年近くになる。

岐阜県美濃市、緑風荘。

夏場は、すぐ下の長良川で、終日、泳ぐことができる。
少し料金を追加すると、鮎料理なども食べさせてくれる。
予約は早めに。
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
岐阜県 美濃市 緑風荘 長良川 和紙の町 和紙 はやし浩司)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●質素革命

冠婚葬祭については、地域差がはげしい。
概して言えば、愛知県、岐阜県は、冠婚葬祭が、派手。
静岡県は、それに比較して、質素。

私はこと冠婚葬祭については、質素にやればよいと考える。
内々の人たちだけが集まって、それを喜んだり、悲しんだりすればよい。
お金をかければ、それでよいというものでもない。
しかしそれには、かなりの勇気が必要。
確固たる人生観が必要。

今回も母の四九日の法要を郷里のM町でしたが、法要が終わったあと、
1人の女性が来て、こう言って怒った。
「水臭いではないか。豊子さん(=私の母)が亡くなったら、亡くなったで、
一言、連絡くらいくれたらいい。どうして連絡してくれなかったのか」と。

しかし実際には、それどころではない。……なかった。
母の介護→臨終→死去→葬儀と、その数日間は、何がなんだかわけがわからない
まま過ぎた。
そういう状態の中で、そんな人たちのことまで、気が回らない。
私は「すみませんでした」「またゆっくりとあいさつに、おうかがいします」と
謝った。
が、実際には、どうでもよかった。

そういうことを言ってくる人は、介護や、葬儀の経験のない人たちである。
またそういう人ほど、私の悪口を陰で言いたてている。
私はそう感じた。

だからといって、人の(つきあい)を軽くせよということではない。
もっと中身を大切にしたらいいと言っている。

たとえば私
は、自分が死んでも、それをだれにも知らせてほしくない。
ワイフや息子たちには、しっかりとそう言い伝えている。
もちろん葬儀など、無用。
それで地獄へ落ちるというのなら、それを教える仏教のほうが、まちがっている。
もしそうなら、何のための仏教かということになる。

だいたいだれも私の死など、気にしないだろう。
喜ぶ人は多いかもしれないが、悲しむのは、私のワイフくらいなもの。
(ワイフだって、喜ぶかもしれない。)
いつか時間がたって、「ああ、あの林は死んでいたのか」で、じゅうぶん。
連絡が1年遅れても、10年遅れても、どこがどうちがうというのか。

どうせ死んだときから、時間は止まる。
10年や20年、あっという間に過ぎてしまう。
たとえばあなたの周辺で亡くなった人のことを、思い浮かべてみてほしい。
「あの人が亡くなって、もう10年!」とか、「もう20年!」とか、驚く。

私の死も含めて、人の死というのは、そういうもの。
もう少し長いスパン(時的間隔)で考えてもよいのではないか。
死んでから、10年後の葬式でも、何もおかしくない。
逆に、こんなこともある。

たとえば学生時代に世話になった人の消息をたずねることがある。
そういうとき、その人が、10年前に、すでに亡くなっていることを知ったりする。
20年前に、すでに亡くなっていることを知ったりする。
しかし10年前でも、20年前でも、「昨日は昨日」。
ここでいう「時間は止まる」というのは、そういうことをいう。

(この文章にしても、私の死後、10年、あるいは20年後に読む人もいるかもしれない。
そのとき、「ああ、あの林は、10年前に死んでいたのか」「20年前に死んだのか」
でも、よいのではないか。)

恩師の田丸謙二先生ですら、直葬を望んでいる。
病院から火葬場への直行を望んでいる。
「葬儀は不要です」と。
それこそ世間が許さないだろうが、田丸謙二先生は、先日メールの中に、そう書いていた。
これからはそういう人たちがふえてくる。
日本のリーダーと呼ばれる人たちが、そういう動きを示しつつある。
過去を踏襲し、過去にしばられているのは、むしろ末端の、いわゆるノーブレインの
人たちである。
自分に考える力のない人ほど、過去にこだわる。
が、それも今、音をたてて崩れ始めている。
この流れは加速することはあっても、逆行することは、もうない。

こと冠婚葬祭については、目下、質素革命、進行中!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●置き物

実家には、いくつかの置き物が残っていた。
床の間に飾ってあったのもある。
箱の中に入っていたものもある。
その置き物を見ながら、こんなことを考えた。

ここに20万円があったとする。
自由に使えるお金である。
そのお金で、つぎのうちのどちらかを買えと
言われたら、あなたはどちらを買うだろうか。

(1)20万円の置き物
(2)20万円の液晶テレビ

置き物なら、家に飾っておくことができる。
いつかまたその値段で、だれかに売ることもできる。

一方液晶テレビなら、買ったその日から、楽しむことができる。
が、価値はどんどんとさがる。
4~5年も使えば、ほとんど無価値になる。
故障すれば、なおさらである。

お金に余裕があるなら話は別だが、私自身は、置き物には
ほとんどといってよいほど、興味がない。
買うとしても、その中でも最高の1つ買って、それですます。

だから実家に残っていた置き物をながめながら、祖父や母は、
いったい、どういう気持でそういうものを買ったか、理解に
苦しんだ。
(祖母と父は、置き物には、ほとんど興味を示さなかった。)
財産のつもりだったのか?
それとも、家を飾るためだったのか?

もし飾るなら、最高によいものだけをひとつ買い、それで
すませばよい。
値段にして、3000円~1、2万円のものを、いくつも
集めたところで、あまり意味はない。
よくても悪くても、ガラクタになるだけ。

それに(遺産?)として受け取る側も、実際のところ、困る。
趣味のちがいもある。
たとえばその中の1つに、鉄製の観音像があった。
背丈は40センチほど。
飾るといっても、飾る場所、そのものがない。

そんなわけで「財産」ということで置き物を買うなら、それなりに
売りやすいものを買ったほうがよい。
そうでないなら、……率直に言って、買わないほうがよい。

お金というのは、有効に使う。
「有効」というのは、自分の心の財産となるように使うという意味。
悪い例としては、自宅の玄関先に、キジの剥製(はくせい)や、
鎧兜(よろいかぶと)を飾っている人がいる。
それらがゴチャゴチャと並んでいたりすると、何かいやらしさすら
覚えてしまう。
「オレは金持ちだ」と言わんばかり。
よく「成金趣味」と酷評する人がいるが、私もそう思う。
それなりの文化性をもった人がそうするなら、まだよい。
そうでない人がそうするから、おかしい。
だから「成金趣味」となる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●兄弟・姉妹関係

++++++++++++++++++++

兄弟、姉妹といいながら、他人以上の
他人になる人は、少なくない。

たがいに手の内の、その奥まで
知り尽くしている。
そのため壊れるときは、早い。
しかも、一度壊れると、こなごなになるほど、
壊れる。

++++++++++++++++++++

●60数人の従兄弟(いとこ)

前にも書いたが、私には60数人の従兄弟がいる。
正確に数えたことがないので、実際には、何人いるか、わからない。
父方の兄弟姉妹が、5人。
母方の兄弟姉妹が、13人。
それぞれが、3~7人の子ども(=従兄弟)をもっている。
それで60数人となる。

もちろんその中には、親しい従兄弟もいれば、そうでない従兄弟もいる。
中には、子どものころ会っただけで、そのまま疎遠になってしまった従兄弟もいる。
しかしそういう従兄弟でも、近況だけは、いろいろなところから伝わってくる。
他人とちがって、そういう情報が、内側から伝わってくる。

で、全体としてみると、兄弟姉妹がほどほどに仲良くしている従兄弟が、約半数。
他人以上の他人になってしまった従兄弟が、約半数。
たいていどの従兄弟も、何らかの問題を、内側にもっている。

もちろんだからといって、それはあくまでも(内側)の話。
親戚どうしがつきあうときは、みな、一応、円満な様子で、顔を出す。
(もちろんそうでない従兄弟もいるが……。)
表立って、いがみあうとか、そういうことはない。
「適当につきあって、それで別れる」。

子どもの世界でも、こうした現象は、珍しくない。
よくある例が、(できのよい兄、姉)と、(自由奔放な弟、妹)。
兄、姉は、できのよい兄、姉を演ずることによって、自分の立場を守ろうとする。
本当は弟や妹が憎いのだが、それを態度で示すと、自分の立場がなくなる。
これを心理学の世界でも、「反動形成」という。
つまりは、兄や姉は、仮面(ペルソナ)をかぶりやすいということ。

兄や姉は、弟や妹が生まれることによって、それまでの自分への愛情が、
半分に減らされる。
それは相当な欲求不満と考えてよい。
嫉妬がからむだけに、扱い方をまちがえると、ことはやっかい。
こうして兄や姉は、生活態度が防衛的になる。
わかりやすく言えば、ケチになる。

この時点から、兄弟、姉妹関係は、ギクシャクし始める。
たいていどこの家でも、兄、姉は、(年長風)を吹かす。
権威主義的なものの考え方をする人ほど、そうである。
それが尾を引いて、(わだかまり)になったり、(こだわり)になったりする。
さらに私の年代になると、介護問題がからんでくる。
親の遺産問題がからんでくる。
こうなると、兄弟姉妹関係は、一気に、崩壊へと向かう。

では、どうすればよいか?

私は結論として、なるようにしかならないと考える。
それまでの関係が長いだけに、それを修復するのは不可能。
だったら、兄弟姉妹といえども、そういうものと割り切る。
「仲が良くなければならない」とか、「仲が悪いから、よくない」とか、
そういうふうに、自分を追いつめる必要はない。

「仲が悪くて、結構」「どうしてそれがいけないことなのか」と、
居直ればよい。
居直って生きる。
「血」にこだわらねばならない理由など、どこにもない。

あとは、やるべきことは事務的にこなしながら、適当につきあえばよい。
あえて、いがみあうことは、ない。
あえて、争うことも、ない。

どこの家庭も、外から見ると、みんなうまくいっているように見える。
しかしそう見えるだけ。
中へ入ってみると、みな、それぞれの問題をかかえて、ドタバタしている。
60数人も従兄弟をもったおかげで、私はそれを知ることができた。

(教訓)

どんな親も、「うちの子どもたちは、だいじょうぶ」と考えている。
「いつか、子どもたちは力を合わせて、家族を支えあってくれるはず」と考えている。
しかしそれは幻想。
幻想以外の何ものでもない。

これはある司法書士をしている人から聞いた話だが、今では遺産相続問題にしても、
本来なら直接的な相続権のない、甥(おい)や姪(めい)から請求されるケースが
ふえているという。

「親父は、無一文で実家を追い出された。その分の遺産を、俺たちによこせ」と。

そこでその司法書士が、「あなたの父親は、ちゃんと遺産相続放棄の手続きをしている」と
説明すると、「遺留分というのが、あるはず」と。

遺産相続放棄をしても、何分の1かは、その放棄に属さない遺産が残る。
「遺留分」というのは、それをいう。
そこで今では、「協議分割」という方法をとることが多い。
「協議した上、全財産を、○○に渡す」という約束をする。
この方法を使えば、遺留分というのは、なくなる。

そこで親たるもの、その時期が近づいてきたら、身のまわりの整理だけは、
きちんとしておいたほうがよい。


●映画『ハッピー・フライト』

++++++++++++++++++

息子のBLOGに、こんな記事が
載っていた。
映画『ハッピー・フライト』は、おもしろい、と。
息子推薦とあれば、見ない手はない。
邦画を見るのは久しぶり。
……見ることにした。

まず、息子のBLOGより。

++++++++++++++++++

【息子のBLOGより】

 『先日、ブラザー3の先輩がチェックアウトされたということで、その祝賀会があり、
東京に帰って来て初めてのブラザー活動に参加してきた。ナパで伝説化していた有名な先
輩方にお会いすることができて、本当に良かった。

『ハッピー・フライト』というANA全面協力の映画の話になって、一人の先輩がすでに
ご覧になっていたのだけれども、この映画が悔しいことに、めちゃめちゃおもしろいらし
いのだ。プロが観ても、細かいところまで再現されていて、かなり楽しめるとのこと。

またしてもライバル会社にしてやられた感じだが、パイロットやパイロットを取り巻く環
境のことを、より多くの人に知っていただけるのは、嬉しいことだ。僕も今度、観に行こ
う。

 ちなみに、昨日ブリッジ訓練がスタートした。やっと。来週からいよいよ777のシミ
ュレーターによる訓練が始まる』(08・11・28)と。

で、午後7時20分からその映画を見に行こうとしたが、
ワイフが、「今夜はやめにしよう」と。
明日は、いろいろある。

……ということで、書斎にこもって、小さな本を1冊分、HPに収録した。
かかった時間は、2時間。
スキャナーでページごとスキャンしたあと、Frickrにアップロード。
それからHTMLタグを引いて、ホームページに張りつける。
結構、手間がかかる。

映画を見ても、2時間。
「同じ2時間かあ」と思って居間へおりていくと、ワイフは、
衣服にアイロンをかけていた。

何でもない夜。
静かな夜。
私は蜂蜜をお湯に溶かす。
それに粉末のゆず湯を少し混ぜる。
最近は、これが好物。
それを飲みながら、夕刊に目を通す。

+++++++++++++++++

(追記)

映画『ハッピー・フライト』を、今夜(12月x日)、見てきた。
星は、2つの★★。
ただし私は、緊張した。
手に汗を握った。
映画の中のコーパイ(副機長)に、息子を重ね合わせてしまった。

以前から部分的な話は、息子から聞いていた。
それがあの映画で、総合された感じ。
たとえば息子はこう言った。
「雨の日などは、タイヤがスリップしないよう、わざと機体を
滑走路にたたきつけて着陸する」と。
映画の中でも、同じようなシーンが出てきた。

雲の裂け目をねらって着陸態勢に入るという話も聞いた。
横風に対しては、機体をななめにして着陸するという話も聞いた。

映画全体としては、演技がややオーバー。
少し茶化しすぎ。
私の息子もそうだが、息子の友人たちしても、俳優のような
チャカチャカしたパイロットは、いない。
みんな静かに落ち着いている。
どっしりとしている。
またそういう性格でないと、少なくとも、ライン・パイロットにはなれない。
あの俳優のようなパイロットだったら、即座に退学になっているはず。

(たとえばコーパイが、帽子をかぶるのをいやがるシーンがあった。
機長はそれを叱っていたが、ああいうことは、ありえない。
きびしい、本当にきびしい訓練を受けているから、航空大学の学生にしても、
帽子に命をかけている。それをかぶることに誇りを感じている。)

映画を見終わったあと、「息子も危険な職業を選んだものだ」と、
少し、こわくなった。
心配になった。
その息子は、今週から、B-777のシミュレーション訓練に入った。
それが終わると、来年からは実機での訓練に入る。
映画の中でも、機長になるためには、10年以上かかるというような
セリフが出てきた。
息子は2009年1月で、5年目に入る。


●怨念の印パ紛争

インドのモンバイで起きた、ホテル襲撃事件では、日本人が1人、犠牲になった。
テロリストたちは、どうやらパキスタンからやってきたらしい。
これでまた、インドとパキスタンの関係はさらに悪化しそう。

カシミール問題を一言で言えば、「水源地問題」。
水がからんでいるだけに、ともに譲らない。
昔、パキスタン人のアーマド君が、そう教えてくれた。

急成長のつづくインド。
政治的混乱がつづくパキスタン。
パキスタンの過激派たちが、インドを混乱させ、それでもって、
インドの成長にブレーキをかけようしているなら、
これはとんでもない、お門(かど)違い。
そんなことをすれば、喜ぶのは中国だけ。


●大井川の上流は、かつては深海の底だった?

かつて大井川の上流は、かつて深海の底だったという(中日新聞)。
数千万年も前の話だが、「ヘエ~~」と驚くこと、しばし。

ということは、数千万年後には、日本列島は太平洋の日本海溝の
底に沈むことだって考えられる。
その話をすると、ワイフが「あら、たいへん!」と。

しかしそれは数千万年後の話。
それまで人類が生きていることなど、ありえない。
人類の歴史は、たかだか20~40万年。

気が遠くなるような話だが、たまには数千年前に思いをはせることも
楽しい。
「ほら、浜松の周辺にも、石灰岩でできた山があるだろ。つまり海の
貝や珊瑚などが蓄積されて、そういう山になった。
このあたりも、海の底だったかもしれない」と。

そう言い終わったあと、「本当にそうかな?」と思った。
石灰岩=海の底と、考えてよいのか。
あとでもう一度、調べてみることにする。

(付記)
ウィキペディア辞典によれば、石灰岩について、こうある。
「フズリナ(紡錘虫)、ウミユリ、サンゴ、貝類、石灰藻などの生物の殻(主成分は炭酸カ
ルシウム)が堆積して出来たもの」と。


●1月

この原稿から、09年1月号の原稿になる。
昨日、12月29日号の発行予約を入れた。
1月は、1月5日から。
実際には、1月2日(金)から、発行するつもり。

2009年は、どんな年になるのだろう。
自分なりに予想してみたい。

まず地球の問題。
温暖化による異常気象が、今年(08年)よりも
ひどくなるだろう。
新型インフルエンザが流行するかもしれない。
景気は、4月ごろから回復するというが、どうかな?
もう一度、ドサンと悪くなったあと、よくなるとしても、
7~8月以降ではないか。

オバマ大統領が誕生したあと、米朝関係は多少
よくなるだろうが、そのあと、急速に悪化。
金xxの健康も、そのあたりまで。

日本では民主党政権が誕生するだろう。
が、それですべてめでたしというわけではない。
難問、山積。
現在の自民党政権を受け継ぐのも、楽ではない。

我が家は、どうか?

現状維持ができれば、ありがたい。
しかし不況の風は、すぐそこまできている。
こういうときは、じっとがまん。
嵐が過ぎ去るのを、静かに待つ。
ジタバタすれば、かえって自ら墓穴を掘る。

息子たちの健康を祈る。
だれに対して祈るというわけではないが、祈る。

私たち夫婦は、どうか?
あまり自信はないが、健康第一。
肉体の健康+精神の健康+脳みその健康。
ここはたがいに励ましあって、生きていくしかない。

私はどうか?

ウ~~~ン?

私は前向きに生きていく。
うしろ向きな人生は、どうも私流ではない。
たとえば私の年代でも、墓地を用意したり、
家計図を作ったり、過去の友人を訪れあったりしている人たちがいる。
それぞれの人は、それぞれの思いがあってそうする。
もちろん、人、それぞれ。
私の生き方が正しいわけではない。
そういう人たちの生き方が、まちがっているわけでもない。
大切なことは、それぞれがそれぞれの生き方を、尊重すること。

その上で、私は私の生き方をする。
貫く。
私は墓地など、買わない。
家系図など作らない。
ただいつか、友人の消息をさがして回るようなことは、するかもしれない。
しかし今、ではない。
70歳とか80歳になったときに、それをする。

たとえば今、やりたいことが山のようにある。
今の私なら、オーストラリアやニュージーランドへ移住しようと
思えば、それも可能。
そういうことを、一度、真剣に考えてみたい。
ワイフはすでに、その気になっているが……。

とにかく生きている以上、生きていくしかない。
2009年になった以上、2009年を迎えるしかない。
08年の10月に、満61歳になった。
おまけの1年を、無事、過ごすことができた、
で、今は、おまけの2年目。

1日、1日を、感謝しながら、生きていく。


●9000万円を失った人

私の知人(友人ではない)に、今度のサブプライム・ローンショックにつづく
株価の暴落で、9000万円近くを失った人がいる。
「1億円が1000万円になってしまった」と。

少しおおげさな話に感じたので、確かめると、たしかにそうだった。
が、理由がよくわからない。
株式投資だけでは、そこまで損はしないはず。
信用取引にしても、いろいろなセイフティがかかっているはず。
が、話を聞くと、本当に株式投資で、損をしたらしい。

その知人は、どこかの○○セキュリィティ会社に、ほとんど全財産を
つぎこんでしまった。
俗にいう、「一本釣り」という手法である。
株価が下がれば、買う……下がれば、また買う……。
オーソドックスな株の買い方をつづけた。
それをズルズルと、1年近くもつづけた。
そしてその結果、株価が1年の間に10分の1になり、
1億円の財産が、1000万円になってしまった。

「ぼくは、セキュリィティ会社というのは、証券会社のことだとばかり
思っていた」と。

つまりセキュリィティ(警備保障)会社を証券会社とまちがえた(?)。
株の世界では、よくある話である。
しかしだからといって、それが理由ではない。
証券会社の株価だって、このところ、軒並み、値をさげている。

実は私も損をしたが、はじめから、上限を定めていた。
だから、その範囲での被害ですんだ。
一方、資産をこまかく分散していた。
債権投資で損をした分は、金価格の上昇で、補った。
が、この話をしたのが、いけなかった。

「ぼくは金の値段があがったから、プラスマイナス、ゼロになった」と話すと、
とたん、その知人は、情緒が不安定になった。

まずかった!
思慮が足りなかった!

「このヤロー」と、つかみかかってきそうな雰囲気になった。
別に、「ぼくは利口で、あなたはバカだ」と言ったつもりはなかった。
が、相手には、そう聞こえたらしい。

この世界には、金権教の信者が、たくさんいる。
そこにも、ここにも、たくさん、いる。
そういう人たちは、いつも「お金がすべて」という生き方をしている。
そういう人に向かって、私が言ったようなことを言うと、ここに
書いたようなことになる。

じゅうぶん、注意したほうがよい。

(注)
インターネットで調べてみたら、本当に、「○○セキュリティ」という
名前の会社が存在しているのがわかった。

株価もこの2~3年で、たしかに8分の1から6分の1程度にまで
さがっている。
しかしこの会社と、知人の損失とは、関係ない。
少なくとも、私は確認していない。
誤解のないように!


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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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