Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, February 18, 2009

*Feb. 2oth 2009

*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   18日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━¬¬¬¬¬――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page023.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●主夫願望

++++++++++++++++++

このほど家事検定実行委員会が行った
アンケート調査によれば、何と、「専業主夫に
なってもよい」と答えた男性が、30%弱
もいることがわかった。

驚くというよりも、日本も、20~30年遅れで、
欧米人の意識を追いかけているのが、この
数字でもわかる。

++++++++++++++++++

++++++++++++以下、ヤフー・ニュースより++++++++++

「主夫願望」が最も強いのは東京の男性……。家事の能力をめぐり、家事検定実行委員会
(東京)が行ったアンケート「家事力調査」から、こんな結果が分かった。一方、「好きな
家事はない」と答えた女性は、大阪がトップとなった。

 調査は平成20年(2008)11月、東京、大阪、愛知、北海道、福岡の5都道府県
に住む20~50代の既婚男女2080人を対象に、インターネットを通じて実施した。

 それによると、「専業主夫になってもよいと思うか」という質問に対し、全体の29・5%
の男性が「思う」と回答。地域別では、東京が31・2%で唯一、3割台にのった。

 男性の一日平均家事時間は地域別では、(1)北海道54・0分(2)大阪49・7分(3)
東京48・4分(4)福岡47・5分(5)愛知45・9分-の順。これを年代別でみる
と、東京の40代が69・8分と断トツだった。調査では、東京は、女性の有職率が最も
高くなっており、共働き世帯が多いことがうかがえ、働き盛りの男性には家事も重要な仕
事となっているようだ。

 ちなみに、「男性が家事をするのはかっこいいと思う」と答えた20代女性は72・7%。
若い独身男性の“婚活”に家事力は必須となりそうだ。

 食器洗浄機と洗濯乾燥機の所有率では、大阪がそれぞれ43・5%、35・6%(平均
32・4%、30・2%)と、いずれも1位だった。大阪の家庭は、家事の効率化に有効
な家電をうまく使っていることがうかがえる。

 ただ、「部屋掃除が嫌い」と答えた女性も大阪が35・1%でトップ。「好きな家事はな
い」という女性も大阪が22・1%で最も多く、実行委員会では「便利な家電で家事を効
率化している大阪人ですが、基本的に面倒なことが多い家事はあまり好きではないのかも
しれません」と分析している。

++++++++++++以上、ヤフー・ニュースより++++++++++

数字を整理してみる。

「専業主夫になってもよいと思うか」……29・5%
(この数値は、都会ほど、やや高い。)
「男性が家事をするのは、かっこいいと思う(20代の女性)」……72・7%

『男は仕事、女は家事』という、日本の伝統的な男女観が、今、大きく崩れつつある。

●家事をまったくしない世代

少し前だが、どこかの調査で、家事をまったくしない男性が、話題になった。
(話題にしたのは、私だけかもしれないが……。)
それによれば、約50%の男性が、家事をまったくしないということがわかった。

一方、10年ほど前、浜松市内の若い夫婦(20~30代)について調べたところ、
約35%の男性が、積極的に家事を手伝っていることがわかった。
(まったくしない男性も、35%、いた。)

こうした数字を並べてみると、「若い夫ほど、家事を手伝っている」ということに
なるが、その一方で、家事をまったくしない男性も多いということがわかった。
とくに私たちの世代は、そうである。
私も、オーストラリアへ渡ったころ(1970年)、向こうでは、夫が料理をしたり、
食事のあと、洗い物をしているのを見て、驚いたことがある。
しかしそれが今では、当たり前の光景になりつつある……と思っていたら、さらに
一歩進んで、「主夫業」!

●家事をしない世代

恐らく団塊の世代以上の世代の人たちには、主夫業などというものは、考えられない
だろう。
家事を手伝う、家事をするということすら、考えられないだろう。
何か特別な経験をした人なら、そうでないかもしれないが、私たちの世代は、
何もしないと考えてよい。

先日も実家の法事で、私がみなにお茶を出していたら、みなに、「あなたは喪主だから……」
とか、「あなたは男だから……」とか言われて、それを止められてしまった。
夕食の配膳のときも、そうだった。
「浩司さんは、座っていてください」と。

しかしそれこそ、世界の非常識。
この日本では、いまだにそういう非常識が、大手を振って、まかり通っている。

で、その一方で、こんなこともある。

自分の山荘をもったころのこと。
私はうれしくて、あちこちから客人を招いた。
一時は、本気で、民宿の経営者になりたいと思ったこともある。
旅館の売り物をさがしたこともある。
しかし、である。
1、2年もすると、それが苦痛になってきた。
とくに、同じ世代の男性諸君(失礼!)は、苦痛になってきた。

山荘へ来てくれるのはよいのだが、まったく、何もしない。
何も手伝ってくれない。
来たときから、帰るときまで、デンと座っているだけ。
本来なら、客が来てうれしいはずなのだが、そのたびに、疲労こんぱい。
「男は何もしなくていい」と。
今、そういう男性観が、急速に崩れつつある!

●息子も主夫

ということで、今、私の息子も、主夫業をしている。
妻が、日本でいう司法試験に合格し、今、大学のロースクールに通っている。
その少し前には、グーグル社への入社も考えていたが、妻の職業を優先した。
で、ラッキーなことに、息子は、同じ大学で、コンピュータ技師として採用された。

勤務時間はあってないようなもの、とか。
それで2人の子どもの世話と、家事一般は、息子の仕事ということになった。
私は、当初、そういう話があったときから、「いいことだ」と思った。
息子が主夫になることについて、まったく抵抗がなかった。
むしろ息子の妻(=嫁)の偉業に驚いた。
大学の法学部を出たわけではない。
しかも受験のための勉強を、半年あまりでやりこなしたという。
「みなは、1年以上かけて勉強するが、私は半年でした」と。

私は、家庭に入った母親でも、そういうことができるという、アメリカの
しくみに感動した。
日本では、まず考えられないことである。
つまり私たちがいう(主夫業)というのは、それを認める社会的背景があり、
また社会的必要性があって、成り立つ。

●変わる日本

もうこの(流れ)は止めることはできない。
今、この日本は、その大きな(流れ)の中にある。

こう書くと、兄弟の悪口にとらえる人もいるかもしれない。
しかしそれは、いまだに、日本の非常識でもある。
だからあえて書くが、昨年末に、実兄と実母をつづいて亡くした。
が、そのときほど、日本の社会に居座る、封建主義の亡霊を感じたことはない。

何かあるたびに、「あなたは本家(ほんや)だから……」「あなたは男だから
……」「あなたが跡取りだから……」という言葉が飛び交った。

結局、2人の葬儀で、x00万円以上の出費を強いられたが、(これでも
安いほうだそうだが……)、加えて仏壇の購入もあった。
そうした費用の分担については、親類はだれも助けてくれなかった。
実姉にしても、「私は女だから……」とか、「私は林家を出た身分だから」
とか言って、それで終わってしまった。

加えて家父長意識も強く、わずか数歳、年上というだけで、年長風を吹かしたり
する。
叔父風、叔母風というのもある。

(「終わってしまった」という表現は、適切でないかもしれないが、私はそう感じた。
また姉を責めているわけではない。
それがあのあたりの常識である。
姉は姉で、そういった常識に従っただけ。
さらにだからといって、私が不愉快に思っているわけではない。
ああした世界では、『長いものには、巻かれろ』式の生き方こそが、正しい。
いらぬ波風をたてることこそ、禁物。
お金も大切だが、それ以上に、人間関係のほうが大切。)

●みんなで変えよう

これから先、この(流れ)をみんなで加速させよう。
けっして後退させてはいけない。
頭の固い復古主義者たちは、たとえば武士道なるものを取り上げ、「武士道こそ、
日本が世界に誇る、精神的バックボーンである」(某、教師団体)などと説く。

それはそれだが、しかし武士道がもつ負の遺産に目を閉じたまま、一方的に
礼賛(らいさん)するのも、どうか?
危険なことでもある。
事実、「武士は……」がゆがめられ、戦時中は、それが戦時訓になっている。
「生きて虜囚の……」という、あれである。

今、「男だから……」「女だから……」という、『ダカラ論』は、(私は、そう呼んでいる
が……)、音をたてて崩れ始めている。
人間に男も、女もない。
日本人もやっとそれに気づき始めている。
すばらしいことだと思う。
私は、今回の調査で、そう感じた。

が、一言。
調査を、インターネットで行ったというところが、少し気になる。
インターネット世代、あるいはインターネットを積極的に活用している世代、
あるいは人は、まだ限られている。
50代、60代以上で、インターネットを日常的にしている人は、まだ少ない。
だからその点、この調査には、やや信頼性が欠けるのではないかと思う。
ケチをつけて、ごめん!

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
主夫 主夫業 男は仕事 だから論 ダカラ論 封建時代 負の遺産 武士道)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月13日(火曜日)

+++++++++++++++++++

何でも最近の宇宙構造論によれば、
この宇宙には、謎のダークマター(暗黒物質)が、
ぎっしりと詰まっているそうだ。

私たちが銀河だの、星だのといっている部分は、
宇宙の中でも、数パーセント(重量比)以下にすぎないとか。

ダークマターとはねエ……。
この宇宙には、私たちが知らない謎が、まだまだ
ぎっしりと詰まっているということらしい。
興味はあるが、「大海を前にして」(アインシュタイン)、
おじけづいてしまう。
これから先、いくら勉強しても、大海の一滴も、
理解できないだろう。

私ができることと言えば、いろいろな学者が書いた
解説書を読みながら、ホホ~と、感心することくらい
でしかない。

++++++++++++++++++++

●寒い

この宇宙は、その当初、ビッグバンによって誕生した。
この説を疑う人は、いない。
そのときのこと。
この宇宙の温度は、ほんの瞬間だが、10の32乗度K以上になったという。
(正確には、10のマイナス44乗分の1秒に、10の19乗ギガボルトになったという。)
とほうもない高温である。
そういう温度から見ると、10度とか、20度とか、さらに30度とか
いうのは、誤差の範囲。
誤差にもならない。
が、私たち人間は、その誤差にもならないような気温の中で、「寒い」とか、
「暑い」とか言っている。
今朝は、最低気温0度。
予報によれば、最高気温でも、8度程度という。
今までにない寒さである。
庭へ出たとき、その冷気が、ツンと身にしみる。

●宇宙のカビ

地球など、宇宙の中では、チリにもならない存在である。
太陽ですら、小型の星にすぎない。
そんな地球に住む人間を表現して、「人間は地球に生えるカビ」と書いた人もいた。

これに対して、「人間とカビはちがう」と思う人もいるかもしれない。
しかし宇宙という尺度から見ると、人間もカビも同じようなもの。
2メートルの身長でも、2ミリの長さでも、ちがいはない。

地球から太陽までの距離を、1天文単位という。
1天文単位は、約1億5000万キロ(正確には、1億4959万7870キロメートル)。
2メートルを1天文単位で割ると、1・3のマイナス10乗。
2ミリを1天文単位で割ると、1・3のマイナス13乗。
1・3のマイナス10乗も、13乗も、誤差の範囲。

実際、宇宙船などから見ると、人間など、どこにも見えない。
大きな都市が、かろうじて乾いたカビのように見える。
人間とカビを区別するほうが、おかしい。

●歴史

人間の歴史は、たかだか1万年。
時代的には、石器時代から新石器時代に入るころである。
そのころの人間は、そこらの動物とそれほどちがわない生活をしていた。

人間が今の人間のようになったのは、今から5500年ほど前のこと。
そのころ黄河流域に黄河文明が生まれ、今のイラクあたりに、メソポタミア
文明が生まれた。

一方、地球の歴史は、46億年。
人間の歴史を1万年として、46億年で割ると、2・1のマイナス6乗。
つまり100万分の2・1。
よく地球の歴史を、1枚の帯にたとえる人がいる。
それによっても、人間の歴史は、地球の歴史を、10キロメートルの長さの
帯にたとえるなら、たったの2センチちょっとということになる。
人間の祖先(原人)が地球上に生まれてから、50万年としても、ちがいはない。
瞬間の、そのまた瞬間にすぎない。

(ある科学サイトに、地球の歴史を50億年とすると、5000年は、
1万分の1とあった。
しかしこれはまちがい。
50億÷5000=100万。
つまり10のマイナス6乗、100万分の1が正しい。)

ともかくも、瞬間。

●物理の法則

総じてみれば、この世界は、誤差の世界ということになる。
物理学とて、例外ではない。

たとえばこんな話を聞いたことがあるだろう。
時速100キロで走っている電車から、前に向かって、
時速100キロで石を投げれば、(空気の抵抗がないと仮定すると)、
石は、時速200キロで、飛ぶことになる。

反対に時速100キロで走っている電車から、うしろに向かって、
時速100キロで石を投げれば、石は、そこで静止することになる。

しかし実際には、ほんのわずかだが、その数値には狂いがある。
反対に、光速でものが飛び交う世界を想像してみるとよい。
そういう世界では、ここでいうような物理の法則は、すべて崩壊する。

光速で飛ぶ宇宙船から、(実際には、光速で飛ぶ乗り物は不可能だが)、
前に向かって光速で石を投げたとしても、その石は、光速を超えること
はない。
反対のばあいもそうで、石はやはり、光速で、うしろに向かって飛んでいく。
そういう世界を前提にしてものを考えると、私たちの住むこの世界は、
誤差の(かたまり)ということになる。
つまり時速100キロだろうが、1000キロだろうが、光速の世界から
みると、あまりにも小さな値にすぎない。
時速1万キロでもよい。
あまりにも小さな値にすぎない世界であるがために、誤差がわからない。
わからないまま、それを不変の定理として使っている。

●時の流れ

時の流れにしても、そうだ。
たまたま今は、1秒が1秒として、カチカチと時が流れていく。
しかしこの「時」だって、アテにならない。
実際には、長く伸びたり、縮んだりしている。
が、全体として、長く伸びたり、縮んだりしているから、人間の私たち
には、それがわからない。
人間のDNAレベルの生命時計すら影響を受けるから、それでもって、
長生きしたとか、そうでないとか、それもわからない。

もしある人が光速の95%のロケットに乗って、1年間、宇宙を航行して
地球に戻ってきたとする。
これはあくまでも大ざっぱな計算によるものだが、そうすると、地球上では、
約7年間、過ぎていることになる。
10年間、宇宙を航行して地球に戻ってきたとする。
そのときは、地球上では、70年間、過ぎていることになる。

わかりやすく言えば、その人は、10歳しか歳ととっていないのに、地球上の
人は、70歳も歳をとっていることになる。

では、自動車ではどうか。
時速100キロで走ろうが、1000キロで走ろうが、変わりはない。
厳密に言えば、ほんのわずかだが、時間にズレが生ずるはず。
時速1000キロで走れば、その分だけ、時間がゆっくりと進む。
だが、それはあまりにも小さい値なので、わからない。
誤差にもならない。

●誤差の世界

……などなど。
私たちが住むこの世界は、あらゆる場面において、誤差の範囲ということになる。
空間にしても、時間にしても、また歴史にしても……。
こうして考えていくと、人間の存在がどんどんと小さくなっていく。
考えれば考えるほど、小さくなっていく。

が、だからといって、人間がつまらないとか、そういうことを言っているのではない。
むしろ逆。
冒頭に書いた、ダークマター(暗黒物質)にしても、今、それを解明しようと
多くの科学者が懸命になっている。
その一部を発見しただけで、ノーベル賞をもらった学者も多い。
私は、そこに人間の力というか、生きる力というか、尊さを覚える。

そして同時に、こんなことも考える。
そんな人間が、点にもならない小さな点で、そして星のまばたきにもならない、
その瞬間に、いがみあったり、戦争をしたりしている。
その愚かさというか、つまらなさを覚える。

私が知りえた範囲によれば、死ねば、この世もろとも、意識は消える。
天国や極楽、さらには、来世、あの世などというのは、存在しない。
繰り返すが、死ねば、この世もろとも、意識は消える。
そして「私」は終わる。

だからあのアインシュタインは、こう言った。
『この世は、すべて奇跡』と。
その奇跡を生かすか、殺すか、それはすべて私たちの生き方にかかっている。

●この世があの世?

そこで考えるのが、「この世があの世」論。
実は、この世こそが、あの世ではないかということ。
もし(あの世)なるものが、あるとすれば、の話だが……。

あの世は、私が想像するところ、実に殺風景で、つまらないところ。
すべての人が善人で、トラブルを起こす人は、だれもいない。
そんな中、あの世の人たちは、時としてこの世にやってきて、人間の生活を楽しむ。
つまり(この世)という、ありえない世界で、生き物であることを楽しむ。

根拠がないわけではない。

冒頭に宇宙構造論を取り上げた。
その宇宙構造論によれば、これもまた定説として疑う人はいないが、
私たちが住む、この大宇宙は、今の今も膨張しつけているという。
そこでこの大宇宙をながめてみると、この大宇宙の端にある銀河は、(星ではない、銀河
だぞ)、光の速さで、この太陽系から遠ざかっているそうだ。

「光の速さ以上で移動する物質はありえない」という世界にありながら、実は
光の速さ、あるいはそれ以上の速さで遠ざかっているという。
この矛盾を、どう考えたらよいのか。

本来なら光の速さで遠ざかっているのだから、光はこの太陽系(銀河系でもよいが)
には、届かないことになる。
しかしそこは(光)。
宇宙創生期の光も、私たちは、見ようと思えば見ることができる。
しかしこのことを反対に考えれば、この太陽系は、その銀河から見れば、同じように
光の速さ、もしくはそれ以上の速さで、遠ざかっていることになる。

わかるかな?

向こうが遠ざかっているということは、向こうから見れば、私たちのほうが、
遠ざかっていることになる。
こちらから見れば、向こうの世界がありえないというのなら、向こうから見れば、
こちらの世界のほうが、ありえない世界ということになる。

この矛盾を、どう考えたらよいのか。
だから……というわけでもないが、私は、この世が、あの世でも構わないと思っている。
何もこの世がこの世であり、あの世が別にあると考えるほうが、おかしい。

……とまあ、奇想天外なことを書いたが、実は、ここに生きていることのすばらしさが、
隠されている。
この世は、不完全で、だらしないが、この不完全で、だらしないこと自体が、すばらしい。
人間の、そして動物の無数のドラマも、そこから生まれる。
大切なのは、そのドラマ。
そのドラマが、生きることを潤い豊かで、楽しいものにしてくれる。

それがこのエッセーの結論ということになる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月14日

+++++++++++++++++

正月中の運動不足を解消するためもあった。
体重がややリバウンドし始めたこともあった。
で、運動ということになった。

この10日間、ふだんより2倍の運動をした。
1日おきに、10キロ近く歩いた。
毎日、1~4キロは、ランニングをした。
それに加えて毎日、サイクリングを、2単位。
(1単位は、40分。)

おかげで体は快調。
数日前だが、自分の体が、ウソのように
軽くなっているのを感じた。
何をするにも、スタスタと動くといった感じ。

うれしかった。

で、改めて再確認。
「運動はしなければならない」と。

それにもうひとつ学んだ。
「体の重さを、歳のせいにしてはいけない」と。

++++++++++++++++++

●横浜

今日はこれから横浜へ行ってくる。
仕事で行くのだが、終わったあと、息子に会えるのが楽しみ。
いっしょに食事をすることになっている。


●パソコン

このところ用もないのに、パソコンショップをのぞくことが多くなった。
お目当ては、E社のミニ・パソコン。
10インチモニターつきで、現在の価格は、6万4000円前後。
ひととおりいじったあと、いつも「近く買ってやるからな」と、声をかけている。


●悪夢

今朝、こんな夢を見た。
どこへ逃げても、一匹の子犬が追いかけてくる。
頭のよい犬で、いつも先回りをして、そこにいる。
私とワイフは、タクシーに乗って逃げる。
「ここならいいだろう」と思ってタクシーをおりると、
やはりその犬はそこにいる。
ゾーッ!
言うなれば、ストーカー犬。
しかしそれにしても、頭のよい犬だった。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●秒速30万キロ以上?

++++++++++++++++++++

素朴な疑問。
こんな質問をすると、その道の専門家に笑われるだろう。
「あんたも、バカね」と。
しかしこんな疑問が、心をふさぐ。

++++++++++++++++++++

たとえば(A)点から、秒速20万キロで遠ざかっている星があったとする。
その真反対の方向に、秒速20万キロで遠ざかっている星があったとする。

わかりやすく説明しよう。名古屋駅から京都に向かって、時速200キロで
走っている新幹線があったとする。
同じ名古屋駅から、東京に向かって、時速200キロで走っている新幹線が
あったとする。
このばあい、2つの新幹線は、たがいに時速400キロで遠ざかっていることになる。
(あくまでも平面で、互い一直線に京都→名古屋→東京が並んでいるばあいだが……。)

同じように、先の2つの星は、20万+20万で、たがいに40万キロで遠ざかって
いることになる。

そこで一方の星から他方の星を見ると、他方の星は、秒速40万キロで遠ざかって
いることになる。

宇宙には、(起点)も(終点)もないわけだから、こちらの星を起点にすると、
相手の星は、秒速40万キロで遠ざかっていることになる。
(宇宙では、あらゆる点が起点であり、あらゆる点が終点という。
地球上に起点や終点がないのと、同じように、だ。)

光速より速く進む物体は、ありえないわけだから、この現象を、どう説明したら
よいのか。
光の速さを秒速30万キロとしても、10万キロもオーバーしている。

が、不思議なことに、ここからがまたまたわからないところだが、秒速40万キロ
で遠ざかっている星は、こちら側には、見えないことになる。
が、実際には見えるという。
(あるいは見えないのか?)
ニュートン力学は、この宇宙では、つぎつぎと否定される。

どうしてだろう。
この謎をどう考えたらよいのだろう。

ひとつの仮説だが、やはりこの宇宙には、(中心)があるということ。
どこかわからないが、どこかにあるということ。
が、今までいろいろな本を読んできたが、(宇宙の中心)という言葉には、
出会ったことがない。
(これは私の不勉強によるものかもしれないが……。)

さらに言えば、宇宙が平面と考えるから、こういう矛盾が生ずる。
そこで宇宙が、凸面、あるいは凹面にゆがんでいると考える。
つねに毎秒30万キロ以上、相互に離れないような宇宙を考える。
そう考えないと、この矛盾を解くことはできない。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●横浜

+++++++++++++++++++

たった今、横浜駅で、息子と別れたところ。
今は、新幹線の中でこの文章を書いている。

「横浜は暑い」。
それが横浜の印象。
都会には、都会の熱気というものがある。
地方にはない、熱気である。
厚いコートを着て、マフラーをして、手袋をはめている
自分が、バカに見える。
しかし寒いよりは、暑いほうがよい。
私は子どものころから、寒いのが苦手。

++++++++++++++++++++

●都会

横浜は大都会。
大都会というより、東京そのもの。
昔、オーストラリアから来た友人がこう言った。
「日本では、駅と駅の間が、離れていないのが不思議」と。
つまり都会がそのまま連続して、隣の東京につながっている。

そう言えば、2年前に来た友人も似たようなことを言っていた。
「日本では、木と木の間にすき間がないのが、不思議」と。
木と木がくっついているのが、不思議、と。

その私だが、息子との関係もあって、横浜が好き。
息子が大学生のときから、縁がある。
その、息子は今、羽田に住んでいる。
帰りに、みやげに、横浜のシューマイを買った。
横浜へ来ると、みやげはいつも、シューマイ。
この習慣は、40年以上、変わっていない。


●東洋医学

若いころ東洋医学に燃えた。
そのころ私は、西洋科学的なものの見方が定着していたので、
東洋医学は、衝撃的だった。
以来、10数年、私は東洋医学の虜(とりこ)になった。

本も何冊か、書いた。

しかし記憶では、37歳のときに、筆を折った。
数冊の本を残して、それまでに買い求めた本は、すべて捨てた。
以来、東洋医学とは、ほとんど縁がない。
ないまま、20数年が過ぎた。

が、私のことを覚えてくれている人が何人かいることを知った。
失った過去かもしれないが、そういう人に出会うと、その過去が戻ってきたようで、
うれしい。

というのも、私はある時期まで、東洋医学に身を染めたことを後悔した。
7年間もかかって書いた本もある。
東洋医学・経穴編という本がそれである。
当時の私は、時間を無駄にしたという思いを、振り切ることができなかった。
いろいろ理由はある。
あるが、それを書いても、意味がない。
どうせグチになるだけ。

で、今日、その本をもとに、新しい企画の話で、横浜へ行ってきた。
何でも、経穴の位置を押すと、音と映像で、その場所を示したり、その経穴
の効用を示したりする。
そういう装置の開発だそうだ。

G社で教材を開発していたころの自分を思い出す。
楽しかった。
ああ、私は企画屋だった。
いろいろな話をしながら、そんな自分を思い出した。
20代のころは、日テレの『11PM』や、NETの『アフターヌーン・ショー』
という番組の企画を書いていた。
『3時のあなた』というのも、あった。
テレビ局の名前は忘れたが、フジテレビだったか(?)。
番組の名前すら、覚えている人は、今では、ほとんどいないが……。

企画ほど、楽しい仕事はない。
夢がそのまま実現する。
しかしお金にはならない。
アイデアの世界だから、アイデアはアイデアのまま終わってしまう。
著作権で保護されない世界。
それが企画の世界。


●夕食

息子と、横浜駅にあるレストランで、会席料理を食べた。
あの会席料理という料理は、いつ食べてもそうだが、食べたという実感が
ないまま、終わってしまう。

今朝のことだが、私は、白いご飯に、かつお節の削り粉をのせ、醤油をかけて
食べた。
俗にいう(ネコ・マンマ)というのである。
私には、ああいう料理のほうが、性(しょう)に合っている。
またああいう料理のほうが、(料理と言えるかどうかわからないが)、お・い・し・い。

一人前、3500円。
息子も、きっとどこかで、夕食を食べなおすだろう。
私も家に帰って、食べなおすつもり。

ハハハ。


●激ヤセ

私の知人に、85~88キロ台から、72キロ前後まで、激ヤセした人がいる。
本人は、「散歩をして、やせた」と言っている。
年齢は66歳。

で、私もそれに倣(なら)って散歩を始めた。
たしかに効果はあるようだ。
が、しかし最低でも10キロ前後は歩かないといけない。
それもときどきでは、効果はない。
その知人は、どれくらいの距離を、またどれくらいの頻度で歩いたかは知らない。
しかしそれにしても、80キロ台から70キロ台にしたのは、すごい。
よほどの覚悟と意志がないと、なかなか達成はむずかしい。

が、その一方で、(もちろんその知人がそうというわけではないが)、すい臓がんや、
前立腺がんという恐ろしい病気もある。
そういった病気では、激やせに似た症状が出るという。
たとえばすい臓がんのばあい、激やせに併せて、突然、糖尿病になったりするそうだ。
前立腺がんのばあいは、無症状のまま10年単位で、過ぎることもあるそうだ。
が、元来、おとなしいがんで、それほどあわてなくても、よいとのこと。
少し前、日本でも有数の、権威のあるドクターと会食をさせてもらった。
そのドクターがそう言っていた。

その知人は、「散歩で……」と言っているが、しかし散歩だけで、そんなに
やせるものだろうか。
心配がないわけではない。
ないが、しかし当然、そういった検査もしているだろう。

で、私のことが、正月に三日酔いをしている間、2~3キロやせた。
3~4日間、ほとんど何も食べなかった。
それで減量成功!

あとはこの体重を維持するだけ。
しかしそれにしても、おなかが、すいたナア……。


●新幹線

今は静岡駅を出て、つぎの浜松駅に向かっている。
一度、三島駅で乗り換えた。
三島駅から、静岡、浜松にも止まる、「ひかり」。

新幹線の運行も、わかりにくくなってきた。
サービスの向上というよりは、効率の向上をめざした(?)。
つまり東京→三島行き(三島止まり)をつくり、そのあと、三島→静岡→浜松でも止まる
ひかりを走らせる。
なかなか頭がよい。

計算づくというか、巧妙。
つまりこうすれば、どの列車も、乗車率80%前後を確保できる。
客からの文句も、出ない。


●夜行列車

夜行列車には、独特のムードというか、哀愁が漂う。
10年前もそうだったし、20年前もそうだった。
今も、そうだ。

窓の外の景色をながめていると、つんとした孤独感を覚えることもある。
暗闇の中を、細い光だけが、つぎつぎと現れては消える。
それをぼんやりとながめていると、人生そのものを感ずる。

で、こうした景色を見られるのも、あと何年だろう。
10年か?
運がよければ、20年か?

若いころは、東京へ行くことには、いつも夢が伴った。
しかし今は、ない。
「今さら……」という気持ちが、先立ってしまう。

そう言えば、数か月前、同じ横浜で、ラジオ日本で、トーク番組を作らせて
もらった。
そのときのディレクターが、ふとこんなことを漏らした。
「あと20年、早く知り合いになればよかったですね」と。
つまり私の年齢で、ラジオ番組にデビューするのは、遅すぎる、と。

もっとも私にはその気はまったくなかった。
そのディレクターの言ったことは、そのまま聞き流すことができた。
「今さら有名になったところで、それがどうした!」と。

それよりも大切なことは、今の自分を燃焼させること。
知りたいことは、まだ山のようにある。
そのための時間は、あまりにも短い。
(少し、肩に力が入りすぎているかな……。)


●帰宅

帰るべきところがあるというのは、よいこと。
帰ることができるところがあるというのは、よいこと。
「家族」というのは、それをいう。

今日も一日、終わった。
完全燃焼とまではいかなかったが、やるべきことはした。
そう言って、自分をなぐさめる。

明日から、またがんばろう。
そうそう、明日もまたワイフと10キロ、歩くつもりでいる
……ワイフときたら、足が痛いくせに、こう言った。
「10キロくらい、平気よ。何でもないわ」と。

私も負けず嫌いだが、ワイフは、もっと負けず嫌い。
明日は、どうかな……?


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

【代理ミュンヒハウゼン症候群】(追記、090115)

+++++++++++++++++

私は、代理ミュンヒハウゼン症候群について、
すでに4、5年前から、書いてきた。
そのこともあって、このところBLOGへの
アクセスが急増している。
たとえば「はてなBLOG」のばあい、
どういう検索ワードを使って、そのBLOGへ
アクセスしてきたかが、一覧表になって示される。
その中でも、とくにここ1か月ほど多いのが、
「代理ミュンヒハウゼン症候群」。

その代理ミュンヒハウゼン症候群については、
すでにたびたび書いてきたので、ここでは
省略する。
ここでは、その先というか、中身を考えて
みたい。

+++++++++++++++++++

●殺意の認定

刑法上、代理ミュンヒハウゼン症候群が問題になるのは、(1)殺意の認定、(2)それに
つづく実行行為、そして(3)結果として、何らかの結果(殺人、傷害)などの結果が起
きたばあいである。

殺意だけでは、殺人罪の構成要件には該当しない。
よく知られた例に、「わら人形」がある。
いくらその人が、だれかを憎み、毎晩わら人形を神社の柱に打ちつけたとしても、殺人罪
で起訴することはできない。

が、何らかの実行行為が伴ったとき、たとえば刃物を買って、そのだれかに襲いかかった
ようなケース。
今度は、その時点で相手に何ら危害がなくても、殺人未遂罪が適応される。
が、こういうケースもある。

殺意はあいまいだが、しかし実行行為があり、結果として致傷、あるいは殺人につながる
ようなケースである。
こうしたケースでは、「未必(みひつ)の故意」が適応される。
「相手に危害を及ぼうそうという積極的な意思はなかったが、しかしその可能性は予見し
ていた」というようなケースである。
それに対して、まったくその意思がないばあいは、過失致傷罪、過失致死罪が適応される。

●代理ミュンヒハウゼン症候群

岐阜県関市の1人の母親が、今、代理ミュンヒハウゼン症候群による行為障害者ではない
かと疑われている(08年12月~)。
実の娘の点滴の中に、腐った水などを混入し、よってその娘の病気を長引かせたという。
(ほかの娘たちを死に至らしめたという疑いもかけられているようだが……)。

この事件で注意しなければならないのは、動機が何であれ、もちろん代理ミュンヒハウゼ
ン症候群によるものであるかどうかも含めて、それ自体は、刑法上は、問題とされないと
いうこと。
仮に虐待によるものであるとしても、「虐待罪」で問われることはない。
「虐待罪」そのものが、存在しない。
同じように、「代理ミュンヒハウゼン症候群罪」という罰則が、刑法上にあるわけではない。

しかも、代理ミュンヒハウゼン症候群といっても、その多くは目立った虐待を伴わない。
たまたま病弱な子どもがいて、その世話を、かいがいしくして見せながら、「いい母親」「す
ばらしい母親」を演ずることもある。

つまり代理ミュンヒハウゼン症候群というときは、第三者に向かって、「私はすばらしい人
間である」ということを印象づけるのを目的とする。
みなに、「あなたはよくできた人だ」「すばらしい人だ」と、同情される。
同情されることによって、自分の立場を作りあげる。

そのため代理ミュンヒハウゼン症候群といっても、対象となる被害者は、子どもとはかぎ
らない。
親や兄弟、ということもある。
また舞台は、何も病院とはかぎらない。
家庭や施設などでもある。
またこうした行為は、秘密裡になされることが多い。
今回、岐阜県関市で起きた事件についても、その女性の夫は、妻をかばっている(?)。
「信じられない。精神的に混乱していたのではないか」(中日新聞)と。
さらに「(警察に)誘導されてしまったのではないか」(同)と、むしろ警察の捜査に不信
感を表明している。

(新相はこれから明らかになるだろうが……。)

それほどまでに、その女性の行為が巧みだったのか、それとも、夫が無知無学なのかはわ
からない。
あるいは夫が弁明しているように、事件そのものが、警察によるでっちあげなのかもしれ
ない。
しかし一般論として、代理ミュンヒハウゼン症候群かどうかは、きわめてその身近にいて、
またその知識がないと、わからない。

●ある女性のケース

ある女性(当時60歳くらい)は、明らかに実の父親を虐待していた。
その数年前、父親は脳梗塞を起こし、体の運動もままならなくなっていた。
いちばん近くに住んでいた娘の家に、引き取られることになった。

食事をこぼす。
便をもらす。
ものを不注意で壊す、など。
そのつどその女性は、父親をはげしく叱った。
ふつうの叱り方ではない。
ヒステリックな金きり声をあげて、叱った。

こんなこともあった。
家で遊ばせておくのは、もったいない(?)ということで、父親に内職をさせたこともあ
る。
簡単な仕事だったが、半身不随の父親には、できるはずもない仕事だった。
が、その父親は、その女性(実娘)が命ずるまま、その仕事をこなした。
が、ある日、何があったのかは知らないが、父親は、その仕事(電気部品)を、家の前を
流れる小川に投げ捨ててしまった。
その女性は、激怒した。
それ以後、食事は、ほぼ3食、ごはんと味噌汁だけ。
ときにごはんと、魚を焼いたようなものだけ。
ベッドを汚すからという理由で、父親は紙おむつをあてがわれていたが、その紙おむつを
取り替えないということも、つづいた。

……という話なら、今では、どこにでもある。
珍しくない。
またこれだけなら代理ミュンヒハウゼン症候群という言葉は出てこない。

代理ミュンヒハウゼン症候群といわれるためには、つぎの行動、つまりそれを利用して、
ことさら自分の立場をつくるという行為が必要である。
他人から、「あなたはよくやっている」「すばらしい人だ」と思われることで、自分の立場
をつくる。

こうして内々では、父親を虐待しながら、外部に向かっては、自分はすばらしい女性であ
ることを、演技した。
たとえば親類、あるいは実の妹や弟がその父親を見舞いにやってきたりすると、やさしく
て思いやりのある娘を演じて見せたりした。
ベッドに横たわる父親の横に、片時も離れず、ずっといた。
(実際には、自分の虐待を、父親が話すのを恐れて、離れることができなかったのではな
いか?)
そしてそのつど、父親の背中をやさしくさすってみたり、口に飲み物を含ませたりしてい
た。
そして見舞う人に対しては、長々と、そしてくどくどと、その苦労話を言って聞かせたり
した。
もちろん(?)、そのときだけは、父親に、洗濯のゆきとどいた、清潔な服を着せたりして
いた。
弟や妹が何もしないことを、それとなく訴えた。
(実際には、弟と妹は、それぞれ毎月5万円ずつ出しあって、その女性を助けていたのだ
が……。)
で、見舞いに行った人は、みな、こう言った。
「あのXさん(=女性の名)は、すばらしい女性だ」「仏様のような人だ」と。

●代理ミュンヒハウゼン症候群

さらに注意しなければならないのは、程度の問題もあるということ。
浜松市内の病院に勤務する精神科のドクターが、最近、こう教えてくれた。

「代理ミュンヒハウゼン症候群で、精神科へやってくるような患者は、明らかに様子がち
がうから、それとわかる」と。
つまり様子からして、ふつうではない、と。
また今回の事件のように、明白に、殺意が感じられる行為があったばあいのみを、代理ミ
ュンヒハウゼン症候群としているとのこと。
またそれがないばあいには、代理ミュンヒハウゼン症候群としては扱わない、とも。

そこで私が、「しかし治療法など、ないでしょう? どうするのですか?」と聞くと、その
ドクターは、あっさりとそれを認めた。
「ないから、10年単位のカウンセリングということになります」と。

で、岐阜県関市の女性が起こした事件が、代理ミュンヒハウゼン症候群と決めつけてよい
かどうかは、今のところ不明である。

新聞の報道などでも、「専門家の中には、代理ミュンヒハウゼン症候群によるものではない
かと疑う人もいる」というような書き方をしている。
それもそのはず。
刑法上にも、代理ミュンヒハウゼン症候群罪という罪があるわけではない。
刑法上では、あくまでも未必の故意、もし殺意の認定がされれば、殺人罪、もしくは殺人
未遂罪で、当の女性を訴追するしかない。

また精神医学の分野でも、人格障害、もしくは行為障害として、治療に当たるしかない。
代理ミュンヒハウゼン症候群というのは、あくまでもその中の類型のひとつにすぎない。
(繰り返すが、「代理ミュンヒハウゼン症候群」というのは、診断名ではない。
あくまでも類型名でしかない。)

●刑法上の罪vs精神医学上の診断名

わかりやすく言えば、他人の同情を買い、それでもって自分の立場をつくり、そのために
必要とあれば、虐待をともなう一連の行為を繰り返すことを、「代理ミュンヒハウゼン症候
群」という。

今回は対象となった相手が、実の子どもであった。
点滴の中に、腐った水を混入させた(?)。
しかし殺す目的があったというよりは、(よくできた、すばらしい母親)を演ずるために、
そうした(?)……、という点で、「代理ミュンヒハウゼン症候群」が疑われている。

報道されている事実だけからすると、先にも書いたように、刑法上では、未必の故意によ
る殺人未遂罪が適応される可能性が高い。
が、そこまで。

繰り返すが、「代理ミュンヒハウゼン症候群罪」というのは存在しない。
「代理ミュンヒハウゼン症候群」というのは、また病名ではない。
診断名として確立しているわけでもない。
診断名として確立するためには、診断基準が示されなければならない。
さらに言えば、治療法が確立されているわけではない。

が、つぎのことだけは、覚えておくとよい。

●新しい虐待

教育の世界で、代理ミュンヒハウゼン症候群が問題になり始めたのは、ここ4、5年のこ
とと考えてよい。
「どうもおかしい?」というケースが、児童相談所の相談員の間から、聞こえ始めたのも、
そのころである。
それに並行して、「新しいタイプの虐待」、もしくは「新しい虐待」という言葉も使われる
ようになった。

うわべでは、たいへんよい母親に見えるのだが、子どもに虐待された痕跡が見られる。
怪我や病気を繰り返す。
子どもの病院通いがつづく。
が、母親に会って面談すると、おだやかで、やさしい。
が、どこか一貫性がない。
つかみどころがない。
そのつど質問すると、母親はペラペラと、言い訳したり、とりつくろったりする。
子どもの世話について、苦労話を、あれこれする、などなど。

「一貫性がない」というのは、行動や言動が、ちぐはぐなことをいう。
一方で献身的で、自己犠牲的な母親を演じながら、それでいて、学校でのボランティア活
動などには参加しない。
子どもの病気については、涙をこぼしながら話すにもかかわらず、治療費を滞納する。
教師が病院へ行くと、やさしい母親を演じて見せるが、近所の子どもの話では、毎晩その
母親の怒鳴り声が聞こえる、など。

さらに言うことが、そのつど変化する。
たとえば「治療費がたいへん」とこぼすから、学校側が、児童保険の適用を申請する。
が、つぎの相談では、今度は、勉強の遅れを問題にする、など。
「そのつど、話の内容がころころと変わるからたいへんでした」と、それを話してくれた
教師は、そう言った。

●見かけにだまされない

代理ミュンヒハウゼン症候群にかぎらず、母親というのは、見かけだけで判断してはいけ
ない。
天才的に、演技がうまい母親(女性)も多い。
うまいというより、ふつうの人なら、まず、だまされる。
岐阜県関市で起きた事件にしても、先にも書いたように、そばにいる夫は、まったくそれ
に気づいていなかったようだ。

私も最近、それらしいケースに遭遇したことがある。
そこでそれとなくその夫(=子どもの父親)に、打診してみたが、その夫は、私の話の一
部さえ聞こうとしなかった。
そのまま激怒してしまった。

またこれはあくまでも私の印象だが、当の女性ですら、自分のしている行為が何であるか
もわかっていないのではないかということ。
もちろん虐待しているという意識はない。
つまり病気でいえば、「病識」そのものがない。
「私は正しいことをしている」「私はすばらしい母親(娘、嫁)である」と、自らをそう信
じ込ませている。

したがって一連の自分の行為についても、罪の意識はまるでない。
(どこかに罪の意識が残っていれば、まだ話もできるのだが……。)
そういう点で、先に、精神科のドクターが言ったように、「明らかに、おかしい」という状
態になる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
代理ミュンヒハウゼン症候群 代理ミュンヒハウゼン 虐待 子供の虐待 行動障害 行
為障害 人格障害)

【付記】(1)

良好な人間関係の構築ができない人は、(1)攻撃型、(2)服従型、(3)依存型、(4)
同情型のいずれかのパターンをともなった、行動に出る。
代理ミュンヒハウゼン症候群は、この中の、(4)同情型ということになる。
他人に同情してもらうことにより、自分の立場を確立する。

よくあるケースが、人に会うたびに、自分が病気であり、体が弱いことを訴えるもの。
弱々しく、今にも死にそうな声で、相手に訴えかけることもある。
話すことといえば、自分の病気のことばかり。
さらにそれが進むと、自傷行為をともなうこともある。
わざと壁に頭をぶつける、わざと高いところから飛び降りる、わざと道路でころんでみせ
る、など。
そういう行為をすることで、他人の同情を引き寄せる。

私は「同情」をつぎの3つのパターンに分類する。

(1)自己同情型(弱々しい自分を演ずるという意識がないまま、演ずる。)
(2)代理ミュンヒハウゼン症候群
(3)自傷型(本能的な部分で、衝動的に行動するので、自己管理能力が機能しない。)

どうであるにせよ、意図的な行為というよりは、無意識下の行為であるため、本人に客観
的にそれを自覚させることは、たいへん難しい。

先にあげた父親を虐待しながら、その一方で、すばらしい娘を演じている女性にしても、
当の本人は、演じているという意識もないのではないか。
ごく自然な行為(?)として、それをしている。
またそれを指摘すると、(実際には指摘できないが)、たいていこのタイプの女性は、烈火
のごとく怒り出す。
「私がこんなに苦労しているのに!」と。
実際には、結局はその人が世話や介護をするしかないという状況があり、ある一定の範囲
にある間は、代理ミュンヒハウゼン症候群が疑われても、黙認する。

一般的には、代理ミュンヒハウゼン症候群というと、女性の問題と考えてよい。
圧倒的に、女性によるケースが多い。
ミュンヒハウゼン氏というのは、男性だったが……。

【付記】(2)

こうした代理ミュンヒハウゼン症候群と自ら闘うためには、自己の文化性を日ごろから高
める。
音楽を聴いたり、本を読んだりする。
より高度な人と接し、より高度な情報を吸収する。
そういう行為を繰り返して、自己の文化性を高める。
もちろん良好な人間関係の構築に努める。
小さな殻(から)の中に閉じこもり、そこで自分の(ゆがみ)を極端化させるのは、たい
へん危険なことと考えてよい。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                      
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m~= ○
.       ○ ~~~\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================