Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, July 10, 2010

●子どもの盗み、一考

●子どもの「盗み」vs.親心(Regarding: Children's Stealing)

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子どもの自立。
その三種の神器。
それが、ウソ、悪口(悪態)、それに盗み。
奨励せよというのではない。
そういうことがまったくできないほどまで、
子どもを押さえつけてはいけないということ。

子どもは、ウソをついたり、悪口を言ったり、
あるいは盗みをしたりして、おとなの優位性を
打破しようとする。
わかりやすく言えば、自立の第一歩。
その第一歩として、ウソを言ったり、悪口を
言ったり、あるいは盗みをしたりする。

たとえばウソ寝、ウソ泣きがある。
満2歳ごろから始まる。

その「盗み」について、一考。

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●はげしい相続財産争い

 M氏(65歳)は、母親(93歳)がなくなったあと、兄弟姉妹との間で、相続に
からんで、はげしい遺産争奪戦を繰り返した。
毎週のように玄関先で、大声で怒鳴りあったという。
たまたま母親が残した農地が、大規模土地開発の一角に組み込まれ、数億単位の宅地に
変身した。

で、結局、その農地は転売され、4人の兄弟姉妹で均等に分けることになった。
が、それ以後、兄弟姉妹の行き来は、完全に途絶えた。

 こうした話を聞くと、ではいったい、遺産とは何か、そこまで考えてしまう。

●子どもの盗み

 先にも書いたように、子どもは、ものをよく盗む。
親のサイフからお金を盗むことにはじまって、中には金庫や、親のカードを使って、
お金を盗む子どももいる。
そういうとき親は、全人格を否定されたかのように、子どもを叱る。
たいてい、狂ったように、子どもを叱る。
少なくとも、盗みを黙認する親はいない。
が、そこでちょっと、待ったア!

 若い親と年配の親とでは、基本的な部分で考え方が大きく異なる。
私も若いころは、息子たちがそういう行為をすると、かなりはげしく叱った。
しかし歳を取ると、少しずつだが、自分の中に変化が生じてくるのを知った。

若いころは、「しつけ」という点で、はげしく叱った。
が、歳を取るにつれて、少し変わってきた。
「どうせ息子たちの財産ではないか」と考えるようになった。
さらに歳を取ってくると、「相続争いをするよりはよい」と考えるようになった。

●M氏の母親の立場

 冒頭にあげたM氏の話を、もう一度、考えてみよう。
M氏の立場で、ではなく、M氏の母親の立場で、である。
もしあなたがM氏の母親なら、自分の息子や娘たちの相続争いを、どのように考える
だろうか。
どのように見るだろうか。
あるいは、「バカな争いをしているな」と、笑ってすますことができるだろうか。
あなた自身のこととして、一度、考えてみてほしい。

が、私なら、息子たちにこう言うだろう。
「やめろ!」と。
「見苦しい喧嘩は、やめろ!」と。
そして財産を残したことを、心底、後悔するにちがいない。

 つまりそういうこともわかるようになってくるから、歳を取ると、「盗み」に
ついての考え方も、当然変わってくる。

●金銭的な損得論

 損か得か。
金銭的価値に置き換えるなら、子育てほど、損な作業はない。
学費にしても、子どもによっては、1千万円単位の金(マネー)がかかる。
で、それだけの学費をかければ、子どもはそれなりの知的財産を身につけることになる。
医師や弁護士になれば、それなりの高額の報酬を手に入れる。
が、こと親に関して言えば、それだけの見返りは、まずない。
とくにこの日本ではそうで、時代も変わった。
私たちが20代、30代のころ、「仕送り息子」は、どこにでもいた。
私自身もそうだった。
毎月、収入の何割かは、実家へ仕送った。
が、今は、いない。
さがしてもいない。
今では、息子や娘の婚姻費用、新生活の支度金まで、親が出す。
そういう時代になった。

 そういうことが現実に繰り返されるようになると、「何が盗みか」ということになる。
もう少しわかりやすく説明してみよう。

●無駄?

 金銭的な意味では、子育ては「損」。
「損」の連続。
その「損」を重ねるうちに、損が何であるか、それさえわからなくなる。
たとえば私の息子たちにしても、途中で何度か進路を変更している。
そのつど、それまでの学費が無駄になったりした。
また二男にしても、三男にしても、昔でいう養子以上の養子になり、先方の土地に
住みついてしまった。
私が住む地元に戻ってくるなどという意思は、みじんもない。
ワイフの話によれば、私たちの葬式にさえ来ないだろう、と。
そうなってくると、金銭への執着心にも変化が見られるようになる。
どこか、投げやりに近い気分になる。
「どうでもなれ!」と。

●団塊世代の悲哀

 たまたま今夜も、タクシーの運転手とそういう話になった。
年齢を聞くと、58歳と言った。
その運転手も、こう言った。
「今の若い人たちには、私たちの生きた時代がどういうものであったか、それを
理解するのは不可能でしょうね」と。

 運転手は、こう言った。
「私は深夜営業でしてね、ときに11時間、つづけて働くこともありますよ。
これは内緒ですよ。
で、午前4時ごろ家に帰り、それから犬と散歩します。
妻や息子、嫁が起きてくるのは、その後です。
だれも私に感謝の念などもっていませんよ。
むしろ給料の少ないことで、不満ばかり言っています。
それを知っているから、こうして運転しながら、「なんで私は、こんな苦労をしている
のかと思うことがしばしばあります」と。

●人生が盗まれる

 だから最近は、親たちから子どもの「盗み」についての相談を受けるたびに、
こう思う。
「何だ、そんなことか」と。
あるいは「盗みくらいが、何だ」とも。
「どうせそのうち、あなたの人生すべてが盗まれる」と。

 もっともそんなことを口にしたらおしまい。
一応の指導とアドバイスはする。
しかしへたに財産を残せば、兄弟姉妹が骨肉の争いを繰り返すことになる。
……とまあ、そう決めつけてしまうのも危険だが、その可能性は、たいへん高くなる。
ウソだと思うなら、あなたの周囲を見てみればよい。
親の死後、兄弟姉妹が仲よく財産を分け合ったという例は、ほとんどない。

●損の美学
 
 一方、「損の美学」というのもある。
最近、ある経済誌を読んでいたら、その中にこんな言葉を見つけた。
『頭とシッポは、くれてやれ!』と。
ものの売買の極意だそうだ。
へたにケチになるから、大損をする。
だから損を覚悟で、適当なところで売り、適当なところで買う。
『頭とシッポは、くれてやれ!』と。
が、損の美学は、それだけではない。

 損を重ねれば重ねるほど、実はその分だけ、お金(マネー)は戻ってくる。
それがバネとなって、さらにその人ががんばる。
だからこの世の中で、「金持ち」と言われる人たちは、特殊な資格で保護されて
いる人は別として、みな、他方で損に損を重ねている。
同時に、その分だけ、人間的にも深みがあり、スケールも大きい。
精神的にも、たくましくなる。

●損をしない人

 子育てにも似たようなところがある。
さらに言えば、人生にも、似たようなところがある。
「盗み」だけではない。
子どもの成績がほんの少しさがっただけで、おおげさに騒ぎ、またほんの少し
あがっただけで、これまたおおげさに喜ぶ。

 中にはこんな女性(40歳くらい)もいる。
わざと近所の人たちに聞こえるような大きな声で、庭にいる夫にこう言う。
「あなたア!、学習院大学の同窓会名簿が届いているわよ!」と。

 つまりそういう形で、夫の出身大学を近所の人たちに知らせていた。
が、実際には、その夫というのは、高卒後、専門学校しか出ていなかった!
つまり見栄や虚栄も、「損の美学」のひとつとして、考えられる。
ケチな人は、どこまでもケチ。
心に余裕がない。
スケールも小さい。
ささいな利益にこだわって、自分を見失う。

●私たち……

 私の息子たちは、二男をのぞいて、私からよく金(マネー)を借りる。
「貸してくれ」というから、私は貸す。
しかしいまだかって、返してもらったことは、一度もない。
しばらくすると、返そうという意思そのものが、消えてしまうようだ。
(二男は、子どものころから、意地っ張りで、人にものをねだらない。
性格は私によく似ている。)

 で、そういうとき私たち夫婦は、あきらめて、忘れる。
「どうせ、そのうち、私たちは死ぬのだ」と。
死ねば、そのまま借金も、遺産ということになる。
ご破算になる。
が、これは世界の常識ではない。

 欧米では、家でも親子の間で売買している。
もちろん金(マネー)の貸し借りもするが、他人との貸し借りと、どこもちがわない。
国によって多少のちがいはあるが、夫婦の間でも、こと金の貸し借りとなると、
みな、シビア。
とくに中国本土の人たちは、シビア。
夫婦でも、財産は別々に形成する。

 どちらがよいとか、悪いとか、今ここで結論を出すことはできない。
日本には日本のよさがある。
欧米には欧米のよさがある。
(中国は、その点、シビアすぎるが……?)

 だから今、「盗む」という話になると、どうでもよくなってしまう。
もっともその分だけ、私たちは人生を楽しませてもらった。
それでじゅうぶん。
それ以上、何を望むか。
あとは残された人生を、できるだけ楽しく、有意義に過ごすだけ。
息子たちに関係なく……。
もちろん財産は、一円も残さない。
現金は使い切る。
財産は売り切る。
残った不動産は、地域の人たちに寄付する。

 ……ということも参考に、あなたも一度、子どもの「盗み」について考えて
みるとよい。
見方が変わってくるはず。

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