●P-Fスタディ
●人間の性格
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PーFスタディでは、
(1)他責型(相手の責任を追及する)
(2)自責型(自分の非を認め、謝罪する)
(3)無責型(どちらの責任でもないとする)の3つに分けて考える。
さらにそれぞれの内容を、
(1)逡巡型=障害優位型(あいまいで、迷いのあるタイプ)
(2)自我防衛型(相手や自分を罰することによって、自分を守る)
(3)固執型=要求固執型(どこまでも、相手か自分が悪いと、固執する)の3つに分けて考える。
計9タイプの子ども(おとな)に分けて考える(以上、「絵画欲求不満テスト」(「臨床心理学」・稲富正治著より)。
さて、あなたの子どもは、どんな回答をするだろうか。一度、家庭で試してみるとおもしろい。
なおこのテスト法は、もともとは、欲求不満の原因がどこにあるかを知るためのものである。
欲求不満の原因は、大きく分けると、2つに分類される。
(1)自分自身の中に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。
(2)自分自身の外に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。
前者を、「超自我阻害場面」、後者を、「自我阻害場面」という(同書)。
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●なぜ、こうした性格に分かれるか
PーFスタディで興味深いのは、またそこまでPーFスタディでは
踏み込んでいないが、なぜ、こうした性格に分かれるかということ。
遺伝説、環境説の2つが考えられるが、(性質)そのものは、遺伝的要素による
影響を無視することはできない。
たとえば幼児のばあい、敏感性、鈍感性(知的能力をさすのではない)などの「質」は、
遺伝的要素によって大きく影響を受ける。
が、外罰型(外責型)、内罰型(内責型)については、生後の家庭環境が大きく
影響していると考えてよい。
そのことは、今まで書いてきた、双子の兄弟(兄、妹)の例をみればわかる。
もしこうした性格のちがいが、環境によるものならば、つぎにどのような環境で、
子どもたちがどのような性格をもっていくようになるか。
それがわかれば、「私」を知る手がかりを得ることにもなる。
「私」は、いつ、どのようにして「私」になったのか?
●自責型の逡巡型
稲富正治著「臨床心理学」の分類法によれば、私(=はやし浩司)は……
(1)自責型の(2)逡巡型ということになる。
自分を責めながらも、同時にそのつど迷う。
おそらく自責型になったのは、乳幼児期前後にその方向性が決められたせいではないか。
私は子どものころ、そして大学生のころまでは、自責型だった。
その私に変化が見られるようになったのは、「私」が何であるかわかり始めた、大学生
以後のことではないだろうか。
それまでの私は、批判力も弱く、だれにでもシッポを振るようなタイプの人間だった。
宗教団体からの誘いがあれば、そうした会合にも出た。
学生運動への誘いがあれば、そうした運動にも参加した。
一時は、ヤクザの世界にも、あこがれた。
深い考えがあって、そうしたのではない。
付和雷同、まさにそのものだった。
が、「それではいけない」と、(しかしそのように意識した記憶はないが……)、現在の
逡巡型になっていった。
つまり乳幼児期に形成された「内罰型(内責型)」を基本に、その後の環境の中で、逡巡型
へとなっていった。
もちろん逡巡型になるについては、私の不幸な家庭環境が大きく影響している。
(それについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。)
●「私」とは?
こうしてながめていくと、その向こうにおぼろげながら、「私」が見えてくる。
つまり「私」の中には、(私であって私でない部分)がたくさんある。
大部分が、そうではないか。
その(私であって私でない部分)を、「私」から引いていく。
残った部分が「私」ということになる。
……といっても、その正体をつかむのは、むずかしい。
入り込めば入り込むほど、その先が混沌としてくる。
原型のようなものが、見えなくはないが、しかし「形」があるわけではない。
心理学の教科書のように、分類できるものでもない。
暗闇に包まれている。
いったい、それは何なのか……。
というところで、この稿をいったん、停止する。
このつづきは、場所を変え、気分を変えて、考えてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 PーFスタディ 私とは 「私」論)
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司
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