Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, December 26, 2010

●ゲーム漬けの子どもたち

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      12月   27日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ネット中毒(TBS・News-i)」より

+++++++++++++++++

韓国内のネット中毒患者は、190万人。
悲惨な事件も、毎日のように起きている。
こうしたネット中毒患者のために、救済
施設まである。

かたや、この日本はどうか?
人口比からして、その約3倍の中毒患者
がいてもおかしくない。
約600万人?
そういった隠れ患者は、どこに消えてい
るのか。

まず、TBS-iの報道を紹介する・

+++++++++++++++++

**********以下、TBS-iより(2010-11-18)*******

いわゆる「インターネット中毒」が社会問題化している韓国で、ネットゲームをめぐって
14歳の少年が母親を殺害し、自らも命を絶つ事件が起きました。

 韓国警察によりますと、プサン市内のマンションの一室で16日、この部屋に住む女性
(43)が首を絞められて殺害されているのが見つかりました。

 女性の長男で中学3年生の少年(14)がベランダで首を吊って自殺していて、祖母に
宛てた遺書には「お母さんとケンカをして許されないことをした」などと書かれていまし
た。

 少年は学校を遅刻・欠席しがちなほどネットの戦闘ゲームにのめり込んでいて、事件の
前日にはそのことで母親と口論になっていたということです。

 韓国政府によると、韓国国内のネット中毒患者はおよそ190万人。今年3月には夫婦
そろって「育児ゲーム」にのめり込み、生後3か月の娘を餓死させる事件が起きるなど社
会問題化しています。

 さらにネット中毒の低年齢化も進んでいて、来年から予防対象を幼児にまで拡大するこ
とが決まっています。

**********以上、TBS-iより(2010-11-18)*******

●猛烈な攻撃

 この日本では、テレビ・ゲーム、あるいはネットゲームを批判しただけで、
猛烈な抗議の嵐にさらされる。
ボロクソに叩かれる。

私も11年前に『ポケモン・カルト』という本を書いた。
が、いまだに、それがつづいている。
興味のある人は、ためしに、「はやし浩司 ポケモンカルト」で検索をかけてみる
とよい。
いつも「トンデモ本」のトップにあげられている。
はげしい攻撃の文句もさることながら、どういう人たちが、私を攻撃しているか、
どうかそれも知ってほしい。

 が、問題は、このことだけではない。
「190万人」という数字である。
人口比からすれば、この日本では、600万人となる。
(日本の人口は、韓国の約3倍。)
そういう人たちは、今、どこで何をしているのか。
何を考えているのか。

 日本人だけが特別ということもないだろうし、韓国人だけが特別ということも
ないはず。
あの事件、つまり光性てんかん事件が起きたとき、全国で数百人の子どもたちが
倒れた。
テレビアニメの『ポケモン』を見ていた子どもたちである。

 あの事件で不思議なのは、(「謎」と言ってもよいが)、そのあとだれひとり、
当該テレビ局に対して、損害賠償、医療費を公(おおやけ)で請求した人が
いなかったこと。
裁判にもならなかった。
倒れた子どもたちは闇から闇へと、葬られた。
ついで、あの事件そのものも、闇から闇へと、葬られた。
いったいあの事件は、だれが、どのような形で幕を引いたのか?

 実は、今の今もそうである。

 数か月前、ある教材社から仕事の依頼があった。
私は引き受けるつもりで、用意していた。
が、そのちょうど1週間後、今度は断ってきた。
いわく「うちもS社(出版社)と取り引きがありまして……」と。
「S社を敵に回したら、仕事もできなくなります」とも。
つまり私が書いた『ポケモン・カルト』が、問題というわけである。

 ポケモンは、現在も全盛期。
それはそれで結構なこと。
それが問題というのではない。
私はこの世界は、何かがおかしいと書いている。
それがわからなければ、もう一度、冒頭のあげた記事を読みなおしてみてほしい。
日本の600万人は、どこに隠れているのか?
何をしているのか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ポケモンカルト ポケモン・カルト 三一書房 ゲーム中毒 韓国)

(付記)

 この問題は、脳のCPU(中央演算装置)がからんでいる。
それだけに、やっかい。
やっかいというのは、中毒患者が自ら、それに気づくということは、まずありえない。
「私は正常」と思い込んでいる。
しかし正常ではない。
正常でないことは、彼らが書く(文章)を読んでみればわかる。
支離滅裂というか、感情をそのまま叩きつけている。
文章というよりも、「文」そのものになっていない。

 たとえば……

「お前の子ども……MMMM……ゲームと現実の区別、
ちゃんと、つくのかよ~~~~」(某サイト)と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2010年の4月に書いた原稿を
添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ゲーム脳(ゲーム中毒)

+++++++++++++++++++

この日本では、どうして「ゲーム脳」が
問題にならないのか。
「ゲーム脳」という言葉が悪いなら、
「ゲーム中毒」でもよい。

隣の韓国では、すでに10年以上も前から、
また最近では中国でも、「ゲーム中毒」の
若者たちが、問題になりつつある。
ゲーム中毒の子ども(若者も)を集めた
更正施設や、更正プログラムまで、用意
されている※。

が、この日本では、問題にならない。
「ゲーム脳」という言葉を使って、エッセーを
書いただけで、猛烈な抗議に嵐にさらされる。
ゲームの世界そのものが、カルト化している。
ゲームに日夜夢中になっている子ども(若者)は、
まさにその信者ということになる。

(ためしに、「はやし浩司」で検索してみるとよい。
私を、口汚く中傷しているサイトやBLOGがある。
そのほとんどが、ここでいう「信者」たちである。
私が書いた『ポケモンカルト』(三一書房)などは、
出版してから11年になるが、いまだに叩かれつづ
けている!)

が、日本人だけが特別ということは、ありえない。
日本人の脳みそだけが、韓国人や中国人と、構造が
ちがうということは、ありえない。
今の今も、この日本には、ゲーム中毒の子ども(若者)は、
いる。
日に、何時間も何時間も、ゲームに夢中になっている。
真夜中でも、ゲームに夢中になっている。
が、日本では、そういう子ども(若者)が、どういうわけか、
問題にならない。
考えてみれば、これほどおかしな話はない。

ここでは、別の角度から、「ゲーム脳」について
考えてみたい。

+++++++++++++++++++++++++

●まねる(観察学習)

 発達心理学の世界には、「観察学習」という言葉がある。
子どもは、教えられて学ぶことよりも、まわりを観察しながら、自ら学ぶことの
ほうが多い。
量的に、はるかに多い。
「学習効果」ということを考えるなら、またそのほうがはるかに効果的。

 たとえば以前、何かにつけ、ツッパリ始めた子ども(小5男児)がいた。
言動が粗野になり、独特の目つきで、独特の話し方で話すようになった。
「ウッセー」「コノヤロー」と。
紫の地に、金色の刺繍をほどこしたコートを着てきたこともあった。

 で、その子どもを、高校生の受験クラスに入れてみた。
高校生の間に座らせて、好きな勉強をさせてみた。
最初は、体をかたくしていたが、週を追うごとに、ぐんぐんと変化していった。
あとで聞いたら、高校生の中の1人を、自分の理想像のように思いようになったらしい。
その高校生は、野球部の部員だった。

その子どもは、日曜日など、こっそりとその試合の応援に出かけたりしていた。
家に帰っても、その高校生の話ばかりするようになった。

 これは観察学習というわけではないが、その子どもは、まわりの様子から、
多くのものを学んだことになる。
それは「学ぶ」という行為というよりは、「まねる」に近い。
その「まねる」という行為を、「モデリング」という。

●自己認識能力

 ものごとは常識で考えよう。
まだ判断力や自己管理能力がじゅうぶん育っていない子どもが、ゲームを相手に、
「殺せ!」「やっつけろ!」と叫んで、心によい影響を与えるはずがない。
こんな実験が知られている。

 ある一定時間、暴力映画を見せた子どもは、その直後、行動が暴力的になるという
(バンデュラ、ほか)。
多くの研究者が、同じような実験結果を報告しているので、今さら改めて説明する
までもない。
つまり子どもというのは、そのつど環境の中で、自分を作っていく。
作られていく。
それもそのはず。

 子どもが現実検証能力、つまり自分、あるいは自分と他者との関係、さらには自分の
置かれた立場を、客観的に判断できるようになるのは、小学3年生(9歳)以上。
それ以前の子どもには、その能力はない。
たとえば病院や図書館で騒いでいる幼児がいる。
そういう幼児に向かって、「静かにしなさい!」と叱っても、意味はない。
「騒いでいる」「迷惑をかけている」という意識そのものがない。
そういう行為がどういうものかさえ、わかっていない。
叱られたあと静かになるのは、こわいからそうしているだけ。

 つまり小学3年生(9歳)以前の子どもに、その判断能力はない。
判断能力がないというよりは、思考力が未熟。
だからこの時期の子どもは、理性や知性を使って「学ぶ」ことよりも、周囲を
観察し、それを「まねる」ことによって、自分の思考パターンや行動パターンを
形成していく。
それがモデリングということになる。

●疑わしきは罰する

 法律の世界では、『疑わしきは罰せず』という。
が、教育の世界では、『疑わしきは罰する』という。
なんでもあやしいものは、先手先手で、子どもの世界から遠ざける。
安全性が確認されるまで待っていたら、それこそ手遅れになってしまう。

 ゲームにしても、しかり。
もちろん中には、良質なソフトもある。
そういうものまで、ひとまとめにして、「反対!」と、私は言っているわけではない。
しかし良質なソフトにまぎれて、悪質なソフトがあるのも事実。
そういう悪質なソフトまで野放しにしては、いけない。
有害とは証明できないかもしれない。
しかし少なくとも、安全と証明されたわけでもない。
だったら、遠ざける。
それくらいの配慮というか、子どもの世界に対する思いやりは、あって当然の
ことではないか。

……と私は書いている。

●付記

 あるBLOGには、こうあった。
「(右脳教育を創始者の)SDも、(ゲームを批判する)はやし浩司も、
同じようなもの。
一度、この2人を、バトルさせてみたい」と。

 SD氏(2009年死去)は、ゲームは、右脳の刺激になると説いていた。
そのSD氏と私も、同じ、と。
しかし(右脳教育)と(ゲーム脳)とは、どこでどう結びつくのか。
その右脳教育にしても、安全が確認されたわけではない。
むしろ幼児期においては、左脳教育(論理と分析)こそ、重要。
そうでなくても、映像文化に発達とともに、あえて右脳を刺激しなくても、
子どもたちは、じゅうぶん過ぎるほどの刺激を受けている。
反対に、今、静かにものを考える子どもが少なくなった。

頭に飛来した情報を、ペラペラと口にする。
しかし中身がない。
薄っぺらい。
子どもたちの世界が、バラエティ番組化している。
「これでいいのか!」と叫んだところで、この話はおしまい。

【補記】

 私は、右脳教育には、懐疑的である。
10年以上も前から、そういう趣旨で、原稿を書いてきた。
その気持ちは、いささかもゆらいでいない。
「まちがっている」と言っているのではない。
「あえて必要ない」と言っている。
フォト化とか、直観像とか、いろいろ言われているが、安全が確認された
わけではない。
ある幼児教室の案内書には、こうあった。

「これからは、右脳教育を受けた子どもたちが、ゾロゾロと(東大の)
赤門をくぐることになるでしょう」と。

それから10年。
そろそろその結果が出ているはず。
もしSD氏とバトルするようなことがあれば、(天国なら天国でもよいが)、まず
そのあたりの資料を出してもらうところから始めたい。

(注※)

●ゲーム脳

+++++++++++++++++

「ゲーム脳」というのは、大脳生理学上の
問題ではない。
「現象」の問題である。
「大脳生理学上、ゲーム脳というのはない」と
説く学者もいる。
その世界では神格化され、「つぎつぎと商品企画
が、もちこまれている」(某雑誌)とか。

結構な話だが、こういう学者は、つぎのような
現象を、どう考えるのだろうか。
産経新聞をそのまま転載させてもらう。

+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++

【産経新聞・10-02-08】

『・・・世界最大となる3億3800万人のインターネット人口を抱える中国で、240
0万人の青少年がオンラインゲームやチャットにのめり込む(ネット中毒)に陥っている。
中国青少年インターネット協会が8日までに発表した調査結果で明らかになった。 

 中国のネット人口のうち3分の1は、19歳以下の青少年が占めている。6~29歳の
青少年7千人を対象に行われた調査結果によると、ネットに依存している青少年は200
7年の9・7%から14%に増加。「ネット中毒」が社会問題化し始めた05年ごろは40
0万人程度で、4年間で6倍に増えた計算だ。娯楽の少ない発展が遅れている地域に中毒
者が多いことも、特徴の一つに挙げられている。

 中毒を誘因している一番の原因はオンラインゲームだ。「ネットを通じて何をしている
か?」との問いに対し、47・9%が「ゲーム」と回答。2位の「アニメや映画、音楽の
ダウンロード」の23・2%、3位の「チャットで友達を作る」の13・2%を大きく引
き離した。

 中国では08年11月、人民解放軍北京軍区総医院が策定した「ネット中毒臨床診断基
準」を公表し、ネット中毒を「繰り返しネットを使用することで一種の精神障害をきたし
た状態」と定義付けた。今回の調査でも、ネット中毒になっていない人の66・5%は「他
人を殴るのは間違っている」と答えたのに対し、中毒者は48%にとどまった。

 国際情報紙、環球時報(英語版)によると、中国青少年精神保健センターの創設者は「ネ
ット中毒者の40%は、(不注意や衝動的な症状などが出る)注意欠陥・多動性障害といっ
た精神疾患にかかっている」と警鐘を鳴らしている』(以上、産経新聞)。

+++++++++++++以上、産経新聞より++++++++++++++

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ゲーム脳 中国の現状 ゲーム中毒 ネット中毒者 障害 中国のネ
ット中毒者 ゲーム 疑わしきは罰する)


Hiroshi Hayashi++++++April.2010++++++はやし浩司
Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●昼神温泉で……(昼神温泉記補足)

+++++++++++++++++

昼神温泉で、ひとりの老人(男性)と
知りあいになった。
時間的に、たまたま温泉内には、私たち
2人だけだった。
湯船につかりながら、いろいろな話をした。

+++++++++++++++++

●男性

 昨日書いた、「昼神温泉記」には、その男性は、「松本から来た」と書いたが、
実際には、「松本」ではなく、「塩尻(長野県)」だった。
記録として残すときは、できるだけ地名や職業は隠すことにしている。
もちろん実名は書かない。
しかしその男性は、塩尻から来ていた。
昼神温泉で一度温泉で体を休め、そのまま豊橋にいる弟の家に行くということだった。

「塩尻から昼神までは、3時間。昼神から豊橋までは、3時間」と。
その男性は、そう言った。
年齢は81歳と言った。

(この年齢も、先の「昼神温泉記」の中では、別の年齢を書いた。)
元国家公務員とか。
風格があるというか、深い知性を感ずる人だった。

●会話

 長野県といえば、……というか、そういう先入観だけで見てはいけない。
が、ほかよりは、古き良き日本をそのまま残した地方ということになる。
その長野県でも、「近所づきあいがなくなりました」と。

男「私が住んでいるあたりでも、独居老人がふえましたね」
私「長野でも、ですか?」
男「昔とちがって、近所づきあいが、なくなりました」
私「若い人たちは、どうしているのですか」
男「携帯とか、インターネットとか、そういうことばかりしていますね。それに若い人
たちは、今、どんどんと都会へ出て行きます」

私「独居老人ではなく、今では、無縁老人といいます」
男「そうですね。私も同年代の人たちとつきあっていますが、毎年、仲間が少なくなって
いきます」
私「お子さんは……?」
男「娘が1人、息子が1人です。娘は、Y原温泉の旅館に嫁いでいきました。息子は東京
へ出たきり、帰ってきません」
私「それじゃあ、温泉三昧ではないですか。うらやましい」
男「それがそうではないのです。娘の嫁ぎ先の親とは、結婚式の話しあいをして以来、
一度も会っていません」

私「一度も会っていない……?」
男「いろいろありましてね……」
私「……旅館経営の最大の問題点は、何ですか?」
男「人ですよ、人。人が集まりません。きつい仕事だし……。ほとんどが人材派遣会社
からの派遣社員です。しかしね、やっと仕事を覚えたと思ったら、またどこかへ行って
しまう……。この繰り返しで、旅館業も、今、たいへんですよ」

私「長野県というから、親戚づきあいも濃厚で、その分、人間関係も濃密かと思って
いました」
男「変わりましたね。時代が変わったのです。狂ったと言ったほうがいいかもしれません」
私「狂った? 同感ですね……」
男「原因は、私は年金制度にあると思うのです。年金制度」
私「はあ、年金制度、ですか?」
男「年金制度ができたおかげで、いい面もあるのですが、親子の関係が切れてしまいま
したね。親のめんどうをみるという若者が、いなくなりました。それで平気で都会へ
出て行くのです」

私「……しかし長野県も、驚くほど、さびれましたね。先日、飯田市に立ち寄ったの
ですが、ゴーストタウン化していたのには驚きました。町の中央を横切る、りんご並木
にしても、荒れ放題といった感じでした」
男「そうですね。仕事がありませんから……」
私「不景気なんですかね」
男「仕事がないのですよ、仕事が……。若い人たちを吸収する職場がない……」
私「そう言えば、この温泉街も立派な温泉が並んでいますが、観光客が少ないですね」
男「観光バスでやってきて、そのまままた、観光バスで帰っていく。こういう季節と
いうのに、外を散策する人がいない……」

私「浜松でも、郊外の村や小さな町では、寺がどんどんと無住の寺になっています。
檀家が少なくなって、住職さえ町へ出て行くのですね」
男「長野県でも、無縁仏がふえていますよ。それでね、大きな墓碑を建て、そこに
無縁仏をまつる寺がふえてきました」
私「須坂市では、布施も戒名料も、すべて一律に定額にしているという話を聞きましたが」
男「……フーン。それはたぶん、市営墓地か何かの話ではないですか。塩尻ではそういう
話は聞きません」

私「浜松でも、初盆をしない家がふえてきました。漁村でも、初盆をする家は、40%
くらいなか」
男「長野でも、葬儀を家でひっそりとする家がふえてきましたね。僧侶を呼び、読経だけ
してもらい、それで終わります」
私「東京あたりでは、直葬といって、病院からすぐ火葬場へ回し、遺灰にして家に帰す
という方式がふえているそうです。数年前の統計ですが、すでに30%を超えたとか」
男「自然葬ですね」
私「そうです。自然葬です。私たち夫婦も、そうなりそうです。それを望んでいるわけで
はありませんが、そうなりそうです」

男「原因は、何ですか」
私「私は、あの受験競争にあると確信しています。受験競争を経験すると、子どもたちが、
突然冷たくなります。人が変わるというか、数字だけでものを考えるようになります」
男「親はよかれと思って、子どもを受験競争に駆り立てるわけですが、逆効果ですな」
私「まったく、その通りです。子どもはそれによって、学費を出してもらうのは、当然と
考えるようになります」
男「親は、爪に灯をともしながら、学費を送るのですがね……」
私「親に感謝しながら、大学へ通っている子どもは、いませんね。出たら、ハイ、さよ
うなら、ですよ」

男「……たしかに狂っている」
私「たしかに、おかしいです。こんな社会ですから、老人はますます生きにくくなって
きました」
男「そう言えば、うちの息子もそうですが、彼らが言う『家族』には、親は含まれて
いませんね」
私「ははは、そうです。それこそまさに私の持論です。若い人たちが言う『家族』は、
自分たち夫婦と、子どもだけです。親は入っていません」
男「やはり、年金が悪いのですよ。年金制度が……」
私「ははは、そうは言っても、私の年金は、月額6万4000円程度です」
男「国民保険だけでは、きびしいね」と。

 たがいに愚痴を言いあった。
愚痴を言いあいながら、笑った。

●親子

 このところ「親子とは何か」、それをよく考える。
親子とは、何か?
つでに家族とは、何か?

 昔風に言えば、濃密な血縁でつながれた一体性のある人間関係ということになる。
しかし今、その一体性を、子どもの方から拒絶し始めている。
その傾向が始まったのは、尾崎豊や長渕剛らが活躍したころといってよい。
私たち、団塊の世代は、権力との闘いが精神的方向性だった。
が、つづくつぎの世代では、それが世代との闘いに置き換わった。

 「私は私」というのは構わない。
私自身も、その言葉をよく使う。
しかし子ども(息子や娘)が、その言葉を使うときは、縦や横の人間関係を、切り離した
状態を意味する。
とくに縦の関係、つまり親と子の関係を切り離す。

 が、ここで2つの悲劇が始まる。

 ひとつは、親の側は、過去の幻想にしがみつきやすいという悲劇。
年老いた親ほど、そうだ。
中には「親子の縁は絶対的なもの」と信じて疑わない人も多い。
そのため時代の流れを理解できず、幻想と現実のちがいの中で、もがく。
苦しむ。
「私の子育ては、何だったのか」と。

 もうひとつは、自分自身も親でありながら、「自分たちだけは特別」と、やはり同じよう
な幻想にとりつかれる。
若い夫婦に多い。
もう少しわかりやすく説明しよう。

 たとえば子どもをもつ。
その子どもと、楽しい時間を共有する。
旅行する。
スポーツをする。
そのとき若い夫婦は、こう思う。
「私たち親子の絆(きずな)は、太い。家族というのは、こういうもの。私たちは、
私たちの親がしたような失敗は繰り返さない。私は家族を大切にしている」と。

 こうして若い夫婦は、一方で、その幻想に酔いしれる。
が、幻想は、幻想。
彼らもまた、私たちがたどったのと同じ道をたどる。
同じ失敗を繰り返す。

 これら2つを悲劇と言わずして、何という。

●教育観 

 この1年で、私の教育観は、大きく変わった。
それまでは家族主義を唱えながらも、家族がもつ呪縛感と闘ってきた。
実母や実兄の介護問題も、からんでいた。
養護問題もからんでいた。
私が生まれ育った地方(G県のM町周辺)は、(あるいは私の親類だけがそうだった
のかもしれないが)、濃密すぎるほどの親戚関係が生活の基本になっている。

 その親戚関係から受ける呪縛感には、相当なものがある。
心理学の世界では、「家族自我群」とか、「幻惑」とかいう言葉を使って、それを説明する。
私はその呪縛感に苦しんだ。
そしてこう考えた。

 「こういう苦しみは、私たちだけの世代で終わりにしたい。つぎの世代の人たちは、
そういう呪縛感とは無縁の世界で生きていけばいい」と。

しかし時代は、私が知らないうちに、私の知っている時代を通り越し、さらにその先へ
行っていた。
「日本は飽食だ、飽食だ」と思って、飽食による弊害を説いていたら、いつの間にか日本
は日々の食糧にも事欠くような貧乏国になっていた。
今は、そんな感じがする。

 で、この先のことは、よくわからない。
私自身も、模索期に入った。
が、このままでよいとは、考えていない。
あの男性は「狂った」という言葉を使った。
そう、たしかに狂った。
新しい世界を追い求めつづけていたら、古き良きものまで、粉々に破壊されてしまった。
そのためこの日本が、今、混乱状態にある。
私も模索状態にある。

 ……ということで、今日はここまで。
この話のつづきは、これから先、時間をかけてゆっくりと考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 昼神温泉補足 世代間闘争 模索期 家族主義 幻想と混乱)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●63歳の誕生日

 63歳になりきれないでいる。
理由はわかっている。
今年の誕生日には、プレゼントをもらっていない。
例年だと、何かプレゼントをもらっている。
が、今年は、もらっていない。
それをワイフに言うと、「そんなはずはない!」と。

 私がほしいもの。

(1) TOSHIBAのMXパソコン。
(2) SONYのアルファ(α)カメラ。
(3) 機能がめちゃめちゃ複雑な、腕時計。
(4) パナソニックの「旅ナビ」カメラ。

 あえて順位をつけてみた。
しかしパソコンは、今でも5~6台が稼動中。
カメラも、3~4台が稼動中。
腕時計は、どうせすぐあきてしまう。
「旅ナビ」は、口コミ評判(ネット)が、あまりよくない。
やはりTOSHIBAのMXか?
キーボードが独立していて、打ちやすい。
それに表面のザラザラ感が気に入った。
難点を言えば、今使っているMXより、バッテリーのもちがやや短いこと。
しかし同じ仲間だから、バッテリーを共有できるという利点もある。
どうしよう?

●2011年

 私の仕事では、毎年今ごろになると、翌年の様子がわかってくる。
40年近くも、同じ仕事をしている。
ある程度の予想ができるようになった。
で、それによれば、2011年は、私にとっては忙しい年になりそう(?)。

 たとえば幼児教室にしても、現在の年中児クラスが、そのまま年長児
クラスになる。
不景気な年だと(?)、生徒数が3~4人にまでさがる。
今も基本的には不景気だが、このところ教室への問い合わせが多くなった。
そういう(動き)が、翌年への予想へとつながっていく。
 
 ワイフに「来年もがんばるよ」と声をかけると、ワイフはうれしそうに笑った。

●仕事は自分で作る

 私の世界では、「仕事は作るもの」。
「もらうもの」ではない。
魚取りにたとえるなら、水の中に自らもぐり、モリでつく。
釣竿をもって、釣れるまで待つのは、私のやり方ではない。

 で、最近の若い人たちを見ていて、たいへん気になることがある。
そのひとつが、ガッツ魂。
ガッツ魂がない。
生き様が受け身。
仕事に対する考え方にしても、そうだ。
仕事はもらうものと考えている。
就職活動というのが、それ。
どうして自分で作らない。
自分で社会に切り込んでいかない。
私には、どうしてもそれが理解できない。

●外国

 同じように、「外国へ出ていこう」という若者が少ないのに、驚く。
「外国へ出て働け」というのではない。
外国で、1、2年、暮らしてみる。
「世界を見る」という言い方でもよい。

 たとえば『沈まぬ太陽』という映画があった。
その中で映画の主人公が、懲罰左遷とかで、アフリカや中近東へ転勤になる。
そんな場面が出てきた。
が、どうしてそれが懲罰左遷なのか?

 当時の世相は、逆だった。
私も商社マンだったからよく知っているが、「外国へ出る」というのは、
それ自体がステータスだった。

私は三井物産という会社にいた。
社員は7000人あまりだった(当時)。
しかしその三井物産にあっても、海外勤務ができる人は、全体の30%。
残りの70%は、国内勤務だった(当時)。

 商社マンは、外国で活躍してこそ、商社マン。
当時の私だったら、アフリカだろうが、中近東だろうが、転勤を命じられたら、
喜んでそれに従ったであろう。
日本航空(当時)の社員にしても、そうだ。
山崎豊子氏(原作者)には悪いが、山崎豊子氏はそういう当時の常識すら、
知らなかったのでは?

それに当時は、短期出張と言えば2年が常識だった。
が、その2年で帰ってくる人は、少なかった。
短期出張のハシゴというのもあった。
派遣先から、さらに別の派遣先へ転勤を命じられる人が多かった。
日本は、まだ貧しかった。
1970年当時、羽田―シドニー間の往復航空運賃が42、3万円。
大卒の初任給がやっと5万円を超えた時代である。
今のように、自由に飛行機に乗ることさえむずかしかった。

●留学

 私は留学生試験を受けた。
結果、インドとオーストラリアの両方に合格した。
オーストラリアのほうを選んだ。
(もしインドのほうを選んでいたら、今ごろは死んでいただろう。
当時はまだ風土病についての理解も乏しかった。
肝炎もそのひとつ。
コップ一杯の水を飲んだだけで、急性肝炎になり、命を落とした人は多い。)

 が、もし留学生試験に落ちたら、私は船員になってでも、アメリカへ
渡るつもりだった。
船員として働き、アメリカへ渡る。
向こうへ着いたら、そこで働く。
真剣に、それを考えていた。

●日本の若者たち

 日本の若者たちが、どうしてこうまで受け身になってしまったのか。
もちろん中には、外国へ出かけていき、そこで働いている日本の若者も多い。
しかしそういう若者は、マイナー。
多くは「外国で苦労するなら、日本で暮らしたほうがいい」と考えている。

 たまたま先ほど、高校生のクラスで、みなに聞いてみた。
「君たちの中で、卒業後、留学するとか、外国へ行きたいとか、そういう
ふうに言っている友だちはいるか」と。
が、その答に、私は心底、失望した。
「・・・だれもいない・・・よなあ・・・」と。

私「いないのか?」
高「いないよなあ・・・」
私「外国へ出て、外国を知ってみるというのは、どうか?」
高「先生、そんなのは、旅行で行けばいいんじゃない」
私「旅行で行っても、表面的なことしかわからないよ」
高「そんなことないよ。わかるよ」
私「わからない」
高「わかる」
私「わからない」
高「・・・わかったところで、先生、それがどうなの?」と。

●飼い慣らされてしまった?

 どうして日本人は、こうまで飼い慣らされてしまったのか・・・と
聞くだけ、ヤボ。
日本の教育のシステムそのものが、そうなっている。
子どもたちを指導する教師たちが、組織の中で飼いならされてしまっている。
もう10年になるだろうか。
ある高校の校長が、「フリーター撲滅運動」なるものを始めた※。
「撲滅」(=たたきつぶす)だぞ!
「私の高校は、100%就職をめざす」と。

 この日本では自由に生きていくことすら、むずかしい。
「自由」とは、「自らに由りながら」という意味である。
このことと直接関係があるとは言えないが、おととい、こんな話を聞いた。

 岐阜県の高校では、自転車にも「車検」に似たような制度があるという。
たとえばタイヤの溝にしても、何ミリ以下になると、タイヤそのものを
交換しなければならない。
で、ある母親(岐阜県在住)は、電話でこう言った。

「自転車は安物です。ショッピングセンターで1万円で買ったものです。
そのタイヤ交換に、1万円もかかったんですよ」と。

私「車検みたいですね」
母「そうなんです。自転車屋さんの証明書がないと、その自転車には乗れない
のです」
私「それは暴力団のやり方ですね」
母「そうなんです。だから値段が高くても、ほかの人たちは自転車屋さんで
自転車を買うしかないのです。中には、ほかの店で買った自転車は、修理しません
と断わる店もあります」と。

 人間管理、ここに極まれり!

 人間は管理されればされるほど、体制に依存性をもつようになる。
依存性をもてばもつほど、生き様が受け身になる。
現在の若者たちは、その結果ということになる。

 自転車がパンクすれば、そこから先は、引いて歩けばよい。
チェーンがはずれたら、自分で直せばよい。
ブレーキがきかなくなったら、自転車を倒して止めればよい。
どうしてそういう野生臭を、もっと大切にしないのか?
今、そういう野生臭が、日本の若い人たちから、消えた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 若者の野生臭 たくましさ たくましさとは 日本の若者論)

(注※)「フリーター撲滅運動」(2007-12月記)

●働けど、働けど……(Working Poor)

One third of the Japanese belongs to so-called “Working Poor”, who works less than 1.9
~5.4 million yen per year. As to the young me aged from 15~24 years old), abt. 50% of
them are not-employed workers. The number of not-employed workers has increased
abt. 4.9 million in these ten years. Not-employed workers work with less payment
without any sufficient insurance. This means that Japanese traditional working system
has collapsed where workers could work in their whole lives in one single company. To
solve this problem, I insist, deregulation of the society is more and more important.
Otherwise there would be more and more working-poor people, especially working-poor
young men.

+++++++++++++++++

働けど、働けど……、一向に、生活が楽にならない。
そんな人がふえている。

G市に住む従兄弟(いとこ)と、電話で話す。
夫は、運送会社に勤め、妻は、銀行でコンピュータ管理の仕事をしている。
3人の子どもがいる。

夫は正規社員だが、妻は、非正規社員。
妻の身分は、10年以上、そのままだという。

従兄弟のケースは、まだ恵まれているほうだが、それでも、生活は、毎月ギリギリだとい
う。
夫も妻も、朝から、夜遅くまで働いている。

総務省統計局の調査によれば、この97年から02年までに、いわゆるワーキングプア世
帯(非勤労世帯を含む全世帯)は、16・3から22・3%に、ふえたという。

ワーキングプア世帯というのは、「働く貧困層」をいう。

ここでいう「貧困基準」というのは、

1人世帯……年収190万円以下
2人世帯……年収300万円以下
3人世帯……年収394万円以下
4人世帯……年収463万円以下
5人世帯……年収548万円以下(2002年度)の人たちをいう。

現在、日本では、約3分の1の世帯が、そのワーキングプア層に該当するという。

が、ここで注意しなければならないことは、たとえば妻が専業主婦で、子どもが2人いる
ばあい、4人世帯となるということ。
年収が、463万円以下だと、ワーキングプア層に入ってしまう。
つまり、子どもが多ければ多いほど、生活が苦しくなる。

しかし実際、1人の男性(夫)が、500万円の年収をあげることは、容易なことではな
い。
正規社員はともかくも、非正規社員だと、なおさらである。年収で、約30%~前後の開
きがあると聞いている(浜松地域)。

その正規社員は減り、非正規社員はふえている。同じく総務省統計局の調査によれば、こ
の10年間で、正規社員は約450万人減り、非正規社員は約490万人ふえているとい
う(IMIDAS)。

わかりやすく言えば、企業は、正規社員を減らし、その穴埋めを、給料が安くてすむ非正
規社員で補っているということ。

しかしこんなことをつづけていれば、勝ち組と負け組の2極化がますます進む。
が、それだけではすまない。
社会そのものが、不安定化する。
子どもの世界について言うなら、ますます受験競争がはげしくなる。
ついでに言えば、それがストレスとなって、子どもたちの世界を、ますますゆがめる。

いじめもふえるだろう。
子どもの自殺もふえるだろう。
不登校児もふえるだろう。

中に、「能力のある人がいい生活をして、そうでない人が、いい生活ができないのは、しか
たのないこと」と説く人がいる。

しかしそれには、大前提がある。

雇用の機会が、だれにも、平等に、かつ均等に与えられなければならない。
しかしこの日本では、人生の入り口で、運よくその世界へ入った人は、生涯にわたって、
安楽な生活をすることができる。
またそういう人たちが、自分が得た権益を、手放そうとしない。
公務員の天下りに、その例を見るまでもない。

何か、おかしい?
何か、へん?

総務省統計局の調査を見ると、1996年から99年あたりから、この日本は、大きく変
化し始めた。
この時期というのは、ちょうど団塊の世代以下が、リストラにつぐリストラで、職場を追
われ始めた時期にあたる。

では、どうするか?
どう考えたらよいか?
私たちの世代は、それでしかたないとして、これからこの日本を支える、これからの若者
たちのためには、どうしたらよいか?

今のように、若者(15~24歳)の非正規雇用が、50%前後(男子44%、女子52%、
06年)にもなったら、雇用社会そのものが崩壊したと考えたほうがよいのではないか。
わかりやすく言えば、フリーターであることのほうが、今では、当たり前。

であるなら、若者たちがフリーターとして生きていくために、生きやすい環境を、用意す
る。
つまりそのためには、規制緩和、あるのみ。ただひたすら、規制緩和あるのみ。

たとえばオーストラリアでは、電話1本と、車1台があれば、若者たちは、それで仕事が
始められる。
日本で言うような、資格だの、許可だの、認可だの、そういったものは、ほとんど必要な
い。

日本は世界的に見ても、管理の上に、「超」が、10個ぐらいつく、超管理国家である。
官僚主義国家の弊害と言えば、それまでだが、一方でこうして若者たちの世界を、がんじ
がらめに縛りつけている。

簡単に言えば、一方でフリーターをつくりながら、他方で、フリーターには、生きにくい
社会にしている。(そう言えば、数年前、『フリーター撲滅論』を唱えた、どこかのバカ校
長がいた。「撲滅」だと!)

これを矛盾と言わずして、何と言う。

私はそのフリーターを、40年近くしてきた。
浜松に来たころには、市の商工会議所に登録している翻訳家は1人しかいなくて、私が2
人目だった。
私は工業団地の電柱に張り紙をして、仕事を取ってきた。
資格も認可も、いらなかった。

今、そういう「自由」がどこにある?
またそういう自由があるからこそ、社会に、ダイナミズムが生まれ、そのダイナミズムが、
社会を発展させる。

働けど……、働けど……。
そんなわけで結局は、働くしかない。

ということで、言いたいこと、書きたいことは、山ほどある。あるが、ここは、「バカヤロ
ー」と叫んだところで、おしまい。バカヤロー!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ワーキングプア ワーキン
グ・プア working poor working-poor)


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