Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, January 12, 2011

●子どもを知る心理学byはやし浩司

【子どもを知る心理学】 by はやし浩司


●心の別室

 子どもというのは、(おとなもそうだが)、何かいやなことがあると、それを心の中に別室を作り、そこに押し込むことによって、その場をやり過ごそうとする。こうした現象を心理学の世界では、「抑圧」という言葉を使って説明する。が、この抑圧された不満や不平、うっぷんは、時と場合に応じて、爆発する。「オレがこうなったのは、お前のせいだ!」と。心の別室には、時間という概念が働かない。また楽しい思い出によって、上書きされるということもない。だから20年、30年を経ても、そのときの自分がよみがえる。それこそ70歳を過ぎた老人夫婦が、若い日のことを理由に、喧嘩することも珍しくない。要するに、子どもには心の別室を作らせないこと。そのつど適当なガス抜きをする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「偉い」を廃語に

 何をもって、「偉い」というのか。「偉い人」とは、どういう人を言うのか。地位か、名誉か、財力か。英語では「respected man」という。「尊敬される人」という意味である。が、そのときは、地位や名誉、財力は関係ない。マザーテレサをひきあいに出すまでもない。が、この日本ではいまだに、「偉い」という言葉が、のさばっている。とくに政治の世界では、のさばっている。今では少なくなったが、大臣という肩書きをもった瞬間から、胸を張り、ふんぞり返って歩く政治家は少なくない。傍から見るとバカげている。悪しき封建主義時代の亡霊そのもの。が、当の本人はそうは思っていない。「偉い」という言葉を廃語にしよう。そして子どもたちには、こう言おう。「人に尊敬される人になりなさい」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●摂取理論

 初対面での印象が、いかに大切なものであるか。それについて、今さら、書くまでもな
い。

 幼児のばあいは、とくにそうで、そのときその幼児がもった第一印象で、そのあとのそ
の子どもの、伸び方が、まったくちがうということは、よくある。

 よい例として、集団恐怖症、対人恐怖症、さらには、かん黙症などがある。

 こうした症状は、はじめて保育園なり、幼稚園へつれていったその日をきっかけとして、
発症することが多い。そして一度、発症すると、無理をすればするほど、逆効果。かえっ
て症状をこじらせてしまう。

 幼児の心は、そういう意味では、きわめてデリケートにできている。親や教師は、「集団
生活になれていないだけ」とか、「しばらく集団生活をすれば、なおるはず」と、安易に考
えるが、そんな簡単な問題ではない。

 集団のもつ威圧力というか、恐怖感というのは、相当なもの。私もよく経験している。
今でも、ときどき仕事などで東京へ行く機会があるが、あの東京駅の雑踏には、いまだに
なれることができない。自分の歩くスピードで歩くことすら、許されない。おまけにあの
ラッシュアワー!

 私は昔、M物産という会社に勤めていたが、その会社をやめる直接のきっかけになった
のが、あのラッシュアワーである。

 私は、毎朝、H電鉄の満員電車で、伊丹から、塚本へ出て、大阪の中ノ島にある会社に
通勤した。たまたまオーストラリアから帰ってきたばかりで、どうにもこうにも、あのラ
ッシュアワーには、がまんならなかった。それはもう、男どうしが、顔をすりあわせるよ
うな混雑ぶりだった。
 
 もちろん、子どもにもよるが、つまり集団の中にすぐ溶けこめる子どももいるし、そう
でない子どももいるが、あくまでもその子どもの視点で、ものを考えること。

 たとえば入園する前には、あらかじめ、その場所を見学させたり、子どもに見せておい
たりするとよい。そのとき、あらかじめ、集団に対する、心構えを話しておく。いわば病
気の予防接種のように、子どもの心の中に、免疫力をつけておく。こうしておくと、子ど
もは、いきなり集団を見せつけられたときよりは、そのショックをやわらげることができ
る。

こうした一連の心理作用は、「接種理論」という理論で、説明される。

 また子どもが悪い印象をもったときも、大人の一方的な意見を押しつけてはいけない。
「そうだよね」「あなたの気持ちよくわかる」「お母さんも、そう思う」と、子どもの立場
で、子どもの心になりきって、考える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●パブリック・コミットメント

 まず外の世界に向かって、宣言する。宣言することによって、自分を縛る。これを「パブリック・コミットメント」という。たとえば禁酒、禁煙。「酒をやめました」「タバコをためました」と、みなに言う。できるだけ大声で、多くの人に言う。そうすることによって、自分の行動を厳格化する。多くの人に伝わっているから、簡単に約束を破るわけにはいかない。子どもの世界について言うなら、子どもにそれを言わせる。言わせることによって、子どもが自らを縛るように仕向ける。ただし無理強いはいけない。当然のことである。あるいは子どもの名前が載った新聞や本などを、大切に切り抜いて張る。そしてこう宣言する。「あなたはすばらしい子」と。これもパブリック・コミットメントのひとつということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●プラトー

 子どもに英語を教えてみると、ある程度までは、ぐんぐんと伸びる。が、やがてそれが停滞する時期にやってくる。この「停滞期」を「プラトー」と呼ぶ。子どもの発達段階においては、よく見られる現象である。たとえば単語にしても、教えても教えても、先に教えたことを忘れてしまう。進歩が止まってしまう、など。こういうとき親も教師もあせりがちになるが、けっしてあせってはいけない。こういう時期がしばらくつづいたあと、(英語のばあい、1~3年)、時間数をふやしたりすると、殻を破ったようにまた伸び始める。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●気負い

 不幸にして不幸な家庭に育った親ほど、「いい親になろう」「いい家庭を作ろう」という気負いが強くなる。この気負いが子育てをゆがめる。どこかぎこちなくなる。極端にきびしい親、極端に甘い親などは、たいていこのタイプの親と考えてよい。一方、心豊かで愛情にあふれた家庭で育った親は、自然な形で子育てができる。自然な形での「親像」が身についているからである。だから子育てをするときは、子育てをしながら、その子どもの中で、「親像」がどのように育っているかを観察しながらするとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ピーターパン・シンドローム

 おとなになりきれないおとな。そうした人がもつ症状を総称して、ピーターパン・シンドローム(症候群)と呼ぶ。退行的なものの考え方(幼児性の持続)、人格の未完成など。強圧的な環境、たとえば親の過関心、過干渉が日常的につづくと、子どもは自ら考えて行動することができず、ここでいうピーターパン・シンドロームに陥りやすい。行動や言動が、その年齢に比して、子どもぽくなる一方、善悪の判断がうとくなり、とんでもないこと、たとえばコンセントに粘土をつめたりするなどの常識外れなことをする。近所のおとなの人に、通りすがり、「大きな鼻の穴!」と叫んだ子ども(小2男児)もいた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの「顔」

 子どもは何らかの形で、自分の「顔」をもちたがる。思春期においては、なおさら。たてば勉強のできない子どもは、スポーツで。スポーツのできない子どもは、たとえばツッパリで、と。だから暴力的な子どもに、「あなたがそんなことをすれば、みんなに嫌われるのよ」と諭しても、意味はない。それがその子どもの「顔」ということになる。ありはひょうきんなことを言ったりしたりして、ほかの子どもたちを笑わせる子どももいる。わざと失敗したり、ヘマをしたりする子どももいる。それぞれの子どもには、それぞれの顔がある。その「顔」をつぶしてはいけない。子どもは糸の切れた凧のようになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●共依存

 酒に酔って暴れる夫。殴られても蹴られても、そういう夫に尽くす妻。典型的な共依存関係である。妻に依存することで、自分の立場を確保する夫。依存されることで、自分の立場を確保する妻。妻を殴ったり蹴ったりすることで、妻の従順性を確かめる夫。殴られたり蹴られたりすることに耐えながら、夫への従順性を証明しようとする妻。たがいに依存しあいながら、自分を支える。傍から見ると何とも痛ましい夫婦関係だが、親子の間でもときとして、同じことが起きることもある。家庭内暴力を繰り返す息子と親の関係。ニートとなり家の中に引きこもる子どもと親の関係。子どもを突き放すことができない。親自身も、無意識のうちに子どもに依存しているからである。

(補記)

●共依存

依存症にも、いろいろある。よく知られているのが、アルコール依存症や、パチンコ依存症など。

もちろん、人間が人間に依存することもある。さしずめ、私などは、「ワイフ依存症」(?)。

しかしその依存関係が、ふつうでなくなるときがある。それを「共依存」という。典型的な例としては、つぎのようなものがある。

夫は、酒グセが悪く、妻に暴力を振るう。仕事はしない。何かいやなことがあると、妻に怒鳴り散らす。しかし決定的なところまでは、しない。妻の寛容度の限界をよく知っていて、その寸前でやめる。(それ以上すれば、本当に、妻は家を出ていってしまう。)

それに、いつも、暴力を振るっているのではない。日ごろは、やさしい夫といった感じ。サービス精神も旺盛。ときに、「オレも、悪い男だ。お前のようないい女房をもちながら、苦労ばかりかけている」と、謝ったりする。

一方妻は、妻で、「この人は、私なしでは生きていかれない。私は、この人には必要なのだ。だからこの人のめんどうをみるのは、私の努め」と、夫の世話をする。

こうして夫は、妻にめんどうをかけることで、依存し、妻は、そういう夫のめんどうをみることで、依存する。

ある妻は、夫が働かないから、朝早くに家を出る。そして夜、遅く帰ってくる。子どもはいない。その妻が、毎朝、夫の昼食まで用意して家を出かけるという。そして仕事から帰ってくるときは、必ず、夕食の材料を買って帰るという。

それを知った知人が、「そこまでする必要はないわよ」「ほっておきなさいよ」とアドバイスした。しかしその妻には、聞く耳がなかった。そうすることが、妻の努めと思いこんでいるようなところがあった。

つまり、その妻は、自分の苦労を、自分でつくっていたことになる。本来なら、夫に、依存性をもたせないように、少しずつ手を抜くとか、自分でできることは、夫にさせるといったことが必要だった。当然、離婚し、独立を考えてもよいような状態だった。

が、もし、夫が、自分で何でもするようになってしまったら……。夫は、自分から離れていってしまうかもしれない。そんな不安感があった。だから無意識のうちにも、妻は、夫に、依存心をもたせ、自分の立場を守っていた。

ところで一般論として、乳幼児期に、はげしい夫婦げんかを見て育った子どもは、心に大きなキズを負うことが知られている。「子どもらしい子ども時代を過ごせなかったということで、アダルト・チェルドレンになる可能性が高くなるという」(松原達哉「臨床心理学」ナツメ社)。

「(夫婦げんかの多い家庭で育った子どもは)、子どもの人格形成に大きな影響を与えます。このような家庭環境で育った子どもは、自分の評価が著しく低い上、見捨てられるのではないかという不安感が強く、強迫行動や、親と同じような依存症に陥るという特徴があります。

子ども時代の自由を、じゅうぶんに味わえずに成長し、早くおとなのようなものわかりのよさを見につけてしまい、自分の存在を他者の評価の中に見いだそうとする人を、『アダルト・チェルドレン』と呼んでいます」(稲富正治「臨床心理学」日本文芸社)と。

ここでいう共依存の基本には、たがいにおとなになりきれない、アダルト・チェルドレン依存症とも考えられなくはない。もちろん夫婦喧嘩だけで、アダルト・チェルドレンになるわけではない。ほかにも、育児拒否、家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児放棄などによっても、ここでいうような症状は現れる。

で、「見捨てられるのではないかという不安感」が強い夫が、なぜ妻に暴力を振るうのか……という疑問をもつ人がいるかもしれない。

理由は、簡単。このタイプの夫は、妻に暴力を振るいながら、妻の自分への忠誠心、犠牲心、貢献心、服従性を、そのつど、確認しているのである。

一方、妻は妻で、自分が頼られることによって、自分の存在感を、作り出そうとしている。世間的にも、献身的なすばらしい妻と評価されることが多い。だからますます、夫に依存するようになる。

こうして、人間どうしが、たがいに依存しあうという関係が生まれる。これが「共依存」であるが、しかしもちろん、この関係は、夫婦だけにはかぎらない。

親子、兄弟の間でも、生まれやすい。他人との関係においても、生まれやすい。

生活力もなく、遊びつづける親。それを心配して、めんどうをみつづける子ども(娘、息子)。親子のケースでは、親側が、たくみに子どもの心をあやつるということが多い。わざと、弱々しい母親を演じてみせるなど。

娘が心配して、実家の母に電話をすると、「心配しなくてもいい。お母さん(=私)は、先週買ってきた、イモを食べているから……」と。

その母親は、「心配するな」と言いつつ、その一方で、娘に心配をかけることで、娘に依存していたことになる。こういう例は多い。

息子や娘のいる前では、わざとヨロヨロと歩いてみせたり、元気なさそうに、伏せってみせたりするなど。前にも書いたが、ある女性は、ある日、駅の構内で、友人たちとスタスタと歩いている自分の母親を見て、自分の目を疑ってしまったという。

その前日、実家で母親を訪れると、その女性の母親は、壁につくられた手すりにつかまりながら、今にも倒れそうな様子で歩いていたからである。その同じ母親が、その翌日には、友人たちとスタスタと歩いていた!

その女性は、つぎのようなメールをくれた。

「母は、わざと、私に心配をかけさせるために、そういうふうに、歩いていたのですね」と。

いわゆる自立できない親は、そこまでする。「自立」の問題は、何も、子どもだけの問題ではない。言いかえると、今の今でも、精神的にも、自立できていない親は、ゴマンといる。決して珍しくない。

で、その先は……。

今度は息子や娘側の問題ということになるが、依存性の強い親をもつと、たいていは、子ども自身も、依存性の強い子どもになる。マザコンと呼ばれる子どもが、その一例である。

そのマザコンという言葉を聞くと、たいていの人は、男児、もしくは男性のマザコンを想像するが、実際には、女児、女性のマザコンもすくなくない。むしろ、女児、女性のマザコンのほうが、男性のそれより、強烈であることが知られている。

女性どうしであるため、目立たないだけ、ということになる。母と成人した息子がいっしょに風呂に入れば、話題になるが、母と成人した娘がいっしょに風呂に入っても、それほど、話題にはならない。

こうして親子の間にも、「共依存」が生まれる。

このつづきは、また別の機会に考えてみたい。
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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心の反射運動

 1970年のころの話。オーストラリアでは、レストランでもどこでも、あとにつづく人がいると、その人はその人のためにドアを開けて待つ。それが当時の常識だったし、どこでもみなが、した。こういうのを「心の反射運動」という。つまりさりげない行為が、相手の心をとらえたり、心を和ませたりする。またそれができる人(親)ほど、よい人(親)ということになる。自己中心的な人ほど、心の反射運動が鈍いということになる。反対にいつも相手の立場でものを考えたり、行動する人ほど、心の反射運動がすぐれた人ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●権威主義

 親の権威主義は、百害あって一利なし。が、遠く、江戸時代の昔には、「家制度」もあり、そのため家父長の権威が何よりも、重んじられた。親は問答無用式に子どもに向かって、親に従うよう求められた。が、時代が変わった。それに応じて、親子の平等意識、さらには対等意識が芽生えた。「親だから……」とか、「子だから……」という『ダカラ論』が通用しなくなった。また最近の若い人たちに向かって、ダカラ論を振りかざしても、意味はない。反発を受けるか、さもなければ、親子の間に大きな亀裂を入れることになる。権威主義の親ほど、子育てで失敗しやすい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親の優位性

 親の優位性を押しつけすぎると、子どもは未来像を描けなくなり、自分の将来に大きな不安を抱くようになる。思春期において、自我の確立に失敗することもある。赤ちゃん返りならぬ、幼児返りを起こすこともある。これは子どもにとって、たいへん不幸なことと考えてよい。おとなは、(もちろん教師も)、ときには子どもにわざと負けてみる。それによって、つまり子どもはおとなの優位性を破ったことによって、自信をもつ。私もときどき幼児を相手にプロレスをする。わざと負けてみせる。とたん、その子どもの表情や様子が大きく変わる。そういう方法で、子どもに自信をつけさせる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ライナスの毛布

 私は幼児のころ(小学1、2年生ごろまで)、貝殻を指先でいじっているのが好きだった。とくに眠りにつくときにそうだった。こうした子ども特有の現象を、「ライナスの毛布」と呼ぶ。毛布の端を口でなめたり、指先でいじる子どもは多い。子どもは自分の心を落ち着かせるため、指先の刺激を求める。それによって脳の中である種の反応を引き起こす。モルヒネ系(エンドロフィン、エンケファリン)の分泌を促すという説もある。さらにこの方法は、老人のボケ防止にも役立つという説もある。ともかくも、子どもがある特定のモノ(毛布や貝殻、やや大きくなって、ぬいぐるみなど)にこだわっても、それを「おかしな行為」と決めつけ、禁止してはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●代償的愛(代償的過保護)

 過保護には、その背景に「愛」がある。その愛の欠落した過保護を、「代償的過保護」という。子どものことを愛しているのではない。子どもを自分の支配下において、自分の思い通りにしたいだけ。その代償的過保護の原点になっているのが、代償的愛。いわば「愛もどきの愛」。自分勝手で、わがままな愛。この愛の特徴は、(1)親はそれでもって、親の深い愛と誤解しているということ。(2)何かのことでつまずくと、一転して、「憎悪」の念に変わりやすいということ。真の愛というのは、無私の愛をいう。「息子(娘)に裏切られた」と騒いでいる親は、一度、この代償的愛を疑ってみるとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●上下関係

 日本語には、上下関係を作る言葉が多い。「兄・弟」「姉・妹」というのが、それ。「長男・二男・三男」というのもある。親はこうして無意識のうちにも、子どもたちの世界に序列をもちこむ。そしてその上下関係に従って、「あなたはお兄ちゃんだから……」とか、「あなたはお姉ちゃんだから……」とか言って、『ダカラ論』で子どもを縛る。が、ダカラ論には根拠がないばかりか、その子どもにとって重荷になり、その子どもを苦しめることにもなりかねない。なお、兄弟姉妹の間で、名前(序列ではなく、名前)で呼び合っている兄弟姉妹は、そうでない兄弟姉妹より仲がよい。「お兄ちゃん」ではなく、「ミキ君」、「お姉さん」ではなく、「光ちゃん」と呼ぶなど。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ツァイガルニック効果

 ほっとした瞬間、自分のすべきことを忘れてしまう。これを『ツアィガルニック効果』と呼ぶ。記憶を持続(保持)するためには、ある程度の緊張感が必要である。(メモによって残すという方法もあるが……。)その緊張感がゆるみ、「何だったけ?」となる。このことはよく将棋を指しているときに、経験する。「もう勝った」と思った瞬間、へんなところから「角」が飛び出してきて、飛車を取られたりする。「勝った」と思った瞬間、心の中にスキができる。そのため、そういうヘマが多くなる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子育て愛憎劇

 自分の娘に、「死んでも、お前をのろってやる」と言った母親がいた。「墓場で、お前が不幸になるのを楽しみにしている」とも。これはワイフの友人の話である。で、昔から愛と憎しみは、紙一重という。愛が深ければ深いほど(?)、それが転ずると、今度は憎しみに変わる。が、それにはたいへんなエネルギーを消耗する。ある賢人は、こう言った。『人を憎むのは、ネズミを追い出すのに、家に火をつけるようなもの』と。そのため愛にせよ、憎しみにせよ、それほど長くつづくと、心身が疲れきってしまう。まさに底なしの消耗戦。時に人間性まで狂う。だから「家に火をつけるようなもの」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●幸福論

 賢い人は、そのものの価値を失う前に気づき、そうでない人は、失ってから気づく。健康しかり、青春時代しかり、そして子どものよさ、またしかり。子どもの問題であれこれ悩む前に、その子どものもつ「良さ」に気づき、ほどほどのところで満足する。「もっと…」とか、「さらに…」と思っていると、子どもも疲れるが、あなたも疲れる。同じように、幸福にしても、そんなに遠くにあるわけではない。あなたのすぐそばにある。すぐそばにあって、あなたに見つけてもらうのを、じっと待っている。「私は不幸だ」と思っている人は、一度、静かに自分の身の回りを見直してみるとよい。「今、ここに生きている」ということが、どんなにすばらしいことか、あなたにも、それがわかるはず。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●コンフリクト(葛藤)

 人は常に葛藤しながら、生きている。葛藤のない人生はない。たとえばいろいろなケースがある。(1)一等賞が当たった。自転車かパン製造機がもらえる。そういうときは、どちらをもらおうかで、悩む(++)。(2)あるいは高原へ旅行に行きたいが、花粉症が心配と、悩むこともある(+-)。(3)さらに罰ゲームで、みなの前で歌を歌うか、それとも顔に墨を塗られるかを迫られることもある(――)。(4)またこういうのもある。険しいイバラ道を渡らなければ、食物にあるつけないようなケース(-+)。人は常にこのコンフリクトを繰り返しながら、生きている。詳しくは、「はやし浩司 コンフリクト」で検索をかけてみてほしい。

(補記)

●コンフリクト(葛藤)

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人はいつも、心の中で葛藤(コンフリクト)を
繰りかえしながら、生きている。

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 二つのことがらから、一つの選択を迫られたようなとき、心の中では、葛藤(コンフリ
クト)が起きる。これがストレスの原因(ストレッサー)になる。

 コンフリクトには、(1)接近型、(2)回避型、(3)接近・回避型の3つがあるとされ
る。

 たとえば、旅行クーポン券が、手に入った。一枚は、3泊4日のグアム旅行。もう一枚
は、2泊3日のカナダ旅行。どちらも行きたい。しかし日が重なってしまった。どうした
らいいか。

 このばあい、グアム旅行も、カナダ旅行も、その人にとっては、正の方向から、ひきつ
けていることになる。そのため、葛藤(コンフリクト)する。これを(1)の接近型とい
う。

 反対に、借金がたまってしまった。取立て屋に追われている。取立て屋に追われるのも
いやだが、さりとて、自己破産の宣告もしたくない。どうしたらいいか。

 このばあいは、取り立て屋の恐怖も、自己破産も、その人にとっては、負の方向から、
ひきつける。そのため、葛藤(コンフリクト)する。これを(2)の逃避型という。

 また、グアム旅行のクーポン券が手に入ったが、このところ、体の調子がよくない。行
けば、さらに体の調子が悪くなるかもしれない。どうしたらいいのか……と悩むのが、(3)
の接近・回避型ということになる。「ステーキは食べたい」「しかし食べると、コレステロ
ール値があがってしまう」と悩むのも、接近・回避型ということになる。

 正の方からと、負の方からの、両方から、その人を、ひきつける。そのため、葛藤(コ
ンフリクト)する。

 ……というような話は、心理学の本にも書いてある。

 では、実際には、どうか?

 たとえば私は、最近、こんな経験をした。

 ある人から、本の代筆を頼まれた。その人は、「私の人生論をまとめたい」と言った。知
らない人ではなかったので、最初は、安易な気持ちで、それを引き受けた。

 が、実際、書き始めると、たいへんな苦痛に、襲われた。代筆といっても、どうしても、
そこに私の思想が、混入してしまう。文体も、私のものである。私はその人の原稿をまと
めながら、何かしら、娼婦になったような気分になった。

 お金のために体を売る、あの娼婦である。

 そのとき、私は、(3)の接近・逃避型のコンフリクトを経験したことになる。お金はほ
しい。しかし魂は、売りたくない、と。が、実際には、コンフリクトと言うような、たや
すいものではなかった。心がバラバラになるような恐怖感に近かった。心というより、頭
の中が、バラバラになるような感じがした。

 あたかも自分の中に、別々の2人の人間がいて、けんかしあうような状態である。

 それはたいへんなストレスで、結局、その仕事は、途中でやめてしまった。つまりここ
でいうコンフリクト(葛藤)というのは、そういうものをいう。

 ほかにも、いろいろある。

 たとえば講演などをしていると、私の話など聞かないで、ペチャペチャと、おしゃべり
している人がいる。

 本人たちは、私がそれに気づかないと思っているかもしれないが、講師からは、それが
実によくわかる。本当に、よくわかる。

 そういうとき、「そのまま話しつづければいい」という思いと、「気になってしかたない」
という思いが、頭の中で、衝突する。とたん、ものすごく神経をつかうようになる。実際、
そういう講演会が終わると、そうでないときよりも、何倍も強く、どっと疲れが、襲って
くる。

 自分でもそれがよくわかっているから、ますます、気になる。

 そこで、私のばあい、そういうふうにペチャペチャとおしゃべりする人がいたら、その
場で、やさしく、ニンマリと、注意することにしている。「すみませんが、おしゃべりをひ
かえてくださいね」と。

 そうすることで、講演会のあとの疲労感を軽減するようにしている。これはあくまでも、
余談だが……。

【補記】

 ストレスの原因(ストレッサー)を感じたら、あまりがまんしないで、ありのままを、
すなおに言ったらよい。そのほうが、自分のためにもなるし、相手のためにもなる。

 ここに書いたように、最近は、公演中にペチャペチャと話している人を見たら、私は、
できるだけ早く、注意するようにしている。本当は、「さっさと、出て行け!」と叫びたい
が、そこまでは言わない。

 で、おもしろいと思うのは、もともと私の話など、聞いていないから、数度、注意して
も、知らぬ顔をして、ペチャペチャと話しつづけている。そこで私も、その人たちが気が
つくまで、数度、あるいは何度も、注意する。が、それでも気がつかない。

 すると、まわりの人たちが、そのおしゃべりをしている人のほうを、にらむ。おしゃべ
りしている人は、どうして自分たちがにらまれているかわからないといった表情を見せる。

 このとき私は、改めて、言う。「すみませんが、少し、静かにしていてくださいね」と。

 しかし、本音を一言。だれかの講演に行って、私語をつづけるようなら、外に出たらよ
い。迷惑といえば、迷惑。失礼といえば、失礼。これは講演を聞きに来た人の、最低限、
守るべき、マナーのように思う。

 もっとも、私の講演のように、つまらない講演なら、しかたないが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 コンフリクト 葛藤 葛藤の中身 親子の葛藤 夫婦の葛藤)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●窮地の演出

 子どもの自尊心を高める方法が、これ。つまり「私はお母さんのピンチを救った」と思わせながら、子どもを得意にさせる。「家族のピンチ」でもよい。これを『窮地の演出』(はやし浩司)という。「あなたのおかげで、お父さんは無事だったのよ。命の恩人ね」と。といっても、そういう場面は、そうは多くない。が、そのときどきにおいて、それを演出する。「今日、あなたのおかげで、助かったわ。あなたがいなかったら、どうなっていたことか」と。要するに負けを認めるところでは認める。意地を張って、親の優位性を子どもに押しつけてはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●クロス・コンプレインニング

 コンプレイン(Complain)は、アメリカの精神医学会の診断基準によれば、精神障害の主症状のひとつになっている。愚痴をよく言う人は、何らかの精神障害を疑ってみる。その愚痴を言い合うのが、クロス・コンプレインニング。「お前はあのとき、みなの前でぼくに恥をかかせた」「あなただって、私の兄に、悪口を言ったじゃない」「それはお前が、ぼくの言ったことを、バカげていると笑ったからだ」と。ある賢人はこう書き残した。『怒っているときは愚痴を言うな。愚痴を聞いても、怒るな』と。とくに子どもには愚痴を言わない。子どもの愚痴を聞いても、怒らない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自我の拡大

 「私は私」と強く認識することを、「自我」という。その自我がさらに強くなると、周りの人たちを自分の支配下に置こうとする。「私」を実際以上に、大きく見せようとする。それが「自我の拡大」。親意識も、総じて言えば、この自我の拡大として理解できる。それほど力もない親が、大物ぶって見せるなど。あるいは物知りであるように振舞うなど。なけなしのサイフを振りながら、金持ちぶるのも、それ。つまり「私は力がある」ということを誇示しながら、相手を自分の下に置こうとする。力のない親が、陥りやすいワナのひとつ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己効力感

人は常に他者との関わりの中で生きている。かかわりももたず、ひとりで生きている人(?)は、何か心に大きな障害をもった人と考えてよい。その(関わり)の第一が、自己効力感ということになる。自己肯定感ともいう。「私は他人に認められている」「自分は社会で役に立っている」「私を必要とする人がいる」「私はやればできる」と。子どもの世界でいうなら、「私は親に守られている」「私の親は、私を信じてくれている」というのも、それ。こうして人は、他人との関わりの中で、自分を位置づけていく。またそれがあると、その人(子ども)は、それをバネとして、前向きに伸びていくことができる。まずいのは、ネガティブな育児姿勢。「あなたはやっぱりダメね」式の言葉は、子育てではタブー。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●マザコン(マザーコンプレックス)

 マザコン男ほど、相手に「マドンナ(=理想的な女性)」を求めやすい。が、この世の中に、マドンナ(聖女)など、いない。だから一般論として、マザコン男ほど、離婚しやすいと言われている(確たる統計があるわけではないが……。)あるいはマザコン男ほど、浮気をしやすいとも言われている。だから子ども(男児)をマザコンにすると、子どもは将来、幸福な結婚生活を送れなくなる可能性が高くなる。で、それを是正するのが、父親。『子どもを産み育てるのは母親。狩の仕方を教えるのが父親』と。母子関係の是正と、社会性の認識。それが父親の役目ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●空想的虚言

 イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのは構わない。しかし空中の楼閣に住まわせてはならない』というのがある。空想するのは、子どもの自由。自由というより、特権。しかし空想は空想。現実との間に一線を引く。この一線が引けなくなると、子どもは、空想的虚言を口にするようになる。ウソの世界に生きているから、空想と現実の区別さえつかない。「私はイタリアの女王」と言い張った女の子(小2)がいた(オーストラリア)。が、その一方で、空想がまったくできない子どもがいる。冗談を言っても笑わないどころか、反対に怒り出してしまう。頭がカチカチで、融通がきかない。アスペルガー児によく症状のひとつである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●夢の加工

 私たちが見る夢は、そのつど加工されている。現実をそのまま夢に見ることは、めったにない。たとえば私は電車に乗り遅れる夢を、よく見る。これは私の心の中に内在する強迫観念が圧縮され、象徴化されたものと考えることができる。「電車」は、「人生」を置き換えたもの。乗り遅れることによってハラハラするのは、強迫観念が象徴化したもの。つまり夢は心の中を映す鏡ということになる。反対にどんな夢を見るかを知ることによって、たとえば子どもの心の中をのぞくことができる。意外なのは、幼児でもこわい夢を見る子どもが多いということ。先日幼児クラスで聞いてみたら、約60%の子どもが、こわい夢をよく見ていることがわかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己達成感

 子どもに何かをやらせるときは、自己達成感を大切にする。「できた!」という喜びが、つぎの意欲へとつながっていく。たとえばワークブックでも、半分程度できればよしとする。あるいは子どもにとって、やや簡単すぎるかな(?)と思えるようなものにする。こんなことがあった。生徒に30問くらい計算問題をさせたときのこと。1~2問、答がちがっていたが、私は花丸をつけて、その子どもをほめた。それについて祖母が、こう言った。「いいかげんな丸はつけないでほしい」と。私はこう反論した。「一生懸命したことに、花丸をつけたのです」と。その子どもは計算が苦手だった

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●セルフ・サマライジング(自己完結)

 相手の立場や心を勝手に結論づけてしまう。それを「セルフ・サマライジング」という。「自己完結」と訳す。たとえばこういう会話。「あなたの成績は最悪ね。これじゃあ、あなたの人生は終わりね」とか、など。相手をさして、「人間のクズ」とか、「負け犬」とか、反論できないような言葉を使うのも、それ。「君は本当は、ぼくを嫌っている。だからそういうことを言うのだ」というのも、それ。相手の立場や心を確かめることなく、「そうだ」という前提で、自分の立場や心を決めてしまう。自己中心性の強い人が陥りやすいワナである。

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●ウィンザー効果

 子どもをほめるときは、第三者の口を借りるとよい。それとなく子どもの耳に入るようにしむける。あるいは第三者を介してほめる。子どもが聞こえるようなところで、(あるいは聞こえなくてもよいが)、父親に向かってこう言う。「うちの子ねえ、今日、先生にほめられたのよ。うれしいわ」と。これを私は「間接話法」(はやし浩司)と呼んでいる。心理学の世界では「ウィンザー効果」という。ウィンザー公爵夫人(小説『伯爵夫人はスパイ』)が言った言葉とされる。「あなたはすばらしい」とほめるのが、直接話法。直接話法よりも、間接話法の方が効果的。

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●セルフ・ハンディキャッピング

 テスト前なのに、子どもがやるべきことをやらないで、ゲームばかりしている。そういう姿を見ると、親は、イライラする。が、子どもとて、テスト前ということを知らないわけではない。あせればあせるほど、勉強が手につかなくなる。どうしようもない状態に、自分を追い込んでしまう。これを心理学の世界では『セルフ・ハンディキャッピング』という。自ら、ハンディを設定し、その中に自分を押し込んでしまう。こういうときは子どもを追いつめるのではなく、逆に気分転換をさせるとよい。「レストランでおいしいものでも食べてきましょう」と。

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●完璧主義の子ども

 何をやらせても、完璧。また完璧でないと、気がすまない。先生やほかの親たちには、「すばらしい子ども」と評価される。またそう評価されることで、自分の立場を作る。が、このタイプの子どもは、その一方で、他人に仕事が任せられない。他人の失敗を許さない。何でもイチから自分でしたがる。またそれができないと、突然、仕事を投げ出したりする。そのため、仲間の間では嫌われる。心を許さないから、いつも孤独。本人が思っているほど、仲間の間ではよく思われていない。が、このタイプの子どもは、一度何かでつまずくと、ガタガタになる。

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●好意の返報性

 子どもを伸ばす最大の秘訣は、その子どもを「いい子」「すばらしい子」と、信ずること。たとえそうでなくても、何度も心の中で繰り返し、自分の心をだます。英語のことわざにも、『相手は、あなたが思うように、あなたを思う』というのがある。あなたがその子どもを「いい子」と思っていると、その子どもも、あなたを「いい人」「いい先生」「いい親」と思うようになる。以心伝心ともいう。魚心あれば水心ともいう。好意には、返報性がある。

(補記)

●灯をともして引き出す

 欧米諸国では、『灯をともして引き出す』が、教育の基本理念になっている。「教育」を意味す
る(education)という単語も、もとはといえば、(educe)、つまり「引き出す」という単語に由来す
る。

 その灯をともして引き出すためには、子どもは、ほめる。ほめてほめて、ほめまくる。そのせ
いか、アメリカでもオーストラリアでも、学校の先生は、子どもをよくほめる。参観している私の
ほうが恥ずかしくなるほど、よくほめる。

 発達心理学の世界では、ほめることによって、自発的行動(オペラント)が生まれ、それが強
化の原理となって、子どもを前向きに伸ばすと考えられている(B・F・スキナー)。

●脳内ホルモンが脳を活発化させる

 このことは、大脳生理学の分野でも、裏づけられている。好きなことをしているときには、脳内で、カテコールアミンという脳内ホルモンが分泌され、それが、ニューロンの活動を活発化し、集中力や思考力をますことがわかっている(澤口俊之「したたかな脳」)。

 このとき大切なことは、得意分野をほめること。不得意分野や苦手な分野には、目をつぶる。たとえば英語が得意だったら、まずそれをほめて、さらに英語を伸ばす。すると脳内ホルモンが脳全体を活発化し、集中力もます。そのためそれまで不得意だった分野まで、伸び始める。これを教育の世界では、「相乗効果」と呼んでいる。子どもの世界では、よくみられる現象である。が、それだけではない。

ほめることによって、子どもの心そのものまで、作り変えることができる。こんなことがあった。

●子どもをほめるときは本気で

 ある小学校に、かなり乱暴な子供(小5男児)がいた。腕力もあった。友だちを殴る蹴るは当たり前。先生もかなり手を焼いていたらしい。母親は、毎月のように学校へ呼び出されていた。

 その子ども(K君としておく)が、母親に連れられて私のところへやってきた。夏休みになる少し前のことだった。私は、週1回、夏休みの間だけ、K君の勉強をみることにした。

 こういうケースで重要なことは、最初から、本心で、その子どもをいい子と思うこと。ウソや仮面ではいけない。本心だ。英語の格言にも、『相手はあなたがその人を思うように、あなたを思う』というのがある。あなたがAさんならAさんをいい人だと思っているなら、そのAさんも、あなたのことをいい人だと思っているもの。心理学の世界にも、「好意の返報性」という言葉がある。

 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のいい面を見せようとする。相手の好意には、好意でもってこたえようとする。そういう子どもの性質を利用して、子どもを伸ばす。

●「先生、肩もんでやるよ。」

 で、夏休みも終わりに近づき、母親にK君の様子を報告することになった。私は車の助手席に、K君は、うしろの席にいた。私は、こう言った。

 「K君はたくましい子どもです。元気がありすぎるため、トラブルを起こすかもしれませんが、今だけです。おとなになったら、すばらしい人になります。楽しみな子どもです」と。

 K君は、実際、好奇心が旺盛で、バイタリティもあった。おとなのユーモアもよく理解した。頭もよい。母親は「そうでしょうか。」と、どこか心配そうだったが、その翌週、こんなことがあった。

 いつもより30~40分も早く、K君が私のところへ来た。「どうした?」と聞くと、K君は、少し恥ずかしそうにこう言った。

 「先生、肩もんでやるよ。オレ、肩もむの、うまいんだア」と。

 私はだまって、K君の好意を受けた。

(はやし浩司 脳内ホルモン オペラント 自発的行動 カテコールアミン ドーパミン 子どものやる気 子供の集中力 思考力)

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●ストレス学説

 ストレスの原因を、「ストレッサー」という。人間はある程度のストレスには耐えられる。が、限界を超えると、さまざまな身体的変調となって、それが外に現れる。が、それがさらに慢性化すると、脳内でサイトカインが分泌され、脳内ストレスを引き起こす。食欲不振、低体温、性欲減退など。さらにそれが進むと、免疫機能が低下し、ばあいによっては心疾患、脳疾患、がんなどの病気の引き金を引くこともある。けっして軽く見てはいけない。なおストレスの程度と、それに対する反応には、個人差がある。Aさんには何でもないストレスが、Bさんには大きなストレッサーとなることもある。ところでこんな話を耳にした。「庭で放し飼いにしている犬ほど、長生きする」と。それだけストレスが少ないということか。私の家のハナ(犬)も庭で放し飼いにしているが、今年で16歳になる。

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●自己開示度

 相手がどの程度まで秘密を暴露しているかで、相手が、どの程度、あなたと親密になりたがっているかがわかる。それを知るのが、「自己開示度」。いつもどうでもよいような世間話だけで終わる人は、あなたと親しくなるのを拒んでいるとみてよい。反対に、自分の病気や家族の問題などを話す人は、あなたと親しくなりたがっているとみてよい。反対にあなたがその人と親密になりたかったら、秘密を暴露してみるとよい。あなたの秘密を知ったことで、相手は信頼されていると思い、あなたに親近感を覚えるようになるかもしれない。これを「自己開示の返報性」という。

(補記)

自己開示(2)

 自分をさらけ出すことを、自己開示という。そしてそれが極限にまで達したのを、「カタルシス(除反応)」※という。心を最大限、開放させることにより、心理的、精神的負担を軽減させることをいう。

 他人との信頼関係をうまく結べない人は、まず自己開示をしてみるとよい、あなたが妻であれば、夫や子どもに対して。あなたが夫であれば、妻や子どもに対して。家族には、そういう機能がある……というより、これは家族の重要な機能の一つと考えてよい。

 方法としては、自分の過去を、あらいざらい、すべて告白するというのがある。悲しかった思い出、つらかった思い出、恥ずかしかった思い出など。心の中に秘めている思い出を、すべて吐き出してみる。

 これはたいへん勇気のいることだが、しかし自己開示することによって、あなたは自分の心を開放することができる。が、それだけではない。自己開示することによって、(1)相手もあなたに自己開示する。(2)あなたもそれまで気づかなかった自分に気づくことができるようになる。

 私はときどき、中学生に、こんな作文を書かせる。

【つぎの文につなげて、作文を書いてください。】

● 私にとって、今まで、一番楽しかったことは、
● 私にとって、今まで、一番悲しかったことは、
● 私にとって、今まで、一番うれしかったことは、
● 私にとって、今まで、一番つらかったことは、
● 私には、人に話せないような思い出が、

ほかにもいろいろあるが、子どもが書く内容は、それほど重要ではない。(また、内容については、一切、不問にすること。)その子どもがどこまで、具体的に自己開示するかで、たがいの信頼関係の深さを知ることできる。

つぎに、子ども自身が、仮面をかぶっているかどうか、どこまで自分と向き合っているかどうか、心の問題をもっているかどうかなどを、知ることができる。「のぞく」という言葉は、あまり好きではないが、しかし、この方法で、子どもの心の中を、のぞくことができる。家庭では、たとえば、子どもに向かって、「あなたにとって、今まで、一番うれしかったことは、どんなこと?」というように聞いてみるとよい。

……と、書いたが、あなた自身はどうかということを、自問してみてほしい。

 あなたが妻なら、夫に話せない話もあるはず。結婚前の男性関係とか、身体的なコンプレックスとか、など。子どものころの家庭環境も、それに含まれるかもしれない。もしそういうのがあれば、思い切って、夫に話してみる。

 あなたはそれで、人間関係が壊れると思っているかもしれないが、多少の混乱を経て、あなたと夫の心の絆(きずな)は、それで太くなるはず。とくに、他人との人間関係がうまく結べない人、他人と接すると、すぐ神経疲労を起こす人などは、まず、身近な人に対して自己開示してみるとよい。つまりこうして、自分の心を作り変えていく。

 もっとも注意しなければならないのは、他人への自己開示である。信頼基盤そのものがない人に、自己開示するのは、危険なことでもある。そういうときは、相手をより深く理解するという方法に切りかえる。たとえば……。

 日ごろ、相手が、言いたいと思っていること、知りたいと思っていることを、相手の立場になって聞く。「この前、あなたはこう言ったけど、その意味がよくわからないから、もう一度、話してくれない」「あなたの言うことはよくわかるけど、もし私だったら、どうするか、いろいろ考えてみたわ」とか。相手をより深く理解しようとしよう姿勢を見せることで、同時に、自分もまた相手に対して、自己開示することができる。

 前にも書いたが、自己開示をすることは、違いの信頼関係を築く、基盤となる。たがいにわけのわからない状態で、信頼関係を結ぶことはできない。さあ、あなたも勇気を出して、自己開示してみよう。心を解き放ってみよう!
(030707)

※ ……自己開示することで、心理的、精神的負担を軽減することができる。ばあいによっては、症状が焼失することもあるという。これをカタルシス効果という。自己開示には、そういう作用もある。

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●感受性訓練法

●感受性訓練法

 5~6人のクラスで、そのままにしておくと、子どもたちは勝手な会話を
し始める。
ふだんは制止するが、ときには、そのままにしておく。
それによって子どもたちの本音を知ることができる。
が、それだけではない。
言いたいことを、そのまま言わせることは、大切なこと。
それによって、よりよい人間関係を築くことができる。
たとえば心理学の世界には、「感受性訓練法」というのがある。
「ラボラトリー・トレーニング」とも呼ばれている。

 これは体験者を一室に隔離して、ありのままの感情を、さらけ出させるという方法。
それを体験者の状態に合わせて、数時間とか数日間、つづける。
やがてカタルシス効果が現れて、体験者は、大声で泣きわめいたり、怒ったりする。
不平不満をぶつけたり、ときに暴れたりする。
が、それが一巡すると、体験者は、やがて心を抑圧していた殻(から)から解放され、
感情をストレートに表現できるようになる。

 この訓練を受けると、感受性が豊かになり、他人に対して、深い思いやりが
生まれたり、相手の悲しみや苦しみが、よりよく理解できるようになるという。
が、似たような経験を、実は私は教育の場ではよくする。

 私はときどき、子どもたち(幼稚園児)に、こう言う。
「君たちは、ママのおっぱいが好きか?」と。
すると子どもたちは、最初は、はにかみながら、「嫌いだよ~オ」などと答えたりする。

 そこで私は、語気を強めて、こう言う。
「ウソをつくな!」「好きだったら、好きと言え!」「自分にウソをつくのは
悪いことだ!」と。
まじめな顔をして、叱る。
するとやがて子どもたちは、「好きだけどオ~」とか言うようになる。

 が、何もおっぱいの話にかぎらない。
ときに子どもたちをじらしながら、「見たかったら、見たいと言え!」と促したりする。
(この方法は、私がレッスン中によく使う。「BW公開教室」(私のHPより)
でも紹介しているので、興味のある人は見てほしい。)

 つまりこうして内にたまった(思い)を、一度、外に吐き出させる。
大声で言えるようにする。
感情を、そのまま表現させる。
言うなれば、これもカタルシス効果のひとつということか。
この方法により、一義的には、(性)に対して暗いイメージをもたせることを
防ぐことができる。
が、それ以上に、子どもの心をまっすぐにすることができる。

その結果として、子どもをして、かつ感受性豊かな子どもにすることができる。
「感受性が豊か」ということは、それだけ「他人の心に敏感に反応できること」を
いう。
 
反対に心がゆがんでくると、心(=情意)と表情が、一致しなくなってくる。
ばあいによっては、遊離し、いわゆる(何を考えているかわからない子ども)になる。

 むずかしい話はさておき、親子の間でも、夫婦の間でも、また友人との間でも、
たがいに言いたいことを言うというのは、人間関係の基本。
それなくして、良好な人間関係は育たない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 感受性訓練 感受性訓練法 ラボラトリー・トレーニング 心の訓練 はやし浩司 カタルシス効果)

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●シンクロ効果(同調理論)

 その人と親しくなりたかったら、「同一景色」を見る。同一景色を見ながら、話をする。
たとえば美術館へ行ったようなとき。つねにその相手と同じ位置に立ち、同じ角度から同じ絵や像を見る。たったそれだけのことだが、相手のあなたへの親近感がぐんと増す。これを「同一景色理論」(はやし浩司)という。「同じものを見ている」という無意識下の意識が、「シンクロ効果」を生み出す。けっしてあなたは、その相手を置いてきぼりにしたり、勝手な行動をしてはいけない。子どもの心をつかみたかったら、子どもと同じレベルに置いて、ゲームを楽しむのも一手。

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●夫婦の相補性

 夫婦というのは、不思議なもの。30年とか40年もいっしょに暮らしていると、たがいにたがいを補完しあいながら生きるようになる。行動だけではない。性格、性質についても同じ。神経質な夫に、ヘマばかりしている妻。無口な夫に、おしゃべりな妻。独立心が旺盛な夫に、甘えん坊の妻。活動的な夫に、従順な妻など。これを「性的相補性」と言う。夫婦が100組いれば、100通りの夫婦が生まれる。だから夫婦はおもしろい。男と女の世界は、おもしろい。

(補記)

●夫婦の相補性

++++++++++++++

夫婦が円満に暮らすためには、
相補性が必要である。

たがいにたがいを補いあう。それ
を「相補性」という。

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 仲のよい夫婦を観察してみると、そこにはひとつの共通点があるのがわかる。「相補性」
という共通点である。たがいにたがいを補いあう。それを「相補性」という。

 たとえば1人の人間には、得意な点もあれば、不得意な点もある。良点もあれば、欠点
もある。そうしたもろもろの(点)を、たがいに補いあう。それが歯車のように、しっか
りとかみあう。それが「相補性」ということになる。

 もし夫婦のどちらも、勝ち気で社交的ということになれば、衝突から離婚……というこ
とになる。タレントどうしの結婚を例にあげるまでもない。が、そういう夫婦でも仲良く
やっているというケースもなくはないが、しかしよくよく観察してみると、ここでいう相
補性があることがわかる。

 反対に言うと、夫婦が円満であるためのコツは、いかにしてその相補性をつくるかとい
うことにもなる。

 これは私たち夫婦のばあいだが、私は車の運転免許証をもっていない。いろいろ理由は
あるが、私は車には、興味がない。だからワイフが近くにいないと、身動きが取れない。
たとえ夫婦げんかの最中でも、頭をさげなければならないときは、さげる。しかたないか
ら、さげる。これも相補性のひとつということになる。

 車を運転できない私を、ワイフが補ってくれる。

 つまり夫婦というのは、たがいに無数の相補性をもっている。結婚生活が長ければ長い
ほど、歯車の数もふえ、そしてそれぞれの歯車が、しっとりとかみ合うようになる。私が
担当すべきところは、私が担当する。半面、ワイフに任すべきところは、ワイフに任す。
一方、身を引くところは、引く。

 車の運転を例にあげるなら、車の運転は、ワイフに任せておけばよい。こうしてたがい
の相補性を、さらに濃密にしていく。

 が、それだけではない。

 相補性には、それぞれの分野で、主従関係をもつ。車を運転するワイフが、(主)であ
るとするなら、乗せてもらう私は、(従)ということになる。一方、仕事、収入という面
では、私が(主)であるとするなら、家計を管理するワイフは、(従)ということになる。

 この主従関係をうまくつくるのも、相補性を考える点で大切である。「夫が主で、妻が
従」というのではない。それぞれの分野で、主従関係をつくる。つくるというより、自然
にできる。もっとも、だからといって、私たち夫婦が、仲がよいというわけではない。

 要するに、私はワイフなしでは生きていかれないし、一方、ワイフは、私なしでは生き
ていかれない。そういうたがいの関係が、ときに(あきらめ)につながり、ついで(妥協)
につながる。総じていえば、結婚生活などというものは、そういうもの。またそれができ
る夫婦のことを、「仲のよい夫婦」という。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
夫婦の相補性 仲のよい夫婦 仲の良い夫婦)

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●同性愛

 子どもはつぎの過程を経て、成長していく。(自己愛)→(同性愛)→(異性愛)と。フロイトがそう言っている。つまり子どもの成長過程で、同性愛的傾向があるからといって、あわててはいけない。ほとんどの子どもは、思春期前夜から思春期以前は、同性愛的傾向をもつ。その時期を経て、それが異性愛へと変化していく。が、その時期を過ぎても同性愛的傾向がつづくようであれば、性同一性障害が疑われる。(だからといって、それが異常と考えてはいけない。どうであれ、あるがまま認め、納得する。)「性」の世界には、常識は通用しない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 子どもを知る心理学 幼児を知る心理学 学童期の子ども 心理)