Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, January 09, 2011

●パサパサ家族vsネバネバ家族

●1月10日、朝

【家族とは何か?】(ネバネバ社会の復活)

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今日も始まった。
がんばろう。
今夜は、弁天島にあるK旅館で会食会。
それ以外は、とくに予定なし。

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●パサパサ家族vsネチネチ家族

 少し前、パサパサ家族について書いた。
パサパサになったパンのような家族を、「パサパサ家族」という。
手で持った先から、パサパサの粉のyぷになって、飛び散る。
粘着性が、まるでない。
だから「パサパサ家族」。

 これに対して、家族の絆が濃密で、ネチネチした家族を、「ネチネチ家族」という。
私が生まれ育った家族が、そうだった。
何かにつけ、ネチネチしていた。
息苦しいほど、ネチネチしていた。

が、今は、パサパサ。
夫婦関係も、パサパサ。
親子関係も、パサパサ。

 が、この「パサパサ」「ネチネチ」は、地域社会、さらには国にも当てはまる。
パサパサ社会vsネチネチ社会。
パサパサ国家vsネチネチ国家。

 ネチネチ家族で生まれ育った私には、パサパサ家族というのが、どういものか、
それがよくわかる。
しかしパサパサ家族の人には、それがわからない。
パサパサ家族しか知らない。

●恋愛ごっこから結婚ごっこ

 最近の若い人たちを見ていると、「恋愛こそ、すべて」という考え方をしているのが、
よくわかる。
まるで一生の大事ごとのように考えている。

 私たちの時代にも、恋愛ごっこというのは、あるにはあった。
しかしいざ結婚となると、大きなブレーキが働いた。
両親や親戚との関係。
仕事や収入との関係。
年齢も大きな問題となった。
そういった関係や問題の中で、自分の恋愛にブレーキをかけた。
私も、大学時代の恋人とは、それが理由で別れた。
が、今は、それがない。

 恋愛ごっこは、そのまま結婚ごっこになり、ついで子育てごっこになっていく。
生活感がない。
昔風に言えば、地に足がついていない。
後先のことを考えず、(ごっこ)に走ってしまう。

●幻想

 が、口では偉そうなことを言う。
苦労を知らない。
貧乏を知らない。
貧乏の恐ろしさを、知らない。
今に見る富と繁栄は、天から降ってきたものと思う。
だからこう言う。
「仕事より、家族の方が大切」と。

 これについては、私は反論しない。
私もそう思っている。
しかしそれはあくまでも、仕事第一主義への反省として、そう思っているだけ。
私たちの世代は、仕事を第一に考える余り、家族を犠牲にした。
犠牲にしすぎた。
その反動として、私も「家族主義」を唱えた。
が、それが今は、行きすぎてしまった(?)。

 つまり今の若い人たちからは、(仕事)という部分が欠けてしまっている。
それがわからなければ、自分の年齢に、30とか40を足してみたらよい。
そのとき自分がどうなっているか、ほんの少しだけ、頭の中で想像してみればよい。
中には「私たちの親子関係は絶対」「死ぬまで良好な親子関係をつづける」と
思っている人もいる。
しかしそれは幻想。
まったくの幻想。

●勝ち組vs負け組

 現在、老人社会は、大きく2つのグループに分かれる。
勝ち組と負け組である。
「日本の論点・2011」(文藝春秋社刊)によれば、(1)元公務員、(2)蓄財に成功
した老人を、「勝ち組(既得権益者)」と言うそうだ。
そうでない人は、負け組。

 勝ち組の人たちは、リッチで豊かな老後を、何不自由なく暮らすことができる。
負け組の人たちは……?
この部分については、あまり書きたくない。
書けば書くほど、さみしくなる。

 ともあれ、自分の将来がどうなっているか、ほんの少しだけ、頭の中で想像してみたら
よい。
あなたは勝ち組となって残るのか、それとも負け組となって残るのか。
それを分けるのが、「仕事」ということになる。

 で、私は数多くの「勝ち組」という人たちを見てきた。
私のまわりにも、そういう人たちがいる。
そういう人たちは、(公務員をのぞいて)、すでに30歳くらいのとき、勝敗を決めている。
少なくとも40歳を過ぎて、勝ち組になる人はいない。
50歳を過ぎて、勝ち組になる人は、さらにいない。
30歳になった今、「明日も今日と同じ」という人生を歩んでいる人が、勝ち組に残る
確率は、きわめて低い。

 これは健康論に似ている。

●健康論

 健康であるかどうかは、運動する習慣をもっているかどうかで決まる。
30歳前後までに、その習慣を作りあげた人は、60歳を過ぎても健康。
そうでない人は、そうでない。

 たとえばA氏は、20代のはじめから夕方ジョギングをしている。
B氏は、週に2回、道場に通い、柔道をしている。
Cさんは、テニスの大会に毎年、出場している。

 つまりそうした習慣をもっている人は、60歳を過ぎても健康。
そしてそれは30歳前後のその人の生活姿勢を見れば、わかる。
つまりこの時期、その人の方向性が決まる。
若いことをよいことに、のんべんダラリの生活をしていれば、60歳はない。

 言い添えると、タバコは害にこそなれ、よいことは何もない。
中にヘビースモーカーの人でも、健康(?)な人はいるには、いる。
しかし60歳を過ぎて、健康な人はほとんどいない。
がんや脳疾患、心臓疾患で亡くなった仲間の大半は、そのヘビースモーカーだった。

 話が脱線したが、勝ち組になるか、負け組になるか。
それも30歳くらいまでに決まる。
その方向性を作った人は、勝ち組。
そうでない人は、負け組。
「明日こそ、何とかなるだろう」「明日があるさ」と慰めながら生きている人に、
明日はない。

●幸福はお金では買えないが……

 何度も書くが、たしかに幸福はお金では買えない。
しかしお金がなければ、その人は確実に不幸になる。
心も貧しくなる。
それが「現実」。
「ごっこ」には、その現実感がない。
つまり「生活感」がない。

 そうでなくても、世界中の人たちが、そのパイを取り合って競争している。
熾烈な競争である。
今の世の中、10年単位で変わっていく。

 「仕事より家族の方が大切」と説くのは結構なこと。
しかしそれはある程度、……というか、方向性をしっかりと作った人が使う言葉。
少ない収入で、生活費を切り詰め、ピーピーと言っている人が使う言葉ではない。
それこそ、「何を偉そうに!」となる。

 で、最後の頼みの綱が、「家族の絆(きずな)」ということになる。
この絆さえあれば、まだ何とかなる。
しかしその絆さえ、このところ、音をたてて崩れ始めている。

●パサパサになる人間関係

 いくらあなたが「私の子どもたちはだいじょうぶ」と思っていても、それは幻想。
「私たちの親子関係は安泰」と思っていても、それは幻想。
子どもを包む環境を「海」にたとえるなら、あなたの親子関係は「川」程度の意味
しかない。

 やがて子どもたちは巣立っていく。
そのとき海へ解き放たれる。
とたん、海のもつ「力」にそのまま染まっていく。
ひとつの例をあげて考えてみよう。

 10年ほど前、私の家の近くに、静岡県でも最大級とも言われるショッピングセンター
がオープンした。
そのあと1~2年は何とか持ちこたえたが、近隣の商店街はつぎつぎと、シャッターを
下ろしていった。
私自身は、田舎町の商店街で生まれ育ったから、そういった商店街のもつ粘着性をよく
知っている。
ネチネチというか、ベタベタ。
私の父にしても、自転車屋を経営していたが、自分で縄張りを決め、その外での仕事を
自粛していた。
そういう(温もり)が、まだ随所に残っていた。

 が、今はちがう。
パサパサというか、サラサラ。
人間関係も希薄になった。
そういう世界、つまり「海」に染まるうちに、当然、ものの考え方も影響を受ける。
現在のあなた自身を見れば、それがわかるはず。
平たく言えば、「親の恩も遺産次第」となる。

 ……というのは書き過ぎとしても、今では『子、大学生、親貧乏盛り』という。
爪に灯をともしながら、親は子どもの学費を工面する。
老後の資金を食いつぶす。
が、子どもはどうかというと、社会人になったとたん、ハイ、さようなら!

●これからの老後

 貧困の時代から、高度成長期へ。
バブル経済期から、衰退期へ。
この日本は大きく激動した。
が、意識というのは、そうは簡単には変わらない。
アインシュタインも言っているように、ほとんどの人は18歳くらいまでに、その
意識(常識)を完成させる。
その意識を死ぬまで、もちつづける。
多少の修正はあるだろうが、あくまでも「修正」。

 が、それぞれの世代のもつ意識は、10年単位で変わっていく。
ついていくのは不可能。
理解するのさえ、難しい。
今では親子関係ですら、パサパサと切っていく若い人は、珍しくない。
「ON/OFF人間」というのは、そういう人たちを指す。

が、私たちのような旧世代の者にとっては、ここに書いたように、理解するのさえ、
難しい。
それこそ心臓を2つに裂くような苦しみを経験しなければならない。
「どうでもなれ!」という思いと、「しかしそれでも親子は親子」という思いの中で、
悶絶する。
が、これもやがて一巡する。
決別する。

 で、パサパサ家族で生まれ育って子どもは、さらにパサパサ家族を作っていく。
そういう意識もないまま、またそれがどういうものであるかさえわからないまま、
パサパサ家族を作っていく。
が、こうなるともう私の知ったことではない。
「あとは野となれ、山となれ!」。

 つまりそこまで割り切らないと、若い人たちを私たちの世代から切り離すことは
できない。
自分の老後さえ、見つめることができない。
私たちがいくらネチネチ家族を望んだとしても、若い人たちは、それを「干渉?」と
捕える。
自分ひとりで母親の産道をくぐりぬけ、社会人になったつもりでいる。
オメデタイというか、バカげている。
自分で自分のクビを絞めるようなことを、平気でしている。

●ネバネバ社会の復活

 名古屋に住む友人夫妻は、近隣の人たちと旅行会を結成している。
毎月会合を開き、定期的にあちこちを旅行している。
すばらしい会である。

 で、私もそれに触発されて、近隣の人たちに話しかけてみた。
みな、好意的に反応してくれた。
近く、第1回目の会合をもつことになっている。
会の内容については未定だが、それはこれからの話し合いを通して決める。
つまり「ネバネバ社会の復活」である。

といっても、それですべての問題が解決するわけではない。
しかしこのままでよいとは、だれも思っていない。
このままでは、日本の社会そのものまでパサパサになってしまう。
現に今、「老人はゴミ」と考える若い人たちが、ふえている。
ウソだと思うなら、たまには2チャンネルで、若い人たちがどんな会話を交わしているか、
それを読んでみたらよい。

 恐らくこの傾向はさらに強くなることはあっても、弱くなることはないだろう。
介護問題にしても、医療問題にしても、私たちの老後のあり方に直結している。
ならば私たちは私たちで、ネバネバ社会を自ら守るしかない。
私たちは私たちの豊かな老後を、自ら守るしかない。
それがここに書いた、「会」ということになる。

 その結果はまた近く報告できると思う。

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【月末会のお知らせ】

 先日、話させていただきましたように、私たちの近隣でも、何かの「会」を
もちたいと思います。
称して「月末会」(仮称)。
月末に一番近い金曜日の夜を、とりあえずその日にどうかと思っています。
最初は、みなでお茶を飲む程度(あるいは自己紹介程度)でよいのではないかと
思っています。
時間帯は、午後8時~9時ごろで、いかがでしょうか。
つごうの悪い方は、またお知らせください。
みなで、話し合って決めたいと願っています。

 で、会のメンバーについてですが、名古屋に住む友人夫妻のばあい、5組(10人)
で運営しているそうです。
一度、機会があれば、浜松の方へ招待して、会の内容を話してもらうつもりでいます。
すでに10年ほど、つづけているそうです。

メンバーについては、それぞれのメンバーが、とくに親しい人を呼んでくるという
方法がよいかと思います。
そのほうが居心地もよいですし、メンバーに上下関係を作らなくてもすみます。

 いろいろ考えていますが、「継続することが大切」とか。
いかがでしょうか。

 第一回目の会合は、1月xx日(金曜日)、午後8時~9時でいかがでしょうか。
私の自宅へおいでくだされば、うれしく思います。
会合場所は、持ち回り制がよいのではないかと思います。

 いかがでしょうか?
ぜひ、おいでください。

                        林 浩司
                          晃子


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司