Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, February 19, 2011

●映画「ヒアアフター」

●あの世論(映画『ヒア・アフター(hereafter)』を観て……)

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今日から、映画『ヒア・アフター』が、公開された。
主演は、マッド・デイモンとセシル・ドゥ・フランス。

早速、ワイフと観てきた。

『ヒア・アフター』、つまり「あの世」。
字幕の中でも、そう翻訳していた。
私は、実は、この英語を知らなかった。
「hereafter(あの世)」ではなく、
「hear after(あとから聞く)」かと思っていた。
だから、「ヒア・アフターねエ?」と。

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●臨死体験

 映画『ヒア・アフター』の中では、1人の霊能者を主人公(ジョージ)にしながら、
それと並行し、臨死体験がひとつのテーマになっていた。

人は死線をさ迷うと、臨死状態を体験をするという。
その臨死体験。

臨死体験でたいへん興味深いのは、東洋のこの日本でも、また西洋の欧米でも、
同じような状況に置かれると、みな、似たような体験をするということ。
日本では、「三途の川」という。
西洋では、「湖」とか「海」とか、そういうふうに表現する人が多い。
もちろん「川」と表現する人もいる。

三途の川を渡ろうとしたら、うしろから声が聞こえてきた。
その声を聞いて、渡るのをためらっていたら、もとの世界に戻ってきた、とか。
映画『ヒア・アフター』の中でも、主人公の女性(マリー)は、みなといっしょに歩いて
いこうとしていた
この「みんなといっしょに歩いていた」という部分が、臨死体験。
が、何かのことで突然うしろに引かれ、そのまま生き返るという展開になっている。

 水の流れる川と、花が咲き乱れる美しい野原。

ただし映画『ヒアアフター』の中では、そういった景色は表現されていなかった。
「360度、すべての世界が一度に見えた」というようなことを、その女性は
言っていた。

 が、だからといって、スピリチュアル(霊的)な世界を肯定するのは、早い。
それをもって、「あの世がある」と言い切るのは、早い。
脳の一部には、どうもそういう機能が、もともとあるらしい。
(以下、記憶によるものなので、不正確。)

死ぬ寸前、つまり脳が機能を停止する直前、脳の一部のみが機能し、
人にそのような「夢」を見させるという(記憶による)。
前頭と側頭の間の溝(みぞ)に、その「一部」があるという(記憶による)。
その部分を電気的に刺激すると、先に書いたような水の流れる川と、
花が咲き乱れる美しい野原を、人は幻視として見るという(記憶による)。

 何かの薬草を服用しても、同じような現象を引き起こすことができるという
(記憶による)。
南アメリカにはその薬草を使って、幻覚を起こさせるという原住民もいるという。
まじないや病気の治療に使っているらしい(記憶による)。

 以上、「記憶による」というのは、何かの本で、そう読んだことがあるという意味。
何の本だったかは、忘れた。
以前、それについて書いた原稿があるはず。
(家に帰ってからさがしてみるが、見つからなかったら、ごめん!)
で、そのときも、こんなふうに書いた。

「長い進化の過程を経て、人間の脳の中には、そういう機能まで用意されている」と。
つまり死に際して、人は、最期の最期で、そういう夢を見るようになっている、と。
それには東洋人も、西洋人もない。
それが臨死体験ということになる。……ということではないか。
その本だけで、こう判断するのも危険なことだが、今の私には、そのほうが合理的に
聞こえる。
私は、スピリチュアルな意味での、「あの世」の存在を、信じていない。

 では、死んだら、私たちはどうなるか。
それについても、映画の中で、こう言っていた男がいた。
「電気を消すのと同じ。そのまま真っ暗になって、おしまい」(記憶による)と。
私はこちらの意見のほうを、支持する。

●あの世論

 が、実のところ、私にもわからない。
本当にあの世があるのか。
それともないのか。
そういう議論はさておき、今の私は、一応「ない」という前提で生きている。
死んでみて、あの世があれば、もうけもの。
また死んでから、それを知っても、遅くはない。

 が、宗教の中には、「信仰の厚かったものだけが、天国へ行ける」などと教えて
いるのがある。
しかしこの考え方は、おかしい。
あるとも、ないともわからない状態で、それを信じろというほうが、おかしい。
まちがっている。
もし天国が本当にあるのなら、それを先に見せてくれればよい。
そうすれば、私のような無神論者でも、有神論者になる。
スピリチュアルな世界を信じ、天国を信ずようになる。

 ……というようなことは、すでに何度も書いてきた。
だからここでは、その先を考えてみたい。

●生体検査

 2週間ほど前、私は胃がんを疑われた。
そのときのこと。
表面的にはともかくも、心の中は、最悪。
不安と心配。
それが同時に、繰り返し心をふさいだ。
食欲も減退。
結果を知るまで、1週間で、2~3キロもやせた。

 私は何度か、こう思った。
「私のような無神論者は、不幸だ。こういうとき、すがる相手がいない」と。

 信仰者なら、神や仏に、助けを求めただろう。
助けというか、やすらぎ。
それを求めただろう。
しかし私には、その神も仏もいない。
そこにポツンといるのは、私。
ひとりぼっちの私。
ワイフはそういう私を心配し、あれこれと慰めてくれた。
が、間にある隔離感は、どうしようもなかった。
すきま風は、どうしようもなかった。
私は孤独のどん底へ、叩き落された。

●やすらぎ
 
 映画『ヒア・アフター』は、しかし、よい映画だった。
途中、何度か、涙を流した。
あとに残された人たちの切なさが、そのつどジンジンと胸にしみた。
あの世があるとか、ないとか、そういう議論はさておき、「あの世」を必要とする
人たちも多い。
「あの世はある」と信ずることのみによって、救われる。
そういう人たちに向かって、「臨死体験は脳の活動の一部です」とか、「あの世は
ありません」とか、どうしてそんなことが言えるだろうか。
どうしてそんな残酷なことが言えるだろうか。

 その人がそれを信じ、やすらぎを得ているとしたら、そっとしておいてやること
こそ重要。
先にも書いたように、あの世があるのか、ないのか、本当のところ、私にもわからない。

●映画『ヒア・アフター』

 映画としては、期待したほどではなかった。
あえて星をつけるとしたら、星は3つの★★★。
『シクス・センス』『マトリックス』から始まり、『ミラーズ』『インセプション』ときて、
この『ヒア・アフター』。
ほかの映画を、星5つとするなら、この映画は、やはり星は3つ。
ややインパクトに欠ける。
……というか、冒頭の津波のシーンだけが、場違いなほど、大げさ。
臨死状態を経験するなら、あれほどの津波でなくても、よかったはず。

最後は、運命的な出会いにより、ハッピーエンドで終わるが、その部分も弱い。
「だったら、今までの流れは何だったのか?」と思ったところで、映画は終わってしまう。
ともかくも、西洋人の死生観が、この映画を通して、少し理解できた。
「西洋人」というよりは、監督のクリント・イーストウッドの死生観と書くべきか。

私なら、先日も書いたように、(あの世)と(この世)を逆転した描き方をする。
「この世」と思っている、この現世が、実はあの世。
「あの世」と思っている、死後の世界が、実はこの世。
私たちは、「あの世」と呼んでいる本来の世界から、「この世」と呼んでいるスピリチュ
アルな世界へやってきた。
今、その世界で生きている(?)。

 そのほうが、つじつまが合う。
私たちが「この世」と呼んでいるこの世界には、天国もあれば、地獄もある。
それに「この世」での命は、まりにも短い。
長く生きても、100年。
一方、「あの世」では、永遠。
母体(マトリックス)はどちらかというと、私たちが「あの世」と呼んでいる世界の
ほうこそ、母体。

●あの世の話

 もっとも私もあと16年足らずで、(それも運がよければの話だが)、この世を去る。
16年というが、そんな年数など、あっという間。
自分の過去を振り返ってみると、それがよくわかる。
今の年齢から16年を引くと、63-16=47歳。
47歳から今まで、あっという間に過ぎた。
だからこれからの16年間も、あっという間に過ぎていくだろう。
あるいはもっと早いかもしれない。

 で、その夜、床の中で、私はワイフにこう約束した。
胃がんの疑いがかけられた夜のことである。

「もしぼくが死んだら、その夜だけは、ぼくのそばにいてよ。
その夜、ぼくはかならず戻ってきて、あの世の話をしてあげるから」と。
ワイフには暗闇で見えなかったかもしれない。
が、私はその話をしているとき、ポロポロと涙をこぼした。
その涙こそが、クリント・イーストウッドの描きたかった涙ではなかったのか。

 そう言えば、マッド・デイモンの新作が、予告編で紹介されていた。
「運命」をテーマにした映画のようだ。
(タイトルは忘れた。)
こちらもおもしろそう。
楽しみ。
かならず観にいく。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

05年ごろ書いた原稿です。
しかしここに出てくる、三日酔いというのは、
私が45歳ごろ経験したものです。
ずいぶんと古い原稿だと思いますが、
ここに掲載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●臨死体験

++++++++++++++++++

それにしても、ひどい三日酔いだった。
風邪の症状も、それに加わった。
そのときのこと。
私は二日酔いの症状のひとつである、
厭世(えんせい)気分というのを味わった。
これはたぶんに、脳内の脳間伝達物質の
変調によるものだと思う。

感情の鈍麻(愛犬がただの犬に見えた)、
空虚感(何をしても根気がつづかず、空しく感じた)、
思考力の低下(何も考えることができなかった)、そして、
厭世気分(何ごとも、どうでもよくなってしまった)。

私は布団の中で、暗い天井を見上げながら、
ふと「死ぬときはこんな気分だろうな」と思った。
「いつ死んでも構わない」という気分にもなった。
しかし、おかしなことに、たいへんおかしなことに、
死ぬことがこわいという思いは、ほとんどなかった。

「思う存分生きてきたではないか」
「これ以上、何ができる」と。

おかしな満足感だった。
つまりこれはまったく私が予想していなかったことである。
私はいつも、こう思っていた。
「私のような往生際(おうじょうぎわ)の悪い
人間は、いざ死ぬというときになると、ギャーギャーと
大騒ぎするだろうな」と。
そのこともあって、死ぬということが、こわい。
……こわかった。
「生きることは、死の恐怖と闘うことである」などと
書いたこともある。

しかしそのときは、ちがった。
「このまま死ねるなら、それはそれで構わない」とさえ、
思った。

言いかえると、「生きたい」という思いも、
「死にたい」という思いも、私でない(私)によって
操作された結果として生まれる(思い)ということになる。

「死にたくない」という思いも、「死ぬのがこわい」という
思いも、同様に考えてよいのでは(?)。
で、私は最終的にはこう思った。
「意外と、そのときはそのときで、死を受容し、
気楽に死ねるのではないか」と。

こういうのは「臨死体験」とは言わないが、
しかし私は、そのとき、死の心理体験をしたことになる。

+++++++++++++++++++

若いころ、恩師の松下哲子(のりこ)先生に、こう聞いたことがある。
先生はそのとき80数歳を過ぎていた。
長い廊下になった縁側に座り、先生に、ふとこう聞いたときのこと。
「先生、人間というのは、歳をとると、死ぬことがこわくなくなるものですか?」と。

松下先生は、縁側で丸い背をかがめながら、こう言った。
「林さん、人間というのは、いくつになっても、死ぬのはこわいもんですよ」と。

私はこの言葉に驚いた。
松下先生は、若いときから幼児教育に情熱を燃やし、それをやり尽くした人である。
そのときも新しい園舎の建築もすませ、まさに円熟の境地に達していたはず。
松下先生の銅像も完成していた。
「松下先生の立場なら、いつ死んでもよいという覚悟ができていてもおかしくないはず」
と、私は考えた。

が、先生は、率直に、「こわい」と言った。
そこでたぶん、こういう会話をしたと思う。
「そういうものですか?」「そういうもんです」と。

だから私は自分に自信がもてなくなってしまった。
松下先生のような人物ですら、そう言った。
私より、何倍も、密度の濃い人生を送った人である。
しかも当時の松下先生は、80歳を過ぎていた。

で、私はそのあとこう思った。
私にも、いつかその日がやってくる。
しかしその日まで、私は死をこわがりながら生きる。
それしかない、と。
(死の克服)というのは、それほどまでにむずかしいことだ、と。

が、それがあっさりと、ひっくり返ってしまった。
たしかに私は厭世気分というのを味わった。
そして死への恐怖感が、一時的であるにせよ、薄らいだ。
薄らいだというより、消えた。
だから少しおかしな言い方に聞こえるかもしれないが、私はこう思った。

「これなら、いけるぞ」と。

つまり、そのときがきたら、意外とあっさりと死ねるのではないか、と。
が、それには条件がある。
そのときまで、生きて生きて、生きまくる。
精一杯、自分を燃焼させる。
「やるだけのことは、やった」という思いが、そのとき、「もう死んでも構わない」
という思いにつながる(?)。

まだここでは(?マーク)をつけたままにしておくが、どうも、そういうことでは
ないだろうか。

……いや、ちがう!

ここまで自分の書いた文章を読みなおしてみて、こう思った。
「生きたい」「死にたくない」という思いは、最近の研究によれば、どうやら
脳下垂体にある視床下部あたりから生まれていることがわかってきた。
そこから強力なシグナルが発せられ、それが「生きたい」という人間のもつ、
根源的な生命力の原泉につながっていく。
フロイトが説いた「性的エネルギー」、あるいはユングが説いた「生的エネルギー」
と同じに考えてよい。
人間にかぎらない。
あらゆる動物も同じと考えてよいが、ともかくも、そのシグナルが弱くなれば、
当然、「生きたい」という意欲も、弱くなってくる。……はず。

私が経験した厭世気分というのは、そのシグナルが変調、もしくは、弱くなった状態と
考えられないだろうか。
で、もしそうなら、何も、それまで生きて、生きて、生きまくるなどと気張らなくても、
だれしも、そのときがきたら、気楽に死の受容ができるということになる。
何もあえて、マズローの死の受容段階論など、とりあげる必要はない。
みな、ゆくゆくは、自ら、死を受容するようになる。

で、「生きたい」という思いが、実は(作られた意識)であるとするなら、
「死にたい」という思いもまた、(作られる意思)ということになる。
要するに、そのときは、そのとき。
そのときがくるまで、とにかく、生きる。
それでよい。
あとは脳のほうが勝手に意思を作ってくれる。
「死にたい」あるいは、「死んでもいい」という意思を勝手に作ってくれる。
そしてそのときは、そのときで、静かに死ねる。
今から、「死ぬのはこわい」などと、クヨクヨと悩む必要はない。
また悩んでも、無駄。

それを私は、この正月にまなんだ。
そしてそれがこのエッセーの結論ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
死の受容 厭世気分 その時 臨死体験 死を受け入れる はやし浩司 マズロー)

Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●山荘にて(はやし浩司 2011ー02-19)

 手元に「週刊現代」の2月19日号がある。
「八百長相撲」の記事が気になった。
それで買った。
買ったが、山荘に置き忘れたまま。
ほとんど読まなかった。
週刊現代と日本相撲協会の確執は、長い。
週刊現代はそのつど八百長相撲を指摘し、そのつど日本相撲協会に逆告訴され、
敗訴している。
莫大な損害賠償金まで支払っている。

 週刊現代の怒りは、このままでは収まらないだろう。
八百長相撲は、ごく当たり前の習慣として、なされていた。
今回の一連の八百長事件をながめていると、そんな感じがする。

 さらに私も最近知って驚いたことがある。
相撲のことを「国技」と呼んでいたが、相撲は国技でも何でもない。
公的に、だれかがそう規定したわけではない。
「国技館」でするようになったから、いつの間にか、「国技」と位置づけられてしまった。
どうもそういうことらしい。

 だったらなおさら、相撲を国技として保護する理由などない。
またそういう政策など、すぐやめたらよい。
「公益法人」などというのは、もってのほか!

何度も繰り返すが、日本相撲協会がしている「スモウ」は、ただの興行。
金儲けのための興行。
プロレスリングと同じ。
私たちがスポーツとして位置づけている相撲は、たとえば大学や高校でしている相撲部
の相撲。

レスリングにしても、そうだ。
プロレスリングを、スポーツと思う人はいない。
ただの興行。
興行なら、仮に八百長があっても、だれも驚かない。
観客が楽しめば、それでよい。
相撲も同じ。
私たちも、八百長があるという前提で、相撲を見る。

 日本相撲協会にとっても、そのほうが気が楽ではないのか。
いらぬ神経を使わなくてすむ。

 ……ともかくも、今まで、私たちをだましつづけてきた罪は、重い。
その分だけ、怒りも大きい。
週刊現代を読んでいるとき、それを強く感じた。


●週刊「アスキー」(2月8日号)

 もう1冊、手元に雑誌がある。
これも古い。
週刊アスキー(2/8日号)。

 コンビニで買ったが、ほとんど読まないで、そのままにしてあった。
この雑誌も、置きっぱなしになっていた。
カタログをそのまま閉じたような雑誌だが、新製品に目を通すだけでも楽しい。

2/8日号では、「ノートPC、春モデル35」という特集が組んであった。
先ほど、それをざっとながめてみた。
どれがほしいということはなかった。
が、楽しかった。

 どうしてだろう?
どうして楽しいのか?

 今夜のお供は、TOSHIBAのダイナブック、MX。
バッテリーのもちが、10時間近いというスグレモノ。
ただ表面がツルツルしていること。
キーボードが打ちにくいこと。
そのためタイプミスが多い。
そういう点では、あまり好きではない。

 そのMXを使いながら、こう考える。
「パソコンは、ただの電気製品ではない」と。
それをワイフに話すと、「では、何よ?」と。

 そう聞かれても困るが、ただの電気製品ではない。
私はパソコン1台、1台に、女性の名前をつけている。
新製品を買ったら、数日は枕元に置いて、眠っている。
愛着感がちがう。

 あえて言うなら、パソコンの世界は、もうひとつの別世界。
画面の向こうには、この宇宙と同じだけ広い、宇宙が広がっている。
言うなれば、この世とあの世をつなぐ窓のようなもの。
たとえば今、こうして書いている文章にしても、明日の朝には全世界へと届く。
一方、全世界の情報を、こうして居ながらにして、ここで知ることができる。
考えてみれば、不思議な世界。
本当に不思議な世界。

 だからただの電気製品ではない。


●IZ先生へ

 お元気ですか。
こども園開園の案内、ありがとうございました。
先生と知り合って、もう10年以上になります。
正確には、13年です。
先生がある日突然、私の教室を訪れてくれました。
何かの大会が、近くの教育会館であった、その帰り道のことです。
先生は、私のレッスンを見て、「もったいない」と言ってくれました。
その言葉が、うれしかったです。
つまり「こういう小さな教室でするには、もったいない」と。

 で、そのあと先生は、埼玉県にある幼稚園の園長の話をもちかけてくれました。
私は残念ながら、断りました。
私は当時すでに、残りの人生は執筆活動を中心にしようと、心に決めていたからです。
一方、先生は当時、小学校の新設に尽力していました。
小学校のほうはともかくも、その後、保育園の開園、そして今回のこども園の開園。
おめでとうございます。
先生のエネルギーには、ただただ感服するのみです。

 で、私のほうはといえば、相変わらず小さな教室で、直接子どもたちを教えています。
当時と、基本的には何も変わっていません。
生活パターンも同じです。
今でも書くのが好きで、暇さえあれば、パソコンに向かってキーボードを叩いています。
それもあって、パソコンだけは、つぎつぎと新しい機種を購入しています。
言うなれば、道楽三昧の毎日です。

 が、このところ様子が少しずつ、変わってきました。
私の原稿を読む人がふえてきたということです。
今では、毎日、1万人以上もの人が、何らかの形で、「はやし浩司」の名前のある文章を
読んでくれます。
実際には、もっと多いはずです。
考えてみれば、これはものすごいことですね。
今の私は、それが生きがいです。
……というか、それがあるから生きているようなものです。

先生とはまったくちがった生き方かもしれませんが、(生きる執念)のようなものは、
大きく共通していると思っています。
で、再び同じ質問ですが、お元気ですか。
私のほうは、成人病とも無縁で、そこそこに元気でがんばっています。

 ただがん検診とうのは、いやですね。
受けるたびに、「要精密検査」という知らせを受け取ります。
2週間前も、そうでした。
そのつど肝を冷やしますが、今のところ無罪です。
がんも、成人病イコール、生活習慣病とか。
ストレス原因説(ストレスにより免疫力が低下し、がん細胞を増殖させるという説)
が、主流になってきました。
ストレスはよくない。
……ということで、穏やかに生きることを、最近は、とくに心がけています。

 先生には、本当にお世話になりました。
何度も講演会の講師に呼んでくださり、ありがとうございました。
私には、どれもすばらしい思い出になりました。
あのロゼシアター(富士市)にしても、そのあと幾度となく縁があり、たびたび
そこで講演しました。
講演するたびに、先生との出会いを思い出していました。

 ……こうして13年。
私を取り巻く環境だけは、大きく変化しました。
家族といえる家族は、私とワイフ、それに長男だけになってしまいました。
母も兄も他界。
たった1人の姉とは、断絶状態です。
あと息子が2人いましたが、(「いましたが」という過去形です)、2人も、
遠くへ行ってしまいました。

 残るは、私の「晩年」ということになります。
「どう生きるか」ということよりも、最近は、「どう死ぬか」、
それを先に考えるようになりました。
ご存知のように無心論者ですから、墓には、ほとんどこだわっていません。
死後の世界にも、こだわっていません。
だからというわけでありませんが、私にとっての墓石は、「文章」と心得ています。
またそういうつもりで、毎日文章を書いています。
墓石に文字を刻むようなつもりです。

 で、今、いつか先生が遊びにきてくれたあの山荘で、この手紙を書いています。
あのときのままです。
何もかも、あのときのままです。
今、私が座っている場所も、あのときのままです。
先生はおいでになったとき、すぐ昼寝をしましたが、今では私も、その昼寝をするように
なりました。
短い時間の昼寝は、ボケ防止にもよいのだそうです。
それを知り、このところ昼ごろ、30~40分程度、昼寝をしています。
今でも先生の幼稚園には、先生専用の昼寝ベッドがありますか。
よく思い出します。

 で、今度はこども園ですね。
先生の教育メソドが濃厚に生きていることと思います。
ともかくも、開園、おめでとうございます。
私のような人間には、まねできない偉業の数々。
心から先生を、尊敬します。
本当に、おめでとうございます。

 で、当日は、……というか、その翌日、私とワイフは、オーストラリアへ旅立ちます。
そのこともあって、開園式には出席できません。
「あの恩知らず!」と思われるかもしれませんが、どうかお許しください。
私は大の飛行機恐怖症。
加えてオーストラリアへは、今回、はじめてワイフを連れていきます。
私にとっては、特別の思いのある国です。
私の人生の出発点でもあり、またゴールでもあります。
ただの旅行ではありません。

 オーストラリアといっても、メルボルン。
メルボルンといっても、パークビル。
「241 ローヤル・パレード」。
私はそこで、私の青春時代を完全に燃焼しました。
言うなれば、私の心の聖地です。
そこへ人生の最後に、ワイフを連れていきます。
今回は、そういう旅行です。
今からすでに緊張しています。
どうかわがままをお許しください。

 今、時刻は、午後11時。
ちょうど11時です。
今、ワイフは私が床につくのを待って、何やら横でメモを取っています。
私にとっては、もっとも心が安らぐ、至極のときです。
こうして先生に手紙を書いていると、なおさらです。

 本当に早いものですね。
13年です。
先生とは、すべてよい思い出ばかり。
楽しかったです。
同時に先生のバイタリティには、いつも驚きました。
今も、あのままですか。
奥様は、お元気ですか。
息子さんたちは、それぞれの幼稚園で、がんばっていますか。
先生のような人を、「成功者」と呼ぶのですね。
本当に幸福な人だと思います。
よき妻、よき後継者。
あまりこういう言葉を使ったことはありませんが、うらやましいです。
私もそうなりたいと思いつつ、結局はできませんでした。
日々にあきらめの気分ばかり、大きくなっていきます。
同時に、自分をなぐさめることも多くなりました。

 さて、これからのこと。
私は元気なうちは、仕事をつづけます。
年金も乏しいものです。
たくわえは、息子たちの学費(+遊興費?)で使ってしまいました。
だから働くしかありません。
願わくば、ピンポク。
前日までピンピンと働き、翌朝、ポックリと死ぬ。
それが理想です。

 どうか先生も、お体を大切に。
私も浜松でがんばります。
がんばるしかないから、がんばります。
開園式には行けませんが、その前後に、先生の都合さえよければ、一度、
遊びに行かせてください。
先生や奥様の元気な姿を、見たいです。

 ワイフが横で、モジモジしています。
「もう寝よう」という催促です。
ワイフは、そういう女性で、いつもそばにいて、じっと私に耐えていてくれます。
だからもう寝ます。

 おやすみなさい。
今夜は、暖かいですね。
今まで朝、起きるのがつらかったです。
これからは毎朝、5時起きです。
原稿を書いて書いて、書きまくります。
私にとっては、それが楽しいです。
荒野をひとりで歩くような、楽しさです。

 では、ほんとうにおやすみなさい。

      はやし浩司

2011年2月19日夜、山荘にて


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司