Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Friday, April 08, 2011

●豊かさとは何か

●4月9日

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オーストラリアからの帰り道、飛行機の
中で、睡眠がうまく取れなかった。
それもあって、ここ両日、睡眠時間が
めちゃめちゃ。
で、今朝は、午前4時起き。
3時ごろ目が覚め、1時間ほどがんばって
みたが、GIVE UP!
それで午前4時起き。

20分間、ウォーキングマシンで歩いた。
何人かの人に、メールの返事を書いた。
現在、時刻は午前4時50分。

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●1Aドル(=豪ドル)が、90円!

 ハウスの自動販売機で、ペットボトル入りのジュースを買った。
量はやや多いかなと思ったが、値段は3ドル50セント。
日本円に換算すると、300円前後。

 食料以外には、10%の消費税が課せられる。
自動販売機のジュース類はどうなのか?
それはわからないが、物価は、全体に、日本の約2倍といった印象をもった。
(=つまりそれだけ、円が弱いということ。)

言い換えると、オーストラリア人にしてみれば、日本の物価は、食料品を
のぞき、約半額、あるいは、3分の1。
そんなふうに見えるにちがいない。

ほかにホテル代にしても、どこも日本円に換算して、3~6万円(1泊)。
日本の相場の、2倍程度。
逆に言えば、オーストラリア人は日本へ来ると、約半額で泊まれるということ。
そういう実感をもつだろうということ。

 その一方で、食料品だけは、安い。
八百屋でドカッと果物類を買っても、1000~2000円程度ですむ。
これも言い換えると、こうなる。
日本人は高い食料品を、日常的に買わされている!、と。

●豊かさとは何か

 では、1Aドルはいくらくらいが、よいのか?
実生活レベルでみるなら、1Aドルは、50円前後。
それくらいなら、納得する。
が、そうはいかないところが、為替。
国力に応じて、為替レートも大きく影響を受ける。

 オーストラリアは言わずと知れた資源国。
国自体がもつ豊かさがちがう。
そのことを思い知らされるのが、住環境。
オーストラリア人は、広い敷地と広い家の中で、伸び伸びと暮らしている。
その豊かさは、オーストラリアへ行ってみるとよくわかる。
わかるというより、ふつうの日本人なら、ふつうでない衝撃を受けるはず。

 が、それだけではない。
労働時間も、また忙しさも、日本のそれとは、まったく異なる。

友人のメイは、ボーダータウンで医師をしている。
3人の医師の長として、診療所(サージャリー)を取り仕切っている。
そのメイは、2週働くと、2週の休暇を取っている。

 ボブの息子のアンドリューは、4週間働くと、2週間の休暇を取っている。
アンドリューは、アデレードから5000キロ離れた鉱山で働いている。
つまりそのつど、5000キロ(北海道から九州までが、2000キロ)の距離を、
通勤していることになる。
5000キロだぞ!

 ボーダータウンでは、どの店も、ガラ~ンとしている。
通りに人影を見ることも少ない。
それでも何とか、生活できるらしい。
そういうのを「豊かさ」という。

●老人村

 年金額は、総じて一律、月額15万円前後。
日本のようなインチキ臭い差別は、ない。
満60歳になると、自動的に支給される。
15万円と聞くと、「少ないかな」という印象をもつ。
が、それでちゃんと生活できるしくみが、できあがっている。
そのひとつが、「老人村(Old Man’s Village)」。
「村」といっても、ごくふつう並んでいる家。
町の一角にそれがある。

 その老人村の一角には、幼稚園が併設されている。
理由を聞くと、「老人は幼児が好きだから」と。

また通りをはさんだ反対側には、日本でいう「特別養護老人ホーム」がある。
自活できなくなった老人は、そのホームに入る。
日本的に言えば、「恵まれた環境」ということになる。
が、彼らには、その意識はない。
当たり前のこととして、生活の中にしみこんでいる。
が、何よりも驚くのが、土地の広さ。

 これについては、すでに書いた。
で、そこで考えるのが、「人間の価値」

●人間の価値

 人間の価値は平等とは言う。
しかしそれは概念上の話。
現実は、つねに別の尺度で測られる。
つまり人間の価値は、人間として大切にされているかどうかで決まる。

たとえばティム(ボブの友人)の家を訪れたときのこと。
ティムは、子ども(4歳くらい)を、部屋の中央で入浴させていた。
聞くと、手製のバス(風呂)ということだった。

 幅が、1メートル四方、高さが1メートル30センチほどの箱。
その上部に子ども用のバスタブをはめこみ、その中で入浴させていた。
台も備えつけてあり、何枚かの食器がそこにあった。
たぶんティムの子どもは風呂に入りながら、食事をしたのだろう。
つまりそういうのを「価値」という。

 その「価値」と比べると、日本人がもつ人間的な価値は、残念ながら低い。
人間として、大切にされていない……というより、大切なものを、大切でないと
思い込み、一方、大切でないものを、大切と思い込んでいる。
結果として、人間の価値を低めている。