●「学府」とは何か、金沢市の愚作
●オーストラリア旅行、追記
●金沢大学
金沢大学という大学は、以前は、城の中にあった。
石川門をくぐって橋を渡ると、兼六園。
私は4年間、その兼六園を通り、大学へ通った。
その金沢大学は、現在、金沢市のはずれにある「角間」というところに移動している。
見るからに新制大学。
どこにでもあるような新制大学。
味も素っ気もない。
移動した理由は、金沢城址を、観光地にするため。
「お金(マネー)」がほしいため。
まだじゅうぶん使える学舎は、跡形もなく取り壊された。
そのあとに、城の城壁らしきものが復元された。
が、これこそ天下の愚作。
天下の愚作と言わずして、何という。
ヨーロッパでもそうだが、オーストラリアでも、大学を市の中心部に置く。
「学府」という言葉は、そこから生まれた。
つまり「知」の殿堂。
それが大学。
その大学が、市の知性を先導する。
メルボルン大学にしても、そうだ。
メルボルン市の北側に隣接し、大学全体が深い緑の森に覆われている。
メルボルン市にあっても、もっとも美しい場所と言えば、パークビル通り。
左右を広大な公園に挟まれている。
観光名所にもなっている。
メルボルンだけではない。
アデレードも、そうだ。
アデレード大学は市の中心部に隣接している。
それを取り囲むように、神学校や教育単科大学などがずらりと並ぶ。
●中川善之助氏
実は大学を取り壊し、観光地にするという話は、私が学生のころからすでにあった。
が、当時の学長であった中川善之助氏が、それにがんとして反対した。
学生数は4000人。
その学生が金沢市に落とすお金は、莫大なもの、と。
が、お金だけではなかった。
何かにつけ、市の行事は私たち学生が主導した。
祭りはもちろん、コンサート、催し物、講演会などなど。
ついでに学生運動もした。
それだけ学生の存在感が大きかった。
……というか、そのときはそれに気づかなかった。
気づいたのはこの浜松市に住むようになってから。
この浜松市は、恐ろしく文化性のない町だった(失礼!)。
静岡大学の工学部もあったはずだが、その存在感がまるでなかった。
祭りにせよ、静岡大学の学生が何かをしたという話は、今に至るまで耳にしたことがない。
だから……というふうに言い切るのも失礼なことだが、この浜松市は、どこかヤクザぽい。
知的レベルが(?)(失礼!)。
金沢と比較してみると、それがよくわかる。
たとえば金沢では夜ともなると、あちこちの公民館から、三味線や鼓(つづみ)、謡
(うたい)の声が聞こえてきた。
大学の教授たちが開く講演会は、毎晩のようにあちこちで開かれた。
それらが全体として、金沢市の「品格」を支えていた。
●メルボルン大学
メルボルンを訪れた人は、メルボルン大学のもつ広大なキャンパスに驚くだろう。
周辺には、中世の城を思わせるカレッジが、ズラリと並んでいる。
そしてその外側を、学生たちが住む学生寮や家々が取り囲んでいる。
それだけではない。
そのメルボルン大学を囲むように、総合病院や女性病院、子ども病院、さらには、
いくつかの単科大学が林立している。
メルボルン市を見るかぎり、むしろ商業地域のほうが、小さく見える。
フリンダース駅周辺には、高層ビルも多いが、それでもメルボルン大学のもつ存在感
は、大きい。
待ちを歩く若い人たちと言えば、大学生。
その大学生たちが、メルボルン市を先導している。
で、この浜松市はどうか。
現在、市内は、若者たちに占領されてしまっている。
以前は仕事を終えたサラリーマンや労働者が、多く立ち寄った。
が、今は、若者たち。
怪しげな雰囲気を漂わせた男や女たち。
一見して、そのレベルとわかる男や女たち。
それを金沢市に住む友人に話すと、こう言った。
「金沢も似たようなものだよ」と。
学生が街にいたころは、まだ華やかだった。
が、今ではあの香林坊(繁華街)ですら、ゴーストタウン化している。
●天下の愚作
金沢大学が角間に移設されると聞いたとき、私はまっさきに金沢の友人(弁護士)に
聞いた。
「どうしてだ?」と。
するとその友人はこう言った。
「県知事が、金大(金沢大学)出身でないからね」と。
つまり金沢大学に愛着がないから、と。
わかりやすく言えば、県知事は、「金儲け」を優先させた。
金沢大学を追い出し、そのあとに城を復元する。
観光地として売り出す。
魂胆は見え見えというか、それが目的だった。
で、結果はどうなったか。
金沢市の観光収入は、それで増えたのか?
NHKの大河ドラマの影響で一時的に観光客はふえたものの、今はその反動に苦しんで
いるという。
それに観光地といっても、城跡に城壁を連ねただけのもの。
観光客にしても、石川門をくぐったあと、一瞥(べつ)してそのまま外に出てしまう。
が、それ以上に金沢市の失ったものは大きい。
金沢市は「知」を失った。
わかりやすく言えば、どこにでもあるような俗っぽい町になってしまった。
……同窓会に出るたびに、私たちはこう言う。
「金沢大学は北海道大学についで、全国第二の広いキャンパスを誇った。
それがぼくたちの誇りでもあった。
が、今は、見る影もない。
どこにでもある新制の私立大学のようになってしまった。
が、いちばん損をしたのは、金沢市自身ということになるよ。
この先、100年、200年をかけて、さらに俗っぽい町になる。
そのほうがよっぽど損なんだがね」と。
なお金沢大学が角間に移ってからというもの、私は一度も角間を訪れていない。
同窓生の中でも、訪れた人は、ほとんどいない。
……それでも「はやし(=私)の言うことはおかしい」と思うなら、一度、
メルボルン大学を訪れてみることだ。
あなたもその存在感に圧倒されるはず。
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司
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