Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, April 24, 2011

●浜松祭り中止、反対!

●改めて、浜松祭り中止について考えてみる(浜松市民、もの言わぬ従順な民)

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浜松まつり本部の会長が、
鈴木康友氏?
浜松市長?
どうして?
どうして祭りの
会長が市長なのか?
市民の祭りまで、市長に
管理されているのか?

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●中止になった浜松まつり(祭り)

 浜松まつり本部(浜松市役所内、観光交流課)は、去る3月18日、今年度の
浜松祭りの中止を決定した。

鈴木康友浜松市長名で出された通達には、いくつかの理由が並んでいる。
通達の一部を抜粋する。

+++++++++++以下、中止通達の一部++++++++++++

 ……こうした状況のなか、参加自治会の代表である浜松まつり本部総務部会を開催したところ、一部には、「例年同様にやりたい」、「規模縮小で開催」という意見もあったものの、多くは、「開催しても参加を辞退する」、「初家からも辞退申し出がある」、「中途半端なまつりはやるべきではない」、「どちらにしても皆が足並みを揃えるべきだ」などの意見が出され、まつりの性格上制限をかけたまつり開催が難しいことを含め、地域を挙げて初子を祝うという一体感が身上である「浜松まつり」の運営が事実上困難であると判断し、開催しないほうがよいとの結論に達しました。

あわせて、例年、多くの関係機関のご協力のもと、まつりの安全運営に努めてまいりましたが、交通規制・雑踏警備・救急搬送などまつり開催時に例年同様の対応について依頼することが難しいと想定されます。

これらのことから、浜松まつり本部を構成する4団体で協議し、3月18日に「浜松まつり行事すべてを中止する」ことを決定させていただきました。

3月19日からの連休中に本格的なまつり準備を進める自治会も多いことから急遽、記者発表させていただいた次第です。

+++++++++++以上、中止通達の一部++++++++++++

●祭り

 祭りなどというものは、やりたい人が、やりたいときに、やればよい。
やりたくない人は、やらなくてもよい。
それが原点。
全員参加が望ましいが、しかしかならずしも、それにこだわる必要はない。
つまり祭りというのは、庶民レベルから、庶民のエネルギーが結集して生まれるもの。
江戸時代という封建時代ならともかくも、「お上(かみ)」うんぬんが、口を
出すべきことではない。

 よい例が、官製祭り。
浜松市も、ほぼ10年ごとにいろいろな祭りを企画し、何とか軌道に乗せようとして
きた。
が、官製祭りは、ことごとく失敗している。
最初の数年はもりあがるものの、その後衰退、消滅。

 世界の祭りを見てみろ。
北朝鮮のような国もある。
あの国では、祭りも含めて、庶民の活動は、すべて統制されている。
一方、オーストラリアのような国もある。
あの国では、祭りも含めて、庶民の活動は、すべて庶民が主体となって推し進める。
役人が口を出すのは、つぎのつぎ。
ふつうは、口を出さない。

●安全運営?

 通達をよく読んでほしい。
浜松祭りは、つまりは役人の「ご都合主義」によって、中止された。
安全確保がむずかしいとか、何とか。
いわく「……交通規制・雑踏警備・救急搬送などまつり開催時に
例年同様の対応について依頼することが難しいと想定されます……」と。
 
 ここに出てくる「安全運営」という言葉。
その言葉に注目してほしい。

この言葉ひとつで、浜松祭りは、キバを抜かれてしまった。
「祭り」というよりは、「管理行事」。
何から何まで、管理、管理、また管理。
今では、祭りに出るにも、有料のワッペンが必要。
練り(祭りの行進)に参加するのにも、提灯が必携品。
そのほか定められたルールを数え上げたら、キリがない。

 結果、浜松祭りは、どうなったか?

 私が浜松へ来たころの祭りは、おもしろかった。
迫力もあった。
けが人も続出したが、喧嘩とけがは、祭りのつきもの。
それがあるから、「祭り」。

また練りにしても、ゲリラ隊というものもあった。
それぞれのグループが、好き勝手に、浜松市内を練った。
私は、よそ者ということもあって、町内の祭りには参加できなかった。
毎年ゲリラ隊のほうで、祭りに参加した。
結構それが、おもしろかった。
今からちょうど40年前のことである。

●自己責任

 話はそれるが、「自己責任」という言葉がある。
が、私たち日本人は、何か問題が起きると、すぐ「国が……」「国が……」という。
世界でも類を見ないほど、「国」に対する依存性の強い国民と考えてよい。

 たとえばアメリカでは、崖っぷちを走る道路にさえ、ガードレールはない。
オーストラリアでも、ガードレールはめったに、見かけない。
「事故を起こすのは、あなたの勝手」と。
「自己責任」のルールが、徹底している。
こんなことがあった。

 アメリカ大陸を縦断して、ミズリー川という、とてつもなく大きな川が流れている。
あの川は、数年おきくらいに氾濫し、大洪水を引き起こしている。
私がたまたまアメリカへ行ったときも、そうだった(2001年・9・11事件の
あった年)。
で、私が「どうして護岸工事をしないのか?」と聞くと、市の福祉課(アーカンソー州・
リトルロック市)に勤めていたS氏がこう話してくれた。

 「ミズリー川の護岸工事には、莫大な費用がかかる。
そんな護岸工事にお金をかけるくらいなら、洪水で流された家を、建てなおしてやった
ほうが安くつく。
それに護岸工事をすれば、自然の景観を壊してしまう」と。

 洪水で流される家の持ち主にしても、流されたからといって、文句を言わない。
最初から、そういうものと割り切っている。
洪水だけではない。
ハリケーンや竜巻にしても、そうだ。

●中止、反対 

 想定外の(?)大震災、それにつづく大洪水。
東北地方の人たちは、たいへんな被害を被った。
それは事実だが、だからといって、浜松祭りを中止するのは、どうか。
私は浜松市が祭りの中止を発表した翌日の3月19日朝に、こんな原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●Fight Back (2)【浜松祭り・中止反対!】

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2011年3月19日。

Fight Back (2)。

元気な町が、元気を失ってはいけない。
元気な町まで、沈んではいけない。
元気な町は、さらに元気を出す。
さらにがんばる。
この先、この日本を支えていくのは、
元気な町。
つまり、浜松!
この浜松市!
その元気を見て、ほかの町もがんばる。
ほかの県もがんばる。
それを見て、日本もがんばる。

運命はある。
あるが、最後の最後のところで、ふんばる。
ふんばるところに、生きる意味がある。
価値がある。
運命に負けてはいけない。
運命を恐れてはいけない。
恐れたとたん、運命は、キバをむいて、
私たちに襲いかかってくる。
運命というのは、そういうもの。

今が、そのとき。
さあ、ふんばろう。
浜松のみなさん、がんばろう。
被災地のみなさんに、こう言って、エールを
送ろう。
日本は、まだまだだいじょうぶ!
私たちががんばって、復興資金を作る。
その資金で立ちなおる。
東北の都市を、すべて、再興させる。
放射能で汚染された土地は、すべて取り除く。
新しい土をそこに敷く。
米を作る。
再び、福島米を食べる。
岩手米を食べる。
その日まで、私たちは負けない。
さあ、ファイト・バック!

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●浜松の人たちへ

 何も浜松が津波の被害を受けたわけではない。
悲惨な天災だったが、何も私たちまで意気消沈することはない。
仮に福島第一原発が爆発しても、浜松はだいじょうぶ。
距離にして、約500キロ。
多少の放射線量はあがることはあっても、そこまで。
人体に被害が及ぶことはない。

 大切なことは、そういう地域に住む私たちまで、負けてはいけないということ。
私たちがここでがんばらなくて、だれががんばる?

●浜松祭りをしよう!

 ただ残念なことは、今朝の新聞によれば、あの「浜松祭り」が、中止になったこと。
どうして?
こういうときにこそ、祭りをやって、元気な日本を示すべき。
暗く沈んだ気持ちを吹き飛ばすべき。
「祭り」は、そのためのもの。
規模の縮小はやむをえない。
質素にやるのは、当然。

しかし私たちは、あの大凧にこう書く。
子どもの名前ではない。
こう書く。

「被災地のみなさん、がんばれ!」
「浜松はがんばっている!」
「日本は、負けない!」
「日本の元気は、浜松から!」
「日本は、浜松から復興させてみる!」と。

 SUZUKIもHONDAもYAMAHAも、みんな浜松から生まれた。
豊田佐吉も浜松で生まれた。
今の日本を支えているのは、私たち、浜松人!
これからも日本を支えていくのは、私たち、浜松人!

 浜松は現役。
こんな程度の災害でへこたれない。
簡単に、日本を沈没させてたまるか!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●行きすぎた自粛への批判

 その後、4月に入ってから、「行きすぎた自粛」に対する批判の声があがってきた。
政府からだけではない。
被災地の人たちからも、あがってきた。
当然のことである。
逆の立場で考えてみればよい。

 繰り返しになるが、今の日本に必要なのは、「元気」。
いろいろな意見はあるだろう。
が、それ以上に今回、私が気になったのは、「もの言わぬ従順な民」。
通達では、「浜松まつり本部を構成する4団体で協議し……」うんぬんとある。

 ある程度の自粛は、しかたない。
内容の変更も、しかたない。
しかしやり方は、いろいろある。
ワッペンの料金をあげ、その分を、復興資金として寄付する。
そんな意見も、多い。
凧に「東北地方のみなさん、がんばれ!」と書くのもよい。
あるいは東北地方の人たちを、招待するのもよい。

通達にある、『地域を挙げて初子を祝うという一体感が身上である「浜松まつり」……』
というのは、ただの口実。
百歩譲って、だからといって、それがどうして「中止」につながるのか?
もしその精神を大切にするなら、初子を祝ってやればよい。
初子を祝うために、凧をあげてやればよい。
祭りを中止するということは、初子を祝わないということになる。
この矛盾を、どう考えるのか?

●投稿記事より

 「浜松祭り中止」で検索してみた。
ほとんどが、「反対」の意見。
中には被災地の方から、「中止しないでほしい」という意見もあった。
最初の2ページまでの中から、いくつかを拾ってみる。

★何でもかんでも中止は安易な選択ではないでしょうか???(静岡道楽日記さんのBL
OG)

静岡市民なのにハマゾーブログをやっている者として驚いたのが「浜松祭りの中止」です。
「ブルータスよ、おまえもか!」の心境です。4月最初の静岡祭は見るための比較的新し
い祭ですから仕方ない面もありますが、伝統的であり、浜松市民の文化でもあり、地域コ
ミニィティの核である浜松祭りの中止は安易で楽な選択ではないかと、浜松市民でない私
でも思ってしまいます。

★浜松まつりが中止になりました。(みんカラさんのBLOGより)
何でも自粛すれば良いのでしょうか?
それで被災地に何のメッセージが送れるのでしょうか?
つまらない批判を恐れての事としかおもえません。
浜松市長は当初、各地区の判断に任せると仰ったと聞きました。
それが本当であるならば失望したとしか言いようがありません。
各地区の判断に任せるなど、後に各地区間でのシコリが発生する可能性があることを平気で口にするなど正気の沙汰とは思えず。当然、無難な方向へ流れるでしょう。
ここは市長自らが率先して浜松祭りを支援に利用してしまえば良いと思います。多くの人が集まる浜松祭り。そこで、支援を訴えればと考えるのは浅はかでしょうか?
いずれ起こるとされる東海地震。おそらく浜松でも多くの人が被災されるでしょう。被災者となった時のことをイメージすると、どんな形で募った支援であれ有難いものだと思うでしょう。
プロ野球のセリーグの開幕日程問題とは質的に異なるでしょう。あちらは現状の電力事情などを考慮すると、開幕には疑問があります。
ただ、何でもかんでも自粛自粛という風潮は違和感があり…

★浜松まつり 中止 が決定されましたね。(ウエスタンパブ駅馬車さんのBLOGより)

昨日は落ち着いて書ける自信が無かったんで、一日おいて書いてます。
まず、オイラのスタンスは、「 中止反対! 」です。
東日本大震災の被災者の方々には、心からお見舞い申し上げます。
この気持ちに嘘偽りはありません。
ただ、大震災の発生を受け、浜松まつりが中止というのが、納得できません。
被災者の方がいらっしゃるのに、お祭りなんて...という気持ちも分かります。
でも、それが本当に被災者の方の為になるのでしょうか?
被災地で必要なことは、同情ではなくて、支援ですよね。
支援をするには、被災地以外の地域が正常な状態である必要があります。

現在の浜松が正常な経済状況でしょうか?
他地域よりも不況からの脱却が遅れ、未だに苦しんでいます。

●官僚国家

 祭りまで、「お上」に管理されている。
この事実を、もう少し私たちは深刻に考えてよいのではないか。
「公僕意識」というのは、「市民が先にあって、役人があと」という意識をいう。
が、今、公僕意識をもっている役人は、いない。
いないことは、役人自身が、いちばんよく知っている。
言うなれば、江戸時代の「侍意識」が、そのまま残っている。
さらに言えば、日本という国は、奈良時代の昔から官僚主義国家。
その「主義」が、日本人の骨のズイにまで、しみこんでいる。

 浜松祭り中止についての賛否両論よりも、私はこうした庶民にとっての
重大事が、いとも簡単に、かつすばやく決定されることのほうに、驚いた。

 この日本に「自由」はあるのか。
尾崎豊が歌った『卒業』の中には、「しくまれた自由」という言葉が出てくる。
私たちはその「しくまれた自由」を自由と思い込んでいるだけ。
「いいのか、日本!」と叫んだところで、この話はおしまい。

 今さら、何を言っても、遅い!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 浜松祭り中止反対 浜松祭り 中止 反対)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司