●マガジン過去版(2003年12月)
件名:■■子育て最前線の育児論byはやし浩司■■子どもの思考力
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03-12-30号(340)
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では、よい新年をお迎えください!
子育て最前線の育児論by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto797
●家庭教育の過渡期
家庭における教育力が低下したとは、よく言われる。しかし実際には低下などしていない。三〇年前とくらべても、親子のふれあいの密度は、むしろ濃くなっている。
教育力が低下したのは、教育力そのものが低下したと考えるのではなく、価値観の変動により、家庭教育そのものが混乱しているためと考えるほうが正しい。
昔は、親の権力は絶対で、子どもは問答無用式にそれに従った。つまり昔は、そういうのを「教育力」(?)と言った。しかし権威の崩壊とともに、親の権力も失墜した。と、同時に、家庭の中の教育力は低下し、その分、混乱した。
しかし混乱した本当の原因は、実のところ親の権威の失墜でもない。混乱した本当の原因は、それにかわる新しい家庭教育観を組み立てられなかった日本人自身にある。家庭における教育力の低下は、あくまでもその症状のひとつにすぎない。
そこで教育力そのものの低下にどう対処するかだが、それには二つの考え方がある。ひとつは、だからこそ、旧来の家庭観を取り戻そうという考え方。「親の威厳は必要だ」「父親は権威だ」「父親にとって大切なのは、家庭における存在感だ」と説くのが、それ。
もうひとつは、「新しい家庭観、新しい教育観をつくろう」という考え方。どちらが正しいとか正しくないとかいう前に、こうした混乱は、価値観の転換期によく見られる現象である。たとえば一九七〇年前後のアメリカ。
戦後、アメリカは、戦勝国という立場で未曾有の経済発展を遂げた。まさにアメリカンドリームの時代だった。が、そのアメリカは、あのベトナム戦争で、手痛いつまずきを経験する。そのころアメリカにはヒッピーを中心とする、反戦運動が台頭し、これがアメリカ社会を混乱させた。旧世代と新世代の対立もそこから生まれた。
その状態は、今の日本にたいへんよく似ている。たとえば私たちが学生時代のころは、安保闘争に代表されるような「反権力」が、いつも大きなテーマであった。それが、尾崎豊や長渕剛らの時代になると、いつしか若者たちのエネルギーは、「反世代」へとすりかえられていった。この日本でも世代間の闘争がはげしくなった。
わかりやすく言えば、若者たちは古い世代の価値観を一方的に否定したものの、新しい価値観をつくりだすことができなかった。まただれもそれを提示することができなかった。ここに「混乱」の最大の原因がある。
今は、たしかに混乱しているが、新しい家庭教育を確立する前の、その過渡期にあるとみてよい。あのアメリカでは、こうした混乱は一巡し、いろいろな統計をみても、アメリカの親子は、日本よりはるかによい関係を築いている。
ただひとつ注意したい点は、さきにも書いたように、こうした混乱を利用して、復古主義的な家庭教育観も一方で力をもち始めているということ。中には封建時代の武士道や、さらには戦前の教育勅語までもちだす人がいる。
しかし私たちがめざすべきは、混乱の先にある、新しい価値観の創設であって、決して復古主義的な価値観ではない。前に進んでこそ、道は開ける。
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++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●数は生活力
計算力は訓練で伸びる。訓練すればするほど、速くなる。同じように、「教科書的な算数」は、学習によってできるようになる。しかしこれらが本当に「力」なのかということになると、疑わしい。疑わしいことは、きわめてすぐれた子どもに出会うと、わかる。
O君(小三)という子どもがいた。もちろん彼は方程式などというものは知らない。知らないが、中学で学ぶ一次方程式や連立方程式を使って解くような問題を、自分流のやり方で解いてしまった。
たとえば「仕入れ値の30%ましの定価をつけたが、売れなかったので、定価の2割引で売った。が、それでも80円の利益があった。仕入れ値はいくらか」という問題など。それこそあっという間に解いてしまった。こういう子どもを「力」のある子どもという。
が、一方、そうでない子どもも多い。同じ小学三年生についていうなら、「10個ずつミカンの入った箱が、3箱ある。これらのミカンを、6人で分けると、1人分は何個ですか」という問題でも、解けない子どもは、解けない。かなり説明すれば解けるようにはなるが、少し内容を変えると、もう解けなくなってしまう。
「力」がないというよりは、問題を切り刻んでいく思考力そのものが弱い。「そんな問題、どうでもいい」というような様子を見せて、考えることそのものから逃げてしまう。そんなわけで私は、いつしか、「数は生活力」と思うようになった。
「減った、ふえた」「取った、取られた」「得をした、損をした」という、ごく日常的な体験があって、子どもははじめて「数の力」を伸ばすことができる、と。こうした体験がないまま、別のところでいくら計算力をみがいても、また教科書を学んでも、ムダとは言わないが、子どもの「力」にはほとんどならない。
……と書いたが、こんなことはいわば常識だが、こうした常識をねじ曲げた上で、現在の教育が成り立っているところに、日本の悲劇がある。教育が教育だけでひとり歩きしすぎている。子どもたちが望みもしないうちから、「ほら、一次方程式だ、二次法手式だ」とやりだすから、話がおかしくなる。もっといえば、基本的な生活力そのものがないまま、子どもに勉強を押しつける……。
ちなみに東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、こんな興味ある調査結果を公表している。小学六年生についてみると、「算数が嫌い」と答えた子どもが、二〇〇〇年度に三〇%を超えた(一九七七年は一三%前後)。反対に「算数が好き」と答えた子どもは、年々低下し、二〇〇〇年度には三五%弱しかいないそうだ。原因はいろいろあるのだろうが、「日本の教育がこのままでいい」とは、だれも考えていない。
むずかしい話はさておき、子どもの「算数の力」を考えたら、どこかで子どもの生活力を考えたらよい。それがやがて子どもを伸ばす、原動力になる。
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
【今週のBWより】
貯金箱
毎年、私の教室では、クリスマスプレゼントとして、貯金箱を、子どもたちに与えている。しかし与えるとき、コツがある。その貯金箱に、一〇〇~二〇〇円の、小銭を入れてやる。つまりは、それが誘い水となって、子どもは、貯金をし始める。
カラの貯金箱だと、そのままにしてしまう子どもがいる。しかしたとえ一〇〇円でも、その中に入っていると、捨てるわけにはいかない。さりとて、貯金箱をこわして、取り出すこともできない。かくして、子どもは、その貯金箱を使って、貯金をし始めるというわけである。
私も子どものころ、よく貯金をした。小学生のときだが、最高で、一万二〇〇〇円くらいまでした記憶がある。当時の一万円と言えば、大卒の初任給程度である。今のお金になおすと、二〇~二五万円くらいか。
しかしあのお金は、どうなってしまったのか。自分で使った覚えはないので、多分、親に取られてしまったのではないかと思う。私の親は、私が子どものときから、そういう親だった。ホント!
いや、当時は、そういう時代だった。親の力は絶対で、「子どものものは、親のもの」という考え方が、常識的だった。あるいは、子どもは、家、もしくは、親の付録のようなものだった。児童憲章とか何とか、そういう子どもの権利が、広く認められるようになったのは、私が成人してからのことではなかったか。
私は、浜松に住むようになってからも、収入の約半分は、毎月、実家に送金していた。今の時代の若い人たちには、考えられないことかもしれないが、当時は、そういうことをする人は珍しくなかった。親は親で、そういうことを当たり前のこととしていたように思う。
これはずっとあとになってわかったことだが、親は、私がそうして仕送りしている話を、親戚はもちろん、私の姉にすら、話していなかった。親には親の、プライドがあったのかもしれない。
それはさておき、私は、そんなわけで、子どものころから、お金をためるのが好きだった。毎月、数字がふえていくのが楽しかった。そういう点では、倹約家だったかもしれない。
だから今でも、子どもたちに貯金箱を渡すと、あのころの思いが、ふと心の中に、もどってくる。「お年玉をもらっても、この中に入れておくんだよ」と声をかけた。子どもたちも、うれしそうに、それにうなずいた。
(031223)
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【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
●思考力
子どもの思考力は、つぎの四つに分けて考える。
(1) 思考の俊敏(しゅんびん)性
(2) 思考の拡散(かくさん)性
(3) 思考の柔軟(じゅうなん)性
(4) 思考の深遠(しんえん)性
(1) 思考の俊敏(しゅんびん)性というのは、反応の早さをいう。たとえば丸と三角形を、それぞれ、5~10個描いたカードを見せ、「丸はいくつ?」と聞く。思考が俊敏な子どもは、瞬時に判断し、数を数え、その数を言う(年中児)。
(2) 思考の拡散(かくさん)性というのは、思考の広がりをいう。たとえば空き缶を見せ、「この空き缶を使うと、どんなことで役にたちますか」と聞く。思考の拡散性にすぐれている子どもは、「鉛筆立てになる」「コップにもなる」「紙粘土でおおえば、花瓶になる」と、つぎつぎと新しいアイデアを考え出していく。
(3) 思考の柔軟(じゅうなん)性というのは、臨機応変にものごとを考えていく力をいう。「雨が降ったら、かさをさす」「かさがなければ、雨宿りする」「近くに家がなければ、大きな木の下に隠れる」「木がなければ、カバンをかさにする」と。
(4) 思考の深遠(しんえん)性というのは、いわゆる思考の深さをいう。「石ころは、ふぉこから生まれますか」と聞くと、「土の中」と答えたりする。そこで、「では、どうして土の中から生まれるのですか」と聞くと、しばらく考えたあと、「土がかたまって石になる。みんなが、踏みつけるから、石になる」などと、答えたりする。
こうした思考力で、最近、とくに気になるのは、突飛もないことを言う子どもがふえていること。また突飛もないことを口にする子どもを、「おもしろい」とか、「すぐれている」と、誤解するケースが、多いこと。
以前、私は、『イメージが乱舞する子ども』というテーマで、エッセーを書いたことがある。(ここに添付。中日新聞経済済み。)
たとえば言っていることが支離滅裂。前後の脈絡そのものがない。言葉だけではなく、行動も、支離滅裂なことが多い。
バタンと、突然床に倒れて、「ああ、今日は、カレーライス、食べた」と叫ぶ。そしてそのまま両手を広げて、「天井、天井、天井には、ゴキブリが二匹!」と。今度はパッと飛び起き、「先生、今度、たこ焼きを食べに行こう。行こう、行こう」と。私がとまどっていると、つぎの瞬間には、隣の子どもにおおいかぶさり、「おお、お前、なかなかやるじゃん」と。
目まぐるしく動きまわり、そのつど、興味の対象も、動く。ADHD児と異なる点は、それなりに抑えがきくということ。強く叱ったりすると、静かに作業をしたりする。ADHD児のように、無意識的な行動というよりは、どこかで計算しながら、意識的に行動する。
私は、テレビやテレビゲームなどの、映像文化の悪影響を疑っている。このタイプの子どもは、たいてい、家の中では、テレビゲーム漬けの生活をしていたりする。つまり脳の、ある特異な分野だけが、異常に刺激されるため、そうなると考えている。
ちなみに、子どもたちのしているテレビゲームをのぞいてみるとよい。そのあまりの速さに、みなさんも、驚くことと思う。
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子どもの脳が乱舞するとき
●収拾がつかなくなる子ども
「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポンと飛ぶ。
頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。
多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。
三〇年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。小一児で、一〇人に二人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。
●崩壊する学級
「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答えた先生が、六六%もいる(九八年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一名以上いる」と回答している。
そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、九〇%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちをたたく」(六六%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(五二%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。
●「荒れ」から「新しい荒れ」へ
昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。
日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」(一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(一〇%)と続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、八%、「かなり感ずる」「やや感ずる」という先生が、六〇%(同調査)もいるそうだ。
●原因の一つはイメージ文化?
こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。
家庭にしても、昔のような崩壊家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。
実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。
● ゲームは右脳ばかり刺激する
こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。
その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。
ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。
学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊をあげる。
(付記)
●ふえる学級崩壊
学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。一九九九年一月になされた日教組と全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告されている。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海道や東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りにされた」(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」とも。
北海道のある地方都市で、小学一年生七〇名について調査したところ、
授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……一九人
教師の指示を行動に移せない ……一七人
何も言わず教室の外に出て行く ……九人、など(同大会)。
●心を病む教師たち
こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在籍する約六万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、九三年度から四年間は毎年二一〇人から二二〇人程度で推移していたが、九七年度は、二六一人。さらに九八年度は三五五人にふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・九九年)。
この病気休職者のうち、精神系疾患者は。九三年度から増加傾向にあることがわかり、九六年度に一時減ったものの、九七年度は急増し、一三五人になったという。この数字は全休職者の約五二%にあたる。(全国データでは、九七年度は休職者が四一七一人で、精神系疾患者は、一六一九人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ状態が約半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者などの対人関係のストレスによるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。
●その対策
現在全国の二一自治体では、学級崩壊が問題化している小学一年クラスについて、クラスを一クラス三〇人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策をとっている(共同通信社まとめ)。また小学六年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的には、小学一、二年について、新潟県と秋田県がいずれも一クラスを三〇人に、香川県では四〇人いるクラスを、二人担任制にし、今後五年間でこの上限を三六人まで引きさげる予定だという。
福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小一でクラスが三〇~三六人のばあいでも、もう一人教員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部の小学校では、六年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的に導入している。大分県では、中学一年と三年の英語の授業を、一クラス二〇人程度で実施している(二〇〇一年度調べ)。
(031222)
【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691
●世にも不思議な留学記
2004年の1月4日号から、『世にも不思議な留学記』を、マガジンで、1~35回に分けて、連載します。どうか、ご期待ください。
その留学記の冒頭は、こんな文章で始まります。
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隣人は西ジャワの王子だった【1】
●世話人は正田英三郎氏だった
私は幸運にも、オ-ストラリアのメルボルン大学というところで、大学を卒業したあと、研究生活を送ることができた。
世話人になってくださったのが正田英三郎氏。皇后陛下の父君である。おかげで私は、とんでもない世界(?)に足を踏み入れてしまった。
私の寝泊りした、インターナショナル・ハウスは、各国の皇族や王族の子息ばかり。西ジャワの王子やモ-リシャスの皇太子。ナイジェリアの王族の息子に、マレ-シアの大蔵大臣の息子など。ベネズエラの石油王の息子もいた。
「あんたの国の文字で、何か書いてくれ」と頼んだとき、西ジャワの王子はこう言った。「インドネシア語か、それとも家族の文字か」と。「家族の文字」というのには、驚いた。王族には王族しか使わない文字というものがあった……(つづく)。
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私にとっては、この原稿は、特別な思いのあるものです。今でも、この原稿を読みなおすたびに、胸に、じんと熱いものが、よみがえってきます。
あの時代は、私の青春時代であると同時に、人生のすべてでした。今の私などは、その残り火の中で、ようやく生きているといった感じです。
決して、おおげさなことを言っているのではありません。ただ、そのときは、わかりませんでした。あの時代が、かくも、その後の私のすべてを支配するようになるとは!
夢中で通りすぎた、あの時代。それを書いたのが、『世にも不思議な留学記』です。私は、この原稿を書くために、今まで、無数の原稿を書いてきたように思います。私のすべては、この原稿に始まり、この原稿に終わると言っても、過言ではありません。まさにこの原稿は、私の「命」です。
ただこの原稿を書き始めたのが、1971年のはじめ。そのときは、何度書いても、うまくまとめることができませんでした。
そのかわり、当時私は、ただひたすら、日記を書きつづけました。その日記をもとに、それからほぼ25年後、私が45歳をすぎたころですが、今回紹介する、『世にも不思議な留学記』をまとめました。中日新聞のほうで、連載記事を頼まれたのが、きっかけでした。
さらにその後、金沢学生新聞のほうでも、連載してもらえることになり、2003年の現在も、連載中です。
それを今回、マガジンを購読してくださっている方に、これら中日新聞、金沢学生新聞などに発表した原稿を、少し手直しをし、お届けすることにしました。未発表の原稿も含めて、全部で、計35作になります。
なおHTML版のほうでは、当時の写真や資料などを添え、よりみなさんに楽しんでいただけるようにしました。これから先、約2か月半にわたる、長い連載になりますが、どうか、お楽しみください。
(031222)
【連載に先だって……】
ここに二枚のコピーが、あります。一枚は、「留学試験合格の通知書」。もう一枚は、北陸地方の地方紙である、北国新聞の記事です。
この通知書にある、「正田英三郎」というのが、現在の皇后陛下の父君です。またその合格通知を受けて、北国新聞社が、私を取材してくれました。それが、この記事です。
(HTML版のほうで、収録。)
こうした資料を公開するのは、今回が、はじめてです。今まで、こういうことを書くこと自体に、抵抗を感じました。また、率直に言って、どこか、自分が情けなくて、公表できませんでした。
いつか、それなりの人物になったら……と思っていましたが、そういうときは、とうとうやってきませんでした。これからも、やってこないでしょう。正田氏にしても、数年前、なくなってしまいました。
何とも不完全燃焼のまま、青年期を終え、壮年期を終えてしまった感じです。だからこそ、この『世しにも不思議な留学記』が、今また、心の中で燃えるのかもしれません。
そんな熱い思いを、この『世にも不思議な留学記』の中に、感じていただければ、こんなうれしいことはありません。どうか、ご一読ください。心から、お願いします。
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●親の犠牲心
あなたは今、子育てをしながら、心のどこかで、自分が、犠牲になっているのを感じていないだろうか。「子どものため」を口にしながら、その一方で、「産んでやった」「育ててやった」と、思っていないだろうか。
実のところ、私とて、三人の息子たちを育てながら、そんな気持が、まったくなかったわけではない。楽しいときばかりではなかったし、苦しいときや、つらいときもあった。子育てを重荷に感じたことも多い。
だから今。ほぼ三人の子育てを終えつつある今、子どもたちの巣立ちにほっとする一方で、心のどこかで、ある種の虚(むな)しさを感ずることもある。気がついてみると、息子たちは、もう、そこにはいない。残されたのは、私とワイフの二人だけ、と。
ただ幸いなことに、私の今の生活は、子育てをしていたときと、ほとんど変わりがないということ。犠牲になった部分がなかったわけではないが、しかし今も、相変わらず、そのままの生活をつづけている。
しかし今、もし、その犠牲になった部分だけ、今の私がなかったら、今ごろ私は、どうなっていただろうかと考える。たとえば生活費のすべてを、子どもの学費に注ぎ、そのため多額の借金をかかえていたとしたら……。
実際、そういう人は、少なくない。
Gさん(母親)は、バブル経済の始まるころとはいえ、一人息子の教育費には、惜しみもなく、お金を使っていた。三〇万円もする、英語教材を買い求めたり、夏休みや、冬休みには、東京の特訓教室へ連れていったりするなど。決して、裕福な家庭ではなかった。
その結果、Gさんのその一人息子は、それなりに有名な大学に進学はしたものの、今でもGさんは、公営の団地に住んでいる。が、もしGさんが、こうした教育費を、自分のために使っていたら、今ごろは、家の一軒くらいなら、買えたかもしれない。
現在の、そのGさんと、一人息子の関係は、私は知らない。が、その関係がそれなりによければ、Gさんは、そうしたお金を使ったとしても、それに報われたことになる。反対に、そうでなければ、そうでない。
いくら無条件の愛といっても、また、子育てに報酬は求めないとはいっても、いつも、そうと割り切ることはできない。それがここでいう「犠牲」ということになるが、そうした犠牲心が大きければ大きいほど、それは、あとあとまで、尾を引くことになる。
たとえば今、自分を静かに振りかえってみたとき、「これでよかった」と思う部分は、たしかに大きい。しかし、「結局は、残されたのは、私たちだけ」と思う部分も、まったく、ないわけではない。ワイフは、「これからの人生は、私たちで楽しみましょう」とは言うが、そう、自分に言って聞かせなければならないというのも、どこか、さみしい。
ただ私のばあいは、子育てをしながら、そのつど、自分なりに、楽しむことに心がけてきた。とくに息子たちに向って、「産んでやった」「育ててやった」、さらには「大学を出してやった」と言うのは、禁句にしてきた。理由がある。
私は、子どものころから、父親や母親のみならず、叔父や叔母たちにも、そう言われつづけてきた。そのとき、私自身が感じた重荷を、息子たちには、感じてほしくなかった。その反動もあって、私は、息子たちには、いつも、こう言ってきた。「親孝行なんて、くだらないことは、考えなくていい」と。「お前たちは、お前たちで、自分の人生を生きればよい」とも。しかしそれでも、何か割り切れないものが、残る(?)。
とくに二男は、アメリカ人の女性と結婚し、アメリカに住んでいる。国籍も、そのうち、アメリカ人になる。孫も生まれたが、ほとんど、日本語を教えていない。奥さんも、日本語を勉強していない。
こうした「表面的な形」には、耐えられるとしても、二男は、クリスチャンになり、うわべはともかくも、私やワイフの生き方や、哲学を、心の中では、否定し始めている。私が五六年間かけて身につけた生きザマなど、彼らが言うところの「神」の前では、一片の価値もない。心そのものが、私たちの届かない、はるか遠くに行ってしまった。
全体としてみれば、「これでよかった」とは思うが、しかしそれが私の望んだ方向であったかどうかとなると、よくわからない。つまりその「わからない」部分こそが、私の犠牲心に根ざしているということになる。
だから今、こういうことは言える。
いくら子育てで苦労はしても、どこかで自分が犠牲になっているように感じたら、それは、本来の子育てではないということ。「産んでやった」「育ててやっている」と感じたら、それは、本来の子育てではないということ。
そうではなく、本来、子育てというのは、親自身が、楽しんでするももの。また楽しむべきもの。そういう意味で、子育てというのは、子どものためにするものではなく、自分のためにするもの。
私にしても、もし息子たちがいなかったら、こうもがんばらなかったと思う。またこうまで人生を、楽しむことはできなかったと思う。さらに、子育てをとおして、息子たちから、教えられたものも、多い。だからここに書いた「迷い」は、あくまでも、私の心の中の、一部にすぎない。決して、すべてではない。
要するに、親は親として、自分を保ちながら、子育てをせよということか。今は、まだよくわからないし、この程度のことしか書けないが、おおむね、このエッセーの結論としては、それほど、まちがってはいないと思う。
逃げるようで申しわけないが、この先のことは、もう少し、時間がたってみないとわからない。ここで何らかの結論を出すことは、危険なことのように思う。なぜなら私自身、まだ、その子育てから完全に解放されているわけではないからである。
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【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
●スケベ心
今朝(03・12月)の朝刊に、こんな記事が載っていた。
いわく、「わいせつ教職員、(全国で)、懲戒(過去最高)一四八人」と。
つまり生徒や児童に、わいせつ行為をして、懲戒バツを受けた教職員が、一四八人もいたというのだ。
「……このうち、懲戒免職は、九七人(前年度比四四人増)と、やはり過去最高」(Y新聞)と。
しかしこの世界の人なら、みな、知っているが、こんなのは、まさに氷山の一角。表ザタになる事件など、一〇に一つもない。新聞に載るような事件になるのは、一〇〇に一つもない。そのほとんどは、闇から闇へと、葬られる。(だからといって、先生を責めているのではない。誤解のないように!)
そこで私のこと。ここらあたりで、正直に書いておくことは、決して、ムダにはならないと思う。
私は、教育評論家という肩書きをもっている。いわば聖職者(?)。少なくとも、世間の人は、そう見ている。また私は、自分の写真を見ても、そのタイプの人間だと思う。どこからどう見ても、おもしろくない顔をしている。
しかし性欲は、ふつうにある。あえて言うなら、「濃い男」。世の中には、同性愛者と呼ばれる人もいるそうだが、私には、その気(け)は、まったくない。だからどうにもこうにも、そういう人たちの気持が理解できない。
では、その私が、女生徒に色気を感ずるかといえば、そういうことは、めったにない。過去において、数度あったような気もするが、しかしはっきりと意識できるような色気を感じたことはない。
ただこの世界には、無防備な女の子もいるわけで、平気で、胸をブラブラと見せる女子高校生もいるにはいた。まさに目のやり場に困るような子どもである。あるいは、平気で、足を広げてすわる女の子も少なくない。
一度、夏の暑い日だったが、教室へ来るやいなや、「暑い、暑い」と言って、制服をぬいでしまった女子中学生もいた。薄い下着だけで、平気で体をあおっていたので、私はそれを強く叱った。その中学生のためというよりは、そういう光景を、だれかに見られたら、私のほうが、へんに誤解されてしまう。
むしろ、私が色気を感ずるのは、母親のほうだ。当然のことながら、幼児を連れてやってくる母親は、みな、若くてきれいな人ばかり。で、あるとき、私はこう思った。
「毎日、おいしそうな料理を見せつけられるだけで、食べることができない」と。不謹慎な言い方だが、私は、そう思った。そういう若い母親たちを、私は、ただ遠くから見ているだけ。で、私は、さらに、こう思ったこともある。「私を挑発するな! 私だって、男だ!」と。
しかしそうした思いをもったからといって、どうこうということは、なかった。そこで冒頭の新聞記事の話。自分の生徒に色気を感ずることは、先生だって、ふつうの人間だから、ある。
ただ私のばあいは、中学生や高校生も、少数だが教えているが、ほとんどが、幼児のときから教えている子どもである。言うなれば、自分の子どものようなもの。まさか自分の子どもに、色気を感ずる父親はいまい。立場は、よく似ている。
それに私のばあい、一対一で会うということは、ほとんど、ない。一年の間でも、一、二日くらいしかない。会っても、一時間を超えることはない。
こうして考えると、こういうハレンチ教師がいるということが悪いということではなく、スキだらけの、現在の、教育システムに問題があるということになる。新聞のコメントに、ある評論家が、何となくもっともらしい意見を添えていたが、どこか的(まと)はずれのような気がした。
こうした事件を防ぐためには、たとえば教師は、生徒との交際を、教室内に限る。職員室内に限る。教育指導はするが、それ以外の指導は、原則としてしない。校内でも、一対一の接触は、原則として、禁止する。一時間以上の個人的な会話は禁止する、など。こまかく、校則を作ればよい。
だいたいにおいて、今の教育システムの中では、無理かもしれないが、先生に、高邁(こうまい)な道徳心を求めること自体、まちがっている。何も、その道の人格者が、先生になるわけではない。ないことは、あなただって知っている。「先生だから、そういうことはしないはず」という、「ハズ論」で考えるほうが、おかしい。
だったら、システムの中で、先生を監督するしかない。またそういうシステムをつくるしかない。そしてそれができないというのなら、こうしたハレンチ行為に対して、いちいち文句を言わないこと。……というのは、少し言い過ぎかもしれないが、こうした事件は、これからも、起こる。いくらトップが、騒いでも、起こる。マスコミが騒いでも、起こる。
監督を強化するという方法もあるだろうが、しかしそうすればしたところで、ますます巧妙化するだけ。あるいは地下へもぐるだけ。文部科学省は、「厳格な対応が定着してきた現れで、(懲戒免職者が)ふえた。今後、きびしい姿勢が、抑止効果につながるのを期待している」(同新聞)とコメントを出している。
しかしそういうコメントを出す、文部科学省の役人は、みな、聖人なのか?
私は、自分の中にある、「男」としての自分を知っている。で、あるとき、私は、ある先生に、こう話したときがある。その先生というのは、かなり著名な教育者として知られていた先生である。
私が、「女子高校生の胸や乳房が見えたりすると、ドキッとします。そういうときは、どうしたらいいですか?」と聞いたときのこと。その先生は、こう言った。「見ておけばいいのです。黙って……」と。
何とも、奥歯にものをはさんだような言い方になってしまったが、私は、ここに書いたことが、現実だと思う。
(031224)
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
【2003年よ、さようなら!】
マガジンは、来年1月4日号まで、休みます。少し前後が入れかわりますが、来年も、よろしくお願いします。
今年一年、マガジンのおかげで、充実した日々を過ごすことができました。毎日、マガジンの発行に追われつづけましたが、それなりに緊張感があって、結構、楽しむことができました。
これも、マガジンの読者の方がいてくださったおかげです。心から、お礼を申しあげます。ありがとうございました。
この世界、つまり出版(もの書き)の世界には、一つの大鉄則があります。昔、S出版会社のD社長が、教えてくれた言葉です。それは、「いつも全力で書け。出し惜しみするな」です。
私は、いつも、つまり毎号、全力を出し切って原稿を書いてきました。すべてをさらけ出すつもりで、です。一度だって、出し惜しみしたことはありません。
しかしそれでも、そのときどきにおいて、その過去に書いた文章を読むと、どこか稚拙(ちせつ)な感じがします。まちがいもあります。「どうして、こんなことを書いたのだろう」「こう書けばよかった」と、思うこともあります。
ですから、書くときは、いつも、真剣勝負です。決して、手抜きをしないというのが、私の座右のモットーにもなっています。「あとで、後悔するような文章は、書くな」と。
結果、こうしてマガジンを発行しつづけたわけですが、本当に、すばらしい経験になりました。この一年間は、私の人生の中でも、もっとも充実した一年間ではなかったかと思います。(ホント!)
もちろんこのマガジンは、「育児マガジン」です。またほとんどの読者の方も、それを求めて、このマガジンを購読してくださっています。ですから、育児を中心とした記事を、掲載しています。
しかし育児を考えていくと、そこには、どうしても親の生きザマの問題、さらには、育児を包む、社会的、教育的環境の問題が、からんできます。書いているうちに、どんどんとワクが、広がっていくのは、そのためです。
ときには、政治問題について書くこともあります。K国の金XXについての記事が多いと思いますが、そうそう、「ついに……」というか、「とうとう……」というか、先日(一二月一八日)に、ハングル文字で書かれた、抗議のメールが、届きました。
簡単な翻訳ソフトで、翻訳してみましたら、恐ろしい脅迫めいた文言が並んでいました。もちろん、私は、無視して、削除。
三〇代のころの私なら、それだけで震えあがったでしょうが、今は、そうではありません。四〇代のころは、あるカルト教団を相手に、猛烈に原稿を書いたことがあります。雑誌や週刊誌にも、毎月のように投稿しました。本も、単行本だけで、五冊も書きました。
今は、もうその世界から足を洗いましたが、その結果、私には、こわいものがなくなってしまいました。「何でも、来い!」という感じです。足を洗ったのは、その問題から、逃げたからではなく、わずらわしくなったからです。
新しい年、〇四年も、いろいろあるでしょう。それを期待しているわけでもありませんが、何か、スリリングな一年になるような気もします。航海にたとえて言うなら、目下、海は荒れ、風は強しというところでしょうか。
そういう海に向って、私は、今、船の調整をしているといった感じです。新しい船出は、もうすぐ。がんばります。
みなさんも、どうかご健康には、留意し、すばらしい一年をお迎えください。こうしてみなさんに、年末のあいさつができることを、心から、喜んでいます。
この一年間、ありがとうございました!
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【街角で……】
今日(一二月二一日)は、明日からのクリスマス週間のため、子どもたちへのプレゼントを買いにでかけた。
プレゼントといっても、BW教室では、毎年、貯金箱を渡すのが、恒例になっている。それにここ五、六年は、一〇〇円ショップに、よい貯金箱がある。空き缶のような貯金箱で、一度、貯金をしたら、缶切りであけないかぎり、お金を出せないというのである。
プレゼントは、それに決めている。
帰りに、駅前のデパートに寄ってみた。Eデパートという、デパートである。ワイフやデニーズに何かよいものはないかと思って、少し歩いてみたが、値段の高いのには、驚いた。
小さなサイフですら、三万円~四万円。コートが、九万円~一〇万円!
ものの値段が、あのバブル経済のころに、もどりつつあるように思う。新年度も、日本は、三〇兆円以上もの、赤字国債を発行することになった。国家税収が、約四〇兆円と少しだから、ほぼそれと同じ額を、借金することになる。
(わかりやすく言えば、月収、四〇万円の人が、別に三〇万円の借金をして、毎月、七〇万円の生活をしているようなもの!)
そういう世界から、あぶれたお金が、こういうところの値段に反映されているのだろう。貧しい人は、いくら働いても、その貧しさから抜け出られない。そういう現実がある一方で、そういうコートを、何のためらいもなく、買うことができる人もいる。
値段を見たとき、私は、バカバカしくて、ため息も出なかった。
デパートを出ると、巨大なクリスマスツリーが、夜空を飾っていた。私は、携帯電話で何枚か、写真をとった。ここ数日、肌を切るような寒波が、日本中をおおっている。多少ゆるんだとは言え、今日も、寒かった。写真をとると、そそくさと、駐車場へと急いだ。時刻は、六時少し前だったが、空は、もうまっ暗だった。
明日(二二日)は、一年でも一番、日が短い、冬至である。
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【宝くじを買う】
街角の宝くじ屋で、宝くじを、一〇枚、二〇〇〇円で買う。毎年、年末ジャンボ宝くじを買っていたが、今年は、買うのを忘れてしまった。それで、何とかという、地方自治宝くじにした。
が、この種のクジは、当たったためしが、ない。そのクジをワイフに渡すと、ワイフは、「一億円は無理でも、せめて、一〇〇〇万円でもいい」と言った。
バカめ。私は、一万円でもいいと思っている。一〇〇〇万円なんて、当たるわけがない。
しかし一億円が当たったら、どうしよう? ……と、毎年考えるが、要するに、その夢を買うのが、宝くじ。
で、当たったら、まず、超高性能のパソコンを買う。それにフライト・シミュレーター04(MS社)をインストールして、遊ぶ。何とも、せこい夢だが、今は、それしか頭に思い浮かばない。
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【自治会】
自治会で、今度、公民館を改築することになった。その会合が、昨夜、あった。
この町内だけでも、一五〇〇世帯もある。うち、持ち家世帯は、約六五〇世帯。残りは、アパートなどの借家住人。外国人も、多い。
これだけの町内でありながら、公民館は、小さな、建坪三〇坪足らずの、木造のボロ家(失礼!)。それで改築ということになった。
が、アンケート調査の結果では、改築反対が、六〇%! 負担金が、一世帯あたり、八万円になる。
そこで自治会が、暗礁(あんしょう)に、乗りあげてしまった。「公民館は必要だ」、しかし「反対意見をどう乗り切るか」と。
つまり「六〇%が反対だから、公民館の改築をやめる」というわけにはいかない。私が山荘をもっている、K村は、住人がたったの三〇世帯だが、この町内の公民館より、広くて立派な公民館をもっている。
また反対者がそれだけ多いのは、借家住人が多いということ。それに、「お金を出したくない」という単純な理由で、反対している人も多い(?)。
で、会合ということになった。
が、みなは、委任状の不備を問題にして、自治会長を一方的に、責めるのみ。「はっきりしろ」「あいまいだ」「委任状の性格がわからない」「再度、委任状を作りなおせ」と。
たしかに自治会長が住民に求めた委任状は、どこかおかしい。しかし、その「おかしさ」は、苦肉の策とも言える。反対者が多い借家住人を、最初から排除するわけにもいかない。また「お金を出したくない」という人から、強制的に、お金を集めるわけにもいかない。
そういう中で、今回の、内容がよくわからない委任状ということになった。「班長に、決断を任せます」という内容の委任状である。(まさか一六〇〇世帯の住人すべてを集めて、全体会議を開くというわけにもいかないし……。)
私も、終わりのところで、意見を言った。
「みなさんは、会長を一方的に責めますが、こうした会合を開くまでに、いかに会長が、個人的な立場で、苦労してこられたか、ご存知でしょうか。
私も、土地さがしでは、協力しましたが、会長は、東京に住む地主に、直談判までしてきました。もちろん、自腹を切って、です。
こうした公民館の改築問題では、反対者をある程度、強引に押し切るところは押し切り、ナーナーですますところは、ナーナーですまさないと、前に進みません。だれも、今のままでよいとは、思っていないはずです。
今、大切なことは、委任状の不備を指摘することではなく、『会長さん、ここまでよくやってくれました。あとの不備は、私たちが補いますから、これからもがんばってください』と言うことではないでしょうか。
何とも、情緒的な意見になってしまいましたが、これが私の意見です」と。
だれだって、お金は、出したくない。とくに、自治会の活動を、ほとんどしていない人ほど、そうだろう。しかしここにも書いたが、だからといって、そういう人を区別して、最初から、排除するわけにもいかない。
もっとも、公民館そのものにも、疑問がないわけではない。戦前は、公民館は、住民管理の拠点として、利用された。そういういきさつもあるが、しかし一五〇〇世帯も住んでいながら、会合場所が、今の公民館でよいとは、だれも思っていない。この三五年間で、この地域の様子も、大きく、変わった。
私が三五年前に住み始めたときには、私の家から、西は浜名湖から、東は浜松駅まで、途切れることなく、新幹線が走っていくのが見えた。荒地の野原のようなところだった。が、今は、住宅が、密集している。今の公民館は、そのときよりも、さらに一〇年前に建てられたものだという。
自治会長が、「建てられたときは、田んぼの真ん中にポツンとありました」と言ったのを、覚えている。たった四〇年前には、このあたりが田んぼだったという。が、今、いったい、だれがそれを信ずるだろうか。つまりそれくらい、このあたりも、変わった。今回の、公民館の改築問題は、そういう流れの中で、生まれた。
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【友人のホームページ】
「ホーム・ページ」という言い方は、日本の言い方。英語では、「ウェブ・サイト」と言う。どうでもよいことだが、ときどき、混乱する。
そのホームページを、友人のK氏が作った。「見てくれ」というので、見た。が、驚いたことに、プロフィールのところに、住所、実名、電話番号まで書いてあった!
さっそくそういった個人情報は、削除するように、アドバイスする。
この世界には、とんでもない「ワル」がいる。よく知られた例では、スパムメール(特定の業者から、不特定多数に送られるメール)や、チェーンメール(昔の『不幸の手紙』のようなメール)などがある。
さらに住所や名前がわかれれば、架空請求書を、送りつけられたり、ネット・ストーカーにつけ回される危険性すら、ある。個人の電話番号がわかれば、執拗な電話をかけてくることもある。
で、私のばあいだが、「はやし浩司」は、本名である。またホームページのほうでは、かなりプライベートな部分まで、暴露している。
だから反対によく、「だいじょうぶですか?」と聞かれる。しかし今のところ、散発的に抗議のメールや電話(たいていはFAX)が届く程度で、実害はない。もともと「子育てサイト」という、あまりそういった世界とは関係のないサイトであるということも、理由の一つかもしれない。
プラス、まったく私のサイトは、無益。ワルにしても、私を攻撃しても、何の利益にもならない。……と思う。
ただ用心するにこしたことはない。自宅の電話番号は、非公開にしている。もう一本、番号をオープンにしている電話もあるが、常時留守番電話とし、なおかつ、ナンバーディスプレイにしている。公衆電話などからは、つながらないようにも設定してある。
問題は、メールアドレスだが、これはしかたない。しかたないというのは、あまり公開したくないが、公開しているということ。しかし電話とちがって、メールのほうは、読みたいときに読める。件名を見ただけで、削除することもできる。電話のようなわずらわしさは、ほとんど、ない。
翌日、K氏のホームページを見ると、個人情報は、削除されていた。私のアドバイスを、すなおに受け入れてくれたらしい。
(031222)
2003年12月 30日末号まで収録
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