●マガジン過去版(3)
件名:☆★☆子育て最前線の育児論byはやし浩司☆☆H. Hayashi, Japan☆★☆10-20-1
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 482人
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 79人
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はやし浩司の世界(Eマガ) ……読者数(Nr. of Readers) 50人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★ ★★★★★★★★★★★★★
02-10-20号(126)
★ ★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワードです!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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● 愛知県尾張旭市にて、講演会をもちます。よろしかったらおいでください。
11月14日(木)スカイワードアサヒ 午前10時~12時
主催 尾張旭市教育委員会
● 静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
03年6月24日(火) アイセル21 午前10時~12時
主催 静岡市文化振興課
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ブロードバンドをお楽しみのみなさんへ、
「はやし浩司のホームページ」に新しく動画コーナーをつくりました。私の生の声などを収録しました。どうかおいでください。サイト・トップページより、どうぞ!
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___ \____/ ___ 一緒に、心の鍋物を食べましょう!
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
Hiroshi Hayashi, Japan
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メニュー
今日のテーマ、「子育て格言」(新シリーズ)
【1】欧米人のジョーク(Jokes for laughs)
【2】子育て格言―新シリーズ(Words of Wisdom for Young Mothers
【3】燃え尽きる子ども(Burnt Out)
【4】随筆(Essays)
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●マガジンのバックナンバーは、
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【1】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
日本人とユーモア
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ユーモアと意識
●全英でグランプリを獲得したユーモア
世界で、ナンバーワンのグランプリをとった、ユーモアは、つぎのようなものであった(〇二年・全英ユーモア大賞)。
二人のハンターが、狩に行った。
一人が木に登って、落ちて意識を失った。
そこでもう一人のハンターがみると、
木から落ちたハンターが、息をしていないのがわかった。
そこでそのハンターは携帯電話で救急隊に電話した。
すると救急隊の女性が、
「死んでいるかどうか確かめてくれ」と言った。
そこでそのハンターは、銃で倒れた男を撃った。
そしてこう言った。「確かめました」と。
このユーモアはテレビの昼のワイドショーでも紹介された(〇二年一〇月)。そしてレポーターが街で、このユーモアを幾人かの人や大学生にこのユーモアを読んできかせ、「おもしろいですか」と聞いた。結果、日本人は、全員、「別におもしろくない」と。が、一方、英語のわかる欧米人にこのユーモアを読ませると、全員、「おもしろい」と。多分あなたも、このユーモアを読んで、「どこが……?」と首をかしげたことと思う。
この結果をふまえて、ワイドショーの司会者は、「日本人は、欧米人とユーモアのセンスが違いますね」と、結論づけていた。しかしこれほど、日本人の無知をさらけだしたコメントもないだろう。このユーモアには、掛け言葉が隠されている。それを知らないというか、訳に訳しだせなかったところが、誤解のもと。
英文では、「確かめてくれ」という部分が、「make sure」になっている。「メイク・シュア」には、「確認する」という意味と、もうひとつ、「確かなものにせよ(とどめを刺せ)」という、二つの意味がある。そこでそのハンターは、銃で撃つことによって、木から落ちたハンターの死を確かなものにした。実にハンターらしい「確認のし方、イコール、確かなものにした(とどめを刺した)」というところが、このユーモアの柱になっている。(ハンターは、とどめの一発を撃って、動物の死を確実なものにすることが多い。)
数人のコメンテイターも、さかんにクビをかしげていたが、私は「このテレビ局には、英語のわかる人はいないのか」と思った。わかればこうした誤解はないはずである。こんな話もある。
もう二〇年ほど前だが、オーストラリアに「トークバック」というラジオ番組があった。その中で、年間の最優秀賞をとったジョークにこんなのがある。
司会者「あなたは、あなたの今の夫とはじめて会ったとき、何と言いましたか」
女性(五〇歳くらい)「……うむん、……それはむずかしい問題だわね」と。
これだけの会話が、年間の最優秀賞に選ばれた。その理由があなたには、わかるだろうか。実はこれも掛け言葉である。その女性は、英語でこう言ったのだ。
「It’s a hard one.」と。その女性は、「それはむずかしい問題だね」という意味で、「イッツ・ア・ハード・ワン」と言ったのだが、「ハード」には「かたい」という意味がある。それでそれを聞いた人は、「それ(あなたのペニス)はかたいわね」という意味にとった。まじめそうな女性が、さりげなく堂々と言ったところがおもしろい。オーストラリア中の人たちが笑った理由は、そこにある。
●こんなジョークも……
最近、オーストラリアの友人から、こんなジョークが送られてきた。おもしろいので紹介する。日本人にもわかるジョークなので、安心して読んでほしい。
九〇歳の老人が病院へ行くと、ドクターがこう言った。
「精子の数を検査しますから、明日までに精子をとって、このビンの中に入れてきてください」と。
が、その翌日、その老人がカラのビンをもって病院へやってきた。
そこでそのドクターが「どうしたのですか?」と聞いた。
すると、その老人はこう言った。
「いえね、先生……
右手でやってもだめでした。
左手でやってもだめでした。
それでワイフのイーボンに頼んで
手伝ってもらったのですが、だめでした。
イーボンが右手でやってもだめでした。
左手でやってもだめでした。
そこでイーボンは、入れ歯を全部はずして
口でやってくれましたが、それでもだめでした。
しかたないので、隣のメアリーに頼んでやってもらいました」
ドクターは驚いて、「隣の家のメアリーに!」と聞いた。
するとその老人は、
「はい、そうです。メアリーも最初は右手でやってくれましたが、
だめでした。
左手でやってくれましたが、それでもだめでした。
メアリーも口でやってくれましたが、だめでした。
最後に、足の間にはさんでやってくれましたが、それでもだめでした」と。
ドクターが目を白黒させて驚いていると、老人はこう言った。
「でね、先生、どうやっても、このビンのフタをあけることができませんでした。
イーボンにも、メアリーにもやってもらいましたが、
フタをあけることができませんでした。
それで精子をとることができませんでした」と。
((((⌒(( ヽ
ヽ│6 6 ρ )
人 ▽ 人′ ~♪
( _) (_ )
/′ V (ヽ 秋が深まってきました。
/│田│ 田│ヽ 外出には、とてもすばらしい季節ですね!
/ │ │ │ ヽ
【2】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
子育て格言③
●成熟した社会
年長児でみても、上位一〇%の子どもと、下位一〇%の子どもとでは、約一年近い能力の差がある。さらに四月生まれの子どもと、三月生まれの子どもとでは、約一年近い能力の差がある。そんなわけで、同じ年長児といっても、ばあいによっては、約二年近い能力の差が生まれることがある……ということだが、さてさて?
しかし日本の教育の大義名分は、「平等教育」。親もこの時期、子どもの能力には、過剰なまでに反応する。ほんのわずかでも自分の子どもの遅れを感じたりすると、それだけで大騒ぎする。以前、こんなことがあった。ある日突然、一人の母親から電話がかかってきた。そしてこう怒鳴った。
「先生は、できる子とできない子を差別しているというではありませんか。できる子だけ集めて、別の問題をさせたそうですね。どうしてうちの子は、その仲間に入れてもらえないのですか」と。私が何かの調査をしたのを、その母親は誤解したらしい。そこでその内容を説明したのだが、最後までその母親には、私の目的を理解してもらえなかった。が、私はそのとき、ふとこう考えた。「どうして、それが悪いことなのか」と。
仮に私ができる子だけを集めて、何か別のことをしたところで、それは当然のことではないか。日本の教育は平等といいながら、頂上には東大があり、その下に六〇〇以上もの大学がひしめきあっている。それこそピンからキリまである。高校にも中学にも序列がある。もともとできる子と、できない子を、同じように教えろというほうがムリなのだ。……と思ったが、やはりこの考え方はまちがっていた。
できる子はできない子を知り、できない子はできる子を知り、それぞれがそれぞれを認めあい、助けあうことこそ大切なのだ。そういう社会を成熟した社会という。「力のあるものがいい生活をするのは当然だ」「力のないものは、それなりの生活をすればいい」というのは、一見正論に見えるが、正論ではない。暴論以外の何ものでもない。たとえあなたの子どもが、今はできがよくても、その孫はどうなのか。さらにそのひ孫はどうなのか……ということを考えていくと、自ずとその理由はわかるはず。
その社会が成熟した社会かどうかは、どこまで弱者にやさしい社会かで決まる。経済活動には競争はつきものだが、しかし強者が弱者をふみにじるようになったら、その社会はおしまい。そういう社会だけは作ってはいけない。そのためにも、私たちは子どもを、能力によって、差別してはいけない。そしてそのためにも、できる子とできない子を分けてはいけない。子どもたちを温かい環境で包んであげることによって、子どもたちは、そこで思いやりや同情、やさしさや協調性を学ぶ。それこそが教育であって、知識や知恵というのは、あくまでもその副産物に過ぎない。
日本では「受験」、つまり人間選別が教育の柱になっている。こうした非人間的なことを、組織的に、しかも堂々としながら、それをみじんも恥じない。そこに日本の教育の最大の欠陥が隠されている。冒頭に、私は「上位一〇%」とか、「下位一〇%」とか書いたが、こうした考え方そのものが、まちがっている。私はそのまちがいを、その母親に教えられた。
●のどは心のバロメーター
大声を出す。大声で笑う。大声で言いたいことを言う。大声で歌う。大声で騒ぐ。何でもないようなことだが、今、それができない子どもがふえている。年中児(満五歳児)で、約二〇%はいる。
この「大声で……」というのは、幼児教育においては、たいへん大切なテーマである。この時期、大声を出させるだけで、軽い情緒障害くらいなら、なおってしまう。(「治る」という言い方は、教育の世界ではタブーなので、あえてここでは、「なおる」とする。)私も幼児を教えて三〇年以上になるが、この「大声で……」を大切にしている。言いかえると、「大声で……」ができる子どもに、心のゆがんだ子どもは、まずいない。そういう意味で、私は、『のどは、心のバロメーター』という格言を考えた。
が、反対に「大声で……」ができない子どもがいる。笑うときも、顔をそむけて苦しそうにクックッと笑うなど。「大声を出してくれたら、それほど気が楽になるだろう」と思うのだが、大声で笑わない。原因は、母親にあるとみてよい。威圧的な過干渉や過関心、神経質な子育て、暴力、暴言が日常化すると、子どもの心は内閉する。ひどいばあいには、萎縮する。意味のないことをボソボソと言いつづけるなど。が、そういう子どもの親にかぎって、自分のことがわからない。「うちの子は生まれつきそうです」とか言う。中には、かえってそういう静かな(?)子どもを、できのよい子と思い込んでいるケースもある。こうした誤解が、ますます教育をむずかしくする。
ともかくもあなたの子どもが、「大声で……」を日常的にしているなら、あなたの子どもは、それだけですばらしい子どもということになる。
●のびたバネは、必ず縮む
ムリをすれば、子どもはある程度は、伸びる(?)。しかしそのあと、必ず縮む。とくに勉強はそうで、親がガンガン指導すれば、それなりの効果はある。しかし決してそれは長つづきしない。やがて伸び悩み、停滞し、そしてそのあと、今度はかえって以前よりできなくなってしまう。これを私は「教育のリバウンド」と呼んでいる。
K君(中一)という男の子がいた。この静岡県では、高校入試が、人間選別の関門になっている。そのため中学二年から三年にかけて、子どもの受験勉強はもっともはげしくなる。実際には、親の教育の関心度は、そのころピークに達する。
そのK君は、進学塾へ週三回通うほか、個人の家庭教師に週一回、勉強をみてもらっていた。が、母親はそれでは足りないと、私にもう一日みてほしいと相談をもちかけてきた。私はとりあえず三か月だけ様子をみると言った。が、そのK君、おだやかでやさしい表情はしていたが、まるでハキがない。私のところへきても、私が指示するまで、それこそ教科書すら自分では開こうとしない。明らかに過負担が、K君のやる気を奪っていた。このままの状態がつづけば、何とかそれなりの高校には入るのだろうが、しかしやがてバーントアウト(燃え尽き)。へたをすれば、もっと深刻な心の問題をかかえるようになるかもしれない。
が、こういうケースでは、親にそれを言うべきかどうかで迷う。親のほうから質問でもあれば別だが、私のほうからは言うべきではない。親に与える衝撃は、はかり知れない。それに私のほうにも、「もしまちがっていたら」という迷いもある。だから私のほうでは、「指導する」というよりは、「息を抜かせる」という教え方になってしまった。雑談をしたり、趣味の話をしたりするなど。で、約束の三か月が終わろうとしたときのこと。今度は父親と母親がやってきた。そしてこう言った。「うちの子は、何としてもS高校(静岡県でもナンバーワンの進学高校)に入ってもらわねば困る。どうしても入れてほしい。だからこのままめんどうをみてほしい」と。
これには驚いた。すでに一学期、二学期と、成績が出ていた。結果は、クラスでも中位。その成績でS高校というのは、奇跡でも起きないかぎりムリ。その前にK君はバーントアウトしてしまうかもしれない。「あとで返事をします」とその場は逃げたが、親の希望が高すぎるときは、受験指導など、引き受けてはならない。とくに子どもの実力がわかっていない親のばあいは、なおさらである。
親というのは、皮肉なものだ。どんな親でも、自分で失敗するまで、自分が失敗するなどとは思ってもいない。「まさか……」「うちの子にかぎって……」と、その前兆症状すら見落としてしまう。そして失敗して、はじめてそれが失敗だったと気づく。が、この段階で失敗と気づいたからといって、それで問題が解決するわけではない。その下には、さらに大きな谷底が隠れている。それに気づかない。だからあれこれムリをするうち、今度はそのつぎの谷底へと落ちていく。K君はその一歩、手前にいた。
数日後、私はFAXで、断りの手紙を送った。私では指導できないというようなことを書いた。が、その直後、父親から、猛烈な抗議の電話が入った。父親は電話口でこう怒鳴った。「あんたはうちの子には、S高校はムリだと言うのか! ムリならムリとはっきり言ったらどうだ。失敬ではないか! いいか、私はちゃんと息子をS高校へ入れてみせる。覚えておけ!」と。
ついでに言うと、子どもの受験指導には、こうした修羅場はつきもの。教育といいながら、教育的な要素はどこにもない。こういう教育的でないものを、教育と思い込んでいるところに、日本の教育の悲劇がある。それはともかくも、三〇年以上もこの世界で生きていると、そのあと家庭がどうなり、親子関係がどうなり、さらに子ども自身がどうなるか、手に取るようにわかるようになる。が、この事件は、そのあと、意外な結末を迎えた。私も予想さえしていなかったことが起きた。それから数か月後、父親が脳内出血で倒れ、死んでしまったのだ。こういう言い方は不謹慎になるかもしれないが、私は「なるほどなあ……」と思ってしまった。
子どもの勉強をみていて、「うちの子はやればできる」と思ったら、「やってここまで」と思いなおす。(やる・やらない)も力のうち。そして子どもの力から一歩退いたところで、子どもを励まし、「よくがんばっているよ」と子どもを支える。そういう姿勢が、子どもを最大限、伸ばす。たとえば日本で「がんばれ」と言いそうなとき、英語では、「テイク・イッツ・イージィ」(気を楽にしなさい)と言う。そういう姿勢が子どもを伸ばす。
ともかくも、のびたバネは、遅かれ早かれ、必ず縮む。それだけのことかもしれない。
●谷底の下の谷底
子どもの成績がさがったりすると、たいていの親は、「さがった」ことだけをみて、そこを問題にする。その谷底が、最後の谷底と思う。しかし実際には、その谷底の下には、さらに別の谷底がある。そしてその下には、さらに別の谷底がある。こわいのは、子育ての悪循環。一度その悪循環の輪の中に入ると、「まだ以前のほうがよかった」ということを繰り返しながら、つぎつぎと谷底へ落ち、最後はそれこそ奈落の底へと落ちていく。
ひとつの典型的なケースを考えてみる。
わりとできのよい子どもがいる。学校でも先生の評価は高い。家でも、よい子といったふう。問題はない。成績も悪くないし、宿題もきちんとしている。が、受験が近づいてきた。そこで親は進学塾へ入れ、あれこれ指導を始めた。
最初のころは、子どももその期待にこたえ、そこそこの成果を示す。親はそれに気をよくして、ますます子どもに勉強を強いるようになる。「うちの子はやればできるはず」という、信仰に近い期待が、親を狂わす。が、あるところまでくると、限界へくる。が、このころになると、親のほうが自分でブレーキをかけることができない。何とかB中学へ入れそうだとわかると、「せめてA中学へ。あわよくばS中学へ」と思う。しかしこうしたムリが、子どものリズムを狂わす。
そのリズムが崩れると、子どもにしても勉強が手につかなくなる。いわゆる「空回り」が始まる。フリ勉(いかにも勉強していますというフリだけがうまくなる)、ダラ勉(ダラダラと時間ばかりつぶす)、ムダ勉(やらなくてもよいような勉強ばかりする)、時間ツブシ(たった数問を、一時間かけてする。マンガを隠れて読む)などがうまくなる。一度、こういう症状を示したら、親は子どもの指導から手を引いたほうがよいが、親にはそれがわからない。子どもを叱ったり、説教したりする。が、それが子どもをつぎの谷底へつき落とす。
子どもは慢性的な抑うつ感から、神経症によるいろいろな症状を示す。腹痛、頭痛、脚痛、朝寝坊などなど。神経症には定型がない※。が、親はそれを「気のせい」「わがまま」と決めつけてしまう。あるいは「この時期だけの一過性のもの」と誤解する。「受験さえ終われば、すべて解決する」と。
子どもはときには涙をこぼしながら、親に従う。選別されるという恐怖もある。将来に対する不安もある。そうした思いが、子どもの心をますますふさぐ。そしてその抑うつ感が頂点に達したとき、それはある日突然やってくるが、それが爆発する。不登校だけではない。バーントアウト、家庭内暴力、非行などなど。親は「このままでは進学競争に遅れてしまう」と嘆くが、その程度ですめばまだよいほうだ。その下にある谷底、さらにその下にある谷底を知らない。
今、成人になってから、精神を病む子どもは、たいへん多い。一説によると、二〇人に一人とも、あるいはそれ以上とも言われている。回避性障害(人に会うのを避ける)や摂食障害(過食症や拒食症)などになる子どもも含めると、もっと多い。子どもがそうなる原因の第一は、家庭にある。が、親というのは身勝手なもの。この段階になっても、自分に原因があると認める親はまず、いない。「中学時代のいじめが原因だ」「先生の指導が悪かった」などと、自分以外に原因を求め、その責任を追及する。もちろんそういうケースもないわけではないが、しかし仮にそうではあっても、もし家庭が「心を休め、心をいやし、たがいに慰めあう」という機能を果たしているなら、ほとんどの問題は、深刻な結果を招く前に、その家庭の中で解決するはずである。
大切なことは、谷底という崖っぷちで、必死で身を支えている子どもを、つぎの谷底へ落とさないこと。子育てをしていて、こうした悪循環を心のどこかで感じたら、「今の状態をより悪くしないことだけ」を考えて、一年単位で様子をみる。あせって何かをすればするほど、逆効果。(だから悪循環というが……。)『親のあせり、百害あって一利なし』と覚えておくとよい。つぎの谷底へ落とさないことだけを考えて、対処する。
(02-10-13)
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§§σσ§ {←・ }
§ξ 。ノξ \ _ /
<ξヽ ヽ>
/\~~~~l\ ∩ _ 何か、テーマをいただけるようでしたら、
〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │∥┌⊃ 遠慮なく、お申しつけください。
/∠_mm_/\ /‥ │ メールは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
/ ●∞ │ の、トップページの(メール)より。
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※ (参考)以前書いた原稿を、添付しておきます。(中日新聞で発表済み)
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子どもの心が燃え尽きるとき
●「助けてほしい」
ある夜遅く、突然、電話がかかってきた。受話器を取ると、相手の母親はこう言った。「先生、助けてほしい。うちの息子(高二)が、勉強しなくなってしまった。家庭教師でも何でもいいから、してほしい」と。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校のばあい、一年生で、一クラス中、二~三人。二年生で、五~六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。一クラス四〇名だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多いとみるか、少ないとみるか?
●燃え尽きる子ども
原因の第一は、家庭教育の失敗。「勉強しろ、勉強しろ」と追いたてられた子どもが、やっとのことで目的を果たしたとたん、燃え尽きることが多い。気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減退、朝起きられない、自責の念が強くなる、自信がなくなるなどの症状のほか、それが進むと、強い虚脱感と疲労感を訴えるようになる。概してまじめで、従順な子どもほど、そうなりやすい。で、一度そうなると、その症状は数年単位で推移する。脳の機能そのものが変調する。ほとんどの親は、ことの深刻さに気づかない。気づかないまま、次の無理をする。これが悪循環となって、症状はさらに悪化する。その母親は、「このままではうちの子は、大学へ進学できなくなってしまう」と泣き崩れていたが、その程度ですめば、まだよいほうだ。
●原因は家庭、そして親
親の過関心と過干渉がその背景にあるが、さらにその原因はと言えば、親自身の不安神経症などがある。親が自分で不安になるのは、親の勝手だが、その不安をそのまま子どもにぶつけてしまう。「今、勉強しなければ、うちの子はダメになってしまう!」と。そして子どもに対して、しすぎるほどしてしまう。ある母親は、毎晩、子ども(中三男子)に、つきっきりで勉強を教えた。いや、教えるというよりは、ガミガミ、キリキリと、子どもを叱り続けた。子どもは子どもで、高校へ行けなくなるという恐怖から、それに従った。が、それにも限界がある。言われたことはしたが、効果はゼロ。だから母親は、ますますあせった。あとでその母親は、こう述懐する。「無理をしているという思いはありました。が、すべて子どものためだと信じ、目的の高校へ入れば、それで万事解決すると思っていました。子どもも私に感謝してくれると思っていました」と。
●休養を大切に
教育は失敗してみて、はじめて失敗だったと気づく。その前の段階で、私のような立場の者が、あれこれとアドバイスをしてもムダ。中には、「他人の子どものことだから、何とでも言えますよ」と、怒ってしまった親もいる。私が、「進学はあきらめたほうがよい」と言ったときのことだ。そして無理に無理を重ねる。が、さらに親というのは、身勝手なものだ。子どもがそういう状態になっても、たいていの親は自分の非を認めない。「先生の指導が悪い」とか、「学校が合っていない」とか言いだす。「わかっていたら、どうしてもっとしっかりと、アドバイスしてくれなかったのだ」と、私に食ってかかってきた父親もいた。
一度こうした症状を示したら、休息と休養に心がける。「高校ぐらい出ておかないと」式の脅しや、「がんばればできる」式の励ましは禁物。今よりも症状を悪化させないことだけを考えながら、一にがまん、二にがまん。あとは静かに「子どものやる気」が回復するのを待つ。
ξ《《》》
ξξσσξ
ξξ~▽~ノξ
「 ∞∞∩∩
l/ (・・) お友だちに記事を転送していただいても構いませんが、
/ ⊂▼▼⊃ 「はやし浩司」のクレジット(署名)だけは
/ │ ∈ どうか、忘れないでくださいね!
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子育て随筆byはやし浩司(173)
悪のドミノ倒し
このところ浜松市内の交差点の様子が変わってきた。四つ角でも、赤信号に変わってからも交差点につっこんでくる車がふえた。赤信号になって、一呼吸おいてからつっこんでくる車も、少なくない。おかげで、横断歩道を渡るのも命がけ。先月は、歩行者用信号が青になったので渡ろうとして、私が半分ほど渡ったところに、赤信号を無視して飛び出してきた車があった。思わず「あぶない!」と叫んだが、そういうドライバー(二〇歳代の女性)にかぎって、こちらを見向きもせず、走り去っていった。
二〇年前には、こういうことはなかった。ただ地域性があるというか、名古屋市のドライバーは、マナーが悪いということは、当時から感じていた。しかしこの浜松までそうなるとは! こうしたマナーは、だれか一人が破ると、ちょうどドミノ倒しのように、つぎからつぎへと破られ、あっという間に、総倒れになる。これを「悪のドミノ倒し」という。たとえば交差点で、黄色信号になったからと車を止めたりすると、うしろの車が、「早く行け」と、クラクションを鳴らす。あるいはこれはワイフが経験したことだが、わざと追突寸前まで、車をこすりつけられたりする。
こうした「悪のドミノ倒し」は、経済状況が悪化し、社会情勢が不安になると、あちこちで、しかもあらゆる場面で、起こる。そしてそれがきっかけで、あっという間に、社会秩序は崩壊する。敗戦直後の日本でも、起きた。あの旧ソ連が崩壊するときも起きた。そして最悪のばあには、略奪や強奪にまで発展する。店や役所を、焼き討ちするということもある。悪のドミノ倒しを甘くみてはいけない。
このドミノ倒しは、いかにその前兆段階でとらえ、そしてその段階で抑えるかが大切。つまりそのために警察という組織があるが、その警察がこのところアテにならない。決められたことを、必要最低限しかしていないという感じ。「法の番人」というよりは、親切でやさしい公務員といった感じ。目の前で赤信号になってから飛び出した車を見かけても、見て見ぬフリ。(実際、そういう場面を見かけたぞ!)正義を守るという気迫が、どこにもない?
こうしたドミノ倒しは、ここにも書いたように、あらゆる場面で起きる。騒音やゴミ問題。インチキやゴマカシなど。もちろん家庭の中でも起きる。家庭が崩壊するときも、同じようにいろいろな場面でこの「悪のドミノ倒し」が始まる。電気がつけっぱなしになる。ゴミが散らかったままになる。食事の時間が乱れる。たがいに約束が守れなくなるなど。一度こういう状態になると、崩壊するまでに、それほど時間はかからない。
私は交差点で、赤信号になってからもつっこんでくる車を見かけるたびに、(今でもどこの交差点でも、当たり前の光景になってきたが)、「日本も、あぶない段階に入った」とみる。この大不況の中で、人々の心がどこか殺伐(さつばつ)としてきた。しかしこういう時代に、いかに「自分」を保ちつづけるか。それで、その人の価値が決まる。私も、実のところ、自信はないが、できるだけ自分を保ちたいと思う。これから先、この日本や世界は、たいへんな時代を迎えるだろう。……だろうというより、そうなるという前提で考えたほうがよい。たまたま今日、アイルランドから帰ってきた女性に聞いたが、そのヨーロッパでは、急速に極右勢力が力をもちだし、各国の政情が不安定になりつつあるという。この極東も、例外ではない。何がどうなるかということは、ここでのテーマではないので、書かないが、日本の国家経済は、今、完全に破綻(はたん)している。日本だけ無事にすむという保証は、もうない。が、ただひとつ、願わくば、子どもたちの世界だけは、そのワクの外に置きたい。その努力だけは、忘れてはならない。
(02-10-11)
(教訓)正直に生きるのがバカらしいとか、まじめに生きると損という社会をつくってはいけない。しかしこの私も、実のところ、そう感ずることが多くなった。ときどき、自分のまじめさが、バカらしく思えることがある。みなさんは、どうですか? (本当の私は、決してまじめ人間ではない。必死になって、まじめなフリをしているだけ。あるいはまじめでいようと思っているだけ。)
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子育て随筆byはやし浩司(174)
本当の私
私はもともと小ズルイ男で、今も、それが自分の中にしっかりと残っている。すべてをあの戦争の責任にするわけではないが、私が過ごした幼児期というのは、戦後の混乱期。まさにドサクサのころで、秩序があるようで、なかった。そういう時代だった。親たちも食べていくだけで精一杯。家庭教育といっても、その「キョ」の字もなかった。
その私が一見、まじめそうな顔をして生きているのは、そういう自分を必死になって押し殺しているからにほかならない。一度幼児期にできた「自分」を消すことは、私の経験からしても不可能だと思う。ふと油断をすると、すぐ表面に出てきてしまう。ただ私のばあい、それが「盗み」とか、「暴力」とか、そういう反社会的な面で出てこないだけ、ラッキーだった。出てくるとするなら、「お金」と「女性」についてだ。
まず、「お金」。たとえば道路でサイフを拾ったりすると、それをどうするかでいまだに、悩んだり苦しんだりする。しかしそういう自分がいやだから、つまりあとで、あと味の悪い思いをするのがいやだから、何も考えず、交番に届けたり、近くの店に届けたりしている。自分の行動パターンを決めて、それに従っている。
つぎに「女性」。私の青春時代は、まさに「女に飢えた時代」だった。高校生のときも、デートをしただけで先生に叱られた。そうした欲求不満が、私の女性観をゆがめた。イギリスの格言にも、『抑圧は悪魔をつくる』というのがあるが、まあ、それに似た状態になった。結婚前は、女性を「おもちゃ」ぐらいにしか考えていなかった。女性の気持ちなどまったく無視。セックスの対象でしかなかった。が、ある事件を契機に、そういう「女遊び」をまったくやめたが、今でも、そういう思いはたしかに残っている。ふと油断すると、女性が「おもちゃ」に見えるときがある。(しかしこれは本能によるものなのか、自分の意識によるものなのかは、よくわからない。たとえば男というのは、射精する前と、射精したあとでは、女性に対する関心が、一八〇度変わる。射精する前には、ワイフでもたしかにおもちゃに見える。しかし射精すると、その思いは完全に消える。なぜか?)
話を戻す。こうした小ズルさがあるから、反対に、他人の小ズルさが、よくわかる。相手が、自分でもしそうなことをすると、それがすぐわかる。先手をとったり、それから身を守ったりする。そういう意味では役にたっている。が、それがよいのか悪いのか? 人を疑うのは、あまり気持ちのよいものではない。しかしこういうことは言える。私のワイフは、同じ団塊の世代だが、人を疑うことを知らない。純朴と言えば聞こえはよいが、実際には無知。そのため今まで悪徳商法の餌食(えじき)にされかかったことが、何度となくある。おかしな料理器具や、アワ風呂発生器や、あやしげな生協活動や、はたまた新興宗教などなど。私が「やめろ」と言わなければ、今ごろはかなりの損をしていたと思う。
そんなわけで私が今、一番恐れているのは、やがて気力が弱くなり、自分の本性がそのままモロに外に出てくること。そうなったとき、私は実に醜い人間性をさらけ出すことになる。すでに今、その兆候が現れ始めている?
そこで私は今、つぎのことに心がけている。どんなささいなルールも守る。ワイフが、「そんなこといいのに……」とあきれるときもあるが、とにかく守る。そのルールが正しいとか正しくないとか、そういうことは判断しない。一応社会のルールになっているときは、それを守る。
あるいはどんな少額でも、お金はごまかさない。レジなどで相手がまちがえたときは、おつりが多くても少なくても、(少ないときは当然だが……)、即、申告する。お金は借りない。貸さない。もちろん交通ルールは守る。黄色になったら、どんなばあいでも、止まる。自転車に乗っていても、それは守る。そういうことを自然にしている人から見れば、「そんなこと当然のことではないか」と笑われるかもしれないが、私はそうしている。そうしながら、つまり、自分の行動パターンを、できるだけわかりやすくしながら、自分の邪悪な部分を目覚めさせないようにしている。
(02-10-11)
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子育て随筆byはやし浩司(175)
満五五歳になるについて
私はもうすぐ満五五歳になる。年齢などというのは、ただの数字だから、それにこだわらねばならない理由など、ない。はっきり言って、どうでもよい。しかし無視するわけにはいかない。人間が社会的動物であるなら、その社会には、そのつど無数の尺度がある。年齢は、その第一の尺度ということになる。
私がN氏にはじめて会ったのは、N氏が五五歳になる少し前だった。雪の降り積もった昼のことで、すれ違いざま、「このあたりに下宿はありませんか」と聞いたのが、きっかけだった。そのとき私は金沢大学の学生で、下宿をさがしていた。そのあと、私はN氏には、N氏がなくなるまで、ずっと何かにつけて世話になった。今、自分がその五五歳になるとき、どういうわけだか、N氏の名前と、顔が一番最初に頭の中に浮かんだ。
つぎに隣人のR氏のことが頭に浮かんだ。私が今住んでいる場所に引っ越してくるとまもなく、R氏も引っ越してきた。そのときR氏が、「満五五歳です」と言ったのを、はっきりと覚えている。R氏は、旧国鉄を退職する直前だった。「もうすぐ定年退職でね」と言った言葉もよく覚えている。
ほかにもあるが、昔は、満五五歳というのは、定年退職の年で、その年齢には特別の意味があった。中学のときの先生も、高校のときの先生も、みんな満五五歳で退職していった。そういう人たちを頭の中に思い浮かべながら、「ああ、私もその五五歳か」と思う。「早い」というより、不思議なことに、私には、自分が満五五歳であるという実感がほとんど、ない。少なくとも私には定年というものがないし、いわんや退職ということもない。しかし、私は五五歳!
その五五歳になって、私は今、あがいているのか? 何かができそうで、結局は何もできなかった。何かをするにも、もう年齢制限は超えている。これから先、今まで以上に何かをできるということは、ありえない。しかしまだ何かができそうな気がする。何かをしなければならないような気もする。が、一方では、心のどこかでは、こんな声も聞こえる。「あきらめろ。あがいてもムダだ」と。しかし私は自分を止めることができない。行くしかない。前に進むしかない。
その五五歳になっても、私のまわりには、わからないことだらけ。ときどき講演などで演壇に立ったとたん、「どうしてこの私がこんなところに立っているのだろう」と思うときがある。何もわかっていない私が、さもしたり顔で、みなの前に立つ。何かを教えてもらいたいのは、むしろ私のほうなのだ。が、そこで壇をおりるわけにはいかない。そういうときは、「ええい、なるようになれ!」と心の中で叫びながら、ものをしゃべり始める。つまりそれがそのまま今の私の心境ということになる。私は「ええい、なるようになれ!」と、生きている。
さて、これから先、私はどのように自分の人生を組み立てたらよいのか。計画はあるのか、ないのか。目標はあるのか、ないのか。そんなことを自分に問いかけていると、結局は自分が無限ループの輪の中に入ってしまうのがわかる。つまり堂々巡り。同じことを考えて、また同じ結論に達してしまう。そしてそれは恐ろしいことだが、「計画はない。目標もない。ただこのまま死ぬまでがんばるしかないだろうな」と。
で、タイトルを「満五五歳になるについて」としたので、何か気のきいたことを書きたいのだが、それがまったく書けない。昨日は昨日。今日は今日。明日は明日。やはり満五五歳などといっても、それは私とは関係のないただの数字でしかない。だから何か特別のことを書けと言われても、何も書けない。今日は今日で、明日は明日で、私は私なりに懸命に生きていくしかない。年齢や日にちに関係なく、だ。
ただこういうことは思う。N氏にしても、R氏にしても、そして私が知っている先生たちにしても、そのあと静かに余生を送り、そのほとんどは、もうこの世にいない。「私もあっという間にそうなるだろうな」という思いだけは、どうしてもぬぐい去ることができない。だからその分、「急がねば」という思いだけは、今、やたらと強い。
(02-10-11)
(追記)多分、ほとんどの読者の方は、私より若いと思う。だからいつか、あなたも満五五歳になったら、この文を読み返してみてほしい。あるいはあなたが満五五歳になったとき、どのように考えるようになるか、それを今から想像してみるのもよいかもしれない。私と同じように考えるだろうか。それとも違うだろうか。それは私にもわからないが、しかし少しだけ未来に自分の時間を置き、「そのときになったら、自分はどうなるのだろう」と想像することはムダではない。そうすることで、あなたはあなたの人生を、仮に私を通してでもよいが、二度生きることができるようになるのではと思う。
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子育て随筆byはやし浩司(176)
持病との闘い
私には、二つの持病があった。ひとつは花粉症。もうひとつは偏頭痛。しかし今は、この二つを克服した。が、それには長い物語がある。
まず、花粉症。私が最初に花粉症による症状を自覚したのは、浜松に移り住むようになってからしばらくのことだった。私が二四歳くらいのことではなかったか。春先になって、ひどい鼻水とくしゃみが出た。その前に喘息に似た症状も出た。しかしそのときは花粉症という言葉もまだ一般的ではなく、私は風邪と思い、風邪薬ばかりのんでいた。
が、年々症状はひどくなった。やがて花粉症という言葉が耳に届くようになり、私は毎年、春先になると、その花粉症に苦しむようになった。その苦しさは、花粉症になったものでないとわからないだろう。杉の木のない沖縄へ移住しようかと本気で考えたこともある。
もうひとつは偏頭痛。これは三〇歳をすぎるころから現れた。が、それも最初は偏頭痛とはわからなかった。大病院でも、「脳腫瘍」と誤診されるような時代だった。私はそのころ、年数回、大発作に襲われ、そのたびにふとんの上で、四転八転の激痛に苦しんだ。「頭を切ってくれ」と叫んだこともある。
春が近づくと、私は毎年、ゆううつになった。たいてい二月の下旬からそれは始まり、五月の連休になって、暖かい南風が吹くまで、つづいた。毎晩巨大なマスクをして眠ったが、それでもあまり効果はなかった。睡眠不足と不快感で、顔中まっかにはらしながら、それでも何とか、その時期をしのいだ。そして花粉の季節が終わると、「終わった!」と、毎年とびあがって、それを喜んだ。
偏頭痛はやがて、強力な薬が開発されて、それをのめば、ウソのように症状は消えるようになった。しかし副作用というか、そのため胃がやられ、そのあと、ゲーゲーとものを吐くこともあった。で、ドクターに相談すると、効力の弱い薬にかえてくれ、ついでに胃の薬ものむようにと指導された。しかしその偏頭痛は、四〇歳を過ぎるころまでつづいた。
花粉症がなおったわけは、一度、浴びるようにその花粉をかぶったことがある。どうしても山の中で作業しなければならないようなできごとがあり、それでそうした。結果、多分、体のほうがあきらめたのだと思う。それ以後は、毎年、その季節のはじめに少し症状が出るだけで、それ以後は症状は出なくなった。人に言わせると、「ショック療法」というのだそうだ。本当にそういう療法があるのかどうかは知らないが……。
偏頭痛のほうは、今でも油断すると、出てくるときがある。しかしこちらとは、共存関係というか、じょうずにつきあうことで対処している。このところは、その前ぶれ症状がわかるようになった。どこか頭が重くなってきたら、要注意。「あぶないぞ」と自分に言い聞かせて、回避するようにしている。そういう技術も身につけた。だから大きな発作はないが、しかしそれでもときどき、偏頭痛は起きる。たとえばチョコレートがダメ。おかしなことだが、チョコレートを一、二個食べると、偏頭痛が起きる。だからこの一〇年、チョコレートは、ほとんど食べていない。いや、食べては、そのあと偏頭痛にみまわれ、後悔している。
だれしも、ひとつやふたつ、持病があるもの。そういう持病とうまくつきあうのも、健康法のひとつかもしれない。
(02-10-12)
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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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