●復讐
●6月5日(2011)(はやし浩司 2011-06ー05)
●天国論
シャットダウンをする。
コンピューターの電源を切る。
画面にあのロゴが現われ、やがてすぐ光が消える。
ホーキング博士は、「死ぬということは、そういうことだ」と説く。
「天国というのは、闇をこわがる人のためのおとぎ話だ」とも。
そういうものかもしれない。
少なくとも私は、「そういうもの」という前提で、生きている。
あの世はない。
あればもうけもの。
それは死んでからの、お楽しみ。
●復讐
昨日、土手に柵を立てた。
鳥の餌場を柵で囲んだ。
猫が、鳥の餌場に飛びかからないようにした。
その柵を立てながら、私は復讐を考えた。
方法はある。
昔、学生のころ、友人が教えてくれた。
まず針金で輪をつくる。
カウボーイが使う投げ縄のように、一方を小さな輪にして、針金に通す。
猫がその輪の中を通ると、針金が、自動的に締まる。
が、この方法は、残酷!
友人が言うには、猫はギャーギャーと声をあげ、はね回るという。
針金をはずしてやりたくても、それができない。
そのため猫は死ぬ、と。
「あの猫め!」と何度も思った。
ドバトは、みな、あの猫に殺された。
白と黒の、いわゆる三毛猫。
しかしそれも残酷。
つまり猫を殺すのも残酷。
一度、オーストラリアで、野生の猫を撃ち殺したことがある。
あのとき感じた後味の悪さは、今もしっかりと心に張りついている。
そう言えば、二男もそう言っていた。
学生のとき、野生の鹿を撃ちに行ったという。
アメリカでの話である。
で、二男は1頭、銃で撃ったらしい。
が、それについて、こう言った。
「二度としたくない。あの鹿の目が忘れられない」と。
昼食のとき、それをワイフに話すと、ワイフはこう言った。
「あら、ドバトね、一羽、さっきいたわよ」
「いたのか!」
「いたわよ」
「エッ、猫に殺されたのではなかったのか!」と。
うれしかった。
ドバトは生きていた。
一羽でも生きていれば、うれしい。
とたん、スーッと復讐心が消えた。
よかった。
人でも動物でも、何かを恨むのは疲れる。
大量のエネルギーを消耗する。
復讐を考えれば、なおさら。
……どうであるにせよ、私は猫が鳥を襲う場面を目撃している。
柵を立てることは、必要。
どこか傾いた柵。
これでドバトも安心して餌を食べられるはず。
私も、安心して、餌をまける。
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司
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