Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, June 05, 2011

●老後の生き様  ●MOX


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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      6月   6日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【新小学1年生に、繰り下がりのある引き算を教えてみる】

++++++++++++++++++++++

今週は、小学1年生に、繰り下がりのある引き算を
教えてみました。

小学1年生の多くが、つまずく難所です。

++++++++++++++++++++++

(1)
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(2)
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(3)
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(4)
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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 繰り下がりのある引き算 引き算 小学1年生)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【老後をどう前向きに生きるか】

++++++++++++++++

これからの人生を、どう生きるか。
いろいろ考える。
そのひとつ。

年を取ると、より無難な道を歩もうとする。
日々平凡を旨とし、冒険を避ける。
それはそれとして賢い生き方なのかもしれない。
しかしその一方で、そうした生き様は、自らが
もつ多様な可能性を、つぶしてしまう。
生き方そのものが、硬直化する。
型にはまってしまう。
それがその人の生き方そのものを、ジジ臭く、
ババ臭くする。

大切なことは、最後の最後まで、生き抜くこと。
「生きる」という緊張感を失わないこと。

年齢という「数字」に、惑わされてはいけない。
私は私。
あなたはあなた。
どこまでいっても、私は私。
あなたはあなた。

が、そうは言っても、「肉体」の問題がある。
体力、気力の衰えは、いかんともしがたい。
同時に、脳みそも、肉体の一部。
思考力も減退する。

++++++++++++++++

●可能性

 若いころは、それなりに可能性がある。
ときには、怒涛のように押し寄せてくる。
その分だけ、選択肢も多い。
だから迷う。
迷うから、そのつど選択に迫られる。

 が、年を取ると、可能性がしぼんでくる。
総じてみると、その人の生き様は、30歳前後に決まる。
そのころになると、輪郭がはっきりしてくる。
その分だけ、選択肢が少なくなる。
40歳になると、さらに少なくなる。
50歳になると、ほとんどといってよいほど、少なくなる。
それだけに失敗するのも、こわい。
そのため無難な道を選ぼうとする。

 さらに言えば、「平均余命」という言葉もある。
今度はそういう言葉が、前から迫ってくる。
「ゴール」というよりは、「先の見えない閉塞感」。
それが前から、迫ってくる。

今年、男性の平均余命は、80歳になった(2011)。
それで逆算すると、私の残りの人生は、17年。
が、80歳でポックリと死ねるわけではない。
晩年の10年は、病魔との闘いと言われている。
つまり「健康寿命」は、よくてあと7年。

それがわかるから、ますます慎重になる。
無難な道を選ぼうとする。
冒険を避ける。

●選択

 考えてみれば、若いころは、いつも選択ばかりしていた。
そのときは気がつかなかった。
が、選択ばかりしていた。
たとえば仕事にしても、そのつど選択。
「あれをしよう」「これをしよう」「どちらにしよう」と。
生き様も、無数にあって、そのつど選択。

 あるとき、だから、こう思ったことがある。
「信仰をしている人は、楽だろうな」と。
何かの信仰をしている人は、迷うということがない。
その「道」一筋に、生きていけばよい。
何も考えなくてもよい。
生き様にしても、脳に注入してもらえばよい。

ある信仰者は、こう言った。
私が「教祖の言うことを疑うことはないのですか」と
聞いたときのこと。
「教祖様は、何万冊もの本を読んでいる」と。

 が、だからといって、信仰的な生き方が正しいというわけではない。
それを必要としている人は別として、そうでなければそうでない。
信仰的な生き方が正しい生き方ではない。
信仰的な生き方をつづけていると、自ら「私」を放棄してしまう。
そういうことにもなりかねない。

 あくまでも蛇足だが、不完全でもよいから、自分の足で立つ。
未熟であることを恥じることはない。
失敗したからといって、敗北者というわけではない。
失敗を通して、未熟であることに気づく。
つぎの人生は、そこから始まる。

●面影

 生活にしてもそうだ。
「ああしたい」「こうしたい」「こうでありたい」と。
欲望が、そこにある現実と、はげしくぶつかる。
家庭のあり方、家族のあり方、それに夫婦のあり方、など。
思うようにならない生活。
思うようにならない人間関係。
衝突もある。
葛藤もある。

 が、年を取ると、その可能性がしぼんでくる。
選択肢がかぎられてくる。
たとえばラブ・ストーリー。

若いときは、それなりに女性(男性)に相手にされる。
浮いた話が、花のように彩(いろどり)をそえる。
が、年を取ると、それも少なくなる。
相手にされなくなる。

 が、ロマンスを求める心が消えるわけではない。
ときどき思い出したように、ポッと火がつく。
が、そこにいるのは、ワイフ(夫)だけ。
しかたないので、ワイフ(夫)のシワをのばす。
のばしながら、若いころの面影をさがす。
その面影に満足し、「性」を吐き出す。

 かなり不謹慎で、ごめん。
ただ生きざま全体が、総じてみれば、そうなる。
その一例として、色恋の話を書いてみた。

●浮気願望

 私にも経験がある。
若いころ、こんなことがあった。
40歳くらいのことではなかったか。
電車に乗っていたら、目の前の席に、すてきな女性が座った。
私はその女性を見ながら、あらぬ恋愛を夢想した。
が、やがてその想像は、(恋愛)→(結婚)→(育児)と、
進んでいった。
とたん、それまでの夢想が、パチンとはじけた。
消えた。

 「またイチからやりなおす」と言っても、私にはできない。
それがとても、めんどうなことのように思えた。
「どうせやりなおすくらいなら、結婚は一度でじゅうぶん」と。

 同じように今、私はこう考える。
「人生は一度でじゅうぶん」と。
もし神様かだれかが、私にこう言ったとする。
「もう一度、君を、青春時代に戻してやろう」と。
が、やはり人生は、一度でじゅうぶん。
たくさん。
だからこう答えるだろう。
「結構です」と。

●住めば夫婦

 そういう点では、私は不器用な人間と思う。
「浮気」にしても、私にはできない。
すぐ本気になってしまう。
つまり2人の女性を、同時に愛することなど、できない。
で、もしそうなったら、苦しむのは、私自身。
それに、「女」といっても、性格や性質は別としても、
それほど違違わない(たぶん?)。
違っていても、数回もつきあえば、みな、同じ。

 昔から『住めば都』という。
同じように、『住めば夫婦』。
どんな妻(夫)でも、いっしょに住んでいれば、それなりに「都」。
だったら、「今」を大切にしたほうがよい。
今、そこにいる「人」を大切にしたほうがよい。
(この意見については、異論のある人も多いだろうが……。)

●落穂拾い

 選択肢がせばまった分だけ、生活が単一的になる。
単一的になった部分だけ、生き様が「落穂拾い」的になる。
ミレーの落穂拾い(絵画)を、想像してもらえばよい。
わかりやすく言えば、残りカスを大切に、細々と生きていく。

 当然、刺激も弱くなる。
何とも老人臭い生き方だが、もちろんそれがよいというわけではない。
が、こと夫婦生活について言えば、そうなる。

 ワイフにしても、不平不満はあるだろう。
物足りなさはあるだろう。
しかし今さら、どうにもならない。
だから最近は、夫婦喧嘩をするたびに、ワイフは、こう言う。
「いいかげんに、あなたも私を受け入れてよ!」と。
つまり「あきらめてよ!」と。

 が、それが簡単にできない。
できない分だけ、私はまだ若い(?)。

●呂律(ろれつ)

「あと7年か……」と思ってみたりする。
しかしたったの7年。
が、よく誤解されるが、人間は、ある日突然、死の待合室に
入るわけではない。
徐々に、少しずつ、マイナスの一次関数的に入っていく。

 たとえば今朝も、床から起きてからしばらく、呂律(ろれつ)が
回らなかった。
いつもならもう少し早口で話せるのだが、今朝は、どこか口が重い。
ワイフに、「ぼくの話し方、おかしいか?」と聞く。
「……そうねエ~」と。

 そこで早口の練習をする。
「となりの客は、よく柿食う、客だ」と。

 水分を多めにとり、ウォーキングマシンの上で汗をかくころには、
ふつうに話せるようになった。

 つまりこうした不調が、この先、多くなる。
呂律が回らないというのは、たとえば脳梗塞の前兆と考えてよい。
あるいは微細脳梗塞がすでに起きているのかもしれない。
やがて脳も、硬直化する。

●夫婦問題

 ところでよく夫婦問題の相談が届く。
育児問題なら、それだけの「ケース(経験)」を踏んでいる。
しかしこと夫婦の問題となると、私は門外漢。
自分たちのことしか、知らない。

 が、そういう相談があるたびに、こう思う。
「まだ、若いなア……」と。
つまり若いから、夫婦のことが問題になる。

 やがて否応なしに、その若さも消える。
消えると同時に、現実を受け入れるようになる。
あきらめる。
納得する。
「まあ、いろいろやってはみたけれど、私の人生はこんなもの」と。
それが家族になれば、「私の家族はこんなもの」と。
夫婦についても、同じ。
「私たち夫婦は、こんなもの」と。

 とくによかったわけでもない。
しかし悪かったわけでもない。
「こんなもの」と。
同時に、「問題」そのものが、霧散する。
 
●終末

 そう言えば、60歳を過ぎると、みな、こう言うようになる。
「私は今の夫(妻)で、満足しています」とか、
「今の夫(妻)と結婚して、よかったと思います」とか。

 だからこそ、60歳まで、つづいた。
そうでなければ、どこかで破綻していた。
あるいは「よかった」と、思うことで、(本当は自分を慰める
ことで)、人生をしめくくることができる。

 ついでに、死後の世界。
ホーキング博士は、最近、こう言っている(注※)。

『天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎない』と。
そして重要なことは、『自らの行動の価値を最大化するため
努力すべき』と。

●気力
 
 ……と書いてきたが、人生が終わったわけではない。
先ほど17年と書いたが、うまくいけば、20年は生きられるかもしれない。
もしそうなら、こうなる。
何も、自ら選択肢をせばめていく必要はない。
20年といえば、誕生から成人まで。
あのビル・ゲーツにしても、マイクロソフト社を今にみる会社にするまでに、
20年もかからなかった。

そこで生きる力。
生きる力が強ければ強いほど、選択肢がふえる。
選択肢をふやすことが、人生を豊かに生きるコツである、と。
「まだ、こうしたい」「まだ、ああしたい」と。
それを素直に受け入れ、それに従って生きていく。
……というか、あえて自分と闘いながら、それを求めていく。
というのも、体力と同時に、気力も弱くなる。
それがこわい。
最近、こんなことをワイフと話した。

●山荘
 
 私が山荘をもとうと考えたのは、30歳も過ぎてからのこと。
それまでもずっと、「夢」として、それを考えていた。
が、決意したのは、30歳も過ぎてからのこと。

 結果的に、土地の造成に6年をかけた。
建築に半年。
山荘が手に入ったのは、40歳のとき。
いろいろあった。
最大の問題は「水」。
都会であれば、水道を引くことで、水を手に入れることができる。
しかし山の中では、そうはいかない。

 最終的に、村の人たちと折り合いをつけ、自分で水道管を
埋設した。
下水の処理にも、苦労した。……などなど。

 そういう過去を思い出しながら、今、ワイフにこう言う。
「よく、やったなア」と。

 現在の私なら、とても、できない。
それを支える気力そのものが、ない。
当時の私は毎週、土日になると、ユンボを借り、土地を造成した。
テントを張って、一夜を過ごしたこともある。

 だから今は、こう思う。
「そんな元気があったら、温泉でも行ってきたほうがいい」と。

●決意

 あえて自分の心と体にムチを打つ。
ムチを打って、奮い立たせる。
いつか限界が来るかもしれない。
そのときは、そのとき。
しかし今は、ムチを打つ。

 だから私は、今、こんなことに心がけている。

(1)朝、目を覚ますと同時に、その日にすることを決める。
(2)朝、床から出ると同時に、ウォーキングマシンの上で歩く。
時間は、30分。
汗をかくまでする。
(3)パソコンを開き、文章を書く。
マガジンを発行する。
BLOGを書く。
(4)週に1、2度は映画館に足を運ぶ。
(5)週に1度は、どこかの温泉に泊まる。
(6)本や雑誌は、惜しみなく買う。読む。
(7)これが重要だが、その朝に「やる」と決めたことは、かならず、
実行する。
(8)仕事は、つづける。
つづけるというより、やめない。
死ぬまで、やめない。
こと、仕事については、来年のことは考えない。

●最後の最後まで……

 私たちはいつも、そのつど選択しながら、生きている。
しかしそれこそが、まさに「今」を生きるものの、特権ということになる。
その選択がなくなったら、それこそ人生はおしまい。

 夫(妻)への不満、おおいに結構。
家族(親、子ども、兄弟)への不満、おおいに結構。
ばあいによっては、衝突もし、絶縁もする。
それもおおいに結構。
それも人生の関門のようなもの。
それを通り過ぎないと、つぎのステップに進むことができない。

 あちらでぶつかり、こちらでぶつかる。
あちらで叩かれ、こちらで叩かれる。
それもおおいに結構。

 私についても、辛らつな批判を繰り返している人は多い。
しかし私は私。
人は人。
私が書きたいように、ものを書くように、言いたい人には、
好きなように言わせておけばよい。
私の世界では、批判、中傷、悪口は、「勲章」のようなもの。
それ自体が、生きる原動力になっている。
(これは言い訳?)

 とは言っても、年を取ると、その気力も弱くなる。
めんどうになる。
選択肢もせばまってくる。
それこそ、毎日、仏壇の金具を磨いて過ごすようになる。
が、それこそ、まさに死の待合室。
あとは静かに死を待つだけ。
急がなくても、やがて人は、みな、そうなる。

しかしあえて、それを求めることはない。
そのときは、そのとき。
そのときまで、私たちはいつも、選択を繰り返しながら生きていく。
最後の最後まで……。

 それができるかどうか?
自信はないが、今は、そう考える。

(注※)(参考)2011年5月18日(産経ニュースより)

『「天国も死後の世界もない」車いすの物理学者ホーキング氏が断言

「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士が、英紙ガー
ディアンのインタビューで、「天国も死後の世界もない」と語った。

 「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、天
国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考えを否定した。16日付の
英紙ガーディアンに掲載されたインタビューで述べた。

 ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見な
している」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人の
おとぎ話だ」と述べた。

 博士は21歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)という進行性の神経疾患と診断され、余命数年
とされた。「自分は過去49年間にわたって若くして死ぬという可能性と共生してきた。死を恐れては
いないが、死に急いでもいない。まだまだやりたいことがある」と語った。

 また、人々はどのように生きるべきかとの問いに対し「自らの行動の価値を最大化するため努力
すべき」と答えた。

 1988年の著書「ホーキング、宇宙を語る」で世界中に広く知らるようになった博士は、2010年の
著書「The Grand Design(原題)」では宇宙の創造に神の力は必要ないとの主張を展開し、宗
教界から批判を浴びている』(ロイター)と。

●補記

 ホーキング博士のこの言葉を聞いて、私はハッとした。
ホーキング博士は、私が長々と書いてきたことを、たった一行で表現している。

『自らの行動の価値を最大化するため努力すべき』と。

 原文がないので、正確な意味はわからない。
この翻訳を信用するなら、ホーキング博士は、『行動の価値』という言葉を使ったことになる。
『私の価値』とか、『個人の価値』とかではない。
『行動の価値』である。

 同じようなことは、あのトルストイも書いている。
それについては一度、中日新聞に書いた原稿があるので、ここに掲載する。
トルストイも、『ただひたすら生きることこそ重要』と書いている。

 行動の価値の追求に、老いも若きもない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【高校野球】(トルストイの言葉)

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからす
ればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。

私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずる
からではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕
事」だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲーム
とは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。

●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想
的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはな
ぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。

それから三〇年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果と
いうわけではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを見い
だした。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、
人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福
になるピエール。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、
ただひたすら進むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。

つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などという
ものは、生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレ
ストの母は、こう言っている。『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、
(その味は)わからないのよ』と。

●懸命に生きることに価値がある

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャ
ーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みん
な必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、
そしてそれが宙を飛ぶ。

その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、そ
のあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみ
あって、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。

いや、あえて言うなら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。
言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘
志もない。毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人
生の意味はわからない。

さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われた
とき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざ
までしかない。あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、
適当に試合をしていたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つ
まらない。そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。

そういう人生からは、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教えてくれ
る。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●来る人、去る人

 おととい、義兄の母親が他界した。
が、私は、おとといの夜は、家にいなかった。
知ったのは昨日。
で、昨夜は、通夜。
今日は、本葬。

 が、私とワイフは、今は、電車の中。
その電車の中で、考える。
義兄の母親といっても、一度も会ったことはない。
この15年以上、老人ホームで寝たきりの生活をしていたという。
義兄自身もいろいろあって、会うのは年に1、2度とか、言っていた。
が、このさみしさは、いったい、どこから来るのか?

●『去るものは追わず』

 『去るものは追わず』という、冷徹なまでにクールな格言がある。
まさにニヒリズムを凝縮したかのような格言である。
(英語で「クール」というと、「かっこいい」という意味である。
ここでは「冷たい」という意味で、「クール」という言葉を使う。)

 この格言は、いろいろなふうに、拡大解釈できる。
ただ誤解していけないのは、「去る」といっても、「心の問題」をいう。
距離の問題ではない。

●A氏の息子

 親類でも旧友でも、兄弟でも、さらには親子でも、去る人は去っていく。
こんな話を聞いた。

 A氏(63歳、学友)が、2年前の正月、狭心症で倒れた。
A氏の妻はは、そのことをすぐ横浜に住む、息子(30歳)に連絡した。
息子は仕事中だったので、息子の妻に伝えた。
が、息子のほうからは、なしのつぶて。 
以後、10か月以上、連絡がなかった。

 息子の妻は、A氏の病気のことを、息子に伝えなかったらしい(?)。
理由はわからない。
それで10か月たったところで、A氏が息子の妻をなじると、息子はこう言ったという。
「K子(妻)の悪口を言うのは許さん!」と。

 それでA氏と息子との関係は切れた。
それまでにも、いろいろあったというが、その事件が、「結論づけた」(A氏談)。

●親子の縁

 心のつながりが切れる。
親子でも、切れるときには、切れる。
近くに住んでいれば、修復ということも可能。
しかし同時に『去るもの、日々に疎(うと)し』という格言もある。

 このばあいは、昔の格言だから、「距離」を言った。
昔は、今のように、電話やメールで連絡を取り合うということはできなかった。
手紙さえなかった。
つまりたがいの「距離」が離れれば、その人との関係も、「疎くなる」と。

 が、いくら連絡方法があっても、A氏のばあいでもそうだったが、絶縁するときには、
絶縁する。
A氏は以後、2年をかけて、息子の思い出を消したという。
一時は、転居も考えたという。
「今の家には、いろいろな思い出がしみついていましてね」と。
A氏の妻も、同じくらい、悲しんだ。

●去るときには去る

 年を取れば取るほど、こうした別れが多くなる。
親類縁者の死別、肉親の死別など。
息子や娘と死別することもある。
孫と死別することもある。
そのつど、人は、身を切られるほど、つらい思いをする。

 そこで『去るものは追わず』。
言うなれば、この年齢になって生きるということは、
無数の荷物を引きずって歩くようなもの。
荷物には一本、一本、ひもがついている。
そのひもが、体中にからんでいる。
一歩、前に進むたびに、ズルズルという音が、うしろから聞こえてくる。

 が、それではいけない。
去る人は、去っていく。
失っていく人を悲しんでいたら、前には進めなくなる。
どこかで割り切らなければならない。
冷酷なようだが、(たしかに冷酷だが……)、それは私自身のことでもある。
私も、(そしてあなたも)、去るときには、去る。
が、逆に言えば、そのとき、この世界は、それこそ宇宙もろとも去る。
つまり『去るもの』の「者(もの)とは、私自身、あなた自身を意味する。

 そういう自分を知ればこそ、去るものを悲しんでいては、前には進めない。

●葬儀

 最近、私は、……というか、この10年、儀礼的な葬儀には、ほとんど参列していない。
肉親の葬儀にしても、実兄の葬儀だけは、派手になった。
実姉に段取りを頼んでおいたら、そうなった。
が、それが最後。

 儀礼的な葬儀に、どれほどの意味があるというのか。
実際には、なにもない。
まったくない。
そのことは、自分自身に当てはめてみると、よくわかる。

 派手な葬儀など、望むべくもないが、それでも私が死んだら、参列に来てほしい人は、
1人か2人。
本当に私をしのんでくれるひとだけでよい。
(が、それとて、かなわぬ希望かもしれないが……。)

 もっとも最近の葬儀には、近親者が集まる機会という意味もある。
そのことは、オーストラリアの友人たちの生き方を見ていると、よくわかる。
オーストラリアの友人の家族(親類縁者たち)は、ことあるごとにパーティという形式で集まる。
先日は、孫の1歳の誕生日に、親類縁者たちが、20人ほど、集まった。
そういうのを見ていると、「ああ、日本では、冠婚葬祭が、それに当たる」ということがよくわかる。
日本人は冠婚葬祭、とくに葬儀を口実に、みなが集まる。

 そういう習慣もあるだろう。
しかしそれでも私は参列しない。
それには私自身の死生観がからんでいる。
「生」は厳粛なもの。
それ以上に、「死」は厳粛なもの。
儀礼的な葬儀で、「死」を茶化してはいけない。

 ……こう書くと、どこかカルト的な雰囲気になるが、私は「死」を認めていない。
だれの死であれ、「死」を認めていない。
となると、「生」はどうなのかということになる。
が、ここで巨大なパラドックス(論理的矛盾)にぶつかる。
「死を認めないということは、生を認めないことにもなる」と。

 そう、最近の私は、「生」そのものを、疑って考えるようになっている。
今年63歳だが、振り返ってみると、その63年が、ない。
どこにもない。
そこにあるのは、光と分子が織り成す、「無」の世界。
そこまで自分を徹底して考えることは、まだできないが、ときどき、ふと
そう考える。
今も、そうだ。

 だからこう考える。
「私は生きていない」、「だから私は死なない」と。

●死を認めない

 おかしな論理に聞こえるかもしれない。
が、最近(01年の11月)、私の友人が他界した。
私の原稿をいつもていねいに読んでくれた。
その奥さんに、よく会うが、いつも私はこう言う。
「ぼくは、先生(=その友人)の死を認めていませんよ」よ。

 そのつど、奥さんは、怪訝(けげん)な顔で私を見る。
が、私はそのつど、こう思う。
「10年(20年でも、30年でもよいが)、早く死んだとか、あるいはあとで死んだとか、
そんなことにどれほどの意味があるのか」と。
宇宙的な時間でみれば、私たちは瞬時に生まれ、そのまた瞬時に、死ぬ。
仮に100年間生きたとしても、瞬時。
そのことは、20年前、30年前に死んだ人を思い浮かべてみれば、わかる。
みな、あっという間に生まれ、そして死んだ。
それから20年、30年が、これまたあっという間に過ぎた。

 わかりやすく言えば、「先に死んだ」とか、「まだ生きている」という言葉そのものが
無意味。
私が「死を認めない」というのは、そういう意味。
あっという間の、つぎの瞬間、私も死ぬ。
死んで消える。

 ……だからというわけでもないが、あのアインシュタインは、こう言った。

「生きていること、すべてが、奇跡」と。

●息子は息子

 『去るものは追わず』。
過去を断ち切りながら、前に進む。
過去にこだわっていても、しかたない。
それに先に書いたA氏も、こう言った。

「息子は息子。
私は私。
修復にかかる時間を考えると、もうその余裕はありません」と。

 どうせ死ねば永遠の別れになる。
A氏のばあい、それが20年、早くやってきたということか。
私はそう解釈した。

●失うことを恐れない

 平たく言えば、失うことを恐れてはいけないということ。
どうせ私たちは「死」によって、すべてを失う。

 たった今も、この電車の中で、女子高生たちが、何やら話し合っている。
ペチャクチャ……と。
この世の主人公のような顔をしている。
しかしほんの20年前には、姿、形もなかった子どもたちである。
それが今は「主」。

 が、私だってそうだ。
「無」から生まれ、「無の世界」を生き、やがて「無」へともどっていく。
だから去るものは、追わず。
追っても意味はない。

 これは老後を楽しく生きるための鉄則のように思う。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本人と思考力】

●冷却装置の穴

+++++++++++++++++++

浜岡原子炉(静岡県御前崎市)の原子炉が
停止された。
とたん、トラブル発生!

原子炉の冷却水に、塩水が400トンも
逆流したという。
中日新聞はつぎのように伝える。

『……中電によると、トラブルが確認されたのは14日午後4時半ごろ。
復水器内には、 海水が流れている配管が通り、蒸気を冷やす仕組みだが、
この配管が破損し、海水400トンが復水器内に流れた可能性が高い。
流入経路が逆で、復水器から海水の管に水が流れ込めば、放射線物質に
汚染された水が、外部に流れ出すことになる。

(中略)

山口彰・大阪大教授(原子炉工学)は「復水器内は、構造的に腐食や亀裂は
起こり得る」と 指摘する。
師岡慎一・早稲田大特任教授(原子炉熱流動)は「海水の流入で圧力容器の
腐食が心配される。
これまで400トンもの流入は事例が無く、あってはいけないトラブル」と
問題視する。

NPO法人原子力資料情報室の伴英幸共同代表は「電力会社の公表は常に遅いが、
今回は特別な状況下。すぐに出すべきだった」と批判。
「緊急停止ならともかく、通常の 停止作業で400トンもの海水がいきなり
流れ出る穴が開くか。もっと前から漏れ出て いたのではないか」と推測する』と。

++++++++++++++++++

●冷却装置

 原子炉で蒸気を発生する。
その蒸気で、タービンを回して発電する。
その蒸気を再び、「復水器」で冷やして、水に戻す。
その水を原子炉に戻す。
その原子炉で、蒸気を発生する。

 チャート化すると、つぎのようになる。

(原子炉で蒸気を発生)→(タービンを回す)→(復水器で蒸気を冷やして
蒸気を水に戻す)→(水を原子炉に戻す)→……。

  基本的には、原子力発電所というのは、そういう構造になっている。
その「冷やすとき」に、海水を使って冷却装置を使う。
今回の事故は、その復水器の中の冷却装置の中で起きた。

構造は簡単なものらしい。
何かの液体の冷却が必要な工場なら、たいていどこでも使っている。
近くのメッキ工場でも使っている。

 電話をかけて構造を聞くと、こう話してくれた。

 「薄い金属製の板で間を仕切り、交互に、冷却水と熱水を通過させる」と。

 私が「塩水が冷却水に入ったということは、どういうふうに考えたらいいのですか」と
聞くと、「仕切り板に穴があいていたのですよ」と。

 これに対して、中部電力側は、『復水器内は真空状態で、配管内の圧力
が高いため、復水器内との圧力差で配管側に流入する可能性はない』(中日新聞)
と答えている。

●疑問?

 疑問がいくつかある。

(1)穴はいつあいたのか?
(2)復水器は真空状態という。真空状態というのは、いつのことか?
(3)穴から、放射性物質を含んだ汚染水が、漏れた形跡はないのか?

 原発が稼働中に、復水器が「真空状態になる」ことは、ありえない。
高圧力をもった蒸気でタービンを回す。
その蒸気が復水器に送られる。

 が、原発は停止状態になった。
復水器にたまった蒸気は水になり、圧力はさがる。
真空ではないが、「真空状態」になる。
それは私のような素人にもわかる。

が、もしそうなら、原子炉圧力容器内の冷却水も同時に逆流するはず。
が、「真空状態だった」(中電)という。
真空状態になったとするなら、どこかで原子炉から送られてくる水蒸気を、
遮断しなければならない。
が、遮断したら、今度は原子炉圧力容器そのものが、超高圧となってしまう。
ばあいによっては、爆発してしまう。
ご存知のように、停止したからといって、原子炉の温度が急激にさがるという
わけではない。
それこそ20~30年という長い時間が必要。

 中電側は、『復水器内は真空状態で、配管内の圧力が高いため、復水器内との
圧力差で配管側に流入する可能性はない』(中日新聞)と答えている。

 ……となると、「穴」は、停止と同時にあいたことになる。
(実際には、「遮断」と同時にあいたことになる。)
可能性としては、ないわけではない。

が、これに対して、NPO法人原子力資料情報室の伴英幸共同代表は、
「緊急停止ならともかく、通常の 停止作業で400トンもの海水がいきなり
流れ出る穴が開くか。もっと前から漏れ出て いたのではないか」と推測している。

 つまり通常の停止状態で、いきなり400トンも海水が逆流するような
穴は、あかない(?)、と。

●思考力

 原発事故は、まさに思考力との闘い。
私たちの思考力そのものが、今、試されている。
新聞の記事を、何度も読みなおす。
そのつど、考える。

 が、「事実」はどうなのか、今の段階では、よくわからない。
穴は、いつあいたのか。
停止前からあいていたのか。
それとも停止後にあいたのか。
「放射性物質は観測されていない」(中電)ということであれば、かなり
希望的な推測だが、「穴は停止後にあいたことになる」。

 が、本当にそう考えてよいのか。
現状をみるかぎり、電力会社の言うことは、どうもアテにならない。
ウソは言わないが、本当のことも言わない。
ひょっとしたら穴は、ずいぶん前からあいていたのではないか。
それが停止と同時に、爆発的に拡大した。
もしそうだとするなら、放射性物質は、海水とともに、海に漏れ出ていた
ことになる。
が、中電側は、それを否定する。

 謎は深まる。

●黒潮

 御前崎市・浜岡原子炉のある遠州灘では、南からの黒潮が南から北に流れている。
もし汚水がたれ流されていたとすると、その汚水は黒潮にのり、駿河湾全体に
流れ込み、そのあと伊豆半島を回り、東京湾へ。
静岡市は、その駿河湾に面している。

 が、ここまで書いて、もうひとつの疑問が解けた(?)。

 毎日中日新聞には、その前日の放射能測定値(文科省調査)が載っている。
それによれば、日によって、静岡県(静岡市)の測定値が、東京都のそれよりも
高いときがある。
毎日……というわけではないが、「どうして?」と思うことが多い。
その理由のひとつが、ひょっとしたら、浜岡原子炉にあるのではないか。
これはあくまでも私の憶測だが、浜岡原子炉からの汚水が、静岡県の測定値を
高くしている(?)。
その可能性は、ないとは言えない。

静岡県も、文科省や中電の発表だけを信用するのではなく、独自に調査を
したらよい。
ついでに、おかしなことに、本当におかしなことに、テレビ局も新聞社も、
この問題については、あまり触れたがらないようにも見える。
本来なら事実の追及を先頭に立ってすべきマスコミが、どうしてこうまで
消極的なのか?

 御前崎市にしても、そうだ。
交付金の減額のことばかり、心配している。
私にはそう見える。

 放射線測定器にしても、10万円前後で手に入る。
その気になれば、簡単に調べられる。
どうして独自に調べて、公表しないのか?

 ちなみに焼津市焼津での放射線測定値は、0・051(5月13日、地上100センチ
で測定by放射線・原子力教育関係者有志による全国環境放射線モニタリング)。
文科省の公表した数値は、0・04(静岡市、5月13日、環境放射能水準調査)。

 ……ということで、今ほど、私たち日本人の思考力が試されている時期はない。
大本営発表だけを鵜呑みにし、それを信じてよいのか。
もしそうなら、私たち日本人は、戦時中の日本人と何も違わないことになる。

 中部電力側は、「詳しく調べて、事故の調査結果を詳しく報告する」と述べている。
それをみて、このつづきを書いてみたい。

2011/05/19


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●福島第一原発3号機

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 東京電力福島第1原子力発電所では3号機が最も不安定な状況が続いている。
18日に、3月14日の爆発後初めて作業員が原子炉建屋内に入ったが、
放射線量が高く、再爆発を防ぐための窒素注入がすぐに実施できないことがわかった。
注水量を増やし圧力容器の温度は下降傾向にあるが、1、2号機に比べるとまだ高い。
政府と東電の統合対策室が19日に開いた記者会見で、細野豪志首相補佐官は
「3号機が一番心配な炉である」と改めて強調した(以上、日本経済新聞・5・19)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●なぜ「3号機が一番心配な炉である」のか?

 細野豪志首相補佐官は、「3号機が一番心配な炉である」と改めて強調した。
なぜか?
理由は、言わずと知れた、「3号機はMOX燃料を使っているから」である。

(私もこの1週間、猛烈に勉強したぞ!)

●MOX燃料

 福島第一原発3号機では、MOX(プルサーマル)燃料を使っていた。
MOXというのは、「混合酸化物燃料」をいう。
混合というのは、ウランとプルトニウムの混合をいう。
そのプリトニウムが、恐ろしい!
毒性となると、ウランの比ではない。

 どう毒性があるかということについては、どうか自分で確かめてほしい。
ネットで「MOX」で検索をかければ、今日現在(5月19日)、1000万件も
ヒットする。
簡単に言えば、たった1~2個のホットパーティクルが体内へ入っただけで、
たとえば肺に届けば、確実に肺ガンを引き起こす。
大きさは1ミクロン。
微粉末。
「大腸菌とほぼ同じ大きさ」(「これから起こる原発事故」(宝島社P24))だそうだ。

 その危険性、つまり放射性物質の量は、1号機、2号機、4号機の比では
ない。
だから、アメリカのTIMEは、福島第一原発事故が起きた直後、3号機を
問題にした。
ほかの原子炉ではない。
3号機!
2011年、3月17日のことである。

題して、「MOX、今日の言葉”フクシマ”、なぜそれが悪いニュースなのか」と。 
 
+++++++++++以下「TIME」++++++++++++++

MOX: The Fukushima Word of the Day and Why it's Bad News

Posted by Jeffrey Kluger Thursday, March 17, 2011 at 3:01 pm

With four busted reactors at the Fukushima Daiichi site, engineers and rescue workers
have plenty to do just to keep all their plates spinning. But over the past few days, there
always seems to be one reactor causing them more headaches than others. Yesterday it
was reactor 4, with its coolant pool empty of water and the spent fuel rods stored there
emitting massive waves of gamma radiation.
(昨日までは、4号機が問題だった。)

Today it's rector 3. The day began―at least in the West―with images of helicopters
flying over the reactor building, dumping seven-ton loads of water in an attempt both to
cool the containment vessel and prevent that storage pool from drying up as well. But
what makes reactor 3 so special? In one acronymic word: MOX.
(今日は、3号機。ヘリコプターが水を投下したが、どうして3号機が特別なのか?)

All of the fuel rods in all of the other reactors are made essentially of uranium with a
zirconium cladding to seal in radioactive emissions. Reactor 4 uses something different.
Its fuel rod are only 94% uranium, with 6% plutonium stirred in and then the same
zirconium shell. This mixed oxide (hence the MOX moniker) formulation has one
advantage―and a number of disadvantages.
(3号機では、94%のウラニウムと、6%のプルトニウムの混合燃料を使っている。)

The advantage―no surprise―is money. Plutonium is a natural byproduct of radioactive
decay and spent fuel rods are thus full of the stuff. You can always put them into long
term storage for a few dozen millennia―which is where most spent rods have to go?but
you can also reprocess some of the waste and combine it with pricier uranium for a
cheaper and still energy-intensive rod. With nuclear power still more expensive than
fossil fuels like coal, manufacturers need to save where they can to remain competitive,
and MOX is a good budget cutter.
(理由は、ズバリ、マネー。そのほうが安いからである。)

But MOX is also temperamental. Physicist Arjun Makhijani, president of the Institute
for Energy and Environmental Research in Takma Park, MD., spoke to TIME earlier in
the week and heaped scorn on the Mark 1 reactors used at the Daiichi site. His criticism
in that conversation was the comparatively flimsy (by nuclear reactor standards at
least) containment vessels used in the Mark 1s. But he's no fan of the use of MOX
either.

"This sort of fuel is more difficult to control than uranium fuel," he told the Augusta
Chronicle. "The risk of accidental criticality are different. You have the same kinds of
problems, they are just more intense with plutonium."
(MOXは、制御するのが難しい。)

What Makhijani means by "accidental criticality," of course, is that the stuff just
combusts more easily. That's particularly dangerous in a Mark 1, according to some
studies. A report by the Sandia National Laboratories in Albuquerque, for example,
found that in the event of a core meltdown, a Mark 1's containment vessel has a 42%
chance of failing―a whole lot closer to a coin flip than you want with something like a
nuclear reactor.
And when plutonium is dispersed into the wind you want to be pretty much anywhere
else. As I reported last week, there are four kidns of carcinogenic isotopes released when
a nuke plant blows: iodine-131, cesium-137, strontium-90 and plutonium-239.
Plutonium is not only the most lethal of the four ("extrordinarily toxic" is how Dr. Ira
Helfand, a board member for Physicians for Social Responsibility, describes it), it also
hangs around the longest. It's half life is a whopping 24,000 years, and since radioactive
contamination is dangerous for 10 to 20 times the length of the isotope's half.life, that
means plutonium emitted in Fukushima today will still be around in close to half a
million years.
(プルトニウムは、毒性がきわめて強いのみならず、半減期は2万4000年。
50万年は、フクシマに残ることになるだろう。)

That, more than anything, explains why the day began with flyovers by water
helicopters. And that explains why we're likely to see a lot more of the same―at least
until another Daiichi reactor starts to look even deadlier.

+++++++++++以上「TIME」++++++++++++++

●毒性

 プルトニウムの毒性について、つぎのように書いている文献が見つかった。
(「楽天、みんなで解決! Q&A」より、転載。)

+++++++++++++以下、転載++++++++++++++

(NaturalNews) Largely absent from most mainstream media reports on the
Fukushima Daiichi nuclear disaster is the fact that a highly-dangerous "mixed-oxide"
(MOX) fuel in present in six percent of the fuel rods at the plant's Unit 3 reactor. Why is
MOX a big deal? According to the Nuclear Information Resource Center (NIRS), this
plutonium-uranium fuel mixture is far more dangerous than typical enriched uranium
-- a single milligram (mg) of MOX is as deadly as 2,000,000 mg of normal enriched
uranium.
On March 14, Unit 3 of the Fukushima reactor exploded, sending a huge smoke plume
into the air. http://www.youtube.com/watch?v=T_N-... [ソースチェック]

既に外国のメディアでは3号炉が「プルトニュウム」を含んだMOX燃料が使われ、爆発し
大気と海洋に放出したと報じている。その破壊力は他の炉の精製ウラニウムの2000000倍
であると恐れている。しかし日本では3W経っても東電・官房長官は福島第1でのプルト
ニュームとMOX燃料の存在を公表せず、その流出検査値も発表されていない。

+++++++++++++以上、転載++++++++++++++

●逃げるしかない!

 もし3号機がどんな形であれ、爆発するようなことがあれば、(格納容器からの
漏えいでも同じだが……)、もう逃げるしかない。
よくチェルノブイリと比較されるが、放射性物質の量は、チェルノブイリの比ではない。
つまりその分だけ、被災地域が拡大する。

 私はもうこれ以上、ここに書くつもりはない。
こういうことは自分で調べて、自分で判断する。
あとは自分で行動する。


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