Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, October 18, 2011

●抑圧と子どもの心のゆがみ

●ゆがむ子どもの心


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F県に住んでいる、YSさん(母親)から、
こんな相談が届いた。
転載許可がもらえたので、そのまま紹介する。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


おはようございます。
前回は夫との事についての返信ありがとうございました。
今のところ、ごくごく普通に(?)過ごしています。
(腹の立つこともありますが…。)


今回は、小1から不登校中の次女(小5)のことで、少し気になることがあったので
相談させてください。


つい最近、次女がとても怖いことを言い出しました。


「ナイフとか銃とかで、人を殺してみたい。あと、魔法が使えたら一回死んでみたい。


 一回死んで、魔法で生き返る。飛び降りるのとか楽しそう。」


とか、さらっと普通の口調で言ったんです。


「魔法が使えなかったら、生き返らないね。」って言ったら、
「魔法が使えなかったらそんなことしない。」とは言っていましたが、とても不安で
怖くなりました。


「この世がつまらない?」って聞いたら、「べつに。」だそうです。


毎日家で普通に元気に過ごしているようにみえますし、会話も普通に
しています。
他に気になるような症状などはないと思っているのですが…。
これが本音ならどうしたらいいのか怖くなってしまいました。


5年生になってからの担任が熱心(?)で、今までよりも少し学校に関する
刺激は増えているかなとは思いますが、そのせいもありますか?
学校のことを聞いてみても、特別嫌そうな顔はしませんし、イヤだと言ったことは
すぐに引いてしつこくはしていません。


最近アニメが大好きで、アニメばかり見ているのですが、(ガンツという殺し合いの
映画も見ました)、戦いモノがあったりもするので、その影響?とも思ってはいますが…。


半年ほど前にも「火をつけてみたい。」と言ったことがあったので、
次女の心の中はどうなっているのかとても不安です。


どうぞよろしくお願いいたします。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「抑圧は悪魔を作る」

 イギリスの教育格言に、『抑圧は悪魔を作る』というのがある。
心理的な抑圧感が長くつづくと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったもの。

その一例として、H・フォスデックも、つぎのように言っている。

『Hating people is like burning down your house to kill a rat(人を恨む(憎む)というのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ)』と。

 ゆがんだ感情(劣勢感情、陰性感情、劣等感情)は、脳内ホルモンの分泌そのものにも大きな影響を与える。
サイトカインを例にあげるまでもない。
サイトカインは、脳内ストレスを引き起こす。
それだけではない。
低体温を引き起こし、免疫機能を低下させる。

 もちろん精神活動にも大きな影響を与える。
YSさんの子どものばあい、表面的にはともかくも、かなりこころがゆがみ始めているとみる。
が、このタイプの子どもは少なくない。

●I君(小6)のケース

 I君は、父親が中学校の教師だった。
それもあって、教育熱心な家庭環境で生まれ育った。
ふだんは静かで、それなりに勉強もよくできた。
私の指示にも、素直に(?)従った。

 が、ある日、そのI君のノートを見て、びっくりした。
そこには血を出してもがき苦しむ人間の顔が、実にリアルに描かれていた。
ほかに「死」「殺」などの文字も並んでいた。
現実にそこに見る(I君)と、ノートに見る(I君)は、あまりにもかけ離れていた。
私はそれに驚いた。

●M子さん(中1)のケース

 M子さんは早熟で、体格もすでにおとなになっていた。
そのM子さんが、教室にプリクラ・ブックを置き忘れていった。
で、私はそれを「忘れ物コーナー」に置いた。

 が、翌日、そのブックが、騒動の種になった。
別の子どもがそのノートを開いた。
見て、ワーワーと騒ぎ出した。
ほかの子どもたちも騒ぎ出した。

 見ると、メモページには、全裸の女性が椅子に縛られ、性的拷問を受けている絵が、何枚も描かれていた。
残虐な絵もあった。
そのM子さんの絵も、絵というよりは、写真を思わせるほど、リアルな絵だった。

 ただM子さんは、頭もよく、行動的で活発。
絵から想像するような陰湿さは、みじんもなかった。

 M子さんは、脳内で起きている性的エネルギーを、自ら抑圧し、それが原因で、心をゆがめていた。

●抑圧

 心理学でいう「抑圧」を、安易に考えてはいけない。
私は「心の別室」と呼んでいる。
それについて書いた原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「抑圧」の恐ろしさ(Another Room in the Mind)
(電子マガジン・2009年7月15日より)

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よく兵士、あるいは元兵士の残忍行為が問題になる。
最近でも、アメリカの収容所で、アメリカ兵が
イラク軍捕虜に対して暴力、暴行を繰り返したという事件が
問題になった。

こう書くからといって、アメリカ兵を擁護するわけではない。
が、こうした問題は、常に戦争について回る。
戦時中には、日本軍もした。
ドイツ軍もした。
その多くはPTSDに苦しみ、さらには心そのものを
病んでしまう兵士も珍しくない。
昨年見た映画の、『アナザー・カントリー』も、そうした兵士を
題材にした映画だった。

が、こうした問題も、心理学でいう「抑圧」を当てはめてみると、
理解できる。

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●抑圧

 自分にとって都合が悪い記憶があると、人はそれは心の別室を用意し、そこへそれを
押し込めてしまう。
そうすることで、自分の心が不安定になったり、動揺したりするのを防ぐ。
こうした現象を、心理学の世界では、「抑圧」という。
「隠ぺい記憶」と言う人もいる。

 もともとは乳幼児期の不快な思い出や記憶について起こる現象を説明したものだが、
もちろんおとなになってからも、ある。
何かのことで失敗したり、いやなことがあったりすると、それをできるだけ早く
忘れようと、心の別室を用意し、その中に押し込んでしまう。

●上書きされない

 ふつう記憶というのは、どんどんと上書きされていく。
たとえば不愉快なことがあっても、そのあと楽しいことがつづくと、過去の記憶を
忘れてしまう。

 が、心の別室に入った記憶には、その(上書き)という操作が働かない。
別室に入ったまま閉じ込められているから、修正されるということもない。
だから何かの拍子に表に出てくる。
たとえば高校生になった子どもが、5年前、あるいは10年前にあったことを持ち出し、
「あのとき、テメエは!」と言って、親に対してどなり散らすことがある。

 また最近聞いた話では、ともに70歳前後の夫婦なのだが、喧嘩するたびに、30年前、
40年前の話を持ち出して、たがいに責めあうという。
それを横で聞いていた娘(50歳くらい)は、こう言った。
「どうしてそんな昔の話をして、喧嘩するのでしょう。
頭がボケてきたのでしょうか」と。

 もちろん頭はボケていない。
(あるいはボケとは関係ない。)
抑圧された記憶というのは、そういうもの。

●子どもの世界でも

 「いい子ほど心配」とは、教育の世界では、よく言う。
先生や親の言うことに従順で、すなお。
ハイハイと指示や命令に従う……。
しかしこのタイプの子どもほど、あとあと心をゆがめやすい。
(あるいはその過程で、すでに心をゆがめている。)
思春期前夜、あるいは思春期になると、突然変化することも珍しくない。
はげしい家庭内暴力や、引きこもりにつながることもある。
何かのことで突発的に爆発して、こう叫んだりする。
「こんなオレにしたのは、テメエだろう!」と。

 心の別室には、キャパシティ(容量)というものがある。
そのキャパシティを超えると、隠ぺいされた記憶が、そこから突然、飛び出す。
本人ですらも、コントロールできなくなる。

 そんなわけで、子どもを指導するとき大切なことは、子どもに、
心の別室を作らせないこと。
まず言いたいことを言わせる。
したいことをさせる。
常に心を開放させる。
それが子どもの心をゆがめないコツということになる。

●兵士のばあい

 話を戻す。
もちろん私には戦争の経験はない。
ないが、おおよその見当はつく。
つまり兵士たちは、戦場では、慢性的に恐怖感にさらされる。
そのとき兵士は、その恐怖感を、心に別室を作り、そこへ押し込めようとする。
その上で、勇敢な兵士を演じたりする。

 が、これが心をゆがめる。
何かのきっかけ、たとえば相手が捕虜であっても、敵の顔を見たとたん、隠ぺい
された記憶が暴走し始める。
それは「記憶の暴走」と言うような、簡単なものではないかもしれない。
暴走させることによって、心の別室にたまった、恐怖感を解消しようとするの
かもしれない。
それが捕虜への、暴力や暴行へとつながっていく。

●教授の殺害事件

 今年(09)に入ってから、ある大学で、ある大学の教授が、元学生に殺害
されるという事件が起きた。
動機はまだはっきりしていないが、その学生は教授に対して、かなりの恨みを
もっていたらしい。

 この事件も、「抑圧」という言葉を当てはめてみると、説明できる。
というのも、その元学生のばあいも、元学生とはいっても、大学を卒業してから、
すでに10年近くもたっている。
ふつうなら、いろいろな思い出が上書きされ、過去の思い出は消えていてもおかしく
ない。
が、先にも書いたように、一度心の別室に入った記憶は、上書きされるということは
ない。
いつまでも、そのまま心の中に残る。
そこで時間を止める。

●心の別室

 ところで「心の別室」という言葉は、私が考えた。
心理学の正式な用語ではない。
しかし「抑圧」を考えるときは、「心の別室」という概念を頭に描かないと、どうも
それをうまく説明できない。
さらに「心の別室」という概念を頭に描くことによって、たとえば多重人格性などの
現象もそれで説明ができるようになる。

 人は何らかの強烈なショックを受けると、そのショックを自分の力では処理することが
できず、心の別室を用意して、そこへ自分を押し込めようとする。
「いやなことは早く忘れよう」とする。
しかし実際には、「忘れる」のではない。
(その記憶が衝撃的なものであればあるほど、忘れることはできない。)
だから心の中に、別室を作る。
そこへその記憶を閉じ込める。

●では、どうするか

 すでに心の別室を作ってしまった人は、多いと思う。
程度の差の問題で、ほとんどの人に、心の別室はある。
暗くてジメジメした大倉庫のような別室をもっている人もいる。
あるいは物置小屋のような、小さな別室程度の人もいる。

 別室が悪いと決めつけてはいけない。
私たちは心の別室を用意することによって、先にも書いたように、
自分の心が不安定になったり、動揺したりするのを防ぐ。

 が、その別室の中の自分が、外へ飛び出し、勝手に暴れるのは、よくない。
その瞬間、私は「私」でなくなってしまう。
ふつう心の別室に住んでいる「私」は陰湿で、邪悪な「私」である。
ユングが説いた「シャドウ」も、同じように考えてよい。
あるいはトラウマ(心的外傷)も、同じように考えてよい。
そこで大切なことは、まず自分自身の中にある、心の別室に気がつくこと。
そしてその中に、どんな「私」がいるかに気がつくこと。

 シャドウにしても、トラウマにしても、一生、その人の心の中に残る。
消そうとして消えるものではない。
だったら、あとは、それとうまく付きあう。
うまく付きあうしかない。
まずいのは、そういう自分に気がつかないまま、つまり心の別室にきがつかない
まま、さらにはその中にどんな「私」がいるかに気がつかないまま、その「私」に
振り回されること。
同じ失敗を、何度も繰り返すこと。

 たとえば夫婦喧嘩にしてもそうだ。
(私たち夫婦も、そうだが……。)
もうとっくの昔に忘れてしまってよいはずの昔の(こだわり)を持ち出して、
周期的に、同じような喧嘩を繰り返す。
「あのときお前は!」「あなただってエ!」と。

 もしそうなら、それこそ「愚か」というもの。
が、もし心の別室に気がつき、その中にどんな「私」がいるかを知れば、あとは
時間が解決してくれる。
5年とか、10年はかかるかもしれないが、(あるいは程度の問題もあるが)、
時間が解決してくれる。

 あとは心の別室を静かに閉じておく。
その問題には触れないようにする。
心の別室のドアは、開かないようにする。
対処の仕方は、シャドウ、もしくはトラウマに対するものと同じように考えてよい。

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(付記)

 心の別室といっても、けっしてひとつではない。
そのつど人は、様々な大きさの別室を、作る。
作って、自分の心を救済しようとする。

 ……と考えていくと、心の別室というのは、脳の問題というよりは、習慣の問題
ということになる。
心の別室を作りやすい人と、そうでない人がいるということ。
何かあるたびに、心の別室を作り、そこへ自分を閉じ込めようとする人もいれば、
そのつど自分を発散させ、心の別室を作らない人もいる。
だから「習慣の問題」ということになる。

 もちろんできれば、心の別室など、作らないほうがよい。
そのつど自分を発散させたほうがよい。

(追記)

 同じような原稿を、この3月にも書いた。
あわせて読んでほしい。

『●「抑圧」(pressure)

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昨日、「抑圧」について書いた。
強烈な欲求不満がつづくと、人(子ども)は、
その欲求不満を、心の中の別室に押し込んで、
それから逃れようとする。
が、それでその欲求不満が解消されるわけではない。
10年とか、20年とか、さらには40年とか、
50年たっても、それが何らかのきっかけで、
爆発することがある。

「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。

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が、こうした「抑圧」は、形こそちがえ、また
大小のちがいもあるが、だれにでもある。
あなたにもある。
私にもある。

だから、何かのことで不満を感じたら、そのつど、
外に向かって吐き出すのがよい。
けっして、心の中にためこまない。
徒然草の中にも、『もの言わぬは、腹ふくるるわざなれ』※
とある。
「言いたいことも言わないでいると、腹の中がふくれてくる」
という意味である。

が、その程度ですめばよい。
ひどいばあいには、心に別室ができてしまう。
本来なら楽しい思い出が上書きされ、不愉快な思い出は消える。
しかし別室に入っているため、上書きされるということがない。
そのまま、それこそ一生、そこに残る。
そして折につけ、爆発する。

「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。

そして10年前、20年前の話を持ち出して、相手を責める。

こうした抑圧された感情を解消するためには、2つの
方法がある。

ひとつは、一度、大爆発をして、すべて吐き出す。
もうひとつは、原因となった、相手が消える。
私のばあいも、親に対していろいろな抑圧があるにはあった。
しかし父は、私が30代のはじめに。
母は、昨年、他界した。
とたん、父や母へのこだわりが消えた。
同時に、私は抑圧から解放された。

親が死んだことを喜んでいるのではない。
しかしほっとしたのは、事実。
それまでに、いろいろあった。
ありすぎてここには書ききれないが、それから解放された。
母は母で、私たちに心配をかけまいとしていたのかもしれない。
しかしどんな生き方をしたところで、私たちは、それですまなかった。
「では、お母さんは、お母さんで、勝手に生きてください。
死んでください」とは、とても言えなかった。

人によっては、「朝、見に行ったら死んでいたという状態でも
しかたないのでは」と言った。
が、それは他人のことだから、そう言える。
自分の親のこととなると、そうは言えない。
いくらいろいろあったにせよ、家族は家族。
いっしょに生きてきたという(部分)まで、消すことはできない。

話が脱線したが、抑圧は、その人の心までゆがめる。
そういう例は、ゴマンとある。
大切なことは、心の別室を作るほどまで、抑圧をためこまないこと。
言いたいことも言えない、したいこともできないというのであれば、
すでにそのとき、その人との人間関係は終わっていると考えてよい』。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●思春期の子どもの心理

 抑圧は、(1)内的抑圧と、(2)外的抑圧に分けて考える。

 内的抑圧というのは、欲望、願望、希望などが原因で起こる、もろもろの欲求不満、不平、不完全燃焼感などを抑圧することをいう。
外的抑圧というのは、たとえばきびしい家庭環境、威圧的、権威主義的な親の育児姿勢が原因で起こる、もろもろの欲求不満、不平、不完全燃焼感をいう。

 思春期前夜から思春期にかけては、この双方が、子どもの内部で起こりやすい。
それが結果として、子どもの心をゆがめる。

●すなおな子ども

 「すなお」というより、「さわやかな」と言い換えたほうがよいかもしれない。
このことは幼児を観ると、よくわかる。

 たとえば「野原と森、それに赤い屋根の白い家」を描かせてみる。
そのとき心がさわやかな子どもは、見ても、ほっとするようなやさしい絵を描く。
そうでない子どもは、どこか不気味。
もう30年前のことだが、こんなことがあった。

 お父さんとお母さんの絵を描かせていたときのこと。
M君(年中児)が、お父さんの顔を描き始めるとすぐ、その顔を真っ黒に塗りつぶしてしまった。
で、別の紙をあげ、もう一度描かせてみたが、結果は同じだった。

 しばらくしてから母親に理由をたずねると、母親はこう言った。
「実はあの前の夜、夫が蒸発しまして」と。
当時は突然の家出を、「蒸発」といった。

 その前後にも、似たような子どもがいた。
年長児の男児だったと思う。
その子どもは、父親の顔を描くのだが、体、とくに腕から手の部分を、鉛筆で真っ黒に塗りつぶしてしまった。
母親に理由を聞くと、母親はこう言った。

 「主人(=父親)は、子どものころ大きな事故を経験し、右手が使えません。しかし息子がそんなことを気にしているとは、夢にも思っていませんでした」と。

●YSさんのケース

 それが内的抑圧によるものなのか、それとも外的抑圧によるものなのかは、わからない。
というのも、年齢的に、思春期に入っている。
脳内で起きている変化によるものであれば、内的抑圧になる。
しかし環境的に考えると、外的抑圧になる。

 どちらであるにせよ、先に書いた、欲求不満、不平、不完全燃焼感が、怒濤のごとく渦を巻いていると考えられる。
そのはけ口があればよいが、そのはけ口もない。
YSさんの娘は、きわめて閉塞的な環境の中で、袋小路に入ってしまっている。

 心理カウンセラー的な言い方をすれば、スポーツでも何でも、自分を発散させる場所を与えろということになる。
が、実は、これと並行して、「自我の葛藤」の問題もある。

●自我の同一性

 自我の同一性についても、たびたび書いてきた。
原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Q: 最近わが子の親に対する話し方が気になります。
たとえば、私が何か「こうしなさい」と注意すると、「そんな法律がどこにあるの?」などと言ってくるので、ついつい怒ってしまうこともしばしば……。

 これは反抗期なのでしょうか?


A:思春期最大のテーマは、「同一性の確立」(エリクソン)です。
(私はこうでありたい)という理想の自己像と、(現実の私)、つまり現実自己を、一致させようとします。
一致した状態を「自我の同一性」と言います。その第一歩が、おとなの優位性の打破です。それが「思春期の反抗」と考えてください。

 (悪態)もそのひとつ。「そんな法律がどこにあるの?」と。
それを許せということではありません。
それができないほどまでに、子どもを抑えてはいけないということです。カリカリするのはしかたないとしても、「ああ、うちの子は、今、児童期から青年期へと、脱皮を始めているのだ」と、一歩退いて子どもを見ます。

 この時期、親意識(とくに「親に向かって何よ!」式の悪玉親意識)が強すぎると、子どもは親の前では仮面をかぶるようになります。
自我の確立に失敗し、非行に走ったり、親子の間にキレツが入り、親子が断絶するケースも目立ちます。
最悪のばあいには、自我の崩壊……。
ナヨナヨとした軟弱な人間になることもあります。

 親には3つの役目があります。 ガイドとして子どもの前に立つ。 保護者として子どものうしろに立つ。 そして3番目が重要ですが、友として子どもの横に立つ、です。

 悪玉親意識を捨て、子どもの友になるつもりで、子どもの横に立ってみてください。とたん、肩の荷が軽くなりますよ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●言葉として発散させる

 YSさんの娘が慢性的な抑圧状態にあることは、まちがいない。
が、こうした抑圧は、多かれ少なかれ、どの子どもにもある。
それがない子どもは、いない。
YSさんは、自分の子どもを「異常」と思う必要はない。
平たく言うと、「この時期の子どもによく見られる現象」ということになる。

 あまりおおげさに考えないこと。
「バカなこと言ってないで、さっさと自分のことをしなさい」程度に、軽く受け流していく。
ただし何らかの行動をともなうようであれば、要注意。

 たとえば「殺したい」と言いつつ、ナイフを買い求める。
「死にたい」と言いつつ、その種の本を買ってくる。
あるいはペットなどに、残虐な行為を繰り返す。
リストカットをする。

 そういうことがあれば、「観察」の段階を超えているとみる。
学校を通して、専門医もしくは心理療法士を紹介してもらう。
「治療」を考えた指導に切り替える。

 で、同時に、「子どもは家族の代表」と考え、原因は家庭にあると考え、YSさん自身が猛省する。
「家庭は休む場所」「憩う場所」「心を休める場所」と心得、それに適した環境を娘に用意する。
そのときコツは、娘の中で、心の別室がどのように形成されているか、静かに観察、判断すること。
子どもの立場になり、子どもの心の中から、子どもを見る。
頭ごなしに叱ったり、注意しても意味はない。
ないばかりか、かえって症状を悪化させるので、注意する。

 以上ですが、ここの書いたことを参考に、子どもを観察してみてほしい。
何が子どもを抑圧状態にしているかがわかれば、解決策も自ずと見えてくる。

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