●マガジン3-5日号、先取り
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 2012年3月5日
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どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page004.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【小学1年生に、面積を教えてみる】(BW実験教室byはやし浩司)
●BW教室のみなさんへ
家庭での復習用ビデオとして、ご利用ください。
わからないところがあったら、動画を停止し、何かの紙に描いて、面積を求めてみてください。
よい勉強になると思います。
(実際、そういうふうに利用している人が、ふえています。)
(1)
(2)
(3)
(4)
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【ジジ・ババ・ゴミ論】はやし浩司 2012-01-20
(六趣輪廻の因縁で、闇路に迷う愚痴人間)(N市教育委員会・子育て講座用原稿)
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【ものを書くということは、どういうことか】(実験・原稿)
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ものを書くということは、どういうことか。
それを実験的に、説明してみたい。
たとえば、こうしてパソコンに向かう。
そのとき、あらかじめ書きたいと思うテーマがあることもあれば、
そうでないときもある。
たいていは、何か書きたいことがあって、書き始める。
が、そうでないときもある。
が、書き始めると、白紙だった頭に、いろいろなことが思い浮かんでくる。
書きながら、思い出す。
思い出しながら、考える。
たとえば私は、あなたにこう問いかけたとする。
「あのことを思い出してください」と。
するとあなたはこう言い返すだろう。
「あのことって、何?」と。
そこで私は、ハバ(幅)をせばめる。
「ほら、学生時代のあのことですよ」と。
が、それでもあなたは、わからない。
「何のこと?」と。
さらに私は、「修学旅行のことですよ」、
「泊まった旅館のことですよ」、
「そこで食べた料理のことですよ」と。
ここまでくると、あなたは、(あのこと)を思い出すかもしれない。
頭の中に、いろいろと浮かんでくる。
つまりものを書くということは、自ら、そのハバをせばめていく。
同時に、いろいろな思いを引き出す。
ものを書くということには、第一に、そういう意味がある。
そこで実験をしてみよう。
私はこれから、私自身の子ども時代について書いてみる。
「書いてみる」というだけで、実は、今はまだ、頭の中は空っぽ。
白紙状態。
そこで自分で、そのハバをせばめてみる。
「楽しかったことを書こう」と。
+++++++++++++++++++++++
●午後1時05分
たった今、時刻は、午後1時05分。
時刻を書くのには、別の理由がある。
こうして原稿を書き始めて、ちょうど5分。
3時には、街まで行かねばならない。
つまり2時間。
その2時間で、どこまで書けるか。
同時に、それを試してみたい。
●記憶
「楽しかったこと」と聞かれても、どれという思う出が浮かんでこない。
すぐには、思い浮かんでこない。
そこで脳の中を、あちこち探してみる。
ちょうど薄いカーテンを両側に広げるようにして、探してみる。
ぼんやりとしている。
が、やがて、第一に浮かぶのは、放課後。
帰宅の様子。
……私には学校から自宅に、まっすぐ帰ったという記憶がない。
当時の子どもたちはみな、そうであった。
「道草」「寄り道」ということになるが、学校の先生も、うるさく言わなかった。
「まっすぐ帰るように」というような指導はあったと思う。
が、それを守る子どもはいなかった。
●美濃市
私は岐阜県の美濃市という、小さな田舎町に生まれ育った。
「町」という名前はついていたが、人口は2万8000人ほどだったと記憶している。
「市」に昇格するには、3万人の人口が必要だった。
その3万人になる少し前、「やがて3万人になるだろう」という見込みだけで、「市」になってしまった。……と聞いていた。
が、人口の増加は、そこでストップ。
子どものころも、また高校生になったころも、人口は2万8000人だった。
町の中心部の北側に、「小倉山(おぐらやま)」と呼ばれる、山があった。
それほど高くはないが、町全体を見下ろすには、じゅうぶんなほど、高かった。
その小倉山の頂上に展望台ができたのは、私が小学3~4年生のころのことではなかったか。
鉄骨むき出しの展望台で、中にらせん階段があった。
●小倉山
その展望台に行くルートは、2つあった。
ひとつは、南側の散歩道から登っていくルート。
もうひとつは、中腹から裏山に回り、そこから裏道を登っていくルート。
どちらであるにせよ、私たちには、格好の遊び場だった。
書き忘れたが、私たちが通っていた小学校は、その小倉山の東隣にあった。
といっても、あの町では、東西南北の位置関係は、正確ではない。
四方を山に囲まれていた。
日の出も、また夕日も、それが見える前に、朝になり、また夜になった。
だから今、こうして「北」とか「東」とか書いても、あまり意味がない。
私は子どものころ、どちらが北で、どちらが南なのかさえ、よく知らなかった。
実家は、古い家々に囲まれた、商店街の一角にあった。
●さまざまな光景
こうして書きながら、私は、当時の私を思い出す。
書き始めたときには、白紙だった頭の中に、さまざまな光景が思い浮かんでくる。
同時に、そのころ、私がどう考え、どう思ったかを思い出す。
それを文章にする。
これが「書く」ということである。
……ということで、話を先に進める。
●(遊び)
その小倉山には、「アベック」が、よく登ってきた。
アベックというのは、あやしげな雰囲気を漂わせた男女をいう。
子どもながらに、アベックが山の中で、何をするか、よくわかっていた。
が、アベックは、たいてい南側からの散歩道を使い、展望台へやってくる。
私たちはそれを見つけると、下のほうから追いかけ、裏道を通り、先回りをする。
アベックがやってくるのを待つ。
つまりそれが私たちの(遊び)だった。
アベックは、決まって石の上に並んで座ったりした。
抱き合い、顔を重ね、男の方は、せわしく手を動かしたりした。
女のほうは胸をはだかれ、体をのけぞらせたりした。
が、それからが私たちの出番。
「ホ~オ~、ホ~オ~」と、独特の節回しで、いっせいに、それを冷やかす。
「ホ~オ~、ホ~オ~」と。
アベックは、たいていはそのままその場を立ち去ったが、中には石を投げてくるアベックもいた。
が、私たちは巧みに石をかわし、アベックを追いかけた。
アベックが、山を下りるまで、追いかけた。
●小倉公園
小倉公園には、昔、城があったという。
下から登っていくと、大きく2段に分かれている。
下の段は、菓子屋と、それにつづく動物園になっていた。
遊具もいくつか並べてあった。
その上にもう1段、広場があった。
私が高校生くらいのとき、そこに野外ステージが造られた。
記憶は正確ではない。
で、最近は整備され、公的な公園らしくなった。
が、私たちが子どものころは、下の段の広場にも、上の段の広場にも、雑草が生い茂っていた。
そう言えば、上の段の広場の端にも、動物園があったように記憶している。
鳥獣園もあった。
●アベック
で、私たちは先回りをし、山を下りる。
そこでアベックが下りてくる。
私たちがアベックの顔を確かめるのは、そのとき。
何食わぬ顔をし、すれ違いざま、顔を確かめる。
「お前たちの秘密を知っているぞ!」と。
●「ホ~オ~、ホ~オ~」
が、ことは因果なもの。
私が大学生だったときのこと。
知りあった女性(女の子)と、その小倉山に登ったことがある。
目的は、……ここに書くまでもない。
が、石の上にハンカチを置き、さあ、これから……というとき、子どもたちの声が聞こえてきた。
「ホ~オ~、ホ~オ~」と。
私はそのとき、怒るよりも先に、笑ってしまった。
●女たらし
話を、戻す。
私が子どものころは、異性と遊ぶことは「悪」と考えられていた。……考えていた。
女の子といっしょにいるところを見られただけで、「女たらし」とバカにされた。
「女たらし」という言葉には、特別の意味がこめられていた。
一度「女たらし」のレッテルを張られると、そのまま仲間はずれにされた。
だから私の思い出のどこを探しても、私には女の子と遊んだという記憶がない。
年上の「お姉さん」とは、よく遊んだが、年上の女性は、「女」ではなかった。
だから今でも、「女性」が苦手。
女性については、今でも、宇宙人のように感ずることがある。
当時は、男と女が、今よりもはるかに色濃く、区別されていた。
「女は相手にしない」
「女は人間にあらず」と。
●封建時代
こういうのを男尊女卑思想と言う。
その男尊女卑思想が、当時の私たちにさえ、骨のズイまで浸み込んでいた。
だから今でも、たとえばNHKの大河ドラマを見たりすると、「?」と思うことが多い。
若い妻が、殿に向かって、声を張り上げ、自分の意見を言ったりする。
が、当時の常識からしても、それはありえなかった。
つまり私たちの子ども時代からの常識からしても、ありえなかった。
いわんや、江戸時代という、封建時代において、をや。
だから当然のことながら、男の遊びと女の遊びというのも、あった。
男の色、女の色というのも、あった。
男が赤い色の持ち物をもっていただけで、やはり「女たらし」と呼ばれた。
●団塊の世代
今、時刻は、午後1時40分。
先ほどから35分が経過したことになる。
話をつづける。
年代的には、1950年代ということになる。
私は1947年(昭和22年生まれ)。
小学3年生のときは、1955年前後ということになる。
が、年齢というのは不思議なもので、年を取れば取るほど、江戸時代のほうが、私に近づいてくる。
簡単な計算をしてみる。
大政奉還により、徳川慶喜は明治天皇に執権を返上する。
江戸幕府は、こうして終焉する。
で、この年が、1867年。
で、現在が、2012年。
引き算をすると、2012-1867=145が、つまり145年。
20歳の若い人には、145年というと、自分の年齢の7倍も遠い昔のできごとということになる。
が、70歳の老人には、145年といっても、自分の年齢のたった2倍。
2倍程度!
つまり自分の年齢の2倍昔には、江戸時代があった。
7倍から2倍へ。
どんどんと近づいてくる。
いわんや、私の父母や祖父母の時代には、江戸時代といっても、隣りあわせ。
昔や過去のことではない。
そこに江戸時代という封建時代が、そのまま生きていた。
●子ども
で、この145年の間に、日本は、あの時代を清算したことがあるかと言えば、それはない。
いまだにあの時代を、そのまま引きずっている。
ここにあげた男尊女卑思想もその一つだが、もうひとつ忘れてならないのは、「子ども」。
私たちが子どものころには、「女・子ども」と言って、女性と子どもは、「人」のワクの外に置かれていた。
戦後、女性は、女性の地位を確立したが、子どもは、そのまま。
今でも、その残像は、あちこちに残っている。
そのひとつが、「モノ思想」。
「子どもはモノ」と。
● 子どもはモノ
「子どもはモノ」と書くと、反発する人は多いかと思う。
しかし人間というよりは、モノ。
そういう視点で子どもを考える人は、少なくない。
先日も、ある投書を読んでいたら、こう書いてあった。
「我が家にも、やっと跡取りができました」と。
家や家意識があり、そこに子どもが生まれる。
それを「跡取り」という。
が、これは立派な、モノ意識である。
さらに言えば、それは今の今でも、親の子育て観の中に生きている。
たとえば自分の子どもを育てるとき、「日本のため」とか、「人類のため」と思い、子育てをしている人は、いない。
「私の子ども」というように、そこには、いつも「私の」という所有格がつく。
だから子どもの受験競争に巻き込まれながら、喜んだり、泣いたりする。
子どもの将来に、個人的な損得論を、結びつけてしまう。
これも立派な、モノ意識である。
●「神から授かった子」
では、欧米ではどうか?
その点、アメリカ人は、日本人とはややちがったものの考え方をする。
たとえば子どもにしても、「神から授かった子」という意識が強い。
だから子どもが何かの障害をもって生まれたとしても、日本人ほど、深刻に考えない。
「どんな子どもであれ、神の子」という見方で、子どもを受け入れてしまう。
が、この日本では、そうはいかない。
今でこそ少なくなったが、……親の意識がこの10年、急激に変化してきた。
が、障害をもった子どもが生まれたりすると、親は、それを隠した。
「恥」ととらえる親も多かった。
つまりこうした「モノ意識」は、日本の中だけで見ていると、わからない。
外国から見てみると、よくわかる。
●広げる
……こうして私はものを書くことによって、自分の世界を、どんどんと広げていく。
これが「ものを書く」意味である。
が、ものを書かなかったら、どうか。
私はこの原稿の冒頭に書いた状態のまま、何も考えなかったにちがいない。
時刻は、午後2時05分。
ちょうど1時間。
その1時間を、ぼんやりと過ごしていたにちがいない。
が、まだ55分、ある。
●親の一存
モノ意識について、もう少し書いてみる。
よくこんな母親がいる。
たとえばどこかのおけいこ塾へ、子どもが通っていたとする。
そのとき親の一存だけで、塾へ入れたり、塾を退会させる親がいる。
子どもの気持ちや希望、意向は無視。
すべて親の一存だけで、決めてしまう。
が、これとて立派なモノ意識。
「うちの子のことは、私がいちばんよく知っています」という親ほど、モノ意識が強い。
過信と幻想だけで、すべてを決めてしまう。
が、子どもが受験期にさしかかると、さらにそれに拍車がかかる。
自分の果たせなかった夢や希望を子どもに託す。
それ自体は悪いことではない。
が、そのとき、自分の心配や不安を埋める道具として、子どもを利用する。
これも、立派なモノ意識。
●脱線
話が脱線したが、ものを書いていると、こういうことは、よくある。
が、そのとき、脱線を修復するには、2つの方法がある。
ひとつは、話を少しずつ、元の軌道に戻していく。
もうひとつは、あとで編集するとき、原稿を分割し、別々の話として独立される。
ここでは、元の軌道に戻すことにする。
「2時間で、どこまで原稿が書けるか」という、テーマもある。
●子ども時代
こうして私の子ども時代は、変化とスリルに富んだものであった。
現在の子どもたちには想像もつかないだろうと書いても、過言ではない。
小倉山にしても、隅から隅まで、よく知っていた。
またその小倉山を下りてからも、同じ道を通って帰るということは、まずなかった。
道がないときは、どこかの家の石垣を這って、家に帰った。
ときには、どこかの家の中を通り抜けて、家に帰った。
美濃市という町は、その昔は和紙の集散地として栄えた町。
それぞれの家々が、うなぎの寝床のように、細長かった。
表の玄関から入ると、裏の出口は、別の横丁につながっていた。
江戸時代の昔は、家の間口の広さで、税金が決まっていたという。
だから商人たちは、間口を狭くし、奥へ奥へと家を長くした。
……というようなことまで、思い出してくる。
が、そこは子ども。
そういった家を通り抜けていっても、だれも咎(とが)めなかった。
その家の住人にしても、自分の家の子どもの友だちか何かに思ったのかもしれない。
ともかくも、叱られたという思い出そのものがない。
寛大だったのか。
それとも、やはり「子ども」は、「数」に入っていなかったのか。
●遊びの連続
ここで書きとめておかねばならないことがある。
当時は、どこへ行っても、子どもの姿があった。
私たちの世代を称して、「団塊の世代」という。
年齢別の人口比でみても、ぼっこりとその前後の人たちより、多い。
夏の夕方にもなると、道路のあちこちで、子どもの遊ぶ声が聞こえた。
それこそ町内の班ごとに、グループができ、みながそれぞれに遊んだ。
まだ当時は、道路は、子どもの遊び場でもあった。
自動車そのものが少なかったし、その自動車にしても、どこか遠慮がちに道路を走っていた。
「楽しかった」という意識は、あまりない。
しかし毎日が、遊びの連続の中にあった。
遊んで遊んで、遊びまくった。
遊びが途切れるということがなかった。
それが私の子ども時代ということになる。
●遊び
だから今の子どもは……と書くと、こうした原稿を書く意図が見え見えになってしまう。
若い人にしても、そういう原稿を読むのは、不愉快だろう。
私にしても、そういう原稿は、書きたくない。
今の時代をすべて否定するのも、どうかと思うし、では私たちの時代がよかったかというと、そうとも言えない。
ただ言えることは、今よりも、ずっと時計の進む速度が遅かったということ。
たとえば夏の暑い日に、アイスクリームを買いに行く。
商店街の中には、そのアイスクリームを売る店があった。
が、すぐには売ってくれない。
しばらく時間がかかる。
私たちは体を冷蔵庫にこすりつけ、アイスクリームができあがるのを待った。
遊びにも、こと欠かなかった。
木製の潜水艦を作るのも流行(はや)った。
その季節になると、みな、凧揚げをした。
模型飛行機も流行った。
忍者ごっこや、パチンコ、パンコ(メンコ)も流行った。
カッチン玉という、ビー玉遊びも流行った。
コマ回しも流行った。
月々に、生活や遊びが、大きく移り変わっていった。
映画もただで見られた。
方法は簡単。
映画館には、あちこちに小さな隙間があった。
そこから直接のぞいて見たこともあるが、たいていは小さな穴に向けて白い紙を立てると、ちょうどピンホール写真のように、映画の映像が、そこに映った。
音声は、もちろん筒抜け。
おとなの映画は、そういう方法で見た。
●時刻は午後2時40分
現在時刻は、午後2時40分。
この原稿を書き始めて、1時間40分。
40字x36行で、12枚。
「こんなものかな」と思う。
単行本のばあい、120~150枚で1冊の本になる。
2時間足らずで、その10分の1を書いたことになる。
今の私なら、その気にさえなれば、2日で、1冊の本を書くことができる。
が、もちろん、こんなくだらない文章では、本にはならない。
本にしても、「本を書いた」という実感が残らない。
ただこの原稿を通して、「ものを書く」ということが、どういうことか、わかってもらえたと思う。
私たちはものを考えるから、人間である。
が、考えようとして、考えられるものではない。
多くは、堂々巡りするだけ。
そこで「ものを書く」。
書くことによって、考えを広げ、深めることができる。
今回は、そういう発見はなかったが、時として新しい発見をすることがある。
荒野の片隅で光る、宝石のようなもの。
その宝石に出会うことがある。
それが楽しいし、またそれがあるから、ものを書くのがやめられない。
●とにかく書く
だからものを書くときは、こんなことに心がけてみる。
「何を書こう」と思うのではなく、とにかく書く。
書き始めてみる。
もちろん何か、それについて書いてみたいというテーマがあれば、それについて書く。
あとは、脳の命ずるまま、自分の思いを叩きつけていく。
その実験のひとつとして、こんな原稿を書いてみた。
ワイフが仕事の支度を始めた。
時刻は午後2時50分。
私の原稿もここまで。
あとは簡単に読みなおし、推敲する。
BLOGにアップするのは、そのあと。
では、みなさん、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
はやし浩司 2012-01-19
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 美濃市 美濃町 子ども時代 はやし浩司 子供時代 子供のころ)
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●ゴミ?
少し前、「ジジ・ババ・ゴミ論」について書いた。
私が「ゴミ」という言葉を使っているのではない。
若い人たちの書くBLOGに、そう書いてある。
最近の若い人たちの老人論には、辛らつなものが多い。
「老害論」から「ゴミ論」へ。
まさかと思う人がいたら、一度、若い人たちのBLOGに目を通してみるとよい。
それについては、もう何度か書いてきた。
ここでは「なぜ?」について、書いてみたい。
なぜ、私たちはゴミなのか?
●「将来、親のめんどうをみる」
「将来、どんなことをしてでも、親のめんどうをみる」と答える、日本の若い人たちは、世界でも最下位。
総理府、それにつづく内閣府が、数年おきに、同じ調査をしている。
「青少年の意識調査」というのが、それである。
それによれば、つぎのようになっている。
(第8回青年意識調査:内閣府、平成21(2009)年3月)
+++++++++++++++++++++++++++++++++
●年老いた親を養うことについてどう思うか
「どんなことをしてでも親を養う」
イギリス66.0%、
アメリカ63.5%、
フランス50.8%、
韓国35.2%、
日本28.3%
(平成9年、総理府の同調査では、19%。)
日本の若い人たちの意識は、28・3%!
アメリカ人の約半分。
「親孝行は教育の要である。日本人がもつ美徳である」と信じている人は多い。
しかし現実は、かなりきびしい。
今どき、「親孝行」という言葉を使う、若い人は、いない!
●「自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい」と思うか
『そう思う』:
イギリス70.1%、
アメリカ67.5%、
フランス62.3%、
日本47.2%、
韓国41.2%
+++++++++++++++++++++++++++++++++
平たく言えば、現代の若い人たちは、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と考えている。
しかし「経済的に余裕のある若い人」は、ほとんど、いない。
どの人も、目一杯の生活をしている。
結婚当初から、車や家具一式は、当たり前。
中には、(実際、そういう夫婦は多いが)、結婚してからも親からの援助を受けている夫婦もいる。
金融広報中央委員会の調査によれば、現在、貯蓄ゼロ世帯は、23%。
全国約4000万世帯の、23%。
4世帯につき、約1世帯。
さらに生活保護を受ける世帯が、2011年度、最高を記録した。
その数、150万世帯。
++++++++++++++++++++++++++++++
金融広報中央委員会の「家計の金融資産に関する世論調査(2006年)」によれば、
つぎのようになっている。
20代は171万円、
30代は455万円、
40代は812万円、
50代は1154万円、
60代が1601万円、
70歳以上が1432万円。
この調査は「20歳-79歳代の男女10,080人」を対象に調べたもので、
このうち貯蓄を持っているのは全体の、77・1%。
残りの22.9%は貯蓄ゼロ。
貯蓄ゼロの家庭は、年収が300~500万円未満でも21.1%。
500~750万円未満の家庭でも16.2%。
+++++++++++++++++++++++++++++
なお、団塊の世代についてみると、8・1%の世帯が、貯蓄ゼロとなっている(「格差脱出研究所」調べ)。
ただしここに載っている数字にしても、あくまでも、「平均」。
70歳以上だけをみても、中に数億円以上もの金融資産を保有している人たちがいる。
大多数の人は、400~500万円程度と言われている(某経済誌)。
「親のめんどうをみる」と答える、若い人たちの減少。
それと反比例する形で、「ジジ・ババ・ゴミ論」がある。
両者を関連付けるのは、危険なことかもしれない。
しかし無関係とは、これまた言えない。
●祖父母と同居
私自身は、3世代同居家族の中で、生まれ育った。
生まれたときから、祖父母と同居していた。
と言っても、当時は、それがごく平均的な家族であった。
「核家族」という言葉が生まれ、それが主流になってきたのは、1970年以後のこと。
夫婦と、その子どもだけの、「小さな家族」を「核家族」と言った。
当時はそれが珍しかったが、今では、それが主流。
若い人たちが「家族」というときには、そこには、祖父母の姿はない。
現在、祖父母と同居している家族の割合は、つぎのようになっている。
(第8回青年意識調査:内閣府、平成21(2009)年3月)
●「祖父または祖母と同居している」
日本(20.6%)、
韓国(5.8%)、
アメリカ(3.1%)、
フランス(1.5%)、
イギリス(1.1%)
これらの数字を並べて解釈すると、こうなる。
(1) 日本人は、親と同居している家族が、比較的多い(20・6%)。
子どもが生まれれば、3世代同居家族となる。
ただしこれには地域差が大きい。
地方の農村部では、多く、都市部では、少ない。
(2) 老親は、子どもに老後のめんどうをみてもらいたいと考えている(47・2%)。
が、若い人たちには、その意識は薄い。
世界でも、最低レベルとなっている(28・3%)。
(3)「核家族」という家族形態は、欧米化の1態ということが、この数字を見てもわかる。
つまり、家族の欧米化が、現在、急速に進んでいる。
ただし欧米では、各地に「老人村」があるなど、老人対策が充実している。
一方、この日本では、老人対策がなおざりにされたまま、欧米化が進んでしまった。
その結果が、独居老人、さらには孤独死、無縁死の問題ということになる。
●「団塊の世代は敵」?
先日紹介したBLOGの中に、「団塊の世代は敵」と書いてあるのが、あった。
これには驚いた。
私たち団塊の世代は、感謝されこそすれ、「敵」と思われるようなことは、何もしていない。
そのつもりでがんばったわけではないが、現在の日本の繁栄の基礎を作ったのは、私たち。
そういう自負心も、どこかにある。
その私たち団塊の世代が、敵?
こうした感覚を理解するためには、視点を一度、若い人たちの中に置いてみる必要がある。
なぜか?
その理由の第一が、現在の若い人たちは、「貧しさ」を知らない。
生まれたときから、「豊かな生活」がそこにあるのが当たり前……という前提で、育っている。
それは私たちの視点を、逆に、80代、90代の人たちの中に置いてみるとよくわかる。
●「敵」
戦争を体験した人たちは、みな、こう言う。
「日本を守ったのは、俺たち」と。
結果的に日本は敗北し、(守った)という意識は、粉々に破壊された。
しかし「命をかけて」という部分までは、破壊されていない。
が、結果がどうであれ、戦争を体験した人たちが、「命がけで戦った」のは、事実。
で、そういう人たちに、私たち戦後の世代が感謝しているかといえば、それはない。
中には、「自業自得」と、辛らつな言葉を、浴びせかける人もいる。
「勝手に戦争を起こし、ひどいめにあった」と。
もう少し具体的には、こんな事実もある。
私の二男が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。
私はこう思った。
「親父(おやじ=私の実父)が、生きていなくてよかった」と。
もし父が生きていたら、その結婚には、猛烈に反対しただろう。
私の父は、そういう人だった。
まじめで、がんこで、純粋だった。
本気で天皇を崇拝し、神国日本を信じていた。
ある日のこと、こんなことがあった。
私が小学3年生のときのことである。
私が「天皇」と呼び捨てにすると、一度も私に対して怒ったことがない父が、私を殴った。
「陛下と言え!」と。
父はその足で小学校へ怒鳴り込んでいった。
「貴様ら、息子に何を教えているかア」と。
そのときの担任が、N先生。
だから小学3年生のときのことだったということを、よく覚えている。
が、そんな父をだれが批判できるだろうか。
現に今、私たち団塊の世代を評して、「敵」という。
同じように、そういう若い人たちを、私たちはどうして批判できるだろうか。
私たちはいつも、過去を踏み台にして、現在を生きている。
その現在に視点を置き、「自己中心的な、現在中心論」で、ものを考える。
そういう視点で見ると、私たち団塊の世代は、この日本の繁栄を、ぶち壊してしまった。
少なくとも、若い人たちは、そういう目で、私たち、団塊の世代をながめている。
●ゴミ
私たちは、否応なしに、ゴミになりつつある。
またそういうふうに扱われても、抵抗できない。
体力も気力も、とぼしくなってきた。
若い人たちから見ると、私たちの世代は、毎日、遊んでばかりいるように見える。
昔、……といっても、もう30年以上も前のことだが、こう言った高校生がいた。
「老人は、役立たず」と。
当時の私は、この言葉に猛烈に反発した。
……そう言えば、それについて書いた原稿がどこかにあるはず。
探してみる。
日付は2010年2月になっている。
当時、私はひとつの理由として、「受験競争」をあげた。
受験競争を経験した子どもは、総じて、心が冷たくなる。
私はそれを実感として、現場で、今も強く感じている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ジジ・ババ・ゴミ 総理府 内閣府 青年に意識調査 親の面倒 親のめんどう 老後の介護 はやし浩司 団塊の世代 受験と虐待)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
特集【介護と子どもの意識】(2010年2月の原稿より)
●介護と子どもの意識
+++++++++++++++++
介護問題に隠れて、表に出てこないが、
その裏には、子どもたちの意識の変化
がある。
現在、ほとんどの子どもたちは、「経済的に
余裕があれば、親のめんどうをみる」と
考えている(日本)。
しかし経済的に余裕のある人は、いない。
みな、それぞれが精いっぱいの生活を
している。
つまりこの調査結果を裏から読むと、
「めんどうはみない」となる。
が、ことはさらに深刻である。
(めんどう)どころか、(老人への虐待)が、
深刻化している。
10年ほど前に書いた原稿をさがしてみる。
(10年前ですら、そうだったということを
わかってほしい。)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ジジ・ババ受難の時代
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
年々、ジジ・ババへの風当たりが
強くなってきている(?)。
これから先、私たち高齢者予備軍は、
どのように社会とかかわりあって
いったらよいのか。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
私は感じている。ひょっとしたら、あなたも感じている。このところ、年を追うごとに、ジジ・ババへの風当たりが強くなってきている。
若者たちが書くBLOGにしても、「ジジイ」とか「ババア」という言葉を使って、年配者をののしる表現が、最近、目につくようになってきた。
ある交通事故の相談を専門に受けつけるBLOGには、こんな書きこみすらあった。
「先日、枯れ葉マークのジジイの車に追突された。
おかげで、こちらは2週間も入院。そのジジイが、2、3日ごとに見舞いにくるから、たまらねえ。
あんなジジイに、何度も見舞いに来られて、うるさくてしかたねえ。
こっちは、迷惑している」と。
その若者は、バイクに乗っているところを、車で追突されたらしい。
つまりこのところ、老齢者が、ますます、「粗大ゴミ」になってきた。
そんな感じがする。
老人医療費用、介護費用の増大が、若者の目にも、それが「負担」とわかるようになってきた。
加えて、日本では、世代間における価値観の相違が、ますます顕著になってきた。
若者たちは、程度の差こそあれ、上の世代の犠牲になっているという意識をもっている。
これに対して、たとえば私たち団塊の世代は、こう反論する。
「現在の日本の繁栄を築きあげたのは、私たちの世代だ」と。
しかしこれは、ウソ。
団塊の世代の私が、そう言うのだから、まちがいない。
たしかに結果的には、そうなった。
つまりこうした論理は、結果論を正当化するための、身勝手な論理にすぎない。
私も含めて、だれが、「日本のため……」などと思って、がんばってきただろうか。
私たちは私たちで、今までの時代を、「自分のために」、がんばってきた。
結果として日本は繁栄したが、それはあくまでも結果論。
そういう私たちを、若い世代は、鋭く見抜いている。
しかしこれは深刻な問題でもある。
これから先、高齢者はもっとふえる。
やがてすぐ、人口の3分の1以上が、満65歳以上になるとも言われている。
そうなったとき、若者たちは、私たち老齢者を、どういう目で見るだろうか。
そのヒントが、先のBLOGに隠されているように思う。
ジジ・ババは、ゴミ。
ジジ・ババは、臭い。
ジジ・ババは、ムダな人間、と。
そういう意識を若者たちが共通してもつようになったら、私たち高齢者にとって、この日本は、たいへん住みにくい国ということになる。
そのうち老人虐待や老人虐殺が、日常的に起こるようになるかもしれない。
では、どうすればよいのか。
……というより、高齢者のめんどうを、第一にみなければならないのは、実の子どもということになる。
が、その子どもが成人になるころには、たいていの親子関係は、破壊されている。
親たちは気がついていないが、「そら、受験だ」「そら、成績だ」「そら、順位だ」などと言っているうちに、そうなる。
中学生になる前に、ゾッとするほど、心が冷たくなってしまう子どもとなると、ゴマンといる。
反対に、できが悪く(?)、受験とは無縁の世界で育った子どもほど、心が暖かく、親思いになる。
ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あるいはあなた自身のことを考えてみればよい。
「親のめんどうなどみない」と宣言している若者もいる。
「親の恩も遺産次第」と考えている若者は、もっと多い。
たいはんの若者は、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と答えている。
つまり「余裕がなければ、みない」※と。
数年置きに、総理府(内閣府)が調査しているので、そのうち、これについての全国的な調査結果も出てくると思うが、これが現状と考えてよい。
私はこのところ、近くの老人ケア・センターへ行く機会がふえた。
そこでは、30~40人の老人を相手に、4、5人の若い男女が、忙しそうにあれこれと世話をしている。
見た目には、のどかで、のんびりとした世界だが、こんな世界も、いつまでつづくかわからない。
すでに各自治体では、予算不足のため、老人介護のハードルをあげ始めている。
補助金を削減し始めている。
10年後には、もっと、きびしくなる。20年後には、さらにきびしくなる。
単純に計算しても、今は30~40人だが、それが90~120人になる。
そうなったとき、そのときの若者たちは、私たち高齢者を、どのような目で見るだろうか。
またどのように考えるだろうか。
老齢になるまま、その老齢に負け、老人になってはいけない。
ケア・センターでは、老
人たちが、幼稚園の年長児でもしないような簡単なゲームをしたり、手細工をしたりしている。ああいうのを見ていると、「本当に、これでいいのか」と思う。
高齢者は、人生の大先輩なはず。人生経験者のはず。
そういう人たちが、手をたたいて、カラオケで童謡を歌っている!
つまりこれでは、「粗大ゴミ」と呼ばれても、文句は言えない。
また、そうであっては、いけない。
わかりやすく言えば、高齢者は、高齢者としての(存在感)をつくらねばならない。
社会とかかわりをもちながら、その中で、役に立つ高齢者でなければならない。
そういうかかわりあいというか、若者たちとの(かみあい)ができたとき、私たち高齢者は、それなりにの(人間)として認められるようになる。
「私たちが、この日本を繁栄させたのだ」とか、「だれのおかげで、日本がここまで繁栄
できたか、それがわかっているか」とか、そういう高慢な気持ちは、さらさらもっていは
いけない。
私たち高齢者(実際には、高齢者予備軍)は、どこまでも、謙虚に!
姿勢を低くして、若者や社会に対して、自分たちの人生を、還元していく。
その努力を今から、怠ってはいけない。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
古い原稿を再掲載します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●本末転倒の世界
「老人のような役立たずは、はやく死んでしまえばいい」と言った、高校生がいた。
そこで私が、「君だって、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくは、人に迷惑をかけない。
それにそれまでにうんと、お金を稼いでおくからいい」と。
そこでさらに私が、「君は、親のめんどうをみないのか」と聞くと、こう言った。
「それだけのお金を残してくれるなら、めんどうをみる」と。
親の恩も遺産次第というわけだが、今、こういう若者がふえている。
97年、総理府が成人式を迎えた青年を対象に、こんな意識調査をした。
「親の老後のめんどうを、あなたはみるか」と。
それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たったの19%!
この数字がいかに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、60数%。
さらに東南アジアの若者たちの、80~90%という数字と比較してみるとわかる。
しかもこの数字は、その3年前(94年)の数字より、4ポイントもさがっている。
このことからもわかるように、若者たちの「絆の希薄化」は、ますます進行している。
一方、日本では少子化の波を受けて、親たちはますます子どもに手をかけるようになった。
金もかける。
今、東京などの都会へ大学生を一人、出すと、毎月の仕送り額だけでも、平均27万円。
この額は、平均的サラリーマンの年収(1005万円)の、3割強。
だからどこの家でも、子どもが大学へ行くようになると、母親はパートに出て働く。
それこそ爪に灯をともすような生活を強いられる。
が、肝心の大学生は、大学生とは名ばかり。
大学という巨大な遊園地で、遊びまくっている!
先日も京都に住む自分の息子の生活を、見て驚いた母親がいた。
春先だったというが、一日中、電気ストーブはつけっぱなし。毎月の電話代だけでも、数万円も使っていたという。
もちろん子どもたちにも言い分は、ある。
「幼児のときから、勉強、勉強と言われてきた。
何をいまさら」ということになる。
「親のために、大学へ行ってやる」と豪語する子どもすらいる。
今、行きたい大学で、したい勉強のできる高校生は、10%もいないのではないか。
大半の高校生は、「行ける大学」の「行ける学部」という視点で、大学を選ぶ。
あるいは
ブランドだけで、大学を選ぶ。
だからますます遊ぶ。年に数日、講義に出ただけで卒業できたという学生もいる(新聞の投書)。
こういう話を、幼児をもつ親たちに懇談会の席でしたら、ある母親はこう言った。
「先生、私たち夫婦が、そのドラ息子ドラ娘なんです。
どうしたらよいでしょうか」と。
私の話は、すでに一世代前の話、というわけである。
私があきれていると、その母親は、さらにこう言った。
「今でも、毎月実家から、生活費の援助を受けています。子どものおけいこ塾の費用だけでも、月に4万円もかかります」と。
しかし……。今、こういう親を、誰が笑うことができるだろうか。
(親から大学生への支出額は、平均で年、319万円。
月平均になおすと、約26・6万円。
毎月の仕送り額が、平均約12万円。
そのうち生活費が6万5000円。大学生をかかえる親の平均年収は1005万円。
自宅外通学のばあい、親の27%が借金をし、平均借金額は、182万円。
99年、東京地区私立大学教職員組合連合調査。)
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親の支出額 学費)
+++++++++++++++
つづいて03年(7年前)に書いた
原稿を添付します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●高齢者への虐待
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
やはり高齢者への虐待が
ふえているという。
これはこれからの世界を
生きる私たちにとっては、
深刻な問題である。
+++++++++++++
医療経済研究機構が、厚生省の委託を受けて調査したところ、全国1万6800か所の介護サービス、病院で、1991事例もの、『高齢者虐待』の実態が、明るみになったという(03年11月~04年1月期)。
わかりやすく言えば、氷山の一角とはいえ、10か所の施設につき、約1例の老人虐待があったということになる。
この調査によると、虐待された高齢者の平均年齢は、81・6歳。うち76%は、女性。
虐待する加害者は、息子で、32%。息子の配偶者が、21%。娘、16%とつづく。
夫が虐待するケースもある(12%)。
息子が虐待する背景には、息子の未婚化、リストラなどによる経済的負担があるという。
これもわかりやすく言えば、息子が、実の母親を虐待するケースが、突出して多いということになる。
で、その虐待にも、いろいろある。
(1)殴る蹴るなどの、身体的虐待
(2)ののしる、無視するなどの、心理的虐待
(3)食事を与えない、介護や世話をしないなどの、放棄、放任
(4)財産を勝手に使うなどの、経済的虐待など。
何ともすさまじい親子関係が思い浮かんでくるが、決して、他人ごとではない。
こうし
た虐待は、これから先、ふえることはあっても、減ることは決してない。
最近の若者のうち、「将来親のめんどうをみる」と考えている人は、5人に1人もいない(総理府、内閣府の調査)。
しかし考えてみれば、おかしなことではないか。
今の若者たちほど、恵まれた環境の中で育っている世代はいない。
飽食とぜいたく、まさにそれらをほしいがままにしている。
本来なら、親に感謝して、何らおかしくない世代である。
が、どこかでその歯車が、狂う。
狂って、それがやがて高齢者虐待へと進む。
私は、その原因の一つとして、子どもの受験競争をあげる。
話はぐんと生々しくなるが、親は子どもに向かって、「勉強しなさい」「成績はどうだったの」「こんなことでは、A高校にはいれないでしょう」と叱る。
しかしその言葉は、まさに「虐待」以外の何ものでもない。
言葉の虐待である。
親は、子どものためと思ってそう言う(本当は、自分の不安や心配を解消するためにそう言うのだが……。)
子どもの側で考えてみれば、それがわかる。
子どもは、学校で苦しんで家へ帰ってくる。
しかしその家は、決して安住と、やすらぎの場ではない。
心もいやされない。むしろ、家にいると、不安や心配が、増幅される。
これはもう、立派な虐待以外のなにものでもない。
しかし親には、その自覚がない。ここにも書いたように、「子どものため」という確信をいだいている。
それはもう、狂信的とさえ言ってもよい。
子どもの心は、その受験期をさかいに、急速に親から離れていく。
しかも決定的と言えるほどまでに、離れていく。
その結果だが……。
あなたの身のまわりを、ゆっくりと見回してみてほしい。
あなたの周辺には、心の暖かい人もいれば、そうでない人もいる。
概してみれば、子どものころ、受験競争と無縁でいた人ほど、今、心の暖かい人であることを、あなたは知るはず。
一方、ガリガリの受験勉強に追われた人ほど、そうでないことを知るはず。
私も、一時期、約20年に渡って、幼稚園の年中児から大学受験をめざした高校3年生まで、連続して教えたことがある。
そういう子どもたちを通してみたとき、子どもの心がその受験期にまたがって、大きく変化するのを、まさに肌で感じることができた。
この時期、つまり受験期を迎えると、子どもの心は急速に変化する。ものの考え方が、ドライで、合理的になる。
はっきり言えば、冷たくなる。まさに「親の恩も、遺産次第」というような考え方を、平気でするようになる。
こうした受験競争がすべての原因だとは思わないが、しかし無縁であるとは、もっと言えない。
つまり高齢者虐待の原因として、じゅうぶん考えてよい原因の一つと考えてよい。
さて、みなさんは、どうか。それでも、あなたは子どもに向かって、「勉強しなさい」と言うだろうか。……言うことができるだろうか。
あなた自身の老後も念頭に置きながら、もう少し長い目で、あなたの子育てをみてみてほしい。
(はやし浩司 老人虐待 高齢者虐待)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
少し古い原稿ですが、以前、中日新聞に
こんな原稿を載せてもらったことがあり
ます。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●抑圧は悪魔を生む
イギリスの諺(ことわざ)に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。
心の抑圧状態が続くと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、この諺ほど、子どもの心にあてはまる諺はない。
きびしい勉強の強要など、子どもの能力をこえた過負担が続くと、子どものものの考え方は、まさに悪魔的になる。こんな子ども(小4男児)がいた。
その子どもは静かで、穏やかな子どもだった。
人の目をたいへん気にする子どもで、いつも他人の顔色をうかがっているようなところは、あるにはあった。
しかしそれを除けば、ごくふつうの子どもだった。
が、ある日私はその子どものノートを見て、びっくりした。
何とそこには、血が飛び散ってもがき苦しむ人間の姿が、いっぱい描かれていた!
「命」とか、「殺」とかいう文字もあった。
しかも描かれた顔はどれも、口が大きく裂け、そこからは血がタラタラと流れていた。
ほかに首のない死体や爆弾など。
原因は父親だった。
神経質な人で、毎日、2時間以上の学習を、その子どもに義務づけていた。
そしてその日のノルマになっているワークブックがしていないと、夜中でもその子どもをベッドの中から引きずり出して、それをさせていた。
神戸で起きた「淳君殺害事件」は、まだ記憶に新しいが、しかしそれを思わせるような
残虐事件は、現場ではいくらでもある。
その直後のことだが、浜松市内のある小学校で、こんな事件があった。
一人の子ども(小二男児)が、飼っていたウサギを、すべり台の上から落として殺してしまったというのだ。
この事件は時期が時期だけに、先生たちの間ではもちろんのこと、親たちの間でも大きな問題になった。
ほかに先生の湯飲み茶碗に、スプレーの殺虫剤を入れた子ども(中学生)もいた。
牛乳ビンに虫を入れ、それを投げつけて遊んでいた子ども(中学生)もいた。
ネコやウサギをおもしろ半分に殺す子どもとなると、いくらでもいる。
ほかに、つかまえた虫の頭をもぎとって遊んでいた子ども(幼児)や、飼っていたハトに花火をつけて、殺してしまった子ども(小3男児)もいた。
親のきびしい過負担や過干渉が日常的に続くと、子どもは自分で考えるという力をなくし、いわゆる常識はずれの子どもになりやすい。
異常な自尊心や嫉妬心をもつこともある。
そういう症状の子どもが皆、過負担や過干渉でそうなったとは言えない。
しかし過負担や過干渉が原因でないとは、もっと言えない。
子どもは自分の中にたまった欲求不満を何らかの形で発散させようとする。
いじめや家庭内暴力の原因も、結局は、これによって説明できる。
一般論として、はげしい受験勉強を通り抜けた子どもほど心が冷たくなることは、よく知られている。合理的で打算的になる。
ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。
あなたの周囲には、心が温かい人もいれば、そうでない人もいる。
しかし学歴とは無縁の世界に生きている人ほど、心が温かいということを、あなたは知っている。
子どもに「勉強しろ」と怒鳴りつけるのはしかたないとしても、それから生ずる抑圧感が一方で、子どもの心をゆがめる。
それを忘れてはならない。
【追記】
受験競争は、たしかに子どもの心を破壊する。
それは事実だが、破壊された子ども、あるいはそのままおとなになった(おとな)が、それに気づくことは、まず、ない。
この問題は、脳のCPU(中央演算装置)にからむ問題だからである。
が、本当の問題は、実は、受験競争にあるのではない。
本当の問題は、「では、なぜ、親たちは、子どもの受験競争に狂奔するか」にある。
なぜか? 理由など、もう改めて言うまでもない。
日本は、明治以後、日本独特の学歴社会をつくりあげた。
学歴のある人は、とことん得をし、そうでない人は、とことん損をした。
こうした不公平を、親たちは、自分たちの日常生活を通して、いやというほど、思い知らされている。だから親たちは、こう言う。
「何だ、かんだと言ってもですねえ……(学歴は、必要です)」と。
つまり子どもの受験競争に狂奔する親とて、その犠牲者にすぎない。
しかし、こんな愚劣な社会は、もう私たちの世代で、終わりにしよう。
意識を変え、制度を変え、そして子どもたちを包む社会を変えよう。
決してむずかしいことではない。おかしいものは、おかしいと思う。
おかしいことは、「おかしい」と言う。
そういう日常的な常識で、ものを考え、行動していけばよい。それで日本は、変る。
少し頭が熱くなったので、この話は、また別の機会に考えてみたい。
しかしこれだけは言える。
あなたが老人になって、いよいよというとき、あなたの息子や娘に虐待されてからでは、
遅いということ。
そのとき、気づいたのでは、遅いということ。
今ここで、心豊かな親子関係とは、どんな関係をいうのか、それを改めて、考えなおしてみよう。
Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司
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